星暦2032年 冬の42日 闇の日 朝
昨日ナエナちゃんと季節外れの水遊びをしたおかげか久々に熟睡できた。
眼を開いて真っ先に入る陽の光は、前とは違って気持ち良さを感じさせてくれる。毎日聞いているはずの一階から聞こえる調理の音は、前とは違って食欲をそそられる。一日に何回もしているため息は、前とは違って気が滅入ることない。
「すぅ……はぁ……」
こんな感覚はいつ振りだろうか。
あの憂鬱な生活を一生するものだと思っていた。だけど今の調子はかなり気分が良い。少なくとも憂鬱とはかけ離れた状態だ。もうすぐ朝食の時間だが、この気分にもう少し浸りたい。
「アスタくんッ!おっはよぉ~!」
廊下からタッタッタッと走る音が聞こえた瞬間、自室の扉を盛大に開けてナエナちゃんがやってきた。心地よい目覚めの時間がまさかこんな終わり方になるとは思わなかった。
昨日は久々の再会ということで気を遣ってノックしてくれたが、今回はそれすらなく勝手に開けてくるとは。扉を破壊しなかったとはいえ本当にマイペースな人だ。もし俺が着替えている途中だったらどうする気だったんだ。そんな色々と言いたい気持ちをため息と一緒に抑え、ベッドから立ち上がってナエナちゃんの方を向く。
「……おはよう、ナエナちゃん」
「速く着替えて、一緒に朝食を食べよう!
子供のように無邪気な笑みを浮かべるナエナちゃん。
昨日の外出なんて疲れにもならないみたいだ。やせ気味とはいえ成人男性を担いだまま移動したっていうのに本当に元気だ。
扉から入ってくる朝食の臭いが自室の中で広がる。確かに良い匂いだ。今日も母さんが腕によりをかけてくれているのだろう。支度して俺も1階に降りよう。とそのまえに。
「……着替えたいから、速く出てくれない」
「あっ、ごめん」
ナエナちゃんのおかげで色々と変われたが、流石に着替えを見られる程、気は許していない。
◇
昨日のように4人で朝食を済ませた俺たちは各々でやることを始める。
母さんは使い終わった食器を洗い、父さんは店の準備をする。そして一番に食べ終わったナエナちゃんは、いつの間にか姿を消して何処かへ行った。上に行ったのか?
「ナエナちゃんならまた庭に出ているわよ」
俺の様子に察した母さんが教えてくれた。
昨日も朝食を終えた後に行っていたはずなのに、何故また中庭に行ったんだ?流石にナエナちゃん行動が気になり今度は庭に続く扉のガラス越しで覗き見る。彼女は中庭の奥にある花壇の前でしゃがみ、一輪の花をジッと見ていた。
あの花は確か……俺が育てた花たちの中で一番気に入っている花だ!無表情のまま見続けて……一体どうしたんだ?
見続けたせいか俺の視線に気付いたのか、ナエナちゃんはパッと振り向いてきた。まるで獣のような反応に一瞬ビクッとなってしまう。俺に気付いた彼女は無表情から笑顔に変えて「来てきて!」と手招きをする。誘いに乗って庭に入り、彼女の元へ歩み寄る。
ここでふとナエナちゃんの格好に見てみると、今日は昨日の私服とは違って防具を着込んでいる。赤を基調とした軽装備でベルトに複数の袋をぶら下げており、腰には鞘に収まった1本の片手剣を装備している。その風貌はまさにクミル叔父さんと同じ……冒険者の姿だ。
「何その格好?」
「えへへ、どう?結構、似合っているでしょ?」
まるで新品のドレスを見せるように、ナエナちゃんはその場でクルっと回って装備の全体を見せる。
そう言えば昨日、俺は自分の事だけしか考えていなかった。なんでナエナちゃんがペレーハ村に帰ってきたのか、今は何をしているのか、全く効いていなかったし考えてもいなかった。だけど、昨日の彼女の力を見て、今の彼女の姿を見て、彼女が何になったのかハッキリと分かる。
「冒険者に……なれたんだ……」
「あっ、まだ言っていなかった!?アスタくんと久しぶりに話すのにすっかり忘れていた!……まあ、いっか!それよりどうかな、今の私の格好?」
「うん、すごくカッコいいよ。本当に……おめでとう、ナエナちゃん」
「ありがとう、アスタくん!私、すっごく頑張ってなれたんだから!」
うん、知っている。ナエナちゃんがどれだけ頑張ったかなんて、少しは知っているつもりだ。自分の夢を叶えたナエナちゃんの姿に少し感動しそうになる。
せっかく話せられる様になって2人だけだし、この機に色々と質問してみよう。
「そういえば聞きそびれていたけど、なんで村に帰ってきたの?」
「アスタくんに、こうやって冒険者になった私を見てもらうためだよ!一番近くで頑張っている所を見てくれた幼馴染なんだもん!本当はすぐに報告したかったけど、冒険者のなり立ては色々と忙しかったから……」
