今日も今日とて訓練日和。午前の座学を終えた後、1年生たちは陽の差すグラウンドの下で2年生たちに扱かれまくっていた。
真新しいジャージが汚れるとぶすくれながらも釘崎はパンダに投げ飛ばされる。星塚と同じく受け身はまともに取れるようになってきたので、最初の頃よりは生傷が減ってきた。
「今日もしんっどいわー! ちょっとぐらい手加減してくれてもいいじゃないの」
「1年分差があるからな。舐めてかかってるとほんとに死ぬぞ」
毛皮で膨らんだ胸を張って主張するパンダ。
それは分かっていても、手も足も出ないというのはこちら側からして見ればフラストレーションが溜まるのである。
星塚も苦笑いを浮かべながら釘崎に同意した。
「動きが鈍くなってんぞ! 恵!」
「……はい!」
「あっちもあっちで大変そうねぇ」
「ほんとですね……」
星塚や釘崎とは違い、伏黒は獲物の取り扱いを真希に学んでいる。トンファーやら三節棍やら、映画でしか見たことのない武器まで出てきて星塚にはさっぱりだ。
一応真希にも尋ねてみたが、「オマエはまだ体捌きがなってねえんだからそっちが先だ」と一蹴されてしまった。全くもって彼女の言う通りである。
ペットボトルの水を飲みながら、星塚は石段に腰を下ろす。
太陽は真上から少し斜めに移動しただけで、まだまだ照り付けている。初夏を過ぎ、暑くなってきた気温で汗ばんだ身体をどうにか冷まそうと、星塚は胸元の生地をパタパタと扇ぐ。
「星塚」
「あ、お疲れ様です」
伏黒もどうやったら一段落着いたようで、こちらへ歩いてきた。星塚は隣の床を軽く叩き、座るように促す。
「……すまなかった」
「え?」
伏黒は彼女に従って座った後、突然頭を下げた。
星塚は慌てて頭を上げさせる。彼に謝ってもらうことなどあっただろうか?
「どうしたんです、急に……」
「虎杖のことだ」
「あ……」
虎杖は生きている──というより生き返った。その事実を知っているのは同学年では星塚のみ。伏黒は当然、彼が死んだものだと思っている。
「俺は虎杖と会って、まだ2週間も経ってない。それでも、アイツには死んでほしくなかった。この短期間でそんな風に思えるんだ、オマエは……」
「伏黒君、やめてください」
虎杖の生存を黙っている罪悪感で星塚の心と胃は悲鳴をあげていた。その痛みで彼女の顔が歪み、胸元の布地を抑えた。
それは伏黒にはどのように受け止められたのだろうか。彼の眉間の皺がより一層濃くなる。
「起こってしまったものは仕方がないじゃないですか。残された私たちにできることをやるしかないです」
「星塚……」
「私は大丈夫です! ちゃーんと悠仁君の遺言通り長生きしますから!」
勢いを付けて立ち上がった星塚。背後から真希がにじり寄ってきて、「そんなに元気なら休憩は終わりだな。私が相手してやるよ」と囁き、襟首を掴む。
イヤーッ! と悲鳴を上げる星塚の姿に、思わず伏黒は吹き出してしまった。
その日もきつい練習を終え、星塚は早々に風呂で汗を洗い流す。
毎日毎日こんなことをしているので、最近は食べる量も増えてきていた。少し頼りがいの増した身体から水滴を拭い、星塚は座椅子へと座る。
「悠仁君、今大丈夫ですか?」
『おわ、星塚? ……いけるいける!』
「成長しましたね」
『まぁあんだけボコボコ殴られたらなー』
糸越しに伝わる虎杖の声。五条監修の元、呪力を一定に保つ訓練を行っている彼は、初めの頃は星塚が声をかけるとすぐに呪骸に攻撃されていた。
だが、今は突然話しかけても淀みのない呪力操作を行えている。
流石の成長の速さだ。何故か星塚まで胸を張りたくなってしまう。
「今日もですね、先輩方にたっぷり投げられまして……」
『星塚近接弱いもんな。俺と違って喧嘩なんてしてなかったから仕方ねえか』
「普通の高校生は喧嘩なんてしませんもん! 危ないじゃないですか」
『ごめんごめ──え? 五条せんせ──』
「……悠仁君?」
狼狽えるような声の後、悲鳴が上がる。一体何があったのか。星塚は目を瞑り、彼の視界を脳へ投影させる。
