ハードゴア・アリスが杏子に迫る。
地上を蹴って、瞬時にその姿が杏子の正面に現れる。
「コイツ……!」
ハードゴア・アリスの貫き手。
その一撃は正確無比に杏子のソウルジェムを狙っていた。
守勢に回ろうとするが。
(……ちぃッ! ダメだ、半端な防御じゃ捌けねえッ!)
敵の攻撃ごと、腕を叩き切るか。
いや、違う。
それなら相手の、自身のダメージを無視した攻撃でそのままソウルジェムを貫かれるだけだ。
(逃れるしかねえッ……!)
杏子は身を捻った。
攻撃が胸元をかすったが、何とか回避に成功する。
そこを。
ハードゴア・アリスの鋭い足払いが杏子の足を打ち抜いた。
無理な姿勢だったことも相まって、容易く転がされる。
ハードゴア・アリスの片足が大きく振り上げられた。
かかと落とし。
その一撃もまた、防御度外視の急所を狙った攻撃。
杏子は仰向けに倒れながら、それでも横へと体を転がした。
ハードゴア・アリスの足が屋根を打ち、建物を大きく揺るがす。
(さっきの、馬鹿みたいに銃火器ぶちかます奴とは訳が違う……。相手の特性と殺意への見積もりが甘かった……!)
何とか生まれた隙を縫って立ち上がり、二歩、三歩と跳び退って距離を開く。
それでもまだ遅い。
数瞬後には、再びハードゴア・アリスは防御を無視した動きで、杏子の前に肉薄するだろう。
杏子は槍を多節棍へと変化させ、鞭のようにしならせた。
ハードゴア・アリスの体へ巻き付き、動きを止める。
藻掻くが、彼女の腕力を以てしてもその拘束は容易く解けはしなかった。
(斬り落としてもダメ……、頭を砕いてもダメ……。粉微塵にすれば多少は時間が稼げるだろうが、あたしの武器の特性上、そんなマネは無理だ……!)
八方塞がりか。
仮にここから撤退したとしても、ハードゴア・アリスが追撃を諦めない限りは延々逃げ続けるしかない。
仮に目の前の魔法少女が文字通り、疲れを知らない化け物だとしたら、止まった時点で終わりだ。
どうする――。
と。
「やめて! ハードゴア・アリス!」
建物の窓から顔を見せた白い衣装の魔法少女が、ハードゴア・アリスに向かって叫んだ。
「これ以上、戦うのはダメだよ! 小雪が怖がってる、貴女が戦えばまた怖がる! 悪循環だよ! 拳を納めて!」
ハードゴア・アリスの動きが止まった。
車がサイドブレーキを思いきり作動させたように、ガクンと制止する。
(逃げられる……か?)
そう判断した杏子はその場を蹴って、別の住宅の上まで後退する。
(くそ……! 逃げてばっかりじゃねえか、あたしは! 情けねえッ……!)
佐倉杏子は今まで、生きるために暴力をかざしてきた。
弱い奴は嫌いだし、邪魔する奴は容赦なく暴力でねじ伏せてきた。
だが、ここ神浜は違う。
杏子に匹敵する魔法少女がごろごろいる。
だから尚更、撤退を選ばざるを得ないこの状況に、自分で自分に腹を立ててしまう。
(覚えてやがれ……! 魔法少女狩り達……!)
杏子はスタン、スタンと、住宅の屋根を伝うように、みかづき荘から撤退していった。
ソウルジェムが濁りを溜めていくのを感じながら。
玄関口から戦闘の様子を黙して見ていたやちよが、呆然とした様相で呟く。
「逃げて……くれた?」
やちよが窓からハードゴア・アリスを見つめるスノーホワイトの姿を見た。
ハードゴア・アリスもまた、スノーホワイトに視線を向けている。
「ハードゴア・アリス……」
ポツリと、スノーホワイトが彼女の名前を呼んだ。
ハードゴア・アリスがそれに応える。
「魔法少女はまだいます。それがスノーホワイト、貴女です」
今までの魔法少女狩りではない。
その言葉はしっかりとした理性を持って、紡がれていた。
「今はまだ、姫河小雪を守ってください。それが正しい魔法少女の姿だから」
そう言うが早いか、ハードゴア・アリスの体から黒い霧が吹き出し、散っていく。
彼女の体がそれに包まれ、やがてその体ごと霧散し、姿を消した。
「ハードゴア・アリス……やっぱり、貴女たちは」
窓から体を乗り出したスノーホワイトはそれを見届けて、呟く。
彼女の体に、姫河小雪が抱き付くのが見えた。
そんな彼女を抱き寄せて、頭を優しく撫でるスノーホワイトの姿は。
まるで子どもを優しくあやす母親のように見えた。
* * *
「ほむらちゃん、ちゃんと来れるかなぁ……」
まどかはさやか、なぎさと共に神浜市の郊外にある山林の中でほむら達を待っていた。
なぎさがねむりんから得た情報を共有するためだ。
「ちょっと場所が悪いかもね。この辺の山、馬鹿広いし」
軽口で、仕方ないじゃんなんて言うさやか。
と。
(まどか、まどか、聞こえる?)
