星暦2029年 夏の43日 火の日 早朝
開拓が遅いペレーハ村にも四季が何度も巡るが、その景色は一向に変化はない。だけど、それもまたこの村の1つの良い所なのだろう。ナエナちゃんが住んでいた家に新たな家族が住み、村は変わることの無い平和の時が流れる。小さかった村の子供たちはすくすく育ち、その大半が村を出て仕事をし、残りは村で家業を継いでいる。因みに俺は後者だ。
花たちの世話が年々楽しくなり、今では魔法よりも好きになった。引きこもりの俺にとって花屋は天職だったかもしれない。今年で17歳になり、今日もいつも通り中庭にて花たちの世話をしている。何度見ても飽きないその色彩にいつも心を和ませる。
「アスタ~、そろそろお店を開けるわよ」
「分かりました。すぐ準備します」
母さんが呼びかけ応じて、すぐに中庭から離れて『花屋サーネス』の店内へと移る。
準備を終わらせて時間通りに開店をする。でも、すぐにお客さんが来店するわけではない。お客さんが来るまで箒で店前を掃除したり、陳列させた花たちの具合を確認したり、台を雑巾がけなどして店内清掃などをする。これら全てが俺1人の仕事である。母さんは俺の昼食の時に代わりに店番をしてくれるが、基本店にはあまりか顔を出さない。朝は俺の代わりに庭の花たちの手入れをし、昼過ぎから食材の買い出しに行ったりする。
来店するお客の人数は日によって違う。十数人以上くらい来店してくれれば良い方、少なくて5人くらいの日もある。ペレーハ村で花屋はうちだけのせいか、うちの花は人気があり観賞用として買い寄ってくれる。4年前、近所に住んでいたナエナちゃんのお母さんもよくうちの花を買ってくれた。
おっと、大切なことを言うのを忘れていた。なんとこの俺アスタ・サーネスは、去年にて『花屋サーネス』の店長になりました!
去年、俺の仕事ぶりに評価して父さんは『花屋サーネス』の店長の座を譲ってくれた。
これは素直に嬉しかった。毎日頑張っていることを正当に評価してもらえるのは。そして父さんは俺にここの店を任せると、近くの街で新たな店を建てて出稼ぎに行った。所謂、単身赴任だ。高齢者になった時のためにお金を稼ぎたい、という動機らしい。移転の際にペレーハ村の土を数十キロ程、街に持って行ったおかげか花の養殖に上手くいっているそうだ。そのおかげで街での売り上げはうちの倍以上。
唐突な家族会議で出稼ぎすると聞いた時は驚いたが、俺たちは特に反対しなかった。寧ろ、思い切った行動に応援の言葉を送った。当然母さんも反対はしなかったが、一方で別の心配していた。
「浮気をしたらどうなるか……分かっているよね?」
何故に浮気の疑い!?
その迫力ある表情と言い方に、俺たちは氷魔法を食らったかのように背筋が凍り固まる。父さんはすぐさま首を縦に振り、俺は心の中で何度も「ヤバいヤバい!」と連呼した。この時の父さんは立派な体格が小さく見えた。
優しい母さんでもあんな顔するんだな……怒らせないようにしよう。
街での花屋の売り上げの詳細は資料として週に1回で送られる。その計算と管理は俺に任されている。送られるのは資料だけではなく、母さん宛の手紙も一緒にある。あの日の迫力の効果なのか、欠かさず毎回ちゃんと書いて送られてくる。母さんは手紙を読むと嬉しそうに微笑み、部屋で大切に保管している。
偶然一度だけ、母さんがテーブルに放置した手紙を読んだことがあった。その内容は母さんへの愛のポエムであった。なんとも痛々しい、ある意味知りたくない親の一面を除いてしまった心境になった。恐らくこれで浮気してないという証言のつもりだろう。そんな手紙を毎回真摯に読み切る母さんの表情もまんざらでもない。
結局は仲の良い夫婦ということだ。
「おはよう、アスタくん。朝から頑張っているわね」
開店して1時間ほど経つと、3人の奥さん方が来店してくれた。
「いらっしゃいませ」
「いつものお花、お願いできるかしら!」
「分かりました」
この人たちはうちの常連さんで、いつも観賞用の花を買ってくれる。なんでも各々の家には足腰の悪いお爺ちゃんお婆ちゃんがいるらしく、その人たちのために花を用意しているらしい。安いとはいえ定期的に花を買って交換してあげるなんて優しい人たちだ。
