果たして、サニーと宮下トレーナーの秘策とは何か?
いよいよ、レースは後半戦に入ります。
61.秘策
[予定通りに早めの仕掛けをしていますが、サニー様との距離が縮まりません…]
[おかしい…。スローペースのはずなのに先行勢の消耗が激しすぎる…]
[どうして…?]
[なぜ…?]
外から見る者達からはそのようには見えていないが、メジロブライトとランニングゲイルは変わらずに作戦を遂行していた。
予定通りの仕掛け。しかし、状況だけは"予定通り"にならない。4コーナーが近づきはじめてもサニーとの距離が縮まらないのだ。
「やはり予想通りの仕掛けが始まったな。『逃げ潰れる』か『溜め逃げをするか』、僕らが仕掛けた情報戦の受け取り方次第で、陣営それぞれがどちらかを想定して対策を立てているんだろう。でもね、僕らはその"どちら"でもないんだ」
宮下の仕掛けた情報戦を真に受けた者と疑った者、それぞれが理にかなった対策を施していた。
それはこの日本ダービーに出場する実力ある者たちとして、相応しい判断であり、決して"間違い"ではない。
しかし、宮下とサニーはその実力者たちほぼ全てを出し抜く、"どちら"でもない答えを用意していた。
残り1000mからのロングスパート
「とある有名な雀士は言っていましたね。『情報や知識に頼りすぎると判断が間違いを犯す確率は高くなる。考えれば考えるほど、的を射る勘は鈍くなる』と。皆が"レース"に焦点を当てる中、あなただけは"人間心理"に焦点を当てていたとは、本当に末恐ろしい。あなたこそ、真の勝負師だ」
観客席で見守る舘野は戦前の宮下の振る舞いと言動の意味を理解する。
「『忘れられたトレーナー』という不名誉なレッテルを貼られながら、あなたはそのレッテルに反発するのではなく、抗うでもなく、それをありのまま受け入れ、"武器"とした。だからこそ、これほど美しい『完璧な逃げ』が出来たのですね。お見事です」
舘野はこの大一番で宮下が見せる胆力と実力を賞賛する。
逃げの専門家をも唸らせる『完璧な逃げ』を演出している宮下。
しかし、それは宮下の明晰な頭脳と周到な盤外戦によってだけで成されたものではなく、サニーの中にある確かな才能と成長があってこそ実現できたものでもあった。
ダービーまでの1ヶ月半、宮下は試行錯誤を繰り返しながら必勝の作戦を考えた。
しかし、たとえ盤外戦が完璧に成功したとしても本番のレースでいつも通りの"守りの逃げ"をしてしまえば、捕まる可能性があるという不安は拭い去ることが出来ずにいた。
そんな不安を抱えながら思案していると、宮下はふと思い返す。
『今までで一番内容の良かったレースはなんだったか?』と。
サニーと共に戦ってきた9戦のレースの中で最も理想的なレース。それは宮下から特に指示もなく、サニーが自力でレースを作り上げた『デビュー戦』だった。
道中、上手くスローペースに落とし、勝負所から徐々にペースを上げ、先行勢のスタミナを削りつつ、後続勢が届かないだけの距離と末脚を残して逃げ切る。
正に『逃げのお手本』のようなレースをサニーはデビュー戦で既にやってのけていたのだ。
あのデビュー戦をダービーでも再現出来たら…
デビュー戦を思い出した宮下は一瞬、淡い期待をしたが、すぐに冷静になる。
なぜなら、次に挑むレースは世代のトップ18名が集う日本ダービー。
レースの組み立てにまだまだ個人差のあるデビュー戦とは次元の違う舞台だからだ。
しかし、マヤノトップガンとの模擬レースが宮下に発想の転換をもたらす。
「サニー、正直に答えてほしい。あの模擬レースのあの仕掛けをダービーでもできる自信はあるかい?」
「あります。と、言うか、これが出来ないとダービーを"必ず"勝つことは出来ないと思います。トレーナーさんもそう思うんでしょ?」
宮下の問い掛けにサニーは自信を持って答える。
「そうだね。サニーの言う通り、あの仕掛けが出来ないと"必ず"勝つことはできない。ただ、口では簡単に言えるが、実際はかなり大変だけど、大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ。今の私なら、トレーナーさんが舞台を整えてくれたこのダービーなら必ず出来る。任せてください!いつまでもトレーナーさんに頼るばかりの私じゃないですから!」
