さらば愛しき明星 作:シシャモ
時は戻り現在。
剣皇カインと魔皇イリスは対峙していた。
「さて、この状況を作り出せたのならば、もう他の全てに価値はないな」
「何……?」
「魔獣も、魔装天使も、そして戦団の者ども、全てには……」
イリスは杖を天に掲げると、空中に巨大な光の玉が出現した。
「
イリスが魔法名を綴ると、光の玉が拡散し、無数の光線となって地上に降り注いだ。
カインは自身に降り注ぐ光線を全て斬って撃ち落とす。しかし、イリスの目的はカインではない。
「まさか……っ!」
自身に攻撃の全てが向けられることを予測していたカインだが、即座にイリスの真意に気づき、自分の予測が異なっていたことを察し、後方を向く。
「ぎゃあああっ!」
「うわぁあっ!」
「────ッ!」
光線は、戦士や魔法使い、それだけでなく魔獣や魔装天使にまで降り注ぎ、その命を奪っていく。
「……私が勝てば後ろの戦闘に関係なく皆死に、お前が勝てば後ろの戦闘関係なく世界が救われる。結局は、お前と私の戦いの結果のみしか意味を持たない。ならば、その他の命などあってもなくても問題ないだろう」
光線が止んだ後、戦場に立つ者はもうカインしかいなかった。
「命をなんだと思ってやがる……!」
「何度も言わせるな。いずれ皆死ぬ。命に価値などない。そんなことより……」
イリスが敵味方問わず雑兵を纏めて一掃したのは、もう一つ理由があった。むしろ、イリスにとってはこちらが本筋である。
「これで二人きりだな、カイン」
全てを拒絶するかのような重苦しい気配から一転、恋人を前にした乙女のような純粋な笑顔でイリスは言った。
イリスは、最愛の人物との最大の殺し合いを、敵にも味方にも邪魔されたくなかったのだ。
「これからお前を殺して、世界を滅ぼす。だがその前に一つだけ、やっておきたいことがある」
言いながら、イリスは杖を下ろしてカインの方にゆっくりと歩く。
「なんのつもりだ……?」
カインはイリスに剣を向けるが、イリスは殺意も敵意も戦意も一切出さずにカインに近づいていく。
「不意打ちなど狡い真似をするつもりはない。ただ、最期にお前の顔を間近でじっくりと見たいだけだ。何せ、四年も会えなかったのだからな」
「お前なぁ……っ」
「それと、その似合わない言葉遣いなど辞めたらどうだ? ここにはお前と私しかいないわけだし、もう意味はないだろう」
「それは……そうだけ────」
イリスの気の抜けた発言にカインが呆れていると、イリスは身をぐいと乗り出し、カインの唇を奪った。
「────っ⁉︎」
「ん〜…………ふぅ。さて、これで思い残すこともない」
数十秒にもなる長い口付けの後、イリスは満ち足りたような表情で言った。
「俺にはありまくりだよ……っ! この……!」
四年かけて殺し合う覚悟を決めてきたのに、揺らぐ様な真似をしやがって、とカインは心の中で嘆く。
「カイン、愛しているぞ。他の何よりも、お前のことをな」
イリスはそう言ってカインから距離を取り、再び杖を握り直す。
「……今更ふざけるなよ、一人で満足しやがって……! 今更、俺……僕のことを愛してるだの言うなよ! だったら、全てを諦めて僕と生きてくれればよかったじゃないか!」
カインは声を荒げながら、イリスに向かって飛び掛かり、剣を振り下ろす。
しかし激情に囚われながらも、その剣筋はどこまでも冷静だった。
「悪いが、それはできん」
イリスが迎撃に繰り出した魔法弾は、その全てがカインの剣で斬られ撃ち落とされる。
イリスは以前カインを苦しめた最上級魔法の数々を繰り出そうとするが、魔法の発生と同時に魔力の核をカインに斬り潰され、全て不発にされる。
「世界を一冊の本だとして、私たちが生きる時代は終わった物語の後書きに過ぎん!」
前回は通じたイリスの魔法攻撃は、今ではカインに全く通用しない。
それこそが、カインの剣皇たる所以。
「もう終わっているんだこの世界は! 終わった世界で全てを諦めながら生きるなど、死も同然だ!」
「何が世界だ! デカいものばっか見やがって! そんなものより目の前の僕だけを見ていろよ!」
例えば『霊皇』たるレギルオルグが皇の字を冠したのは実力だけでなくその不死性と守護者という肩書きであり、『魔皇』たるイリスは魔力と叡智である。
しかしカインは彼女らと異なり、暴力の強さだけで皇の字を冠した。
「何が天才だ! 何が魔皇だ! そんな肩書きがあったところで、君も僕もただのちっぽけな人間だ!」
つまりは、アスデニウス三皇が殺し合ったならば、カイン一人が勝つのだ。
「はぁ……ふぅ……ちっぽけな人間にしては……私もお前も随分と遠いところまで来てしまったな……」
それを意味するかのように、カインとイリスの決戦は、軽い傷しか負っていないカインと、身体への傷を回復魔法で治癒しながらでないとついていけないイリスとで、戦況が大幅に傾いていた。
「……」
しかし、カインは一切の油断をしていない。
自分の方が強いという理由だけでイリスを倒すことなどできないと分かっているからだ。
イリスが再び行動を開始するのに四年の時を費やしたのは、おそらくイリスが攻撃が通用しない自分に攻撃を通す手段を会得する為であると、カインは確信していた。
「『
イリスが繰り出したのは、正にカインに通用する最上級を超えた究極の攻撃魔法。
魔力汚染の歪な力を孕んだ魔法攻撃は、英雄アスデニウスを除いて防げる者は世界にいない。
(来たか……魔力汚染!)
