妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!分割版 作:tom200
達也視点
その場に頽れそうになる深雪を掬い上げるように持ち上げる。
触れ合う素肌同士の感覚により違う思考に飛ばされそうになるのを抑え込み、ビーチパラソルの下に持っていたパーカーを敷いて下ろした。
呼吸が正常か、脈に異常はないか確認するが特に乱れはない。
それに熱中症の症状ではないようだ。流れる汗はさらさらとしているし、体自体は火照っていない。
ただ頭だけが熱い。
まさか風邪でも引いていたのだろうか?いや、そんな兆候があれば見落とすわけがない。
サイオンは落ち着いていて魔法の暴走の疑いもない。
瞼を上げても瞳孔は正常だ。
後は――
「もしかしてその状態って…知恵熱?」
「知恵熱?」
「いやあ、ほら、ここまで来るのに勉強漬けだったってのもあるし、何より直前に話していた時も内容が内容だったから、いろいろ考えてもしかしてショートしちゃったのかな、なんて」
エリカはだとしたら悪いことをした、と反省しているのかばつが悪そうだ。
「達也さん、救急セットとおしぼり」
「ありがとう雫。とりあえず深雪の体に異常はない。これならちょっと休めばすぐに良くなるだろう」
医者ではないが深雪の体のことならば誰よりもわかっている。
彼女の体に不調はない。隈なく視たから間違いはない。
その言葉に安心したのか、皆安堵の表情を浮かべていた。
「すまないな。俺たちはここで休むから皆は先に遊んできてくれ」
「でも」
「深雪が起きたら合流するから」
そう言えば、雫はわかった、と皆に向き直って海へと誘っていく。
雫も気になるだろうが、彼女は女主人として招いたゲストの対応も自分の仕事とわかっているのだろう。
どんな状況でも全体を回そうとすることができるのは家の教育の賜物か。
今朝挨拶をした『北方潮』という傑物の令嬢なんだなと改めて実感した。
皆の姿が小さくなったところで視線を深雪に戻す。
意識はずっと深雪を向いていたが、視線ごと向けるのは彼女たちに悪いだろうと考え、意識的にやったことだった。
深雪はうっすらと汗は掻いているものの、特に苦しそうということもなく、ただ意識を失っていた。
水の入った桶からおしぼりを取り出して程よく水気を取り除いて拭っていく。
エリカの言葉通りであれば、直前の会話に脳がショートして知恵熱を出したのではないかとのことだ。
つまり直前の会話――忘れることのない自分の記憶を遡ってみる。
もしかしたら、過去のこの傷のことで…、と思い当たることを考えてみるも、印象に残った言葉が脳内にリフレインして先に進まない。
(深雪が筋肉フェチ?…聞いたことがない)
だが、確かに俺の耳にも深雪の可憐な唇から漏れ聞こえた音が届いてはいた。
意味を理解するのに非常に(自分的にはかなり)時間を要したが。
――「かっこいい。すき」
昔を思い出す。
深雪はよく母の前で失言をやらかしては母を困らせていた。
――そう、あれは今思い返せば困惑していたのだと思う。
深雪は母を可愛い、と評していた。
俺にはよくわからないが、深雪的にそう思うポイントがあるらしい。
ピーマンが苦手という母を、可愛いと頬を染めて見つめる姿に当時はわけもわからず、だが言われた母を羨ましいと思った覚えがある。
無意識にぽろっと口から出る彼女の言葉は心からの言葉で、それを向けられていた母が、羨ましかった。
彼女の本心だとわかったから。
深雪は人を困らせることもさることながら、喜ばせる天才でもあった。
彼女の好意を向けられるたび心が喜びに満ちた。
(そのおかげで俺はどれほど満たされたかわからない)
人に期待しなくなったのはいつからだろう。
諦めるようになったのは、傷つかないように見なくなったのはいつのことだったか。手術をする前だから片手で数えられるほどの年齢だったはずだ。
その頃にはもう信じられるものが技術や力など身につくものだけになっていた。
心がないと言われても不快にも思わなくなり無感動になって久しい頃、彼女は唐突に変わった。
彼女は好きだと、思いを口にするようになった。
お兄様、と俺を呼んだ時より衝撃を受けた。
お兄様、好きよ、と温かい体温を分け与えながら俺に浸透させていった。
染み込ませるように、愛を感じられるように――希望を与えるように。
そしてその希望はきちんと形になった。
いつしか母の言葉を、感情を、受け入れられるようになった。
どんな言葉も指示にしか聞こえず、向けられる感情は冷ややかな嫌悪だったはずなのに。
いつの間にか母の言葉に温度を感じられるようになった。
大きな変化だった。とんでもなく、世界がひっくり返るほどの大きな変化。
それをもたらしたのは唯一己の中に残った大切な妹で――更に愛しく思った。
