さらば愛しき明星 作:シシャモ
『アスデニウス大聖堂』。
アスデニウスの王政の中枢と『創世神の像』を祀る神殿を兼ねた国の心臓部となる建物である。
その建物は、四年前に『魔獣』と『魔装天使』の襲撃を受け、大きな被害を負った。
その首謀者こそが『魔皇イリス・ポースポロス』であり、その襲撃によってのアスデニウス大聖堂の損害と人員への被害、魔力生命体の創生という禁忌、極め付けは『創世神の像』への損傷、そしてそれによって弱まった創世神の加護によりアスデニウス国内の一部に魔力汚染が侵食したことによる大量の死者が発生した件、それら一連の事件は『アポカリプスノヴァ』と呼ばれるようになった。
「……」
アポカリプスノヴァが起きた当時のこと。
イリスは試験的に生み出した『魔獣』と『魔装天使』をあえてアスデニウス大聖堂の目立ちやすい場所に襲わせ、その対処に人員が割かれている間に、地下にある『創世神の間』と呼ばれる部屋へと向かっていた。
「私が放した魔生物たちの影響もあるだろうが、国の最重要地点にしてはやけに警備が薄いな」
『創世神の間』へと続く回廊は静寂に包まれており、聞こえるのはイリスの足音と独り言ぐらいである。
衛兵と呼べる者は一人も存在せず、イリスは誰にも会うことなく目的の場所へと進んでいく。
「……まぁ、大体予想はつくがな」
時折、侵入者を妨げる為の魔法防壁が貼られていたが、最強の魔法使いたる魔皇イリスの前にそのようなものは意味を為さず、すぐに解体される。
「さて」
そしてイリスは容易く目的の地、『創世神の間』の前へとたどり着いた。
しかしイリスは一旦足を止める。何者かが自分の目の前に現れることを予測したからだ。
「……創世神の間へ立ち入ることは、何者にも許されていません」
イリスが足を止めた直後、回廊に声が響く。
そして、何処からか光が集まり、人の形へと変化していき、純白のローブを身に守った一人の女性が姿を表した。
「現れたな」
初めて相対する相手だが、イリスはその正体に心当たりがあった。
「……霊皇レギルオルグ」
『霊皇レギルオルグ』。当時のアスデニウス二皇(後の三皇)の最古参で、創世神話の時代から存在する創世神の間の守護者。
人々の中では実在不明な伝説の人物とされてたが、昔からイリスはその存在を確信していた。
そして、自らの計画の障害となることも。
「創世神の間に何か御用ですか? 見たところ、この場に悪意を持って現れたようですが」
「その扉の向こうにあるモノを神と呼ぶことに虚しさを感じているのは、私以上にお前だと思うが」
「……」
イリスの言葉を聞き、レギルオルグの態度が一変する。
まるで聞き分けのない子供を諭すようなものから、対等の知識を持つ相手へ向けるものへと。
「まさか、世界の真実を知る者が王の一族以外に存在するとは……」
「あくまで仮説に過ぎんがな。そうだな、お前の存在は邪魔であるが好都合でもある。私の仮説が正しいか、確かめてもらおうか」
「……では聞かせていただきましょう」
「そうだな。まずは──── そして────というところだが、どうだ?」
「……」
イリスの説明を聞き、レギルオルグは言葉を失った。
イリスの話した世界の真相の仮説は、実際に創世神話の時代から生きるレギルオルグの知識と記憶にほぼ一致していたからだ。
「その反応を見る限り、おおよそ当たっているようだな」
「……だとしたら、何故あなたは創世神の間へと向かうのですか?」
「無論、破壊する。お前たちが創世神と呼ぶ例の像をな」
「それが何を意味するか、分からないあなたではないでしょう? それをしたら、世界がどうなるか……」
「分かってるからこそだ」
イリスの目的は創世神の像の破壊。それが行われることで、世界は魔力汚染に覆われ滅ぶ。
「本当に、それがあなたの望みなのですか?」
「……何?」
「あなたにも、愛する者はいるはずです。その者と共に、幸福な人生を歩んでいく未来を選ぶべきだと、私は思いますよ」
