ここからはこの作品の後半パートに入っていきます。
様々な想いと策略に彩られた第64回日本ダービー。
永く語り継がれるあの結末に至るまでのドラマを自分なりに描いてみました。
拙い文章ですが、もう少しお付き合いください。
36.全てを賭けて
キーン コーン カーン コーン
「…。んっ…今何時だ…」
トレーナー室の机の上で突っ伏して寝ていた宮下が、チャイムの音で起きる。
「…14時30分…。まずいな…。あと30分でサニーが来てしまう…。さすがに片付けないと…」
寝ぼけた目で周囲を見渡す宮下の眼前には無造作に置かれているファイル、ビデオ、DVDの山がある。
普段の宮下のトレーナー室は宮下の人柄が出たようなとても綺麗なトレーナー室だが、今日に限っては強盗でも入ったのかと思うほどに、レース資料が散乱している。
「我ながら酷い有様だ…。これではサニーに心配されてしまうな…」
自嘲してしまうほどの惨状の部屋を宮下は急いで片付けていく。
皐月賞が終わり3日が経った。
18年目にしてようやく手にした重賞勝利。
しかも、それがGⅠ、ひいては格式高いクラシックの1つとなれば、まだまだ喜びの余韻に浸っていてもおかしくないが、今の宮下にそんな余裕は微塵もなかった。
なぜなら次に控えるのは日本ダービー。
もう二度と立てないと思っていた夢舞台にもう一度挑めるということに喜びを感じつつ、おそらくこれが自分のキャリアの中でダービーに挑戦出来る最後のチャンスだとも感じているので、その意気込みには並々ならぬものがある。
皐月賞の次の日から宮下はすぐにダービーに向けた準備を始めた。
手始めにダービーやダービーと同じ条件の過去のレース資料をかき集め、解析・分析をした。
次に、今年のダービーに出場しそうな有力選手の資料やレース映像も集め、研究していく。
そんな作業を寝る間も惜しんで繰り返して、いつの間にか3日程経っていて現在に至る。
「あらかた集められる資料や映像を見て分析したが、わかったことがこれではやるせないな…」
広げられたファイルの一つを手に取り、見つめながら宮下は落胆の言葉を漏らす。
ダービーの攻略に没頭した3日間で宮下が達した結論は非情なものだった。
サニーの実力ではダービーを逃げ切るのは不可能
末脚は弱いが、精神面が安定していて、スタミナは豊富、レースセンスも高いというサニーの特徴は明らかな先行適性であった。
ただ、デビュー戦以降、サニーの末脚に上積みを掛けられないことで、『サニーの良さを引き出す走り』の模索に宮下は悩んでしまう。
連敗が続いている間もその欠点を補うための試行錯誤は繰り返したが、末脚がないという欠点がある以上、脚質を後ろ目に設定できないというのは明らかで、基本戦術を『逃げ』に変えることしか現状の打開案はなかった。しかし、宮下はその決断がなかなかできなかった。
何故なら、サニーはスタートが大の苦手だったからだ。
そんな状態で迷走期間に入ってしまったので、皐月賞までサニーと宮下はなかなか安定して結果を出せなかった。
しかし、舘野のアドバイスによって状況は一変し、皐月賞制覇という最大の成果が得られらたことで、宮下とサニーはようやく『自分たちの走り』に辿り着いた。
"勝ちパターンがある"。それは今後の躍進の為にはなくてはならない必須条件。
ただ、皮肉なことにダービーではそれが一切、勝算にはならない。
まず、ダービーの舞台となる東京レース場2400mというコース設定がそもそも逃げウマ娘に圧倒的に不利だ。
直線コースが長く、カーブも緩やかなためレース中の紛れが起きにくいこのコース設定は『最も実力が試されるコース』と言われていて、過去のダービーでも"展開のアヤ"で勝てた事例はほぼない。
加えて、最後の直線には勾配2.1m・長さ100mの急坂が難所として立ちはだかり、余力のない逃げウマ娘を容赦なく脱落させる鬼門が存在する。
そういった条件なのだから、距離が短い皐月賞であれほど一杯一杯になっているようではダービーの勝ち筋など見えるはずがない。
さらに今年のクラシック有力選手が皆末脚を武器とする傾向にあることも大きなマイナス要因だ。
皐月賞では後方勢への不利と直線の短い中山コースが有利に働き、勝つことができたが、東京レース場ではそれが見込めないため、差し追込み勢からすれば、好条件でしかない。