虎杖は五条の小脇に抱えられていて、その目の前には凶悪な呪力を滾らせる呪霊。星塚の見立てでは、今の宿儺並──いや、それ以上に見えた。
『あー、そういえば椛と繋がってるんだっけ? ちょっと悠仁借りるね』
「はぁ……」
わざわざ連れてきた以上危ない目には合わせないとは思うが、特級同士の戦いに彼を巻き込むなんて。
本当に滅茶苦茶な人だ。星塚は大きくため息をつく。
やがて五条に煽られた呪霊の怒り狂うような叫びが聞こえ、プツリと音と視界が途切れた。
糸が切れたのかと思ったが、今もそこに存在はしている。『領域展開』とやらに巻き込まれるとどうやら一時的に接続ができないようだ。
星塚は虎杖の安否が不安で、落ち着かない様子で部屋を歩き回る。
しばらくして、何かが砕け散るような音とともに接続が復活する。五条の低い声が聞こえた。
『さて、誰に言われてここに来た』
「あっ! 悠仁君、無事ですか!?」
『全然! 俺見てるだけだったわ!』
「それは良かったですけど……」
五条の足元には先程の呪霊が見るも無惨な姿で転がされていた。頭だけになった姿で、彼の無駄に長い足に弄ばれているのには星塚も流石に同情を禁じ得ない。
だが一難去ってまた一難。すぐにその特級呪霊の仲間と思しき呪霊が現れ、あっという間に回収されてしまった。
特級と言うのはあのようにポンポン湧いて出てきていいのだろうか? 何かしらの陰謀が企てられている気がしてならない。
虎杖の無事を確認して布団に入ったのは良いが、これからのことを思うとなんだか寝付けない星塚であった。
結局眠りにつけたのはあれから暫く後だった。
普段は8時間きっちり寝ている星塚は物足りなさと眠気に襲われ、大きく口を開ける。
「ふぁぁ……」
「あら寝不足? 珍しいじゃない」
「昨日中々寝付けなくて」
「身体動かすんだからちゃんと寝ないともたねえぞ」
「分かってはいるんですけども……」
3人は仲良く自販機まで向かっていた。真希から飲み物を買ってくるように頼まれたのだ。
体のいいパシリと言えなくもないが、世話になっている彼女には頭が上がらないので素直に従った。ついでに好きなモン買ってこいと余分に小銭をくれた事も相まっている。
「真希さんはコーラっと。野薔薇ちゃんどうします?」
「んー……じゃあレモンティー。伏黒は?」
「コーヒー」
微糖しかないと言えば若干伏黒が嫌そうな顔をした。甘いのはあまり得意ではないらしい。
星塚も自分用の水を買いながら、品ぞろえの悪さに不満を覚えた。
「種類少ないですよね、ここの自販機」
「置いてる場所もちょっと不便なのよ。自販機増やしてくんないかしら」
「無理だろ。入れる業者も限られてるしな」
「世知辛いですね。私将来ここの飲み物屋さんになりましょうか」
「何言ってんだオマエ?」
受け取り口に落ちたペットボトルを取ると、こちらへ近付いてくる足音に気付く。顔を上げると、見知らぬ男女が立っていた。
真希とよく似た相貌の女、目元に大きな傷のある筋骨隆々の男。初め星塚は3年かと思ったが、停学中の彼らが来ているはずもないと思い直す。
では、彼らは一体? 星塚の疑問を解消するような伏黒の声が廊下に響いた。
「なんで
真希と瓜二つの女性はやはり彼女の関係者らしい。納得したような釘崎の声。
そして京都校の人間なのだろう。嫋やかな手つきで顔に手を当てる彼女は真希とは全く違う色気を醸し出していた。
「嫌だなぁ伏黒君、それじゃあ真希と区別がつかないわ。真依って呼んで」
「コイツらが乙骨と3年の代理……ね」
こちらを値踏みするような男の鋭い目付きに星塚は気圧された。あれは確実に強い。少なくとも3人束になっても勝負にすらならないだろう。
「器なんて聞こえはいいけど、要は半分呪いの化物でしょ? そんな穢らわしい人外が、隣で〝呪術師〟を名乗って虫唾が走っていたのよね?」
「──は?」
男に対し警戒を募らせる星塚だったが、真依が放った言葉に意表を付かれた。この女は、今、虎杖のことをなんと言った?
