ゴウン、と。
地が――いや、空間が唸り声を上げた。
「これは……」
なぎさが表情を引き締め、他の魔法少女たちに向けて告げる。
「タイムリミット……なのです!」
さやかがなぎさへと振り向いて。
「タイムリミットって、間に合わなかったってこと!?」
「いえ、まだ猶予は残されているのです。ですが……」
「まだるっこしいこと言ってるんじゃないわよ! 何か手があるの!?」
「はい。けれど、しかし……」
叫ぶさやか。
そして口ごもるなぎさに。
「最後の手段、姫河小雪を倒して円環の理に救済させ、結界の崩壊を食い止める」
美遊が呟いた。
「そういうことですね、百江さん」
「……なのです」
なぎさの沈痛な顔色とは裏腹に、クロが次ぐ。
「って言っても他にやりようがないんじゃ、もう仕方ないんじゃないの?」
「クロの言いたいことはわかるけど……」
美遊はまだ表情に不足なものを残して言うが。
「だったら揃いも揃って暗い顔しながらお喋りしてるよりさー、ここで出来る最善の手段をサクッとやっちゃって、いい加減うんざりなこの事態に終止符を打つのが賢いやり方ってモンじゃない?」
クロはさっぱりと言い切った。
クロもまたわかっているのだろう。
状況は切羽詰まっていて、それを最速で排除する手段が目の前にある。
しかしそれは、理屈では正しいとわかっているが感情が納得しない。
ここにいる魔法少女の総意はそういうことだ。
だからあえて口にする。
皆の抱える不安、不満を明らかにするように。
沈黙する魔法少女たち。
それを破る声が、響く。
「行こう、みんな」
まどかだ。
「これが姫河小雪さんの絶望だって言うのなら、こんな終わり方、誰も望んでいない。だったら、少しでも前に進もう。小雪さんの所へ行こう。あの人が沈む絶望なんか吹き飛ばしてみせる。希望を見せよう、だから私もみんなもここに来たんだから」
そう言って、スノーホワイトへ振り向く。
「ですよね、スノーホワイトさん。あの人の絶望を止められるのはスノーホワイトさんだけなんだから」
対するスノーホワイトは俯いたまま、ルーラをぶら下げたまま、無言でいた。
『貴女の中に魔法少女はいない』
ハードゴア・アリスの宣告は、スノーホワイトの心に大きな傷を残していた。
もし自分が彼女の言う通り、魔法少女でないのだとしたら。
自分はいったい何者なのだろう。
答えは出ない。
ハードゴア・アリスは明確に答えを持っていた。
答えを持っていない自分は何なのか、果たして小雪を救う役割を担うに相応しいだけの魔法少女なのか。
戦うことでしか拾えるものを取捨選択できない魔法少女が、自分という魔法少女だというのなら、きっと。
「スノーホワイトさん!」
まどかの呼び声に、スノーホワイトはハッと顔を上げる。
「……そうだね」
そうだ。
いつまでこんな所で腐っている。
前へ進むしかないんだ。
後ろには後悔しかない。
悔やむことが愚かだと言うのなら、たとえみっともなくとも前へ進まなければ。
「大丈夫、私も行ける」
スノーホワイトは前を向いた。
エントランスホールから通路を貫いた先に、救いたい人がいる。
今はそれだけで十分だ。
フェイトが周囲を見回す。
そんな彼女に、他の魔法少女たちが注目する。
彼女が、口を開く。
「私が先導します。天守まで最短のルートで」
「お願いするわ」
マミの声に、フェイトは一瞬ビクッと肩を震わせた。
「……巴マミさん、私を信用して大丈夫ですか?」
「私だけじゃないわ。他の魔法少女たちもみんな、よ。だったら私だけが貴女を疑う訳にはいかないじゃない」
マミの決然とした言葉に、フェイトは強く頷く。
「行きます。付いてこれない人は置いていきますので、そのつもりで」
言うなり、フェイトがふわりと空中へ舞い上がった。
そのまま高速で通路をくぐり抜け、奥の階段へと進み、螺旋状のそれを無視して一直線に上空へと駆けていく。
「……って、ちょ、ま! あたしら全員置いていく気かよ!」
慌てた様子の杏子が初速からマックススピードに切り替え、その後を追った。
