星暦2029年 夏の49日 風の日 真夜中
「うわぁぁぁぁぁあああああ!!」
ゴブリンが当時の
それでも募った不安で無意識に行動を起こし、俺はすぐに自分の首元を触りって無事かどうか確認する。
「はぁ……はぁ……はぁ……!よかったぁ……無事だ……」
以前と変わらない首元を触り、安堵のため息をする。どうやら本当にアレは、いや悪夢だった様だ。念の為、もう一度自分の身体を隅々まで確認する。母さんが言っていた重症の個所などを徹底的に。結論からいうと、身体はどこも異常はない。就寝する前と全く変わらなかった。あるとすれば大量の寝汗をかいていたことぐらいだ。
「……何なんだよ、あれ……。ホント、最悪な夢だ……」
気を紛らわそうと独り言を呟く。何か言わないと、気が動転しそうだったから。
「……あなたが見たのは、夢じゃない。……私の魔法で見せた、あなたの過去。……本当に起きた、あの日の歴史。……正確には、私の視点から見た過去の姿」
「……えっ?」
暗い部屋の中に空しく消えるはずだった俺の言葉に対し、自室の端から少女の返答が聞こえる。聞き馴染のない声色、本当に知らない者の声が自室に広がる。そんな返答に遅れて反応し、ゆっくりと少女の方へ顔を向ける。向いた先は、閉め切っていたはずのカーテンと窓が全開になっており、外から月の光が入って明かりを照らされる部屋の端。そして、その光の中に1人の少女が立っていた。
黒を基調とした季節外れのローブを身に纏い、背中に垂らして腰まで届きそうな黒色の長髪が窓からの風に横へなびく。フードを被らずに露わとなる青白い肌色、そしてダウナーな雰囲気を思わせる無表情を浮かべた少女が、俺と視線を合わせる。その視線から伝わる感情も見た目の年相応な喜怒哀楽は感じられず、ただ無である。
だ、誰だ……この子は?こんな子、村にいなかったはず。いやそれよりも、黒髪なんて……ありえない!?この世界の人の髪の色は全部で9色だけだったはず!?
モンスターを覗いて、ファンタヘルムの生物は銀色、紫色、赤色、青色、茶色、緑色、水色、黄色、黄緑色のいずれかの1色の髪色を持って産まれる。それぞれの髪色を持つのは理論に基づいた理由がある。それは9色の髪色には、その者の初期魔法の10個のうちどれが一番強い適正魔法か指し示す役割でもあった。俺の場合、【水魔法】が最も強い適正魔法だから青色の様に、【光魔法】なら銀色、【闇魔法】なら紫色、髪の色は体内にある魔力に大きく関わっている。因みに、何故無魔法を示す髪色がないのかは、無魔法はほとんどの者が所有する初期魔法だからないという一説がある。
ファンタヘルムには髪を染めるという習慣はなく、みんなその髪色で一生を過ごす。つまり、少女は決して存在するはずもない黒髪を持っている事に驚愕したのだ。
どうやって俺の部屋に入ってきたんだ?!もしかして、不自然に空いてある、その窓からか!?どうやって……魔法か?それともスキルか?どっちにしろこの子……何かヤバい……!!
