レンタル彼女【BanG Dream!】 作:山神薙人
話数の表記を変えました。
すみません……。
トントン。ザクザク。ジュージュー。
パシャパシャ。チリチリ。コンコン。
包丁で玉ねぎを切る音。飴色になった玉ねぎとマッシュルームが踊る音。肉を焼く音。卵をかき混ぜる音。フライパンのふちで黄色いしぶきが上がる音。
僕は、テレビも付けず、スマホも遠くへ追いやったまま、キッチンから聞こえてくるその小気味よい音たちにぼうっと耳を傾けていた。
こんな風に誰かに料理を作ってもらうというのはいつぶりだろう。ましてや、料理が出来上がるまでの時間をこうしてじっと待っているなんてのは。
遠い遠い昔、記憶の地平の彼方に、こんなことがあったかもしれない。
まだ自分の部屋もなくて、遊ぶ場所といえばキッチンに併設しているリビングで、テレビで夕方のニュースが流れていて。僕はソファーに座って絵本を読んでいる。
ぽたぽたと滴る日常の時間。生活のノイズ。扇風機のぬるい風。夕飯の匂い。
ステレオタイプなノスタルジーは、それでも、確かに幸福の形をしていた。
……キッチンの方へ顔を向けると、エプロンを着た白鷺千聖の後ろ姿が見えた。
菜箸を片手に持ちながらフライパンを振るその横顔は真剣そのもの。髪はオレンジのシュシュでポニーテールにまとめられていて、露わになったうなじには汗が光っている。エプロンは彼女のイメージカラーであるレモン色のチェック柄。ひもで引き締められたウエストは嘘みたいに細くて、流石は芸能人だなと思った。
「そろそろ出来上がるわ」とキッチンから呼びかけられ、大急ぎでテーブルにランチョンマットを敷く。合わせて、カトラリーを用意するためにキッチンへ向かうと、料理の載ったお皿を持った白鷺千聖とすれ違った。卵とバターの香ばしい匂いがふわりと鼻をつく。
スプーンとナイフとコップと……と手に取って、飲み物のリクエストを聞こうと声を上げた。
「千聖さんは何飲む? ミネラルウォーターとか、麦茶とかあるけど」
「ならミネラルウォーターをいただこうかしら」
手伝いに来た白鷺千聖に恐縮しながら、諸々を二人で分担して持ってゆく。
それぞれの席に座り、コップに飲み物を注いだらようやく準備完了だ。
目の前には美味しそうなオムライス。さながらエアーズロックのようにこんもりと盛られたチキンライスの上に、海賊帽みたいな紡錘形の卵がのっかっている。
二人で「いただきます」と手を合わせて、さてどうやって食べようかと考えながらスプーンを手に取ろうとすると、白鷺千聖から「ちょっといいかしら」とストップがかかった。そのままこちらの皿のほうに手を伸ばして、ナイフを使ってオムライスの正中線に切れ目を入れる。
すると、ぷるぷると震えていた卵がチキンライスに覆いかぶさるかのようにとぅるんと滑らかに花開いた。つやつやと輝く半熟の卵がお皿いっぱいに広がる。
「おお」と思わず感嘆の声が出た。顔を上げると、白鷺千聖もふふんと得意げな顔つきをしている。
「すごい……お洒落なお店みたいだ」
「実は、内心ドキドキしていたのだけれど……きれいに落ちてよかったわ」
「このところ毎日オムライスを食べ続けていた甲斐があったわね」と微笑む白鷺千聖。
さっき僕が言ったお洒落なお店というのは僕にとっては概念上の存在で、実際に行ったことはないわけなのだが、白鷺千聖の作ったオムライスは、かくやあらんという美味しさだった。
ふわふわでクリーミーな卵と、ケチャップの酸味がよく効いたチキンライスが絶妙なバランスで調和していて、パクパクと食べ進められてしまう。お好みでケチャップをかけてと言われたが、全く必要ないくらいパンチの強い味だ。大きめにカットされた鶏肉も存在感があって、食感にも変化があるのが嬉しかった。
「ごちそうさまでした。……美味しかったです」
「お粗末様でした」
素直な感想と共にぱちんと合掌する。洗いものはもちろん僕の仕事だ。我先にと席を立って、じゃぶじゃぶと洗いはじめる。
とはいえ、せいぜいが二人ぶんだし、使用した調理器具も少ないのですぐに洗い終わってしまった。