「……」
イリスの脳裏に、カインの姿が浮かぶ。
いつものような間の抜けた笑顔で自分を呼びかける姿が。
イリスが今日この日まで己の才と力に溺れず"人"として生きてこられたのは、他でもないカインが自分の側にいたからだと、イリス自身は誰よりも理解していた。
「……そうか。私が何故奴を手元に置き続けてきたのか、ようやく分かったぞ」
そして、レギルオルグの言う『愛する人』を最初に連想したのがカインだったことを自覚すると、イリスは確かに自分はカインを愛していることもまた自覚した。
「……ふ、ふふふ」
学生時代から不可解だった自分の本心をようやく理解したことで、イリスの口から笑みが漏れる。
「これが人を愛するということか。ようやく理解した。奴の間抜けな面を見ると僅かに幸福感を得るのもこれが理由だったわけか」
「自覚したようですね。ならば──」
「それを知った上で言おう。くだらんと」
しかしそれでも尚、イリスはレギルオルグの言葉を一蹴する。
「お前の理想を私に投影して共感した気になるな。不愉快だ」
「……」
「確かに私は奴を愛している。だからこそ私は止まらん」
「彼が死ぬことになっても、ですか?」
「そうなれば、世界が滅びる様を奴と見届けるさ」
イリスが空間に指をかざし一本の線をなぞると、その線から物が割れるような破壊音が鳴り、割れた空間から杖を出現し、イリスはその杖を手に取る。
「さて、お前との会話にこれ以上用はない。そこを退け。邪魔をするならば殺す」
イリスが臨戦状態に入ると、解き放たれた膨大な魔力はイリスの身体には収まり切らず、背中から漏れた魔力の光が羽のように広がり、足元には巨大な紋章が浮かび上がり、薄暗い回廊を照らし彩る。
「……やはり、戦うしかありませんか」
レギルオルグも応戦の構えに入り、彼女の周囲の光が攻撃性を帯びたものへと変わる。
「消えろ……『
「……っ!」
イリスが撃ち出した魔法は、レギルオルグが迎撃に繰り出した魔法を容易く打ち破り、咄嗟に展開した防御魔法すらも破壊し、レギルオルグを貫き、その身体に大きな穴を開けた。
「アスデニウス二皇……私と同格の存在を名乗るにしては魔力量も出力も私の足元に及ばんな。所詮は過去の遺物か」
「……そうですね。あなたの言うとおり、魔法においてはあなたは私の遥か上をいく。それこそが魔皇の称号たる所以ですね」
「……?」
イリスは目の前の光景を訝み、目を細める。レギルオルグは身体に大穴を開けながらも、平然と会話しているのだ。常人なら即死する傷であるにも関わらずだ。
そしてその数秒後、レギルオルグの身体が光に溶け、光は再び肉体を形成し、元の傷一つない身体へと戻る。
「しかし、私は霊皇。どれだけあなたの攻撃が優れていようが、私を倒すには至らない」
(……成程。霊皇の呼び名の通り、身体は霊体のようだな。既に命はない故に、あらゆる傷は致命傷にならず、攻撃は通用しないということか……)
「あなたの攻撃は私には効かず、故にあなたは私には勝てない。これでも、続けますか?」
「その程度で驕るな。対策など、今から考えて思いつけば良いだけのこと」
威勢よく言い放つイリスだったが、いくら魔法攻撃を繰り出したところで、それらの攻撃はレギルオルグに効かず、レギルオルグの光による攻撃だけがひたすらにイリスの体力と魔力を奪っていく。
「……ちっ」
「流石は魔皇。回復魔法の質も卓越していますね。しかし、私に攻撃が効かないならば、いくら回復しようが同じことです」
「驕るなと……言っている……!」
イリスは持ち前の知識を活かし、あらゆる属性の魔法を試すが、それら全てはレギルオルグの前には意味を為さない。
次第にイリスは疲弊していき、遂には膝をついた。
「……命までは奪いません。そこを引き返し、罪を償ってください」
「ふふふ……この程度で勝ち誇るとは……無能の極みだな。お前がそれほどに無能だから、お前も……お前の愛した男も……こんなザマに成り果てているというのに」