さやかもまたそれに追従するように駆ける。
「ミユ、私たちも!」
「ええ」
美遊とクロもそれを追う。
まどか、なぎさもそれを追おうとして。
「スノーホワイトさん、今は前へ。たとえ間違った選択をしていたとしても、ここにはみんながいます。みんなが希望を示してくれる。スノーホワイトさんが絶望するのはまだ早いです」
ふぅ、っとスノーホワイトは息を漏らす。
「そうだね。だから私たち、みんなが魔法少女なんだものね」
タンっと軽くステップを踏んで、スノーホワイトも駆けて他の皆を追った。
絶望までのカウントダウン。
しかしまだタイムリミットではない。
それを前に、足踏みしている場合じゃない。
そう、不安は胸の中にしまい込んで、スノーホワイトは小雪の元へと急ぐ。
姫河小雪の絶望へのタイムリミットまで残り僅か。
里見灯花が言うには、最早それを止めることは出来ない。
だからこそ、覆してみせる。
魔法少女はどんな奇跡でも起こすことが出来る、魔法のスペシャリストなのだから。
* * *
いろはとイリヤが、灯花の亡骸を囲っている。
冷たくなった手を握りながら、大粒の涙をこぼしている。
それを冷ややかな眼で、ほむらは見ていた。
なのはは沈痛な面持ちのまま、そのどちらをも見ずにいる。
「……なのははここにいて」
「ほむらさん……?」
「誰かが動かないといけない。ここは葬儀場じゃないのよ」
「そんな言い方って……!」
「説教なら後で聞くわ」
責めるようななのはをよそに、ほむらは独り、ベッドで眠るように横たわっている姫河小雪の傍に近付く。
彼女の表情は、ただ眠っているかのように静かで、何の表情も映していない。
しかし、結界が崩壊の様相を見せている。
彼女は確かに、今まさに絶望しようとしているのだ。
それに。
「……最悪ね」
ほむらはそう呟いた。
姫河小雪が左手の中指に嵌めている指輪。
ソウルジェムは乳白色の真珠色を汚すように、その色を毒々しく黒い穢れが塗り潰そうとしている。
手持ちのグリーフシードを当ててみる。
ソウルジェムの穢れが僅かながら、取り除かれたように見えた。
しかし、それもほんの少し僅かで。
その上からさらに黒い穢れが塗り潰していく。
はあ、とほむらは嘆息した。
「どうしたものかしら……」
「ほむらさん」
なのはの声が聞こえた。
「小雪さん、何とかならないんですか?」
「少なくとも今取れる手段は何もないわ」
「さっきから下からの音が何も聞こえなくなっています。もしかしたら、戦闘が終わったのかも」
「みんなは無事かしら。ここで全滅なんて、そんな展開は流石に無いと思うけど」
「きっと来てくれます。皆さんはみんな強いですから」
「そう、ね……。みんなを信じるくらいしか、出来ることはない、か」
と。
俄かに黒い霧が湧き立つのが見えた。
「ッ! 魔法少女狩り……!?」
ほむらとなのはが臨戦態勢に移る。
黒い霧が人の形をかたどり、やがて霧が晴れる。
「貴女は……ハードゴア・アリス?」
現れた人形のような魔法少女の名を呼ばわった。
だが。
「姫河小雪から離れて」
「……出来ない、と言ったら?」
「強引にでも退いてもらいます」
表情からは何も読み取れなかったが、ハードゴア・アリスが敵意を向けているのは間違いなかった。
しかし、それこそ強引に退かせるつもりはまだ無いらしい。
「暁美ほむら」
不意に、ハードゴア・アリスがほむらの名を呼んだ。
「……なに?」
「貴女の中にも魔法少女はいるのですね」
……?
ハードゴア・アリスが何を言わんとしているのか、意図が読めない。
「しかし、貴女の中にいる魔法少女はただ一人だけ。それ以外の魔法少女は存在しない」
「……随分、知った風な口を利くのね」
「私も同じです」
「……どういうことかしら」
「私の中にいる魔法少女は、姫河小雪ただ一人ですから」
ハードゴア・アリスがベッドに這うように上り、眠る姫河小雪の上に覆いかぶさるように手と膝を突いた。
「私の声が聞こえますか、姫河小雪」
囁くように、ハードゴア・アリスが彼女の名を呼ぶ。
何をしている……?
