チリン
店の扉につけていた鈴が鳴る。
読みかけの本に栞を挟んで机に置いた。
「いらっしゃいませ」
今年もまた、お客さんが来たらしい。
やってきた客は少しばかり濡れていて、雨が降っていたことを知らせた。
「そちらの席をどうぞ。今、拭くものを持ってきますね」
空いている席(といっても客がいないので全て空いている)を指差す。
「あ、ありがとうございます」
「何を飲まれますか? 大抵のものはありますよ」
「それじゃあ、紅茶を」
「茶葉はどうされます?」
「……おすすめってありますか?」
「えぇ、今日のあなたにぴったりな茶葉がございますよ」
「ではそれを」
「かしこまりました」
店の奥から白いタオルを取り出して彼に手渡した。彼の髪はプラチナブロンドで、水に濡れて少しうねっていた。
タオルを受け取って、雨で湿った髪を拭き始めたのを確認してもう一度店の奥に戻る。
棚一面を埋め尽くすほどの種類がある茶葉の缶の中から一つ取り出した。
「お客さん、お名前は?」
「レノンです」
「レノンさんですか。おめでとうございます」
「……なんのことですか?」
「そのうちわかります」
お湯を沸かす。この茶葉は温度が98度ぴったりなのが一番美味しく出来上がるので温度計をしっかりと見ることを忘れない。それから、事前に温めてある陶器製のポットにティースプーン一杯分の茶葉を入れた。ポットに鉄製は望まない。鉄製のポットは紅茶の味を悪くし、優しい香りを損なう。それだけではなく、色まで黒っぽくしてしまう。
ポットに98度ぴったりのお湯を冷めないうちにゆっくりと注いだ。
「……まるで職人技ですね」
いつのまにか私の作業を見ていたらしいレノンさんが感心したようにボソリと呟いた。
「えぇ、職人ですよ。もう何年も一人でこの店をやっていますから」
「一人で? それは大変でしょうね」
「いえ、案外そうでもないですよ。それと、敬語でなくて大丈夫です」
体内時計で3分を数え、ポットの中をティースプーンで軽く混ぜた。
華美な装飾が施されていないシンプルなデザインのティーカップに紅茶を注いだ。ベスト・ドロップと呼ばれる最後の一滴まで注ぐのを忘れない。
「いい香りですね」
ティーカップを彼の目の前に置く。
「では、冷めないうちにどうぞ」
「美味しい……!」
「それはよかった」
「でも、なんだろう。……飲んだこと、ある気がする」
「ありますよ。もう何度目でしょうか。紅茶を飲むようになってからですから、四回目ぐらいですかね」
「え? いや、俺、ここには初めてで」
「本当に?」
「……あれ、俺どうしてこの店に来たんだっけ?」
「レノンさんは、去年もこの店に来られてますよ」
「……確かに、飲んだことがある気がするけど、」
「この紅茶はですね、特別な日にしか出さないと決めているんですよ。去年この紅茶を飲んだレノンさんは、また飲みたいと笑っておられましたね」
「特別な日?」
「えぇ、思い出せませんか?」
「……思い、出せないなぁ」
不思議そうな顔をして紅茶を飲む彼。
あぁ、そういえばケーキを出すのを忘れていた。ちょうど今日の朝に作ったばかりのシフォンケーキがある。
店の奥に戻りケーキを取り出した。小さく切り出し、クリームをたっぷりとのせた。
「ケーキです。紅茶と一緒にどうぞ」
「え、ケーキは頼んでないとおもうけど」
「私からのささやかですがお祝いです」
「……ありがとう。でも、俺今日がなんの日かわからないんだ」
「そのうち思い出しますよ。あなたにとって大切な日であるはずですから。ところで、外は雨が降っていたんですか?」
「あぁ、土砂降りってほどじゃないんだけど、少しね」
「朝には晴れているといいですね」
「朝? 今は夜なのか?」
「はい、ちょうど二時ごろですかね。真夜中ですよ」
カチカチと音を一定間隔で鳴らし続ける時計を見て答えた。
「そんな夜中に俺は何してんだ?」
「夜に店を開くのは一年に一度しかないんですよ」
「一年に一度? どうして?」
「大切な日を、少しでも彩るためです。この日は自分を見つめる大切な日でしょう? 昼間は騒がしいでしょうから、夜くらいは静かに自分に向き合えるようにと、ね」
「大切な日ってなんだ? 今日はなんの日なんだ?」
「思い出せるはずですよ」
「……全く見当もつかないんだけど……あ、このケーキ美味しいな」
いつの間にか話ている間に綺麗になったお皿。確か、去年はレシピを聞いて来たのだ。
「レシピって教えてもらえたりするか?」
今年も聞いてきた。
「教えることはできますが、きっとこの店を出た頃には忘れてしまいますよ」
「……どういうことだ?」
「そういうものなんです。はい、どうぞ。レシピです。料理がお好きなんですか?」
「ありがとう。……そうだな、料理は好きだ。それに食わせてやりたい奴もいる」
「おや、ふふっ、それはよかった。」
「何笑ってんだ? 俺変なこと言った?」
去年は、作った料理を食べてもらう相手などいなかったはずだ。仲間ができたかのか、はたまた恋人でもできたのか。どちらにせよ嬉しいことだ。
「いえ、よかったですね」
「いや、何が?」
「今年はあなたを祝ってくださる方がおられるのでしょう?」
「……祝う? 俺を? ……あ」
目を少しだけ見開いて、それから少し微笑んだ。
「思い出しました?」
「あぁ、思い出したよ。……そう、だな。確かに今日は大切な日だ」
プラチナブロンドの髪の隙間から見える彼の目が、ほんの少しだけ伏せるように閉じた。
……この店は、年に一度のみ夜に店を開く。彼の夢の中で。彼を祝うため、彼が自分を見つめる時間を作るため。年に一度の大切な日を。この世界に生まれてきたことを祝い、感謝する日を祝うために。
「お客さん、去年のレノンさんからのプレゼントです」
大きな花束を手渡した。白く美しい花が咲き誇っていた。
「ありがとう」
彼は花束を受け取り、束の中から一本の花を抜いた。それから私に花束を返す。
「来年の俺にプレゼントしておいてくれ。あと、紅茶もケーキも今年と同じものを頼みたい」
去年の彼と一字一句違わないことをいう彼に、自分の顔が少し緩むのが感じられた。
「えぇ、勿論です」
花束を受け取りながらそう返す。
窓の外を見やれば雨が止んでいて、雲の隙間から月の光が覗いていた。この様子だと朝には青空が広がっていそうである。
「……じゃあ、そろそろ帰るよ」
彼が椅子から立ち上がる。彼の右手には白い花が一本、しっかりと握られていた。
彼が扉を開く。空はまだ暗い。だが、直に夜が明けるだろう。
「ありがとう。紅茶おいしかったよ、また飲みたい」
そう言って笑った。
「是非来年も飲みに来てください」
「あぁ、きっと来るよ」
店から去っていく彼の背中と、閉じられる扉を見ていた。
きっと、もう彼には聞こえていないだろうと知りながら、忘れていた言葉を呟いた。
「ハッピーバースデー。またのご来店をお待ちしています」