しかしイリスは余裕の態度を崩さず、嘲るように言い放つ。
「お前の無能さを見るに、当時のお前はただ存在しているだけで何もできなかったのだろうな。状況に流されるばかりで、自分の意にそぐわぬ結果を受け入れるしかなかったわけだ。創世神が哀れにすら思えるな」
「……」
「それに、仮に私が罪人ならお前はなんだ? 愛する男を、創世神という名の偽りの神に仕立て上げた一族を守護し続けたお前は? そんな無様に生き続けるのならば、罪人になった方が数段マシだと思うがな」
「黙りなさい……っ!」
超然とした態度のレギルオルグだったが、イリスからの侮蔑による怒りで声を荒げた。
「……あなたは罪を償うような人間でないことはよく分かりました」
レギルオルグが自身の光で巨大な斧を想像する。
「ならば、命をもって償いなさい! イリス・ポースポロス!」
そして、イリスに斧を振り下ろす直前。
「驕るなと……何度も言っただろう! 『
イリスはレギルオルグの腹部に、掌から魔法攻撃を押し込んだ。
「これは……っ⁉︎」
全ての攻撃が効かない筈のレギルオルグだが、イリスが放った魔法によってその霊体に衝撃が走る。
「たとえお前が、物理的な攻撃も魔法攻撃も通用しない霊体であっても、コレだけは通用すると確信していた」
レギルオルグの顔が苦痛に染まっていく。
霊体故に全て攻撃が通じない筈のレギルオルグに唯一通じるもの、それは──
「お前が魔力汚染を防げるのならば……お前の愛した男……英雄アスデニウスは創世神になど成らずに済んだだろうからな……!」
──『魔力汚染』。
イリスは魔力汚染を解析し、少量ならば己の攻撃魔法に使用できるようになっていた。
この世界で魔力汚染を完全に防げる者はただ二人。イリス・ポースポロスと、創世神のみ。
肉体を持たず、全ての攻撃が通用しないレギルオルグであっても、魔力汚染を防ぐことはできない。
「……もしくは、英雄アスデニウスの役割の一部をお前も共に背負えた、だろうか? まぁどちらでもいいし、どうでもいい」
みだりに使用し、その存在を悟られてしまえば、レギルオルグほどの実力者相手には対処されてしまうかもしれない。
だからこそイリスは、あえてレギルオルグに苦戦し続けるフリをして、魔力汚染を込めた魔法攻撃を当てるチャンスを狙っていたのだ。
「まさか……魔力汚染の力を……手にしていたとは……っ」
「お前では私は止められんさ、レギルオルグよ。魔力汚染も、創世神も、何も止められず、何もかもを諦めながら存在し続けることしかできなかったお前にはな」
イリスはレギルオルグに当てた魔力汚染に再度魔力を注いでいき、その侵食力を早めていく。
「亡霊が、消え失せろ!」
そして、レギルオルグの霊体に侵食させた魔力汚染を内側から炸裂させ、レギルオルグを消し飛ばした。
「お前が英雄アスデニウスを愛していたのならば、奴を犠牲とした世界を否定すれば良かったのだ。たとえそれが世界の滅亡を意味し、お前が愛した男の意志を踏み躙る行為だったとしても、自身の望まぬ世界で生き続けることに何の価値がある。そんなもの、死んでいることと同義だ」
イリスは霧散していくレギルオルグだった光を一瞥し、独白する。
「……だからお前は私に負けたのだ。意志なき亡霊が、意志を持つ生者に敵うはずなかろう」
己の超越的な意志のままに生きるイリスにとって、意志というものを放棄し自身が望まぬ使命の為に存在し続けたレギルオルグは、唾棄すべき存在として勝利して否定しなければならなかった。
「……霊皇レギルオルグ、特異な存在ではあったが、私の敵ではなかったな。全く、柄にもなく熱くなってしまった」
再び静寂に包まれた創世神の間に続く回廊を、邪魔者を排除したイリスが進んでいく。
そしてイリスは扉を破壊し、創世神の間の内部に侵入した。
「これが創世神……」