(ほむらちゃん!)
ほむらからまどかにテレパシーが届いた。
(指定の場所だけど、今、私と巴マミ、なのはは郊外近くの廃ビルの屋上にいるわ。だけど貴女たちがいる場所は森が深くてわからないの)
(わかった、ほむらちゃん。こっちからほむらちゃん達の方へ行くね)
(ありがとう、待っているわ)
テレパスが切れる。
まどかはさやかとなぎさに向かって。
「ほむらちゃん達、近くに来てるけど場所がわからないって」
「あちゃー、やっぱりか」
「でも、みんな近くまで来てるから。こっちから迎えに行くって伝えておいたよ」
「まあそれが一番手っ取り早いよね」
言って、さやかはちらりとなぎさに視線を送った。
それに気付いたなぎさが、コクンと頷く。
「とにかく情報共有しないといけないです。事態は危急を要するのです」
「あんたがそれだけ焦るなんて珍しいもんね。のんびりが服を着て歩いているみたいなあんたが」
「そんなこと言ってる場合じゃないのです」
「はいはい」
プラプラと、なぎさに対してさやかは軽い口調で返して手を振った。
「そんじゃま、さっさと合流するとしますか。なぎさが焦れるくらいなんだから、相当切羽詰まってるってことでしょ」
「わかってるなら早く行くのです」
「怖いってば。先に行ってるよ」
これ以上、機嫌の悪いなぎさに付き合うのは面倒だと言わんばかりに、言葉を返してさやかはその場を跳び立った。
なぎさがまどかの方を向いて。
「ほら、まどかも急ぐのです」
「わかったけど……、どうしちゃったの、なぎさちゃん」
「その話をするためにもみんなで一度、意見交換しないといけないのです」
それだけ言って、なぎさは会話を打ち切った。
そのまま跳び、さやかの後を追っていく。
「なぎさちゃん……」
なぎさの態度に一抹の不安を覚えながら、まどかは呟いた。
ほむら達が待つこと数分、まどかが廃ビルの屋上に降り立つ。
「まどか!」
それを見たほむらは、第一声で彼女の名を呼んだ。
「ほむらちゃん、さっきぶりだね!」
「ええ、まどか達も無事で何よりだわ」
ストンと、さやかとなぎさも屋上に降り立った。
「お久しぶりです、マミさん!」
「え、えぇ……。貴女が美樹さやかさん、かしら?」
「あれ? もしかして記憶違いですか、マミさん?」
「記憶違い?」
マミの言葉を聞いて、さやかは軽口のままだったが、表情を引き締める。
なぎさへと視線を移した。
「詳しいことは今から話すのです。だけど、落ち着いて聞いて欲しいのです」
なぎさの強い口調――しかしその姿格好のせいで小学生が精一杯強がっているようにしか見えなかったが、それはそれとして。
なのはが口を開く。
「なぎさちゃん、そんなに重大な事態なの? 今の状態って」
「はいなのです。ですから、真剣に話を聞いて欲しいのです」
「う、うん」
その言葉を受けて、なぎさが現状について語り始める。
「今、この神浜市に起こっている事態、それはある魔女に起因しているのです」
「ある、魔女?」
「はい。ですが、今はそのことは頭の隅に置いておいてくださいなのです」
ふむ、と思案するマミ。
とりあえず、それは頭の端で覚えておくとして、なぎさの次の説明を待った。
「今、神浜市はその魔女によって結界に包まれているのです。いわゆる、魔女結界なのです」
それを聞いて。
「魔女の……結界!?」
「そうなのです」
驚くほむらに、なぎさは頷いた。
「この結界の厄介なところは、罠にかかった魔法少女は皆、記憶を操作されてしまうということなのです。覚えがありませんか? 知っているはずなのに知らないこと。他人は知っているのに、自分だけが一方的に知らないこと。マミ、特に貴女は体感しているはずなのです」
「私が?」
「はい、貴女はさやか達のことは知らないのに、さやかとまどかは貴女のことを知っているのです」
「もしかして、佐倉さんも同じ、ということかしら?」
