「トレーナー!タイムどうですか?」
ショートカットの子が宮下にタイムを尋ねる。
「悪くはないよ。ただ、コーナリングのロスがなければ、まだタイムを縮められるから、もう少し頑張ろうか」
「わかりました!」
そう言ってショートカットの子はまたスタート地点に戻る。
「宮下トレーナー。ストレッチ終わったんで、ロードワーク行ってきます!」
今度は栗毛の子が、宮下に声を掛ける。
「ああ。気をつけて」
宮下は優しい笑顔で栗毛の子を送り出す。
「トレーナー!アタシもロードワーク行ってくるから!」
続けてやんちゃそうな子も栗毛の子に続いてロードワークに行こうとする。
「いや、君はダメだね。サボる気満々だよね?はい、タイヤ行き」
しかし、宮下はやんちゃそうな子には待ったをかける。
「はぁ〜!なんでアタシはタイヤなんだよ!理不尽!パワハラ!訴えてやる!」
やんちゃそうな子は不満たらたらに宮下を非難する。
「はいはい。君が強くなるなら裁判でもなんでもやるよ」
そんな彼女を宮下は笑いながらあしらう。
トレセン学園のトラックに賑やかな声がこだます。時は流れて、あのダービーから早くも1年が経とうとしていた。
あのダービーの後、宮下を取り巻く世界は180度変わった。
ダービーの鮮やかな逃げ切りもインパクトがあったが、それ以上に『チーム在籍者1名でのダービー制覇』は史上初の快挙であり、学園関係者は口を揃えて『奇跡』と称した。そのため、世間一般以上に学園内で宮下は注目を集める存在になった。
そういった状況なので、宮下には皐月賞の時より取材が殺到した。そして、その取材により、あのダービーの真実も白日の元となる。
ダービーを勝つために仕掛けた壮大な盤外戦
誰も見抜けなかった緻密かつ大胆な采配
宮下の本当の人柄と育成手腕
学園関係者からの密かな高評価
18年間ずっと知られていなかった『宮下直治』という人物の本当の実力がようやく世間に知られるようになる。
すると宮下の評判は瞬く間に広がり、生徒からの移籍希望や指導依頼が殺到する事態となった。
宮下はその期待に応え、ダービー後の6ヶ月で18もの勝利を積み上げ、その手腕が改めて"フロックではない"ことを証明した。
そして、現在、宮下のチームにはたくさんの教え子がおり、輝かしかった新人時代を上回る活気を見せている。
「トレーナー。この後、本当に自主トレでいいんですか?」
黒髪の子が宮下に駆け寄り声を掛ける。
「ああ。この後、僕には用事があってね。申し訳ないが、この後は自主トレだ。たぶん帰りも遅くなるから各自の判断でトレーニングを切り上げてくれていいよ」
「はーい!了解でーす!」
そういって黒髪の子はコースへと戻っていった。
「さて、そろそろ行こうかな…」
そういって、宮下は練習場を後にしてある場所へと向かった。
コンコン
「はい」
「やあ、調子はどうだい?」
「ぼちぼちですね」
宮下はとある病院の病室にいた。
そして、その病室にはサニーがいる。
サニーは検査入院をしていた。
ダービー勝利後、サニーは骨折に見舞われた。
全治6ヶ月の重症。はっきりとした原因はわからなかった。
唯一はっきりとしたことは三冠の夢が絶たれたという事実だけだった。
その後、骨折は年内中に完治し、翌年のAJCCを復帰戦とし、春の天皇賞を目指していたが、今度はトレーニング中に屈腱炎を発症してしまう。
現在、サニーは立て続けの大怪我にもめげず、秋シーズンの復帰を目指してリハビリを行っていた。そして、経過観察と報告を受けるため昨日から入院していた。
「サニー、お見舞いのニンジンケーキだ」
「うわー、ありがとうございます!あとで食べよ!」
サニーは宮下のお見舞い品に顔を綻ばせる。
「早速だけど、先生からはなんて言われたんだい?」
ケーキを近くのテーブルに置きながら、宮下は本題を切り出す。
「…。ちょっと屋上に行きましょ!」
サニーは一瞬だけ顔を曇らせたが、すぐに笑顔で屋上へ行くことを誘う。
「別に構わないが、階段の登り降りは負担になるんじゃ…」
宮下は承諾はするが、サニーの負担になることを心配する。
「大丈夫ですよ。別に走るわけじゃないですし。さっ、行きましょ!」
そういってサニーはベッドから出て上着を羽織り、病室を出ようとする。ただ、その足元は若干おぼつかない。
「ああ…」
サニーに連れられるまま、廊下を抜け、エレベーターで最上階に着く。ただ、病院の最上階から屋上に出るためには数十段の階段を登らなくてはいけない。
サニーはニコニコと話しながら階段を登っていくが、その顔には若干汗が滲んでいた。
屋上入り口の扉を開けると、ちょうど夕日が沈むところで、空が茜色になっていた。
「うわー、綺麗な夕日ですね!」
「ああ、そうだね」
