どんな形にせよ終幕へと書き続けますので、ゆるりと見守っていただければ幸いです。
灯花と小雪の体に命は戻った。
イリヤがマジカルルビーを使役し、第二魔法の恩寵によって生み出された奇跡。
しかしその奇跡は不完全。
確かに奇跡は起こったが、それでもまだ、二人を助ける事にはほど遠かった。
万人が望む奇跡には、まだ足りない。
「灯花ちゃん……、小雪さん……!」
いろはのドッペルが、その大きな布を広げて二人を包み込む。
締め付けるのではなく、ただ愛おし気に。
その布は二人に巻き付いていく。
「いろは……」
やちよがいろはを見やる。
彼女のソウルジェムを。
ドッペルシステムの無いこの結界内において、ドッペルの具現化は魔女化と同義だ。
キュゥべえの言う通り、無意義な行為。
このままいろはを魔女化させるのは、あまりにも残酷な結末だ。
しかし奇跡は続いていた。
いろはのソウルジェムは急速に色を黒く濁らせていき、輝きを失っていく。
その魂であるいろはの表情は、とても温かなものだ。
絶望に浸る魔法少女の末路ではない。
完全に輝きを失ったソウルジェムは、それでもなおグリーフシードへ変化することはない。
彼女は今、精神と命を削りながら、必死で二人に語り掛けているのだ。
その姿を見る。
やちよはただ見守る。
「そう……」
やちよが呟く。
「私たちって、そういう存在だったのね……」
「ヤチヨさん?」
呟きに胡乱な声で問うたのはイリヤ。
その声には応えず、ドッペルを広げるいろはへと近付いていく。
「いろは」
やちよの声に、いろはは応えない。
多分、気付いてすらいないだろう。
でもやちよにとってそんな事はどうでも良かった。
ただ彼女に寄り添えさえすれば。
やちよがそっと手を伸ばす。
いろはの手に触れる。
その手をきゅっと握り、いろはへと囁きかける。
「一緒に、行きましょう。私にはその義務がある」
イリヤ達を置いてけぼりに、やちよはいろはに意を決して語り掛ける。
「ヤチヨさん……、一体、何を……」
「ごめんなさい、イリヤさん。たったいま悟ったの。いろはは多分、今までの戦いの中でいつしか気付いていた。私たちという神浜市の魔法少女の正体を」
そうだ。
どうしてこの神浜市という結界の中で、自分たち神浜の魔法少女が存在し得たのか。
その答えは酷く残酷なもので。
だけど、だからこそ命が懸けられる、誇りにも似た尊い物。
「貴女にだけ背負わせたりしない。私にも、声を掛けさせて」
その呟きに応えるように、やちよのソウルジェムが俄かに光を放つ。
そして彼女のソウルジェムが急速に濁り始めた。
「ヤチヨさん!?」
思わず大声を上げるイリヤ。
やちよは構わず、ソウルジェムの輝きを解き放つ。
ソウルジェムが、黒く濁っていく。
イリヤにもわかった。
これは、やちよのドッペルの顕現なのだ、と。
「いろは」
やちよの体から何かが噴き出す。
舞い上がるのは長い髪。
現すのはベールを垂らした幅広の帽子。
そして、腕には歪な二対の腕。
それが七海やちよの『モギリのドッペル』の姿だった。
「一緒に、いきましょう――!」
やちよのドッペルが、いろはのドッペルに手を差し出し、小さなその手を握り締めた。
七海やちよは神浜市に住む魔法少女だ。
大学に通いながら、モデルの仕事もしていて魔法少女としての活動も続けている。
恐らく、良くも悪くも充実した生活を送っている魔法少女の一人だろう。
そして神浜市において、魔法少女としての知名度は確かだ。
今回の騒動が始まる前、神浜市に渡りを付けようとした人物がいた。
今となってはそう大事な事柄ではないが。
『私は神浜の地主という訳ではありません』
やちよはそう返した。
まるで自分が神浜市の一部であるかのように。
『この町で生き抜くっていうことは、魔女だけでなくああいう手合いとも戦わないといけない』
クロにはそんなことを言った。
気の短い彼女に事実を伝えたつもりだった。
だけど、それはどういう事実だったのか。
『私たち皆で、スノーホワイトさん達を救うのよ』
姫河小雪を助けるいろはに賛同した。
この神浜市を模した結界の中にあって、ごく自然にそんな言葉が出ていた。
『その子は私といろはの二人で、みかづき荘に匿ってあげる』
悟っていただろうが、スノーホワイトの懇願にいともあっさりと首肯していた。
『生憎だけど彼女は今、安定している。私たちがいる限り、あの子に手は出させないし、あの子も魔法少女狩りを生み出すこともない』