「死んでせいせいしたんじゃない?」
呆れたような、不愉快さをありありと滲ませたような表情の釘崎と伏黒。衝動的に飛びかかりそうになったが、2人の顔を見て星塚はなんとか溢れ出そうな感情を自制した。
そう、恐らくは京都校の関係者。そして先輩。手を出すのは不味い。
自分だけでなく2人にも累が及ぶかもしれない。握りしめた拳は赤を越えて色を失い始めていた。
だが、その意味はなかったようだ。男が突然伏黒に好みの女性を聞いたかと思えば、その回答を聞いて涙しながら殴り掛かる。なんという理不尽だろうか。
だが、あちらから手を出したのなら抑える必要もあるまい。
星塚は釘崎に組み付く真依にペットボトルの水を投げた。自販機内で冷やされていた液体が服に染み、彼女は小さく悲鳴を上げて星塚を睨め付ける。
「毛穴、冷やすと引き締まるらしいですよ? 先輩」
「揃いも揃って失礼な子たちね……! 口の利き方──教えてあげる」
「やってみろや!!」
真依はいつの間にかその手に銃を握っており、容赦なく引き金を引く。パン、という破裂音と火薬の匂い。釘崎の腹からジワリと血が滲む。
「……っ、銃刀法違反じゃねえか!」
「あなた呪術師のクセにそんなこと気にしてるの? 馬鹿ねぇ」
再び真依が銃口を釘崎へ突きつける。トリガーに指を掛けたとき、星塚が銃床を蹴り上げ、天井へと飛ばす。
回転しながら空を舞う銃を糸で手繰り寄せ、その手に掴んだ。
「なんですか、この危ないものは。こんなものは押収しちゃいますからね」
「アンタっ!」
「よくやった椛!」
星塚は先程の意趣返しのように撃鉄を上げ、真依に向けて弾丸を放つ。だが、構え方も不慣れだったため反動で腕は跳ね、弾は明後日の方向へ逃げていく。真依がそれを鼻で笑う。
そもそも普通の人間として生きてきた彼女が銃火器の扱い方など知る由もない。狙いも定まらず、腕を壊しかねない武器など無用の長物だ。
星塚は銃をはるか彼方へ放り投げた。
「こんなもの!」
「私の銃……!」
「こっからは全員ステゴロってことね。テメェ、真依とか言ったかしら。私の腹とジャージに穴開けた分、今から返してやるよ」
「勝手に言ってなさい」
丸腰になった真依。だが、いまだ彼女は釘崎の身体を抑え込んだままだ。
星塚が一歩近づいたとき、釘崎を盾にするように前へ出し、その首筋に力を籠める。
「誰の身体に触れてると思ってんのよ。いい加減に……しろやぁ!」
「い゛っ……たいわね!」
釘崎は勢いよく頭を振り、真依の鼻筋にぶつける。ガツンとした衝撃のあと、鼻筋から垂れる一筋の赤。
真依は鼻血を制服の裾で拭い、自由の身になった釘崎に食って掛かる。
だが、この場にはもう一人。星塚は自分に背を向けた真依の腕を捉え、地面へ引き倒す。
「真希さんとは大違いですね。あの人は私たち2人がかりでも簡単にあしらってしまうんですから」
「うるさい! 離しなさいよ!」
「離せと言われて離す奴がいるわけないでしょ。椛、こいつの制服剝ぐわよ。ジャージの賠償代わりに私の夏服にしてやるわ」
釘崎が真依の胸倉をつかんだ瞬間、呆れたような声が届く。
「野薔薇、椛、その辺にしとけ」
「真希さん!」
「……ですが」
「本番まで我慢しろ」
星塚はしばらく真依をじっと見下した後、後ろに固めていた腕を離す。真依はさっさと立ち上がり、三人から距離を取った。
同時にもう一人の男も帰ってきた。無傷なので伏黒はどうやら彼に一矢報いることはできなかったのだろう。
状況を引っ搔き回すだけ引っ掻き回しておいて彼らは帰っていった。
何がしたかったのかはいまいち不明だが、星塚の交流会へのモチベーションが高まったのは言うまでもない。
「あの女、絶対叩きのめしてやりましょうね」
「当たり前よ。はーあ、また新しいジャージ買わなきゃいけないじゃないの」
「やる気満々でいいじゃねえか。家入さんとこで傷塞いだらまだまだ訓練続けんぞ」
──吉野順平は、自分が人よりも少しばかりは頭が良いという自覚があった。決してそれは間違いではない。
だが、頭が良いということと、愚かであるということは、同時に成立し得るものである。
子どもが大人になるまでの過程において、人は全能感を少しずつ失っていく。
世界を知り、挫折を知り、酸いも甘いも嚙分けて、大人という型に合うよう摺り減らされる。
その過程の真っ只中、思春期の風を吹かせる順平は、賢しらであり、無知であった。
人の恐ろしさを知っており、それ以外の恐ろしさを知らずにいた。
同世代の人間と、社会を知らない大人もどきに囲まれて摩耗するばかりの青年。
水流も何もない、淀んだ狭い水槽に閉じ込められた稚魚によく似ていた。
人と違う生命体──呪霊という悪意の化身に心惹かれ、その手が差し出す餌にまんまと食らいついた彼は、まだ目の前の事態を飲み込めずにいた。
「逃げろ順平!!」
自分とは違って根明で、自分と同じ趣味を持つ新たな友人。それが壁に磔にされて逃げろと言っているのに、彼の足は今も尚棒のように固まったままだ。
動けと本能は言う。大丈夫だと脳が甘く囁く。
そう、彼は少し誤解しているだけなのだ。彼を押さえつけている呪霊は決して悪い人なんかじゃない。
──本当に?