創世神の間と呼ばれる祭壇の中心に立っていたのは、一人の人間を模して作られたように見える石像だった。
その石像こそ、創世神の像と呼ばれるアスデニウスの加護の源である。
「……いや、英雄アスデニウスの成れの果て、か」
しかしイリスは、創世神の像の正体を知っている。この祭壇も、アスデニウスという国も、全てが欺瞞に満ちたものだと。
「何が創世神の間だ。くだらん。私には朽ちた墓標にしか見えないがな」
イリスは創世神の像を哀れむように見上げ、掌を向ける。
「消えろ」
そして、掌に魔力を込め、魔法弾を繰り出し、創世神の像に直撃させた。
「……む?」
しかし創世神の像は破壊されることなく、ひび割れながらもその姿は残っていた。
「そのザマになっても身を守る程度の力は残っているようだな……だが、壊れるまでやればいいだけのこと」
再びイリスは掌に魔力弾を作る。
次の一撃が放たれれば創世神の像は破壊されてしまうだろう。
「今度こそ、さらばだ創世神……いや、人柱となった哀れな英雄の成れの果てよ……!」
イリスが魔法弾を放とうとした直前、創世神の間の天井を突き破り何かが落下してきた。
「イリスッ!」
その正体、カイン・ミルトンはイリスを妨げるように、創世神の像とイリスの間に着地した。
「カイン……久しいな。三……いや、四ヶ月ぶりか」
やるせない表情のカインに比べ、イリスは友との再会を喜ぶような笑顔を見せながら言う。
「……たくさんの人が死んだよ。君が放った魔法生物によって。そして、今君が創世神の像を傷つけた影響で、魔力汚染が国内に侵食して、これからもっとたくさんの人が死ぬ。君の……やったことで……っ!」
「瑣末なことだ。命になど大した価値はない」
「それが……君の『答え』か……!」
カインは、イリスが狂うような意志の弱い人間でないことを知っている。故に、全てはイリスの正気の上での行動だということも。
「罪人になりたくないんじゃなかったのかよ」
「罪、か。私が罪人なら、この国の罪はなんだ?」
「何が言いたいんだよ」
「そうだな……そろそろ頃合いだろう。本当はお前の後ろにあるそれを破壊してからにしようと思っていたが、今ここで全てを教えてやる」
言いながら、イリスは足元に魔法陣を展開する。
イリス仕込みの豊富な魔力知識があるカインは、その魔法が攻撃ではないと気づいたが、イリスの狙い自体は不明なのでまずは様子を伺うことにした。
「……アスデニウスに生きる者たちよ! 聞け!」
イリスが声を張り上げる。その声はカインだけに向けたものではなく、イリスがアスデニウスの至る所に設置した魔道具から鳴り響かせることで、国中の全ての人間に聞こえるようになっていた。
『私の名はイリス・ポースポロス! これから私が話すのは、この世界の真実だ!』
「……何? イリス……?」
「魔皇様だよ! 有名人! お前が持ってるその魔道具も買ってた魔導書もその人が作ったやつ!」
「へ〜、でもそんな人が何で急に……?」
突如国中に向けて始まった魔皇イリス・ポースポロスの演説に、街ゆく人々は足を止め、耳を傾ける。
「ええい! あの者の演説を止めろ! 戦団は⁉︎ レギルオルグは何をしておるのだ!」
アスデニウス大聖堂から避難した国王は、狼狽えながら側近や配下にイリスの演説中止を求めるが、戦団はイリスが解き放った魔獣や魔装天使の対応に追われ、イリスの元に行くことすらできずにいた。
唯一イリスの元に辿り着いたカインは、イリスの語る世界の真実を聞く為に、イリスを妨げることはなかった。
『この世界の真実とは────』
イリスが世界の真実を語り出す。
かつて、この世界は人間だけのものではなく、獣族や魔族を始めとする様々な種族の生命体が生きていた。また、今の人間は人族と呼ばれていた。
しかし、ある時それぞれの種族が世界の覇権を懸けて争う大戦争が始まった。
その最中、世界中に広がり続ける戦禍に苦しむ者たちを救うべく、ある人族の青年がその争いを止める為に動き出した。
