右足に重心を傾けながら懸命に歩き続け、微かにペレーハ村の西門が見え始めてきた。それを見て気持ちはホッとする。
門を潜ったらまず村長宅に向かおう。左脹脛の傷、ゴブリンの石槍を見せて、森にゴブリン数体が存在している事を直談判する。そうすれば別の街町へゴブリンの討伐を依頼してくれる。これだけの証拠があるのだ、信じて動いてくれるはず。その後はすぐに脹脛の治療をしなくては。間違えなく母さんにこの件の事をバレてしまい、今までにない程の説教を受けるかもしれない。母さんは怒ると本当に怖い、覚悟はしていこう。
痛みに少し慣れたおかげか、ペレーハ村に帰った後の事を考えて少し気を抜けてしまう。だけど、そんな安堵の時間はすぐに終わった。
「……んっ?」
何の前触れもなく後ろからズトッと音が聞こえた。何かが地面に刺さった音だ。足を止めて無警戒に振り返ると、俺は目を大きく見開いて呼吸を止めてしまう。振り返った先にあったのは、ゴブリン達から奪ったのと同様の石槍だ。石槍は俺の足と数センチ程の所に刺さっている。この距離間には明確は敵意が感じる。しかし問題はそこではない。確認するべきなのは、この石槍がどこから、そして誰の手から投げられたのかだ。
ま、まさか……。
ここまで落ち着いた心臓の鼓動は再び加速し、ゆっくり視線を上げて森の方を移す。視界に映ったのは、20体はいるゴブリン集団が森から出てきた光景であった。
ゴブリン集団は俺の左脚から出た血で着いた草に沿って、ゆっくりと追いかけていた。棍棒、石槍、素手、そして剣と、ゴブリン達は各々武器を装備している。目視されたゴブリン達は、まるでこれからゲームを始める子供の様に笑みを浮かべる。しかし、それは決して可愛らしいものではない。さっきの5体と同様の不気味な笑みであった。だが1体だけは違った。額に血を流して剣を握るゴブリンだけ俺を酷く睨み続けていた。恐らく咄嗟にスコップで攻撃したゴブリンだろう。
ヤ、ヤバいッ……!?ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!!
心境は軽く発狂状態になる。あまりの恐怖に足が竦み尻もちを着いてしまう程に。すぐにこの場から逃げようと動ける右足で土を蹴って少しでも離れようとする。不格好でも俺は生きたいと足掻いた。
ここでふと後ろを振り向いてペレーハ村の存在を思い出した。このままでは俺だけじゃなく村にも危機に及ぶとことに。
俺のせいだ……。俺がゴブリンと会ったせいで……。生半可な気持ちでゴブリンを調べようと動いたから……こんなことに。
発狂状態だった内心は一瞬で治まり、代わりに絶望と罪悪感で満ち溢れた。自分で招いた種のせいでペレーハ村に危機が迫っているという事に気付き、自分がとった行動に深く後悔する。ゴブリン達が森から出て来たのは間違いなく俺のせいだ。さっきの4体が引き返して仲間を呼んだのは、人族から攻められたと介錯して村を襲おうと決断したのだろう。
俺のせいだ……。間違いなく……俺のせいだ……。
ペレーハ村がゴブリン達に襲われる光景を想像してしまった。人数差は村の人たちの方が圧倒的に多いが、こっちはただの農民で相手はモンスター。しかも全員が武器を装備している。勝てるわけがない。村のおじいちゃん、おばあちゃん、常連の奥様方、そして母さん、みんな殺されてしまうと想像は止まらなくなり、俺は静かに泣いてしまう。
その刹那、森の方から強い風が草原に走った。その風にどこか懐かしさを感じさせる。久しく忘れていた、昔ナエナちゃんとこの草原で遊んだ時に感じた風だ。その時の彼女は、見ているこっちもが和むほど笑っていた。
何で……諦めかけているんだ……俺は……。せっかく神様のおかげでまた生きられているのに。まだ……終わらせたくないッ!俺の第二の人生……まだ、終わらせたくないッ!!
