翌日の神浜市。
日が明けたばかりの町並みは、人々の活動の息吹で朝の活気に満ちている。
町の店たちはまだ準備中で開いていないけれど、もうしばらくすれば午前から営業も開始されるだろう。
だから、道々を行くのは朝早くから休日出勤するサラリーマンや、部活動の朝練へ向かう学生たち。
ありふれた、週末の風景だ。
「……ほむらさん」
その中にあって、白い私服に身を包んだ少女は一人とぼとぼと歩いていた。
「結局、何の言葉も出てこないまま来ちゃったな……」
フェイトが傷付き、クロノに背を押され、衝動のままに再び神浜へと降りた高町なのはは、掛ける言葉どころか自分を納得させる答えすら見出せないまま、歩いている。
こんな事じゃダメだ。
なのはは頭をぶんぶんと横に振って、両の頬をピシャリと張る。
とにかく、神浜市で何が起きているのか。
時空管理局の一員として、この町に何ができるのか、それを考えなくちゃ。
それにはまず、情報が必要だ。
本当なら暁美ほむらから事情を聞きたかったのだが、彼女が簡単に心を開いてくれると考えるのは、時空管理局はあまりにも傲慢に過ぎた。
自分たちだけが事態をわかったフリをして、何もかも進めようと考えて、結局、そのためにフェイトは傷付いた。
同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。
なのはは自戒するように心の中で繰り返す。
考え事に没頭していたせいか、なのははいつの間にか繁華街から離れた住宅街へと入り、学校への辿り道に出てしまっていた。
通学路か。
だとしたらここは、神浜市立大付属学校へ続いているはず。
考えてみたら、それ以上の情報は持っていない。
そんな態度で接していたから、ほむらにも、巴マミにも警戒されていたわけだ。
上辺だけの情報の上で何かしようなんて、それこそ傲慢だ。
彼女たちと同じ視点で、物事を捉え、一緒に考えなければ。
いつの間にか俯いていたなのはは心機一転、顔を上げて顎を引いた。
後ろを向いてばかりじゃいられない。
前へ、少なくとも自分が見える方向へと向かないことには、進む道も定まらない。
そんな決意をした時、なのはの傍を数人の少女たちが通り過ぎていった。
「高町なのはさん、ですね?」
ぞわ――と、産毛が逆立った。
反射的に、なのはがそちらを見やる。
小学生くらいの女の子――なのはと同じくらいか――が立ち止まって、なのはを見ていた。
気配がなかった。
油断はしていたが、まさか自分に声をかける人物がいることなど、察してすらいなかった。
ウェーブがかった髪を背中まで伸ばしていて、くりっとした眼が印象的な女の子。
少なくとも、その姿からは敵意は感じられない。
そもそも敵ですらない、はずだ。
「貴女は……?」
なのはの疑問に、その少女はくすっと笑みをこぼした。
「なぎさちゃん、どうしたの?」
連れ立っていた少女が、なぎさと呼ばれた少女に声をかける。
「おーい、まどか、なぎさ、置いてくよー!」
「あ、待ってよさやかちゃーん!」
パタパタと走っていく、まどかと呼ばれた少女。
なぎさと呼ばれた少女もそれを追うように。
「今行くのです、まどか、さやかー」
何事もなかったかのように、なのはに背を向けて走っていった。
何だろう。
このもやもやとした感覚。
何か、大事なことなのに、それを忘れているような感覚。
既視感?
いや、単なる直感?