「ところで、来週は日本ダービーですね。あっという間ですね。あのダービーからもう1年かぁ〜」
夕陽を見ながらサニーは来週の日本ダービーの話を宮下に振る。
「ああ。もう1年も経った。早いな。今年は『黄金世代』と称される注目世代がダービーを走る。だからかな、今年のダービーは去年以上に注目を集めているよ」
「そうですか…。そんなに強い世代なんだ…。同期のみんなには頑張って欲しいな…」
「大丈夫さ。サニーとダービーで戦った子たちはここまで素晴らしい結果を残している。後輩世代にも引けは取らないさ」
サニーが怪我をして離脱した後、サニーと共にダービーを走った子たちの躍進は素晴らしかった。
2着だったシルクジャスティスは菊花賞とJCは掲示板止まりだったものの、京都大賞典でシニアクラスを破り、年末の有馬記念ではマーベラスサンデー・エアグルーヴの強豪相手にクラシック級有馬記念制覇と史上初の中山レース場初出走初G1制覇を成し遂げていた。
3着のメジロブライトは菊花賞を破れはしたが、その後、怒涛の重賞4連勝を記録して今年の春の天皇賞を制し、現役最強の長距離王者として君臨している。
そんなシルクジャスティス・メジロブライトを抑えて菊花賞を制したのはダービー7着のマチカネフクキタルだった。ダービー敗戦後の条件戦と2つのGⅡトライアル・菊花賞までの4連勝は一部から『史上最強の夏の上がりウマ娘』と称されるほどの素晴らしい勝ちっぷりだった。
そして、現在芝中距離路線の最強候補と目されているのが、ダービー9着のサイレンススズカだ。
ダービー後もしばらく精彩を欠いていたが、冬の香港遠征から移籍した『シリウス』という新しいチームでついに才能を開花させ、現在重賞含む4連勝中。次走の宝塚記念もほぼ勝てるのではないかと噂されている。
「まあ、大丈夫か!タイキにドーベルちゃんにパールさんもいるし、生意気な後輩っ子なんかには負けませんよ!」
サニーはにこやかに同期の活躍に太鼓判を押す。
「ああ、そうだな…」
「…」
「…」
会話が途切れ、一瞬の静寂が2人の間を漂う。
「…ダメだって…」
「えっ?」
「怪我、年内には間違いなく完治しないって言われました…。ついでに完治の見込みもさっぱりみたいです…」
幾らかの間が空き、サニーは少し笑いながら検査結果を伝える。ただ、その笑顔は精一杯の強がりだとすぐにわかるぎこちないものだった。
「なら仕方がないな。焦らずゆっくり…」
「私、引退しようと思います」
「…」
サニーの回答に対し宮下が冷静な言葉をかけようとした時、それを遮るようにサニーが言葉を発する。その言葉を聞いた宮下は目を閉じてとても悔しそうな顔をした。
「よくよく考えたら、私の望むことは全て叶ったんですよね。自分の夢もトレーナーさんとお姉ちゃんの夢も叶ったし、年度代表は無理だったけど、URA賞も貰えたし、トレーナーさんの凄さもみんなに証明できた。もう十分ですよ」
「…」
「あと、アスリート生活にも疲れちゃいました。そろそろ、ただの一般学生になって学生生活を楽しみたいんですよね。だから…」
「わかった…もういい…」
サニーが引退することの意義を並び立てる中、宮下はまるでそれをやめさせるかのようにサニーを抱き寄せる。その頬には今までで一番大粒の涙が伝っていた。
「もう…。泣かないでくださいよ…。今日は私、泣かないって決めてたのに…。トレーナーさんが泣いたら…私だって…」
そう言うサニーの目からも涙が溢れていた。
「…。ごめんなさい…私はウソをつきました…。私はあなたのもとで、まだまだ走りたい…。でも…脚が言うことを聞かないんです…」
宮下に抱き寄せられたサニーが涙と共に本当の感情を曝け出す。
「ああ…わかってる…。僕も走る君の姿をまだまだ見たかった…」
サニーの気持ちを察した宮下は必死に気丈に振る舞おうとする。
「『ずっと一緒に走る』。トレーナーさんとの約束を私はもう果たせない…。今まで当たり前にできると思っていたことが、突然できなくなるなんて…いやだよ…」
声を枯らしながらサニーは無念の言葉を口にする。
「僕もこんな終わり方は嫌だ…。もう少しだけ頑張ってみないか?僕はいつまでも君が戻ってくるのを待ち続ける。だから…」
宮下はサニーの言葉を受け、もう一度復帰を目指すことを勧める。
「ううん…。それはもうしない…。私のせいでこれ以上トレーナーさんに負担をかけるわけにはいかないから…」
サニーは少しだけ宮下の体を手で押して離す。そして、サニーは宮下の勧めを優しく断った。
「実はなんとなくわかってたんです…。ダービーに勝ったら私はもう走れないかもって…。それぐらいあのダービーの走りは限界を超えていました。あれ以上のレースはもう二度と出来ないんじゃないかなってくらい、やり切りましたからね…」
