さらば愛しき明星 作:シシャモ
この世界に『アスデニウス』以外の国が存在しないのは、創世神話に由来する。
あらゆる生命の活動に悪影響を与える魔力が溢れる『魔力汚染』が蔓延し、生物の住める環境ではなかったこの世界に『創世神』という存在が降り立ち、人間を始めとする生物とそれらが生きられる国『アスデニウス』を創った。神話だから脚色や想像はあれど、アスデニウスに言い伝えられている建国の由来はそういうものである。国政の中枢である建物『アスデニウス大聖堂』の地下には、『創世神の像』が祀られているらしい。
アスデニウス国外の世界全ては『外の世界』と呼ばれ、魔力汚染によって荒廃した赤黒い大地と、淀んだ薄紅色の空が広がっている。
またアスデニウスが抱える最大の武力組織『アスデニウス戦団』は、国内の治安維持だけでなく、魔力汚染に耐性を持つ強い身体を持つ戦士や、魔力汚染を除去できる可能性のある魔法使いによって、『外の世界』で人々の居住地を増やしていくことを目標としている。しかし、実現にはまだ程遠いのが現状だった。
そして、アスデニウス第一学園は、その戦士や魔法使いを育てる為の国内最高の進学校として有名である。
そんなアス一に入学した当時のカイン・ミルトンは、特に何かに秀でてているわけではなかった。斬術も身体能力もそこそこ、魔法学では座学の成績は悪く実技は更にボロボロ。彼の特出する点を無理に何か挙げようとするのならば、手先の器用さと人当たりの良い性格ぐらいだろうか。一言でいうと地味な学生だった。
そんなカインが、校内一の有名人かつ変人イリスと何故か連み始めたとて、誰も気にすることはなかった。
「何故愚者は喋るのか。喋れば愚者だとバレるから黙っていればいいものを」
「どうしたの突然?」
その日も、カインはイリスに研究室に呼び出されこき使われていた。
「魔法科の愚者どもにつまらん物言いをされただけだ。詳細を説明したところで、お前は馬鹿だから分からんだろう」
「酷い言い草だね……でも君に馬鹿って言われたら否定はできないや」
イリスからの嫌味を、カインは気に留めず聞き流す、
「お前は馬鹿だが愚者じゃない。だから、手元に置いているわけだが」
イリスの言う『愚者』とは無知や無能ではなく、身の程を知らない者という意味である。カインはイリスから見ると無知な男だが、それを自覚しながら自分に接してくる為、イリスにとって愚者ではなかった。
また、イリスは自分と仲良くしようとはするが過剰に踏み込んで来ないカインのことを、無意識ながらに少し気に入っていた。
「それって褒めてるの?」
「さぁな、好きに受け取れ」
「じゃあ、褒められてることにしようかな」
カインの人当たりの良さは、性格最悪なイリスと上手く接することができる程で、常に放たれるイリスからの悪態を重く受け止めずに受け流していた。
二人の関係は、歪に見えながら良好だった。
「そういえば、お前は魔法が苦手らしいな、カイン」
「なんで知ってるの?」
「お前の鞄を漁り、成績表を見た」
「……勝手に見ないでもらえるかな」
「何か問題があるのか? あるならば、どういう問題が如何にあるのか、説明して私を納得させてみろ」
「いえ、ないです、何も」
カインの意見は、いつもこうやってイリスに掻き消されていた。カインは口喧嘩で自分がイリスに勝てるわけはないと思っているので、すぐに全てを諦めるのだ。
「そうだな。私の小間使いとして、魔法における知識に乏しいのは問題であるな。カイン、お前は魔法の何が苦手だ?」
「え、だって怖いじゃん。魔法って」
カインの言葉を聞き、イリスの頬が緩む。それどころか、声を出して笑い始めた。
「……ふ、ふふふ……ふふふふ」
「いや分かってるよ大の男が魔法が怖いなんておかしいって。でも……」
「違う。おかしいから笑ったのではない。やはりお前は馬鹿だが愚者ではないな」
「またその言葉……そしてまた好きに受け取れって言うんでしょどーせ」
「いや、今は普通に褒めた」
イリスは珍しく嬉しそうな表情を見せた。カインの言う魔法が苦手な理由は、イリスにとっては望ましいものだったからだ。
「お前は本能や感覚で魔法を恐怖しているのだろうが、その感覚を持っているだけで、魔法科の愚者どもよりも魔法への理解が深いと言えるな」
「どういうこと?」
