レンタル彼女【BanG Dream!】 作:山神薙人
こんにちは、山神薙人です。
今回は読後感を重視して前書きにて失礼します。
これで千聖編は終了となり、次回からは別キャラとどんどんデートしていきます。
ただ、諸事情で次回の更新が11月~になりそうです。
かなりお待たせすることになり申し訳ありません……。
何とか頑張ります。
ではまた!!!!!!!!!
ツイスターゲーム第二回戦――。松原さんVS僕。
右手を地面につけたり離したりと未だツイスターゲームのツの字も味わっていないような松原さんとは対照的に、僕は窮屈な四つん這いの体勢を強いられていた。
白魚のような手がルーレットのつまみをきゅいと捻る。
現状、こちらの劣勢は明らか。
何か目の覚めるような一手を、と念じる僕に告げられた指令は『右足:エアー』だった。
……ここでのエアーは正直、キツい。
連戦ということもあり疲労がたまっていて、こうして四つん這いになっているだけでもつらいのに、その上右足を上げるのはかなりの負担だ。
けれど、僕はこの勝負になんとしてでも勝ちたかった。
勝てば松原さんに何でも命令できるから――ではない。
松原さんは、罰ゲームをどうしようかずっと悩んでいて、今も心ここにあらずという風に眉間にしわが寄っている。
そんなに迷うくらいならいっそのことわざと負ければいいじゃないかとも思うが、彼女の性格的にそれはできない。
あくまで真剣に、でも出来れば負けた方が助かるかも……そんな彼女の願いをかなえるべく、僕はこうして必死に足掻いているのである。
倒れないよう両手に力を込め、バランスを保ちながら慎重に右足を上げていく。
……よし、何とか大丈夫そうだ。
空中でへの字に曲がる右足はガクガクと震えてこそいるけれど、指示通りにはなっているはず。
僕がほっと胸をなでおろしたのもつかの間、横から声を押し殺したくつくつという笑いが聞こえてきた。
音の発生源は――千聖。
そこまでおかしな格好だろうかと耳を澄ませば、「小さいころのっ……ふふっ……レオンみたい」とのこと。
レオンって確か、千聖の実家で飼っている犬の名前だったような……と思考を巡らせて、今の僕の体勢がどう見えるのかを想像して、ようやく気がついた。犬がおしっこするときのポーズに似ていると言いたいのだ、千聖は。もうそれしか考えられない。
千聖につられてか、松原さんも可笑しそうに肩を揺らしている。
何だか段々と恥ずかしくなってきた。
早く次のルーレットを回していただけないでしょうか、と千聖を見ると、はいはいという苦笑と共にルーレットが回される。松原さんの番。次に僕の番。
右足をなんとか下ろしたいという僕の思いも徒に、針が指したのは『左足:エアー』。王手ともいえるその指示に、思わず千聖と顔を見合わせる。
「あなた……二点倒立は出来る?」
「……やってみようか?」
「危ないからやめてちょうだい」
冗談で挑戦を申し出るもすぐに却下されてしまい、ギブアップとばかりに僕は大の字に寝転んだ。
「よろしい。……これで花音の勝ちね、おめでとう」
「あはは……。なんか勝った気がしないけど……」
「運も実力のうちよ」
「大丈夫ですか」とこちらを覗き込むようにして声をかけてくれる松原さんに「うん」と返して、ふらふらと起き上がる。
普段運動をしないせいもあるのだろうが、二戦連続はさすがに骨身に応えた。筋肉痛になりそうな気配が体の節々から感じられる。明日の朝がちょっと怖いかもしれない。
起き上がった僕を横目でちらと見た千聖が「さて」と切り出した。
「罰ゲームはもう決めてあるの? 花音」
「それが……全然思いついてなくて」
まるで数学の難問にでも立ち向かっているかのようにむむと顔をしかめる松原さん……不甲斐ない彼氏でごめん。
「そんなに難しく考えなくても、彼にしてもらいたいことを言えばいいのよ」
見かねた千聖が優しくアドバイスを送るも、その表情は晴れない。
うーんうーんと考え込みながら、僕のほうをちらちら見て――目線があったかと思えば、すぐにぱっと逸らされてしまう。
僕に関係のあることだから……何か言ってあげたほうがいいのだろうか。
松原さんのしたいことというのがどうにも想像できないが、大抵のことなら対応可能だと思う、たぶん。物理的に無理とかでなければ。
いっそのこと僕のほうから提案を、と口を開いたその瞬間、澱んだ空気を切り替えるように、千聖がぱんと手を叩いた。