あの頃の記憶を思い出したおかげか、絶望と罪悪感が多少だが和らぎ、冷静に事を考えられるようになれた。記憶だけじゃない、恐らくナエナちゃんの笑顔おかげでもある。目元から流れる涙を拭い、ゴブリン達の方へ視線を向ける。ゴブリン達との距離はまだある。
この機に1度深呼吸をして対抗策を講じる。内容は当然、戦闘しかない。
喧嘩すらしたことがない俺が、ゴブリンに勝てるなんて想像がつかない……。でも、村の人たちが傷つくのは……いやだッ!……やらなきゃッ!俺のせいだから、ペレーハ村を、みんなを……護らなきゃッ!!
腰にある麻袋を取り出し、左手を中に入れて紐で固定する。左足の激痛にも耐えながらスコップを使って再び立ち上がる。ゴブリン達は立ち止まって警戒する素振りを見せる。だが、それでも不気味な笑みのまま自分たちの武器を強く握り、歩くペースを速めて向かってきた。間違いなく俺を殺す気だ。ならこちらも遠慮することなく抵抗させてもらう。
スコップを地面に突き立て、ゴブリン達に向けて再び【アクア・ピストル】の体勢になる。左足に負担がいかないように器用に重心を右半身に寄せて、麻袋を被せた左手でしっかりと右手首を掴み、ゴブリン達を迎え撃つ。さっきより視線が高いおかげで視野が広く感じる。気持ちが強く固まった。痛み、恐怖、罪悪感を全て一旦忘れ、ただ目の前のゴブリン達だけを考えた。
俺の様子の変化に4体のゴブリンは浮かべていた笑みと足を止める。恐らく森で【アクア・ピストル】を見て逃げて帰ったゴブリン達だろう。4体のゴブリン達はお互いアイコンタクトをして、その場から動こうとしない。魔法を警戒して距離を保つつもりか。だけどゴブリン同志の意思疎通が曖昧なのか、他のゴブリン達は特に気にせずに向かってくる。その中でも真正面に向かってくる1体だけ、唯一俺を睨みながら他より速く歩み寄って来ている。額から血を流しているゴブリンだ。相当痛みに苛立ちが湧きあがり、本当に酷く睨み続けている。
じりじりと迫ってくるゴブリン達は【アクア・ピストル】の射程距離に入ってきた。だけど、まだ撃たない。危機感や緊張感は昂っている今の心境では集中力が欠けて、普段通りの射程距離に届くとは思えない。ゴブリン達がギリギリまで近付いて確実に命中する距離まで待つ。最も近付いてくるゴブリンから狙いを付けようと思ったが、的はすぐに決まった。それは他より早歩きで進み、俺を睨み続けているゴブリンだ。
真正面に向かってくるそのゴブリンと俺は互いに睨み合う。一歩一歩、武器を持って近寄ってくるゴブリンに対し、俺は徐々に速くなる鼓動を必死に抑えるために静かに呼吸を整える。銃口をゴブリンの体の中心、腹部に狙いを定める。相手は剣を装備している、ここで失敗したら間違いなく殺される。外すわけにはいかない。
ゴブリンが十分過ぎる程の射程距離に入った瞬間に演唱する。
よし……今だッ!