「さすが、僕のパートナーだ。頼むよ」
マヤノトップガンとの模擬レースを経て、サニーの実力がシニアクラスの強豪相手にも引けを取らないと確信できた宮下はダービーのレースプランにデビュー戦と同じものを組み込むことに決めた。
宮下の人生を賭けた情報戦とサニーの秘めたる才能、そして短期間の爆発的な成長が融合した正しく"人バ一体"の走りが今、ターフ上で成されようとしていた。
[あぁ…もうダメ…。私にはもう何も残っていない…]
最終直線を残し、サイレンススズカは早くも敗北を受け入れていた。
[あの子が離れて行く…。ああ、なんて自由で綺麗な走りなんだろう。これがあなたの言う"誰かのための走り"なのね…]
疑念・嫉妬・羨望、サニーを見るサイレンススズカには様々な感情が渦巻いていた。
[ねぇ、あなたは今どんな景色を見ながら走っているの…?私もいつかあなたと同じ景色を見ながら走れるようになるかしら…」
逃げて行くサニーの背中を見つめながらサイレンススズカは自分にない何かを持つ彼女の走りに憧れを抱いた。
後に『史上最強の逃げウマ娘』と称されるサイレンススズカ。
彼女の同期に同じ逃げ戦術で頂点を目指したサニーブライアンがいたことは何かの因果だったのだろうか…。
62.あなただけは
[くっ、サニー様も仕掛けているなんて…。不覚ですわ。お強いとわかっていたのに…。でも、まだ大丈夫ですわ!直線に入る前にスパートを掛け始めれば、この遅れを取り戻せ…あなた様は…]
4コーナーを前にしてメジロブライトはサニーの狙いに気付き、作戦に修正を加え再度サニーを捉えにかかるが…
「ったく、いろいろ考え過ぎてっから、訳わかんなくなんだよ!最初から決まってんだろ!勝つか負けるかは"最後の脚"で決まんだよ!!」
メジロブライトが仕掛けようとした瞬間、1人のウマ娘がメジロブライトに並びかけ、すぐさま抜き去ろうとする。
それは最後の役者が舞台上に姿を現した瞬間だった。
その頃、先頭をひた走るサニーは4コーナーを回り終えようとしていた。幾重にも張り巡らされた策略を完璧にこなしつつサニーは最終直線に入る。
[ここまでは完璧なはず。でも、まだ気を抜かない。"あなた"との戦いに勝たないとダービーは勝てない…。最後の直線で私は待つ…。さあ、全力で戦いましょう!]
最後直線に入るサニーは"彼女"を待っていた。
それはダービーを制するために避けては通れない一騎討ちだった。
「トレーナーさんて、趣味とかあるんですか?」
「どうしたんだい急に?」
トレーナー室で2人がレース資料を見ながら作戦会議をしている最中、サニーが突然、宮下の趣味を尋ねる。
「いや、トレーナーさんて人見知りが酷いから暇な日は何してるのかなって思ったんです。休みの日もひたすら家に篭ってレースの研究してたら、離婚の危機だなって」
淡々とした表情でサニーが宮下の日常、ひいては家庭内事情に斬り込む。
「サラッと酷いことを言うね…。余計なお世話だよ。一応、家族サービスはしているつもりだが…。うーん、趣味か…。特別なにかというのはないが、時間があるときは時々麻雀をトレーナー仲間とやったりするかな…」
宮下は若干傷つきながら質問に答える。
「うわー、ギャンブルが趣味とか、引きますわー。奥さんかわいそー」
宮下の思わぬ回答に対して、あからさまに軽蔑した眼差しをサニーが向ける。
「まあ、言いたいことはわかる。ただ、僕はあくまでゲームとして、もっと言うと『勉強』のためにやっているんだ」
サニーの軽蔑の眼差しを宮下は気にもせず、理由を話す。
「麻雀が勉強?どういうことですか?」
宮下の回答に対してサニーが再度尋ねる。
ただ、サニーの軽蔑の眼差しは変わらない。むしろ『白々しい建前を言ってる』くらいの感想を持っていそうな目付きだ。
「もともと、僕は麻雀なんてやる趣味はなかったんだ。始めたのは先生に出会ってからさ。先生から言われたんだ『麻雀は人の心理を学ぶのに最適だからやれ』ってね。」
「へー…で?」
臆面なく宮下は理由を答えるが、サニーの軽蔑の眼差しは全く変わらない。
「麻雀はね、場の流れや相手の狙いを読む洞察力、勝利するための情報処理能力、そして勝ち急がないための自制心のコントロールなどが鍛えられるんだ。一応、僕のレースプランの構築には麻雀の要素がたくさん入っているんだよ」
