その後、花たちの点検と摘芯を終わらして、ナエナちゃんに花の育て方を教えた。とは言っても調べたら誰でも分かる程度のこと知識と知恵だけど。それでも彼女は真剣に話しを聞いてくれた。そのおかげで教えることもすぐに終えられ、俺たちは家に戻る。
「2人とも、お疲れ様。お茶でも飲む?」
「はい、いただきます!」
テーブルに座る俺たちに母さんがお茶を入れてくれる。
ナエナちゃんが来る前から中庭で作業をした後、母さんは俺のためにお茶を入れてくれていた。だけど毎回、俺は飲み気にもなれず出されても一切触れることなく、そのまま2階に上がっていた。そういえば、用意したお茶を用意してくれた時、母さんはどんな顔をしていたのだろう。
「はい、アスタの分。熱いから気を付けてね」
もし今日みたいに嬉しそうに微笑んではいたと思うと、申し訳ない気持ちで胸が締め付けられるな。前に置かれたカップを手に取って口にする。いつも飲んでいるはずのお茶なのに、今は作業した後のおかげか一段と美味しく感じる。
「2人とも、今日はどうするの?また、どこかへ出掛けるの?」
ナエナちゃんが来てから連日で外出したから、そう思われてしまうのも無理はない。だけど今日は勘弁してもらいたい。3年間、引きこもり生活をしていた身体がいきなり外出したせいか、かなりの疲労感がある。傍から見れば分かりにくいだろうけど、普通を装っているだけで足とか結構辛い。
「私はこれから、隣の町に行こうと思っているんです」
どうやらナエナちゃんは何か用事があるようだ。
昨晩話している時、そんな素振は一切なかったのに、一体どうして?
「あら、そうなの?お仕事?」
「まあ、そんな感じです。ちょっとこの手紙を出しに」
そういいながら、さっき書いていた手紙を手にする。早急に送りたい物なのだろう。
ペレーハ村には郵便屋という施設はない。手紙は毎朝早朝で村にやってくる馬車のみ乗せてもらい、隣の町にある郵便屋まで配達してもらえる。馬車はこの村に到着して1時間後に出発するから、昼に起きたナエナちゃんでは渡すことができなかった。
「多分、夕食までには帰ってくるので安心してください!」
「夕食って……忘れているかもしれないけど、ペレーハ村に来る馬車は朝と昼だけなのよ?」
「知ってます!だからここに来た時みたいに、歩いて帰るので!」
昨晩知ったけど、この人うちに来る時、馬車がないから隣の町からわざわざ歩いてペレーハ村に来たらしい。距離は大体、大人でも歩いて4時間近くは掛かるはず。
それでもナエナちゃんが平然と到着できたのは、学校で会得できた【俊敏化】のおかげだそうだ。子供の頃、クミル叔父さんが披露してくれた素早く移動できるスキルだ。それで4時間も掛かることなくペレーハ村に着けたわけだ。だけど今回は往復、時間もそうだけどその疲労感はきっと計り知れないはず。
「そう?疲れて無理そうなら、あっちで泊ってから帰ってきてもいいからね」
「大丈夫!仕事上で荒事を熟したおかげで、体力と足には自信がありますから!」
「……分かったわ。じゃあ今夜もナエナちゃんの分を用意しておくわね」
「はいっ!それじゃあ行ってきます!」
そう言い残し、ナエナちゃんは手紙を片手に家を出た。
明日まで待てばいいのに。それ程まで早急に送りたい内容なのか?こういう時、前世の文明の利器を知っている分、文通の不便さを感じてしまうな。
「さて、私はちょっと買い物してくるけど……アスタはどうするの?」
普段、母さんからこんな問いかけはされなかった。
昼食を取った後、俺はすぐに自室に戻っていたけど、今日は食べ終えてもすぐに席から離れなかった。別に大きな理由はない、ただ前と違って今はすぐに自室に行きたいという気持ちがないからだ。