いつも買ってもらっている花を簡単に包装していると、1人の奥さんがとある話題を持ち出した。
「あっ、そうそう!ちょっと聞いてよぉ~。昨晩、うちの主人がおかしなことを言っていたのよ!」
「おかしなこと、ですか?」
「そうなのよ!昨日、主人が草原に出る門の門番している時に、遠く離れていてよく見えなかったらしいけど、草原にゴブリンの姿を見たって言っていたのよ!」
「草原にゴブリン……!?」
奧さんの話に耳を疑った。確かにおかしな話だ。
草原に出られる門である西門には、モンスターが近寄れない魔除けの効果がある魔石が埋め込まれている。魔石はかなりの年季ものらしいが、その効果まだ健在のはず。
子供の頃、よく草原で散歩していたが奥の森からゴブリンの姿どころか動物の影さえ見たことはない。これは村中が実感している事実。だから草原にゴブリンが出たなんて普通だったら信用できない。
「……そのことを村長には?」
「や~ね、言えるわけないでしょ!そんなのうちの旦那の見間違いに決まっているわよ!どうせ仕事の合間に飲んで酔っていたんでしょ!そんなことで一々村長に言えないわ!うちの主人も村長に言おうとしたから力ずくで止めてやったわ!」
「主人は話そうとしたのですか?」
「ええ。もう本当に大変だったんだから。「間違えなく、ゴブリン1体見たんだ!」ってうるさくてね。この村は、生まれた時からモンスターが近付いたことがないっていうのに、ホントバカな人ね~」
そう言いながら奥さん方は大きく笑う。
こうしてゴブリンの話題は特に気にされることなく次の話題に移り、店内で大いに盛り上がった後に3人は会計を済ませて商品を持って店を出た。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「今日もありがとう。またね」
それにしても……まさか私生活でゴブリンっていう単語を聞くとは。本当に見間違えか?遠目で分かりづらかったとはいえ、普通ゴブリンと誤認するとは思えない。
逆にゴブリンではなかったとしても、草原に何かがいた可能性はある。話的にちゃんと確認していないところを考えると、村の者だという線は薄い。それじゃあ一体……。
「おはよう、アスタくん。また花買いに来たよ。……アスタくん?」
奥さん方を見送ってからずっと動かない俺の横に新たにお客様が来てくれた。さっきの話題に集中してしまったせいで、声を掛けてもらうまで全く気付かなかった。
「す、すいません!ちょっと考え事がありまして……。いらっしゃいませ、いつもの花でいいのですか?」
「そ、そうだけど……大丈夫?疲れているのなら、今すぐに休んだほうがいいんじゃないの?若いからって無理はダメだぞ」
「ご心配ありがとうございます。俺はこの通り問題ありません。すぐに用意しますので少々お待ちを」
ゴブリン、ゴブリンかぁ……。まあ俺はただの花屋の店長、本当だとしても何もできない。……ダメだ、今は店に集中しよう。
◇
星暦2029年 夏の43日 火の日 夕暮れ
毎日やっていることに慣れたせいか時間はあっという間に過ぎ、ふと掃除しようと店の外に出ると太陽は沈み始め空は赤くなっていた。
今日も無事に終えたと、その太陽を見ながら大きく背伸びをする。
「ん~~~!もう閉店の時間か。時間の進みが速く感じるな」
一息ついた後、俺は『花屋サーネス』を閉店させる。店の戸を閉めて、余った花を庭へ運び、今日の売り上げである会計表の全てを家へ運ぶ。その後は風呂に浸かり、母さんが作ってくれた夕食を食べ、そして父さんがしていた様に売り上げの計算をする。前世の義務教育のおかげで足し算掛け算が難なく熟せる。初めてペンを持った時は、自分でも何を書いているのか分からない程に文字や数字は汚く歪だった。毎日書いている今では、すらすらと綺麗な字で書けるようになった。
今日の売り上げはそこそこ、平均くらいだろう。この店だけの計算だから作業はすぐに終わった。資料を片付けて俺は先に自室へ向かう。
「おやすみ、アスタ」
「おやすみなさい」
まだ居間で寛ぐ母さんにそう言って階段を上がる。