「分かったわ。一旦私の部屋で作戦会議をしましょう」
そう言うと、そのまま松原さんの手を取って、廊下の奥にある部屋の向こうへと消えていってしまった。
たちまち、リビングはツイスターゲームをやっていたときの喧騒が嘘みたいにしんと静まり返る。そして、時折遠くから響いてくる松原さんの悲鳴――のような何か。
だ、大丈夫だろうか。
松原さん単体のお願いならまだしも、千聖の助言が入ると、とんでもない魔改造が施される可能性だってある。
ポッキーゲームとかだったらどうしよう。平静を保てる自信があまりないかもしれない。
もくもくと湧き出てくる妄想に、だだっ広い空間でひとり悶々としていると、やがて部屋のドアが開いて、中から千聖と松原さんが出てきた。
もじもじのろのろ歩く松原さんの背中を、千聖がいそいそと押している。
耳まで赤くしながら足元に視線を彷徨わせている松原さんは、僕の近くまで来ると「あの……その……」と声にならない声で呟いた。
俯いているせいもあってか、全く聞き取ることができず、僕も苦笑するしかない。
やっぱり無理、と身をよじる松原さん。その身体を後ろからがっちりホールドしている千聖が、耳元へ「大丈夫よ、花音……彼ならきっと……」とこそこそ囁いている。
千聖の応援に俄かに勇気づけられたのか、ついに松原さんが上目遣いに僕を見た。
互いの吐息すら感じられそうな距離――。
その瞳が、その唇が、その頬が、跳躍前のしゃがみ動作のようにぎゅっと力んだ。精いっぱいの助走をつけて、松原さんは意を決して、跳んだ。
「私にも……キスっ……してください」
えっ――という驚きの言葉を喉元でぐっと堪える。
途方もない勇気をもって伝えてくれたその一言に対しての第一声がこれでいいはずがない。
自らの気持ちをそっと確かめてみる。
嬉しいような……くすぐったいような。
もしかすると、僕と千聖のキスを羨ましいと思ったのかもしれない。それぐらい、僕のことを好きでいてくれているのかもしない。
ならば、返す言葉は。
「うん。よろこんで」
僕がそう言うと、松原さんの顔に、緊張と喜びと驚愕とが派手なネオンライトみたいにチカチカと目まぐるしく輝いた。
そっと閉じられる瞳。
ほっぺたへのキスも目を瞑るものなのだろうか。
分からなかったけど、こちらも目を瞑った。
暗闇の中、手探りで顔を近づけてゆく。
ふっと松原さんの頬が触れた。
火傷しそうなほどの熱が僕の唇にまで伝わってくる。その伝播をゆっくりと味わってから唇を離す。
夜空に閃く雷のような、刹那の、だけど眩暈がするほど眩いキス――。
松原さんがその瞼をゆるゆると開いた。
僕を見つめる美しいアメジストは、まるで澄明な湖の底に沈んでいるかのように、熱っぽく潤んでいる。
その瞳に吸い込まれるようにして、僕らはもう一度、
――今度は、唇と唇とを重ね合わせた。
ただ単純に口を寄せ合うだけのソフトなキス。それは、口の山の部分しか触れていないような初々しいキスだったけれど、今の僕らには十分すぎるくらいだった。
とくとくと軽やかに弾む心臓の鼓動を感じる。二人の接点からじわりじわりと熱が広がってゆく。クラゲのイヤリングがぶるると身じろぎする。
ぷはっと息を吐いて、松原さんが僕から離れた。キスの間ずっと息を止めていたのだろう。とろとろにふやけた顔ではっはっと浅い呼吸を繰り返している。
「よかったわね、花音」
その隣で嬉しそうに目を細める千聖に、こくんと頷き返した松原さんは、しかしどこか申し訳なさそうな複雑な表情で。
その表情が意味するところは僕には分からなかったが、親友である千聖は松原さんの心の内を敏感に察したらしく、心配なんていらないわ、というように笑みを湛えて、くるりと僕のほうへ振り返った。
「これは罰ゲームではないから、単なる私のお願いなのだけれど……私にももう一度、キスをしてくれるかしら?」
ぴんと張った白い指で、唇をつつとなぞる千聖。
その蠱惑的な三日月につられるようにして、僕は距離をつめてゆく。
ぷちゅり、と唇が溶け合った。ちゅっちゅっとついばむようなバードキスを繰り返しながら、舌の動きで変化をつける。僕の舌が千聖の唇を這いまわったり、かと思えばお返しとばかりに口先を舐められたり。
彼女はさっきのツイスターゲームで僕のことを犬みたいとからかったけれど、舌を伸ばして僕のことをぺろぺろと舐める千聖は、久しぶりに主人と会って興奮している犬のような可愛らしさがあった。
