「星塚」
泣き腫らした瞼を冷やしながら、ベッドに腰掛ける星塚へ伏黒はようやく声をかけた。
彼は言わなければいけない。宿儺に心臓を抜き取られた虎杖の最期の言葉を。
『あのさ、星塚に謝っといてくんねえ? 多分、アイツ俺が死んだら悲しむと思うからさ』
『……伏黒も、釘崎も、星塚も。五条先生は……心配いらねぇか』
『長生きしろよ』
伏黒を介した虎杖の遺言。それを聞き、星塚は枯れたはずの涙が再び溢れ出すのを感じた。
──長生きしろだなんて、ひどい。私の生きる意味なんて、あなたしかなかったのに。
嗚咽の音だけが響く病室。星塚は顔を上げ、涙まじりの声で言った。
「悠仁君は、今どこに?」
「……解剖室だ」
「最期に、会いに行ってくる」
「ああ」
「……ありがとう、伏黒君」
その身体にメスが入れられる前に会いたい。その一心で星塚は高専中を走る。
虎杖の遺体を見て、その後は? 彼の後を追うのか、それとも彼の遺言に従ってのうのうと生きるのか。
未だ結論が出ないまま、目的の場所まで着いてしまった。
「し、失礼します!」
星塚は解剖室の扉を勢いよく開く。中には五条と伊地知、 そして少年院で負った怪我を治してくれた家入の三人と、解剖台に横たわる物言わぬ肢体。
「ああ、椛? 何しに来たの……ってまあ、聞くまでもないか」
「ちょうど今から始めようと思ってたところだよ。運が良かったな」
薄いゴム手袋をつける家入。その背後で、確かに死んでいたはずの彼がぬるりと起き上がる。
「──!?」
伊地知は目を見開く。彼が現実を飲み込む前に、星塚がその身体を押しのけて虎杖へと駆け寄った。
「悠仁君っ!!」
「おわっ!! 苦しいって!」
「……もし、また私より先に死んだら……絶対、すぐに後を追ってやりますから……!」
「星塚……」
星塚は虎杖の身体を強く抱きしめる。一度なくした宝物。またもう一度会えるなんて、話せるなんて夢みたい。
一度目二度目、本日三度目の瞼が熱くなる感覚に、彼女はより一層虎杖の胸元に顔を寄せた。今日は本当に泣いてばかりで子どもの頃に戻った気分だ。
「ごごご、五ご、五条さん!! いいいい生き」
「クックッ……伊地知うるさい」
若人たちの戯れを眺めながら、五条は喉元で笑う。
──やっぱり、若人から青春を取り上げるなんて、許されないよね。
「って俺フルチンじゃん!! ちょっと星塚見ないで!!」
虎杖は自分が布切れ一枚すら纏ってないことに気付く。星塚もついその視線を下へ動かす。
流石に星塚も羞恥心と罪悪感が勝ち、風呂やトイレのときは接続を切っていた。つまりは虎杖の虎杖を見るのはこれが初めてで──
「っ……!」
顔を真っ赤にし、星塚は目を掌で覆った。口からは言葉にならない声が漏れ出す。
これもまた青春青春。五条はにんまりと笑みを浮かべたまま、大きな手を虎杖の方へ寄せた。虎杖も彼の意図をすぐに察し、掌を叩いた。
「悠仁! おかえり!!」
「オッス、ただいま!!」
「それ私もやりたいです……」
「俺が服着るまで待ってくんね?」
虎杖が新しい服に着替えている間、星塚は部屋の外で待っていた。手持ち無沙汰で彼女は自身の長い髪を指先にくるくると巻き付ける。
数分もしないうちに五条が家入と話を終えたのか、いつもの調子で「やあ」と軽く手を振った。
「……で、悠仁君はどうなるんです?」
「しばらくは死んだフリをしてもらおうかな。僕のところで少し力をつけてもらうよ」
星塚もそれに異論はない。現代最強と呼ばれる男に匿われるのなら万が一の事態も起こらないだろう。
死んだフリということは、誰にもこのことは言ってはならない。気付かれてもいけない。
彼から危険を遠ざけるためならそのぐらいやってみせる。
星塚はさっきまでの感動を収め、切なげな表情を作る。ちらりと五条を見ると、親指を突き立ててきたので問題はなさそうだ。
「そういえば、何か変わったことはない?」
「はあ……突然どうしました?」
「いや、僕これでも1年の担任なんだけど。忙しくて話す機会もなかったし、せっかくの機会だと思って何でも相談してくれていいよ?」
別に何も言うべきことはない、と言おうとしたところで、星塚の脳に二対の赤い瞳がよぎり、口を閉ざす。突然押し黙った星塚を不思議に思ったのか、五条が首を傾げる。
布切れ越しに、あの青い瞳がこちらを全て見透かしているような感覚を覚え、彼女は身震いした。
誰にも悟られてはいけない。そう、誰にも。
「いえ。……何も」
「本当? なーんでもいいんだけどな?」
