かんぱにのSS置いてくだけ   作:イイワカハルミ

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 タイトル通り途中で終わる上にミルのキャラ設定とか大分元と違います。
 EP1すら実装される前に作った話なので、その辺は目を瞑ってくれると有難いです。


ミル・ド・レイユのSS 途中で終わるヤツ

プロローグ 

 

 

 

「決勝戦、始め!」

 

 審判の声を合図に弾かれたように二人の剣士が戦いを始める。

 

 一人は活発そうな少女だった。

 

 様子見などする気はないのだろう。

 

 開始の合図が掛かるや否や、即座に相手へと斬り掛かる。

 

 対する相手は彼女に比べると気弱な印象を与える少女であった。

 

 というのも襲い掛かる剣を何とか弾き返しているものの、攻める機会を作れないのか。受けに回ってばかりだからである。

 

 それでも決定的な一撃を防ぎ続けている辺り、さすがは決勝戦まで来た剣士と言えた。

 

 一方的と言うほどの差はない。けれど素人目にも解る程度には力量差の見える戦い。

 

 今にも勝敗が決まりそうな状況に、見物客達から歓声が沸く。

 

(これで決勝か……)

 

 会場が熱気に包まれ始める中、どこか冷ややかな目付きで試合を眺めている者が居た。

 

 赤い髪を一つ結びにした女性らしい身体つきが目を惹く女だ。

 

 下着同然とも言える露出の高い服に長袖の外套を引っ掛けただけの軽装ではあるが、外套や腰などあちこちに小刀などの暗器がチラ付いており、試合を眺めながらも隙の無い佇まいは、ただ者でない事を窺わせる。

 

 彼女の名はミル・ド・レイユ。

 

 現在試合をしている少女の内、今にも勝ちそうな少女の剣術指南をしている人間である。

 

(単純な剣の腕なら、あの子の方が僅かに上なのだけど)

 

 試合を眺めつつミルはそんな事を考えるが、もし口に出していればその歯に物が挟まったような言い回しに観客のほとんどが疑問を浮かべた事だろう。

 

 あれからも戦いは続いているが状況は変わらず、ミルの教え子が押し続けている状況に変わりはない。

 

 むしろ教え子の攻撃は徐々に激しさを増しており、対戦相手の少女が倒されるのは時間の問題でしかないように見えるくらいだ。

 

 果たして。

 

 観客達の予想通り、ついにミルの教え子の猛攻を捌き切れず相手の少女が体制を崩した。

 

 決定的な好機に勝負を決めようと教え子が大きく剣を振り被り――

 

 剣閃が瞬いた。

 

「それまで!」

 

 一瞬の後、審判から試合終了の合図が響き、静寂が辺りを包み込む。

 

 教え子の喉元に相手の剣が突き付けられていた。

 

 勝ったのは劣勢に見えた相手の方だったのである。

 

 予想外の光景に言葉を失っていた観客が、遅れて状況を理解し始める。

 

 教え子が剣を振り下ろすよりも早く、体勢を崩していた筈の相手が突きを放っていたのだと。

 

(ああ。やはり、こうなったか……)

 

 ようやく事態を把握した観客達が驚きと賞賛の声を上げる中、ミル・ド・レイユは自分の教え子が負けた姿を静かに眺めていた。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

 公国レマルギアにある貴族の屋敷。

 

「申し訳ありません。私の指導が未熟なばかりに、このような結果になってしまって……」

 

 その当主である貴族の部屋で丁寧な言葉と共に深々と頭を下げる女が居た。

 

 下着同然とも言える露出の高い格好に長袖の外套を引っ掛けた、女性らしい身体つきが目を惹く女。ミル・ド・レイユである。

 

 どうやら相当に申し訳なく思っているらしく、俯いたまま一度も頭を上げようとしない。

 

「顔を上げてほしい。今までは予選落ちだった娘が決勝まで行ったんだ。謝られるような事は何一つない」

 

 そんなミルの謝罪を受けるのは、この部屋の主である貴族だった。

 

 自分の娘の剣術指南をミルに依頼していたのだが、言葉にも表情にも困惑の色が強く浮かんでいる。

 

 というのも貴族は自身の言葉通りミルの指導に満足しており、何故謝られているのかが全く解らなかったからだ。

 

「いいえ、そんな事はありません」

 

 貴族の言葉に初めてミルは下げていた頭を上げる。

 

「私は娘を大会で優勝出来るような剣士に育ててほしいという依頼を受け、先払いで指南料を半分頂いていました。それなのに、依頼を果たす事が出来ませんでした」

 

 そして強い口調で自分の失態内容を伝えると、再び申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「そんな申し訳なさそうにしないでくれ」

 

 事実、ミルの言葉に間違いはない。

 

 確かに貴族はそんな名目で剣術指南の依頼を出し、ミルはその依頼を請け負った。

 

「君が娘の指南に就いてから、まだ三カ月も経ってないんだぞ? いくら一番下の階級とはいえ、こんなすぐ優勝出来ると思っていたのか?」

 

 だが、それは将来的にそういう剣士になれるように育ててほしいという意味であって、今すぐにでも優勝させてくれという意味ではない。

 

 そこを理解した上で依頼を受けてくれていたと思い尋ねる貴族であったが――

 

「はい、私はそのつもりでしたが……」

 

 ミルは違うのでしょうか、と言いたげな不思議そうな声で貴族へと尋ね返す。

 

 まるで今回の大会で優勝させる事が当然であるかのように。

 

「この間まで予選で勝てるかどうかだった娘が?」

 

「ええ。そもそも前に習っていた剣がお嬢様に合っていなかっただけで、私が指南を始めた時には既に十分な力が備わっていました。私は力の使い方を少し教えたに過ぎません」

 

 思わず聞き返す貴族にミルは事も無げな様子で言葉を紡いでいく。

 

 そこに誇張の類は見えず、冷静に事実だけを伝えているような平坦さしかなかった。

 

「どうだろう。娘も君を慕っているようだし、契約を延長する気はないか? もしよければ屋敷に留まってずっと娘の指導をしてほしい」

 

 貴族はミルの言葉ほど自分の娘を信じていない。

 

 悲しい話ではあるが、ミルが指南をするまで娘は予選落ちの常連。極々偶に予選を突破したかと思えば一回戦敗退。それが今では優勝争いするまでになったのだ。

 

 娘の能力より、ミルの指導力を重要視するのは至極当然の流れと言えた。

 

「お気持ちは嬉しいのですが、次の依頼との兼ね合いもありますし難しいと思います」

 

「その依頼が終わって暇になってからで構わない。報酬も弾む」

 

「それに私なんかが教えられる事は、もうほとんど残ってないでしょう」

 

「……そこまで言うなら無理強いも出来まい」

 

 ミルの言葉に納得した訳ではないだろう。

 

 けれどミルにはミルの事情と考えがあり、どれだけ交渉した所で結果は変わらないと察した貴族は勧誘を諦める。

 

「無理を言って済まなかったね。これは残りの報酬だ、受け取ってくれ」

 

 そう言って貴族は布袋を取り出すとミルへと渡す。

 