どちらからともなく身を離す。
僕がぜえぜえと息を鎮めていると、千聖が「……花音」と小さく呼びかけた。
その言葉に応じて、顔をぽうっと上気させた松原さんが、また僕の目の前へ。
息も整わぬまま、松原さんと二回目のキスをする。
僕は、緊張で未だきゅっと縮こまっている松原さんをほぐすように、その固く閉ざされた門を舌でとんとんとノックした。なんだろう、と薄く開かれる口。その隙間ににゅるりと舌を差し込んで、円を描くようにして松原さんの舌先を舐る。思いもよらぬ刺激に、松原さんがぴくんぴくんと体を震わせる。大丈夫だよ、と僕は水色の髪を優しく撫でる。そうして、少しずつ少しずつ僕らは深く繋がってゆく。
キスを終えたときには、松原さんの身体からは完全に力が抜けていて、その場にへなへなと座り込んでしまった。
酸欠でぼうっとした僕に降り注ぐ「おかわりよ」という千聖の声。はむ、と唇を甘噛みされ、松原さんよりも若干長いひんやりした舌が侵入してくる。
千聖との甘いキス。続けて松原さんとのキス。その次は千聖、またその次は松原さん。千聖、松原さん、千聖、松原さん――。
◇◇◇
……ぱちり、と目が覚めた。
背中に感じる違和感に、あぁそういえば千聖と松原さんの家にいるんだった、と思い出す。
昼間にツイスターゲームで散々体を動かしたおかげで寝つき自体はよかったのだが、慣れない環境ということもあってか、途中で起きてしまったみたいだ。
よいしょと上半身を起こして、今まで寝ていたリビングのソファーに腰かける。テーブルに手を伸ばしてスマホの時刻表示を見やれば、まだ深夜の二時半。このまま起きているには些か早い時間だが、眠りが浅かったためかどうにも目が冴えてしまっている。
家主のいない部屋をうろうろ歩き回るのも気が引けて、僕は、白い天井をぼんやり眺めながら今日のデートに思いを馳せた。
ツイスターゲームの後、千聖と松原さんの手料理を食べて、テレビ番組を見て、お風呂に入って(僕は近くの銭湯へ)、デザートを食べて……。
今日のために二人で買ったという、セーラー服みたいな襟がついたふりふりのパジャマも可愛かった。千聖が黄色で、松原さんが水色。おそろいのパジャマで笑い合う姿を見て、女の子だけのパジャマパーティーにうっかり忍び込んでしまったみたいなばつの悪さを感じたことを覚えている。
二人と同時にデートなんて初めはどうなるかと思ったけど、一対一のデートとはまた違った楽しさがあった。
今日の出来事を思い出してにやけていると、ふと、後ろから足音が聞こえた。
ひたひたというその音に反応して振り返れば、薄闇の向こうから歩いてきたのは……千聖。
「ごめんなさい。起こしてしまったかしら」
「ううん。そんなことないよ。さっき目が覚めちゃって」
「そう」と答えた千聖は、そのままリビングに併設されたキッチンへ。コップを手に、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。とぷとぷと水を注ぐ音まで聞こえるくらい静かな室内。僕の視線に気づいた千聖が、あなたも飲む? というように首を傾げた。
頷いて近寄ると「はい」と千聖が使った後のコップを渡される。飲み口が被らないようにして、僕も水を飲む。
ちょうど飲み干したタイミングで「ねぇ」と声をかけられた。
「眠れないのなら、少し話さない?」
「うん、いいよ」
「花音を起こしてしまうのも悪いし、バルコニーへ行きましょうか」
そう言うと千聖は、バルコニーへと続く掃き出し窓へと近づいて、音が鳴らないよう慎重に窓を開いた。千聖に続いて僕もカーテンをくぐり、外に用意されているクロックスを履く。サイズが合わずに踵を余らせたまま、夜の世界へ踏み出した。
湿っぽい夜の匂いがつんと鼻をつく。夜風がしゅるしゅると駆け抜けてゆく。
空は、見事なまでの曇り空で、月も弱弱しい蛍光灯みたいに頼りない。夏の大三角なんてもってのほかだ。
二人して手すりにもたれかけて、街をじっと眺める。
高台にあるマンションだから、その眺望は中々のもので、暗い空の下で仲良く並んで眠っている一軒家たちや、ブラックホールみたいに黒々とした庭園や、踊り場の光だけが白々と積みあがるアパートなんかがよく見えた。
「……そういえば、言い忘れていたわ。ツイスターゲームのときはありがとう。最後、わざと倒れてくれたのよね?」