とにかく、追わなきゃ。
彼女たちは何かを知っている。
そう考えること自体が傲慢であることの証拠かもしれなかったけど。
しかし、なのはは彼女たちを見失わないよう、走った。
その先に、自分が納得する答えがあることを祈って。
* * *
「ティロ・フィナーレ!」
臼砲状の大砲が火を吹き、巨大なウサギの人形を模した魔女の体を貫く。
ぽっかりと腹に穴を空けた魔女が断末魔の叫び声を上げながら、消滅していった。
魔女の結界が崩れていく。
結界が解けた後には、元の平穏な日常の景色を取り戻していた。
誰もいない朝早くからの公園。
こんな所にまで堂々と魔女が結界を張るなんて、なかなか神経が図太いというか、それとも神浜の魔女はみんなこういう手合いなのか。
ふう、と一息ついて、魔女が消滅した跡に近付く。
グリーフシード。
その黒い球体を拾い上げて、巴マミは独り言ちる。
「予想外に手間取ったわね。油断してたら危なかったわ」
と。
「ベテランの巴マミでも相性の悪いヤツがいるみたいだな」
声がした。
マミは、ハアっと息をつく。
見やれば、パーカーにデニムのショートパンツといった出で立ちの少女。
「見ていてたなら助けてくれても良かったじゃない、佐倉さん」
「いざって時はそうしてたさ。まああの程度の魔女に負ける巴マミじゃないってことはあたしはよく知ってるからね」
「そう、それで」
コツン、と。
石を踏んでローファーが音を鳴らすのが聞こえた。
「そっちの子も、魔法少女かしら」
顔だけ、巴マミはその足音へと向けた。
「えぇ」
長い黒髪、見滝原中学の制服。
マミは油断なく、佐倉杏子もまた訝し気な視線で以って、その闖入者に視線を移す。
「巴マミ、佐倉杏子。貴女たちに話があって来たわ」
ぴく、と杏子の視線が鋭く吊り上がる。
「アンタ……どこかで会ったことがあるか?」
「それは秘密。だけど私たちは無関係ではないはずよ」
言って、長髪の少女はマミへと視線を移す。
「私は暁美ほむら。貴女たちが知っておくべき重要なことを伝えに来た」
そう言うほむらに、マミは表情を真剣なものに引き締める。
「わかったわ。まずは貴女の話を聞かせていただきましょうか」
話、と言っても取り立てて難しい話ではなかった。
とりあえずこの場は全員で情報を共有しよう、そんな意図の上での話し合いだった。
「……時空管理局、ねえ」
眼を細めて杏子が反復する。
「私と巴マミはそいつらから接触を持ちかけられたわ。その組織の狙い、目的は一切が不明。私に接触してきた魔法少女はあっさりと引き下がったけど」
「私が出会った魔法少女はちょっとしつこかったわね。少し脅しつけたけど、引き下がるつもりはなさそうだった」
「だからって戦闘不能に追い込むまで乱暴を働くなんて、貴女らしくないわね、巴マミ」
「仕方なかった、とは言わないけどね。ただその時空管理局が何を考えているかわからない以上、多少の強硬手段を取らざるを得なかったのは事実よ」
「それは今でも同じこと。このままの状況でいればまた、時空管理局の横槍がまた入ることだって考えられる」
ほむらとマミの話を聞きながら、杏子はハグッと鯛焼きを口にした。
「あたしはその時空管理局とやらは知らないけどさ。別の魔法少女に喧嘩を売られた。ちょっと状況が難しくなり始めてるんじゃない?」
「佐倉さんもなの? 時空管理局以外にも魔法少女がいるってこと?」
「ああ、ちょっと捻ってやるつもりだったんだけど、危うく返り討ちにされるところだった。情けないけどな」
ほむらは多少、動揺したが、表面的には平静なままそれに応える。
「杏子が? 貴女なら一端の魔法少女相手に後れを取るとは思えないのだけど」
「なんか訳のわからない手札を切ってきやがった。ありゃ人間じゃない。ハッキリ言ってもう一度やり合うのはゴメンだね」
「そう……」
ほむらが黙考する。
「……確かに、あまりにも別の思惑が働きかけて事態が交錯し過ぎている気がする。なおさらこのイレギュラーを放っておくわけにはいかないわ」