逃げウマ娘のサニーにとってこれだけでも不安材料であるが、さらに追い打ちをかけるジンクスがダービーにはある。
逃げウマ娘はダービーに勝てない
もちろん、それが絶対のジンクスではない。
ダービーの歴史の中でも逃げ切り達成者は存在する。ただ、その人数はわずかに10名しかいない。
しかも、逃げ切り達成者のほとんどがのちの場合も含めURA賞または顕彰選手に選ばれるほどの歴史的な選手ばかりが名を連ねている。
それを裏付けるようにトゥインクルシリーズの国際化に伴うグレード制導入後の達成者は2名のみ。
その内のは1人はアイネスフウジン。
その世代の最優秀ジュニアであり、朝日杯ではマルゼンスキーの記録したレコードと同タイムを出し、ジュニア期から世代トップクラスの選手として名を馳せていた。
本番のダービーでは皐月賞3着の影響から評価を下げたが、そこから巻き返し、見事にダービーを勝利。その時に記録したダービーレコードは未だに破られていない大レコードだ。
もう1人はミホノブルボン。
こちらもその世代の最優秀ジュニアを獲得していて、ダービーの勝利でトキノミノル・シルボリルドルフ・トウカイテイオーに続く史上4人目の無敗の二冠達成を成し遂げた稀代の逃げの名選手。
その後、菊花賞でライスシャワーの2着に敗れ、三冠達成とはならなかったが、その年の年度代表をクラシック級の選手ながら受賞している。
この2名はいずれもジュニア期でも実績を挙げた期待選手で、共にジュニアNO.1を決める朝日杯も制覇している。
さらに2人がダービー以前に挙げたGⅠ勝利はどちらも世代トップを名乗るに相応しい"完勝"といえる内容でもあり、ある意味ではダービーの逃げ切りは"妥当な結果"とさえ言えるものだ。
では、サニーはどうだろうか?
ジュニア期のサニーは世代の期待選手の1人ではなく、あくまで平凡な選手の1人でしかなかった。
戦績もデビュー戦を勝ちはしたもののそれ以降は4連敗。クラシック期に入ってからOPレースに勝ったことと弥生賞で3着に入ったことで多少の注目は浴びたが、クラシック有力候補には挙げられていない。
そして、重賞初制覇の皐月賞の内容はレース展開のアヤによる前残りの勝利と、実力を見せつける様な強い勝ち方でもない。
宮下はサニーを信頼し、評価もしているが、贔屓目に見ても先の2人の様な絶対的な能力がないことは明らかだとわかっている。
この様な実数的な観点以外から見てもサニーがダービーを逃げ切れる可能性はほぼないと宮下が結論付けることは致し方ないことだった。
「自力での勝負が出来ないなら、あと出来ることは…」
コンコン
「はい」
「失礼します。…。どうしたんですか?この部屋の荒れ具合…」
扉を開けたのはサニーだった。
「お疲れ様。恥ずかしいところを見られたな。ダービーの研究をしていたら興が乗ってこの様になってしまった。すまない。すぐに片付けるよ」
予定時間よりも早く来たサニー。
宮下は部屋の惨状を見られてしまったことにいくらかの気まずさを覚える。
「そうなんですね。研究熱心なのはいいですけど、ほどほどにしてくださいね。私も片付け手伝いますよ」
「ああ。ありがとう」
そう言ってサニーは宮下の片付けを手伝う。
「どうだった?3日間だけだが、皐月賞の疲れは取れたかな?」
皐月賞が終わって宮下はサニーに3日間の完全休養を言い渡していた。
今日はその休養明けの最終日だった。
「だいぶ疲れは取れました。ありがとうございました。トレーナーさんは休めましたか?」
片付けをしながらサニーが何気なく休養中の宮下の様子を聞く。
「ああ、休めたよ」
本当は寝る間も惜しんで研究に没頭していたが、宮下はサニーに心配をかけさせまいとウソをつく。
「…そうですか。ならよかったです…。ところで今日は何をするんですか?」
サニーは一瞬だけ訝しむが、それ以上は何も言わずに今日の呼び出しの理由を尋ねる。
「今日はダービーに向けての作戦会議だ」
「作戦会議?珍しいですね。いつもはレースの情報を出来るだけ集めるからって3.4日くらい前にやるのに」