リビングを覗くと、白鷺千聖は、初めに部屋に来たときよりかは幾分か寛いだ様子でスマートフォンを弄っている。
僕はこそこそと洗面台に移動して歯磨きセットを取り出し、念入りに歯を磨いた。
匂いの強いものを食べたわけではないが、やはり食後はどうしても口臭が気になってしまう。
それにまだ――。
先走った思考が斜め上に飛んでいきそうになるのを寸前で打ち落とす。がらがらと豪快にうがいをして、雑念を振り切るように水を吐き捨てた。
部屋に戻って、少し話をして、ゴールデンタイムのバラエティ番組を二人で見た。
普段テレビを見ることはあまりなくて、それこそパスパレの出ている番組をいくつかチェックするくらいなのだが、誰かと見るテレビは想像以上に面白かった。
クイズ番組のなぞなぞの答えをああでもないこうでもないと話し合ったり、白鷺千聖から業界のあるあるネタを教えてもらったり、番組で紹介されていた健康になるヨガのポーズを二人でやってみたり。
しょうもない芸人のスベリ芸に白鷺千聖が堪え切れずに笑って、つられて僕も笑う。テーブルが揺れて、コップに入った氷もカランコロンと音を立てる。
終わってほしくないな、と思った。白鷺千聖とのデートは、いつも最後に苦しい気持ちになってしまう。
気づけば、もう九時のニュースが始まっていた。
「そろそろおいとましようかしら」
「そうだね……。遅いし、駅まで送ってくよ」
「ありがとう。お願いするわ」
白鷺千聖がバッグを持って立ち上がる。夜だからか、変装は最低限で軽く帽子をかぶるだけだった。
家の鍵を持って、サンダルを履いて、二人で外に出る。
駅まで徒歩8分。閑静な住宅地とあって出歩いている人もおらず、大通りに比べれば蛍光灯も少ない。
歩いているうちに、下着が汗で張り付いてくる。
熱帯夜とまではいかないがじめっと暑くて、気まぐれな扇風機みたいに時折吹いてくる夜風が心地よく感じられる――そんな夜だった。
白鷺千聖の一歩先を噛みしめるように歩いてゆく。
デートをするのもこれで五回目だ。予約にも慣れてきて、今回は自宅でのデートなんて指定してみた。僕の記憶だと初めは外しか選択できなかったから、これも機能が解放されたおかげなのだろう。
好感度は――今や70/100にまで達している。ただ前々回のデートから数値が上がらなくなってきて、多分、もっと別の実績を達成する必要が――例えば、他の人とデートするとか――そういうことをしなければならないのだと思う。
好感度が100になったらどうなるのだろう。利用規約にはキャストの嫌がる行為はできないと書いてあるが、その解釈はかなり広い。それに、このアプリのことだから、利用規約だって知らぬ間に書き換わるかもしれない。
好感度を上げたいか上げたくないかでいえば、上げてみたかった。
デートを重ねるごとに親密になっていきたいというのは当然の欲求だろう。僕らの場合は普通のカップルとは毛色が違うのだが。
特に会話もないまま、駅前へと続く大通りの前までやってきてしまった。
各駅停車しか止まらないくらいの小さな駅だが、それでも都内とあって通り過ぎる車のヘッドライトやお店のネオンの余波が僕らのいる脇道にも染み渡ってきている。
「……ねぇ。そこの公園で少し休憩しない?」
ささっと僕の前に回った白鷺千聖が、ワンピースを翻してそう言った。
遅い時間だけど、少しくらいならいいかと思って僕も静かに頷く。
公園の入口にあるポールを抜けて、すべり台の傍にあるベンチに腰を下ろした。小さな公園を照らす蛍光灯はただ一本だけで、ブランコも、砂場も、馬のスプリング遊具も、全てが深い藍色に重ね塗られている。あまりの暗さに遠近感が分からなくなって、無意味だと知りつつ目をこする。
「今日は、ありがとう」
それは、今まさに過ぎ去ろうとするこの一日を、惜しむような声色だった。
「いや……こちらこそ。お土産も、料理も……すごく楽しかった」
足をぷらぷら揺らしながらそう答えるうちに、僕はふと、ベンチの下に小さなゴムボールが落ちているのに気づいた。誰かの忘れものだろう。何とはなしに小さく蹴ってみる。ゴムボールは公園の中央めがけてころころ転がってゆく。
