TSサイバネ八極拳士はハードな異世界をイージーに乗り越える! 作:ケンシー
狼型中級魔族の”ヘルヴ”が取り仕切る魔族の拠点では、淀んだ空気が広がっていた。
なぜなら、その拠点には捕まえてきた人間が一人もいないからだ。
人間を狩って嬲るのが下級魔族にとって至上の楽しみだというのに。
”上に献上する”だかなんだかで、人間がすべて持っていかれてしまったのが数日前。
狼魔族のヘルヴが辟易するのはそのせいで、下級魔族共が自分に恨みがましい視線を向けてくることだ。
そんなに睨まれても、こっちにもどうしようもないというのに。
ただでさえ、真面目に仕事もしない役立たず共が、逆恨みでこちらを恨んでくる。
なんともクソみたいな現実である。
その上――
『人間を狩りに行った魔族が帰ってこなイ』
という報告を受けたのがついさっき。
それはつまり、普通に考えたら人間を狩った下級共が上に献上するのを嫌がって人間を独占しているということだ。
そうでなくとも、今の拠点の状況で人間狩り部隊の帰還が遅いのは自分に対する下級魔族の不満を爆発させることになりかねない。
もちろん、そうなったら襲ってきた下級魔族は皆殺しにして塵に返すだけなのだが。
それこそ、”上”への報告に頭を痛めるしかないのが、狼魔族のヘルヴの現状であった。
『すくなくとも、
少しくらいは腹の虫も収まるだろう。
そう考えていた時のことだった。
悲鳴が、拠点の外から聞こえてきたのは。
なんだ、と狼魔族のヘルヴは疑問符を浮かべながら外の様子を伺う。
拠点の中では悲鳴など気にした様子もなく、下級魔族達が寝呆けているのだろうが。
少なくとも、中級魔族ともなれば理性的な判断も可能だ。
狼魔族のヘルヴは、かつて人間が使っていた砦型の拠点の窓から外をうかがう。
『……何ダ? アレハ』
そこにあったのは、おかしな光景だった。
拠点の入口で一人の女が戦っている。
奇妙な女だ。腰まで伸びる長い金の髪。
幼い体躯、不可思議な装い。
育ちは良さそうだ。
だがそれ故に、奇妙奇天烈な装いが目に付く。
何だあの衣服は。
というか、それよりも、だ。
『何故あの女は、苦も無く下級共を屠っていル?』
おそらくは、武術の一種なのだろう。
至近距離から相手の間合いを外すことを目的としているような武術。
懐に潜り込み、超至近距離から効率的に力をかけることで相手の体勢を崩す。
おそらくは、そういう”業”なのだろうが。
威力は、一撃で下級魔族の胴体を吹き飛ばす威力だった。
鍛えた人間が武器を使えば、下級魔族程度ならなんとかなるのかも知れない。
だが無手で、あそこまで派手に吹っ飛ばすことが可能なものか?
何よりも――
『……魔族に、恐怖していなイ?』
魔力とは、人間に対する絶対的な支配権。
人間が一度魔力を浴びれば、恐怖からその場に動けなくなる。
女ならば、半日も魔力に”漬けて”おけば感覚が麻痺してくる、一種の催淫効果まであるのだ。
だというのに、何だ女は。
『――まさか、
そこで、ふと狼魔族のヘルヴは思い出す。
ここ最近、魔族の間で与太話として広がっている噂。
鬼が夜に紛れて魔族を狩っている。
何だそれは、と狼魔族のヘルヴは笑い飛ばしていたのだが。
仮に、それが事実だったとして。
今目の前に、その夜鬼が現れている?
『……バカナ、人間が魔族を害せる訳が無イ』
魔族は、長い年月をかけて人間が繁栄するのを待ち、ようやく今、人間を蹂躙するべく魔界より地上へ舞い戻ったというのに。
ここ最近は、おかしな噂が多すぎる。
集落を襲撃した下級魔族が突然爆発した、だの。
人類の希望である聖女が現れた、だの。
そんなこと、起こるはずがないというのに。
『でなければ、上級の御方たちの言葉が偽りだったことになル。ありえないのだ、人が魔族に打ち克つ等……』
狼魔族のヘルヴは、自身を鼓舞するようにブツブツと言葉を繰り返しつつ下級共が寝呆けている区画へやってくる。
そして怒りのままに叫ぶのだ。
『貴様らァ! 何をしていル! 襲撃があった、これを迎撃しろォ!』
『ヘ? ア? へ、ヘルヴ様……? な、何を……襲撃なんてそんなことあるはズ』
『黙れェ!』
近くの下級魔族が、寝ぼけ眼をこすりながら反論してきた。
普通なら、この場合は下級魔族の方が正しいのだが。
今回ばかりは違った。
故に怒りのまま狼魔族のヘルヴは口答えした下級魔族に鉤爪をふるったのだ。
『ギ、ギアアア!?』
『事実ダ。今すぐ迎撃しロ。それが貴様らの存在価値だろウ』
その言葉とともに、今度は口答えした魔族の頭に手をおいて。
――それを、一息にすりつぶした。
体液が当たりに飛び散って、魔族だったものがその場に倒れる。
『ひ、ひぃいいいィィ!!』
『か、かしこまりましタ!』
そこまでやれば、下級魔族達も観念して侵入者の迎撃に向かっていった。
狼魔族のヘルヴはため息をつく。
ああ、最初からこうしておけば下級共も言うことを聞いたのに、と。
――元いた拠点の最奥へ向かう途中。
狼魔族のヘルヴは少しだけ考えていた。
最初に下級魔族の土手っ腹に鉤爪を見舞った時。
狼魔族のヘルヴは本気だった。
完全に殺すつもりだったのだ。
