俺を連れ出したナエナちゃんが向かう先は、自室の窓から出て左側にある北東門だった。移動の際、何人ものペレーハ村の住民の頭上を通っているが、誰一人として俺たちの存在に気付いていない。ナエナちゃんの移動速度が速くて気付かれていないのか、それとも意外と人というのは頭の上の警戒心がないのか、定かではない。
「よっと、到着~!」
そんなどうでもいいことを考えている間に、ナエナちゃんは北東門も上に足を着ける。ペレーハ村にある北東門と西門は、村のどの建築物よりも高く建設されている。それを、汗を流すことなく容易に飛び突く彼女の身体能力の高さに、驚きと呆れの感情が入り混じる。
だけど、ようやくこの体勢から解放される。ナエナちゃんは特に気にならないだろうけど、肩で抱えられているせいで俺の腹部は鈍痛に襲われている。ついでにこの体勢でいるのも割と恥ずかしい。一向にナエナちゃんはこの体勢を変えようとしない。何故か北東門に着くと、何かを探すように遠くの方を見つめ始める。
「えぇ~と、確かあの辺に……おっ、あった!」
何かを発見したナエナちゃんは再び高く飛び立ち、北東門から出てすぐの森の中へと入る。まるで猿のように樹木の枝を伝って、森の中を掛けて行く。
「……どこに行く気?」
外に無理矢理連れ出された割に俺は冷静だった。
自分でもてっきり久々の外出に昔の出来事がフラッシュバックして、怯えて震えあがると思っていた。だけど意外にも心境は驚きや呆れがあっても、決して恐怖といったものは全く無い。
「もうすぐ着くよ!あっ、ほらっ、見えてみた!」
笑顔を見せながらそう答えると、ナエナちゃんはやっと樹木から飛び降りる。
着地するとナエナちゃんはようやく俺を下ろす。地面に足を付いた俺は痛む腹部を四つん這いになってさする。こんな思いするなら普通に手を掴まれて、連れだされた方がマシだった。
「イッタィ……。ここは……?」
「ふっふっふっ……アスタくん、この森にこんな川があるのを知っていた?」
ある程度、痛みが無くなって顔を上げると、目の前にあったのは横幅の広い大きな川だった。流れは穏やかだがしっかりと水流の音を奏で、中が見えるくらい透き通った水だ。そこまで深くはないが、小魚たちが遊泳しているのが見える。
ナエナちゃんは川に近付き、両手で水を掬って口元に運ぶ。
「んっ……ぷっはぁ~~~!つっめたぁ~い!でも相変わらず美味しい~!」
掬った水を一気に飲み干してナエナちゃんは喉を潤す。
季節が冬なのだから冷たいのは当然だけど、味が美味いのは信用できない。小魚たちが悠々としているから汚くないのは一目瞭然だが、俺は飲む気にはなれない。
まあ、そんなことはどうでもいい。どうして俺をここまで運んできた動機を聞こう。
「……なんで俺をここに連れて来たの?」
「別に?理由なんて特にないよ?」
わざわざこんな所まで連れて来たのだから、それなりの理由があると思っていた。だけど返答は実に呆気ない。どうやら昔のように感情的にここへ来たかったみたいだ。
もう付き合いきれないとため息を吐くと、ナエナちゃんは笑みを浮かべながら続ける。
「ただ昔みたいにアスタくんと外で遊びたかっただけだよ!本当は草原の方が良かったけど……アスタくんが本気で嫌がると思って、ここにしたんだ」
やはり俺のことはある程度、両親から聞いていたか。
確かにナエナちゃんの行き先が、昔ゴブリンに殺されかけた草原だと知っていれば拒絶反応レベルで身体が拒んでいただろう。それを彼女なりに考えてくれて、行き先をここにしてくれたみたいだ。感情的に、という言葉は撤回した方がいいな。
「それにここの川の水、すっごく美味しんだよ!大自然の恵みって言う奴、なのかな?とにかくアスタくんも、早く飲んでみて!」
手招きしてナエナちゃんが誘ってくる。
大自然の恵みだが何だが知らないが、こんな野晒しされた水を飲むのは少し抵抗感がある。見た目は綺麗な水だが、腹を壊さないとは限らない。だけど拒否したら次に何されるのか分からない。ここは大人しく従っておこう。一口分だけ飲めば問題はないだろう。
