星暦2032年 冬の44日 水の日 真夜中
ほとんどの家の明かりが消えて、ペレーハ村は夜の暗さと同化した。村全体を照らしてくれていた月も雲により隠されている。酷く冷えた夜の風が村中に走る。
3年前のゴブリン出現により多少の危機感を覚えた村長が人員を増やすことにし、ペレーハ村の門番を北東門と西門に2人ずつ警備している。武器は新しく街町から人数分を発注して強化した。
しかしあれから3年間、ゴブリンどころか他のモンスターの1匹すらペレーハ村に近付こうともしなかった。それもそうだろう、こんなウエスト大陸の最端には大きな実りもなければ、人の数も少ない。ゴブリン集団が例外なだけで、この地域で村を襲おうと思うモンスターは生息しない。
そう考えている今夜の門番たちは、無駄口を叩きながら眠い目を擦らせて長い夜を過ごしている。怠っている様にも見えるが何もない真夜中だから仕方がない。今日もペレーハ村は平和に一晩を過ごすと思っているのだから。だが、その平和もここまでだった。
「行く、ぞ……」
突如ペレーハ村全体にドカーンッという爆音と地揺れが起きた。まるで何かが崩壊したかのような音だった。
「えっ、なにっ!?」
「じ、地震ッ!?」
談笑をしていた俺たちは、今まで体感したことない現象に困惑。
一体何が起きたのか理解できず硬直してしまう。一方でナエナちゃんは何か情報を得ようとすぐさまベッドから立ち上がり、窓を開けてペレーハ村の様子を見始める。
「こ、これは……!!」
ナエナちゃんは目にした光景を見ると絶句、そして固まった。
遅れて俺も彼女の隣に立って窓の外を見てみると、彼女が固まった理由が分かった。俺たちの目に映ったのは、高く煙を上げて燃えている西門だった。炎は木製の門から両隣に繋がっている策へと燃え移り、徐々にその火の粉を広げ続ける。
嘘だろ……なんだよ、これ……?門が……燃えている?
到底受け入れられない現状に言葉をなくす。
西門付近でなにやら人影が見える。家から西門まで距離があるせいでよく見えないが、恐らく門番の人たちだろう。だけど少しおかしな点がある。その人影の数は2人以上に見える。毎晩2人がしているはずなのに炎から出てくる影は5人6人と増え続けた。
「……あれって……!!」
隣にいるナエナちゃんは小さく呟く。その顔はまるで恐ろしいものを見えたかのように青くなっていた。その刹那、彼女は何かを決断してすぐに自室から飛び出して、屋根裏に向かった。真上でドタバタと物音を立てている。
一体何を見て動いたのか全く理解できず、俺はもう一度燃えている西門に目を向けた。眼を離した隙に、いつの間にか人影の数は20人以上になっていた。あまりに奇怪で異常。その正体が気になり、何とか確認しようと眉間にシワを寄せて見た。
燃える炎の光によって、その影の正体が分かった。ナエナちゃんが何故あんな顔をしたのか遅れてようやく理解できた。炎の光で明るみになった人とは思えない肌色を見た瞬間、俺の脳裏は3年前の出来事を思い出した。その影の正体は緑色の肌を持ったモンスターの大群……ゴブリンの集団だった。ゴブリンたちは全員何かしらの武器を装備しており、あからさまな殺意を示している。
何で……何でゴブリンの集団がこの村にッ!?まさかあれ全部ゴブリンなのか!?どうしてこんな夜中に、どうやって炎を出した!……ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバい!!