口を開いた時、星塚は自分の声が思ったよりも掠れていることに気付いた。小さく咳払いをする。少し冷える廊下に反響して、その音は思っていたより大きく聞こえた。
やんわりと首を横に振る星塚。諦めたように笑い、五条は言った。
「じゃあ僕の方から色々言わせてもらうよ。どう? 新しい学校は。野薔薇や恵とは仲良くなれた?」
「あ、はい。いつもお世話になってます」
「君も悠仁も呪術のじゅの字も知らないもんね。何かあったら頼りなよ。もちろん僕でもいいけど、いないときも多いからね。ま、安心したよ」
「……何がですか?」
「いや、椛が悠仁のことだ〜いすきなのは分かるけど、もうちょっと周りも見ないといけないからね」
からかうような五条の声音に星塚は少しだけムッと口を尖らせる。
「何かいけませんか、悠仁君のことが好きで」
「別に? 大切な人がいるってのはいいことだよ。でも、世界ってのは二人だけで回ってるわけじゃない」
「説教ですか」
「先達によるアドバイスかな」
五条は目隠しをずらし、瞳を露わにする。透き通った海のような、どこまでも広がるような空のような、真っ青な瞳。何やら特別な瞳らしいというのは聞いたが、詳しいことは星塚にはわからない。
ただ、その美しさに感嘆するとともに、星塚は奥に秘められた感傷のような何かを感じ取った。
「世界中どこを見渡しても彼以上の人間がいるなんて思えませんけどね。若さゆえの盲目さだと思いますか?」
「そんなことないんじゃない? 広い世界を見たときに、却ってその大切さを思い知るかもしれないしね」
「……五条先生にその類の感性があるのは意外でした」
「どういう意味?」
五条は実力こそ確かだが、人間的に尊敬する気にはとてもなれない。
軽薄さが服を着て歩いている人間。星塚にとって彼はそういう認識であった。
だが、隔絶した力を持ちながらも秩序側に立っていることから決して悪ではないことは分かる。お世辞にも性格が良いとは言えないが。
「あまり1人の方に誠実に向き合っているイメージがつきませんので。真剣交際している方とかいらっしゃらないでしょう?」
「結構失礼だよね君」
首元まで下ろした目隠しを上げながら、五条は不機嫌そうに片方だけ眉を上げる。
星塚が顔を逸らすと、あくまでポーズだけだったらしくすぐに噴き出す声が聞こえた。
「椛もまだまだ子どもだね〜」
「はい?」
「別に大切な人っていうのは恋人だけに限らないよ。世の中にはもっと色んな愛の形があるわけだ」
「家族愛とか、友愛ってことですか?」
「そうそう」
「……じゃあ、五条先生にもそういう人がいるんですか?」
「さぁ、どうだろうね?」
言葉を濁された。星塚は追及するか迷ったが、いくら五条でも触れられたくないことの一つや二つあるだろう。そっと口を噤んだ。
沈黙がしばらく続いたあと、ようやく虎杖から入室の許可が出たので扉をくぐる。
「悠仁君、おかえりなさい!」
「おう、ただいま!」
虎杖は五条との修行があり、星塚は授業があるため、必然的に二人は別れることになる。名残惜しそうにする星塚に、虎杖は「またな!」と大きく手を振った。彼女もそれに応えるように、腕を上げた。
星塚は解剖室から離れ、スマホに残されていた連絡を頼りに釘崎たちのもとへ向かう。
訓練場には人影が4つ。見慣れた級友、見知らぬ男女──そしてパンダがそこにいた。見間違いかと思って目を擦るも、白黒の獣はそこに依然として存在している。
あっけにとられて立ち尽くす星塚の姿を見つけたのか、釘崎はこちらに向かって手招きをした。慌ててそちらへ走る。
「椛! ……もういいのね?」
「はい。お別れは済ませてきました」
釘崎は星塚の目元が赤く腫れあがっていることに気付く。だが、これ以上何も言う気は起きなかった。
そこに先ほどの女性が近付いてくる。恐らくは先輩なのだろう。歩き方で戦闘に慣れているのが星塚でもなんとなく分かった。
「おい、オマエが残りの一年か?」
「は、はい。星塚椛と申します」
「私は禪院真希。名字で呼ぶなよ。んであっちのが狗巻棘とパンダ」
真希は訓練場にいる残りの青年とパンダを指さした。あまりにも簡潔な説明に、星塚は戸惑ったような声を上げた。
「パンダ……?」
「パンダ」
「えっと、着ぐるみですか?」
「着ぐるみじゃねえよ」
どうやらパンダはパンダらしい。星塚は目の前の光景を見たまま受け入れることに決めた。
「『京都姉妹校交流会』……ですか?」
「ああ、そうだ。出れない三年は二人だが……まあ一年が一人多くても問題ないだろ。オマエも出んのか?」