「グイッといっちゃおうよ!グイッと、グイッと!」
ノリが完全に飲み屋の親父だな。
もうツッコミ気はおきない。無視してナエナちゃんと同じ様に水を掬う。予想通り、とても冷たいが耐えられない程ではない。躊躇いながらも口にする。
「……ッ!?」
「ねぇねぇ~、味の感想は?」
美味い……。ただの川の水とは思えない程、とても美味い。
水の冷たさで腹の調子を悪くするのではないかと疑念を抱いていたが、寧ろその冷たさが水のまろやかさを際立たせている。冷たい水が身体に入ってくる感覚が心地良い。こんな美味い水は前世も含めて初めて飲んだ。
「どう、美味しいでしょ?私が子供の頃、よく先生とこの辺で訓練していたんだ!それの休憩でよくここの川を飲んでいたんだ!……この話、昔アスタくんにしていなかったっけ?」
確かにそんな話を何度か聞いた覚えはある。
その度にナエナちゃんから何度も「今度一緒にその川を飲みに行こう!」と誘われたことがある。だけど当時の俺は、働き始めて仕事に集中したかったから承諾はできなかった。結局、彼女が引っ越す日までその約束は叶わなかった。
「ここが……そうか」
話でしか聞いたことがなかったが、まさかこんな所にあったなんて知りもしなかった。……いいや、ちゃんと知ろうとしなかった、が正しいな。
ナエナちゃんから川の良さも散々聞いていた。彼女と違って俺はずっとペレーハ村にいた、行こうと思えばすぐに行けた。だけど俺は、ずっと家の中に閉じこもっていた。人からの話は聞いていても、それについて興味も関心も示さなかったのか、今になってよく分かるな。目の前の川はとても綺麗とは裏腹に、ふと自分の悪態を実感して無意識に気分は暗くなってしまう。
そんな俺の背後から突如、草木が揺れる音が聞こえる。
俺は今までにないくらいに反応をして振り返る。そこにあったのは、ただ風で揺らされたただの草むらだった。完全に油断していた。ここは今まで拒んできた家の、もっと言えばペレーハ村の外だ。たまたま風だったからよかったが、次に草むら今にも周囲の草むらからゴブリン、とまでは言わないが何かしらモンスターが飛び出してくるのかもしれない。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
無意識に呼吸が荒くなってしまい、恐怖心が徐々に蘇ってくる。あの頃を比べて体格は大きくなったが、体力や力は格段に落ちている。もし本当にゴブリンが現れたら、抗うことができず間違えなく殺されてしまう。
そう想像してしまうと俺の身体は小刻みに震え始める。
「えいっ!!」
今度は川の方でザバーンと、さっきの風の音とは比にならない盛大な音が聞こえた。再び川の方へ振り向くと、何故かナエナちゃんが川へ飛び込んでいた。水飛沫が高く上がり、小魚たちはそそくさと下流の方へ逃げる。
そしてナエナちゃんは、腰から下の衣服が見事にずぶ濡れになっていた。
「きゃぁぁぁぁ冷たぁぁぁぁい!!アスタくんも入って来なよ!気持ちいいよ~!」
バシャバシャと川を跳ねながらナエナちゃんはそう誘ってくる。
人の気も知らず、なんとも無邪気な。ナエナちゃんはいつもこうだ。俺が色々と考えている合間に、予想外な行動や発言をする。そして、その結果も予想外な事へ結びつくことも。
「震えが……止まった?」
ナエナちゃんの行動に呆気を取られたせいなのか、いつの間にかさっきまでの呼吸は戻り、身体の震えが止まっていた。まだ草むらへの警戒心はある。だけどそれ以上の、謎の安心感が芽生えてそれを打ち消している。こんな感覚は初めてだ。
今日……何かがおかしい。ナエナちゃんと話すだけで今までにない程の口数が多くなるし、外に出ても嫌悪感や恐怖心で発狂することもない。……そういえば全部、彼女と関わっているな。まさか……彼女が、俺に何かしらの魔法やスキルを使ったのか?