確か佐倉杏子に言ったことだっただろうか、姫河小雪を守ることを宣言した。
この時点で、疑ってかかるべきだったのだ。
『もうすぐ買い出しに行かないと。毎月5の付く日はポイント10倍デー、さらに6時からタイムセールよ』
まさかこの買い出しの前にここまで大事が起こることは察していなかった。
本当は、こんなごく普通のやり取りすら、やちよ自身を擬態させていたかなど、察することさえ出来なかった。
『神浜市に来れば魔法少女は救われるとか、そんな妄言を信じてか』
これは巴マミに詰問した時だった。
やちよにとって神浜市は深い縁故のある地理。
しかし、それを当然と信じていたことが引っくり返されるなら、こんな言葉は出てこない。
何かに操られている、そう考えて然るべきだった。
そしてこれは、百江なぎさが零した情報。
『ここは神浜市を模した魔女結界。姫河小雪と呼ばれている魔女が作り出した結界で、神浜市であってそうでない、その実、何もない無尽の荒野に広がる結界なのです』
神浜市を模した結界。
その事実自体はもはやこの事態に至って、疑うことは出来ない。疑う必要すらない。
なら、その神浜市もどきの結界に初めから関わっていて、なおかつそれを不自然と疑わない存在は――。
最後に、水名城へ向かう直前、いろはは言っていた。
この時点で悟るべきだったのだ。
きっと、いろはは悟っていた。
『やちよさんが自分の事をやちよさんだって思っている限り、その思いは本物です』
いろははやちよの不安を言い当ててみせた。
『私だってもしかしたら、やちよさん達にしか見えない幻かもしれない。でも、私の思いは私のものです。決して偽物なんかじゃありません』
それは精一杯の強がりだったのか、それとも自分たち魔法少女が希望をもたらす存在だから、自然と出た言葉だったのかもしれない。
騙そうとした訳ではない。
いろはに限ってそんな事があるはずがない。
だから、もう彼女の中で覚悟は済んでいたのだ。
灯花と小雪を助けるために、己を犠牲にする覚悟が。
そう、犠牲だ。
神浜市を模した結界の中にあって、それに縁故のある人物たちが
鶴乃、フェリシア、さな。
彼女たちはきっと造り物だった。
いろはとやちよも、その例外ではない。
だからこそ、いろはは覚悟していた。
その上で、いろははやちよに心配を掛けまいと、やちよを激励したのだ。
少しでも、自分たち神浜の被造物であることに意味と誇りを持たせようとして。
やちよはそれに救われた。
だから今度は、いろはを助ける。
たとえこの魂が輝きを失い、命が燃え尽きようとも。
いろはとやちよのドッペルが、灯花と小雪の心に触れようとしていた。
* * *
冷たい空間。
自分はバラバラで、このまま体と心が砕けていく味わったことの無い感覚。
自己の存在が消えて、溶け落ちていくのに、冷たい所にいるのがわかる。
(――これが、死ぬってことなのかにゃー……)
もう既に終わっていた。
生まれた時からその終末は定められていた。
だから計画が成功したら、誰に自分を消されようとどうだって良かった。
ただ自分という存在をこの世界に刻み込めれば、せめてもの情けだ。
だけど。
自分は消えようとしているのに、それを引き止めようとする者がいる。
砕けた命が――ソウルジェムが張り付きながらヒビさえも繋ぎ合わせて、自分の命を元の形に戻そうとする人が――人たちがいる。
(こんなわたくしを助けるのなんて、人が良いことで)
ハッキリ言って、いい迷惑だ。
溶けて無くなりたい。
もう終わりにしたい。
なのにそれを許してくれない人たち。
継ぎ接ぎだらけの命と心が組み合わさって、生命が鼓動を続けている。
冷たい所に、居続けている。
(そんなことをする人は、本当に奇跡を信じているんだろうにゃー。奇跡という名の技術で施術して、無理矢理にわたくしという存在を続けさせる、そんな人の良い奇跡を)
嗚呼。
どうして眠らせてくれないのか。
もう何も無くなっているのに。
なのに。
その声は灯花に届いていた。
(灯花ちゃん――!)
いろはお姉様――?
冷たくなった灯花に、熱を帯びた声が聞こえてくる。
(良かった、まだ居てくれた――!)
その声は喜びに震えていた。
だけど。
(……ごめんね、お姉様。わたくし、もう動けないから)
冷たくなったこの心には、その熱は刺激が強すぎた。
(大丈夫だよ! イリヤちゃんが貴女の体に命を繋いでくれた。だから次は私の番。今度こそ、灯花ちゃんを救ってみせるから!)