自室に入ってベッドに腰を掛け、遠くを見つめる様に窓の外を覗いた。街灯が少ないペレーハ村の夜は王都と比べて暗いが、他の家と月明りで点々と光を放して田舎ならではの景色を造る。そんな夜景を見ながら、俺はとある事を考えていた。
それは、あの草原にゴブリンが出現したという話題である。いざ思い返すと気になって仕方がない。この村に生まれてから約17年、ゴブリンどころか他のモンスターすら出現した話なんて聞いたことはない。
ゴブリンか……。ファンタジーな世界にはありがちなモンスターだな。やっぱりアニメみたいに緑色の体なのか?……いや、そんな事はどうでもいいか。重要なのは、“本当に草原にゴブリンが現れた”という事実確認するべき、だな……。
そう思いながらベッドから立ち上がって、机の上に置いてある本の山積みから分厚い一冊の本を取り出す。これらは屋根裏に置いてあった母さんの私物で、今でも借りて読ませてもらっている。
本の表紙は『モンスター図鑑』。文字通り現段階で発見発覚されているモンスターの種類と性質について、ある程度ではあるがその情報を記している。以前、興味本位で読んだ時にゴブリンに関する情報があったはず。とりあえずゴブリンとはどういう生物なのか確認するために、この分厚い本を数十ページ程ペラペラめくる。
ゴブリンゴブリンゴブリン……あった、これだ!えっと、ゴブリンの性質は……余程の事態ではない限り単体で行動しない。最低でも5,6人以上の集団で狩りをする。つまり1体いるということは少なくとも近くに4体以上はいることになる。しかもゴブリンは肉を好んで食すうえに好戦的で、他の生物を発見したら攻撃して喰らうらしい。それは獣や他モンスターだけではなく、俺のような人も例外ではない。
「……あれ、これって思っていた以上のヤバい事態になっている?」
事の重大さ気付いてしまい青ざめる。草原に遊びに行った村の住民が運悪くゴブリンたちと遭遇してしまい襲われてしまう、という最悪な未来を想像してしまった。あまりに残酷なヴィジョンに一度息を呑む。
誰かに相談した方が……ダメだ、奥様方と同じく信じてもらえないだろう。そもそも本当にその門番さんの勘違いだったかもしれないし……。だけど万が一、本当だとしたら……。てか何でゴブリンが急に森から出てきたんだ?そもそも俺が考えて何かできるのか……。
いや……考える理由なんて明白。確かに怖いことは嫌だ……でも、村の誰かが傷付いて怖い思いをされる方がもっと嫌だ!なら、俺ができるのは……。
ベッドの上で黙々とゴブリンについての対策を考え続けている時、ふと拳銃の形にした右手を見つめる。とある案の1つだけ思いついた。しかし、それを実行しようとする勇気はない。歯軋りする程、口の中の噛み締め、左手でその右手首を力強く握り、そして苦悩した。
他の家の光が徐々に無くなっていき、最後は月の光だけがペレーハ村を照らす。確証の無いゴブリンの話題に、俺は永遠というほど悩み続ける。
◇
星暦2029年 夏の44日 水の日 早朝
いつも通りの時間に起床して俺は母さんと朝食を食べていた。
昨晩はなかなか寝付けられない程の苦悩に悩まされたが、今は大分気持ちも落ち着いている。
「ごちそうさまでした。……母さん、少し相談があるのですが」
朝食を食べ終わり、まだ食事している母さんにある要件を言おうとした。いきなり改まったことに母さんは少し驚いている。
「どうしたの、急に?」
「実は今日……お店の方を母さん1人でお願いしたいのですが……」
今日の店番を母さんやってくれないかと、そう提案した。
昨晩、苦悩の末に導いた俺のやるべき行動は、ゴブリンが出たという森の調査。いつまでも確信のない恐怖に怯える日々を過ごすより、その真偽を確かめて安心した方がいい。だから、その調査のためにも今日の店番を休ませてほしい。
「また唐突ねぇ。別にいいけど、何かあったの?」
「少し花の研究がしたいと思ったのです。いつも使っている草原の土だけじゃなく、奥の森の土も回収して試してみたいと思って」
素直に「ゴブリンがいるかどうか探索がしたい」とは流石に言えない。心配性な母さんのことだ、必死に止めてくる姿が目に浮かぶ。なんとか適当に思いついた理由で押し通す。
「森まで行くの!?……休日まで待てないの?それだったら私も手伝えるのだけど……」