村の住民たちもさっきの爆音と地揺れで目覚めて、それが気になり家から出てき始めていた。ゴブリンの集団が見えていないのか、不用心に何も持たずに燃える西門に向かって歩く。
「アスタ、ナエナちゃん、大丈夫か!?」
両親も目覚めて、慌てて自室にやって来た。
両親の方を振り向くと、指を震えさせながら窓の外へ指をさす。
「ナエナちゃんはどこに行った?」
「今、屋根裏へ戻りました……。そ、それより父さん……む、村が……!」
「分かっている!3人はすぐに北東門前に避難してくれ!俺は他の住民たちの避難誘導してくる!」
どうやら父さんたちも状況は理解していたようだ。そのうえで最適解を導き判断していた。正直、父さんにそんな危険な真似はさせたくはない。一緒に避難したい。しかし、この人は家族だけじゃなく人為のためなら体を張る人だ。今ここで止めても聞かない。そのことを誰よりも理解している母さんはそれを聞いた途端、父さんの隣で何も言わず涙目になって体を震えさせている。
そんな母さんの様子を見て、父さんは優しく肩に手を置く。
「母さん……そんな顔するなって!ちょっくら顔なじみ共を助けに行くだけだ!無茶はしない!アスタ……母さんとナエナちゃんを頼むッ」
意味深な言葉を最後に、父さんは自室から出ようとした。
その時、通路からドタドタと走る音が聞こえてくる。
「アスタくんっ!それにおじさんにおばさんもっ!」
ナエナちゃんが屋根裏から戻ってきた。
さっきまでの普段着ではなく、格好は初めて見る銀色の防具と昨日アンデッドを討伐した剣を装備している。まるで今から戦闘を始めるかのよう、冒険者らしい姿である。
「ナ、ナエナちゃん……その格好は?」
「私がゴブリンたちを引き付けます、その間に北東門から出てこの村から逃げてください!」
母さんの問いに対してナエナちゃんはとんでもないことを言い出した。
俺たちも何となく察してはいたが、どうやらナエナちゃんはゴブリンの集団と戦うつもりだ。どう考えても無謀にも程がある。これには父さんも珍しく声を荒げて止めようとする。
「なッ……!?キミを置いて俺たちだけ逃げろと言うのか!?そんなことできるわけないだろ!ナエナちゃんも一緒に……」
「私は冒険者ですっ!この村の中で1番戦えるのは私だけっ!集団相手には慣れていますっ!」
確かにナエナちゃんの言う通りだ。ペレーハ村の住民はほとんどが農民。戦闘経験なんてあるわけがないし、戦えるわけがない。例え武器を装備したとしても、ゴブリンの集団も武器を所持している。正直、勝てる見込みがない。
「アスタくんたちは村のみんなを先導して隣の町まで避難してください。暗くて他のモンスターも出るかもしれませんが、この周辺は下級モンスターしかいません。焚き火を持って、大人数で固まって移動すれば怖気づいて出てこないはず。後からゴブリンに追われたとしても、別れたりしてバラバラにならないでください。ゴブリンは少ない人たちから集中的に狙ってきます。それから……」
「ちょっと待って!後からゴブリンって……ナエナちゃんもちゃんと逃げるのよね?」
ナエナちゃんが熱心に避難方に着いて語っている中、母さんが食い気味で質問した。当然だ。あんな言い方をされればまるで、もしも自分の身に何かあった時みたいに聞こえるのだから。
「……大丈夫ですっ!私、これでも走るのは得意ですから!本当に危なくなったら退き際をみてちゃんと逃げます!さっきの言い方は勘違いをさせてしまいましたね。私も冒険者になれましたがまだまだ新米。あのゴブリンたち全員の相手はどうしても無理かもしれません。だからもしも、取り逃がした奴らがいた時にために説明していたのです!」
ナエナちゃんは少し間を空けると、笑顔で返答してくれた。彼女の冷静で自信のある説明に母さんは何も返せなかった。
「キャァァァァァ!!」
「モンスターだ!モンスターが襲って来たぞぉぉ!!」
「うわぁぁぁぁぁあああああ!!みんな逃げろぉぉぉぉぉ!!」
外から叫び声が聞こえた。住民たちがゴブリンを目視したようだ。
窓を覗いて見ると、ゴブリンたちが住民たちを追いかけて襲い掛かっていた。何人か負傷者が出てしまったようだが、幸いまだ死者はいない。だけど、それも時間の問題だ。
「あとはお願いしますっ!!」
悲鳴を聞いたナエナちゃんはその一言を残して、俺の横を駆け抜けて窓から家を飛び出した。2階から無事に着地して、彼女はそのまま西門の方へ走り出した。
確かにナエナちゃんの言うことは全くの正論。彼女が強いのは分かっている。彼女が逞しいのは知っている。彼女がいればこんな状況も何とかしてくれることも理解している。
だけど、見てしまった。ナエナちゃんが家を飛び出す瞬間、さっきまでの自信満々な笑顔とは真逆の、かなり焦っている表情をしていたのを。あれほど人が危機を感じた顔を見たのは初めてだ。俺たちの前で毅然とした態度を取っていたが、きっと彼女もこんな災害に直面して不安感が募っているはず。
それでもナエナちゃんはゴブリンの集団の元へ向かった。自分が1番戦えると分かっているから、彼女は勇気を持って俺たちの代わりに向かってくれた。彼女にとって俺たちは、言い換えればお荷物。頭では分かってはいる。それでも、納得ができるわけがない。
「……父さん、母さん、お願いがあります。俺もナエナちゃんと一緒に……」
そう言いかけた瞬間、母さんが俺の言葉を遮って強く抱きしめてきた。