脳が揺らぐ。頭に浮かぶのはむごたらしい人間の末路。本能が叫んでいる。鳴らされ続ける警鐘は甘言をかき消していく。
じわりと滲む冷や汗と、血の気が引くような感覚。
微かに震える順平の肩に、真人が優しく手を置こうとした。だが、その手は空を切る。
「えっと……これでいいんですかね」
「星塚!」
糸に足を絡めとられ、床に這いつくばる順平。
突然のことで口を閉じる間もなかった。廊下の砂埃が口に入り、彼は大きくせき込んだ。
「……君、何者?」
「呪術師です。さて、早くその薄汚い手を離してもらえませんか?」
「や~だね」
真人は離すどころか腕に込めた力を強める。窓ガラスから、ピシリと罅の入る音がした。
やがてその圧力に耐えきれず、大きく音を立てて粉々になっていく窓ガラス。押し付けられていた虎杖も当然校舎から校庭へ落下していく。
「悠仁君!」
星塚も順平の襟首をひっつかんだまま、一切の躊躇なく横穴に飛び込んだ。糸を編み、大きなハンモックを形成して虎杖と自身の身体、ついでに順平も無傷で校庭まで下ろす。
「『無為転──』」
「させるか!」
星塚と順平に触れようとした真人の両の掌は虎杖に受け止められた。術式によって虎杖の魂に触れる。そして、同時に
檻に閉じ込められた呪いの王は人間であろうと、呪霊であろうと、己を不躾に触るものへ平等に罰を下すだろう。
『呪霊ごときが、この俺に触れるか? ──不愉快だ、去ね』
魂ごと切り裂かれ、真人は唖然としたまま首筋から血を吹き出す。その隙を虎杖は見落とさない。呪力を込めて、その拳を振り抜いた。
圧倒的な膂力で繰り出される一撃。校舎をぶち抜き、真人はその向こう側へと吹き飛ばされていく。
「星塚! 今のうちだ、順平を連れて退いてくれ!」
「しかし、あなたを1人にするわけには……!」
「1人ではありません」
「ナナミン!」
ナナミン、と呼ばれた術師のことは星塚も一方的に知っている。
特級という規格外を除き、呪術師の1つの頂点として存在する1級術師。彼──七海はそれに該当する人物だった。
「あなたは虎杖君の言う通り、下がってください」
「……分かりました」
苦虫を噛み潰したような顔をしながら、星塚は順平の腕を掴んで帳の外へと向かう。
未だ状況を掴みかねているようで、惚けた顔の彼はされるがままであった。
「絶対、死なないでくださいね」
「おう!」
帳を抜け、里桜高校の外へ出た2人。通りすがった伊地知には中が一段落着くまで待機しておくように言われたため、大人しく座って待っていた。
気まずい沈黙が落ちる中、居心地が悪そうにする順平に星塚が声を掛ける。
「満足しましたか?」
「え?」
突如として投げかけられた疑問に、順平も思わず聞き返してしまった。星塚は先程と一言一句違わぬ言葉を繰り返す。
順平は斑点まみれになり、悶え苦しむ男の姿を思い出す。
やった時は気が晴れた。あの行動に後悔はない。何度繰り返しても同じように彼へ毒針を刺すだろう。
それでも、心に棘のような物が刺さっている感覚は拭えない。
「……呪物は、真人さんの言う通り、そんな簡単に手に入るものなんですか」
「呪術界との繋がりがあれば、恐らく難しくはないと思います。だけど、あなたの家に仕掛けられたもの──宿儺の指は話が違う。封印の施されていない指なんて、非術師では利用する前に寄ってきた呪霊に食われるのがオチでしょう」
「じゃあ、やっぱりアレは……」
「十中八九、真人という特級呪霊が仕掛けたものだと思います」
彼女の言う通り、母が死んだのがあの男のせいではないとしても、順平は彼に散々苦しめられている。正当防衛とも言えなくもない。
