本日は高等部一学期の中間テストの結果発表日。
掲示板に張り出された結果を見て、祝は一瞬だけ顔をしかめた。
(げっ、三位か……)
取り過ぎた、と後悔しても後の祭り。
四位と五位の結果次第では一人負けを免れたのであろうが、残念ながら競争相手である相手はちゃんと五位であったので敗北が決定した。
「あら、祝。三位おめでとう」
「……はぁ。そっちは五位か。読みが良かったみたいだな、ことは」
祝はため息を吐いて、隣に並び立っていたことはへと声を掛けた。
「今回の勝負は私の勝ちよ。今日はアイスココアの気分だわ」
「へぇへぇ」
祝とことはが気安いやり取りをしていると、集まっていた生徒たちの声が騒き始めた。
「見て、真白様よ!」
「今回の中間テストでも一位か」
「さすがは歴代最高の生徒会長だな!」
掲示板へと歩いてくるのは、我が黒百合学園の生徒の頂点に坐する真白だ。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花を体現する真白だが、現在進行形で恋慕の情を抱いた同級生に対して詰将棋を行っているらしい。心なしか機嫌が良いように見えるのは気のせいだろう。
真白に付き従うように歩いていた小柄な少女──雨水甘奈は、まず結果表の一番上を見て喜色を表した。
「真白様、一位おめでとうございます!」
「ありがとうございます。甘奈さんも四位ですね、おめでとうございます」
真白の何気ない返答に、甘奈は即座に結果表へ向き直した。
自身が四位であること、そのあと三位に記載された祝の名前を見て表情がやや歪む。
「くっ、今回は建前くんに負けた!」
「やべぇ、いるのばれてた」
割と近くにいたことと、そもそも祝の図体がデカいのが災いして甘奈に睨み付けられる。童顔でちまっこい甘奈は全く怖くないが、この結果になるとさぞ面倒だと祝は知っていた。
高等部一年生の時、祝とことはは学年十位以内で受けられる特待生という特典を絶対に落とせないという重圧があったため、テストで真白と並ぶ同率一位を手にしてしまった。
甘奈はその際は五位であり、中等部からずっと守ってきた三位の座から引きずり降ろされる羽目となる。この事態が甘奈をむきにさせたらしい。
ことあるごとに突っかかられ、テスト期間が近付くと目の敵にされる。体が小さいので迫力も無ければストレスを感じるほどでもなかったが、ただただ面倒だった。
だからこそ、十位以内の見極めを終えた祝とことはは次のテストから一緒に点数を調整して四位を目指していたのだが、今回はそのチキンレースで負けたのだ。
敗者は飲み物一本おごりである。
「祝さん、今回は三位なのですね。おめでとうございます、やはり素晴らしいです」
そして、祝にとっての最大の面倒。それが真白である。
なぜか知らないが、いつからかテスト結果をきっかけに真白が声を掛けてくるようになったのだ。
今までは面倒の一言で済んでいたが、先日の出来事を経て真白には恐怖を覚えるようになったので、細心の注意を払って接すると決めていた。
「いや、あんたには負けるさ。中等部からずっと一位なんだろ?」
「はい。相応の努力をしなければならない立場ですから」
朗らかに微笑む真白は立場に伴う重圧というものを感じさせない。学年一位を取り続けることは当然と思っているのだろう。
そんな雲上の御方から話しかけられると大層目立つので祝としてはご免こうむりたいのだが、状況はさらに悪化していく。
「祝さん。以前お話しした件、ご再考いただけませんか?」
「……生徒会についてなら答えは変わらない。断らせてもらう」
何を気に入ったのかは不明だが、真白は再三に渡って祝を生徒会へと勧誘するのだ。
普通の生徒──この学園の生徒に普通などほぼいないが──なら、あの天秤真白から直接誘われたら諸手を挙げて喜ぶのだろうが、正真正銘一般階級の出である祝からすると迷惑に近い。というか、意図が読めなくて怖いまである。
ただ、こんなに生徒が集まっている場で真白を無下にすればどうなるか分かったものではないので、表向きの理由を述べることも忘れない。
「放課後はバイトやらなんやらで時間がなくてな」
「……え?」
「ん?」
思わぬ反応に祝は首を少し傾げる。
常であれば真白は「残念です」くらいを口にしてこの話題は終わるのだが、今日は反応が異なっていた。
まるで祝の返答が予想外と言わんばかりの態度である。
「じゃあな」
「ええ、また」
疑問には思ったが、真白はその後すぐに平然としていたので、祝は別れの挨拶だけしてその場を離れる。
傍で成り行きを見守っていたことはも立ち去ろうとしたが、真白の視線が自分に向いていることに気が付いた。
「なにか御用かしら?」
「いいえ。ごきげんよう、ことはさん」
どうにも意味深に思える真白の対応。
ことはは内心焦燥に駆られながらも、笑顔を崩すことなくその場を立ち去った。
◇
所変わって、懺悔室の神父部屋にて。
──私の学園生活、今際の際……!!