「つまりお前は魔法が怖いから使えないし、使いたくないのだろう?」
「そう……だけど」
「それは正しい。魔力がなんたるかを知らぬ癖に魔法を扱う、だから魔法科の連中は愚者なのだ」
魔法科の学生はカインと比べて遥かに魔法が巧みで魔法学の成績もいいが、イリスにとってはそれらもカインも等しく遥か格下に過ぎない。むしろ、自身の無知を自覚しているカインの方がイリスにとっては評価が高かった。
「気が変わった。これから予定していた研究は中止だ」
イリスは自分が今から行おうとしていた研究のための器材と資料を、机の上から投げ捨てた。ちなみに後で掃除するのはカインである。
「カイン、私がお前に魔力のなんたるかを教えてやる。お前は馬鹿だから全てを理解できはしないだろうが、それでも戦士科のカリキュラムでは充分だろう。そして、その分知識がつけば自ずと魔法を恐れなくなる筈だ」
「え? いいの?」
魔法の研究の第一人者のイリスは、誰よりも優れた教師とも言えるわけであり、そんなイリスから直接魔法について教えてもらえるというのは、学生にとって貴重な機会他ならない。
また、イリスがカインの為に時間を使うのは稀なことであり、その驚きもあった。
「立ちながらだと面倒だろう? 座れ」
イリスの椅子は詰めれば二人でも座れるほどの幅があるので、イリスは自身の身体を片方に寄せ、空いたところに手をポンと叩いた。
「狭くない?」
「狭いが、お前が近い方が教えやすい。早く座れ」
「わ、わかった」
カインがおそるおそるイリスの隣に座ると、イリスはカインに身を寄せ、教書を指差しながら説明を始める。
(近え……っ! てかなんか良い匂いする……! それにイリスって見た目は普通に可愛いよな…………じゃない! ちょっと冷静じゃいられないから離れたい!)
カインとて思春期の男子なので、性格は終わっているものの学園随一の美少女との密着具合にどぎまぎしてしまい、なんとか少し離れる理由を作りたかった
「……ねぇイリス」
「なんだ?」
「女子にこんなこと言うのは気が引けるけど……髪の毛が長すぎて邪魔なんだよね……」
カインは、イリスの無造作に伸びた長い髪を理由に、イリスから少し離れようと画策した。イリスから許可が降りれば離れられるし、逆を言えばイリスが我慢しろとでも言えばイリスに密着する大義名分ができるという浅ましい思いもあった。
「言われてみればそうだな。ならば切れ。授業はその後だ」
しかし、イリスからの返答はどちらでもなかった。
「切れ……って、僕が?」
突然の命令に、カインは目を丸くする。
「お前が言い出したのだろう? だからお前が切れ」
「いやでも、僕他人の髪切ったことないし、綺麗にできないよ?」
「関係ない。お前がやれ。無様な髪型にしたらただじゃおかんがな」
「理不尽……」
カインは渋々やるハメになった散髪だったが、カインの数少ない長所の持ち前の器用さと、どうせなら可愛く仕上げたいという思いから、奇跡的に上手くいった。
「……ふむ」
イリスは鏡で自分の髪型を確認する。
無造作に伸び散らかっていた髪は、肩までかかる程度の長さに丁寧に切り揃えられ、イリスの容姿の魅力を十二分に引き出していた。
「頭が軽いな。今まで気にしたことはなかったが、定期的に散髪をした方が快適だ」
「うん、そうした方がいいと思うよ」
「何を他人事のように言う? 次も切るのはお前だ」
「えっ」
「髪型の出来は悪くないが、手際が悪さが目立ったな。初めてにしては上出来だが、次までに上達しておけ」
心なしかイリスの声は弾んでいた。言葉や態度に出すことはないが、イリスはカインに切ってもらったこの髪型を気に入ったのだ。
「うん、わかった」
カインも、イリスがなんとなくこの髪型を気に入って喜んでいることを察し、自分がしたことで喜んでもらえたのを嬉しく思い、次もまたやりたいと思うほどだった。
「さて、授業の続きだ」
その後、カインはイリスに魔法学をきっちりと仕込まれた。イリスの言ったとおりカインはその全てを理解することはできなかったが、この特別授業をきっかけにカインの魔法学の成績はみるみる上がっていった。
■
「そういえばカイン、明日の休日は空けておけ」
カインの休日の予定は、殆どがイリスによって強引に決まる。
