TSサイバネ八極拳士はハードな異世界をイージーに乗り越える! 作:ケンシー
崖下に映る光景を、俺――ああいや、己は苦々しげに見下ろしていた。
凄惨な光景だ。
一台の馬車が横転し、その周囲には死体が転がっている。
男たちは無惨に縊り殺されていた。
女は凌辱のために生かしているのだろうが、顔に青痣があるものも見える。
己が通りかかったときにはすべてが終わっていて、もうコレ以上何かが悪化することはないのだが。
それでも、そこが地獄であることに変わりはない。
しかし一つ不思議なことがあるとしたら、その光景を作り出した畜生共が女を嬲るわけでもなく、何かを探しているようなのだ。
畜生は、いわゆるゴブリンというやつだ。
緑色の肌、醜い顔立ち、そして何より人をばかにするような下卑た笑み。
ゲームによくあるその姿をした連中はしかし、この世界ではゴブリンとは呼ばれていない。
単純に下級魔族、とだけ呼ばれている。
まぁ、己は面倒なのでゴブリンと呼ぶが。
ゴブリン共の探しものはすぐに分かった。
生きている人の人数と馬車の周囲から感じ取れる気配の数が一致しないのだ。
誰かが、息を殺してゴブリン達から隠れている。
俺はその誰かが幼い少女であり、馬車の中の木箱に隠れていると察知した。
ゴブリン達は人の気配こそ感じ取れるものの、それがどこにあるのかまではわからない。
連中が捜索に飽きれば、あの少女だけは助かる可能性もあるだろう。
おそらく、すでに捕まっている女たちもそれを祈り、故にどれだけ甚振られてもその場所だけは明かさないに違いない。
だが、何事にも限界は来る。
――馬車の中から、音がした。
少女が我慢できずに音を立ててしまったのだ。
女たちの顔が蒼白に染まる。
終わったと、誰もが瞬時に理解した。
ゴブリン達もそこに誰かがいるのを察して、馬車の方へと集まってくる。
「――頃合いだな」
これ以上、崖の上から連中を観察する理由はない。
少女の居場所を吐かせるために、ゴブリンが女に危害を加えようとしたら手を出そうかと思っていたが。
先に少女の居場所がバレてしまった。
己は一息に、崖から飛び降りた。
即座に身体は加速するものの、同時に身体は限界まで脱力していく。
地面に着地するころには、ほとんど力は抜けきっており。
数十メートルの落下にもかかわらず、俺は何一つ傷つけることなく地面に着地した。
足場にした、馬車の幌を揺らすこともなく。
「そこまでだ、下郎」
己――の下にある横転した馬車を中心に集まるゴブリン共へそう呼びかける。
己は気配を消していたから、完全に想定外の乱入者であった。
ゴブリン共は、困惑しながらこちらを見上げている。
『な、なんダコイツ!?』
独特な魔族特有のしゃがれたノイズの混じったような声色。
片手を後ろに回し、もう片方の手を手刀のように構えつつ己はゴブリン共を見下ろした。
かかってくるのであれば、いつでも来いということだ。
『どこからきタ!? 上から降って来たのカ!?』
『わからン。だが、とんだ上玉ダ。持ち帰れば親分が褒美をくれるかも知れねエ』
『親分に渡したら、俺達のところには絶対に下がっちゃ来ねえレベルダ。先に味見しておかねぇとナ』
――何を呑気な。
すでに構えを取っている己を前に、取らぬ狸の皮算用を始めるとは。
狩りを終えた後で気が抜けているのはわかる、己の容姿が優れていることも確かだ。
流れるような金の髪、人形のように精巧な顔立ち、鮮血のごとき真紅の瞳。
どれを取っても、人ならざる美貌だと言わざるを得ない。
まぁ、中華風の道着は完全に異文化であるからゴブリンにはいまいちその良さがわからんだろうが。
とにかく、それにしても、だ。
まず真っ先に気付くべきことがあるだろうに。
ため息を、一つ。
失望の色が隠せていないそれを聞いたゴブリンの一匹がこちらに視線を向け、鋭く睨んでくる。
『てめぇ、何ため息ついてやが――』
だが、その言葉は最後まで紡がれない。
なぜなら、次の瞬間には己の掌底が
――脆い。
解りきっていたことではあるが、ゴブリンは己の拳だけで十分だ。
発剄、己が生み出した力を敵に叩きつける単純な八極の業だけでこうも簡単に消し飛ぶとは。
全く持って、修行が足りていない。
『な、にガ――』
『いや、ちょっと待テ』
そこで、ゴブリンが己の異常性に気付いたようだ。
すでに己は馬車の幌から降りて、ゴブリンと相対している。
お互いの睨むような視線が、ぶつかり合っているのだ。
すなわち。
『どうしてこいつ、俺達の
――この世界には、人がいて、魔族がいる。
魔族は人を家畜程度にしか思っておらず、そして人は魔族の魔力を前にすると恐怖で足がすくんでしまう。
どれだけ鍛え上げられた武人でも、即座に赤子と同程度の存在に成り果てるのだ。
それはある意味で、魔族が人間に対して有する絶対的な支配権のようなものだった。
それが、どうしてか己には効果を発揮していない。
ゴブリンにとっては、初めての状況だろう。
ありえないことだと、そう思っているはずだ。
『バ、カな――どうなってやがル!』
「――答えは、二つ」
そこで、己は初めて口を開いた。