聞いたさやかが、「うん」と強く頷いた。
「あたしはマミさんのことをよく覚えている。でも、マミさん達はあたしのことを知らないんだよね? 多分、きっと杏子もそうだと思う」
「なるほどね……、まさかここが魔女の結界の中で、記憶操作なんてあやふやなものに支配されていたなんて、思いもしなかったわ」
「あたし達も多分その支配下にある。重要なことなのに覚えていない、あるいは記憶操作を受けて、知っているべき情報を隠されている。なぎさの話からそんな気がヒシヒシしているから」
「そのことの重要性が、今回の事件に隠されている、と」
さやかとの会話で、マミはそう判断する。
「ちょっと待って」
「どうしたのです、ほむら?」
なぎさが、口を挟んだほむらに強く視線を向けた。
「マミ達が記憶操作を受けているのはわかったわ。だけど、私は多分その支配を受けてはいない。少なくとも、マミと杏子が知らなかったことも覚えていたし、他所からの魔法少女のことについては多分、初対面だったはず。勿論、それは相手も同じような反応をしていたから齟齬はないはずよ」
ほむらの語る内容に、なぎさはふむ、と手に顎を当てる。
そうだ。
ほむらは情報を知っている――いや、覚え過ぎている。
そのことを考慮して、なぎさが応える。
「恐らく、ほむらは過去を何度もやり直している、そのことから察するに、残っていることもあるのだと考えられるのです。その事は、事件の黒幕からは重要性が無いと判断して、そのままにされているのだと思うのですよ」
「……少し楽観的な言葉だと思うけど、貴女が得た情報だものね。信憑性はあるわ」
ほむらが頷く。
しかし、頭の中で咀嚼しきれないモノがあるようだったが。
「重要なのはここからなのです。さっき言った魔女の存在と、その魔女の結界がこの神浜市を覆っている。それが誰にとって何の得があるのか、それを基に推理した結果と、ねむりん――最も真相に近い魔法少女から手に入れた情報を照らし合わせた結果が、どうやら魔女は何かに利用されている、ということなのです」
「魔女を……利用する、ですって?」
マミが疑問符を上げると、なぎさは強く頷いて。
「そうなのです。この結界に入って益となる人物が、結界の中にいる。その目的が何かまではわからないのですが、その黒幕こそが事件の犯人なのです」
そう応えた。
「具体的に、それは誰なの?」
ほむらの言葉に、なぎさは首を横に振って。
「それは後回しなのです。その事件の犯人には恐れているモノがある、鍵となっている人物が私たちの傍にいるのです」
「そっちの方が先、ということね。続けて」
「はいなのです」
そう言って、なぎさはコホンと一つ咳をした。
「この事件に関係しつつ、なおかつ事件からは一番遠くにいる存在、それこそが犯人が最も恐れているもの」
言って、なぎさが視線を逸らした。
「それが貴女なのです、高町なのは」
唐突に名指しされて、なのははポカンと一瞬面食らった表情になり、驚く。
「私が、事件の鍵に!?」
「そうなのです」
動揺するなのは。
多分、頭の中では混乱していて、まともな意見を発することは出来ないだろう。
代わりに、ほむらが口を開く。
「この事件の鍵ということは、私たちと一緒に戦っているなのはが、黒幕にとって一番の脅威となっている。そういうことね」
それを聞いて、なぎさが頷く。
なぎさは全てを知っているようで、しかしその中にある核心については濁している。
ほむらはそれとなく、そう感じ取っていた。
「黒幕にとって厄介な状況は、もしかしたら私たちが真相に辿り着き、魔女を倒してしまった場合。それが可能なのは多分、高町なのは、貴女だけなのですよ」
「そう言われても、私は魔女の事は何も知らないよ」
「はいです。だからこそ今が黒幕にとっての小康状態。何としてもそれを解決する事態を回避するために、あらゆる手段を講じているのです」