カインもカインでイリスにぞっこんなので断るつもりはないのだが、その日だけはカインはその申し出を断ろうとしていた。
「え、でも課題があるんだよね……割と重めの……」
「やらなくてもいいだろうそんなもの」
「イリスにとってはそうでも僕にとってはそうじゃないんだよ」
「黙れ。課題などより私を優先しろ馬鹿が」
珍しく自分に口答えするカインに、イリスは露骨にイラついた態度を見せる。
「……」
しかし、そんな自分に臆するどころか全く気にもしていないカインを見て、イリスは馬鹿馬鹿しくなって苛立ちを抑えた。
「……見せろ」
「見せろって、何を?」
「課題とやらだ。早く見せろ」
「わかった。ちょっと待ってね……はい」
カインがイリスに課題の用紙を差し出すと、イリスはそれを奪い取った。
そして用紙を机に叩きつけ、ペンを手に取り、凄まじい速度で空欄を埋めていく。
「なんだこの問いは? 幼児教育か何かか? そもそもこの魔法学の問題文の前提が違う……出題者の知能もしれたものだ。教職など辞めてしまえ……」
悪辣な独り言をブツブツと呟きながら解答を書き進め、カインが一日かけて行おうとしていた課題をイリスは数分で終わらせた。
「……選択式のものは数問は間違った解答をしておいたし、記述式はお前の知能で書きそうな解答にしておいた」
言いながらイリスは、カインに用紙を投げ渡した。
「……僕の字そっくりだ」
「お前の字は無駄に綺麗で癖がないから真似やすい。お前が自力で解いたものと遜色ないだろう? これならばお前の教員は他人がやったものだと分からんはずだ。さて、これで休日は空いたな?」
「イリス……その、ありがとう」
「礼など要らん。お前が生意気にも私の要求を断るのだから、その原因を排除しただけだ。これに懲りたら二度と課題などというつまらん理由を私より優先させるなよ」
その日以来、カインが課題や試験勉強で困ることはなくなった。課題は全てイリスが処理し、試験はイリスが作った予測問題の解答を丸暗記するだけで八割から九割は取れるようになった。
「明日の朝九時、街外れの時計台の下に来い。遅れた場合一分につき一本お前の骨を砕く。死にたければ二時間ぐらい遅れて来るといい」
「うん、九時ね! わかった!」
後半の物騒な言葉は、カインの耳に入ってはいなかった。
(これって……デートなのでは⁉︎)
カインは浮かれていたからだ。
そして翌日。遅れるどころか一時間ほど早く待ち合わせ場所に着いたカインの元に、時間丁度にイリスがやって来た。
「どこの骨から砕くか考えていたが、必要なかったか」
「何で残念そうなの……」
行動を開始する前に、カインはイリスに聞きたいことがあった。
「そういえば、こんなところに待ち合わせ……って、どこに行くの?」
二人の待ち合わせ場所、街外れの時計台は、その名の通りアスデニウス中心街から遠く離れた場所にあり、周囲には時計台以外に目立つものが一切なく、その背後は国境で、創世神の加護の境を意味する城壁が聳え立つのみ。
「ここ何もないじゃん。この壁を越えれば向こうは『外の世界』だし」
「そうだ。その『外の世界』に用がある」
「へぇ〜『外の世界』かぁ……って、そんなことできるの⁉︎」
『外の世界』は、あらゆる生命を拒絶する魔力汚染に覆われた死の大地。
故に、そこへ行くことは死を意味するのだが、イリスのまるで散歩に行くような軽い物言いに、カインはついノリツッコミのような言動をしてしまった。
「理論上は魔力汚染から防御が可能な魔法を開発した」
「えっ、すごいじゃん!」
「あくまで防御だけだ。浄化はできん」
「それでもすごすぎるって」
当然のように語るイリスだが、魔力汚染から完全な防御ができる魔法を使える者は、現時点でもアスデニウス国内にイリスを除いて一人しか存在しない。
「実用性の程はまだ未知だがな。だから、どれくらいの性能があるのか、私とお前のサンプル二種類で実験する。手を出せ」
「え、うん」
イリスはカインが差し出した手を握り、しっかりと手を繋いだ。
「えゅっ⁉︎」
突然のことに、カインは形容し難い声を出す。カインには、同世代の女の子に手を握られる機会など幼少期を除けばなかったからだ。
「これでお前にも私の魔法の効果が付与される。外に出たら手を離すなよ。いくら戦士科の頑丈な身体とはいえ、魔力汚染をモロに浴びれば数分で死に絶えるぞ」
