「相棒が恋しいか?」
目を開くと、真正面に端正な顔があった。
音にも気配にも気付かなかった自分の間抜けさに、心の中でだけ舌打ちをする。
糸目の上司はすっと瞳を覗かせ、意味深に微笑む。
「楽しみにしとき」
そう言い残して去っていく。
期待してはいけない。そう思いながらも、もしかしたらという希望はリツの心に確かな光を灯した。
***
怪獣大国、日本。その発生率は世界でも指折りである。
そんなこの国で怪獣から人々を守るため奔走しているのが、“日本防衛隊”。討伐庁の管轄で、自衛隊とは別に存在する怪獣専門の組織だ。
そこで特殊な訓練を受けた防衛隊員たちは特製のスーツを身にまとい、昼夜問わず怪獣討伐に励んでいる。
『────神奈川県横浜市に怪獣が発生しています。周辺地域の住民は、直ちに命を守る行動をとってください』
この放送も別に珍しいことではない。テレビやスマホでこうした情報が流れると、安全地帯にいる人間は観客となる。
防衛隊は国のヒーロー。彼らの活躍は人々にとって最高の精神安定剤なのだ。
『フォルティチュードは6。発生波による津波の心配はありません。周辺地域の住民は直ちに命を守る行動をとってください』
しかし、実際の被害者たちにとっては大変なことである。
たとえ怪獣一体でも多くのものが踏み潰され、なぎ倒され、殺される。圧倒的な力の前で、人の想いはこの上なく脆い。
“彼”もかつてその一人だった。
「もう大丈夫。よく頑張ったね」
青年は瓦礫の隙間に手を伸ばし、縋り付いてきた小さな身体をしっかりと抱える。もう片方の手で頭上のコンクリートを支えながら腕に力を込め、地上へ引き上げる。
ボロボロと涙をこぼす少女を抱きしめ、コンクリートから手を離すと同時にその場から飛び退く。硬い灰色は激しい音を立てて崩れた。
青年は自身の上着で少女を包んで地面に下ろした。出血のひどい脚部を中心に手早く止血していく。応急処置が済むと、頭上を旋回していた黒い影にちょいちょいと手招きをした。
『繰り返します。神奈川県横浜市に怪獣が発生しています────』
青年のそばに降り立ったのは一羽のカラスだ。青年が木の実を与えると、羽を広げて颯爽と飛び立っていった。
少女は自分を助け出した人物を見た。
シンプルな黒いTシャツにジーンズ、掛けてくれた上着はグレーのジップパーカーだ。肩にボディバッグを引っ掛け、後ろ髪をキャップに押し込んでいる。
肌は白く、まつ毛は長い。女子と見間違いそうなほど可愛らしい顔立ちをしているが、少女に触れる身体は意外にもしっかりしていて男らしかった。
そして陽の光を浴びて煌めく、深紅の瞳。
『フォルティチュードは6。発生波による津波の心配はありません────』
「とりあえず避難所へ向かおうか。家族とか仲良しの友達がいる場所はわかる?」
コクコクと頷く少女。よし、と微笑んだ青年は少女を抱え上げ、────ふと遠くへ視線を向けた。
少女は青年の視線の先を見るが、ボロボロになった建物以外、特に変わったものは見られない。不思議に思っていると、彼は「なんでもないよ」と笑ってのんびり走り出した。
「────なんだぁ? あいつ……」
「どうした、カフカ。降りてこいよー」
カフカと呼ばれた男は、おう、と返事をして双眼鏡を下ろす。口の中のパンを飲み込んで車の上から降りると、「なんかあったのか?」と同僚が尋ねてくる。
「怪獣の近くに人がいたんだよ。そいつと目が合った気がしたんだが」
「防衛隊か? この距離まで見えてんのかな」
「気のせいだろ」
さて、仕事の時間だ。カフカは深呼吸して気合いを入れる。
清掃業者の過酷なミッションは怪獣討伐直後から始まるのだ。
***
少女を避難所へ送り届けると、青年はすぐに立ち去った。家族と再会できたようで良かった、と少女の笑顔を思い出しながら。
少女を救出したのは怪獣が倒される直前だった。恐らく青年が助けなくとも少女は防衛隊によって保護され、家族の元へ帰されていたことだろう。