「イレギュラー?」
「こっちの話よ」
黙りこくって下を向いていたほむらが、顔を上げた。
「提案があるわ。私たち、見滝原の魔法少女はここの土地勘も、それを取り巻く事情にも明るくない。せめて今回の事態が収束を見るまで、チームを組まないかしら?」
「チーム?」
マミが聞き返す。
それにほむらは頷いて。
「積極的に協力し合おう、なんて取り繕うつもりはないわ。せめて誰と接触したか、誰と敵対したか、それとどんな情報を得たか。それくらいの状況の共有は出来ると思う」
「それは私には願ってもない話だけど、佐倉さんは?」
鯛焼きの欠片を口に放り込んで、杏子が応える。
「なんかねぇ……あたしもマミも、あんたの好いように転がされているようにしか見えないんだけどさ。大体、暁美ほむら、あんたはどこまで知ってて何を目的にしているんだ?」
「それは……」
ほむらの顔色が曇る。
杏子はそれを眺めて、ふーんと得心いったように、ほむらを無視して続ける。
「ま、言いたくなけりゃそれでいいよ。あんたはあたし達を利用する、けれどあたし達もあんたを利用する。それくらいの利害関係なら甘んじて受けようじゃない」
「佐倉杏子……」
言って、杏子は傍に置いていた袋からもう一つ、鯛焼きを取り出した。
かぶりついて。
「受けるよ、チームの提案。あたしらと同じようにあんたも譲れないモン抱えてるんだろ?」
「……ありがとう、杏子」
見滝原の魔法少女は互いに頷く。
事態の進展には程遠いが、牽制にはなるだろう。
後は後手に回らないよう、事態を静観しているしかない。
こんなことでまどかを救えるのだろうか。
ほむらは自問する。
いや。
今は無理でも。
可能性を信じるんだ。
根競べは、暁美ほむらにとってただ一つ、あらゆる魔法少女に対して勝る美点なのだから。
* * *
「おはようございます、やちよさん」
「おはよう、いろは」
七海やちよは早起きだ。
誰よりも早く起きて、朝の準備をする。
それはみかづき荘の他メンバーへの起床であったり、その朝餉であったり。
とにかく働き者だ。
環いろははやちよと挨拶を交わしてから、テーブルに眼を移した。
あれ?
「おはようございます、いろはさん!」
「おはようございます」
「おはー」
三人ほど、見知らぬ少女たちが席に着いていた。
小学生くらいだろうか。
「あ、おはようございます。……やちよさん、この方たちは?」
野菜をトントンと切りながら、やちよが応える。
「迷い人の無宿者よ。昨日拾ったから、ここで泊まっていってもらったわ」
「はあ……」
曖昧な返事を返しながら、いろはも席に着いた。
「……おはようー」
「おはようございます、凛さ……」
やちよの動きがそこで止まった。
凛の目元が不機嫌そうに垂れ下がり、手で覆った口元は欠伸したように半開きのままだらしなく開かれている。
元の顔立ちが整っているだけに、百年の恋も冷めるような感じだ。
「低血圧ですか、凛さん」
「昨日はドタバタだったから、朝が弱くてねぇー」
「それは普段からなんじゃ……」
言い合いながら、凛もまたテーブルに着いた。
「あ、ナチュラルに座っちゃったけど、他の住人たちとカチ合わない?」
「みんな休日はのんびりしていますから、平気ですよ。いろは、貴女も席に着きなさい」
言われて、いろはは空いている席に着く。
「えーっと、環いろはって言います。皆さんは?」
言われて、目の前に座る少女たちは順繰りに自己紹介し始めた。
「私、イリヤスフィール。イリヤって呼んでください」
「私は美遊・エーデルフェルト」
「あたしはクロエ、って言っても他のみんなはクロって呼ぶけど」
そして最後に、凛と呼ばれた女性が口を開く。
「私は遠坂凛、魔術師よ。この子たちの保護者兼お目付け役ってところかしら」
言って、彼女はくぁーっと欠伸をした。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね!」