やはりどの職業でも新人は覚えることは多いみたいだ。あれだけ頑張っていたナエナちゃんでも、すぐに順応できなかったということは余程なのだろう。いや、命懸けの仕事だからか。
「そっか、わざわざそのために。手紙で教えてくれれば祝い品でも贈れたのに」
「えぇ~、嫌だよ!文字じゃなくて直接見てもらいたいんだもん!」
何だ、そのこだわり?どっちでも同じと思うけど。
「またあの時みたいに一緒の楽しく話せるのかな~って楽しみにしていたんだ!」
「……実際、楽しかった?俺なんかと話して」
昨日と今日で、俺はなにも面白い事をしたつもりも、口にしたつもりもない。だから、ナエナちゃんの言葉に過敏に反応してしまう。
「うんっ!私より背が高くなって髪の毛が伸びていて声色も変わっていてビックリしたけど、話してみたり外に出たりしてやっぱりアスタくんはアスタくんだなって思って、楽しかったよ!」
ナエナちゃんに流されてそうしただけ。
ナエナちゃんは胸元から服の中に手を入れると、首に掛けていた物を取り出してみせる。
「ねぇねぇ~、物知りなアスタくんでもこれは初めて見るでしょ?」
まるで宝物を見せるように自慢気な顔でナエナちゃんは言う。
別に物知りでいたわけではないが、確かにナエナちゃんが持っているその物は初めて見る。形はまるで地球の戦時中で軍人が身に着けていた認識票によく似ている。
「これはね冒険者プレートって言って、冒険者として認められた証なんだ!これがあれば世界中の冒険者ギルドで仕事を請けられるんだ!まあ私はまだ新人だから、そんな色んな仕事を選べるわけじゃないけど。持ってみる?」
そういうとナエナちゃんはチェーンを外して、冒険者プレートを手渡してくれた。表の掘られた名前を見せた後、裏返して『3』と彫られた数字がある。この数字が何を意味しているのか解らないけど、それが仕事を選べない理由というのはすぐに理解した。
つまり冒険者プレートは一種の資格や免許証ということか。認識票に似ているのも、仕事中に亡くなった際の形見になるという役割もありそうだ。それにしても、これ1つでファンタヘルムの全ての冒険者ギルドで仕事を請けられるとは。冒険者という職業は、俺が思っていた以上に大体的なものなのだろう。
「うん、確かに初めて見る。ありがとう」
冒険者プレートを手渡そうとすると、ナエナちゃんは受け取ろうとせず何か考え、少し申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「……アスタくん、私それを付けるのが苦手だから代わりに付けてくれない?」
今までよく紛失しなかったな。というかさっきは自分で外せていたのに。まあ、そこまで複雑な付け方ではないから別に構わないが。
「……これでいい?」
「うんっ、ありがとう!」
後ろから冒険者プレートを付けてあげる。
そういえば、こうやって女性にアクセサリーを付けるのは、前世も含めて初めてだな。ドラマや小説とかの男性の心境は大抵緊張するものらしいが、俺はただ無の気持ちでやり終えた。相手が幼馴染だからか、それともナエナちゃんだからか、特に意識しなかった。一方、当の本人はなにやら嬉しそうな表情を一瞬浮かべて、冒険者プレートを服の中にしまう。
「昨日もそうやって服の中に入れていたの?」
「そうだよ!失くしたら大変だからね!」
言われて思い出すと、確かに昨日からナエナちゃんの首元にチェーンがあった気がする。
「そういえば中庭で何をしていたの?」
「私、昔からず~とアスタくんの家の中庭、気になっていたんだ!今まで策の外でしか観れなかったから、じっくり観ようかなって!」
「言ってくれればいつでも入れていたのに」
「だってここにあるのって全部商品なんでしょ?だから入っちゃダメなものだと思って」
思い返すと昔、ナエナちゃんはよく策越しで、うちの中庭を見つめていた気がする。その時は俺が居た時だから、ただ単に俺の用かと思っていたけど、中庭に入りたかったんだ。確かにうちの中庭は家業的に大量の花を育てなきゃいけないから、ペレーハ村の中では一番広い。子供からしたら好奇心で入ってみたくなるかもな。
「でも昨日ね、おばさんに聞いてみたら全然いいよって言ってくれたんだ!」
企業秘密という訳でもないが、確かに中庭にある花たちは大切な商品。他所の人をおいそれと入れることはできない。だけど、昔から顔見知りのナエナちゃんだからこそ、花たちを雑に扱わないと信用して母さんは許可したのだろう。母さんが通したのなら俺から何か言うつもりはない。
「それにしても、アスタくんの中庭……昔と変わらず本当にお花が綺麗だね!