魔力汚染が付与された魔法は、通常の魔法攻撃のように魔力の核を斬り砕いて不発にすることはできない。そんなことをすれば魔力汚染により剣が腐り落ちるからだ。
攻撃の威力だけでなく速度も非常に優れた
「……ちっ」
防げる者はいない最強の魔法攻撃が炸裂し、決着が付いたと思ったイリスだが、カインが現出させた盾を手にイリスの魔法を防いだ姿を見て、顰め面で舌打ちをする。
その盾とは『アスデニウスの盾』。生前の英雄アスデニウスが使用していた聖遺物であり、彼の加護により魔力汚染を防ぐことができる。
『剣皇カイン、あなたに渡したいものがあります』
『あなたは……レギルオルグさん? イリスは殺したと言っていましたが、生きていたのですか?』
『えぇ、魔皇イリスの魔力汚染による攻撃が内側から炸裂する寸前に自分の手で霊体を爆散させることで、存在の消滅は免れました。それ故に再び霊体を作るまでに四年の歳月がかかり、本来の力を取り戻すのにあと数十年はかかりますが……それより私にはしないのですか? あの似合っていない傲慢で尊大な喋り方を』
『え、いや……はは。なんていうか、あなたにはしなくていいって勝手に思い込んでしまって。そうだ、レギルオルグさん。イリスの魔力汚染魔法とやら、喰らってみてどうでしたか?』
『そうですね。敗北した身で語るのはなんですが、あの攻撃がくると分かっているのならば、避けるなりして対処するのは容易でしょう。私以上の実力を持つあなたならば尚のことです』
『……問題は、イリスがその程度に甘んじているわけがないことですね。おそらく、次に戦うときまでに魔力汚染を使い熟してくるでしょう。普通の魔法攻撃なら魔法の構築と同時に魔力の核となる部分を斬り砕けば不発にできますけど、魔力汚染魔法が相手だとそれはできませんし……』
『いえ、あの、当然のことのように語っていますが、それはあなたではないと不可能な芸当ですからね。それはさておき、その魔力汚染攻撃を防げる可能性のある物を、あなたに託したいと思います』
『ある物……?』
『アスデニウスの盾、我が愛……いえ、英雄アスデニウスが生前に使用していた聖遺物です。持つべき者が持たないと効力を発揮しませんが、あなたなら大丈夫でしょう。剣皇カイン』
決戦の直前、カインはレギルオルグからアスデニウスの盾を受け取っており、それがイリスの切り札を封じる為のカインの切り札だった。
「あの死に損ないめ……鬱陶しい真似を……! 私以外の女から受け取ったものなど捨てろ、カイン!」
「僕を放って世界に浮気する女の命令なんて聞けないね!」
「言う……っ!」
イリスに傾くと思われた戦況が、再びカインの方へ傾く。
「鬱陶しい板切れめ……」
小出力の魔法攻撃で牽制しながら、イリスは次の策を練る。
速度に優れた
「だが……お前の命運はここで尽きるぞ、カイン!」
ならばやることはただ一つ。たった一個の盾では防ぎきれないほどの強大な殲滅攻撃に魔力汚染を付与する。
「そんなちっぽけな盾で抗ってみろ! 抗えるものならばな‼︎」
先程は雑兵を一掃する為に降り注がせた無数の光線を、今度はカイン一人に向ける。更に、そのすべてに魔力汚染が付与されており、一つでも当たれば魔力汚染を防げないカインは絶命する。
「
必中必殺の攻撃により勝利を確信したイリスは、高らかに声を上げながら、頭上に展開した魔力の塊を拡散させ────
「…………え?」
魔力の塊には、カインが放り投げたアスデニウスの盾が刺さっていた。
「……は?」
己の生命線であるアスデニウスの盾を投げ捨てる。イリスにとっては常軌を逸した行動だった。一瞬でも遅れ
そしてイリスは思い出した。カインという男は、常人が最も大事にしそれ故に判断を見誤る『命』というモノを、条件が揃えば躊躇なく投げ出せる人間性を持っていたことを。魔力汚染を防げるからといって、何も恐れることなく自分の手を取ったあの日を思い出したのだ。
「捨ててやったよ、イリス」
目の前の受け入れ難い事実での放心、また自身の最大の魔法を使ったことによる消耗、それらが原因でイリスに隙ができた。
それは一秒にも満たない隙だったが、カインにとっては相手を確実に殺す為には充分な時間だった。
「だから、君の
「カイ────」
イリスが次の策を繰り出す前に、カインの剣がイリスを貫いた。
「か……は……っ……」
「イリス……っ」
カインは、命が尽きる直前のイリスを、地面に倒れ込む前に抱き止める。
「私の……負け……か……」
「……」
