家から西門まで真っ直ぐ歩いて向かい、今日の門番さんに軽く挨拶してから草原に入った。今日は夏の日照りが一段と感じる快晴。これからゴブリンの調査という気分じゃなければ、草原で寝転んで日向ぼっこしたい程の良い天気だ。
そういえば、こんな晴天の日に草原に来るのはいつ振りだろう?少なくとも仕事を手伝うようになってから自分から来ることはなくなったな。最後に来たのは……ナエナちゃんの引っ越しの前日だったな。約4年ぶり……そう考えると懐かしく感じる。
今日は珍しく人が全くいない。平日でも子供や老人たちが数人くらい遊びや散歩とかで来ているのに今日は誰一人いない。静寂とはまさにこのことか。……いや、状況からしたら嵐の前の静けさ、っていう表現でも間違えないか。
黙々と数十分間歩き続けると森の手前に到着。
快晴のおかげで森の中は入る前から明るかった。ここまで冷静でいられたが、いざ森に侵入となると不安と恐怖の感情が出始めた。
落ち着け……落ち着け……。俺はいるかどうか確認だけしに来ただけ。もしゴブリンに発見して、万が一向こうからも見つかったら逃げればいい!攻撃魔法が使えるからって無理に戦う必要はない!村に帰ったら村長にすぐ直談判すれば解決する!証拠とか用意できるとは思えないけど……きっと信じてくれる……はず。
心臓の鼓動を深呼吸で少しずつ落ち着かせる。麻袋をズボンとベルトの間に挟み、肩で担いでいたスコップを両手で持ち直し、森の奥へと足を踏み入れる。
草原を中心にペレーハ村と対照的な位置にあるこの森には滅多に人は入らない。理由は単純、獰猛な獣がいて危険だから。大人でも力負けしてしまう獣が多く生息しているらしく、余程な理由がない限り奥地へと向かわない。だが、そんな危険な森なだけあってモンスターもなかなか近寄らないそうだ。獣も森から出てくることはなくペレーハ村は今日まで平和に過ごせられた。
そんな危険地帯に自ら入り、抜き足差し足と足元の草に音を立てないようにして、ゆっくりと森の中を探索している。北東門を出てすぐの森の木とは違い、ここの木は地面から根っこが剥き出しになって一本一本太くて通りづらい。それでも慎重に、尚且つ冷静に周囲を警戒しながら前へと進む。
今のところ……特に変わったものはない。叔父さんと魔法の練習した森ともあまり似ていないけど、ここも話で聞いていたより普通の森だな。村の大人たちが散々危険だって言っていたから、てっきり荒々しい獣の爪痕とかがそこらにあると思ったけど……寧ろ、活き活きと木が伸びてある綺麗な場所だ。
……つい一瞬、気を緩めそうになった。確かに景色は綺麗だけど、ここにはゴブリン以前に獰猛な獣がいるのだった。時間帯的に間違えなく活動している。ゴブリンだけじゃなく、獣にも注意して……。
ここでとあるモノを発見してしまい、進む足と思考を止めてしまう。ハッと凝視してしまい、呼吸を止めてしまう程の驚愕を覚えた。
それは、目前にある木に刻まれた長い鉤爪の跡である。俺の胸辺りの高さで荒々しい跡が、その奥には数本の木に刻まれてある。これは決しても獣のものではないとすぐに解った。だからといってこれがゴブリンのものとは思えない。いくらなんでも、その跡が深すぎるから。
なに……これ……!?本当に生き物の爪痕か?!こんな傷を付けられる生き物がこの森にいるのか!?しかも傷の付け方1本1本少し違う!?ヤバい、これは想像以上にヤバいッ……!
とんでもないモノを発見してしまい、すぐに探索をやめて森から出ようとした瞬間、遠くの方の草むらがガサガサと揺れる。風によるものではない、間違えなく何かがそこにいる。
咄嗟に近くにあった木に隠れて息を殺す。隠れる際に草の音を立ててしまったせいか、草の揺れる音は明らか俺の方へ近付いて来ている。俺の心臓は今にも爆発しそうなくらい鼓動が早くなり息も荒くなってしまう。
ヤバいヤバいヤバいヤバいッ……!!ゴブリンか、それとも猛獣かッ?!どっちにしてもヤバいッ……!俺……襲われるの、食われるの、殺されるの?!……やるしかない……やるしかないッ!!
半ばやけくそになり、両手で持っているスコップを握りしめる。
徐々に近付いてくる揺れる草の音。荒れてしまう呼吸を整え、音が木の隣まで来た瞬間、スコップを大きく上に振り上げる。
……今だッ!!