こんなにたくさんの花、王都でもなかなか見ないよ?1つ買っちゃおうかな?特にこの花、本当に綺麗……!いつまでも見ていられるよ!」
どうやら俺のお気に入りの花は、ナエナちゃんの御眼鏡に適ったみたいだ。だからさっきからずっと見ていたのか。大切に育ててきた花が誰かに褒めてもらうのは少し照れるが、それと同時に嬉しく思う。
「ねぇねぇ~、アスタくんも育てているんだよね?アスタくんのお気に入りとかあるの?」
「それだよ」
ナエナちゃんが見続けていた花に指をさす。
「えっ、そうだったんだ!?……でも納得!確かにアスタくんならこんなに綺麗な花を育てられそうだね!」
「……なんで俺なら納得できるの?花を育てるなんて……誰でもできること」
俺の疑問にナエナちゃんは微笑み、指先で花をつつきながら語り始める。
「ポインセチア、って覚えている?ほら、私んちが村を出る日にアスタくんがくれた花。……あれも本当に綺麗だったなぁ~。あの時すっごく嬉しかったから今でも覚えているんだよ。だからこれもアスタくんが育てたんなら、なんか納得ができるんだよね!アスタくんっぽいって言うか、アスタくんらしいって言うか」
これは驚いた。まさか8年も前の事をまだ覚えていたんだ。
確かにナエナちゃんに1つの花をあげたな。懐かしい話だ。花言葉の“幸運を祈る”という意味だからあげたんだっけ?俺なんてすっかり忘れていたのに。ナエナちゃんは花の名前まで憶えていてくれたんだ。
「ねぇねぇ~アスタくん、少し聞いてもいい?」
さっきまで笑ってみていたナエナちゃんは急に真顔になって俺の方を見る。
「昨日もそうだったけど、何でさっきご飯の時おじさんやおばさんとは話ししないの?私の時はこんな風に話してくれたのに……何で?」
一番答えにくい質問をしてきたな。てっきり母さんたちにある程度の事情を聞いているのかと思っていたけど、どうやら詳細までは知らないみたいだ。
「ねぇねぇ~、何でなの?喧嘩でもしているの?」
ナエナちゃんは返事を急かす。
中途半端な答えじゃ、きっとナエナちゃんはしつこく追求してくるな。ならここで観念して俺が思っていることを全部、吐き出してしまった方がいい。
「今更……話せられる訳ない」
「……どういうこと?」
「俺はずっと……両親を無視し続けてきたんだ。それが今になって……なんて言葉で話せばいいの?今は何故か話せられるようになったからって、それがどうしたっていう話だ。それに2人の前に立つと緊張して黙ってしまう。俺だって話したい……謝りたい……。でも、最初に……なんて言えばいいのか……分からない……」
家に居る両親に聞こえないように自分の本音を語った。
流石のナエナちゃんもこんな情けない姿を見て、俺のこと失望してしまっただろう。そう思いながら無意識に伏せていた顔を上げて彼女の方を見ると、何故か眉間にしわを寄せていた。
「アスタくんって、なんて言うか……思っていた以上に頭が固かいんだね」
「……えっ?」
思わぬ一言に呆気を取られた。一体どういう意味だ。
ナエナちゃんは立ち上がり、俺がさっきまで真剣だったのに対して楽しそうに話しだす。
「そういえばアスタくんってさぁ、昔から細かい事をぶつぶつと考えていたよね?あ~だこ~だの言って。別にいいじゃん!人と話す時ぐらいさ、そんな深く考え込んだり、無理に理由を作らなくても!自分が今したい気持ちで動いたらいいじゃん!考える前に行動、だよ!」
本当に学校で何を習っていたか、ナエナちゃんは感情論で説いてきた。俺の気持ちを完全に理解できていない彼女に、呆れて何も言えなかった。だけど一方で、何故か彼女の言葉に納得している自分もいた。
確かに……変に飾り付けした言葉よりも、直球に気持ちを込めた言葉の方が……両親に伝わるかも。でも……。
「そんなの……簡単にできるわけない。知っているでしょ?俺は……臆病だって……。勇気が出ない……」
自分のことはよく知っている。失敗することを考えてしまい何もしない臆病だということも、よく知っている。そう決断させる勇気があれば、こんなにも長く苦悩はしていない。
「何言っているの?私はアスタくんのこと、臆病じゃないと思っているよ?」
俺の眼を真っ直ぐに見て、ナエナちゃんはハッキリとそう言った。彼女の瞳は全く揺るいでいなかった。彼女は遠慮して言っているのではなく、本当に自分が思っていることを口にしているのだと伝わった。その言葉に対して、俺は何も反論できなかった。
「……あぁ~、またごちゃごちゃと考えていたでしょ?もしかして、私の言うこと信じていないの?」
「そういうわけじゃ……」
「ふ~~~ん。……ねぇねぇ~アスタくん、今日暇なんでしょ?」
暇という言い方もあれだが、確かにやることはない。強いて言うなら花たちの世話があるが、今すぐというわけでもない。とりあえず首を縦に振る。
「そう、ならよかった!ねぇねぇ~、今日は一緒に草原に行かない?」