「く……くく……まさか……自分の最大の敵を自分で創り出すばかりでなく……そいつに敗北することになるとはな……滑稽な話だ……」
「そうだね。滑稽だよ、余りにも」
「……何故、私たちはこんな世界になど生まれてきてしまったのだろうな」
もし、この世界が既に終わった後ではなかったのなら。
もし、この世界がイリスの望む未知で満ちていたのなら。
魔皇と呼ばれた少女は悪虐に堕ちることなく、剣皇と呼ばれた青年は愛する者を殺すことなく、彼女も彼も望む未来を生きられたのだろうか。
それらは全て意味のない仮定でしかないが。
「まぁ……悔いは無い、か。お前に殺されるのと、お前を殺して世界ごと死ぬのでは……大した差異ではないしな……」
「僕には……悔いしかないよ」
「こんな女などを好きになるからだ、バカめ」
「人のこと言えるのかよ」
「ふふ、そうだな。ふぅ……疲れた……眠い……目を閉じれば、全てが終わりだろう。最期に……抱きしめてくれないか……? お前の腕の中で最期を迎えたい」
イリスの頼みを、カインは何も言わずに受け入れ、そっと抱きしめる。
死を前にしたイリスの荒い呼吸が、安らぎを得たかのようにゆっくりと消えていく。
「さらばだ……カイン……」
今にも消えてしまいそうな声で囁きながら、イリスは目を閉じ、呼吸を止めた。そして、もう二度と動くことはなかった。
「……さようなら、イリス」
こうして、剣皇カインの手で魔皇イリスは討たれ、世界の危機は去った。
それが、彼と彼女の結末だった。
「結局、僕から『愛してる』って言えなかったな……」
■
世界の危機が去ったからといって、何もかもが元通りになるわけではない。
世界を覆う魔力汚染が消えることはなく、人々は既に終わった世界の片隅で生き続ける。
国を保つ為とはいえ、長年民を騙し続けた王政への不信感が人々の中で生まれ、国勢は混乱の一途を辿っていた。
「……本当に良いのですか? 剣皇カイン」
魔皇イリス討伐から数日後、カインは創世神の間のレギルオルグの元に訪れていた。
「良いのですか、とは?」
「あなたは少なからず魔皇イリスのことを想っていたのでしょう? それなのに、彼女の遺体を聖遺物としてアスデニウスと同じように用いるのを、受け入れられるのですか?」
カインは、魔力汚染に耐性を持つ魔力の残穢があるイリスの遺体を、かつての英雄アスデニウスのように国を守護する楔の一部にしてはどうか、とレギルオルグに提案したのだ。
「あなただけに私の本心を正直に申します。私は、アスデニウスがこのように成り果ててしまったことを、快くは思っていません。当時の王のことを今でも憎んでいます。ですが、彼の為に、彼の意志を守るという役割に殉じているのです。世界にから魔力汚染さえなくなれば、すぐにでも聖遺物と化した彼の遺骸を埋葬し弔ってあげたいとすら思っています」
「……」
「だから、私の苦悩を、あなたにも背負わせたくはありません。あなたは、苦しんで、戦い抜きました。だからこそ、あなたはもう世界の為ではなく自分の意思を優先してもいいのですよ」
レギルオルグの言葉には、彼女なりの善意だけでなく、本来は自分が討たなければならなかったイリスを力不足で討つことができず、全てを任せてしまったカインに対する後ろめたさもあった。
「……思うところが一切ないわけじゃありませんけど、簡単な話ですよ」
「簡単?」
「イリスが壊した創世神の像の一部の代わりを、イリス自身がするというだけです。そんなことだけで償えるわけではありませんが、アイツにとっては良い罰になるんじゃないですかね」
「そうですが……あなたがそう仰るのであれば、そうさせていただきます」
「はい。色々とお世話になりました。レギルオルグさん」
「私こそ、この度は本当にありがとうございました。剣皇……いえ、カイン・ミルトン」
そうして、カインは創世神の間を後にした。
おそらく、カインとレギルオルグはもう二度と会うことはないだろう。
アスデニウス戦団がイリスによって壊滅させられたことに乗じてもう戦う理由もなくなったカインは退団し、故郷の田舎町に帰り静かに暮らすことにした。
里帰りの道中、カインはふと空を見上げる。
「……汚い空だな、今日も」
相変わらず薄紅色に淀む曇り空に対し、カインはそう吐き捨てて前に向き直す。
これは、救世の物語ではない。
本に例えるのなら、既に終わった本編のあとがきのようなものである。
世界が再生することはなければ、希望に満ちた明日が待っているわけでもない。
それでも、青年は愛する女を殺してでも守った世界を、命ある限り生き続ける。
終わりです。
ありがとうございました。