片側だけ長い前髪の奥で、火傷跡が再び熱を持ったような気がした。
「僕には……分からないんです。僕がやったことは、正しいのか、間違っているのか。真人さんと虎杖君、どっちを信じればいいのかなんて」
あの時、真人は順平の命を弄ぼうとした。そんなことは分かっている。全部彼の手のひらの上だったのだろう。
だが、それまでの彼の言葉が頭の中で何度も再生された。彼の言葉が例え甘い嘘でも、それに救われたのは事実なのだ。
「今も、本当に虎杖君……悠仁の手を取っていいか、分からないんだ……」
「私としてはオススメしかねます」
「……どうして」
星塚は今まで会ってきた呪術師たちを思い出す。彼らにあって、今の順平にはないものがある。
「私が今まで会ってきた方々は、ほとんど皆一様に魂に〝芯〟と呼ぶべきものがあります。あなたにはそれが感じられない。一般社会では美徳になると思いますけども」
釘崎も、伏黒も、虎杖も。己の信念に従って行動している。生と死が曖昧になる世界で、呪いに呑まれないために必要な適正なのではないかと星塚は感じていた。
「あなたには呪術の才能があっても、呪術師の才能はないのではないでしょうか」
「そう……ですか……」
「気分を悪くしたのならすみません。その、アレコレ言いましたが……結局は、私の個人的な意見ですし。あと、何よりも──」
星塚はへにゃりと眉を下げて苦笑いを浮かべた。
「悠仁君の友達には、平和に暮らしてほしいんです。全部、私の自分勝手ですよ。あなたは、どうしたいんですか?」
「僕、は──」
固く握られた両の手。逡巡するように、順平の瞳は右往左往する。
『俺は順平の全てを肯定するよ』
『学校なんて小さな水槽に過ぎないんだよ。海だって、他の水槽だってある。好きなのを選びな』
『命の価値が曖昧になって、大切な人の価値まで分からなくなるのが、俺は怖い』
大きく、息を吸って、吐く。しばらくして、ようやく顔を上げた順平の顔に迷いはなかった。
「──呪術師には、なれない。僕は人を殺せるし、呪霊を祓える。でも、したくないんだ」
「はい。……あなたの答え、しかと受け取りました」
吉野順平は本人の同意の元、呪力を封印。
本来ならそれだけで済まされるわけもないが、呪霊に唆された被害者の面もあること、五条の干渉によって穏便な形で事は収められた。
母を亡くしたことで、順平は遠縁の親戚へ預けられることになった。
そこへ向かう駅のホームで、順平は荷物を持って新幹線を待つ。待合室から漏れた冷房の空気と外の熱気が混じり、生温い。
手持ち無沙汰に突っ立っていると、背後からこちらへ走り寄る気配を感じて振り向く。
明るい頭髪、暗い制服に光る金色の釦。順平がもう一度だけ会いたいと願った男だった。
「順平!」
「悠仁……!」
虎杖は入場券を手に握っている。わざわざ見送りのために来てくれたのだ。
あれから諸々の事情で忙しく、顔を合わせることもできなかったことが心残りだった。順平の眼が潤む。
「ごめん、高専に行けなくて」
「そんなの別に気にすんなよ」
近況などを話しているうちに気付けば新幹線は到着していて、発車時刻が近付いていた。
順平は慌てて新幹線へ乗り込む。その直前に振り返り、虎杖に言った。
「悠仁、今度一緒に……映画を見に行きたいんだ」
「……俺も! オマエと一緒に見に行きたい! VODじゃなくて映画館行こうぜ!」
「…………うん!」
警笛がなり、扉が閉められる。遠ざかっていく友人の姿。別れの悲しみはあれど、順平の心は澄み渡っていた。
新しい水槽に飛び込んだ彼が成魚へ成長できるかは、彼次第である。
悠仁君の友達には、(死なれると悠仁君の心が傷付くから)平和に暮らしてほしいんです