「そんな要素がレースに本当に関係があるんですか?レースはレースじゃないですか?」
まだまだ、疑念を解かないサニーがさらに質問をする。
「確かにレースはレースだ。でもね、レースをするのはウマ娘であって、レースプランを作るのが人間である以上、そこには必ず『人間心理』が働くんだ。だからこその麻雀なんだ。人の心理の流れを読み切るんだ。今回の作戦もそれが土台になっている」
「ふーん。じゃあ、聞きますけど、今回のダービー、作戦が完璧に成功したとしてトレーナーさん的には勝率は何%なんですか?」
宮下の言い分に理屈があることに"ちょっとだけ"理解を示したサニーが今回の作戦について聞く。
「作戦が完璧に成功した場合の勝てる確率は94.35%と見ているよ」
「94.35%?そこは100%じゃないんですか?というか、なんで94.35%なんて"中途半端なのに正確"な数字なんですか?」
「あくまで理論上の話だからほどほどに聞いて欲しいが、とりあえず、ダービーに出る子はサニーも含めて18人。1人が思惑通りに動いてくれたら勝率が上がるとして話を考えてくれ」
「うんうん!」
「では、サニー。5.55%×17=いくつだい?」
「えーと…。94.35%!…あれっ?これってつまり1人だけ『絶対』に思い通りにいかない人がいるってことですか?」
携帯の電卓機能を使いサニーが数字を出す。そして、その数字の意味に気付く。
「そうだ。1人だけどんなに完璧なレースをしようと絶対思い通りにいかないと思っている『陣営』がある。シルクジャスティス陣営だ」
「シルクジャスティス…。えっ、あのヤンキーっ子ですか?」
予想外の名前が上がったことにサニーは驚く。
「まあ、ヤンキーかどうかは知らないが、あの子の末脚と担当トレーナーは侮れないんだ。特にあの子のトレーナーは僕の後輩でね。彼とは今も麻雀をやる仲だし、彼が駆け出しの頃、いろいろと指導していたこともあったから、彼は僕の考えていることがいくらかわかるだろうね」
宮下は少しだけ楽しそうにシンジのことを語る。
「なるほどですね。だから作戦が通用しないってことですか?」
「まあ、半分はそうだね。残りの半分は彼のレーススタイルによるところが大きい。彼は担当の長所に全幅の信頼を寄せてレースプランを構築する。つまりは『決め打ち型』だ」
「決め打ち型…。勝ちパターンを決めておくってことですか?」
「そう。決め打ち型の短所は応用が効かないところだ。だから、展開が向かないとそのまま負けやすい。その代わり長所もある。決め打ち型の長所は展開が向いた時の爆発力と戦局の変化に"良い意味"で動じないところだ」
「良い意味で戦局の変化に動じない…?」
「そうだ。決め打ち型の人は相当なことがなければ、レースプランを曲げないし、動じない。悪く言えば、応用が効かないと言えるが、良く言えば誘惑や欲に惑わされない強いメンタルを持っているとも言える。さて、僕らが仕掛けている盤外戦の肝はなんだったかな?」
「…あっ、それだと私たちの作戦が通じない…」
「そうなんだ。もちろん、絶対に通じないわけじゃないだろうけど、彼の担当がトレーナーの信頼に応えられるだけの実力と熱い気持ちを持ち合わせていたなら、彼らは僕らの揺さぶりや誤情報なんか気にしないだろう。何故なら彼らの勝つ方法は"既に"決まっているんだから」
「なるほど…。あの子は確か、差しの脚質…。じゃあ、最後の直線は私とその子の真っ向勝負ってことですね…」
「ああ、そうだ。もし、4コーナーまでにレースが想定通りに進んだとしても、このレースは最後の直線で決まるんだ」
「そっか…」
「ここまで"17人"は思い通りに動いてくれた。さて、ダービーを賭けて、シンジ!勝負と行こうか!」
宮下は後輩との最終決戦に胸を躍らせた。
サニーと宮下トレーナーの秘策は『ロングスパート』でした。
元ネタからして、この策略は見事なほどに"人間心理"を突く秀逸な策略だったと私は思います。
何故なら『認識を間違えた時点で相手は絶対に最適な答えは導き出せない』のですから。
戦術や戦略を超えた『レースの支配』が観れるこのダービーは、数ある競馬の名レースの中で私が最も好きなレースです。
さて、策略は見事に完成し、勝負の大勢はつきました。
ただ1つの陣営を除いて…。
皆様、ダービーの栄誉を賭けた最終局面をお楽しみください。