しかし、失敗した。
『あの人間の一撃に、俺の一撃が劣っていル?』
思わず、その考えがよぎる。
しかし、すぐに切り捨てた。
ありえないことだと、自身の経験から判断したのだ。
眼の前の直視したくない事実よりも、経験から来る安易な判断を信じたのである。
『しかし――静かだナ』
可笑しい、と狼魔族のヘルヴは少しだけ考える。
アレだけ騒がしく迎撃に出ていった下級魔族の声が聞こえない。
本当にあの小娘が下級魔族を吹き飛ばせるなら、下級魔族がどれだけいても肉壁にしかならないだろうが。
肉壁程度には役立つだろうと考えていたのだ。
だのに、何の音もしないのは可笑しい。
『まさか――――』
狼魔族のヘルヴは、急ぎ砦の奥まった場所にある最も豪華な部屋。
おそらくこの砦の主が使用していた自身が自室とする部屋へと急ぐ。
そこには、そいつが待っていた。
「どこに行っているかと思えば、ようやく帰参か。何をしていたのだ?」
一人の女だった。
言うまでもない、先程見かけたおかしな出で立ちの女だ。
しかし。
あの時は、ただそれを横目に見た程度だった。
何より、そのおかしな姿と行動で気付かなかった。
『お、まえは――』
だが、こうしてみれば解る。
あまりにも、その女は美しい――――
陶器のような美しい肌、絹糸のような神、そして何より幼くありながらも整った目鼻立ち。
あまりにも強烈に、眼の前の女はその美貌を狼魔族のヘルヴへと叩きつけてくるのだ。
一瞬、見惚れてしまった。
致命的な隙だ。
直後に、下級魔族共を自分以上の力で吹き飛ばした女の姿を思い出し、正気に戻る。
アレほどの力、無防備に受けたら自分でも耐えられないのではないか?
そう思ったのだ。
「ほう、自力で正気を取り戻すとは。貴様は多少なりともできる中級なのか?」
『……おかしな事を、言ウ。お前は、魔族というものを何も解っていなイ』
「ふぅむ」
狼魔族のヘルヴは、笑みを浮かべ牙を見せる。
それは威嚇であり、自身を鼓舞するためでもある。
『下級魔族は、所詮家畜と変わらン。魔力がなければ、鍛えた兵士とサシでやり合って勝てるかどうかは怪しいところダ』
「まぁ、脆いな。アレは」
『お前も、如何にして魔力の恐怖を乗り越えたかは知らン。しかし、乗り越えられた所で倒せるのは下級までダ』
そして狼魔族のヘルヴは、それを噴出させた。
濃厚な力の気配、人であれば浴びただけでその場で発狂してしまうほどの奔流。
すなわち――魔力。
『中級魔族とハ! すなわち魔力を自在に操れる魔族を指ス! その強さ、下級の比ではなイ!』
「……」
『どうだ、恐れヨ! 地に這いつくばり、頭を垂れロ!』
そして狼魔族のヘルヴは、勢いよく女に飛びかかった。
鉤爪を振り上げて、けたたましく叫びながら、前に出る。
『――さもなくば、俺がその顔を恐怖と快楽にゆがめてくれル!!』
――その時、狼魔族のヘルヴは本来ならありえない行動に出た。
女の頭を、本気で踏み潰すつもりで腕、もしくは前足を振り下ろしたのだ。
これほどの美貌の女、本来なら絶対に殺すことなど許されない。
嬲るならともかく、甚振るならともかく。
即死させるなど、魔族にとってはありえないことだ。
このことが下手にバレたら、ヘルヴ自身が縊り殺されても文句は言えない程に。
「なんだ――」
故に、それは狼魔族のヘルヴが、魔族の矜持をかなぐり捨てたということだ。
ともすれば、それは正しい行動だっただろう。
矜持を捨ててでも勝利と生存を優先した。
そう評価できる行動だったかもしれない。
だが、違う。
ヘルヴのそれは、結局――
「――すでに、己に対する恐怖に負けていたか、貴様は」
事前に女の戦いを見ていたことにより覚えた恐怖により、無謀な行動に打って出たに過ぎない。
女の失望の声が響く、”できる魔族”なのかという問いに対する答えがあまりにも期待外れだったからだ。
気がつけば、振り下ろした鉤爪の先に女はいなかった。
どこにいるのか?
――言うまでもない、懐だ。
『ひっ、やめ――――』
「遅い」
超至近距離。
女の攻撃の間合い。
圧倒的な死の気配。
誰もが、先程の魔力とそれを比べれば解るだろう。
魔力の放つ恐怖の気配は、結局のところ。
――まがい物でしか、ないのだと。
「裡門頂肘」
肘を使っての一撃。
至近距離から相手の態勢を崩すための一撃だが、女が――レイが使えば、それはまさに必殺にして致命。
驚くべきことに。
『あ、が――』
狼魔族のヘルヴは、その中央から肉体が真っ二つに裁断されていた。
達人の寸勁は、木片を叩き割ることすらできる。
サイバネティックスの義肢は、それを遥かに越える膂力を生み出しているのだ。
「魔族を何も解っていない、か。あいにくと――今貴様が言ったことくらいなら、理解しているよ」
そう言って、窓に足をかけてからレイは死した魔族へ振り返る。
「少なくとも、お前のような魔族を、己は指の数では足りない程度に屠ってきたのだから」
そして、窓から勢いよく飛び降りた。
砦には、ただ静寂だけが響く。
狼魔族のヘルヴがレイと相対したときには、すでに。
ヘルヴ以外のすべての魔族が死に果てていたのだから、それは当然の結末であった。