星暦2029年 夏の48日 雷の日
眠りから目覚める様に意識が戻ると、俺は瞳を閉じたままどこかに横になっていた。背中の感触的に恐らくベッドの上だろう。とても気持ちよく、先までの痛みや疲労が取れそうだ。いや、取れそうというよりも身体から痛みが感じない。間違いなく重症の左脚のふくらはぎと左手からも全く感じなくなっている。まるで初めから無かったかの様に消えている。
だが消えているのは痛みだけではなく、身体の感覚もなくなっている。これは麻痺していると言い換えればいいのだろうか。とにかく思い通りに動かせない。
「……先生ッ!俺の息子は、アスタは本当にこれで助かったんですかッ!?」
視界が暗い中、渋い声をした男性の大きな声が耳に入ってきた。脳がまだ不覚醒でも分かるくらい男性は焦っていた。この声は聞いたことがある。声の主は目を閉じていても分かった。
とう……さん……?
「本当に大丈夫なんですかッ!?もう何日も寝たきりなんですッ!いつになったらこの子は起きてくれるんですか!」
かあ……さん……?
次に女性の声が聞こえた。この声も毎日聞いていたから母さんだとすぐに分かった。俺の脳は徐々に覚醒し始め、耳に入ってくる情報を整理できるようになる。
「大丈夫です、2人とも落ち着いてください。息子さんの傷は完璧に治りました。目覚めないのは疲労と魔力切れによるものだと思います。恐らく今日か明日には目覚めるので安心してください」
ここで初めて聞く声が聞こえた。父さんとは違う、若い男性の声だ。話しの流れ的に両親が話し掛けていたのは、この人だろう。
漸く眼元に力を入れられる様になり、ゆっくりと重たい瞼を開いた。視界に入ったのは眩い白色の光だった。暫く光を見なかったせいなのか、眼に痛みが走り視界がぼやける。それでも眉間にシワを寄せて、徐々に光を慣らして色の判別をし始める。
最初に目視したモノは、見慣れた部屋の天井だった。俺の自室だ。位置的にどうやら俺のベッドで寝ている様だ。次に声がする方を見ようと身体を起そうとするが、まだ身体は思うように動かなかった。首すら曲げられず、ただ小さく揺れるだけ。そんな僅かな動きに見た両親は、俺が目覚めたことに気付いてくれた。
「「ア……アスタァァァァァ!!」」
両親は眼に見える所まで近付づく。父さんは俺の右手を握りながら泣き、母さんは両手と額を俺の頬と額に当てながら泣いた。両親は先生という人の前でも関係なく大きく泣いた。
「よかったァッ……本当によかったァッ……!!」
「心配したのよ、このバカッ……!!」
両親は喜んでいるのか怒っているのか、よく分からなかった。ただ分かっているのは、2人を泣かせている原因は俺だって事。この2人には迷惑をかけたくなかった、泣かせるように思いをさせたくなかった。そんな罪悪感が次第に湧き上がり、俺も両親と同様に涙を流した。
「……ごめん……なさい……。ごめんな……さい……」
舌も上手く動かせないが、精一杯両親に謝った。
「ううん。あなたは何も悪くないわ。何も悪くないわよ」
「そうだぞ、アスタ。俺たちは、お前が無事ならそれでいい」
母さんと父さんは俺の謝罪に対して励ましてくれた。優しく受け入れてくれた両親に、俺は声を上げて泣き始めた。
◇
しばらく経つと俺たちは泣き止んだ。17歳にもなって人前で大泣きしたことに、今になって恥ずかしく感じる。
「目覚めてよかったよ、アスタくん。……気分はどうだい?」
そう先生は両親の背中越しで尋ねてきた。声から察した通り、やはり初対面の人だった。銀色の髪で村でも見たことはない顔だ。その格好はまさに医療に関わっていそうな白い服を身に纏っている。
身体はまだ動かし辛いが、気分は悪いわけではない。正確に言えば気怠さはあるが、言うほどではない。
「大丈夫……です。……あなたは?」
「僕かい?僕は治癒師をやっているオンです。キミのお父さんに頼まれて診に来たんだ」
ファンタヘルムは前世の地球と比べて、医学薬学の進捗がかなり遅れている。科学すら存在価値はそれほど高くなくあまり探求しないため、それに比例して医学薬学もそれほど発展していない。精々あるとしたら輸血や縫合の技術程度だ。
当然医学がそこまで進んでいないから怪我や病気による死者が続出するのだが、ファンタヘルムでは病気による死亡はかなり少ない。理由は単純、この世界には魔法があるから。回復系統の役割がある【光魔法】のおかげで、ある程度の内傷や外傷などを治すことができる。そしてもう1つ、上位魔法である【治癒魔法】というのが存在し、【光魔法】と比べて医療に長けており、地球では治療困難な病でも難なく治せられる。逆に失敗例が少ないぐらいだ。ゴブリンとの戦闘でかなりの重傷を負ったのに、それが綺麗に無くなっているのも納得できる。