もとより目の前の畜生共と会話をするつもりはないのだが。
冥土の土産というやつは、ゴブリンにも必要だろう、と。
そう考えるのが”己”という人間の
「一つは恐怖という感情が、鍛錬に寄って克服できるものであること」
まぁ、”己”はともかく、”
少なくとも、己にとってそれは事実だ。
同時に己は、一つ呼吸を整える。
「二つ。己はそも、
その言葉の意味を、この場にいるものが理解することは不可能だろう。
この世界は、至って普通のファンタジー世界。
それも、スキルとかステータスという概念の存在しない、ハイファンタジーな世界だ。
ましてや。
サイバネティクスなんて言葉の意味、想像することすらできないだろう。
「よって己は、人が魔力に感じる原初的な恐怖を感じない」
その言葉に、ゴブリン共は沈黙した。
そして、突如として――
『ギャハハハハハハハ!』
嗤い始めたのだ。
己を馬鹿にするような、愚弄するような笑みを浮かべる。
『恐怖を感じなイ!? 鍛錬に寄って克服できル!? いいか、それは幻想ダ。人が人である限り拭えない、気のせいってヤツなんだヨ!』
『そうだそうダ! 人は結局、死の間際に恐怖を覚えル! 慰み者にされれば心が折れル! てめぇみてぇなガキなんざ、特になァ!』
その言葉に、周囲の女たちが恐怖を覚えて後ずさる。
眼の前で男たちを殺された恐怖、これから自分たちが経験するであろう地獄への恐怖。
そして、魔力によって掻き立てられる
『いいぜ、てめぇが自分を傑物か何かと勘違いしているようなら、その心と股ぐらに刻んでやル! テメェがただの女でしかないってことをなァ!』
「――低能が」
『…………ア?』
いよいよもって、己はこれ以上の言葉をこいつらにかけることができなくなっていた。
怒りとか、そういうものは感じていない。
単純に呆れていたのだ。
なぜこいつらは、先程己が自分の同胞を一瞬で肉塊へ変えた事実をすでに忘却しているのだ?
ゴブリン共がそういう生態だということは識っている。
だがそれにしたって、あまりにも粗末が過ぎるだろう、と。
そう思わざるにはいられなかった。
そして、
「――震脚」
己は、先程呼吸によって整えた”気”を脚に込め、大地に向かって振り下ろした。
それらは、地を通して己の周囲に突っ立っているゴブリンだけを的確に”揺らす”。
『ガ?』
『ア?』
その直後に、己は一息のまま周囲のゴブリン共へ連打を叩き込む。
瞬く間にゴブリンの頭と胴体に風穴が空いていく。
畜生は、自分が死んだという事実に気づくことすらなく、即死していくだろう。
やがて、その連打がゴブリンを残す所一匹としたところで停止する。
力尽きたわけではない。
ただそのゴブリンが、完全に己に対して恐怖の眼差しを向けているからだ。
『あ、ありえねェ。人間が、俺達をこんな簡単ニ……!』
「事実だ。貴様らは弱い。魔力という支配権がなければ、少し鍛えた人間にすら勝てぬという事実を認識すらしておらぬ」
『あ、ア、あ……ああああァアアアアア! ――何者だ、テメェハ!』
ゴブリンは、死の間際にしか恐怖を理解できない。
己が人間共に何をしたのか、理解できないのだ。
もちろん、こいつをここで逃がしたところで逆恨みだとか、八つ当たりだとかを始めるだけで。
生かす価値はどこにもない。
それでも、恐怖を刻み、絶望を刻み、理解を刻まなければ。
小奴らに殺された者たちも納得はすまい。
何をのうのうと、お前たちは死に逃避しているのだ、と。
「己の名を、地獄につれて行くといい」
故に、己もそれに対して応える。
「己の名は、個体名CEK-6626、識別名レイ」
ゆっくりと、ゴブリンへ近づいていく。
「モットーは、義を見てせざるは勇無きなり」
ゴブリンは後ずさっていくが、すぐに気づくだろう。
倒れた馬車を背にした結果、逃げ場がなくなっているということを。
「通りすがりの――サイバネ八極拳士だ」
その言葉に、ゴブリンは。
『――ふ、ふざけるなぁああああアアアア!』
やけくそ気味に叫びながら、己に飛びかかった。
己はその下をするりと抜けるように肉薄。
奴の身体に、それを叩き込む。
――震脚、そして。
「――――鉄山靠」
背を使っての体当たり。
八極拳における代名詞たるその業でもって、己はゴブリンを一撃のもとに吹き飛ばした。
――静寂が満ちる。
害獣どもは死に果てて、後には生き延びた女たちだけが残る。
己の周囲に、乱暴にされた青痣のできた女や、すでにひん剥かれてなんとか手で身体を覆う女たちがいる。
そんな女たちの表情は――
己に対する、信奉のような視線に満ちていた。
一度死を覚悟したからか、そこから救われたことに対する喜びはあまりにも大きい。
己が見たこともない服を着た幼い女児であることも、己の神秘性を高めるのに役立ってしまっているだろう。
ううむ、救出が遅れるとどうしてもこうなってしまうなぁ。
これならまだ、恐怖してくれたほうが後のことが楽なのだが。
ともあれ、己は弱者を見捨てることはしない。
助かった女たちと未だ馬車の中に隠れる幼子を、集落まで送り届けることにしよう。
出てくる八極拳は近未来SFゲーのなんちゃってゆるふわ八極拳です。