短針は四時に触れただろうか。
あたりは少し薄暗くなっており、二人分の影が交差して伸びている。
吉さんの片手には存在感を放つ大きな黒いケースが一つ、そして背中には黒のギターケースが背負われていた。もしかして路上ライブでもするのだろうか。
「あの、これは何処に向かってるのかしら?」
「目的地はないよ。ただ良さげな場所を探しているだけ」
ようするに気分次第というわけだ。果たして明るいうちに良さげな場所とやらに着くのか……そこが心配。
やがて大通りの方へと出て、そこそこな人通りの中を、彼女に連れられる形で歩んでいく。
持ち物が持ち物なので周りからの視線が痛い。道の幅も取っているため、若干居心地が悪く感じる。
私はそれを誤魔化すかのように彼女に話しかけていた。
「吉さんはどうして音楽始めようと思ったの?」
「……」
「吉さん?」
彼女は沈黙した。ただし口は動いていた。音のない言葉があたりを彷徨っている。
もしかしなくても、マズイ事を聞いてしまったのだろうか。
どうしようかと迷っていると。彼女の方から「あぁ」と声がした。
「……生まれるはずだった音楽が、見当たらなかったからかな」
そう言った彼女の横顔は、何処か違う世界を見ているようで、泣きだしそうにも見えて。目を離すと、そこから消えてなくなるのではないかと、そう思わせるモノがあった。
「音楽のことはよく分からないけれど、吉さんのそれはきっと素敵な事よ」
「素敵かな?」
「私なんて下心満載な理由からだもの」
「たしかに、喜多ちゃんのと比べたらマシなのかもね」
「こらっ!」
怒ってますとアピールすれば、それに対して困ったような微笑みでかえってきた。顔が良い。許す。
「あ、ここがいいかな」
彼女の言う良さげな場所が見つかったようで、進めてきた歩みを止めた。
辿り着いた場所は、大通りに面した広場。通りとは違い人も疎らで、路上ライブをするにはうってつけの場所と言える。
「よっと」
ギターケースからギター取り出す。現れたのは黒と金色で彩られたギター。
大きな黒のケースからは重厚感のある大きなスピーカーが……アンプっていったかしら。
そして足元には機械が沢山ついたボードが敷かれていた。
「まぁ適当に弾くけど、軽い気持ちで聴いてね」
「はい……というか、いいのかしら?ほら、許可とか必要なんじゃ」
「ふふ、しーらないっ」
「えぇ!?」
──ジャーン
「何も考えなくていいよ。ただそばにある演奏に心を傾けて」
ギター弄り。機械を弄る。
流れるように調整終えた彼女は、顔上げて私に言うのだ。
「それがロックだから」
「ロック……」
「それじゃあ、いくよ?」
演奏が始まった。
最初は緩めになのか、スローペースが目立つ演奏。
けれど、彼女の繊細な指捌きからなる音は、心に寄り添うかのような、暖かな気持ちになる音だ。
(吉さん、とってもギター上手なのね)
瞳を輝かせ、彼女の方を見れば、彼女は演奏で応えてくれる。
心安らぐような、せせらぐ演奏。なんだか疲れきった心身を洗われてるような、そんな感じがする。
通りの人達も若干だが足を止めて聴いている者もいるようで、感嘆の声がちらほらと上がっているのを自身の耳が認識した。
やがて人が多くなってきた。その時。
彼女の瞳が渦巻いたような気がした。
──ギッ
今のは……?