「花の研究なので早いうちにやっといた方がいいかなと思って……ダメですか?」
母さんは一旦食事を止めて深く考える。
一応この店長は俺だが、店だけでなく家の物事に関する決定権は母さんにある。もしここで拒否されてしまったら、諦めて休日までに待つことになる。だけど、この店の休日は毎週の光の日。今日からだと約7日後、あまりに時間がある。
顔には出さないように、母さんが承諾してくれることを願う。
「う~~~ん……毎日仕事頑張ってくれているんだし、いいわよ!その代わり、今日はあなたが庭の花たち全部に水やりしてよね!」
「分かりました!ありがとうございます!」
そうと決まれば急がなければ。すぐに食べ終わった食器を片付けて、そのまま庭に向かう。確かにゴブリンのことは気になるが、俺の勝手な事情で花たちの世話を疎かにはできない。1つ1つ丁寧に状態の確認をして水と肥料を撒く。因みに今日の水やりは魔法を使わず、庭の端に置いてあるじょうろを使った。もしもの時に備えて魔力を温存しとおく。
花の種類や数は多く、全ての確認と水やりに1時間近くまで掛かってしまった。しかし、これで母さんとの約束は果たした。じょうろを片付けてから家に入り、身支度をするため自室に駆け込む。
さて、何を着るべきだろうか……。俺の服はごく一般的な物だし……何枚も重ね着をするか?……夏にそれは不自然過ぎるな。変な格好すると勘繰られてしまいそう。……いや、別に戦うつもりで行くわけではない。あくまで目的は、本当にゴブリンがあの森に生存しているかどうかを確認するだけ。居たとしても隠れながら遠巻きで確認すればそれでいい。寧ろその後、すぐに村に逃げるのだから軽い普段着の方がいいはず。
一応、念の為にステータスの確認でもしておこう……。
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アスタ・サーネス
種族:人族
性別:男
年齢:17
状態:健康
《適正魔法一覧》
・水 ・無
《熟練度一覧》
・射撃術 3
・歩行術 3
・水魔法 5
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体調管理ついでにステータスウィンドウを全開で開く。
実はクミル叔父さんとの訓練のおかげで《熟練度一覧》に【射撃術】が新たに追加された。文字化する情報量が増えたおかげで、俺のステータスウィンドウは以前よりも若干だが大きくなった。
うん……特に問題なし!以前と全く変わりないな……悲しい程に。まあ毎日、魔法を使ってきたわけじゃないから当然といえば当然か。
それにしてもレベルが低い。これじゃあ仮にゴブリンと遭遇して襲われでもしたら、撃退なんて出来るわけもない。だけど対抗手段はある。クミル叔父さんから伝授してもらった……【アクア・ピストル】が!
3年前、結局5日間にかけて教わったがクミル叔父さんのような速度までの上達はできなかった。しかし、その飛距離は初めて成功させたものと比べて、今は10m先まで直線に撃てる様になった。流石は攻撃魔法なだけあって殺傷能力も十分。至近距離で大木に撃てば、その痕は深く残っていた。
命中率はまだまだだが、ゴブリンに遭遇しても【アクア・ピストル】で威嚇射撃程度にはなるはず。モンスターとはいえゴブリンも生物。自分の身に危険を感じれば、すぐに攻撃してこないはず。それに乗じて全力で逃げる。仕事をしてきたおかげで、体力は子供の頃と比べてマシになった。少なくとも草原から村まで走り切れる。これが昨晩、俺が考え着いた策だ。
疑われないように普段着に着替えて、庭にある土の回収に必要な麻袋とスコップを手に取る。これで準備万端。
「……母さん、急なお願いなのに聞いてくれてありがとうございます。それじゃあ、行ってきます」
少しずつ高鳴っていく鼓動を顔に出さないようにし、食器の洗い物をしている母さんにそう言ってから家から出た。
「いってらっしゃい!あんまり、森の奥まで行かないのよ!モンスターとかいるから気を付けてね!……まあ、慎重なあの子がそこまで行くわけないよね」
そんな俺の背中から母さんは見送りの言葉をかけた。
最後に母さんは小声で何か言ったが、全く聞こえなかった。