ことはは自身の窮状を理解し、両手で顔を押さえて机に倒れ込みそうになるのを耐えていた。
「どした?」
「……大丈夫よ、気にしないで」
「あっそ。ほれ」
「ありがと」
祝からアイスココアを受け取ったことはは早々にストローを開封して突き刺し、喉を甘さで潤していく。
冷たく甘味な飲み物のおかげで少しは冷静さを取り戻せた。
ことははアイスココアを机の上に置いた後、こめかみに指を当てた姿勢で現状を整理することにした。
(生徒会長様のお相手は間違いなくコイツ。なんて厄介なっ!)
先程のやり取りを経て、まさかの可能性が的中していたことをことはは思い知ってしまった。
真白が祝の返答に驚いたのはつまり、祝の家庭の経済事情が改善されていることを知っているからだろう。金銭面で不自由が無くなれば、生徒会に入ってくれるとでも思っていた可能性が高い。
案外ガバガバな計画だなとことはは呆れるが、被害が自分に及びそうになるなら話は別だ。
(私がコイツとどうにかなるなんてあり得ない! 身辺調査したならその辺分かるはずじゃない!? あんな笑ってない目で見られたのは初めてだわ……)
真白が取り得る手段に、人の心が無いことはすでに把握済みだ。
今なら甘奈がじゃれてくる子犬くらいには可愛く思える。
このまま手をこまねいていては、敵に回してはいけない人物の筆頭に嫌われかねない。
天秤グループに睨まれたら、冗談抜きで日本で暮らせなくなる。
かくなる上は、生贄を用意する必要があるだろう。
ちらりと、ことはは祝を盗み見た。
(悪いわね、祝。私はあんたを売るわ)
清々しい裏切りの決意をことはは固めた。
方針が決まったことはは今後の学園生活での振る舞いを考えていくが、新たな懸念が生まれ出て思考が乱れる。
(にしても解せないわね……私と祝が神父役だと、生徒会長様は知らなかったのかしら?)