しかしタイミングが悪く、演唱する瞬間に溢れてしまった俺の殺意に気付いたのか、そのゴブリンは右手に持った剣を大きく振りかぶって飛び掛かってきた。突発的な行動に反応してしまい演唱した瞬間、指先の銃口は狙いの的からズレてしまう。
【水魔法:アクア・ピストル】
さっきと同様にゴブリンに対して恐怖を感じたおかげで、発動すると水の玉はやや細長い形状になって発射された。的である腹部から大きく外れてしまったが、水の玉は運よくゴブリンの右肩に命中して肉を貫く。あまりの激痛からゴブリンは空中でバランスを崩して胸から地面に落ち、右手に持っている剣を手放した。それと同時に俺も尻もちをしてしまった。講じていた策が上手くいったとはいえ、やはり身体はゴブリンの恐怖感に正直だった。
痛烈な一撃にゴブリンは這いずり回ることさえもできず、ただその場で蹲って左手で右肩を抑え続ける。絶命まではいかなかったけど、この様子なら暫く立ち上がって攻撃することはないはず。他のゴブリン達を見ると、さっきと同じ様に【アクア・ピストル】に驚いて足を止めていた。ゴブリン達は倒れている仲間と、お互いの顔を見合う。隙ができた、これは好機。次の1体に狙いをつける。
ここで1つ、確証を得られた。俺の【アクア・ピストル】の威力を上げてくれるのは恐怖という感情だという事を。その証拠に今まで殺傷能力が低かった魔法が、ゴブリンの肉や骨を貫通する程まで上がっている。森で追いかけられた恐怖と、殺されそうになった恐怖を、今一度思い出す。今日の出来事を鮮明に覚えているおかげで容易かったが、それと同時にとても苦である。あまりにも正確に思い出してしまい、手元が震え始めた。冷静さが保てなくなりそうだ。
落ち着け……落ち着け……。
静かに深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。次の標的はもう1体の剣を装備しているゴブリンに狙いを定めて、再びイメージする。緊張のせいか無意識に両肩に無意味に力を入れて、視野を狭めてしまいながらも魔法を演唱する。
【水魔法:アクア・ピストル】
イメージ通り、魔法は先と同じ形状で発射された。しかし軌道は下方向に傾き、ゴブリンの膝に命中する。ゴブリンは大きく奇声を発しながら膝を抱え倒れた。貫通はしなかったが、すぐには動けない様子だ。またも仲間が思わぬ攻撃を受け、残りのゴブリン達は動揺を見せる。
よし、残り14体……!
更に隣のもう1体に銃口の狙いを付けた。だが、ここでふと自分の言葉を振り返った。
えっ……14体……!?
視界に映っている無事なゴブリンの数は14体。ありえない。森から出て来たのは20体、そして2体倒したから残りは18体になるはず。だけど俺の眼には14体しか目視できていない。またパニックになりそうになるが、とりあえず一旦落ち着かせて冷静になって考えた。丁度ゴブリン達もまだ戸惑っているから、少しだが時間はある。
まず消えた残りの4体は、【アクア・ピストル】の構えを見て警戒して後方で待機していたゴブリン達だ。あまりにも1体ずつ集中して視野を狭めていたせいで、後方の動きが全く見えていなかった。いつの間にか消えていた。ゴブリンも危機感を覚え、森に帰ったのだろうか。仮にそうであれば負傷していて尚且つ戦闘に慣れていない俺にとってはありがたい。
ここでようやく鳴り続けた風の音が止み、草原は静かになった。同時に俺の耳に気になる雑音が入ってきた。前にいるゴブリン達によるものではなく、俺の左右からカサカサと草が揺れる音だ。特に左の方が近い。気になった左の音の方へ一瞥する。するとそこには、横から大回りして俺の元へ走ってくる2体のゴブリンだった。
いつの間にッ!?
反対の音のする方にもすぐさま向くと、2体のゴブリンが近付いていた。突如として消えた後方のゴブリン達だ。どうやら風の音に紛れて、左右から追い込む作戦を企てていた。
ヤバい、早く魔法を……いや、上手くイメージが出来ない!
すぐさま左側のゴブリン達の方を向いて構えようとするが、急な出来事に冷静さを失った俺には魔法を発動することができない。2体のうち1体のゴブリンが、装備している石斧の間合いにまで詰めていた。
「うわぁぁぁぁぁあああああ!!」
ゴブリンは気合を込めた奇声を発しながら、俺の脳天目掛けて石斧を振り下ろす。咄嗟に麻袋を被せた左手で刃先を受け止めた。間一髪斧の刃先は届かなかったが、これは悪手だった。少しは丈夫な麻袋でも歪で尖って鋭利な石斧には勝てず、刃先は麻袋を破り左手の肉に食い込み血を出す。
手が、手がァァァァァ!!イタイイタイイタイイタイッ!!