サニーは苦笑いを浮かべながらダービー前の本当の心境を語る。
「そうだったのか…。なら、仕方がないな…」
その言葉を聞いた瞬間に宮下はダービー前日のサニーの言葉と振る舞いを思い出し、その言葉がウソではないことを理解する。
そして、悲しそうな顔をしながらもサニーの決断を受け入れる。
「よし、悲しむのはおしまい!まだまだ走りたかったのは本当だけど、私の全てを引き換えにして勝ったダービーも含めて、トレーナーさんと過ごした2年間に悔いはない!それも本当ですよ!」
体を離したサニーは涙を拭いながら再び笑顔になり、引退することに悔いはないと宮下に改めて伝える。その笑顔は先程とは違い、とても自然な笑顔だった。
「あとね、私は"現実"ではトレーナーさんと一緒に走れなくなったけど、みんなの"記憶の中"でなら一緒に走り続けられると思うんです!」
「記憶の中で?」
「そう!私はみんなの"記憶の中"でずっとトレーナーさんと一緒に走り続けるんですよ!私、思うんです。あのダービーはいつか『伝説のダービー』の一つに数えられるんじゃないかなって!」
「ハハハ…。凄まじくポジティブなメンタルだ。いいね、その発想」
宮下はサニーの急なポジティブ発言についつい笑ってしまう。
「あー、バカにしてるな?だってあのダービーは私とトレーナーさんとお姉ちゃんの人生を賭けたダービーですよ!あんなにアツいダービーがみんなの記憶に残らないわけがないじゃないですか!」
サニーが宮下に向け、あのダービーの素晴らしさを熱弁する。
「別にバカにはしてないよ。確かにあのダービーは僕らの人生の全てを賭けたダービーだった。人々の記憶に必ず残る自信が僕にもあるよ」
宮下もあのダービーに込められた想いの強さを語る。
「でしょ!だから私は"最高の私"のまま引退する。そうすれば、私たちが"走った物語"も私たちが"走ったかもしれない物語"もずっと語り継がれる。そうやって、私たちの走りはみんなの記憶にずっと残り続けるんですよ!」
サニーは自身が思い描いた未来への足跡の遺し方を語る。その顔には先程のような悲しみはなく、とても希望に満ちている。
「まったく、君はどこまでも逞しいな…。そうだね、そう思えばここで引退することもいいのかもしれない」
宮下はサニーの発想の転換に舌を巻きつつ、引退することへの悲しみが幾らか和らいだようだ。
「叶わない夢を追うのはやめましょう…。私は前を向く。それが、私とあなたが過ごした時間を無駄にしない一番の方法だと思うから…」
サニーは真っ直ぐとした目で宮下を見つめる。
それは未来を見据えた美しい目だった。
「ああ…。僕も前を向くよ。じゃあ、引退の餞にサニーに秘密にしていたことを話そう。実はねサニー、僕は君と出会わなければトレーナーを引退していたんだ…」
「えっ?そうなんですか…?」
突然の宮下の告白にサニーが驚く。
「そうなんだ…。スワローの願いがあってなんとかやってきたんけど、あの時はもう限界だったんだ…。でも、サニーとの出会いが僕の全てを変えてくれた。今の僕はサニーのおかげでここにいられるんだ。だから、引退の餞に改めて言うよ。僕と出会ってくれてありがとう。本当にお疲れ様でした」
宮下は精一杯の笑顔でサニーに感謝と労いの言葉を贈る。
それはとても短い言葉だったが、計り知れない想いが籠った重みのある言葉だった。
「…そっか、私は最初からトレーナーさんの大切な何かになれていたんですね…。よかった」
宮下は晴れやかな笑顔と感謝の言葉にサニーは一瞬だけ、目を潤ませるが、すぐに笑顔に戻り、応える。
「君が前を向くなら僕も前を向くよ。僕を救ってくれた大切なパートナーの想いを僕は絶対に裏切らない。サニーが繋いでくれた僕の物語はこれからも続くし、僕はサニーと共に駆け抜けた日々を、あのダービーをこれからの教え子にもずっと語り継いでいくよ」
「ありがとうございます…。それなら私も寂しくないな…。じゃあ、私も秘密を一つ。実はね。私、新しい夢が出来たんだ」
「そうか…。どんな夢なんだい?」
「それはね…」
今、巷でウマ娘が流行っていますが、サニーブライアンのウマ娘化を望む声を見る度にファンである自分は少し嬉しくなります。
何故ならサニーブライアンという馬が『人々の記憶の中で走り続けている』ことの証明になるからです。
間違いなくサニーブライアンよりも強い馬は沢山います。
ですが、97年のダービーの功績がある限り、サニーブライアンの『価値』は唯一無二のものだと思います。
まあ、要は何が言いたいかというと、そこそこの人たちがサニーブライアンのウマ娘化待ってるぜ!だから、サイゲさんよろしくね!ということです。
さて次回はサニーの引退後の話、エピローグです。
最終話もよろしくお願いします。