結果、争いは終わり、世界に平和が訪れた。その際に活躍した人族の青年は英雄と称えられた。
ここまでは良かったのだ。
ある時、英雄の活躍で比較的被害が少なかった人族の王は、世界を我が物とすべく、戦争が終わったにも関わらず他の種族を絶滅させようと大虐殺を始めた。王の命令の下、人族は他種族の生き残りを殺し、殺し、殺し、殺し尽くした。人族による他種族の虐殺は全て正当化され、小さい子どもの娯楽にすらなっていた。
すると、人族に滅ぼされた他種族の怨念が世界に溢れ出した。その怨念は生物の命を蝕み、生物の住める環境を奪うもので、怨念はそれらで世界を覆い尽くすことで、世界を人族ごと滅ぼそうとした。それが今の人間が『魔力汚染』と呼ぶものである。
全てが終わろうとしていた直前、かつて英雄と呼ばれた青年が己の身を捧げ聖遺物となって怨念を堰き止める為の楔となった。そして、その楔の加護の中でしか、世界に生物の住める環境はなくなった。
その英雄の名は『アスデニウス』。
当時の王は英雄アスデニウスに感謝をし国名を彼の名に変えたものの、自身の行いを隠蔽し、偽りの建国記として『創世神話』なるものを広めさせた。
つまり、創世神というのはアスデニウス王家が作り出した嘘だった。創世神は神ではなく人族……人間の英雄アスデニウスであり、創世神の像も聖遺物となった彼の亡骸の成れの果てなのである。
そして、アスデニウス生前の恋人だったレギルオルグは、肉体を捨て霊体となり、アスデニウスを祀る祭壇の永遠なる守護者となったのだった。
「私は研究の為、魔力汚染を防ぎながら『外の世界』を調査した。そこには、人間が扱うには不自然な造形の建物や道具の残骸など、他種族が存在していた証拠が溢れていた。生物の命を否定する魔力汚染が逆に自然現象による経年劣化を防いでいたのだ」
イリスの悪辣な性格や言動を嫌う者は多々いれど、イリスの言葉を疑う者は殆ど存在しなかった。
イリスがかつて研究の片手間に作成した新型の魔道具とその作成ノウハウは、人々の暮らしの利便性を大いに高めた。イリスが書いた魔法論文の数々は、発表した翌年の教書に掲載され、魔法を学ぶ学生の実力を大いに底上げした。そんな魔法学の権威たる魔皇イリスの発言は、何よりも高い信憑性だった。
「これから私は創世神という名の偽りの象徴を破壊し、世界を切り拓く。以上だ」
イリスの演説はその一言を最後に終わった。通信魔法の効果は切れ、再び創世神の間はカインとイリス二人だけの空間に戻る。
「……さて、これが真実だ、カイン。お前はこの国の、この世界の何を信じる?」
「世界の真実を明かすという義憤に駆られて動くような正義感なんて君にはないだろ」
イリスの発言を聞いた上で、それを一蹴するようにカインが言った。
「ふっふっふ、私のことをよく分かってるじゃないか」
「なら、目的はなんだよ……っ」
カインはやるせない表情でイリスに問う。聞きたくはなければ答えて欲しくもなかった。
カインは今まで、イリスをあえて理解しないようにしていた。そもそもカインは初めからイリスを善人だと思ってはいなく、イリスが自分には計り知れない闇を持っていることは勘付いていた。だから、自分が問うことでその闇をイリスの口から具体的な言葉にして出させたくなかった。
そして、自分の言葉や想いではイリスを止めることなど到底できない事実を突きつけられたくなかった。
しかし、既にイリスは動き出してしまった。学生時代には表面に出さなかった闇を振り回して。
だからカインは、自身にとっては触れたくなかったその闇に触れ、その上でイリスを止めなければならないのだ。
「お前の言うとおり、私にとってこの国の人間が真実を知ることや知った上でどうするかなど、微塵も興味がない。私は、私の知らないモノが見たいだけだ」
そんなカインの思いを知ることはないイリスは、自分の真意を語り出す。