さて、どう答えようか……。また自室に籠ってもいいけど、せっかく引きこもり生活から変わろうとしているんだ。何か少しでも手伝いがしたい。だけど、こんな俺が今さら、何が出来るって話だけど……。
「……あっ、そうだ!お母さん、昨日する予定だった売り上げの計算、すっかり忘れていたわ!アスタ、確か昔から計算が得意だったわよね?もしよかったら、手伝ってくれないかしら?」
計算か……久しぶりだな。いくら本を読んでいたとはいえ、単純な計算は俺でもできるはず。
それくらいならできると思い頷くと、母さんはタンスから数枚の書類を持ち出して、俺の前に並べる。こうして作業をするのは本当にいつ振りだろうか。
「ゆっくりでいいからね。それじゃあ、お母さんも行ってくれるわ」
そう言って母さんも居間から離れて、家から出た。残された俺は用意されたペンを手に取り、書類と睨めっこして作業を始める。
久々の筆作業のせいで文字は歪だが、計算の方は意外にもできた。単純な足し算掛け算を暗算で解けて記入する。もちろん計算ミスがないか何度も確認したが、1つもミスしていない。
◇
星暦2032年 冬の43日 火の日 夜
全ての作業が終わると外は完全に暗くなった。1人を除き全員が先にお風呂を済まして、1つのテーブルの席に座ってご飯の準備も済ませて食べ始めていた。
今日は静かな食卓だ。いつもなら何かしらの話題で両親から話しかけてくるが、今日は全くというほどない。理由は明白、俺も含めて全員ナエナちゃんの心配をしているから。そう、まだ彼女は帰ってきていない。
ナエナちゃんは行き際に「夕食までには帰ってくる」と言っていたのが、時計の時針はとっくに午後8時を過ぎていた。最初はまだかまだかと待ち続けていたが、時間が経つにつれて徐々に心配になってきている。もしかして道中に何かあったのだろうか、何か問題に巻き込まれているのじゃないのかと、全員が心の中で思った。
いや、多分だけど……大丈夫だろう。きっと走り続けて疲れて、どこかで休んでいるのだろう。大丈夫、ナエナちゃんは強い……心配していても無駄かもな。
そう考えている時、庭の方からドンッと鈍い音が聞こえた。
沈黙からの唐突な音だったがゆえにこの場にいる全員が驚いた。気になった両親は恐る恐る庭につながる扉に近付く。俺だけは1歩も動かなかった、何となくだが音の正体に気付いている。
庭への扉が勝手に開き、外から1人の女性が入って来た。
「「ナエナちゃん!?」」
「す、すいません……!遅くなって……!」
やっぱりナエナちゃんだったか……。無事そうでなによりだ。
「いやぁ~、流石に疲れたぁ~!」
「一体どうしたの、すごい汗じゃない!?」
ナエナちゃんはそのまま俺の隣の席に座って荒い呼吸を整える。
服に滲んでいる程の汗をかいて、肩で呼吸をしてかなりの疲労している。とりあえず水分補給した方がいいかも。空いているグラスを取り出して、俺が魔法で水を注ぐ。
【水魔法:リ・ウォーター】
「……うん」
「あっ、ありがとう!……ぷはぁ~、生き返るぅ~!」
中年オヤジの様な一気飲みで渡した水を飲み干す。
何事もなく通常運転の様に寛ぐナエナちゃんに、彼女の分の料理を準備する母さんが問いかける。
「無事に帰って来てくれて本当によかったわ!なんで帰りがこんなに遅くなっちゃったの?」
「あ、あはは……。ちょっと色々ありまして……」