 小さな袋ではあったが、中を確認したミルは張り詰めんばかりに金貨が詰め込まれているのを見て困ったように表情を曇らせた。

 

「こんなに受け取れません。前払いで既に報酬の半分を頂いていたにも関わらず、その依頼さえマトモにこなせなかったのです。前金を返してくれと言うならともかく、これでは成功報酬よりも多過ぎます」

 

 軽く目算しただけなので正確には解らなかったが、本来貰う予定だった報酬の倍近い金額はあるだろう。

 

 普通の暮らしをしている者なら半年は軽く過ごせそうなほどの大金である。

 

「君がどう考えていようと、私が期待していた以上の成果を上げてくれたのは事実だ。これは正当な報酬だよ」

 

「ですが――」

 

「それでも気になるなら、この屋敷を去る前に娘と別れの時間を取ってはくれないか? 気付いているか解らないが娘は君の事を随分と慕っていた。それこそ私と顔を合わせる度、君の話しかしないほどにね。区切りが付く別れ方をしなければ君を追い掛けて家を出ていってしまうかもしれん」

 

 納得のいかない様子で金貨袋を返そうとするミルの言葉を貴族は遮ると、遠くを見詰めるように目を細めた。

 

 曖昧な物言いではあるものの、どうも貴族の中では確実に娘はミルに付いていくという確信があるらしい。

 

「解りました、区切りが付く別れ方ですね。報酬分の働きはしてみせましょう」

 

 貴族の指示に納得したのか。

 

 ミルは顔を上げて了解の言葉を返すと金貨袋を受け取る。

 

 そして一礼すると部屋を後にしたのだった。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

「ミル先生!」

 

 ミルが部屋を出るなり飛び付くような勢いで近付いてくる者が居た。

 

 貴族の娘でありミルが剣術指南をしている教え子だ。

 

「あら、そんなに慌ててどうかしましたか?」

 

 突然の呼び掛けにミルは驚いた様子一つ見せず教え子へと微笑み掛ける。

 

「私が大会で負けちゃったからお父様に怒られてるんじゃないかって思って心配になっちゃって……」

 

「そんな事はありませんよ。お叱りどころか、お褒めの言葉と特別手当を頂いたくらいです」

 

 不安そうな表情で尋ねてきた教え子に、ミルは証拠とばかりに金貨の詰まった布袋を見せた。

 

「それじゃあ明日からもミル先生の指導を受けられるんですか!」

 

 特別手当を依頼期間の延長の為に父親が渡したのだと感じたのか。

 

 教え子は期待で目をキラキラと輝かせるが――

 

「いいえ、それは出来ません。次の依頼との都合もありますので貴女への指南は今日で最後になります」

 

 あくまで特別手当は特別手当。

 

 ミルの働きが想像以上に素晴らしかったから出した追加報酬であって、依頼期間を延長する為のものではない。

 

「そう、ですよね。前から大会が終わるまでの間って言ってましたしね……」

 

 それをミルから伝えられると、今度はしょんぼりと肩を落とした。

 

「それはそうと大会、残念でしたね。私の指導が至らないばかりにあのような結果になってしまって……」

 

 大会の話題が出てきたからだろう。

 

 ミルは雑談を切り上げると、恥じるように頭を下げる。

 

「そ、そんな事ないです! ミル先生が指南してくれなかったら決勝戦なんて絶対にいけませんでした。だから謝らないで下さい」

 

 しかし教え子は感謝こそしていても謝られるような覚えなんて何一つないのだろう。

 

 慌てた様子でミルの謝罪を止めた。

 

「そんな事はありませんよ。私なんかが指導しなくても、貴女ならあれくらいの結果は近い内に出していたでしょう」

 

「ですけど……」

 

「自信を持ちなさい。私が貴女に指導した期間は三カ月もありません。そんな短期間で教えられるのは戦い方くらいです。それでも成果が出たという事は、貴女が気付いていなかっただけで既に力はあったという事です」

 

 ミルが教え子へ送る言葉は力強く迷いがない。

 

 こうやって後押ししてくれる声に、教え子は何度勇気付けられ、元気を貰ってきたのか解らない。

 

「もしそうだったとしてもミル先生が居なかったら、こんな早くに結果は出ませんでした。お願いですから謝らないで下さい」

 

 だからこそ教え子はミルに謝って欲しくなんてなかった。

 

「ですが私は貴女を優勝させてみせますと約束したにも関わらず――」

 

「お父様だって特別手当を出すくらい認めていたんです。だからこの話は終わりにしましょう、ね?」

 

「……解りました」

 

 どうしても約束が守れなかった事が気になるのか。

 

 いつも穏やかな表情に僅かな苦みを含ませつつも、かといって必死で説得してくれている教え子の言葉をこれ以上無視したくなかったのだろう。

 

 ミルは謝罪を終え、教え子へと向き直る。

 

「最後に相手の剣が偶然当たらなかったらミル先生にそんな顔させなかったのになあ」

 

 珍しく表情を歪めたミルに教え子は原因となった試合を思い出したようだった。

 

 終始教え子が押し続けていたにも関わらず、最後の最後で負けてしまった決勝戦。

 

 その時の光景が頭に浮かんだのか、僅かな悔しさと共にそんな言葉を口にする。

 

「偶然、ですか?」

 

 教え子の言葉の中の、ある一単語がミルの耳に引っかかる。

 

 偶然。

 

 つまり事故のようなもので教え子は負けた。

 

 言い換えれば、その事故さえなければ勝っていたと教え子は言っているのだ。

 

「偶然に決まってるじゃないですか。ミル先生も見てたでしょう? 最後の最後で偶々向こうの剣が速く届いただけでそれまでマトモな反撃一つ出来てなかったんですよ? 本当なら勝ってたのは私です」

 

 おそらく今でも試合結果に納得がいかないのだろう。

 

 教え子は憤慨した様子でミルへと同意を求める。

 

「確かに剣の力量だけ見れば貴女の方が相手よりも上でした。そこは間違いないでしょうね」

 

「でしょ! ミル先生もそう思いますよね!」

 

 ミルから同意するような言葉が出たのが、余程嬉しかったのか。

 

 我が意を得たりとばかりに声を上げる教え子だったが――

 

「ですが、負けたのは偶然ではありません。貴女は負けるべくして負けたのです」

 

 ミルは僅かに首を振り教え子の言葉を否定するような仕草を見せる。

 

「ミル先生?」

 

 剣の腕は自分の方が上。それなのに負けたのは必然。

 

 謎掛けのような言葉の意味が解らず戸惑うような声で教え子は無意識の内にミルを呼ぶ。

 

「今日までが依頼期間でしたね」

 

 ミルは教え子の疑問にあえて答えず、新しい質問を投げかけた。

 

「え、ええ。そうですけど……」

 

 急に話が変わり戸惑った様子を見せるものの、難しい質問ではなかったからだろう。

 

 教え子は頷いて話の続きを促す。 

 

「練習用の武具を持って訓練場まで来て頂けますか? 最後ですし手合わせをしましょう」

 