「ああ。いつもならね。でも、次はダービーだ。サニーが限界を超えて勝ち獲ったダービーへの出場権なんだ。いつも通りでレースに臨むのはもったいないよ。出来る限りのことをやっておきたいんだ」
「確かに、せっかくのダービーですから悔いなくやりたいですよね。頑張りましょう!で、作戦はどんな感じですか?」
「そうだね…。作戦を言う前になんだが、サニー。ダービーは勝ちたいかい?」
「急になんの質問ですか?そんなの当たり前じゃないですか。ダービーですよ、ダービー。どんなことをしても勝てるなら勝ちたいですよ!」
そう意気込むサニーの表情は明るく、ダービーに出ることへの気負いは全くないようだ。
「『どんなことをしても』か…。そうだね…。ダービーにはそれだけの価値がある…」
サニーの表情とは対照的に宮下は少しだけ顔を強張らせる。もっとも、それはサニーが見ていないとわかっていて見せたものだった。
「よし!片付けおしまい!じゃあ、張り切って作戦会議に行きましょうか!」
片付けが終わった達成感もあるのだろうか。サニーは爽やかな笑顔で作戦会議に臨もうとする。
「ああ、そうしようか…まずは…」
きっとこの作戦を聞いた君は戸惑うだろう。
優しい君だから、複雑な想いも抱くだろう。
でも、気にしないで欲しい。
これは君が勝つための秘策だ。
僕は君を勝たせるためならなんだって出来る。
僕は僕の全てを賭けて君を勝たせてみせるよ。
37.孤独な戦い
「はい。はい。わかりました。では、明日の16時に僕のトレーナー室でよろしくお願いします。では。…ふー、明日の16時…と」
宮下は雑誌記者との取材のアポイントを終え、受話器を置き、大きく息を吐く。
サニーとの打ち合わせから10日が経ち、ダービーまで約1ヶ月となった4月の最終週。
宮下はダービーへ向けての作戦を実行していて慌ただしく動いていた。
その作戦の一つがメディアへの露出を増やすことだった。
元来、宮下は目立つことを嫌う。
受ける取材は最低限に、レース前後のインタビューなどは手短で淡白な受け答えで乗り切るというのが、今までの宮下の基本的なスタンスだ。
しかし、今回に限っては取材を全て引き受け、インタビューにも長々と応じていた。
しかも、そのインタビューの内容は宮下らしからぬ、"強気な"発言のオンパレードだった。
次は絶対に逃げます。何が来ても関係ありません。
皐月賞よりも状態がいいので、ダービーも勝てると思います。
次は色気を持っていけます。
出来ればどこかでセーフティリードを取ってしまおうかと思います。
立ち並ぶ発言はまるで本命視された有力選手が"次も絶対に勝てる"という確信があるかのようなものばかりだった。
この発言に周囲は失笑する。
まぐれで皐月賞を勝ったくせに何様だ。
あれは中山コースの芝が荒れていたから残れただけだ。
初の重賞勝利に浮かれ切っている。
自分たちの実力をわきまえられないようではダービーなんて勝てるわけない。
府中の長い直線ならああはいかない。
学園内外も含めて宮下へ向けられる風評は著しく悪くなる。
そういった対外的な振る舞いに加えて、宮下は更に周囲から反感を買うような行動を取る。
ダービートライアル・プリンシパルステークスへの出走表明
宮下は反感を買った皐月賞と同じトライアル経由の過密ローテーションを発表したのだ。
マスコミに理由を問われた宮下は以前と同じように『コンディション調整』を理由に掲げる。
一応、理屈的にはそのローテーションで皐月賞を勝っているため、周囲は表立って批判出来なかったが、宮下に向けられた懐疑的な目はますます強まる。
そんななんとも言えない風潮に対し、ある大物評論家が声を大にして宮下を批判する。
皐月賞を取れるほどの逸材なら自分でコンディションを作れるはずだ。
レースを調整代わりに使うなど言語道断。
この一声に様子見をしていたマスメディアはこぞって便乗し、宮下への風当たりは過去一に酷くなる。
それでも宮下は全く意に返さず、メディアに強気な発言を発信し続けていた。
「とりあえず、世間の論調は思い通りに出来た。これならレースでも…」
トゥルルル トゥルルル トゥルルル
中崎先生
突然鳴った携帯電話の画面に映し出された名前は恩師の名だった。
「まあ、そろそろ電話がかかってくる頃ですよね…」
宮下は気まずそうな顔をしながらおもむろに携帯電話を取った。