しかしその言葉は熱いどころか、どこか滑稽だった。
(無理だよ、お姉様……。お姉様が見ているわたくしは、本当のわたくしじゃない。キュゥべえに記録されたネットワークからダウンロードされて構成された紛い物に過ぎないんだもの)
(そんなこと、どうでもいいよ。でもそんな自己否定ばかりにしかならないのなら、私が灯花ちゃんを守ってみせる! 肯定してみせる! だから……!)
(……ダメだよお姉様。やっぱりお姉様が好きなのは本物の里見灯花なんだから。だからもう構わないで、このまま消え去らせて)
(灯花ちゃん!)
押し問答は既に平行線に変わっていた。
灯花にとっていろはは本物のお姉様で、だからこそその眩しさは偽物の灯花を熱で焼き尽くすばかり。
だから、もう――。
(いつまでそんなつまらない言い訳で、貴女は自分を見捨てるつもりなの?)
いろはとは別の、透き通るような、それでいて剣のような鋭い声が聞こえた。
(貴女は……七海やちよ?)
(そうよ)
これは驚きだ。
七海やちよがこの灯花を許すつもりがあるなどと、誰が想像しただろうか。
(やちよさん……)
いろはが彼女を呼ぶ。
(ごめんなさい、いろは。私はこの子を許す気は無いけれど、だからといってこのまま消え去るなんて尚更許せない。彼女にも、貴女にもまだやることがあるのだから)
(それって、どういうこと……?)
(里見灯花)
やちよが灯花を呼んだ。
その一言ずつが鋭く、壊れかけた命をまた削るように、灯花の命に呼び掛け続ける。
(生きなさい。貴女にはその義務がある。このまま責任を取って命を絶とうと言うなんて認めない。貴女には謝るべき人たちが大勢いるじゃないの)
(でも……そんなこと、わたくしには)
(出来ないとは言わせない。貴女は奪ってきた分の魂に贖って、今を生きる人たちにかけた迷惑を償いながら生きる必要がある)
(七海やちよ……)
やちよの言葉はただ重かった。
そして、とても残酷な荷物を背負わせようとしている。
だけど。
(貴女といろはの命は、私が繋いであげる。貴女は生きるの。生きて、貴女の罪と向き合いなさい。貴女は、いろはと一緒なら出来るでしょう? いろははいつでも正しく、そして厳しく在ったのだから)
いろはお姉様と一緒に生きていく。
そんな現実があるのなら。
(……そんな提案なら、受け入れざるを得ないかもね)
(よろしい。本当に貴女が救いようのない悪党なら、私だって放っておくつもりだった。でもいろはが見てきた貴女なら、積み上げてきた罪を正していくことが出来るはず。そのためなら、私は貴女たちを送り出すことが出来る)
やちよの言葉に、いろははハッとして。
(やちよさん! もしかして、やちよさんのドッペルは……!)
(ごめんなさい、いろは。私が出来るのはせいぜいここまで)
だけど。
(いろは、貴女は生きて。生きて、私やみかづき荘の皆の遺志を繋ぐの。生きて、私の希望を繋いで)
(やちよさん!)
いろはがやちよを引き留めようと、声を上げる。
しかしこれは、やちよの覚悟。
その覚悟に見合うだけの奇跡は、もういろはにも残されてはいない。
(さようなら、いろは。偽物だったとしても、貴女はいつでも貴女でいてくれた。だから私は独りでも逝けるのだから……)
(嫌です! 生きるのなら、やちよさんと一緒じゃないと私たちだって寂しいです……! やちよさんも、一緒に生きるんです!)
(私は貴女と里見灯花の共生の為に私の命を捧げる。それが造り物として、この神浜市の結界に生まれ落ちた私の誇りだから。貴女がくれたこの誇りは、私が抱き続ける)
やちよは諭すようにいろはへと語り続けた。
いろはから貰った激励は、やちよは自分の誇りへと変えることが出来た。
だから、今度はやちよの番。
この誇りと共に、いろはと灯花を本当の生へと送り出す。
(さようならだけじゃない。いろは)
やちよはいろは達を送り出す。
その誇りを、感謝に込めて。
(ありがとう、いろは。私は貴女がくれたそれだけで、十分に幸福だったわ)
(やちよさん!)