「人や獣が喰らい眠り交わって己の欲を満たすように、私は知ることで己を満たしてきた。だが、もうこの世界で私の未知はない。創世神話ですら私の想定を超えることはなかった」
世界の真実は、イリスにとっては耐え難い絶望だった。世界の真実をイリスが知る前は、それは自分にとって永遠の未知で、人生を懸けて探究しようと思っていた希望だったからだ。
しかし、イリスがたったの数ヶ月で立てた仮説は、レギルオルグにより概ね真実だと判明した。人生を懸けるに値する希望は、たったの数ヶ月で判明する程度の薄っぺらいモノでしかなかったのだ。
もうイリスは、自身の知識欲の飢えを満たすことはできないのだ。
「私にとっては王族の罪だの、英雄アスデニウスだの、どうでもいいことだ。その果てに、私のまだ知らぬ、予想も付かぬ世界が存在してさえいれば良かったのだがな……」
余りにも身勝手な理屈であるが、それを押し通せる力をイリスが持っていることを、カインは誰よりも知っている。
「こんなつまらん世界に価値などない。そして、こんな世界で生き続けることにもな」
「だから……世界ごと滅びようってことか」
「そうだ。世界の滅亡の光景という最大の未知を、我が最期の晩餐としよう」
イリスは、自身の目的を達成した際の自らの死を恐れていない。むしろ、己を満たす希望のない世界を己の命ごと滅ぼそうとしているのだ。
「そんなことはさせない……! 僕が君を止める!」
「お前が、私を、止める……? お前如きに私を止められると思っているのか?」
現時点でアスデニウス最強の存在たる自分を前に、怯むことなく剣を抜いたカインを見て、イリスは邪魔をされているにも関わらず少し上機嫌になった。
「ふっ……まぁいいだろう。お前は私に逆らったことはなかったな。ならばこれが、初めての反抗というわけだ」
今まで自分の要求や命令を拒否したことのないカインが、自分に逆らい刃を向ける。それは小さいながらも『未知』というイリスの好物だった。
「興が乗った。存分に躾けてやる……!」
イリスがカインに向けて攻撃魔法を放つ。
「避けてみろ。それができるのならな。
霊皇レギルオルグですら防げない、最強の魔法使いが放つ、物体を穿孔し破壊することに特化した攻撃魔法。
「ぐ……ぅぅううっ!」
その衝撃は、剣で防御したカインを吹き飛ばし、回廊の壁に叩きつけた。
「加減したとはいえ、その程度の傷で抑えたことは褒めてやろう。だが、くだらん正義感などで私の前に立ちはだかるべきではなかったな。善悪、正義、秩序、そんなものは御託に過ぎず、結局は全て力の大小に帰結する。分かりやすく言えば、私が最も強いのだから、私の行動の全ては正しいのだ。誰も私を止められんのだから」
「……なら」
カインは傷だらけの身体を持ち上げ、立ち上がった。
「僕が君に勝てば、君は間違いを認めるんだな……!」
「そうだな。そういうことにしてやろう。できるものならな。
カインはイリスに剣を向けるが、その剣が届く前にイリスの魔力の重圧に押し潰され、地面に這い蹲る。
「ぐああああっ!」
「お前では私に勝てんよ。カイン」
「あ……ああああああっ!」
すると、カインがイリスの重力魔法を振り払い、強引に身体を持ち上げた。
(……成程、自身の魔法で、私の重力魔法を相殺するまではいかずとも、己の膂力で振り払える程度までには軽減させたわけ……か)
そして、立ち上がったカインはイリスに剣を振るうが、イリスの防御魔法に阻まれる。
「少し、加減をし過ぎたか」
防御魔法を少しずつ斬り砕いてくるカインの剣を前に、イリスは少し余裕が消えていた。
「
魔法の発動と共に出現した巨大な氷塊がカインを囲み、命を奪うほどの冷気を与え、直後叩き潰す。
だが、カインは氷解を破壊して脱出し、再びイリスに剣を振るう。
(……待て?)
既にイリスはカインに対して加減を殆どしておらず、本気と遜色ない威力で魔法攻撃を放っている。
(コイツ……いつまで立ち上がるつもりだ……?)