ナエナちゃんは至急、冒険者ギルドへ送りたい手紙があったらしく、それを持って隣町の郵便屋へ向かった。何も問題はなく用事は無事に済ませられたが、帰ろうとした時に町の近くでゴブリンの集団が出没したそうだ。街には数人の冒険者もいたが数に負けて劣勢だったため、彼女も加勢して救助したらしい。あまりにも数が多かったため数時間かかってしまったけど、何とかゴブリンの集団を全滅させることに成功はしたそうだ。町からお礼として軽い報酬を受け取り、【俊敏化】で全力疾走してペレーハ村に帰ってきたらしい。
なるほど、だからこんな時間になってしまったのか。……んっ、待てよ?ナエナちゃん、さり気無く戦闘した後に全速力で帰って来たって言った?……相変わらず、すごい体力だな。
「……一応聞くけど、どこかケガしていない?かすり傷とか切傷とか?」
「はい!私はどこもケガしていないです!」
「うん、なら良かった!冒険者だからそういうことは仕方がないと思うけど、せめてこのうちにいる間は無茶しないでね?さあ、みんなでご飯にしましょう!ナエナちゃんも、お腹空いたでしょ?あっ、それともお風呂にする?すぐに準備できるけど?」
「ご飯、お願いします!」
ナエナちゃんの前に空っぽだった皿に料理が用意された。彼女は満面の笑みを浮かべながら料理を食べる。パンをちぎって飲み込む、おかずを流し込む、またパンを飲み込む、そして喉に詰まらせる、それを見て俺たちは笑う。彼女の存在が沈黙だった食卓を明るくしてくれた。
◇
「おやすみ、アスタ」
「おやすみなさい、アスタ」
「……おやすみなさい」
ご飯を済ませた俺は、昨晩と同じ様にそう言い残して自室へ戻った。
ベッドに腰を下ろして、膨らんだ腹を撫でながら満腹感に浸る。昨晩の食事も楽しかったが、今日のはまた別の幸福感を覚えられた気がする。
「アスタくん開けて~!」
自室に入って数分後、今夜もまたナエナちゃんがやって来た。
ナエナちゃんは食事の後、すぐにお風呂に向かったはず。多分10分程度しか経っていない気がする。冒険者という職業柄のせいか、あまり長風呂はしないのだろうか。とにかく拒否するとまた何してくるのか分からない。今日も素直に入室を受け入れよう。
「……ッ!?」
ガチャッと扉を開けた先には、髪が少し濡れたナエナちゃんが立っていた。赤い髪が真っ直ぐに下に落ち、その雰囲気はさっきまでとは違って、すごい色気のある大人の女性であった。彼女の容姿が初恋の人と似ていることもあって、一瞬目を奪われてしまった。
「ねぇねぇ~、今晩も話ししない!……アスタくん?」
「えっ、あっ、うん。いいよ、中に入って」
少し動揺してしまったが、ナエナちゃんはそんな心境を気に止めず自室に入ってきた。昨晩でもう慣れたのか、彼女はそのまま俺のベッドに座って背筋を伸ばした。
「う~~~ん!今日は疲れたー!」
「お疲れ様。隣町まで走って来たからね、疲れるに決まっているよ」
俺もベッドに腰を下ろして、昨晩の様に会話を弾ませた。
「この村にも郵便屋があったらなぁ……!まあ無事に渡せたから良いけど!」
「ゴブリンの集団に出くわしたのに無事って言えるの?」
「無傷だったから実質無事なの!」
「……そういえば、何で今日そこまでして郵便屋に行きたかったの?」
「あー、えーと……アスタくんなら別にいいか」
何気ない質問だったが、一瞬ナエナちゃんは困った表情を見せた。だけど俺ならと信用してくれるのか話してくれる。
「……アスタくんは、3年前ゴブリンの集団を倒したんだよね?」
唐突にあのゴブリンの集団の話題が浮上した。
それに関連しているのだろうか。とりあえず頷く。
「実はここ近年、ウエスト大陸中でゴブリンの集団があちこちで出現しているんだ。主に小さな村や町とかが襲われているらしいけど、その被害数は止まることがないの。ゴブリンの集団の規模は、最初こそ村人でも対処できるくらいの数体だったんだけど、日が経つにつれて出現するゴブリンの数が増えて、今じゃ冒険者や騎士たちが出張る程の大人数になっているんだ」