そんなカインを気にすることなく、イリスはカインの手を引き、城壁に近づいていく。
「さて、アスデニウスを出る。周りには見られるなよ。自殺願望者だと思われて止められては敵わんからな」
「出るってどうやって……?」
「風魔法で飛ぶ。口を閉じていろ。舌を噛むぞ」
「えっ……うわっ……!」
イリスは足元から暴風を発生させて空に浮き上がり、城壁を容易く飛び越えた。
「……すごい。こんな簡単に『外の世界』に出ちゃったよ僕。ていうか、ほんとになんともない……」
カインが『外の世界』を見渡すと、カインの知る言い伝えのように、荒廃した赤黒い大地と淀んだ薄紅色の空が広がるのみだった。
「久しいな、この景色も」
「出たことあるの?」
「一度な。その時は防御魔法が不十分だったから、アスデニウス国内に戻るのが数秒遅れていたら死んでいたかもしれん」
「自分の身体すらも実験道具なのか……あんまり危ないことしないでよ?」
「当然だ。その為に今はお前がいる。それよりも……」
「……?」
「……いや、なんでもない」
イリスはカインの様子を訝しんだ。というのも、いくら自分の防御魔法があるとはいえ、魔力汚染が広がる死の大地を常人ならばもっと恐れるものだ。しかし、カインは全くと言ってその素振りを見せない。
イリスは自分の魔法能力を誰よりも理解しているからこそ魔力汚染に臆することはないが、カインは謂わば他人に自分の命を委ねているわけであり、そこに関しての恐れが一切ないことは、イリスにとって信じ難かった。
(こいつ……中々に狂っているのかもしれん)
「外に出ちゃったわけだけど、これからどうするの?」
「時間経過によっての魔力汚染から防御魔法へ影響を観察する」
「じゃあさ、どうせ外に出たんならさ、少し散歩しようよ」
「あまり遠くには行けんぞ。戻る時間を残さねば死ぬからな」
二人が歩いていると、ひび割れた大地の間を水が通っている様子が見えた。
「川……だね……」
「『外の世界』に生命は無いが、水はあるようだ。魔力汚染は生命にしか働かない……つまりは、水質は汚染されないということだな。それどころか、全ての生命が死に絶えていることで、水自体は逆に酷く綺麗だ」
「汲んで帰る?」
「無駄だろう。アスデニウスに帰った時点で創世神の加護とやらで魔力汚染は消える。魔力汚染の研究はできん」
「だから、ただの綺麗な水だけが残るじゃん。何かに使えそうじゃない?」
「……」
「痛っ、なんで今蹴ったの⁉︎」
「私より先に良い案を思いつくな。不愉快だ」
「理不尽!」
川を観察し終えた後、国境から離れすぎないように散歩を続けていると、急にイリスが足を止める。
「……疲れた」
「あー……ごめん」
「何故お前が謝る?」
「いや……」
カインは戦士科であり、肉体の強さだけならばイリスを大きく上回る。そんな自分のペースでイリスを歩かせたことを少し申し訳なく思った。
「そうだ。カイン、私を抱えて歩け」
「えっ」
「早くしろ。手を離すぞ」
「わかったから! 離されると死んじゃう!」
カインは半ば強制的にイリスを所謂『お姫様抱っこ』で抱えて歩くことになった。
イリスは楽そうにカインにもたれかかり、首の後ろに手を添える。
「ふむ、楽だ。初めからこうすればよかったかもしれん」
「……それは勘弁してください」
思春期の少年カインには少し刺激の強い構図だったが、イリスがそれを知るはずもなかった。
「……魔法の効果時間の都合上、これ以上の活動は厳しいか」
そしてしばらくすると、イリスが自身の魔法の制限時間を悟る。
「それでも、三時間ぐらいは外に出れたね」
「あぁ、だがこの程度で満足するつもりはない。少しでも活動時間が増える方法を模索している。魔力汚染による侵食は通常の魔法攻撃よりも解析が難しい。まぁ、いずれ克服してやるさ」
イリスは無限に広がるような『外の世界』の景色を眺め、に手を伸ばす。
「この『外の世界』には、私たちが知らぬような未知が溢れているのだろうな」
そう言うイリスの表情は、まるで無垢な少女のような輝かしい笑顔だった。
「世界に溢れる未知の一つ一つを理解し、己の知識へと加える。それが私にとって『生きる』ということだ。もしこの世に私の未知がなくなったとしたら、そんなものは死んでいることと同義だ。その場合は命を絶つか、そんなつまらん世界を壊してしまうか、そのどちらかだろう」