ほむらはハードゴア・アリスのその仕草に、異様なおぞましさを覚えていた。
まるで死体が死体に話しかけているような、そんな光景を幻視していた。
「みんな、貴女のためにいなくなってしまった。貴女の中の魔法少女はみんな、貴女の中にいない魔法少女たちが倒してしまった」
その時。
ゆるりと動いた。
姫河小雪の手が。
その手がハードゴア・アリスの両頬に触れる。
それに構わず、ハードゴア・アリスは続けた。
「貴女を絶望させようとする、灯花を始めとする魔法少女はみんないなくなった。もうこれ以上、絶望する必要はない」
ハードゴア・アリスが、姫河小雪の華奢な体を抱きしめるように、彼女の背に手を回した。
彼女もまた、まるでからくり人形が動くような仕草で、ハードゴア・アリスの背に手を回して抱き寄せる。
「しかし貴女が絶望を望むのなら、私は止めません。私はいつでも、いつまでも貴女に寄り添い続けます」
姫河小雪が眼を開いていた。
ポツリと、呟く。
「――ありがとう、ハードゴア・アリス」
「はい」
覚醒している……?
思わずほむらは円形盾に手を入れていた。
「私たちはいつも一緒だったよね。酷いこともさせたよね」
「それが私の望みだったから」
「付き合ってくれる? ハードゴア・アリス」
「貴女が望むなら、どこまでも」
「何度でも言うね――ありがとう」
「どういたしまして」
言って。
ハードゴア・アリスが自分の腹に両手を勢い良く突き入れた。
ぞぶり、と水袋に手を差し入れるような音が響く。
「ハードゴア・アリス!」
ほむらがデザートイーグルを構えた。
ハードゴア・アリスの頭部に狙いを定め、数発の弾丸を彼女の頭に撃ち込む。
頭から血が迸った。
撥ねる血飛沫が、姫河小雪の顔面へと降り注ぐ。
同時に。
ハードゴア・アリスが腹から零れさせた血液と内臓が姫河小雪の体を汚していく。
そして。
ハードゴア・アリスの体が黒い霧に覆われて、体が霧散し始めた。
流れ出る血液はそのままに、やがて彼女の体は消え失せる。
後に残されたのは、血に塗れた姫河小雪の姿だけだ。
「これで……私は独りぼっち……」
姫河小雪の体から、膨大な黒い霧が放出された。
激しく吹き出す霧は辺りを取り巻いて、景色を黒色に染めていく。
それに伴うように、姫河小雪から卵のような塊が浮かび上がった。
どす黒く濁ったそれは、彼女のソウルジェム――。
「やむを得ない……!」
ほむらがデザートイーグルをそのソウルジェムに向ける。
あれさえ破壊すれば、姫河小雪の機能は停止する。
これ以上、猶予はない。
弾丸を発射する。
弾は狙い違わず、ソウルジェムに撃ち込まれた。
キン、キン、と固い音と共にソウルジェムが欠片を飛び散らせながら砕けていく。
しかし。
「魔女化が止まらない……!?」
ソウルジェムがその姿を変貌させようとしていた。
それと同時に、姫河小雪の体が残った黒い霧を絞り出すように勢いよく噴き出し、辺りの景色を包み込む。
天守だけではない。
その外にも、流出されていく。
「なのは、いろは、イリヤ! 脱出するわよ!」
大きく開かれた窓へと駆けながら、ほむらは呼びかける。
なのははほむらに従って、天守の窓へと飛び出した。
それでも。
いろはとイリヤは灯花の元を離れようとしない。
「いろは! イリヤ!」
天守の天井がびしりと割れる音が大きく響き。
破壊されたそれが瓦礫の雨となって、二人を覆い尽くしていった。
* * *
フェイトが唐突に止まった。
それを追う魔法少女たちも、彼女につっかえたように立ち止まる。
「どうしたの!?」
やちよがフェイトに呼び掛ける。
フェイトがギリ、と奥歯を噛み締めた。
「……タイムリミットです。猶予は無くなった」
「そんな!?」
「これ以上は危険です。やちよさん、みんなもこの水名城から避難を」
「フェイトさん、貴女はどうする気!?」
「あそこにはまだ、なのはがいる……!」
言うが速いか、フェイトは他の皆を置いて高速で崩壊し始めた水名城の天守を目指した。
「待ちなさい! フェイトさん!」
言いながら、やちよもその後を追っていく。
「七海さん! 天守はもう持たないわよ!」
マミが忠告するが、やちよはそれに拘らず天守へ向かって走って。
「わかってる! でも天守にはいろは達もいるのよ!」
「でも……!」
「我が侭かもしれない、だけど今行かなかったら必ず後悔する! 巴さん達は早く脱出しなさい!」
やちよもまた警告するが、それに反発するように。
「私たちも同じです! あそこにはまだほむらちゃん達もいるし、何より小雪さんを助けられない!」
「右に同じ、なのです!」
まどかとなぎさも返した。
スノーホワイトは無言のまま、しかし何を言うより速いか先を急ぎ、走っていく。
胸中で叫ぶ。
――今度は間違えない!