「あっ、靴を脱ぐの忘れてた。まあ……いっか!」
ナエナちゃんは川の中で片足ずつ器用に靴を脱ぐ。しっかりと浸水した靴を逆さにして、中の水を出して川の外に置く。
その際、近付いてきたナエナちゃんにあることを確かめる。
「ナエナちゃん……俺に何をしたの?」
「……えっ?」
ナエナちゃんはやや困惑気味な表情を見せるが、俺は気にせず続ける。
「今日、ナエナちゃんと話してから、いつもと調子が違う。こんなこと、今までなかった。さっきも、モンスターが出るんじゃないかって警戒していたのに、ナエナちゃんの姿を見るとそんな気持ちは無くなって不思議と落ち着いた。ハッキリ言って……気持ちが軽くなった、まるで昔のように」
「へぇ~、よかったね!そう言われるとなんか照れるなぁ~、えへへ」
そう言い返されるとこっちも恥ずかしくなってきた。
茶化すナエナちゃんを無視して続ける。
「3年間、人と話さなかった俺が幼馴染と会っただけで、昔みたいに話せられるようになるなんて、そんな都合の良いことがある?どう考えても不自然。だから俺が思うに……今朝、ナエナちゃんが俺に何かしらの魔法やスキルを使ったんじゃないかって」
「えっと……私、別にアスタくんに何もしていないよ?」
「……えっ?」
ナエナちゃんの言葉に耳を疑う。
「まず私は、誰かの精神に干渉できる魔法やスキルを覚えていないよ。それに覚えていたとしても、アスタくんに必要と思っても使う訳ないじゃん。色々と危ないし。さっきから言っているように、私はアスタくんと昔みたいに外に出て遊びたい。ただ、そういうつもりでここに来ただけだよ?」
真面目な眼で返答してくれたナエナちゃんの言葉には嘘は感じられない。彼女の性格を知っているうえに、今までの行動も理解はできる。扉を蹴り壊されて、窓から家に入ってきたかと思えば窓から家を飛び出し、しかも強引に俺を連れ出す。うん……確かに彼女らしいといえば彼女らしい。
だけど、この感覚については納得できない。
「それじゃあ……どうして今日はこんなに気持ちが軽いの?」
「ん~~~……分かんない!」
まあ、それはそうだろうな。ナエナちゃんからしたら、俺が勝手に凹んだと思えばまた調子が戻った、という感じだから分からなくて当然。……こう文面にすると、自分がどれだけめんどくさい性格なのか再確認できるな。
「でも良いことじゃない、気分が良くなったのなら!変にごちゃごちゃ考えて理由を考えるより、今を楽しもうよ!」
なんとも楽観的。だが、ナエナちゃんの言い分にも一理はある。
今、解らないのならすっと考えていても時間の無駄。別に急いでいるわけではないから、ここで答えを求めなくてもいい。それに俺だって望んで調子悪い状態のままいたい訳ではない。
「それよりも……よいしょっ!」
ナエナちゃんはまたも軽々と俺を上に持ち上げる。しかも今度はお姫様抱っこ。さっきのより恥ずかしいが、次は何をするのかと心配の念が強い。
「な、なにを!?」
「せっかく来たのだから、一緒に遊ぼうよ!」
「この時期に水遊びなんてしたら風邪を引いてしまう!?」
「大丈夫、そこまで冷たくないから!それに、その時は私が看病してあげるから安心して!」
聴く耳を持たないナエナちゃんにどこに安心を持てばいいんだ。
俺を抱き抱えたままナエナちゃんは川の方へ向き、そのまま豪快に俺を放り投げる。ザバーンと背中から飛び込んだ俺は、さっきの彼女よりも高い水飛沫を立てる。確かに川の温度はそれほど冷たくはないが、こんな入り片したせいで全身がびしょ濡れになってしまった。
「ぶはっ……!?けほっ、けほっ、鼻に水が……!!」
「あはははは!アスタくん髪までびしょびしょ!」
咳き込む俺を滑稽に見えたのか、ナエナちゃんは腹を抱えて笑う。
今この瞬間だけ見るとまるで、昔に草原で全身が泥だらけなった子供の頃を俺たちの様だった。
◇
星暦2032年 冬の40日 光の日 夜