(イリスが言うと冗談に聞こえないんだよなぁ……)
「なにをボサっとしている。ほら、早く国境まで戻らんと私もお前も死ぬぞ」
「わかってるから、死ぬとか言わないで!」
「ふっ」
「ははっ」
何もない『外の世界』を歩くというだけの一見味気ない休日のようなその日だったが、カインにとっては忘れられない日になった。
■
アス一の学園祭は、学園関係者のみならず一般入場もできるアスデニウスの一大イベントである。
中でも最も注目が集まるのは、魔法科学生の模擬戦闘大会、通称『アス一(最強魔法使い)決定戦』だった。
アス一決定戦で得られるものは単純な名誉だけでなく、そこで結果を残すことで様々な企業や魔法学会の研究所などから声がかかるなど、魔法科の学生にとっては大きな意味を持つ。
ちなみに過去には戦士科でも同じような催物が存在したようだが、魔法科のものと比べて怪我人の出る率が圧倒的に多く、廃止になったとのこと。
「……外が騒がしいな」
そんな学園一大イベントはイリスにとって微塵も興味が惹かれるものではなく、勿論出し物をしないイリスは準備期間で浮かれる他学生をよそに研究室に篭っていた。
「明日から学園祭だからね。みんな準備とか忙しいんだよ」
「なるほど。道理で」
カインとイリスが知り合ってから既に半年以上が経っており、カインにとってイリスは一番の友のような存在で、カインにとって学園内で一番くつろげる場はイリスの研究室になっていた。そして、カインにとっては学園祭よりイリスとの時間の方が大事だった。
「まぁ、イリスこういうの嫌いそうだもんね」
「興味はないが否定するつもりもない。勝手に楽しめ、それだけだ」
「そういえばイリスはさ、アス一決定戦出ないの?」
「必ず優勝する大会になど出て何が楽しい。時間の無駄だ」
言うまでもなく、学園最強の魔法使いはイリスであり、アス一最強魔法使い決定戦にイリスが出れば当然イリスが優勝するだろう。二位以下に遥かに大差をつけて。
また、イリスは既に数多の企業や研究所が目をつけている人材であり、大会に出ようが出まいがその将来は保証されている。
イリスの言うとおり時間の無駄でしかない。
「……でも少し見たかったな。イリスが戦ってるとこ」
カインがポロッと独り言を吐いた。
「……」
イリスはその独り言をしっかりと耳に拾っていた。
繰り返すが、イリスがアス一最強魔法使い決定戦に出場することは時間の無駄でしかない。
その翌日。
「今年のアス一最強魔法使い決定戦、優勝者はイリス・ポースポロスさんです……」
実況席の学生は、声を張り上げることなく淡々と言った。
当然すぎる結果に歓声が湧くことはなかった。
むしろ、なんの見せ場もなく蹂躙された他の学生に同情する者ばかりだった。
蹂躙。戦いと呼べるものではなかった。イリスは他学生の繰り出した魔法に対し、瞬時に魔力が大幅に高い同じ魔法で返し、他学生の魔法全てを無力化し、圧倒的な実力で叩きのめした。
結果、一大イベントの筈のアス一最強魔法使い決定戦は、なんとも言えない冷え切った空気で終了した。
「やっぱりイリスってすごいなぁ……!」
ただ一人、観客席にいたカイン・ミルトンを除いて。
「何故こんな分かりきった結果を前に私の気分は少し高揚している? それは観客席で嬉しそうな間抜けな表情をしているカインが目に入ったからだ。ならば何故それを見た私の気分は高揚する……? そもそも何故私はカインのあんなくだらん独り言などで、こんな大会に出ることを決めた……?」
イリスは表彰式に出ることなく、誰にも聞こえない声量の独り言を呟きながら、会場を後にした。
イリスの悶々とした感情に答えは出ないまま、そして時は過ぎていった。
■
「卒業かぁ」
カインとイリスの出会いから二年以上が経ち、アス一からの卒業の時期が迫っていた。
「イリスはさ、卒業したらどうするの?」
「魔法学会の研究所からいくつか声がかかってはいる。だが、どれも受ける気はない」
「え、もったいなくない?」
「必要ない」
イリスは自分宛の封書の全てを、カインの目の前で破って捨てた。
カインは少し驚きはしたが、イリスのお眼鏡にかなうところがなかったんだなと思い、それ以上気にしなかった。