(さあ、貴女たちはもう生きなさい。まだ貴女が助けるべき人が残っている……。貴女たちの命は今度はその為に繋ぐの。だから、もう)
――これで今度こそ、さようなら。いろは。
やちよの声と共に、いろはと灯花の。
本当の生が回り始めた。
* * *
「……これは驚きだ」
「キュゥベエ……?」
キュゥべえの呟きに、イリヤが反射的に呼び返した。
いろはとやちよの、二人のドッペル。
もはや魔女化に等しいそれは、しかし彼女たちのソウルジェムを濁らせるだけではなく、その形を保ち続けている。
「七海やちよは、環いろはのドッペルという精神への介入に乗じて彼女自身もドッペルを用いて、里見灯花と姫河小雪の失われた心に強制的に入り込んだんだ。僕達にも前例が無いからわからないけど、彼女たち魔法少女はその呼び名に相応しいだけの奇跡を手繰り寄せたんじゃないかな」
「じゃあ、二人とも本当に生き返るの……?」
「前例が無いからね。結果は君達自身で見届けるといい」
キュゥべえの独り言ちるような語りを聞いて、イリヤとスノーホワイト、そしてねむりんが灯花と小雪、二人の魔法少女に視線を注ぐ。
ドッペルが、消え去る。
いろはとやちよの体が、ふらりとその場に倒れた。
「イロハさん! ヤチヨさん!」
イリヤが二人の元へと駆け寄る。
いろはは、無事だ。
顔色は良く、表情は穏やかで、ただ眠っているかのように薄く呼吸を繰り返している。
ソウルジェムもまた、輝きを取り戻していた。
しかし。
「やっぱりね」
キュゥべえが宣う。
やちよへと視線を向けながら。
「ヤチヨさん!?」
やちよは倒れ伏したまま、動かない。
いろはを介抱するイリヤに代わって、スノーホワイトがやちよの傍に侍って。
「……こんな残酷な事が、奇跡なの……?」
スノーホワイトは呟いた。
やちよは力なく横たわっていた。
抱き起そうとするが、だらりと腕が、体が垂れ落ちる。
彼女のソウルジェムは砕け散り、その場に幾つもの小さな破片を撒きながら零れ落ちていた。
「君達、魔法少女の起こせる奇跡はその程度だった、という事じゃないかな。等価交換という言葉を知っているだろう? 奇跡に見合った対価は払わなければならない。そうしてプラスマイナスはゼロになる。里見灯花と姫河小雪の復活は、七海やちよの犠牲が無くしては成せなかった」
ピクリと、イリヤの腕の中で動くものがあった。
横たわるいろはの指先。
「キュゥべえ……」
ぽつりといろはが呟いた。
眼を開き、イリヤの腕を支えに体を起き上がらせる。
「イロハさん!」
イリヤが歓喜の声を上げた。
しかし、やはりと言うかいろはの目元は悲しみに滲んでいる。
やちよの行く末を悟ってだろうか。
「おめでとう、環いろは」
キュゥべえが淡々と紡ぐ。
「しかしこれは無意味な犠牲だ。ドッペルという現象が魔法少女の魔女化を防いだことで、七海やちよの感情エネルギーは生まれることなく彼女は死に至った。君達、魔法少女は――」
バスン、と。
キュゥべえの顔に大穴が空いた。
いろはのクロスボウがキュゥべえに向けられている。
「誰にだって、無駄だなんて言わせない。やちよさんが命を懸けて、私と灯花ちゃんの命を繋いでくれたから。だから私は一緒に、灯花ちゃんと同じ道を歩いていける。それに――」
いろはは灯花の体を抱き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。
「まだ救わなければいけない人がいる。だからみんな、力を貸して」
「イロハさん……」
沈痛な面持ちのまま俯き、いろはは独り言ちる。
「……やちよさんを死なせたのは、私の言葉だったのかもしれない」
しかし、確かな決意を込めて、続けて。
「やちよさんはここで逝くべき人じゃなかった。あの人に助けられる魔法少女はもっとたくさんいた。それを私は、受け継がなきゃいけない。だから、やちよさんの誇りは絶対に無駄にしない」
そして。
いろはは今なお目覚めず、眠るように浅く呼吸を続ける小雪へと眼を向けた。
「イリヤちゃん、スノーホワイトさん……、それにねむりんさん。力を貸して」
眉間を引き締めて、いろはは続ける。
「私たちみんなで、小雪さんを助けよう」
イリヤが頷く。
スノーホワイトも曇らせた顔色を精一杯強がりに見せて。
そして、ねむりんは何とも言えない表情のまま、いろはを見やった。
奇跡は起こる。
いや、起こしてみせる。
それが魔法少女の役割であり、持ち得る力の全てなのだから。
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