つい最近まで自室に引きこもっていた身だ、当然そんな情報は初耳だ。まさかのシリアス的な話題の展開に、俺は固唾を呑んで聞き続ける。
「……大丈夫?」
「うん、大丈夫。……続きを教えて」
「……それでね、私たちウエスト大陸の冒険者は、冒険者ギルド本部から第一優先として“ゴブリンの活発の原因の捜査と処理”を命じられているんだ。今では騎士たちとも連携を取ってウエスト大陸中のどこかで戦っているの。多分アスタくんが倒したっていうゴブリンたちも、その騒動の一翼だと思う。アスタくんが倒してから3年間、この村にゴブリンが現れないのは良いことなんだけど……私にはどうしても1つ気になることがあるんだ。アスタくん……3年前、戦ったそのゴブリンたちって、何処から来たと思う?」
ゴブリンたちと出会ったのは草原の奥にある森。だが、あの森の更に奥には地図上では海になっており、話によれば断崖絶壁の崖だけしかないという。つまり、あのゴブリンたちは遠方から崖際を沿ってわざわざ遠回りしてきたということになる。しかし、それだと新たに疑念が浮かび上がる。一体どうしてゴブリンたちがあの森に流れついてしまったのか。食料を探しに来たとするなら、あの森より北東門に出てすぐにある森の方が、食料となる物は多い気がする。
黙々と部屋の中を歩きながら考え続ける中、さっきナエナちゃんが言っていたことを思い出す。
小さな村や町襲っている、か……。まさか、あのゴブリンたちは初めからペレーハ村だけ、襲うためにやって来たのか!?そんなことありえるのか!だとしたら色々と頷けられるけど……
「……アスタくん、本当に大丈夫?」
ナエナちゃんの方を振り向くと心配そうな表情で見ていた。ヤバい、彼女の前で不安になるような行動をしてしまった。
「ごめん、少し考え事をしていて。……俺にはゴブリンの動向なんて理解できないから、何処から来たとかは分からないかな。それで、手紙とその話がどういう関係なの?」
「うん、だから私……今日、王都に手紙で依頼を出したんだ!“ペレーハ村と隣接してある森にゴブリンの活性化の要因の可能性あり。至急、調査するように”って!多分、5日後くらいには王都の冒険者ギルドに届くと思うから……遅くても2週間後には大勢の冒険者が来ると思う」
すごい行動力、素直に驚いた。あの手紙の内容は同業者への依頼の手紙だったようだ。まさか1人でそこまでのことを考えていたとは。
「んっ、ちょっと待って?依頼って言うことはお金がいるよね?それはどうするの?」
「私の自腹!自分の故郷なんだもん、それぐらいの報酬安い物よ!」
ヤバい、ナエナちゃんがカッコよすぎる。まさかここまで地元愛があるなんて。
「ありがとうナエナちゃん、そこまでしてくれて」
「ふふっ、どういたしまして!」
「なんかナエナちゃんには助けられてばっか。また別のお返しを用意しないと」
「え~、いいよそんなの。私がただそうしたいって思って動いただけなんだから。でもそうだね~、どうしてもって言うなら……私が困った時に助けてね!」
それは一体どういう状況なのか想像がつかないけど、ナエナちゃんに言われるまでもなく、俺は彼女の力になるつもりではいる。
「うん、その時がきたら……絶対に助ける」
「期待しているね!」
ナエナちゃんはいい笑顔で返答した。シリアスな話の後とは思えないくらいのいい笑顔だ。ここで一段落ついたが、俺の中にはまだ気になることがあった。
「ナエナちゃん、もう1個質問してもいい?」
「うん、いいけど……なに?」
「ゴブリンって頭が良いの?例えば……戦う作戦を考えたりとか」