「クロ! 私たちも!」
「落ち着きなさい! ミユ!」
空中へ駆け出そうとする美遊の首根っこを引っ掴んで、クロが彼女を引き留めた。
「イリヤを信じなさい! ここで最悪なのは全員で危地に飛び込んで、建物ごとお陀仏になることでしょ!」
「でも……!」
「グダグダ言わない! 急いで脱出するわよ!」
「くっ……!」
美遊とクロは、後を追うやちよ達を名残惜し気に見送って、一人言い聞かせるように、言葉を吐き出す。
「……まどかさん、なぎささん、やちよさん……! どうかご無事で……!」
「ほら、行くわよ!」
クロに引っ張られるがままに、美遊はその場から後ろを向いた。
「みんな、落ち着いて! 今、脱出口を開けるわ!」
「マミさん!?」
さやかの声に応えるのと同時、マミがリボンを解き放つ。
それがまとまり、巨大なマスケット銃と化して、マミは内壁に狙いを定めた。
「行くわよ!」
ドウンッ、と激しい銃声を響かせ、マスケットの弾丸が壁を撃ち抜いた。
大きな穴が壁にぽっかりと穿たれる。
「ぼーっとしないで! 早くここから出るのよ!」
言ったマミはそのまま水名城の外へと脱出した。
美遊、クロもそれを追って外へと逃れる。
「さやか!」
「杏子……!」
杏子が、まだまごついているさやかに一喝する。
「ぼさっとしてんじゃねえぞ! あいつらはみんな無事に決まってる! それを確かめるのがあたしらの役目じゃねえのか!?」
杏子の視線に、さやかのそれが交錯して。
さやかはコクリと頷いた。
「いい面構えだ」
「あんたこそ、このまま逃げないでよ!」
「当ったり前だろ!」
さやかと杏子が穿たれた穴から外へと飛び出していく。
その場から脱出した魔法少女たちが外に飛び出ると同時、天守が崩壊する音が聞こえた。
少なくとも、人がそこに残るには無謀だと思える程度に崩壊する音が。
「鹿目さん……!」
マミが背後を窺いながら、水名城を抜けて地面に横たわるビルの壁に着地する。
天守が――崩壊する。
そして。
「あれが……この結界の魔女……!?」
ただ威容としか言いようがないそれが、崩壊した天守の上から天に昇らんとするかのように、空を仰いでいた。
「でけえ……!」
同じくマミの隣に着地した杏子が、その威容を見止めて呆然と呟く。
「あれが……小雪さんなんですか……!?」
「今回のラスボスに相応しいだけのサイズとプレッシャーってわけ……!」
美遊とクロもまた、それを見て独り言ちた。
「鹿目さん……、スノーホワイトさん……、みんな……。無事でいて……!」
マミは祈るような心地で願う。
臆病者の魔女。
その性質は泥睡。
首から上の顔と思しき部分はぎょろつく眼で埋められ、額にアイマスクを巻き付けている。
胴体には継ぎ接ぎだらけの寝間着のような厚手の布が巻き付く。
両手には自身の三倍ほどの質量がありそうな巨大な枕。
両足には、肌色の太腿から膝、くるぶしが覗き、その足首には重々しい鉄球が科せられていた。
その姿が、水名城を踏み台にするように立ち上がり、今まさに踏み砕かんと天守に立ち尽くしている。
それは水名城の全長の数倍はあろうかという、巨大な魔女だった。
黒い霧が神浜全域の結界を覆おうと噴き出し、撒き散らされていく。
姫河小雪の絶望の果てが、その結界と威容の姿を現した。
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