「そっか。だから魔法少女狩りの人たちが私たちを狙っているんだね」
「大正解なのです」
そう言って、なぎさは大きく首を縦に振った。
「そろそろまだるっこしくなってきたわね。魔女が原因でないとしたら、その黒幕は一体誰なの?」
「黒幕たちは自分たちのことをこう、名乗っているらしいのです」
なぎさが全員を見回して、口を開いた。
「マギウスの翼、と」
それが彼女の語る、事件の核心だった。
* * *
「……ちっ」
杏子は神浜市の繁華街を歩き回っていた。
手にしているのは、手近なコンビニで買ったお菓子の入ったビニール袋。
チュロスを齧りながら、歩く。
イラつきが治まらない。
今までは力で、自分の邪魔者全員をねじ伏せてきた。
そのこと自体を好んでやってきたわけではない。
むしろ、そんな自分こそが本当の自分であるべきだと、偽悪的に考えていた節もある。
だからこそ、今の自分が許せなかった。
(あのチビの剣士には煮え湯を飲まされたし、さっきの人形魔法少女にもビビッて逃げ出したのも事実だ。だからって、今のあたしは今までのあたしを帳消しにしたいと思っていたわけじゃない)
ほむら達にテレパスは送っていない。
人形の魔法少女の脅威性。
手に入れた情報の中では最も重要な情報――とりわけ自分たちの命に関わるほどの脅威だ。
そんな奴に脅威を覚えたということ自体が、自分では許せなかった。
そいつを改めて叩きのめさなければ、自分という存在を否定してしまいかねない。
これは自分が背負った問題だ。
ほむらやマミ達には直接、関係の無い問題。
そのはずだ。
(……クソッ)
頭の中でごちゃごちゃした考えが占めていく。
冷静になれ。
本当のお前はそんなものじゃないだろう。
しかし、それを否定する部分があるのも確かだ。
戦いは、自分の本領だ。
ならばそれに負ければ――いや、より強い奴が現れれば、果たして自分はどうすればいい?
振り上げた拳をぶつける相手がいない。
ぶつけられる相手が、自分より強い。
そんな理不尽が許されてたまるか。
(……畜生)
そんなことばかりが頭の中で堂々巡りを繰り返し、それを知覚するたびにやるせない怒りが沸いてくる。
しかしそれをぶつけられる相手がいない。
また負けてしまうことを、恐れている。
「佐倉杏子」
……あ?
自分の名前を呼ぶ声が、突然聞こえた。
油断しきっていた。
というよりも、考えに没頭していたために意識が外へと向いていなかった。
呼んだ声は、ひどく幼いものだった。
「ボロボロになって、凄く傷ついているんだね。くふふっ」
そう言う声は、目の前から聞こえてきた。
「……誰だ、あんた?」
小学生くらいの女の子が前に立っていた。
いや。
「あんた、魔法少女か……」
「大当たりー」
日傘を差したその少女は、コスプレにしては派手過ぎず、かと言って周囲の人々に比べればひどく浮いていた。
浮世離れしていた。
全体的に黒と茶色で彩られた、ひらひらのドレスを身に付けている。
さっき大当たりと言ったからには、まず間違いなく魔法少女なのだろう。
「悪いな、あたしは今、さいっこうに機嫌が悪いんだ。邪魔すんな」
「わたくしは貴女を誘いに来たんだよ? 神浜でなら、魔法少女はみんな救われるって」
「……てめえ」
こいつは、敵だ。
しかし、ただの敵じゃない。
何らかの核心にいるのは確かだ。
「わたくしは
ドレスを摘まみ上げ、一礼する魔法少女――里見灯花。
「貴女を、マギウスの翼に迎えに来たんだにゃー」
――人々が行きゆく雑踏の中で、杏子と灯花だけがひどく浮いている。
しかしそれらを無視して歩いていく他人たち。
杏子はソウルジェムを握りしめて。
それ以上のことが出来ずに、灯花の眼を見つめていた。
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