「うん」
バルコニーから言葉の紙飛行機を順番に飛ばしてゆくみたいに、僕らは話しはじめた。
「でも、どうしてあそこまで勝ちたかったの?」
「……あなたにキスをしてほしかったっていうのはどうかしら?」
「……そうなの?」
「さぁ、どうでしょう」
意味深な響きを残して千聖の言葉が消えてゆく。
ありがとう……か。
その言葉を、今日何度言われただろう。だけどそのどれ一つとして、僕の心を揺るがすことはなかった。
嬉しくないわけじゃない。原因はきっと、この胸に蟠る罪悪感のせいだ。
世界が寝静まった今なら、言えそうな気がした。
「他の人とデートして、ごめん」
「……同じことを言うけれど、謝るようなことじゃないわ。誰をデート相手に選ぶかはあなたの自由で、権利よ」
「それでも……ごめん」
ただ謝罪を繰り返すだけの僕に、千聖が困ったように息を吐き捨てる。
「その謝罪を受けてもいいのだけれど、本当に気にしてないのよ。今日の私の素振りで誤解させてしまったのなら悪かったわ。少しくらい嫉妬を見せたほうがいいスパイスになるかと思って――」
まるで拗ねた子供を宥めているかのような優しい声色。
でも、僕には、どうしても納得できなかった。
……いや、違う。僕は認めたくなかったのだ。千聖に許してほしくなかったのだ。
だって、許されてしまえば――また、同じことをするから。
たった一言でもいいから、怒ってくれれば。
そうすれば、僕はもう二度と他の人とのデートを楽しまないし、松原さんの好感度もすぐに元に戻すのに。
他の人とデートしないでって言ってくれれば。
そうすれば、僕は千聖の好感度すら上げるのを諦めて、君だけとデートをしたのに。
でも、君が許すというのなら、僕の欲望が許されるのなら。
また松原さんとデートがしたい。
千聖と同じぐらい魅力的な松原さんにもっと好きになってもらいたい。
他の人ともデートしてみたい。パスパレの他のメンバーとか、千聖の知り合いの女の子とも会ってみたい。
その欲望が、止まらなくなってしまう。止められなくなってしまう。
だから――
「……何で、許してくれるの?」
僕は、大きく息を吸って、
「僕がやっていることは、二股で、浮気で、それって普通なら許されないはずでしょ!」
胸のもやもやを吐き出すようにまくしたてた。
……声が夜空の向こうへと吸い込まれてゆく。僕らの間に沈黙が腰を下ろす。
草むらにすだく虫の音。各部屋に設けられた室外機の輪唱。道路を疾駆するバイクのけたたましい排気音。
暗闇を切り裂いて走るその赤いテールランプの光跡を見送ってから、千聖は「普通……ね」と呟いた。
「私たちの関係は――普通なの?」
すみれ色の瞳が、強く、強く僕を睨む。
「日時が決まっていて、規約に縛られていて、あなたからの予約がなければ会えなくて……」
その瞳を見て、やっと僕は、彼女が怒っているんだと気がついた。
「そんな関係の、どこが普通なのよ!」
何も言えなくて、逃げたくて、目を逸らす。
そんな僕を見て、千聖がすっと語気を弱めた。
「……別に、あなたを糾弾したいわけではないわ。確かに、私たちの関係は普通じゃない。でも、だからこそ私は、あなたが花音とデートすることを、そして、今日こうして三人でデートすることを受け入れられたの。世間一般では許されないようなことでも、すんなり許せたの」
――僕は、何を恐れているんだろう。
千聖が許すと言っているのだから、自分の欲望に素直に従えばいいじゃないか。松原さんと一緒にデートできるのが嬉しいと言っていたのだから、むしろどんどん他の人と付き合えばいいじゃないか。
……たぶん、僕は千聖を傷つけてしまうのが、怖いんだ。
千聖の発言も、もしかすると真意ではないのかもしれない。レンタル彼女という制約に縛られてそう言っているだけなのかもしれない。心の奥底では不快に思っているのかもしれない。
彼女は、普通じゃない関係だからこそ、普通じゃないデートも受け入れられると言った。
だとしたら、本当の千聖なら、本当のカップルなら、僕のことを許さなかったのだろうか。
その心は僕には全然分からなくて、どれだけ彼女が伝えてくれても信じることができなくて、色も形も手触りもすべてが未知のままの本当の千聖に触れたくて、僕はうつむいたまま口を開いた。
「じゃあ、千聖は――レンタルじゃない本当の白鷺千聖は、どう思ってるの?」