そんな【治癒魔法】の使い手は先天的に恵まれた者にしか発動できないらしく、希少と同時に重宝されている。世間では【治癒魔法】の使い手を“治癒師”という称号と資格を貰え、各大陸の街町や王都を出向いて診ている。
ち、治癒師って……あの難病も治せる人のこと!?そんな人が、何で家に……。
何故、動揺しているのかというと、治癒師の1回の診断はとても高いといわれているからだ。安くても7桁の額が簡単に動く。つまりは、そんな治癒師が何故こんな田舎の村にいるのだということだ。
うちは所詮、小さな花屋。街にもう1店舗あるぐらいで、そんな7桁の額をすぐに用意できる程、うちは裕福ではない。2店舗の総売り上げを知っている俺だからよく知っている。そんな高額を両親はどうやって用意したのか、起きたばかりの俺には想像ができなかった。
「……アスタくん、大丈夫?少し顔色が悪いけど……」
どうやら治療費の事の考えが顔に出たようだ。先生は心配してくれるが、その理由を言えなかった。わざわざこんな村まで来て治療してもらったのに、金銭の話をするなんて失礼にも程がある。なんて言い逃れすればいいのか思いつかず、無言をなってしまう。
「……先生、息子を治してもらってありがとうございます!」
「本当に、ありがとうございます!」
会話が終わったと思い、父さんと母さんはその場に立ち上がって先生に深く頭を下げた。俺も頭を下げたいのだがまだ身体は動けない。お礼を言う態勢ではないが、母さんに続いて俺もお礼を言った。
「ありがと……ございま、した……」
「いえいえ、私としても息子さんを完治できて本当に良かったです。……それにしてもアスタくん、キミはすごいね!独学の魔法なのによくあんな数のゴブリンを倒すことができたね!キミなら良い冒険者や騎士になれるかもね!」
独学?あんな数の?一体何のことだ……?
まだ不覚醒のせいなのか、先生の言っていることはよく理解できなかった。俺は何も言わずにただ流れで動かせる範囲で頷いた。
「サーネスさん。息子さんもこうして無事に目覚めたことですし、僕の仕事はこれで終わりです。すぐに別の仕事に向かいたいので、できればこの後お話を……」
「分かりました。ではすぐ1階の方で。母さん、アスタを頼む」
父さんは先生の話を聞くと、2人は俺と母さんを残して部屋から出た。やはり噂通り、治癒師というのは忙しいらしい。恐らく2人はこれから医療費の事について話をするのだろう。今から大金が動くことを考えると、少し頭が疲れるのと同時に不安を感じた。
◇
それからと言うと、母さんは動けない俺のために身体を拭いてくれた。服を脱がせて、事前に用意してあった濡れたタオルでしっかりと優しく隅々まで拭いてくれた。動けないとはいえかなり恥ずかしかった。17歳にもなってこんなことをされているのだから。止めてと言いたいが、嬉しそうな母さんの顔を見て言えなかった。丁寧にしてくれるから、この時間は思いのほか長かった。
「……はい、これで終わり。他に気になる所はない?痒い所もあったら言ってね?」
「大丈夫、です……。ありがとう、ございます……」
問題ないと確認すると、漸く私服を着させてもらう。一種の拷問の様な時間を終えても、羞恥心で顔が赤くなりそうだ。親子でも恥ずかしい事はある。
「……母さん、少し聞きたいことが、あるのですが……」
「んっ?なに、どうしたの?」
使い終わったタオルを、水を含んだタライで洗う母さんの背中越しに、とある事を訊ねようとした。それは脳が正常に働けるようになった今、最も確認したい事だった。
「どうして俺は今、こうして……家のベッドに?」
俺が覚えているのは3体目のゴブリンを倒したところまで。そこから先は、覚醒しても記憶が曖昧でよく思い出せない。あの勝負の結果の事さえ、思い出せない。
質問を聞くと母さんはピタッと動作を止めて、俺の方へ振り向く。
「自分でも何があったのか、全く覚えていない?」
「最初の所は、少し……覚えています」
「どの辺?」
「ゴブリンと、遭遇して……森から逃げ出して、草原に出たところは……」
そう答えると、母さんの表情は心なしか険しいものへと変わった。だが口調は変わらず、淡々と会話をする。
「……そう。それで、そこから先は覚えていたいのね?」
「……はい……」
本当はゴブリンに応戦した所まで覚えているが、俺はその事を伏せてしまった。俺が過激な事をしてしまったのを隠したいのではなく、母さんにこれ以上心配な思いをさせたくないから。それでも嘘をついてしまった事には変わりない。先の罪悪感とはまた別の痛みが胸に刺さる。
「……お母さんが知っているのは、アスタを見つけてからベッドに移して先生に治してもらった所だけ。それでいいなら話せられるけど?」