38.大切なことは
「お疲れ様です。先生」
心なしか宮下はいつもより姿勢を正して中崎からの電話に出る。
「おい。お前、なんで俺が電話してるかわかるよな?」
開口一番に中崎はこの電話の意図を問う。
「…ええ、わかっています。これからご説明のためにそちらにお伺いしてもよろしいですか?30分ほどでお伺いします」
「チッ。わかったよ。さっさと来い」
「はい。では、また後で」
そう言って宮下は電話を切り、すぐに外出の準備をし、部屋を出た。
そして、30分後。
中崎の経営する養成所に到着する。
「失礼します」
「…」
宮下が所長室の扉を開けると応接用のソファの中央に中崎は険しい表情で深々と座っていた。
「お前。ここ最近のあの振る舞いはなんだ?」
中崎は雑誌や新聞をテーブルに放り投げながら、宮下にここ最近のメディア露出について問う。
その口調は怒気を含んでいて、中崎の機嫌はあからさまに悪い。
「ダービーを勝つための情報戦を仕掛けています」
「情報戦の目的はなんだ?」
「サニーが単騎逃げ出来る状況を作るためです」
「具体的に何を狙っている?」
「同じ脚質のサイレンススズカの牽制と他陣営のマークを後方勢に集中させることを狙っています」
「…トライアル参戦の件は?」
「皐月賞の仕上げではダービーに勝てないと判断しての一叩きです。負担は掛かりますが、悔いを残すよりはいいと2人で相談して決めました」
中崎の問いに対し宮下はスラスラと回答していく。
「一端の理屈を揃えやがって…。お前、これでダービーを勝てなかったらどうなるか、わかってやってるんだろうな?」
スラスラと返答する宮下に対し、中崎はこの作戦のリスクを問う。
「わかっています。これで負ければ、僕はトレーナーとしての全てを失うでしょう」
「お前、それでいいのか?ようやく勝ち取った実績を捨てるのか?」
「ええ、捨てます。勝負の場で過去の実績など役には立ちません。むしろ、"弱味"になる。だからこそ捨てます。勝ち筋を確実に見極め、手繰りよせるために。僕は僕の全てを賭けて必ずサニーをダービーウマ娘にします」
そう宣言する宮下の目に怖れや不安はなく、どこまでも鋭い目付きをしていて、その目は正に『勝負師の目』だった。
「30そこそこの若造がなんて目をしてやがる…。碌でもない考え方でこの振る舞いをしているなら、ぶん殴ってでもやめさせるつもりだったが…。『勝つために捨てる』か…。雀士の心構えだな。わかったよ。その覚悟は認めてやる」
中崎は宮下の覚悟を認め、少しだけ怒気を緩ませた雰囲気をとる。
「その覚悟を認めた上で、注告してやる。今のお前の心のあり方じゃ、ダービーは勝てねぇ。ダービーはデカい代償を払えば勝てるなんて単純なもんじゃねぇだろ?」
「それは…そうですが…。実力的に劣る僕らが勝つにはレース外のことにも目を向けていくしかないように思います…」
中崎の指摘に対し、宮下は図星を突かれたような顔をする。
「観点は間違っていないさ。ただ、やり方が不細工なんだよ。ダービーに勝ちてぇなら、ウマ娘と心を重ねろ。トレーナーとウマ娘が"真のパートナー"にならなきゃダービーは勝てねぇ」
「真のパートナー…。それはどういうことですか?サニーとはしっかりと対話を重ねてきたと思いましたが、まだ足りないものがあるのでしょうか…」
中崎の指摘に対し、宮下は少しだけ表情を曇らせる。
「お前のあの子に対しての信頼や誠実さは立派なもんだ。足りないということではない。要は『バランス』の話だ」
「バランス…」
「2日前、あの子が俺の所に来た」
「えっ?」
中崎からもたらされた思いもしない真実に宮下の体に緊張が走った。
現実の物語においてもこのダービーには様々なエピソードがあります。
その中の中心になる部分を基にしてウマ娘の世界観に落とし込んで描いています。
正直このコンビの物語の凄さの半分くらいはこの"盤外戦"に集約されているように思います。
・歓迎も評価もされない皐月賞制覇
・ダービーのジンクス
・周囲からの冷めた眼差し
逆風しかない中で、冷静に狡猾にダービーを勝ち獲るための策略を考え、実行した陣営のダービーに賭ける執念とハッピーエンドはまさに『マンガのような話』だと思います。