スコップを力強く振り下ろした。すると鈍い音と同時にスコップから何かに当たった感触が伝わる。しかし、それはかなり低い位置にある。スコップの先にあったのは倒れている小さなウサギだった。ただのウサギではない。額に位置する所から、鋭い角が生えたモンスターだ。
えっ……これって、ホーンラビット!?『モンスター図鑑』に載っていたから絵と全く一緒だ!まさかこんな生物まで、この森に生息していたなんて……。いや、そんなことよりもヤバいッ……俺のせいで死にかけている!?
碌に確認もせずに会心の一撃を入れたせいでホーンラビットはまさに瀕死状態になっている。その小さな身体をピクッピクッと小刻みに揺らして今にも息を絶えそうだ。
明らかに無害そうなモンスターを攻撃してしまい、内心パニック状態になった。しかもホーンラビットの象徴である一本角が折れている、間違いなく俺のせいだ。根元から折れた角は地面に転がり、ホーンラビットの頭から出血している。強い罪悪感を抱きながらも、言葉が通じるか分からないが、とりあえず声をかけてみる。
「ごめん、大丈夫……」
そう言いながら隠れていた木から少し出てくると、ホーンラビットの後ろに緑色の体の化け物が立っていた。すぐ目の前だ、手を伸ばさなくても届く距離。その化け物と目が合いと、驚き、恐怖し、そして一瞬理性が吹っ飛んだ。
間違えない、この化け物こそ俺が探していた……ゴブリンだ。
「うわぁぁぁぁぁああああああ!!」
これほど発狂するは生まれて初めてだ。あまりに唐突な対面に叫ばずにはいられなかった。頭より身体が先に反応してしまい、叫びながらスコップを大きく横に振ってゴブリンの顔面に強くぶつける。またも鈍い音が響き、ゴブリンはあまりの激痛に奇声を上げながら顔を両手で覆い膝から地面に倒れる。スコップの当たり所が悪かったのか、手の隙間からポタポタを血が流れている。
冷静になって情報を整理したいが、現状は俺に一瞬の休息さえも与えてくれなかった。攻撃した拍子で体を木から完全に出てしまい、そこからゴブリンの後方を見ると、他にも数体のゴブリンの姿があった。目視する限り5体はいる。そのゴブリンたちも俺の存在に気付き、完全に視線が合ってしまう。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいッ!!逃げなきゃッ、すぐにこの森から逃げなきゃッ……!?
すぐさま来た道に沿って森の中を全力疾走で逃げ出した。
そんな俺の行動に反応して、ゴブリンたちは既に装備していた木の棍棒や石槍を片手に追いかけてきた。仲間の仕返しのためか、それとも俺を食うためか、その目的は必死に逃げている俺に考える余裕はなかった。スコップを脇に挟みながら片手で持ち、空いた片手で草木を払い除けて必死に逃げ続ける。
ゴブリンの体格は17歳の俺のより一回り小さく、少しずつ距離が離せてきている。一瞬だけ後ろを振り向くと、この状況を楽しんでいるのかゴブリンたちは不気味な笑みを浮かべて追いかけている。何をされるのか分からない不気味さにより恐怖感を募らせてしまう。だけど、そんな全速力で逃げ続けたおかげで森の出口、草原が見えてきた。
やった、草原だッ!障害物の無い草原なら、体格差で逃げ切れるはずッ!?もし草原にまで出てきても叫び声を上げれば、門番の人が助けてくれるはずッ!これで助かった……。
そう心のどこかで勝手に安堵した。しかし、この油断が命取りになってしまった。草原に視線を取られ後ろの警戒を怠ったせいで、ゴブリンが投げた石槍に気付けなかった。石槍は俺の左脚の脹脛に深く突き刺さった。
「あぁぁぁぁぁあああああッ!!イ、イッテェェェェェッ!!あ、足がッ……!?」
突然の激痛に荒げた声を出しながら前に倒れる。全身に激痛が伝播し、息は荒げてしまい涙目になってしまい。左脚を抑えてなんとか逃げきようと試みるが、あまりに深く刺さってしまったせいでより痛みが増し、直ぐにこの場から動くことはできない。だが顔を上げると、ゴブリンがすぐそこまで迫って来ていた。
より不気味な笑みを浮かべながら迫ってくるゴブリンに絶望する。だけど生存本能によるものによるのか、ふと視線は迫ってくるゴブリンから自分の右手を移った。
いや、まだ……これがあるッ!!