それでも十分だ。微かだが動けるようになった首を縦に振ると、母さんは手に持っていたタオルを置いて、何があったのか濃く細かに説明してくれた。
あの日、母さんは俺が頼んだ通り、最後まで店番をしていてくれた。そして店を閉める夕暮れ時、一向に帰ってこない俺を心配したそうだ。もしかしたら何かあったのかと思い、わざわざ西門まで足を運んだ。西門の手前までくると、何やら住民たちが集まっていたそうだ。一体何があったのだろうと思い、原因であるその注目の的を覗き見ると、そこにいたのは重傷を負って気絶していた俺の姿だった。どうやら言葉で表すのが難しい程、危険な状態だったらしい。これには思わず、大きく悲鳴を上げてしまった。この時、冷静さを失った母さんを周りの住民たちが何とか宥めて、全員で協力して俺を家まで運んでくれたそうだ。
その後は、俺を自室まで運んで応急処置を行い、何とか安静な状態にすることができた。とりあえず一段落ついた所で、一体何があったのか同行してくれた、あの日の門番さんに説明を求めた。門番さん曰く、ペレーハ村から帰って来ない俺のことが心配になり、一旦西門から離れて草原へと足を踏み入れたらしい。そして最初に視界に捉えたのは、草原の上で横たわっていた俺と、点々と見える緑色の何か。不気味さを抱きながらも門番さんは近寄って確認すると、それは20体のゴブリンの死体であった。全員絶命しており、生きている者はいなかった。
あの日の門番さんはさぞ驚愕したのだろう。まさか草原の奥にある森からゴブリンが現れ死んでいたことに。そのゴブリンたちの中に瀕死の様な状態で倒れている俺の姿に。これにはたまらず、すぐさま村に戻って人手を求めて、俺を西門まで運んだ。その後に母さんが合流したのだった。
ゴブリンの集団が……全滅していた?俺が……全員殺したって事??とてもじゃないけど信じられない……。でもあの場にいたのは確かに俺とゴブリンだけ。じゃあ本当に俺だけで……。
「……アスタ、大丈夫?気分が悪くなったのなら、もう話しを止めるけど……」
あの日の戦いの顛末について考察して無言に知ってしまう。そんな俺の様子を見て母さんが心配する。
「……大丈夫、です。続きを、お願いします……」
「本当に?そんな今日じゃなくてもいいのよ?」
心配性な母さんがそう話題を止めようとするが、俺は首を縦に振って話の続きを聞きたかった。そんな思いに応えようと、母さんは再び語る。
俺を安静な状態にした所まではよかったが、問題はその後だった。応急措置といっても田舎の村ができるのは所詮一時しのぎにしかならなかった。このままでは俺の命に関わると母さん焦り、すぐに住民の誰かに頼んで父さんが住んでいる街まで向かってもらい、ちゃんとした医学を学んだ人と共に呼び戻しに向かわせたそうだ。
幸運にもその日、街に治癒師のオンさんが依頼で訪れていた。その依頼は無事に終えてすぐに別の依頼主の元へ向かおうとした時、父さんは無理言ってペレーハ村について来てもらうよう土下座してくれたそうだ。最初は断るオンさんだったが、あまりの父さんの強い要望に折れてしまい、通常料金を上乗せするという条件の下で承諾して村に来てくれた。2人とも俺の状態を見た時は思わず絶句したそうだ。まさかここまでとはと予想外の事態だと瞬時に理解し、オンさんはすぐに【治癒魔法】をかけてくれた。治療は半日近くまで行い、昨晩に終えて現在に至るという事らしい。
因みにゴブリンの死体と言うと、そのまま放置にするとアンデット化してまた動き出すということをオンさんから供述してもらい、ペレーハ村の住民たちが村で燃やしたそうだ。草原だと引火して延焼する恐れがあるから、20体全部運び入れたそうだ。
「……大体はこんな所ね。これでよかった?」
「はい……。ありがと、ございま、す……」
なるほど、それで父さんだけじゃなく治癒師もペレーハ村に来ていたわけか……。ペレーハ村から父さんがいた街まで片道1日半だったっけ?往復して3日、そして治療で半日……大まかな計算だけど、確かに4日経ったことになるな。身体が変に気怠いのも納得だ。単純に寝過ぎて筋力が衰えたからか。
それにしても“通常料金を上乗せする”か……。一体いくら位になるだろう……。本当に最悪だ、2人に無駄な金を浪費させてしまった……。
こうして生きていられるのは、奇跡としか言いようがない偶然と、他人に頭を下げて頼んだ両親のおかげだ。もちろんオンさんにも感謝をしている。
だけど、そんな感謝の念を送るのを忘れてしまいそうな程、湧き上がり続ける罪悪感が胸を締めつける。それを顔に出さないように踏ん張る。これ以上、母さんに心配な思いをさせたくないから。