「ミル先生が私と手合わせ!」

 

 ミルの提案に教え子は感極まったように声を上げる。

 

「それじゃあすぐ準備するのでミル先生は先に訓練場の方で待っていて下さい!」

 

 かと思うとミルの反応もそこそこに、早足で準備へと向かい出した。

 

 スキップしてさえ見える受かれ具合は、まるでとびきりのプレゼントが部屋にあるとでも言われたかのようである。

 

(……何がそこまで嬉しかったのだろう)

 

 どうして手合わせ一つで教え子がそんなに嬉しそうにしているのか、ミルは理解に苦しみ――

 

 そして若干引くのであった。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

 ミルと教え子が別れてから一時間近く経過した頃。

 

「持ってきました!」

 

 訓練場に教え子の元気な声が響いていた。

 

「これはまた、随分と色々持ってきましたね……」

 

 呆れたように声を上げたミルの視線の先を見てみれば――

 

 そこには一般的な片手用の模擬刀を筆頭に、両手用の大剣や刺突向きのレイピアなど色々な種類の剣がずらりと並べられている。

 

 大体の種類の剣は揃っており、よほど特殊な剣士でない限りは自分が普段使っているものと同じ種類の剣を見付ける事が出来るだろう。

 

「ミル先生がどの武器が得意なのか解らなかったので、とりあえず全種類持ってきました!」

 

 実は教え子はミルが剣を振っている姿を一度たりとも見た事が無い。

 

 ミル本人が剣を捨てたと言っており、指導中でさえ一度も剣を握ってくれた事すらないからだ。

 

 それでも教え子が異常なまでにミルを慕っているのは、ミルが指導についてから勝てるようになったという理由も確かにある。

 

 けれど最大の理由は指導の仕方や動きを見ている印象では勝てる気が全くしないからであり、例え剣を振った姿を見た事なかろうが一人の剣士として尊敬していたからだ。

 

(ようやくミル先生の剣が見れるんだ!)

 

 それが指南最後の日とはいえ、ようやく剣を振る姿を見られるとあっては、はしゃいでしまうのも仕方ないと言えるだろう。

 

「それは申し訳ない事をしました。貴女の装備だけでよかったのですが……」

 

 しかし教え子の期待とは裏腹にミルは並べられた剣を手に取ろうとはしなかった。

 

「私のだけ? それじゃあミル先生はどうするんですか?」

 

「私ならこれで十分ですよ」

 

 そう言うとミルは自分の太ももに差している鞘に入った短剣を、鞘付きのまま手に取る。

 

「え、けど……」

 

 教え子が戸惑って声を上げるのも無理はない。

 

 ミルが手にしたのはミルが持っている中でも特に小さな短剣だ。

 

 投げたり果物の皮を剥いたりするには向いていそうな大きさではあるが、練習用とはいえ剣と打ち合うと考えた場合あまりに小さ過ぎる。

 

 剣と打ち合うなら右袖の中に隠してある大振りの小剣が一番適している筈だ。

 

「その練習用の武器なら当たったとしても大きな怪我はしませんし、全力で私に打ち込む事が出来るでしょう?」

 

 しかし教え子の心配とは裏腹にミルは何も恐れる様子がない。

 

 まるで全力で打ち込まれた所で当たる事さえないと言わんばかりに。

 

「もしかしてこれは先生が怪我しない為じゃなくて――」

 

「ええ、貴方が私に全力で剣を振る為の配慮です。本気で打ち込んできてもらわないと意味がないですからね」

 

 ミルの態度は、まるでというような曖昧な雰囲気ではない。

 

 むしろ当たらないのが当たり前とでもいうような自然な口調だった。

 

(私じゃミル先生の相手にもならないって事?)

 

 この態度には、教え子も自尊心を大きく傷付けられる。

 

 ミルの方が教え子より遥かに強い。

 

 先にも示した通り、それは教え子も全く疑っていない。

 

 けれど一番下の階級とはいえ自分は大会で準優勝した。

 

 いや、実力だけで言えば一番上だったとさえ教え子は思っている。

 

(それなのにあんな短剣で?)

 

 その気になれば掌の中にさえ隠せてしまえそうな短剣は、武器と呼ぶより暗器と呼んだ方が相応しい。

 

 そんなもので大会優勝レベルの実力持った剣士である自分と戦おうと言うのだ。

 

(いくらミル先生でも舐め過ぎです!)

 

 傷付けられた自尊心が怒りに変わるのに、それほど時間は掛からなかった。

 

 教え子は練習用の武具の中から、普段自分が使っているものと同じ種類の剣と盾を手に取る。

 

「解りました。ただ約束して下さい」

 

「何をでしょう?」

 

「私が勝ったら模擬刀同士でいいので、ちゃんとした武器で相手をして下さい」

 

 手加減なんて一切しない。

 

 そんな意志がはっきり感じられる表情で教え子は力強く宣言する。

 

「ええ、いいですよ。その時は剣でも何でも全力でお相手させて頂きます」

 

 熱気すら感じさせるほどの教え子の言葉を受けて尚、ミルの態度は変わらない。

 

(むー、絶対剣で相手してもらうんだから!)

 

 それが無視されているようでどこか寂しくて。

 

 教え子は一人、拗ねたように頬を膨らますのだった。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

(すぐにでも短剣なんか持った事、後悔させてやるんだから!)

 

 手合わせが始まるなり、教え子は今にも飛び掛かりそうな勢いでミルへと突進する。

 

 技術も何も無い力任せで直線的な動き。

 

 素人ならともかく多少の練習を積んだ人間が剣なり盾なり持っていたのなら、防ぐ事は難しくない程のお粗末な攻撃ではある。

 

 けれど剣も盾もない人間には、むしろ身体ごとぶつかってくる直線的で乱暴な攻撃の方が、かえって防ぎ難い。

 

(ちょ、ちょっとミル先生!)

 

 勢いのままに剣を振り下ろそうとした教え子は驚愕に目を見開く。

 

 突っ立ったまま、ミルが動こうとしないのだ。

 

(駄目、止められない)

 

 既に攻撃動作に入っている上に突進の勢いもあってか。教え子には剣を止めるどころか速度を緩める事さえ出来ない。

 

 いくら練習用の剣とはいえ無防備で受ければ怪我は免れないだろう。

 

 打撲くらいで済んでくれたらいいなと頭の片隅で教え子が思った瞬間――

 

「フフッ、駄目よ」

 

 ミルが短い掛け声と共に短剣を振った。

 

 どこか軽い調子で振られた短剣は、まるで教え子が振り下ろした剣自身に吸い込まれていくような正確さで向かっていく。

 

 妙に澄んだ音が響いた。

 

 振り下ろした剣と短剣がぶつかったならもっと鈍い音が鳴る筈だし、何より剣を振り下ろした教え子の腕には何の手応えもない。

 

「え?」

 

 そこで教え子は目の前の光景の意味が解らず声を上げた。

 

 振り下ろした剣が外れていた。

 

 それどころか真っ直ぐミルに向かって突進した筈なのに、妙にズレた方向を向いている事に今更になって気付いた。

 

「いけませんよ。いくら相手が自分より弱そうだからといって雑な攻撃をしてしまっては。それでは倒せる相手も倒せません」

 

 ミルは短剣を構えてこそいるものの、その場から動いた様子が全くない。

 

 今の状態だけ見れば、誰も居ない場所に教え子が剣を振り下ろしたようにしか見えないだろう。

 

(どういう事? 私は確かにミル先生に向かって振ったし、ミル先生だって当たると思ったから短剣で防ごうとして――)

 

 そこまで考えた所で、一つの可能性に辿り着く。

 

(まさか短剣一本で私の攻撃を逸らしたの!)