「カイン、お前は今の世界に何か思うことはないか?」
破り捨てられ床に散らばった封書の残骸を拾ってゴミ箱に捨てる最中のカインに、イリスが問う。
「アスデニウスの『外の世界』は、魔力汚染により人間の暮らせない呪われた大地。故に、人間たちはこの国で生まれ、生き、死んでいく。いや、逆だな。この呪われた大地で人が住めるのが、創世神の加護があるこのアスデニウスと言うべきか」
「その魔力汚染を除去して少しずつ人々の居住地を増やしていこう、ってのが王政のスローガンでしょ? そもそもアス一が戦士や魔法使いを育てるのは……」
「黙れ。誰でも知っているようなことを得意げに話すな」
「自分も話してたじゃん……」
カインにはイリスの考えを全て理解できるほどの頭脳はないが、イリスとの付き合いの長さからなんとなく何を考えているかは分かった。
「じゃあイリスは、世界の成り立ちにはまだ知られてないことがあって……それを知ろうとしている……ってこと?」
カインの言葉を聞き、イリスの表情が緩む。
「馬鹿だと思っていたが、少しは賢しくなったじゃないか、カイン」
「今の僕は戦士科の座学成績トップだよ。イリスのおかげでね」
初年度には秀でた点のない凡夫だったカインだが、卒業前にはアス一随一の秀才と呼ばれるようになっていた。イリスに教え込まれた魔法学と、元々素養があったがやる気が無かっただけの斬術は天才イリスに並び立ちたいが為に心を入れ替えて真摯に向き合ったことで、その才能が開花したのだ。
当時のアス一最強の戦士は誰かと問われるとほぼ全員の学生は『カイン・ミルトン』と答えただろう。
「思い上がるな。そんなもの私よりも遥か格下だ」
「分かってるよそんなこと」
「ふ、そうか……先程のお前の問いに答えよう。私はこの学園を出たら『答え』を探す。以前お前と『外の世界』に出ただろう? その時に使用した防御魔法よりも優れたものをようやく開発したのでな。これで、これまでよりも長く『外の世界』での活動ができ、より多くの研究を行える」
アスデニウス建国前の世界を知ることは、あらゆる学者が匙を投げた研究議題であった。創世神話以外の資料が皆無、物的証拠を見つけようにも外の世界は魔力汚染が激しく足を運ぷことすらできない。そもそも、創世神の加護で成り立つアスデニウスにおいて、創世神話を疑う考古学は禁忌に近い。
その難問に、過去最高の天才かつ最強の魔法使い『イリス・ポースポロス』は、生涯をかけてでも挑もうというのだ。
「その『答え』ってやつを……見つけたらどうするの?」
「さぁな。それは……その時に決める。それよりも、お前は卒業したらどうするつもりだ?」
「僕? まぁ、戦団に入団して……数年ぐらいで退役したら実家に帰って家の畑を親から継いでゆっくり暮らそうかな」
「ふん……曲がりなりにもアス一最強の戦士の将来にしてはなんとも味気ないものだな」
「元々、そんなにやる気なかったからね。アス一に入ったのも、アス一卒だと世間からの受けが良いからってだけだし、戦団に入るもの所属しただけで経歴に箔が付くからってだけだしね。戦団に君はいないから頑張る理由もないし」
イリスに並び立つ為に努力をしたカインだが、イリスがいなくなれば元の無気力な人間に戻るつもりだった。カインにとっての学生生活はイリスが全てになっていたのだ。
「そうか、暫しの別れだな」
「そうだね」
「カイン、お前と過ごした日々は……悪くなかった」
「そっか。僕もだよイリス。僕は君を…………いや、なんでもない」
カインはイリスを愛していたが、結局言葉にすることはなく、伝わらなくても良いと思った。
関係が壊れるのを恐れていたこともあるが、自らの探究心で突き進むイリスを愛していて、止まって自分の方を振り向いて欲しくはなかったからだ。
「……そうか。ならばその言葉の続きは、近い未来にハッキリ聞いてやる」
そんなカインの心中など、天才イリスにはお見通しなのだろうが。
その数日後、カインとイリスはアス一を卒業した。その際に、イリスは伝説の存在『霊皇レギルオルグ』に並ぶ能力の持ち主として『魔皇』という称号を授与された。
そして、その数ヶ月後、魔皇イリス・ポースポロスは『アポカリプスノヴァ』を引き起こし、アスデニウスを滅亡の寸前にまで陥れることになる。