脹脛の激痛に耐えながら上体だけでも起こし、【アクア・ピストう】が発動しやすい体勢へと変える。こんなパニック状態で正常に魔法を発動できるかは分からないが、それでも悪足搔する。
迫って来るゴブリンは5体、そのうちの戦闘で走っている1体を標的にする。比較的に狙いやすそうだから。右手の銃口をその1体に狙いを定める。脹脛の痛みのおかげか、先まであったゴブリンに対する恐怖が若干薄れてきている。結果的に魔法に集中できる。
そして強くイメージした。指先に出現させた水の球が、真っ直ぐに打ち放たれるのを。水の球がゴブリンの体の中心、腹に着球することを。そう具体的にイメージしながら、荒くなった呼吸を整えて両手の震えを止め、心の中で魔法を演唱した。
【水魔法:アクア・ピストル】
「……ッ!?」
その瞬間、そのゴブリンと目が合ってしまう。
魔法はイメージ通り、そのゴブリンに目掛けて指先から水の球を勢い良く打ち放った。一瞬の恐怖のせいで、水の球はイメージとは少し縦長くなり軌道もやや上になってしまったが、それでも問題なくゴブリンに着球できる軌道だ。予想外な攻撃にゴブリンは反応しようとするが、球の速さと距離的に間に合わなかった。
よしッ!これで痛がってくれたら逃げる隙が……。
ゴブリンの額に着弾した瞬間、水の球はゴブリンの額に当たるだけじゃ留まらず、そのまま肉を突き破りゴブリンの頭を貫通した。ゴブリンは叫ぶ暇なく絶命して倒れた。
まさか自分の魔法でゴブリンを、生き物を殺すことになるとは思いもしなかった。仲間が急に倒れてしまったのに対し、残りの4体のゴブリンたちは驚いて全員その場で足を止める。何が起きたのが解らなかったゴブリンたちは徐々に表情から笑みが無くなり、ただ動かない仲間の身体をジッと見つめて困惑する。それが死体と気付いた時、明らかな動揺の素振りを見せる。そんなゴブリンたちよりも驚いていたのは、俺自身だ。
えっ……。うそ……だろ……!?何……今の……。何で……俺の魔法が……ゴブリンを貫いたんだ?……いや、考えるのは後だッ!ゴブリンたちが動揺している隙に、早く逃げないとッ……!
そう決死の覚悟を決めて脹脛に突き刺さっている石槍に手を伸ばす。
少しでも振動するだけで伝播する激痛を堪える。そして大きく深呼吸して、躊躇いもなく一気に石槍を引き向いた。
「ウゥッ……スゥゥッ……!!」
想像以上の苦痛に声を殺しきれなかった。そのせいでゴブリンたちの耳に入ってしまい、同時に俺の方へ振り向く。凝視と言うほど見つめ続けるゴブリンたちの様子に、俺は硬直して固唾を呑んでしまい。
ゴブリンたちの表情は不気味な笑みは浮かばず、警戒しているのか眉間にしわを寄せている。そして今度はアイコンタクトの様にゴブリン同士で顔を見合わせる。お互い見つめ合った後、俺を睨むのを止めて仲間の死体の両手を2体のゴブリンが掴み、来た道を引き吊りながら走って帰っていった。追いかけてきた速度と同じくらいの速さで死体を運び、ゴブリン達の姿は瞬く間に森の奥地へと消える。
助かった……のか?俺の魔法を見て諦めてくれたのか?
たった数秒で色々な事に直面し過ぎて収拾がつかなかったが、ようやく気持ち的に整理できる状況になった。しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。倒れる際に手放してしまったスコップを回収して、松葉杖の代わりに地面につきながら歩き始める。石槍もこのまま持って帰ろう。森にゴブリンがいたという証拠になる。
左脚の痛み……少し慣れてきたかも。肉が切られただけで、骨とかは無事なはず。もしこの石槍に菌とかが付いていたら……左脚を切断しなきゃいけないのかな?……いや、ここは魔法のある世界。何とか別の処置法があるはず……かも。
魔法といえば……さっきの【アクア・ピストル】は何だったんだ?イメージはいつも通りだった。あんな風にゴブリンを貫く様にイメージしたつもりはない。……まさか発動する瞬間、ゴブリンと目が合った際の恐怖っていう感情が魔法にも影響したってことなのか?だけど……そんな恐怖感だけで、今までにない殺傷力が上がるものなのか?……考えれば考える程、魔法って言うのは全く幾何学的な物だな……。
黙々と歩き続けると、ようやく森から抜けることができた。ペレーハ村までまだ距離がある。休みたい気持ちを我慢して、片足と杖で懸命に歩き続ける。
ここでふと、もう1つ気になることが想い出した。それはあのゴブリンたちが、わざわざ俺を見逃してくれたこと。魔法の殺傷力に気付いたからか、立ち上がっていた俺の姿に警戒心が覚えたのからか、その真相は解らない。今この場で解明しても仕方がないと、一旦深く考察するのを止める。