 

 自分が振り下ろした剣に横から擦るような形で短剣を当てる事で、突進していた自分の身体ごと力の方向を逸らして剣を空振りさせた。

 

 それ以外、考えられなかった。

 

(有り得ない……)

 

 いくら教え子が雑に斬り掛かったとはいえ、振り下ろした剣に短剣を当てるだけでも至難の業。ましてや受け止めるでもなく力の方向を逸らすなんて、ただ当てるだけより遥かに難易度は高い。

 

 短剣を当てる角度やタイミング。

 

 それらが少しでも狂えば成功しないどころか不用意な形で剣を受け止める事になり、練習用の武器だとか関係なく手首が折れてもおかしくない。

 

(避けるならまだしも、あんな短剣で完璧に受け流すなんて……)

 

 何より驚かされたのが受け流された教え子自身、全く気付かなかった事だ。

 

 ほんの僅かでも力を流し損ねて受け止めていれば、さすがに途中で気付いただろう。

 

(どれだけ上手く受け流せばそんな事になるの……)

 

 それを短剣で行うにはどの程度の修練が必要なのか。

 

 まるで見当が付かなかった。

 

(やっぱりミル先生は凄かった……)

 

 目の前で起こった現象を理解した瞬間、教え子の中に湧いたのは驚きでも悔しさでもなかった。

 

 ただ感心した。

 

 今が手合わせ中である事さえ忘れる程に。

 

「どうしました? まだ決着は付いていませんよ?」

 

 剣を振り下ろした状態で呆然としていた教え子は慌てて距離を取る。

 

 教え子の目には神業にさえ見える短剣捌きで攻撃を防いだにも関わらず、ミルは何一つ誇る様子がなく自然体のままだ。

 

 例えるなら慣れた料理人が卵を片手で割る時の姿に似ている。

 

 単に片手で割った方が効率的だから片手で割るだけであり、別に自慢や技術を見せたいという理由で普段の料理中に片手割りをする人間などそんなに多くはないだろう。

 

 それと同じで。

 

 ミルにとってこの程度の芸当は自慢する気も起きないくらい当たり前に出来る事でしかない。

 

 もし教え子が感心の声を上げていたならミルは事も無げに答えていただろう。

 

 このくらい慣れてしまえば誰でも出来ますよ、と。

 

(すみません、ミル先生。舐めていたのは私の方でした……)

 

 余裕にさえ見えたミルの態度は、余裕を裏打ちするだけの自信と実力があったというだけの事。

 

 底知れない実力の片鱗を見せ付けられた教え子は自分の認識の甘さを恥じ、心の中だけでミルに謝った。

 

(今、目の前に居るのは今まで戦ってきた中でも最高の相手。もう失礼な事は考えない!)

 

 そして剣を構え直すと気を引き締める。

 

 暗器染みた短剣であろうとミルの強さは本物だ。

 

 手加減どころか全力で戦ったとしても、勝てるかどうか解らない。

 

「ようやく剣士らしい顔つきになってきましたね」

 

 教え子の様子にミルは満足気に微笑む。

 

 が、微笑むだけで動こうとしない。

 

 どうやら教え子が仕掛けてくるのを待つつもりのようだった。

 

(あの武器なら自分から攻めないとどうしようもない筈だけど……)

 

 先程のように教え子が考えもなく飛び込んだなら別として、武器の長さが違い過ぎる。

 

 短剣が届かない位置から剣を振り続ければミルは何も出来ない筈だ。

 

(ううん、あれだけの事が出来るんだ。離れているからって油断なんて出来ない) 

 

 悩む教え子だったが、すぐに迷いを捨てるとミルを見詰める。

 

 どんな小さな動きでも見逃さないように。

 

「中々良い判断ですが、少し慎重になり過ぎですね。この間合いを保っていれば私の短剣では貴女に届きません。好きに打ち込んできていいんですよ?」

 

「解りました!」

 

 ミルの言葉を聞くなり、迷いなく教え子は斬り掛かった。

 

 三カ月に満たない僅かな付き合いではあるものの、ミルを尊敬し目で追い続けた教え子には丁寧な口調の裏に隠された言葉が聞こえたからだ。

 

(間合いを保ちつつ、さっさと打ち込んで来いって事ですね!)

 

 ミルは、何かを押し付けたり強制したりするような物言いは基本的にしない。

 

 話し掛ければ穏やかに優しく対応してくれる。

 

 けれど、用事もないのに自分から話し掛けて来た事はなく、他愛ない雑談なんてした覚えがない。

 

(最初はそれが冷たく感じて怖かったっけ)

 

 それに気付き始めた頃、ミル自身の感情や考えが見えなくて恐怖を感じた事を教え子は覚えている。

 

 けれど次第にそんな恐怖はなくなっていた。

 

(そんなミル先生だから、私が貴族の娘だって事も、雇い主の娘だって事も気にせず。私の頑張りと成果だけを真っ直ぐ見てくれる)

 

 雑談一つ自分からしないミルだからこそ、剣以外の事を気にする事も持ち込む事もなく、剣士としての教え子だけを見ていた。

 

 頑張れば頑張った分だけ、成果を出せば成果を出した分だけ。

 

 本人より完璧に把握し、認め、褒める。

 

 それは身分などで甘えたり逃げたり出来ず、ある意味で厳しい事であり、同時に何より優しい事でもあった。

 

(ミル先生、私の剣は実際に受けてみてどうですか?)

 

 最後の手合わせだからだろうか。

 

 色々な想いに駆られながら教え子は剣を振り続けるが、剣筋が鈍る事はない。

 

 むしろ逆。

 

 ミルから教わってきた全てをぶつけようとした結果、今までミルと過ごしてきた日々が自然と頭の中を駆け巡っているだけであり、手なんて一切抜いていない。

 

 それどころか教え子は過去最高と言えるほどの剣の冴えを見せており、決勝戦の時よりも強く鋭く剣を振れていた。

 

 だというのに――

 

「素晴らしい攻撃です。間合いの取り方も見事ですよ」

 

 ミルはその場から一歩も動かず、短剣だけで器用に教え子の剣を弾き続ける。

 

 いつもと変わらない微笑みを浮かべたままで。

 

「……ありがとうございます」

 

 教え子は剣を振る手を休めこそしなかったものの、これには複雑な表情を浮かべるしかなかった。

 

(悪気はない、悪気はないんだろうけど……)

 

 今までにないくらい上手く剣を振れているという自覚は教え子自身にもある。

 

 その事を解ってもらえているのは嬉しいと言えば嬉しい。

 

 けれど、さすがに横で稽古を見ているのならともかく、実際に切り掛かっているのに涼しげな顔で褒められるのは微妙な気分だった。

 

(むぅー、むぅー!)