その妹が、幸せになりたいと言う。
彼女の願いは俺の目標となった。
――この妹を幸せにする。
幸せになりたいという彼女の願いを叶えることが俺の命題だ。
それは誓いだった。命を懸けた誓約。
その思いに揺らぎはない。変わることはないのだが、このところの変化に動揺していないわけではなかった。
高校に入る前くらいから、深雪は好きと言う言葉をあまり使わなくなった。
(――違うな。俺に向けて滅多に言わなくなった、が正しい)
もちろん嫌われたなどとは思っていない。彼女の心がこちらに向いていることは疑うことなどない。
だが彼女ももう15だ、年齢的にもそういうことを口にするのは恥ずかしくなったのかもしれない。
歳を重ねるごとに美しくなる彼女も思春期と呼ばれる年齢となり、恥じらう姿をよく見かけるようになった。
可愛らしく頬を染める姿はいつも俺を惑わせる。思考を奪い去ろうとする。
理性を働かせてなんとか兄の威厳を保っているが、兄でなければ耐えられないだろう。
日に日に成長は留まることなく、どんどん美しくなっていく。この色香に惑わされないようにするのにどれだけ苦慮しているか彼女は知らない。
と、話が逸れた。
つまり深雪にも思春期がやってきて、恥ずかしくて素直に言えなくなったのでは、と思っていたのだ。はたまた思い込もうとしていたのか。
だが九校戦で彼女は久しぶりにポロリと零したのだ。雫に対して、可愛い、好きだと。
それを聞いたのは偶然だった。
女子たちに囲まれて居心地が悪くなり、早く昼を食べて引き上げ、待ち合わせの時間までまだあるが、深雪の気配をたどれば合流など容易い。
そう思って彼女の元に向かったのだが――そこで目撃したのだ。
衝撃だった。
おかげで目的地までどうやって行ったのか覚えがないほどに。
その場から逃げ出していた。
なぜそんな行動を取ったのかわからない。ただ、頭が真っ白になった。
(俺は言って貰えてないのに)
心情はそんなものだったと思う。今思えば愚かしいばかりだが。
深雪にとって雫やほのかは初めてできた友達だ。
彼女が大切に想い、好意を伝えることなどおかしいことじゃない。
だが――、わかっているのだが、どうしても割り切れない思いがあった。
何とか平静を保って話を合わせていたが、手を繋いで現れたのを見ただけでも心がざわついた。
だから正直ほのかにCADの調整を頼まれた時は助かったと思った。集中できることがあれば意識を外せる。
そうでもしないと外せないなんて、俺としてはありえないことだった。
次の日、二人きりになった時の己の行動に不安があったが、深雪の晴れ舞台で失態を犯すことはせずに済んだ。
頭を撫でても、ハグをしても、いつも通り。
ただ雫が振り袖姿になって現れた時それは再び訪れた。
――またも彼女を褒めたたえる言葉を口から零す深雪に唖然とした。
違う、正確にはそのあとの「好き」、と言った深雪の視線が、自分を向いていないことに酷くショックを受けたのだ。
雫から心配しなくてもいいと言われたが、心配されるようなことに心当たりなどなかった。いったい何を心配されたというのか。
その後の深雪のピラーズの『演技』を見て、雫の心配に思い至った。
俺は深雪が遠くへ行ってしまうことを不安に思ったのではないか。自分の手から離れてしまうことを恐れたのではないか、と。
達也さん、と名を呼ばれ心臓が音を立てた時、その裏で密かに怪物が産声を上げていたのをこの時の俺は全く気づいていなかった。
――
意識を失ったままの深雪の唇をなぞる。
柔らかく、しっとりと濡れているのは先ほど少しでも水分を取らせようと濡らした布を口元にあてて飲ませたからだろう。
――かっこいい。すき。
初めて言われた。
どちらも言葉自体は言われたことはある。笑顔で言われることもあれば、照れながら言われたことだってあった。
だが無意識に彼女がその言葉を口にしたのならば意味合いが変わってくる。
深雪が漏らしたのならば、心にあふれて抑えきれなかった言葉だから。
胸がぎゅっと抑え込まれた心地がした。
その瞬間、酸素が行き渡らず脳が思考を止めた。
だがその姿は目に焼き付いている。
深雪は俺を見て、正確には俺の体を見て言ったのだ。
瞳が熱に浮かされた状態で、頬を紅色に染めて、胸の前で手を組んで。
脱ぐ前に彼女が言っていた。俺の体を見てももう狼狽えないと。
それは昔、俺がびしょぬれになって慌てた深雪に服を脱がされた時のことを言っているのだとすぐに思い至った。
あの時俺の上半身を見た彼女はひどく狼狽えていた。その後体を強張らせ、傷跡に気付いて涙を浮かべて触れていたのを覚えている。――よく、覚えている。
古傷を撫で、理由も知らない筈なのに悲しんで。傷を怖がっても避けてもおかしく無かったのに、彼女はただその時の痛みに思いを馳せ、涙をこぼした。