三人は星塚たちの一つ上の学年であり、『京都姉妹校交流会』に参加するらしい。三年の先輩が停学中ということで代打として一年生の三人に出てほしい、とのことだ。
釘崎と伏黒が既に参加の意思を決めているのなら、星塚もそれに続く。
交流会までの間は二年生の先輩が鍛錬に付き合ってくれるのも喜ばしいところだ。少しでも早く、強くなりたい。
「はい! よろしくお願いします!」
「しゃけ!」
こうして二年生との実技が始まったのだが──
「わあああぁぁ!!」
一学年違うだけでここまで差があるのか。星塚は宙を舞いながら、先輩との実力差を切実に感じていた。
真希、パンダはもちろんのこと、線の細そうな狗巻も身体能力が異常に高い。何度も投げられ、地べたを這いつくばるうちに受け身だけが上手くなっていくような気がする。
結局一本取るどころか攻撃姿勢すら取れないまま、その日の鍛錬が終わった。
「ああ、疲れた……こっちは学ランだってのに! 椛、明日ジャージ買いに行くわよ!」
「あはは、そうですね。必要なら家から持ってきたのに……」
土埃まみれの制服を軽く叩きながら、釘崎と星塚は女子寮へ向かう。制服のまま任務に向かうことも多いためか、決して動きにくいものではないが、もう少し適した服装というものがあるだろう。
疲労でもたつく足を必死に動かしているとようやく部屋までたどり着いた。星塚は釘崎に別れを告げ、自室へと入る。
今日は、本当に疲れた。精神的にも肉体的にも疲労困憊状態で、風呂を諦めて今すぐ布団にダイブしたい。
だが、髪も皮膚も土塗れの状態で寝るわけにもいかない。それに、やっておかなければいけないことがある。
日が沈み、呪霊が活性化するであろう夜。星塚は小慣れた手付きで糸を動かす。
「懲りない奴だ。それとも物狂いか、貴様」
相対するは呪いの王。少年院で宿儺が顕現した際に切れていた糸を繋ぎ直し、星塚は再び地獄へと自ら舞い戻った。
「必要なことなんです」
「ほう? 誰にも顧みられずに血肉を貪られることがか?」
「誰も知らなくていいんです。むしろ、知られたくない」
優しい彼は、このことを知ったら自分を責めるだろう。そんなのは星塚の望むところではない。
宿儺は手を構える。不可視の斬撃は、手足を容易に切り落とす。その切れ端から血管のように伸びる無数の糸。意思を持ったように、それは元の場所へ戻ろうと蠢く。
ああ、やはり。この男に一方的に甚振られるばかりではなかった。星塚は苦痛に塗れた顔のまま、恍惚と息を漏らす。
何度も味わった死の際の味。極限状態で見せつけられる彼の技巧の数々は彼女の網膜に強く焼き付いていた。それが功を奏し、術式や呪力操作の練度が上がっている。
「何故そこまであの小僧に尽くすのか、俺には理解できんな」
宿儺は繋がりかけた星塚の足首を掴み、思い切り力を籠める。まるで砂糖菓子を砕くように簡単に骨が砕け散り、星塚は苦悶の声を上げた。
皮膚に食い込む爪の感覚。痛みに喘ぎながらも、彼女は喉から笑いを漏らす。何が可笑しい、というように宿儺は星塚を睥睨し、喉元を引き裂いた。
「あ、……が、ぼ……愛、ですよ……愛……」
「愛だと?」
ゴボゴボと血の泡を吹きだしながら星塚は傷を縫い合わせる。反転術式のように治癒できるわけではないが、これ以上の出血は抑えられる。
それを面白がるように宿儺は彼女の身体に真新しい傷を増やしていく。
彼女を染める赤色が縫合用の糸なのか、血液なのか、それともまろびでた内臓なのか判別がつかない。
やがて止血が追い付かなくなり、透き通っていた床の水が赤黒く濁っていく。それに呼応するように星塚の意識も少しずつ薄くなる。
だが、気絶を許してくれるほど宿儺に温情があるわけもない。
指先は眼窩をまさぐり、眼球を抉り取ろうとする。指を動かすたびにぬちゃ、と生々しい水音が鋭い痛みを伴って彼女の耳を侵していく。
失血死寸前の星塚は何の抵抗もできずに、くぐもった声を上げる木偶の坊になり果てていた。指の一ミリも動かせそうにない。
突如、片側の視界が糸が切れたように暗く染まる。眼窩が空気に触れる冷やかさがあった。
綺麗にくりぬかれた眼球は彼の口元へと運ばれ、ぶちゅ、と小さく音をたてて噛み砕かれた。噴き出した房水は星塚の顔へ滴り落ちる。
「貴様の言う”愛”とやらがどこまで保つか、見ものだな」
最後に侮蔑の籠った宿儺の声が聞こえた後、頭蓋骨が踏みつぶされる音がした。
書き溜め分がほぼなくなったので今後は毎日投稿ではなくなります。許してください!何でもしますから!