 

 あまりに複雑な気持ち過ぎて、頭の中の思考さえ形のある言葉にならない。

 

 勝ちたいというのとは違う。攻撃が通じないのが悔しい訳でもない。

 

 それらの感情自体は勿論ある。

 

 けれど心の中で唸り声を上げたくなるほど渦巻いている感情は、それらとは別のもの。

 

(むぅーーーー!)

 

 その別のものの正体が何なのかが解らず、もどかしい想いが教え子の中で膨れ上がっていく。

 

 彼女の中で渦巻く気持ちの正体。

 

 それは全力で攻撃しているにも関わらず、ミルの顔色一つ変えられない自分自身への無力さから来る劣等感。そして、それを認めたくないという反発心だ。

 

 けれど教え子がその想いの正体に気付く事はない。

 

 気付く為には自分が顔色一つ変えられない程、非力なのだと認めなければならない。

 

 それを受け入れ認められるだけの強さを、まだ教え子は持っていないからだ。 

 

(それじゃあミル先生が知らない事するんだから!)

 

 しかし、気付いていなくても反発心は確かに教え子の心の中にある。

 

 その反発心が教え子に普段とは違う行動を取らせた。

 

「やあっ!」

 

 突きである。

 

 斬るような振り回す動きとは違う、直線的な動き。

 

 それはミルから剣の指南を受ける前に教え子が習っていた刺突を中心とした剣術のものであり、ミルから剣を習い始めてからは封印していたものだ。

 

 実際、教え子に突きはあまり向いていないのかもしれない。

 

 主軸にするには鈍く荒く、鋭さも速度も斬撃に比べると練度が低い。

 

「んん……っ!」

 

 けれど、斬撃の弧を描く軌道に目を慣らされていたミルに、直線的な突きは練度が低くても効果的だったようだ。

 

 真っ直ぐ伸びてきた突きを完璧には受け流し切れず、小さな唸り声と共に大きく体勢を崩した。

 

(私の勝ちです!)

 

 反撃はおろか、防御や回避さえも出来る姿勢ではない。

 

 そんなミルの姿に、勝利の確信と共に教え子は剣を振り被る。

 

「え?」 

 

 その時、教え子は自分の首に何かが触れている感触に気付いた。

 

「――――」

 

 何だろうと視線を向けた教え子は驚きのあまり呼吸さえ忘れる。

 

 いつ首に触れたのかも解らない程静かに、ミルの短剣が首に突き付けられていた。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

「決勝戦の再現、と言ったところでしょうか?」

 

「決勝戦って……」

 

 首に短剣を突き付けたまま放たれたミルの言葉に、教え子は決勝戦での決着の瞬間を思い出す。

 

「そういえばあの時も私が押してた筈なのに、何故か最後の最後で負けちゃって……」

 

「そうです。その時の状況を覚えていますか?」

 

 もう決着が付いたのは理解しただろうし、首に短剣を突き付ける必要もないと思ったのだろう。

 

 ミルは戦闘態勢を解くと正面から向き直り、教え子に尋ねた。

 

「覚えてます。確か今のミル先生と同じように私の攻撃で相手が体勢を崩して、勝ったと思った瞬間に相手の剣が首筋に――」

 

 そこまで言った所で教え子は言葉を続けられず息詰まる。

 

 ある事に気付いてしまったからだ。

 

(そうだ……)

 

 自分が終始押し続けた戦い。体勢を崩す対戦相手。

 

 そして勝利を確信した瞬間の敗北。

 

 決着の瞬間だけじゃない。

 

 細部にこそ違いはあるかもしれないが――

 

 始まりから終わりまで、手合わせと決勝戦の流れは全て同じだった。

 

「全部……」

 

 その事に気付いた瞬間、絞り出すような声が教え子から漏れていた。

 

「全部演技だったんですか?」

 

 ほとんど無意識に近かった。

 

 今まで教わった事全部をぶつけようと必死で剣を振った。

 

 ミルは短剣だったし本気じゃないのは解っていても、本気でないなら本気でないなりに自分と戦ってくれていると思っていた。

 

 それなのにミルは自分との戦いなんか無視して。

 

 ただ決勝戦を再現する為だけに動いていた。

 

 戦ってくれてすらなかった。

 

 そう思った瞬間、裏切られたような感覚が脳内を駆け巡り尋ねずには居られなかったから。

 

「それは違います」

 

 気持ちが昂り過ぎて言葉足らずになっている教え子の言葉を、それでも正確に読み取ったミルは首を振って否定する。

 

「確かに似た展開になると予測していましたが、それは単にこの短剣を持ってその場から動かないようにした時の私の戦闘能力が貴女より少し下。丁度、決勝戦で貴女が戦った相手と同じくらいだったからです。同じような強さの相手と戦えば、同じような展開になるのもおかしくはないでしょう?」

 

「そこまでして、ようやく少し下ですか……」

 

 言われるまで教え子は気付いてもいなかった。

 

 わざわざ短剣で受け流すなんて難しい事をしなくても、避けてしまえばそれで済む。

 

 足でも怪我しているならともかく、その場に佇んで防ぐ必要なんて最初からないのだ。

 

「ええ。申し訳ありませんが、そうして力を抑えなければ手合わせにすらならない程、貴女と私の力量差は大き過ぎるのです」

 

「そう、ですね。よく解りました」

 

 ミルとの手合わせ内容に不満がない訳ではないが、先程までの絶望感は消えていた。

 

 そこまでハンディを貰ったにも関わらず勝てなかった自分に本気を出してほしかったと言う資格はないと思ったし、ミルはミルなりのやり方で自分としっかり戦ってくれたのが解ったからだ。

 

「でも、それじゃあどうしてです? ミル先生の言う通りだとしたら力は私の方が上だったんでしょう? それでどうしてミル先生にも決勝でも勝てなかったんです?」

 

 絶望感の消えた後、残った疑問を教え子は口にする。

 

「どうしてだと思いますか?」

 

 しかし、ミルは答えず質問を返す。

 

 その理由を考える事こそが一番大事だ、とでも言いたげに。

 

「最後に私の剣で体勢を崩したのだけは演技だった?」

 

 少しの逡巡の後、教え子が口にしたのはそんな言葉だった。

 

 演技というよりは誘いやフェイントと言った方が意味合いとしては近いだろう。

 

 体勢が崩れたように見せ掛けて、何か攻撃行動の予備動作であったなら反応出来なくても不思議ではない。

 

「いいえ、私も対戦相手だった少女も確かに体勢を崩していました。その時、今までと同じように攻撃していたなら勝利は間違いなく貴女のものだったでしょう。決勝戦の時も、今の手合わせでも、ね」

 

 けれど、ミルは静かな口調で否定する。

 

 まるで見当違いの答えであるというように。

 

「今までと同じって言われても、私はいつも通りに剣を振りましたよ?」

 