色々な意味で凄まじいカミングアウトの数々であったが、相談相手が悪過ぎたと言わざるを得ない。
当人が知るべきでない事情を本人に話してしまったなど、致命的なミスだろう。
現に祝は、真白に対する警戒心が急激に高まったのだから。
(知ったうえで話した? 外堀を急速に埋めるためと考えたら、共感はできないけど納得できるかしら? それとも、本当に知らずに来たか、生徒会長様も知らない思惑が周りにあったとか……やぶ蛇ね。触らぬ神になんとやらだわ)
思考を巡らせても意味のない問いだ。
ことははひとまず、今後は祝に対して憐れみを持って接することを決めた。
「なんだその目は」
「可哀そうに」
「なにが?」
なぜ憐れまれたのか分からない祝は聞き質そうと思ったが、タイミングよくカランカランと鐘の音が響いた。
「最近多いな」
「また生徒会長様かしら……」
事情を察してしまった以上、ことはとしては全力で遠慮したい。
「おっ、今回はそっちがご希望だぞ」
ラッキー、とスマホを取り出した祝を横に、ことはの不安は急激に増した。
もしや遠回しな牽制に来たのかと戦々恐々として身体がぶるりと震えたが、これは仕事と自らを奮い立たせる。
『どうぞ、お入りください』
いつも以上に普段とは違う声を意識して言葉を放つ。
扉を開けて現れたのは、これまた波乱を想起させる人物であった。
「生徒会長様の次は牡丹会の王子様じゃない……」
牡丹会。黒百合学園に存在する特権階級。
学園に多額の寄付金を収めている家系のみ加入を許されるのが牡丹会であり、黒百合学園においては絶大な権力を有している。
その栄えある牡丹会の会長が、懺悔室に現れた。
青みがかった艶のある黒髪。創作にいるような甘いマスクは王子様という言葉が相応しく、多くの女性を虜にしているだろう。男性にしては少し小柄な体躯だが、その程度で彼の魅力は損なわれない。
『失礼いたします』
天秤グループに並ぶ五大財閥の一つの直系にして、学園において「王子」と親しまれている牡丹会会長──大山聖悟は、微笑を浮かべながら懺悔室に入室した。
どう考えても厄介ごとの気配しかしないが、簡易な案件という万が一の希望を捨てずにことはは口を開くことに。
『本日はどうされましたか?』
『ここはとりとめのない相談も聞いてくれると小耳にはさんだのですが、間違っていませんか?』
『ええ。吐き出すことで楽になるのでしたら、喜んでお聞きしましょう』
良かった、懺悔じゃなかった。
その事実だけで幾らか心が軽くなる。これもきっと真白のせいだ。
『では、あなたの悩みをお聞かせください』
『はい。実は僕には婚約者がいたのですが、先日唐突に解消してほしいと親伝えで知りました。その件で少し、気持ちを吐き出したくて……』
「「こいつか、婚約者は!」」
点と点が繋がった瞬間だった。
確かに聖悟は大変気の毒なことだが、身長が真白より低い。170cmの壁を越えていないゆえの「王子」なのである。
この入りで「とりとめのない」は完全に嘘だろう。
どこまで思い詰めているかはこの後分かるだろうが、なまじ背景を知ってしまっているために重症か致命傷かの二択しか想像できない。
色んな意味でわくわくとドキドキが半々な心境で、ことはたちは話の続きを待つことにした。
『婚約は幼い頃からで、これまで交流を重ねてきました。仲は良好だったかと思います。なので、どうしてこんなことになったのか分からず……』
「そりゃそうでしょうね」
「ぽっと出の高身長筋肉同級生にかっさらわれたなんて言えねぇよな」
どうやら様子を見るに、経緯を詳細に知っているわけではないようだ。
つまり聖悟からすると、本当に唐突な提案だったのであろう。可哀そうが過ぎる。
『そのようなことがあったのですね。困惑されるのもよく分かります』
今回は懺悔ではなく相談を希望しているため、ことはは寄り添うように会話していく。
『当事者でない私の言葉は軽くなってしまいますが、気にし過ぎないほうがよろしいでしょう。婚約者として、正しく振る舞われていたのでしたらなおさらです』
『……そう、ですね。相手からも、此方に非はないと言われたそうです。賠償も覚悟の上だと』
「覚悟ガンギマリじゃない」
「配慮に見せかけた絶対の意思を感じるな」
おそらくだが、聖悟もその片鱗を感じ取っているのだろう。
故に、解せないのだ。
自身に落ち度が無いのなら、一体どうしてと。
『シスターはどう思いますか? 理由は分かりますか?』