気のせいではない。違和感を感じる。
演奏は変わっていない。何かだ。何かが変わった。
周りを見れば他の人達も何かを察知してざわついてる。
誰でもない誰かでも気づける違和感。
「何が──」
──パチン
演奏は、唐突に一変した。
別人になったのではないかと錯覚するほど、彼女が纏う雰囲気の変化。
立ち止まる通行人も明らかに多くなった。
さっきまでは色々考える余裕があった。しかし今はどうだろうか。頭の片隅から片隅までを鈍器で殴られたような衝撃が脳髄に響いている。彼女の一挙手一投足に視線が吸い込まれた。
それは輝きを放つ大樹かのように尊いものに見え。
それは色香を纏う
歓声が上がる。
沸騰による高熱。際限のない興奮が辺りに撒き散らされている。
演奏のボルテージが上がっていく。そしていつの間にか、彼女を中心に円形の隙間が生まれていた。
そして、はたと私は気付いた。
ここはもう、彼女のステージなのだと。
────
──
「なに?この人だかり」
「誰かのゲリラライブとか?」
「火事?」
「なんか音聞こえる……?」
「見に行ってみようよ!」
人は集まる。
野次馬精神。
集団心理。
好奇心。
恐怖心。
様々な理由をもって、自分を正当化し、広場に集まっていく。
そして彼女の音を聴いた瞬間。
「─────ッ!?」
その全てを蹴散らされる。
吉は理解している。
音楽の隙を。
喜び。
怒り。
哀しみ。
楽しみ。
感情の起伏。意識の波状。彼女、彼らのツボをついた演奏。
ようするに、
なにをどうすればいいかが分かる。
ここ。
──パチン
ここ。
──パチン
これは吉に与えられた、祝福。
持って生まれた技能だ。
気づいたのは今から10年前の事。齢六歳にしてギターに触れた時。彼女は直感的に悟った。自らの呪いともいえる祝福を。
まず最初に、母親に演奏を聴かせた。母親は、喜んで、微笑ましく彼女の演奏を聴いた。
初めに普通の演奏を、そこから徐々に感覚を研ぎ澄まして、そして……
喜。母親は喜んだ。誰かの生誕を祝うかのように。
怒。母親は怒った。片割れを奪われた半身かのように。
哀。母親は哀しんだ。大切な者の死を嘆くように。
楽。母親は楽しんだ。遠い日の思い出をなぞるかのように。
吉は、自分を異質なモノだと改めて認識した。母親もまた、娘を異質なナニかだと認識するようになった。
結果。彼女は孤独となった。
──ギリッ
ギターの音に紛れて歯軋りが混ざる。
自身の愚かさが招いた結末。または裏切られた激熱。怒りが溢れそうになるのを彼女はなんとか堪えた。
そしてフラストレーションを爆発させるかのように彼女は
喜怒哀楽ではない何か。狂えるほどの激しい情熱を弾き飛ばす。
今現在、彼女が振り回しているもの。それは。
──狂熱。
自暴自棄ともいえるその激情を、彼女は見事に御してみせていた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
耳を
吉は狂気的に口角を上げた。
久しぶりに人前で見せた演奏。だからか、彼女はハイになっていた。
警官が駆けつける。
構わない。この人だかり、彼女には近づけない。
今、この場を支配しているのは。吉あみである。
演奏が終わるまでは、何人たりとも邪魔はさせないとい意志が音となって伝わった。
一切合切が彼女の音に支配され。
熱風が伝わる。
瞬きなど不要。
目を開け。
声を上げろ。
心に染みつかせて、
そして溺れろ。
──パチンッ
「──────────ッッ!!」
絶叫が迸る。
人が倒れている、失神でもしたのか。
けど、そんなもの知らない。
もう、止まらない。
最高潮のそのまた先へ。
──
─
─────
─────────
─────
─
──────
─
─────────────
民衆も
警察官も
喜多郁代も
そして吉あみも
皆等しく、どうしようもなく、脳を痺れさせていた。
────
──
余韻が過ぎ去っていく。演奏の終わりだ。
興奮冷めやらぬ、鳴り止まぬ喧騒の中。
吉はステージから身を乗り出して、喜多の前へと移動した。
「さて、二人で逃げよっか」
いつの間にか撤退の準備を終えた彼女はそう言った。先程までの暴風が嘘であったかのようにけろりと。
「あ……えっ?……」