「いいえ」

 

 再び否定。

 

 先程より短く、けれど強い口調で。

 

「貴女は勝てると確信した直後、必要以上に剣を大きく振り被る癖があります。その時に出来る隙は体勢を立て直して攻撃する時間さえあるほど、大きいものです」

 

「振り被る……」

 

 言われてみて教え子はミルとの手合わせと決勝戦を思い出す。

 

(そういえば普段剣を振り被る事なんてない。負けたのはどっちも剣を振り被ってすぐの事だ……)

 

「解ったようですね」

 

 教え子の表情から理解したのをミルは察すると、説明を始める。

 

「決勝の相手だった少女も気付いていたのでしょうね。正面から戦えば貴女の方が上。普通にやれば勝てる可能性が低いと思い策を講じたのでしょう」

 

 ミルの見立てでは確かに剣の腕は決勝戦の相手より教え子の方が上だった。

 

 けれどそこに絶対的なまでの差はない。

 

 おそらく普通にやっても十回やれば三回は教え子が負けるだろうし、二回くらいは相打ちになるだろう。

 

 それは力量が近い先程のミルでも変わらない。

 

「貴女が隙を見せる瞬間。そこに勝機を見い出した彼女は、その一瞬を生み出す為だけに貴女の攻撃に耐え続けていたのです。決して手も足も出せず仕方なく守りに入っていた訳ではありません」

 

 そんな接戦では勝利を確信して剣を振り被るどころか、無我夢中で剣を振っている内に、いつの間にか勝負が付いてしまう。

 

 それでは力が上の側が勝つ可能性が高い。

 

 だからこそミルも決勝戦の少女も防戦に徹し、隙が生まれるのを待ち続けたのだ。

 

「それはつまり、普通にやったら勝てそうにないからって私の弱点を突いてきたって事ですか?」

 

「少し違いますが大体そんな所です。だから大会での敗北は偶然でも何でもありません。貴女は負けるべくして負けてしまったのです」

 

 おそらくその隙を狙われている事に気付かず戦えば、教え子は十回やっても九回は負けてしまうだろう。

 

 だから敗北は必然。

 

 偶然ではなく、決勝戦の少女の策が力量差を埋めたのだ。

 

「そんなの卑怯じゃないですか!」

 

 全ての状況を把握した瞬間、教え子に湧いたのは怒りだった。

 

「卑怯、ですか?」

 

 急に大きな声を上げる教え子に驚いたのか。

 

 ミルは不思議そうな声で理由を尋ねる。

 

「そうですよ。剣術大会と言えば剣の技を競い合う場所じゃないですか。正々堂々と戦えばいいんです。それなのに変な小細工を使ってまで勝とうとするなんて……」

 

 正面から戦えば負けなかった。

 

 そんな想いが爆発するように荒れ狂い、教え子を駆り立てる。

 

「なるほど、そういう事ですか」

 

 教え子が言いたい事を理解したのだろう。

 

 ミルは納得したように頷いた後に、口を開く。

 

「では尋ねますが、腕力で劣る者が速さや技で打ち勝とうとするのは卑怯ですか?」

 

「そんな訳ないです。その為の剣術じゃないですか」

 

 剣術に限らず武術とは本来、力無い者が力有る者と戦う為に考え磨き抜いてきた知恵と技術。戦う為の術なのだ。

 

 もし剣も通さない身体と岩をも砕く力を持ち、風よりも速く動けるのだとしたら武器も技術も必要なく、ただ相手を叩きのめせばいい。

 

「それは知恵や戦術で技術の差を補うのと、どう違うのでしょう?」

 

「それは……」

 

 教え子は言葉に詰まる。

 

 別に答えが解らなかった訳ではない。

 

 言われて考えてみた結果、教え子の中でも違いが見付からなかったのだ。

 

「認めたくない気持ちは解らない事もありません。貴女の努力と修練は間違いなく尊い。そしてそれらの積み重ねの末に身に着けた力は誇っていいものでしょう」

 

 自分が全部悪いんだ。

 

 そんな思考放棄に教え子が陥る前にミルは褒めるべき場所を褒める。

 

「けれどそんな貴女を倒す為、技術と知力を振り絞った相手の事を貶めるような事を言ったのは良くない事でしたね」

 

 その上で悪かった部分も指摘する。

 

 教え子が何を変えるべきで、何を変えなくてもいいのか。

 

 迷ってしまわないように。

 

「もし相手が審判を買収したり明らかな反則を行い、貴方の勝利を横取りしていたのなら私も貴女の言葉に賛同し憤ったでしょう。その悔しさを晴らして欲しいと依頼されれば、場合によっては対戦相手だった少女を二度と剣を持てないようにしてきてもよかったでしょうね」

 

「あの、そこまではさすがに……」

 

 まるで夕飯の買い物にでも行くような気軽さでトンデモなく物騒な事を話すミルに若干引きつった表情をする教え子であったが――

 

「ですが彼女は決められたルールに従い、その状況の中で力と知恵の限りを尽くして貴女から勝利を得たのです。それは称えられる事ではあっても、何一つ恥じ入らなければならないような事ではありません」

 

 ミルはそんな反応を気にもせず話を続けていく。

 

「それにいくら隙が出来ると解っていても、その隙を生み出し正確に突く為にどれだけの力と勇気が必要か。貴女なら解る筈です」

 

 静かで優しげな口調で放たれた、けれども反論の余地一つないミルの言葉。

 

 それは戦いを自分が認めてもらう手段のように考えていた教え子の胸に強く刺さる。

 

「うぅ……」

 

 自分を倒した相手を凄いと素直に認められなかった。

 

 負けた自分に悪い場所がないかと考えられなかった。

 

 そんな事に気付きもせず自分こそ褒められるべきなんだと相手に八つ当たりをしていた自分の姿は、あまりに滑稽で甘えて見えた事だろう。

 

 それを自覚した瞬間、あまりに恥ずかしくて逃げ出したい。

 

 同時に見損なわれたという気持ちが膨らんで怖くて涙が出そうになり教え子は俯く。

 

「良い勉強が出来ましたね」

 

 そんな教え子にミルが掛けた言葉は、あまりに予想外のものだった。

 

「良い勉強、ですか?」

 

 叱られるか呆れられると思っていた教え子は、言葉の意味が解らず思わず聞き返す。

 

「取り返しの付く場所、やり直しの出来る場所での失敗は全て良い勉強ですよ。同じ失敗を大事な時にしないように失敗から多くを学んでいれば、ですけれどね」

 

 あくまで試合や練習とは学ぶ場所でしかない。

 

 言外に、それでいて自然に語るミルに教え子は衝撃を隠せなかった。

 

(これが実戦経験の違いってヤツなのかな……)

 

 教え子は自分とミルの最大の違いは技量の差だと思っていた。

 

 けれど仮にミルと全く同じ技量を持っていたとして短剣でミルと同じように剣を防げるかと言えば無理だろうと今となっては思う。

 