いろはが礼をすると、イリヤが元気よく応えてくれた。
可愛い。
「朝ご飯、出来たわよ。簡単なものだけど、召し上がって」
「はーい!」
やちよはエプロンを外して、残った野菜炒めをラップにかけて冷蔵庫に閉まった。
「いろは、朝ご飯の残りは後でラップがけしておいて。私はこれからモデルの仕事だから」
「あ、はい。わかりました」
「凛さん、貴女はどうします?」
言われて、凛はテーブルに両手の肘を突いて顎を支えるポーズをとる。
「そうねぇ……、私はとりあえず冬木市に戻るわ。だけど、良かったらイリヤたちはここに置いてもらえないかしら?」
「え?」
言われたイリヤが、キョトンとした表情になる。
「やちよが貴女たちの保護をしてくれるなら、私はバックアップに回るわ。そのためにも冬木の自宅と連携するのは必須なの」
「そうなんだ」
「それと、美遊」
言われた美遊が顔を凛へと向ける。
「貴女は一日に一度、必ずルヴィアに連絡を入れること。貴女の保護者はアイツなんだから、それだけは怠らないようにね。わかった?」
「はい、了解です」
「よろしくね」
その言葉を聞いてから、やちよは部屋を出ていった。
いろははくすりと微笑む。
「どうしたの? イロハさん」
「いえ、こうやって私の知らない魔法少女と一緒に食卓を囲むのって、なんだか賑やかで楽しいな、って」
「私も! もう友達だね!」
「友達?」
「あれ……もしかして私の片思い!?」
イリヤの友達宣言に、クロがため息をつく。
「あんたねぇ……距離の詰め方が下手くそすぎ」
「クロにだけはそんなこと言われたくない!」
「なによ!」
「なにさ!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ彼女らを見て、やはりいろはは微笑を漏らすのだった。
* * *
新西区。
『眠りの町で貴女を待つ。詳しくは新西区の公園で』
メールを受け取って、夜間の都市を駆けて数時間。
もう時間は朝になる頃だ。
魔法少女の身体能力は常人のそれを遥かに超える。
しかしワープが出来る訳ではない。
中にはそういった固有魔法を持つ者もいるが。
そういった能力を持たないスノーホワイトは、指定された場所へ行くのにかなりの時間を要した。
そして、新西区のとある公園。
どの公園、という指定もなかったが、新西区で最も大きな公園と言えば、ここだろう。
公園へと入ると、ポーンと。
端末に着信音が鳴った。
『夢の町へようこそ。貴女が求める真実は、ここにある』
メールの差出人、件名は以前同様に不明。
しかし。
「ファル。人の反応がある」
「どういうことぽん?」
「困っている人がいる。もしかしたら、助けを求めているのかもしれない」
スノーホワイトには固有の魔法がある。
即ち『困っている人の心の声が聞こえる魔法』
彼女はそれを利用し、特定の人物を追跡することが可能だ。
「都合が良すぎるぽん。何かの罠かもしれないぽん」
「かもね。だけど放っておくわけにもいかない」
途端、それらしき人物の気配が一気に遠ざかる。
「追うよ、ファル」
無人のベンチを飛び越え、茂みに飛び込む。
その茂みを抜けた先は公園の出入り口。
追いかける人物は真っ直ぐにその方向へ向かって、公園から出ていく。
公園を抜け、街路に出て、スノーホワイトはその後を追いかける。
速い。
ただの人間ではない。
なら魔法少女?
だとしても、姿を見せずに走り去るその手際が良すぎる。
まるでこちらが近付くのがわかっていたかのような。
「……捉えた」
困った声が聞こえた。
これ以上は逃げられない、そんな声。
スノーホワイトはゆっくりと、その方向へ足を進める。
その先は街路の行き止まり。
そして、そこに立っていたのは。
「……私……!?」
怯えるように行き止まりの壁に縋る、スノーホワイトそっくりの魔法少女が、そこにはいた。
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