『そうですね……』
答えは知っているのだが、喋っていいのか少し悩んだ。
「いいかしら?」
「いいんじゃね」
『シンプルに考えるのであれば、他に好きな方ができたのではないでしょうか?』
『…………』
あくまで一般論として正解を口にしてみたら、まさかの無言。
なにが地雷だったのかことはにはさっぱりだが、聖悟としては見当違いな返答だったのだろう。
『──はっ』
だからこそ、鼻で笑うという今までの聖悟からは想像できない対応が返ってきた。
『ありえない。他人をペットぐらいにしか思っていないあの女に、好きな相手なんてできるわけがない』
「急に闇が出てきて草」
怖すぎる。
普段の聖悟は優しく大らかな振る舞いをしているため、飛び出てきた正反対な一面がより怖い。
『自分が上、あとは下。そういう性根が透けて見える女なんだよあれは。仮に、百歩譲って好きな相手ができたとしても、それはものすごくお気に入りのペットでしかない。あれはそういう人間なんだ!』
「フルスロットルじゃない」
真白の好きな人という話題は聖悟にとって間違いなく地雷だったのか、丁寧な口調すら消えて愚痴が迸る。
臨界点を超えたのであろう聖悟はわなわなと身体を震わしているので、まだまだ言い足りないのだと分かった。
『僕との月一の茶会だって、義務だと言い聞かせたような仮面をかぶっている! ここ最近はさらに酷い! 眼差しに明らかな嘲りが乗っているんだ! 大山なのに小さいんだね、という嘲笑が!』
「被害妄想と言い切れない」
「洞察力がすげぇ」
上流階級の人を見る目とはこうも鋭いのかと感心してしまう。
婚約相手が真白だというのは一応仮定だったのだが、これはもう確定だろう。
『なにが「王子」だ! 公に僕の身長をネタにしたい奴らが言い始めたのは調べが付いているんだぞ! どうしてここまで浸透したっ! 貴様らには分からないのだろうな、どんなに上振れても170cmを超えないこの絶望がっ!!』
「コンプレックスの塊かしら?」
もう一つ確かなことは、聖悟にとって身長は禁忌だということだ。
止め時を失いはしたが、ここまで来れば話の方向性は決まったも同然。
気が済むまで吐き出したことで鬱憤が晴れたのか、聖悟は我に返った様子で項垂れる頭を片手で支えていた。
『すみません。取り乱しました』
『いえいえ。すっきりされたようで何よりです』
羞恥で顔がわずかに赤みを帯びているが、指摘するような野暮な真似はしない。
切り出すならこのタイミングだと判断して、ことはは改めて相談に乗ることにした。
『一つ、ご確認したいことがあります』
『なんでしょうか?』
『この度のご相談は婚約者様との関係改善を望むものでしょうか? それとも、他の道を探すことでしょうか?』
今回の件で焦点となるのは主に二点だ。
婚約者が心変わりした理由と、それを受けてどう行動するか。
聖悟が婚約者との関係改善を望むのであれば理由を解明したうえで努力が必要となるだろうが、ここまでの成り行きから考えるとその可能性は低い。
もはや結論は決まっているに等しく、聖悟もことはの疑問に対して迷わなかった。
『ここに来るまでは家の事情も考慮して悩んでいましたが、僕の心はすでに答えを出していたようです。関係改善など冗談ではない』
『納得のいく決断ができたこと、嬉しく思います』
『そうと決まれば話は早い。賠償を覚悟していると言うんだ。搾れるものは搾り取ってやる』
ふはははは、と割と邪悪な笑みを浮かべる聖悟。こうなると婚約解消に至った理由など些末事である。
あとはもう好き勝手にしてくれと、ことはは聖悟の背中を全力で押すことにした。
『今回の出来事を経て、貴方はきっと新たな未来を見ることができるでしょう』
『ありがとうございます。今日は失礼いたします』
『あなたの未来に、幸多からんことを』
意気揚々と退出する聖悟を見送って、ことはは長い溜息を吐いた。
「心臓に悪い」
「お疲れさん」
ただでさえ厄介ごとに巻き込まれている状況なのに、とんでもない不意打ちを食らった気分だ。これを泣きっ面に蜂というのだなと、ことはは一つの教訓を得る。
不幸中の幸いは、聖悟の案件は片が付いたことだ。
真白の件はまだ予断を許さないが、聖悟がこの絡みで懺悔室を訪れることはないだろう。
とは言え、学園生活に影響がないとは断言できないのだが。
「不安だわ……」
暗雲立ち込める学園生活は始まったばかりである。