 いくら短剣で防ぐだけの技術があっても、防ぎ損なえば物凄く痛い。それだけじゃなく怪我もする。その痛さや怪我を嫌がって腰が引けてしまい、折角の技術も台無しにしてしまうだろう。

 

 けれどミルは違う。

 

 練習用の武器では当たった所で大きな怪我にはならない。ましてや死ぬ事なんて有り得ないと言っていい。

 

 そんな状況では恐れを抱く事さえないのだ。

 

(もしこれが練習用の武器じゃなくて真剣だったとしても、ミル先生は恐怖で自分の力を出し切れないなんて事はないんだろうなあ……)

 

 技量以前に、戦いに対する意識と覚悟の差。

 

「貴方は大会と私の敗戦から何か学ぶ事が出来ましたか?」

 

 その違いを噛み締めている教え子にミルは静かに問い掛ける。

 

 この手合わせに意味を見い出してくれたのかを。

 

「はい、ええと……」

 

「…………」

 

 ミルは急かそうともせず、ただ微笑んで教え子が話すのを待った。

 

 教え子が自分なりに考えて納得して出した答えを聞きたかったから。

 

「まだまだ私は未熟で弱かった事、負けるのは相手の方が自分より強いからだと学びました」

 

 考えに考えた末、教え子の口から出たのは自分でも少し意味が解らない言葉だった。

 

 本当はもっと具体的な事を言おうと思えば言えたのだ。

 

 勝利を確信した時に雑になってしまう事だとか、防御の大切さだとか。

 

 けれど、きっとミルが自分に教えたかった事はそんな場当たり的な事じゃなく、もっともっと大事な事なのだと教え子は感じている。

 

 その大事な事を明確に言葉で表現する事は教え子にはまだ出来なかったが、それでも伝えたい事は自分なりに伝えられたんじゃないか。

 

 そう教え子は思っていたのだが――

 

「…………」

 

 教え子の想像と違い、ミルはきょとんとした様子で目を瞬かせていた。

 

「その、ミル先生?」

 

 初めて見るミルの表情に教え子の口から思わず戸惑いの声が漏れる。

 

 というのもミルが微笑んだり困ったように笑ったりする姿は何度も見た事あったが、それらは余裕を感じさせるものでしかなく、こんな心の底から驚いているような表情は見た事なかったからだ。 

 

(や、やっぱりもっと具体的な事言った方が良かったのかな……)

 

 そんなにも的外れの事を言ってしまったのかと教え子は不安気に表情を曇らせる。

 

「貴女が想像以上に優秀だったので驚いていたのです。不安にさせて申し訳ありません」

 

「そんな、優秀だなんて……。ミル先生に指摘して貰えなかったらいつまで経っても気付けなかったと思いますし……」

 

 ぼそぼそと尻すぼみに話す教え子に戦う前の明るさはなくなっていた。

 

 まるで褒められる資格さえないと言わんばかりに、教え子は逃げるように顔を逸らす。

 

「自分の間違いに気付きそれを受け入れる事も、相手を認められる人間は貴女が思う以上に少なく、それは成長していく上で大事な資質なのです。もっと自信を持ちなさい」

 

 縮こまる教え子にミルは近付くと頭を撫でる。

 

 励ますように力強く、それでいて労わるように優しい手付きで。

 

「み、ミル先生!?」

 

 突然自分の頭を撫で始めたミルに教え子の口から思わず悲鳴のような声が上がる。

 

 別にミルが教え子を褒めるのは初めての事ではない。

 

 それは先程の手合わせの時でさえそうだ。

 

 いつだって教え子が頑張り結果を出す度にミルは褒めていたし、上達を感じる度に掛けられる言葉は自分の成長を認めてくれているみたいで教え子は嬉しかった。

 

 よく頑張りましたね、素晴らしい成果です。

 

 そんな言葉がもっともっと聞きたくて頑張っていた部分は相当大きい。

 

 けれど褒められている内にどこか物足りなさを感じ始めていたのだ。

 

 もっともっと心の底から褒めてほしかった。

 

 ミルが自分を褒める言葉はどこか空虚で、感情の動きというものがないように感じていたから。

 

(ああ、そうだったんだ……)

 

 その理由が今、はっきりと教え子には解った。

 

 今まで教え子はミルの指示通りに頑張り上達していった。

 

 頑張りと成果を認めていたからこそミルは褒めていたが、あくまで教え子はミルの予想の中で成長していったに過ぎない。

 

 それでは驚きが生まれ難いのも仕方ないだろう。

 

 しかし、今回は違う。

 

 初めて教え子はミルの予想を超える成長を見せたのだ。

 

「たくさん学び続けなさい。その努力を惜しまず成長を続けられたなら、いつの日か一流と呼ばれる日が来るでしょう」

 

 だからこそミルは感心と驚き。そして自分の手を離れ一人の剣士として成長を見せ始めた教え子へ敬意を覚えた。

 

 それらの感情を伝えるには今までと同じような言葉だけの褒め方では足りない。

 

 その想いがミルに教え子の頭を撫でさせたのである。

 

「あっ……」

 

 けれど、いくら感心したからと言って撫で続けている訳にもいかないのだろう。

 

 自分の頭を撫でていた離れていくのを感じた教え子は、寂しさと共にミルの手が離れていくのを眺めた。

 

(指南中に褒められた時よりも、初めて決勝に進んだ時よりも、今が一番幸せだったな……)

 

 褒められる喜び。勝利の快感。

 

 それらと似ているようで何かが違う、心が満たされていくような感覚。

 

 その感覚がもう一度欲しくて、教え子は思わずミルを見詰める。

 

「何でしょう?」

 

 教え子の視線の意味に気付いているのか、いないのか。

 

 ミルは柔らかく微笑んで視線の意味を尋ねる。

 

「あの、その……」

 

 もう一度撫でて下さい。

 

 そんな言葉が思わず口から飛び出しそうになるのを教え子は必死で堪えた。

 

(駄目だ、それだけは言っちゃ駄目だ……)

 

 ミルは今回、初めて自分を一人の剣士として認めてくれた。

 

 まだまだ未熟で実力的には足元にも及ばない事は教え子だって解っている。

 

 今までだって貴族だとか依頼主の娘だとか関係なく、一人の剣士として見てくれていたのも解っている。

 

 けれどそれとはまた別の次元。

 

 ミルの言葉を待ち背中を追うだけの剣士としてでなく――

 

 ただ一人の剣士としての自分を認めてくれた。

 

 それら全てを頭では理解する事は、さすがにまだ出来ていない。

 

 それても何となく感じているからこそ、教え子は必死で甘えたくなる気持ちを抑える。

 

「ご指導ありがとうございました!」

 

 そして頭を下げ、感謝の言葉を口にする。

 

 これ以上言葉を出せば泣き出しそうで、そんな泣きそうな顔を見られたくなくて。

 

 声は絞り出し過ぎて少し枯れていたし、お別れなのに相手の顔を見る事も出来てない。

 

 しかし、そんな不格好な別れをしている自覚があるのに、教え子はそれなりの満足感を覚えている。

 

(もう寄り掛かって甘えてばかりじゃないって、ミル先生に見せるんだ)