劇物にあてられぼーっとする意識の中、赤髪と水色の月を眺めて、喜多は目の前に居るのは吉だと認識した。
「ほら早く、行くよ?」
かちゃり。意識が覚醒する。
手を引かれ、人混みを早足に歩くが、不思議なほどに干渉されない。あれほどの熱狂を生み出した本人とは思えないほどに無干渉。
誰にも邪魔されず、人と人との隙間を縫うように歩みを進めた。
スローモーションにも見える周りの景色の中、彼女だけの姿がハッキリとしていて。いつもは無表情が目立つその顔に咲いた無邪気な笑顔が、とても綺麗で尊いものに見えた。
「ねぇ喜多ちゃん。少しは参考になったかな?」
「あ、はい。あの、何て言ったらいいのか……凄く、すごく素敵だったわ」
素敵。そんな綺麗な言葉で片付けてもよいものだっただろうか。
あれは……そう、狂気だった。聴いていると自身の歪みからドロリとした何かが溢れていくような、そんな感覚に陥る。
だって今も、目の前の彼女をどうにかしたい衝動に……
「ふふ、それは良かった」
微笑みで、正気に戻る。
「これで喜多ちゃんも一歩前進だね」
「そう、かな?」
二人でしばらく歩いていると、別の通りに出る。
そこは別世界かのように静かで、吉さんの声がよく響いていた。
「時間があればあの二人の所に一緒に行こうかと思ってたけど。ごめんね、思ったより熱中しちゃった」
「いえ、全然。それに私、まだ覚悟ができてないというか……お二人のことを裏切って、本当に許してもらえるのか不安で」
「あれ、そうなの? 私はてっきり、光のパワーでなんとかすると思ってたんだけど」
「光のパワーって……吉さんは私のことなんだと思ってるのかしら」
陽キャ。と彼女は簡潔に答えた。
なんだかおかしな偏見を彼女がもっていることを理解した。
陽キャは陽キャなりに悩みがたくさんあるのよ、と言うと。へぇーと、まぁテキトーな返事をした。吉さんって、たまにこういうところあるわよね。
「まぁ二人のことは心配しないで。きっと大丈夫だから」
「本当かしら」
彼女が言うとなんだかもっと不安になってきたような。
演奏をしていた時の激烈はどこにいったのか。今のぽわわんとした彼女を見ながらそう思う。
「さて、そろそろ駅に着くし、今日はもうお別れだね」
「あ……そうね」
名残惜しくも別れの時間が迫っていた。
僅か遠くの方には人だかりが見えていて。等身大の人とミニチュアの人、遠近感による距離感が、別れまでのタイムリミットを表していた。
「吉さん、私……立派なギタリストになれるかしら」
「喜多ちゃんの場合、ボーカリストの道も待っているよ」
「うっ、そうね……私、弾きながら歌わなきゃいけないのよね」
目標は遥か先。道半ばどころか、最初で
「大丈夫だよ。喜多ちゃんは凄い子だもの」
「吉さん……」
「私が保証する」
そう言って吉さんは私の頭を優しく撫でた。
むぅ、なんだか子供扱いされてるような気が。
恥ずかしさを誤魔化すように私は決意を表明する。
「吉さん、私頑張るわ!」
「うん?頑張ってね」
「もっと!心を込めてっ!」
「頑張れ喜多ちゃん。負けるな喜多ちゃん」
「はぁ……」
しっかり無表情。
なんだか締まらないなぁ。
「えーと、じゃ、気をつけてね喜多ちゃん。夜は怖いから」
「うん。じゃあ……またね吉さん」
「また」
締まらない最後だった。けど、
後ろを振り返れば、赤髪がゆらゆらと揺れる後ろ姿が見える。
熟した林檎のような赤を見て、美味しそうだなぁと、私はそう心の中でこぼした。
────
──
遊びに来ているリョウと一緒にテレビを見ていると、不意に携帯から、通知が来たことに気付く。
「あっ!喜多ちゃんから連絡来てるっ!」
「……本当だ」
リョウもそれに気づいたようで。驚きからか、平行線の目元が少し開かれたように感じる。
「えー、明日大事なお話があります、だって!」
「脱退するとかだったらどうする?」
「うーん……えへへ、どうしようか。何も考えてないや」
「そうなったらバイトリーダーに頑張ってもらおう」
「あみちゃんに頼むのは最終手段。喜多ちゃんを信じようよ」
────
──
「……」
「お姉ちゃんおきてー。ふたりと遊んでー」
「お姉ちゃん今忙しいから……」
「寝てるだけじゃーん!」
ピンクがアップを始めたようです。
※誤字脱字報告ありがとうございます。