左手から激痛は走るが、それを気にするほど今の俺に余裕はない。
斧を受け止める際に俺は背中から倒れてしまい仰向けになり、その上にゴブリンが乗ってきた。俺の腹部を足蹴にゴブリンは片手から両手持ちに変えて更に石斧に力を加える。俺も左手の後ろに右手を置いて、何とか抵抗してみせる。しかし、この状態の維持するのは非力な俺では無理だ。やがて先に力尽きて、刃先が俺の首元に来るのは時間の問題だ。しかも周りには左右から来た3体のゴブリンですでに囲まれており、自分たちの勝利を確信したのか上に乗っている仲間を手伝わずに、その場で跳ねながら応援するように踊っている。例えこのゴブリンをどうにかしたとしても、後の3体を上手くどう対処すればいいのか判らない。
絶望的な状況に涙目になってしまう。ここでふと、視界の端で何かを見つけた。それは最初に倒したゴブリンが装備していた剣だ。腕を伸ばせば届く距離。これを手に取ればまだ戦える、微かな希望が見えた。しかし両手を塞がっている。拾おうとして片手を外すと間違いなく石斧の刃先が届いてしまう。
どうにかしてゴブリンの力を抜けさせないと!うぅ、左手イテェ……ヤバい、どうすれば!?……そうだ、あれを使えばッ!
打開策を導き出した。
斧を受け止めたままの右手を、人差し指と中指をゴブリンの顔に向けてねじり、ある魔法を発動した。それはいつも使っていており、【アクア・ピストル】よりイメージがし易い魔法だ。
【水魔法:リ・シャワー】
ねじった2つの指の間から、上に乗っているゴブリンの顔に目掛けてシャワー状の水が噴出した。最高圧で噴出したおかげで水は容易にゴブリンの顔にかかった。突然の水にゴブリンは驚くと同時に眼に水が入り、石斧を手放して両手で顔を覆って俺から離れた。
今だッ……!!
ゴブリンが離した瞬間、透かさず起き上がって横にある剣を手に取り、がら空きになったゴブリンの首に目掛けて力一杯振る。狙い通りゴブリンの左手を巻き込んで、その首へ深く刺さった。ゴブリンは一瞬の奇声を上げると、剣が刺さったまま横へ倒れる。
周りを見てみると、楽しそうに踊っていた3体のゴブリン達が嘘の様に静かに固まっていた。鳩が豆鉄砲を食ったよう、とはまさに今のゴブリン達の顔を指すのだろう。次に倒したゴブリンを見ると、その身体は大きくビクビクと震えて僅かに生きていた。そんなゴブリンの姿を見たせいか、それとも死に直面したせいか、俺の心は自分で気付けていないが、何かが変わった。
俺は刺さった剣の上に左足を乗せて、ゆっくりと体重を加えて剣を更にゴブリンの首に深く突き刺した。ゴブリンの身体の震えは小刻みになり、鈍い音が鳴ると同時に制止した。その瞬間の俺の心はまさに無だ。もう何も感じていない。今の俺はただ考えていただけ。
次は……アいつ、ダ。殺ッてモ……良イよネ……?
次の攻撃対象のゴブリンを睨んだ。殺気の気付いたゴブリン達は武器を構えて戦闘態勢に入る。少し視線を横に向けると、硬直していた残りのゴブリン達も向かって来ていた。とても険しく恐ろしい表情だったが、何故か不思議と恐怖を感じない。
俺はゴブリンに刺さった剣を引き抜き、狙いを付けたゴブリンの方へ近付こうと左足から強く踏み込んだ。