「もらってばかりなんじゃないかなって思うくらいだよ。僕なんて、ただ部屋に呼んだだけで……」
「そんなことないわ。私のために掃除だってしてくれたじゃない。棚の奥にあった新品の紅茶も、私のために買ってくれたのよね?」
バレてたか。咄嗟のことでずいぶん分かりやすい場所に隠してしまったから、料理で棚を弄るときに見えてしまったのだろう。
意地悪な笑みを浮かべてから、白鷺千聖は「それにね……」と続けた。
「もし、それが大変なことだったとしても……好きな人のためなら、全然苦にならないわ」
僕は反射的に「でも」と返して、続く言葉が思い浮かばなくて、そのまま押し黙ってしまう。
僕の蹴ったゴムボールが砂場のへりを越えて見えなくなった。公園の横道を、鼻歌交じりに自転車が通り抜けていった。どこかの家から笑い声が聞こえた気がした。
「もし、それでもあなたがもらってばかりだというのなら……今度は私のわがままも、聞いてくれるかしら」
沈黙を裂くその声にはっと横を向く。からかうような笑みを浮かべた白鷺千聖は「そうね……」と顎に手を当てる。
「……あなたは、私のことを千聖さんと呼ぶけれど、ほんのちょっと……遠い気がするの。だから、千聖と……そう呼んでほしい」
柔らかくたわんだ眉、薄く開かれた唇――だけど、その眼差しは切実で。
「……分かった」
息を整える。途端に“ちさと”という三文字のアクセントが分からなくなる。顔がほてり始める。つばを飲み込む。
「ちさと……さん」
「さんはいらないわ」
間違えた。咳ばらいをして、もう一回。
「……ちさと」
「ええ」
「……千聖」
「ええ」
「千聖」
「ええ」
何度も何度も名前を呼んで、僕らは、僕らの間を結ぶ透明なナニカを確かめ合う。
呼んで――答えて、呼んで――答えて、
呼びかけあうその唇が、徐々に近づいてゆく。闇のカーテンの向こうから現れた千聖の頬はほんのりと桜色に染まっている。彼女の心臓も、今の僕と同じように高鳴っているのだろうか。
唇に――ぷにっと柔らかい感触がした。二回目のキス。なるべく意識的に力を抜く。全身の神経が一点に集中して、あまりの恍惚感に眩暈がする。
すぐに息が苦しくなって、僕は思わず身を引こうとした。だけど、そんな僕を窘めるかのように、千聖がその両唇で僕の下唇を取り押さえてしまう。
そのまま僕の唇の感触を確かめるかのようにはむはむと甘噛みされる。くすぐったいような奇妙な感じがぴりぴりと脳の裏を駆けめぐる。
とうとう苦しくなって、鼻からそろそろと息をした。まだ慣れていないからか、自然と口が薄く開いてしまう。
「んっ……は……」
千聖も同じように大きく身を震わせて息継ぎをしていた。
吸い込まれる空気に合わせて、舌と舌とがちょんと触れる。僕の背中に腕が回され優しく引き寄せられる。勝手の分からないまま恐る恐る互いの舌を嬲り合う。目測を誤った僕の舌が千聖の上顎を撫でて、その身体が、敏感なツボを押されたかのようにびくんとしなった。弓なりになった身体がぎゅうぎゅうと押し付けられる。それでも、がっちりと噛み合った唇だけは強固に繋がっている――。
……どれだけ経ったのだろう。やがて、僕らは身を離した。
千聖の顔をまともに見ることができない。
目の端で様子を窺えば、あちらも恥ずかしげに俯いている。
「……帰ろうか」
「そうね」
よいしょとベンチから腰を上げる。だくだくと汗が流れる。
顔を上げた千聖が僕の顔を見て「あら」と声を上げた。
「ごめんなさい。リップが……」
むぎゅ、と指で唇をぬぐわれる。ミートソーススパゲッティを食べた後の子供のような気分になった。もしかすると、無意識にほんのりと眉をしかめていたのかもしれない。
ハンカチで指を拭いた千聖は、そんな僕を見て、さも可笑しそうにくつくつと微笑んだ。
いかかでしたか?
作者的には結構火力を上げたつもりなのですが……。
書いていて楽しいので、毎回このくらいイチャイチャできればいいなとは思っています。
ではまた!!!!