深雪を悲しませたことが申し訳ないと思う反面、俺のことでこんなに悲しんでくれていることが、嬉しかった。
心配されることが、これほど喜びに感じるのかと心が記憶してしまった瞬間でもあったが、それは置いておくとして。
今回傷を晒すことに、俺は周囲の反応よりも深雪の反応が気になっていた。
他の女子には悪いが、あまり見たいものではないだろう。見るだけでもトラウマに思う人もいるくらいの傷痕だと軍の先輩たちから教わった。
ただの傷痕、過去の痕跡を今の痛みに感じるんだそうだ。初めてこの傷に触れた深雪もそうだったのだろう。
だが、あの子はこの痕を忌むものだと思わず、厭うことなく触れてくれた。その反応は普通ではなかったのだと改めて認識した。
むやみに人に見せるものでもない、とできるだけ見せないようにしていたのだが。
しかし深雪が見せろ、と言っていることは分かった。何を思ってか知らないが、何か考えがあるのだろうことは伝わってきたので言われた通り脱いだのだが――
思い出すだけで体が燃えるように熱を帯びた錯覚が起こる。
あの瞬間、周囲に人がいなければ何をしたかわからない。
深雪が傷つけられた時並みに理性が引きちぎられそうになった。
こみ上げたのか歓喜か、狂喜か。
(俺は深雪に愛されている)
その事実に、気が狂いそうになる。
「…に、さま」
「!深雪!!」
湧き上がる衝動を抑え込んでいたら深雪の唇がかすかに動き、俺を呼んだ。
ゆっくりと上がる瞼に詰めていた息が漏れた。
「よかった。目が覚めたか」
声が上ずっている気がしたが、俺のことなどはどうでもいい。
深雪はゆっくりと瞬きを繰り返してここは、と口を動かした。
目覚めたばかりで記憶があやふやなのだろう。
「ここは雫の別荘だ。海水浴に来てすぐお前は倒れたんだよ」
「え!?」
慌てて上体を起こそうとする深雪に、先に行動を読んでいた俺は肩を抑え込んで動きを封じる。
深雪の肌は俺より冷たかった。
頭は熱くても、体は冷えている。明らかに熱中症ではない症状だ。
「いきなり起きてはだめだよ。今まで気を失っていたのだから」
「あ…、ごめんなさい。私」
「怒ってはない。でも皆心配してたから、もう少し落ち着いたら皆のところへ行こう。ほら、あそこに見えるかい?」
視界を遮る腕を傾けて視線を向けた方向には、エリカたちが浜で遊んでいる姿があった。
その光景に安堵したのか体から力が抜けたのが、触れたままの肩から伝わる。
「欲しいものはあるか?飲み物やタオルもあるぞ」
「…いいえ。それよりも、その」
「ん?どうした?」
本当は深雪の言いたいことはわかっていた。
どこからどう見ても俺が深雪を押し倒しているようにしか見えないのだから。
だがあえて気づかないふりをする。
口ごもる深雪の目元も頬も赤く染まる。つい先ほどまで失神していて血の気すら引いていたというのに。
――ああ、可愛い。
「あ、の。そろそろその、無理に起きたりしないので抑え込まなくても」
大丈夫なので離れて、と言いたいのだろうとわかっていても、手のひらに吸い付いた深雪の素肌から離れ難かった。
だが、深雪からのお願いなら叶えなくてはならない。
「わかった。無茶はだめだからな」
「あ、ありがとうございます。…それと、…お兄様、パーカーは、どうしました?」
「ああ、お前の体を直に置くのは躊躇われてね。お前の下にあるよ」
「!!」
ああ、更に赤くなったね。リンゴのように思えて齧りたくなる。
離れてようやく俺の姿の全体が見えたのだろう。
狼狽えないと言ったのに、どう見ても今の深雪は狼狽えている。
あ、とかう、とか言葉にならない音しか出なくなってしまった唇を塞いだら治るだろうか?と常識では考えられない言葉が頭に浮かぶ。
当然そんなことは口にはしないが、代わりに別のことを口にする。
「深雪は怖くないんだね、この体が」
すると動揺は一変。動きを止めて体を強張らせたと思ったら同様で揺らめいていた瞳に強い意志を宿してひた、とこちらを見据えた。
一番、好きな目だ。
「怖くなんてあるはずがございません。一生懸命努力した体の、生きようとした体のどこが怖いというのです!」
(愛おしい)
今この五文字を口に出すことはできなかった。
けれど胸を支配するのはこの言葉だ。だからすり替える。もう一つ用意していた言葉に。
「ありがとう」
偽りのないもう一つの言葉に。
「それだけで俺は救われるんだ」
頬を撫でる。できるなら抱きしめたいけれど今はだめだ。
この状態でそんなことをしたらどうなるかがわからない。
「深雪が妹でよかった」
怪物が腹の底で唸り声をあげたのを聞かなかったふりをした。
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