縋り付くように発した僕の問いに、しかし、千聖の答えはどこか冷ややかだった。
「それを知って、どうするの?」
思わぬ返答に僕は「え?」と顔を上げる。
「レンタル彼女のシステムを通して知り合った以上、システムを通さないプライベートでの接触は規約違反よ。たとえ本当の私があなたを許さなかったとしても、その私にあなたが会うことはないわ」
「それにね」と千聖は言葉を継いで――
「本当の白鷺千聖なんて……もうどこにもいないのよ」
切なげに、微笑んだ。
……あぁ、消えてゆく。
僕の世界から、本当の千聖が消えてゆく。
そして、その後に残るのは、
「だから……私を見て。あなたの彼女で、あなたが大好きな……この私だけを見て」
千聖が僕の手を取って、その頬に触れさせた。
今ここにいるのは私なのだと主張するように。
そこにあるのは、僕の知っている温かさだ。
……ずっと、どこか負い目のようなものがあった。
千聖に無理をさせているんじゃないか、とか。
結局は演技にすぎない、とか。
だけど、僕がそう見るならば。
僕が目の前の千聖だけを見るならば、それだけが本当なのだ。
本当の千聖は、今何を考えているのだろう。
それは、依然として分からない。
人は、その人の行為からその内面を解釈するしかない。
他人の気持ちなんて究極的には理解できない。
だけど、僕には、確かな手掛かりがあった。
――レンタル彼女の契約。
白鷺千聖が僕の彼女であるということ。好感度が80/100であるということ。
それこそが、それだけが、人間の無明の闇の中で決して揺るがぬ事実だった。
目の前の白鷺千聖を構成している真実だった。
――そっか。
千聖は、僕のことが好きなんだね。
ようやく、分かったよ。
ようやく、信じられたよ。
……ならば、僕のすべきことは。
夜を吸い込んで、両手を回して、千聖をぎゅっと抱き寄せる。
目と目が合う。
彼女がゆっくりと瞼を下ろす。
そして、僕らはキスをする。
それは、昼間とは比べものにならないほどの激しい口づけだった。
濡れそぼった舌と舌とを、貪るように無我夢中で絡めてゆく。押し付けて、押し付けられて、舐って、舐られて。口の端から漏れる唾液も、もうどちらのものなのか分からない。僕が覆いかぶさるようにキスをしている分、重力でどんどん僕の唾液が送られていって、それを千聖が必死でこくこくと嚥下している。その蠕動のたびに生じる僅かなほつれから、水音交じりの派手なリップ音が弾ける。
苦しくて、二人で喘ぐように息を繋いで、それでも抱きしめ合いながらキスを続ける。
千聖の手が、ジェットコースターのバーを握るみたいに僕の背中を強く掴んだ。ぎゅうぎゅうと身体が密着して、パジャマの薄い布地越しに彼女の柔らかさを知る。
お返しにこちらも力を込めると、張りつめた千聖の身体がぴんとしなって、ぶるぶると痙攣した。そしてすぐにその反動で脱力する。僕は、なすがままになった千聖の口内を隅々まで味わう。夏ということもあって、僕らの身体も、吐息も、沸騰しそうなほどに熱くなっている。彼我の境界はどんどん曖昧になり、どろどろに溶け合って、やがて僕らは一つになる。
……永遠にも感じられるような長いキスをして、僕らはようやく唇を離した。
まだ余韻が抜けきっていない千聖は、しばらくの間、恍惚とした蕩けた表情を僕の眼前に晒していたが、突然ぱっと正気に戻って、顔を見られたくないとばかりに僕の胸に顔をうずめた。
その背中を優しく撫でながら、空を見上げてみる。
黒々とした雲が分厚く空を覆っていて、
僕はきっと他の人とデートをするだろう。
僕はもう欲望に逆らうことはないだろう。
その先には、一体何が待っているのか。
それが
◇◇◇
『もしも~し。聞こえてる?』
『いや~そんな大した用でもないよ。彩ちゃんに確かめたいことがあって』
『……最近、千聖ちゃんとプライベートで遊んだ?』
『あ、別にヘンな意味じゃないんだけど、あたしなんかもう三連続くらいでフラれててさ。理由聞いても誤魔化されるし……。なんか忙しいのかな~って』
『へ~。彩ちゃんもなんだ。……まぁ心配ではあるけど、大学の課題が忙しいのかもしれないし、大丈夫じゃない?』
『……うん、そうだね。もう少し様子を見ようよ』
『え? あたし? あ~……今は、モーツァルト大先生の目の前にいるかな、90年生まれの』
『あはは、ごめんごめん。なんでもないよ。じゃ、またね~』