俺たちは太陽が沈む夕暮れまで川にいた。いいや、正確にはナエナちゃんが俺を帰してくれなかった。
結局あの後、ナエナちゃんも暴れるように水遊びを始めてしまい、2人とも全身びしょ濡れになってしまった。案の定、冬の昼過ぎで急激に体温が下がって冷えてしまったが、ナエナちゃんがその辺で適当な薪を用意して【火魔法】で焚き火を作ってくれたおかげで難を逃れた。正直、これがなかったら普通に危なかったと思う。
その後は焚き火の近くで何気ない談笑……というよりナエナちゃんの一方的な質問に応答して時間を過ごしていると、あっという間に夕暮れになった。冬の夜で濡れたままでいるのは流石に不味い、急いでペレーハ村に帰った。ナエナちゃんから「また私が運んであげるよ!」と提案されたが、今度は丁重に断らせてもらった。
ペレーハ村から出ていく俺たちを見ていない門番に「どうやって村の外に出たんだ?」と検問されると思ったが、濡れている俺たちに見つけると早く家に帰る様にと入れてくれた。家に向かうとちょうど店の戸締りをしていた父さんと鉢合わせた。まさか俺が外にいるだけじゃなく何故かびしょ濡れになっている現状に、父さんは今までにはない程に驚いた。
父さんに押されて店から家に入ると、母さんも驚愕した顔を見せると急いで風呂の準備を始める。本来なら一日中働いていた父さんが一番風呂に入るべきだが、気を遣ってナエナちゃん、俺の順に譲ってくれた。俺が上がった頃にはすでにテーブルにご飯が用意されていて、入れ替わりで風呂に入った父さんを残して先に食べた。久々の外出と運動したせいか、今夜はいつもより食事のペースが速かった気がする。ナエナちゃん程ではないが完食まで時間は掛からなかった。そんな俺の様子に母さんと風呂から上がって来た父さんは、どこか嬉しそうな表情を見せていた。
いつもならこの後、庭で花たちの様子を見るのだが、今日は疲れているせいでその気になれない。毎日様子見していたから1日だけ休んでも問題ないだろう。
両親とナエナちゃんを残して、食べ終わった皿を片付けて俺は自室に戻ろうと階段を上る。
「アスタ、おやすみなさい」
この時も、母さんから声を掛けられた。
普段なら無反応のまま自室に向かっていたが、今日は違う。気持ちが軽い今日なら、ナエナちゃんのおかげで話し慣れが出来た今日なら、ずっと言いたかったことが言えるはず。
「……アスタ?」
階段で立ち止まった俺を怪訝そう母さんは見つめる。この違和感に父さんも俺の方を向く。
いざ言おうと思っても、勇気が出ない。両親の性格を知っているはずなのに、俺の言葉で2人がどんな反応をするのか分からなくて不安になってしまう。喉まで出かけていた言葉を飲み込んでしまう。だけどせめて、反応だけはしなくては。
そう思い、俺は母さんに向かって小さく頷く。
「「……ッ!?」」
これに両親はかなり驚いた表情を見せた。
そこまで大袈裟な顔にならなくても。居づらいなった空気に耐えられず、俺は逃げる様に階段を上がる。
「……お、おい、今アスタが反応してくれたぞ?!」
「ええ、私もしっかりと見たわ!ナエナちゃん、アスタと何をしていたの?」
「え~と、まずアスタくんの部屋で少し話して……」
3人は和気藹々と話し始めたが気にせず2階へ行き、俺は自室へと入った。
今朝ナエナちゃんに破壊された扉は何事もなかったかのように綺麗に元に戻っていた。食事の際に父さんが話してくれたが、俺たちが出掛けている間になんと母さんが1人で直してくれたそうだ。へし折られていた扉は見事に修復され、動きも前よりスムーズになっている。まさか母さんにこんな特技があるとは知らなかった。
「はぁ……。疲れた、ダルい……」
自室に入ると倒れる様にベッドに横たわる。母さんが閉めてくれたであろう窓ガラス越しに、夜空を見つめながら独り言を呟く。
「……ふふっ……」
だけど決して悪い気分ではない。現に無意識とはいえ、数年ぶりに口角が上がったのだから。