しかし、霊皇レギルオルグですらまともに受けられず自身の不死性で強引に突破したイリスの魔法を、カインはその身で受けながらも何度でも立ち上がる。
過去にイリスがカインに教えた魔法の知識で、イリスの魔法攻撃に対して自身の魔法をぶつけて軽減していることもあるが、それでは説明できないほどの頑丈さだった。
「
一度見せた魔法では対処される可能性を考慮し、イリスは今までカインに見せていない風魔法で攻撃する。
「たぁっ!」
すると、カインはイリスの魔法攻撃に向かって剣を振り、魔法攻撃そのものを斬り裂いて無力化した。
そしてカインの剣は、イリスの魔法を斬るどころか、斬撃の余波が防御魔法までもを斬り、イリスの頬を擦った。
「な……っ」
イリスの頬から血が垂れる。
イリスが戦闘によって傷を負ったのは、生まれて初めてのことだった。先のレギルオルグ戦も、レギルオルグの不死性に消耗したのみで、外傷と呼べるダメージを負うことはなかった。
(この男……まさか……こと戦闘に於いては私より……)
カイン・ミルトンという男は、戦闘に関して天賦の才を持っていた。それこそ、その才能だけに限定するならばイリス・ポースポロスを大きく凌くほどに。
人が生まれ持つ才能は、目覚めるきっかけと伸びる要因が必要とされる。カインはその才能に似合わぬ本人の無気力な性格故、イリスと出会うことがなければその才能を開花させることなく凡人としてその生涯を終えることになっただろう。
しかし、カインはイリスに出会ってしまった。イリスから魔法を学び、イリスに並び立とうと斬術を鍛えた。
そして、才能の開花に最後のピースとなる『戦う意志』を、世界を滅ぼそうとするイリスに立ち塞がることで、確かにその心に持ち始めた。
後に『剣皇』と呼ばれる男の覚醒は、今この瞬間を持って起こったのだった。
「カイン……以前、お前を遥か格下と言ったことがあったな。だが、訂正しよう。お前は私の最大の敵だ」
イリスは、目の前の男を容易く無効化ことはできないと感覚で悟り、カインという存在を、先ほど戦ったレギルオルグを凌ぐ自身の計画の障害であることを認めた。
しかし、イリスは己の愛した男こそが自身の最大の敵であることに、高揚し胸を躍らせていた。
だが、結果から述べると、この戦いはお互いに手傷を負わせながらも決着がつくことはなかった。実力が拮抗していたこともあるが、互いが互いを愛していた故に殺す覚悟は決まりきっておらず、数度あった決着の好機を互いに逃してしまったのだ。
「ふふふ……お前を倒すことも、お前の後ろにあるアスデニウスの亡骸を完全に破壊することもできんとは……くだらん結果だ。勢いというものに任せて行動してしまったからかもしれんな」
自身の計画が失敗に終わったにも関わらず、イリスは晴れやかな表情で言っていた。
「決めたぞカイン。お前は……お前だけは世界の滅亡の結果としてではなくて、私が私の手で殺す」
「逃げる気か……イリス……っ」
「そうだな、今回はお前に敗北し、逃亡する形になるな。次はお互い、下らん情になど惑わされんようにしよう。では、また会おうカイン」
「待てよ! イリス! 待てっ!」
イリスは予め用意していた転移魔法で、その場を去った。
「……待ってくれよ……まだ君に……何も伝えられてないじゃないか……っ」
その後、カイン・ミルトンはイリス・ポースポロス撃退した英雄として『剣皇』の称号を与えられた。アスデニウスの情勢がイリスの宣告とアポカリプスノヴァで大混乱の中、人々が縋るための英雄の存在が必要だったのだ。
しかし、地位も名誉も、カインにとってはどうでも良かった。
「僕……いや、俺は剣皇、カイン・ミルトンだ」
カインは自分を不器用な人間だと思っていたため、大切な人間を作ると自身の覚悟が揺らぐだろうと、友や仲間を持つことはなかった。できるだけ他人を遠ざける為に、自分の良く知る人物の傲慢さと悪辣な性格を真似することにした。
「奴を殺せるのは俺だけだ。お前たち弱者は精々俺の盾にでもなるんだな」
全ては愛する者をこの手で殺してでも止める為に。
そして、魔皇イリス・ホースポロスの動向が掴めず、目立った動きも見せないまま四年が経ち、準備を整えたイリスがアスデニウスに対して侵攻を始めた。
その戦いで、今度こそ剣皇カイン・ミルトンと魔皇イリス・ホースポロスの決着が付くことになる。