「……警戒、されている?……ちょっと、心外」
いつまでも変わらない場の空気に耐え切れなかったのか、少女はそう呟くと月光から影へ足を踏み入れて俺の方へと近寄る。腰が抜けてしまって立ち上がれず、俺は逃げる様に後退りをして壁際まで移動してしまう。そんな俺の反応にはお構いなしに、無表情のまま少女はベッドに這いつくばる様に上がり向かって来る。
「こ、来ないで!?」
無言で迫ってくる少女の不気味さに危険を覚え、【アクア・ピストル】の構えを取る。もちろん相手は子供だから発動するつもりはない。ただの脅しのつもり。それでも謎の存在には変わりはなく、湧き上がる不安感のせいで向けた指先が小刻みに震え始める。
それでも俺の脅しが効いたのか、少女は構えを見ると動きを止める。
「……ゴブリンみたいに、私も殺す?……あの戦いで、調子に乗っている?……いや、あなたみたいな人が、そんな気は起こさないか」
まるで何かを察しているかのような言い方。頭がパニックになっていた俺にはすぐには理解できなかった。
「キミは……誰……?!」
「……クロ、名前はクロ」
クロはそう名乗ると、再び迫り始めてきた。それに対して逃げようと後退りしようとするが、すでに壁際でこれ以上引くことができない。逃げられない俺に、クロはゆっくりと右手を前に出す。そして撫でる様に頬に振れ、自分の顔も近付ける。
「ひぃッ……!?」
「……落ち着いて、私はあなたと話しが、したいだけ。……だから、落ち着いて」
幼い見た目とは裏腹に、クロは冷静な大人の雰囲気で話しかける。すると、先まであった不安や危機感が薄れ始める。何故か彼女に年上への敬意を払う感情さえも芽生えてきた。明らかに見た目では俺より年下のはずなのに、本当に一体何故だろうか。
なんだ、これ……。感情抑制されたみたいに、一気に気分が良くなってきた。彼女の手が頬に触れてから……この手から何かしらの魔法やスキルを発動したのか?一体何のために?
いや、考察するのは後だ。今はこの状況をどうにかしないと。現状を把握しきれない今は、彼女の要求に応じるのが最善……なはず。
「分か、った……。話しを、します……」
「……そう。……よかった」
この言葉を信用してくれたのか、クロはすぐに右手を離した。そして壁際にいる俺を気遣ってくれたのか、少し後ろへ下がってあぐらで座る。これなら彼女を押しのけて扉に向かって駆けることもできるが、今はヘタな真似をしない方がいい。害を与えないようとしないうちは。
「そ、それで……話しってというのは?」
「……いくつか、聞きたい。……拒否権、ある。……無理に、答えなくていい」
さっきの態度で、俺が心底怯えているのは分かり切ったはず。それなのにこの子は圧や脅しなんか使わって会話の主導権を握ろうとしない。本当に俺とただ会話がしたいだけなのか?まあ実害がないのなら、それに越したものは無いけどな。
にしてもこの子の口調、なんか辿々しいのだけど……。口下手っていうのか、一生懸命言葉にしている感があるな。まるで人と対話するのに不慣れている様に感じる。昔の俺と……前世の俺とよく似ている。
「……まず、あなたの名前は?」
「ア、アスタ・サーネス、です……」
「……齢は?」
「今年で17、です……」
「……出身地は?」
「この村……ペレーハ村です」
「……今日まで、どう過ごしてた?」
「えっと……毎日ずっと家業の手伝いをしていました。花屋の手伝いを」
「……花?」
スムーズに進んでいた問いかけと返答の流れを、ここでクロが首を傾げて止める。何故花屋で疑念を抱いたのか分からないが、とりあえず今は彼女の質問に素直に答えよう。
「はい、花屋の手伝いをずっと……」
「……そう」
そう理解した様な口ぶりをするが、その表情は未だに納得しきれないといったものだった。現にそう言った後、クロは目線を下げて口を止めて考え始めた。質問の内容といい、彼女の意図が全く把握しきれない。こうしているうちに俺も何とは情報を整理しようと、彼女の身の回りと自室の現状を暗闇の中でも懸命に観察している。
自室はパッと見だが、壁や物は破壊されていなければ特に散らかされていない。不自然に開いてある窓を除けば問題ない。次にクロの身の回りは、これといった私物らしき荷物が見当たらない。他所から来たのなら道具をまとめるバックやカバンは持参するものだが、それすらも見当たらなかった。
「……何を、探しているの?」
視線で気付かれたのか、クロはジッと俺の方を見つめて問いかけてきた。声を掛けられた瞬間、ビクッと身体を震わせてしまったがなんとか冷静に返答する。