だが、それを自分の手で少しでも早く成し遂げたという事実に青年は満足していた。
希望の光が差し込むまでの一分一秒が、すなわち被害者の絶望の時間だ。傷が痛んでも、家族の顔が見られなくても、自分を安心させてくれる存在が現れるだけで救われる。青年はそのことをよく知っていた。
彼の名前はリツ。
10歳の頃に怪獣に襲われて両親を亡くし、以来、怪獣を狩り続ける日々を送っている。中学校を卒業するまでは学業を片手間に、その後養護施設を出てからは本格的に。幸い、かなりの資産家であった両親の遺産を切り崩すことで生活できている。
「さ、狩りの時間だ」
世を騒がせる大きな怪獣、“本獣”が防衛隊に討伐された直後から、リツの主な活動は始まる。彼が狙うのは本獣討伐後に現れる“余獣”と、その場の人命救助。
本獣は目立つので、ただの一般市民が立ち回ってはいけない。防衛隊に見つかると締め出されてしまう。
できるのはコソコソと影を移動し、自慢の聴力で見つけた逃げ遅れを安全圏まで移動させることくらいだ。
しかし、それだけでは足りない。
リツは憎悪で生きている。その対象である怪獣を相手にしなければ意味がなかった。
一度住処に戻って新しいパーカーに袖を通す。朝から来ていたものは少女に使ってそのまま置いてきてしまったからだ。
ファスナーを一番上まできっちり上げ、肩で切りそろえた黒髪をまとめてキャップで隠す。武器をひと撫でしてケースにしまい、住処を出た。
本獣の死体を中心に歩き回り、その日は何事もなく終わった。翌日も同じように準備をして住処を出る。
事態が動いたのは、夕刻のことだった。
「……見つけた」
────怪獣の音。
“核”の脈動、呼吸、擦れる骨格と筋肉の動き。すべてが不快な音を奏でている。
道路を割り、地中からいくつも這い出てくる気配。さらにそれらを中心に轟く破壊音。もう間違いない。
リツは駆け出した。地を蹴り、壁を蹴り、息をテンポよく弾ませながら走る。走りながら背負っているケースのロックを外す。ジャラリとこぼれ落ちた鎖を掴み、柄と鉄球部分を引きずり出した。
ケースの金具を留め、右手で柄を、左手で鎖を掴む。半壊した建物から飛び降りる。空中で身をひねりつつ、位置エネルギーを味方に加速。
敵は眼下にある。ギョロギョロと左右違う方向を探っていた両の目玉が────リツを捉えた。
間髪入れず、鎖を離して遠心力の乗った鉄球をぶつける。目を閉じて、核の脈動が聞こえる場所へ。
“モーニングスター”────明けの明星。持ち手の先端についた棘付き鉄球を叩きつけて攻撃する、打撃武器の一種。
島国の一人と大陸国の一人が繋がり紡がれた、怪獣狩りの一族“明星家”の得物。その扱いの難しさから幾度も血が途絶えかけ────現代の後継者は、たった一人。
「僕が最後なんだって。“一族の末裔”って、なんか特別感あっていいですよね」
核のみを正確に破壊したモーニングスター“
「うわ人面蜘蛛……キショい」
大きな眼球を見つめて絶命を確認する。鈍い虹彩に自分の顔が、そしてその背後で大口を開ける二体目の怪獣が映る。
「詰めが甘いんですよ」
振り向きざまに鉄球で殴る。人面蜘蛛は頬を張られたかのようにバランスを崩した。
リツはその頭部を足場に跳躍し、宙で二回転。鎖の長さを左手で調節し核を抉った。胴体へ降り立ち、血を振り飛ばす。
これで二体。しかし、不快な生体音はまだ別の場所で響いている。最も活動的だった音は止んでいるが、怪我人はいないだろうか。
その時、怪獣とも動物ともつかない奇妙な音がした。人間の足音はしなかったのだが、久しぶりの戦闘で気が高揚していたらしい。
「お前は……」
声がした。芯の通った女性の声だ。
振り返ると、白虎を従えた日本防衛隊第3部隊隊長“亜白ミナ”が、こちらを見上げていた。
バチッと目が合う。
「“余獣狩り”……!」
集中すれば、跳ね上がった心拍音まできちんと聞き取れた。次は気をつけよう、と気を引き締めながら、リツはキャップをグッと下げて顔を隠す。
そして全速力で逃走した。