「か、母さん……?」
「アスタ、お願いっ!もう戦おうとしないでっ……!!」
何を言いたいのか瞬時に理解されてしまったようだ。
抱擁する母さんの両腕は不安と恐怖で震え、見えなくても分かるほど号泣している。そんな母さんを宥めるようにそっと肩に手を置くと、後ろに立っている父さんと目が合う。
「アスタ、お前の気持ちはよく分かる。確かにお前は一度ゴブリンと戦ったことがある。だけどな、今回は数が数だ。悪いが、ずっと引きこもっていたお前には勝てるわけがない」
何も言い返せられない。確かに、いくら攻撃魔法が使えるとはいえ肝心の俺自身が貧弱では、返り討ちにされるのが目に浮かぶ。
「それに……俺も母さんと一緒で、もうお前が傷付いた姿は見たくないッ!頼むッ、ナエナちゃんを信じて逃げてくれッ……!」
「……はい、分かりました……」
ここまで言われてしまっては、もう何も言えない。これ以上、俺のせいで両親に悲しい思いをさせたくはない。ここまで真剣に心配してくれる両親の想いを無下にして、この腕を振り払ってナエナちゃんの元に行けないじゃないか。
「……母さん、アスタ、すぐにペレーハ村から逃げろ。俺もナエナちゃんと一緒に、必ず合流する……」
そういって父さんは退室した。
口調は淡々していたが、その内心は俺たち以上に悲しみと怒りに満ちているのが分かる。そんな父さんの姿を見て、自分はどういう者なのか理解した。俺は、モンスターに対抗できない無力でただの農民だということに、ようやく理解できた。
◇
俺と母さんは必要最低限の物だけを鞄に入れて、動きやすい格好に着替えて北東門へと向かって。門の前にはすでに避難していた住民たちが集まっている。しかし何故か北東門は開いておらず、誰一人として村の外へ出られていない。そのせいで住民たちは軽くパニック状態になっている。
「おい何をしているんだッ!?早く門を開けろよッ!!」
「すぐそこまでモンスターが迫っているのよっ!!早くしてぇっ!?」
「ままぁぁぁぁぁ!!怖いよぉぉぉぉぉ!!」
「村長さんっ!!お願いだから早く、この村から逃げましょうっ!!」
どうやら村長が北東門前で住民たちの進行を妨げているようだ。まるで阿鼻叫喚のように不安を言葉にする住民たちの前に、村長は大きく声を張って訳を告げる。
「今、若い者たちに先に出てもらい、北東門の外にもモンスターがいないか確かめてもらっておる!!その者たちの報告が届くまでここに待機するんじゃ!!」
もし門の外にもゴブリンの集団が待ち伏せていたら、開門した時点で前にも後ろにも挟まれて一巻の終わり。それを阻止するために、数名の門番を門の外へ調査に向かわせている。予期せぬ事態なはずなのに、村長は誰よりも速く行動を移していたようだ。
村長の言葉に理解した住民たちは口を閉じるが、心底納得できたわけではない。背後から迫りくるモンスターの恐怖に不安と焦りが募り、段々と全員に息が荒くなっていく。母さんも例外ではなかった。
「お願いします、神様……。どうかみんなを、助けて下さい……」
隣で両手を握り合わせ、小さく神頼みしている。涙目になりながらそう懇願する姿に、俺はただ母さんの肩にそっと手を置いて宥めることしかできなかった。
神様、か……。俺も母さんみたいにお願いすれば、また転生の時みたいに助けてくれるのかな?「神が接触するのは天国では禁止」って言っていたし、それはないか。
もしかして……今回の事件、転生した俺が原因だったりして……。ナーバスになっている場合じゃないか。俺は言われた通り、母さんを連れて……ゴブリンから逃げよう。
そう考えていると北東門が微かに開いた。その隙間から1人の男性が入ってきた。村長が言っていた者だろう。男性は村長に傍に駆け寄り、耳打ちする。
「村長ッ!この先にモンスターはいませんでしたッ!」
「確かか?」
「はいッ。念入りに調べましたが、獣の気配すらありませんでした。この騒音で森の奥へ逃げたのかと。逃げるなら今が絶好の機会かとッ!」
「よし、ご苦労ッ!」
村長は一段落安心したかのように表情が少し緩くなる。どうやら吉報だったみたいだ。
そんな村長の様子を見ていた母さんは、ふと何かを思い出した。
「村長っ!」
母さんは村長の元へ駆け寄り、男性のように耳打ちで何かを伝えた。
「……うむ、あい分かった!サーネスさん、助言感謝する!あとは任せて、ご家族の元へ」
話が終わり母さんは俺の方へ戻り、村長は再び住民たちに向けて大声で告げる。
「皆の者ッ、門の外の安全が確認できたッ!これより北東門から村から逃げ、隣の町まで避難するッ!!その際、焚き火などの明かりを持って、できるだけ固まって移動する!そして……」
どうやら母さんが村長に話していたことは、さっきのナエナちゃんから言われたことだったみたいだ。正直、俺や母さんみたいな住民より、村長の方が住民たちは信じてくれるはず。
「長くなってしもうたが、これより北東門を開くッ!皆、さっき言った通りに冷静に動くんじゃッ!」
村長が最後にそう告げると北東門はゆっくりと開門した。
開いた景色の先には、不気味なほど薄暗い中にある一本道。モンスターや獣の気配はしないが、まさか夜のペレーハ村の外がこんな景色だったとは思いもよらなかった。同じくそう思った住民たちは一瞬この中を歩くのを躊躇ったが、後ろから迫るゴブリンたちの恐怖が上回り、ゆっくりと門を潜る。