「え、えっと……キ、キミがどうやってこの部屋に入って来たのかなぁって思って……」
「……そういう、こと。……こうやった」
クロはそう言いながら自分の掌を前に出す。
【闇魔法:シャドウ・ベール】
すると、その片手から数本の薄くて黒い紐が出現した。恐らく魔法の一種だろう。暗闇と相まって禍々しく見える黒い紐に、驚きと同時に警戒をした。すぐに逃げ出せる様に少し身構える。
「……大丈夫、何もしない。……見てて」
数本の黒い紐は、クロ自身の下を縫うように通り、先端がベッドに接触すると彼女を容易に上へと持ち上げた。彼女の顔色が変わらない所を見ると、無理矢理に持ち上げられているのではなく、本当にこの紐の力だけで上にあげられているのが窺える。
「……これ、見た目より強い。……私の体なんか、簡単に持ち上げられる。……どこまでも、上に。……それに、こんなこともできる」
クロをベッドに下ろすと、次に黒い紐は部屋の窓に向かって伸び始めた。窓枠に接触すると音が出ないように優しく押して閉めて、最後は器用に鍵をする。
「……細いから、どんな隙間でも入れられる。……今の感じで、外から開けた。……戸締り、忘れていた。……ごめん」
「そ、それはあまり気にしてはいません」
律儀に謝罪してくれた。閉め忘れよりも不法侵入の方を気にしてほしい。
それにしても先の分かり易い実演のおかげで、彼女がどうやって2階の自室に入室してきたのか納得できた。
すごい、補助魔法の一種か……!まさか1つの魔法でここまで出来るなんて、かなり使い勝手がよさそうだな。……色から見て【闇魔法】か?てことは、適正魔法は闇……でもそうだったら髪の色は紫のはず。やっぱり染めたのか……。
「……今後は、どうしたの?」
「えっ、いや、その……ごめんなさい。つい色々と考え込んでしまって……」
「……そう。……私も、よくなる」
意外にも同情の言葉をくれた。
冷静になれたおかげで、まるで談笑の様に気さくに言葉を交わしてしまった。速くクロの要件を済まさなければ。
「話の腰を折ってごめんなさい……。続きを、どうぞ」
「……うん、そうする。……次、最後の質問」
その言葉を聞いて思わず固唾を呑んでしまった。まさかこうも速く終わりが来るとは思いもしなかった。だが、問題はこの次だ。対談が終わればクロは一体何をしてくるのだろうか。もし危害を加えてくるのなら、俺はそれに対抗できるのだろうか。彼女が質問してくるほんの数秒間、必死に思案を巡らす。
「……あなた、転生者?」
それを聞いた瞬間、まるで時間で止まったかの様にこの場の空気が一気に静かになった。頭の中で考えていた対抗策が全て、無へと化すほどに。前置きの無く唐突に出たその単語に、聞き間違いがなくハッキリと聞こえたその単語に心底驚かされた。
嘘、何で……何でそれを……!?
誰にも話していない俺の最大の秘密がバレている。口に出す言葉が見つからず硬直してしまう。真実を言うか、それともここで虚偽を言うか。俺の頭はその二択が何度も過る。
「……この質問だけ、出来れば教えてほしい。……でも、最初にも言った。……無理に、答えなくてもいいって。……何でもいい、返事してくれるまで待つから」
そんな心境を察してくれたのか、クロは気遣いの言葉をかけてくれた。傍から見ればただの遠慮の言葉と受け流すかもしれないが、俺には他意のない優しさが感じられた。振り返ってみれば、この優しさは今に始まった事ではなかった。彼女は最初から本当に、ただ俺と会話をしたかっただけ。
それなのに俺はッ……。
自分が恥ずかしい。そんなクロに対して、無駄な警戒心や対抗策を講じ続けていたのだから。彼女の存在は今ので、より一層不気味さが増したのは確かだ。しかし、それがどうしたというのだ。相手がどんな実力者だろうと俺はただの農民。対抗できる術なんてあるわけがない。
別に諦めたわけでも、躍起になったわけでもない。ただクロの優しさに惹かれ、勇気を出して彼女の望む返答をするだけ。
「……はい。俺は……転生者、です……」
「……そう。……やっぱり、キミだったのね」
「その言い方だと、前以って俺のことは知っていて来たのですか?」
「……うん。……見つけるの、大変だった」
一体どうやって俺のことを……。いや、いくら考察しても時間の無駄だな。今、分かっているのは、彼女は何かしらの目的があって転生者の俺を捜索してきた、ということ。さて、次は一体どんな質問をしてくるのだ?それとも何かしらの行動に移すのか?
会ってまだ数分の関係だが、今はクロが無害な存在なのを信じて次を待とう。