 

 小さな意地かもしれないが、ミルに心配掛けないように我慢している自分の変化に確かな成長を感じていたから。

 

「貴女の活躍が噂となって聞こえてくる日を楽しみにしていますよ」

 

 いつもと同じように柔らかい静かな声。

 

 けれどいつもより優しく聞こえた声に思わす教え子は顔を上げるが――

 

「ミル先生……」

 

 既にミルの姿はどこにもない。

 

 まるで全てが幻だったかのように影一つ残さず、ミルは教え子の前から消えていた。

 

「…………」

 

 自分以外、誰も居なくなった訓練場を教え子は見渡す。

 

(ああ、忘れてた。こんなにも広かったんだ……)

 

 彼女だけでなく屋敷の警備で雇う者達が調整に使う事もある訓練場は、それなりの大きさを持っている。

 

 けれど長い間、彼女はその広さを感じた事がなかった。

 

 ミルが来る前は成長しない自分への焦りともどかしさで周りなんて見えてなかった。

 

 ミルが来てからはミルの事ばかり目で追っていた。

 

(随分と狭い世界に生きてたんだな、私……)

 

 広い広い訓練場。

 

 自分がその中心で一人佇んでいると自覚した瞬間――

 

 急に教え子の視界がぐにゃりと歪んだ。

 

(ああ、違う……)

 

 そこで教え子は目から涙が流れている事に気付くと同時に、自分の考えが少しだけ間違っている事に気付いた。

 

(確かに私の世界は狭かったけど……)

 

 目先の事ばかりに囚われ、周りが何も見えていなかった教え子の視野は確かに狭かったかもしれない。

 

 それでも剣の腕も上達し始め、大会でも勝てるようになってきており、周りを見る余裕が生まれ始めていても何ら不思議ではないだろう。

 

 それにも関わらず、部屋の広さにさえ気付かなかった理由は一つ。

 

(私の世界全てでも足りないくらい、ミル先生の存在が大きかったんだ……)

 

 それ程までにミル・ド・レイユという存在が大きく輝いていたのだ。

 

 余所見一つする暇もなく。

 

 全てに憧れ、追い求めずには居られない程に。

 

(きっとこれからミル先生は私みたいな子の指導をたくさんして、私もそのたくさんの中に埋もれていく)

 

 それは教え子にとって寂しい事ではあったが、仕方のない事だとも感じていた。

 

(私一人だけに構って終わるほど、小さな人じゃないから)

 

 涙を拭うと教え子は剣を手に取り、教わった事をなぞるように動作の一つ一つを確認しながら剣を振り始める。

 

(もし、また会えたらその時は今みたいに教わるだけじゃなくて、強くなった自分の姿を見せるんだ)

 

 遠く感じるミルの背中に追い付き、肩を並べられる日を夢見て。

 

 もうそこに過去を懐かしみ寂しさで立ち止まる少女の姿はなく――

 

 未来へ向け進み始めた剣士の姿がそこにあった。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

(少しは剣士らしくなってきてたな)

 

 教え子の前から姿を消したミルは僅かに表情に哀愁を漂わせつつ、借りている宿へと向かっていた。

 

(剣士、か。もう随分遠い日の事のように感じる)

 

 哀愁の理由は一つ。

 

 剣士としての顔を持ち始めた教え子の姿に、かつての自分。剣士だった頃の記憶を思い出していたからだ。

 

(彼女は剣を振り続けられるのだろうか……)

 

 別に教え子が剣を捨てるような理由は何も見えない。

 

 貴族としての立場だとか突然の事故とか、無理に考えればいくらでも見付かるかもしれないが、不安になる要素はどこにもない。

 

(どれだけ努力し腕を磨いていたとしても、剣を捨てる事があるように)

 

 それでも考えてしまうのはミル自身が剣を捨てた身だからだろう。

 

(生涯、剣と共にあると思っていたのにな)

 

 ずっと磨き続け共に生きてきた剣を捨てると決めた時の事をミルは思い出す。

 

 ただ捨てると決めただけで実感がないせいか、思っていたほど辛くはなかった。

 

 けれど、ふとした拍子に手元に剣がない事に気付いた時、言い知れない寂しさと喪失感に襲われた。

 

 その虚しさと悲しみは自分だけが知っていればいいとミルは思う。

 

(こういう時、信仰している神が居ないのは不便だな……)

 

 教え子が自分みたいにならないよう祈ろうとしたミルは物憂げに目を細めた。

 

 信じてきたのは磨き続けた自分の腕と競い合ってきた友人くらいで、神様なんて全く信じていなかったから。

 

(願わくば彼女がいつまでも剣と共に在れるように)

 

 だから願うだけ。

 

 教え子が自分のように剣を捨ててしまう事のないようにと想いを込めて。

 

(後腐れない別れ方を、という話だったのにな……)

 

 ふと依頼内容を思い出したミルは溜息を吐いた。

 

(これでは私の方が未練がましいな……)

 

 もう教え子は自分の手を離れ、自らの力で歩き始めている。

 

 それが解っているのに必要以上に心配している自分にミルは情けなさを感じたから。

 

 ――それを優しさや師弟愛と思える感性がミルにはなかった。

 

(それにしても見違えるほど成長したものだ……)

 

 ミルは別れる時に見た教え子の姿を思い出す。

 

 自分の言葉や指示を待ち、甘えたがっていた姿からは想像出来ない程、心が強くなっていた教え子の姿を。

 

(これから強くなろうとする度に、色々な困難にぶつかっていくだろう)

 

 例えば勝利を確信した時に振り被る癖がある、も壁の一つだ。

 

 どうすればその壁を乗り越えられるのか。

 

 そもそもぶつかっている壁は何なのか。

 

 それを教えていたミルは、もう教え子の傍に居ない。

 

 けれど、どこが悪くてどういう力の使い方をすればいいのか。何が足りなくてどういう力を求めれば先へと進めるのか。

 

 そんな思考の一歩が生まれつつある今の教え子なら。

 

 例え壁に当たっても自力で答えを見付けられるだろうとミルは思う。

 

(私がその成長に少しでも影響を与えられたのなら、指南役冥利に尽きるというものだな)

 

 そんな事を思い浮かべると、ミルは僅かに胸が誇らしくなるのを感じるのだった。

 

 

 

12

 

 

 

『護身の為に幼い頃から娘に剣を習わせたが、想像以上に娘が剣へ関心を示す。熱心ながらも伸び悩む娘の事を不憫に思い、剣術指南を依頼』

 

 公国レマルギアにある宿屋の一室。

 

 さらさらと手紙をしたためる音が響く。

 

『依頼主は現状にそれなりの満足感を覚えており、公国への不満や娘を円卓騎士にしたいという野望は見えない。ある程度の警備は雇っているものの、自衛程度の兵力であり、戦力は一貴族の領域に収まっている』

 

 机に向かい手紙を書いているのは、一つ結びにした赤い髪と女性らしい身体つきが目を惹く女だった。

 

 下着同然とも言える露出の高い服に長袖の外套を引っ掛けただけの煽情的な格好であるが、この格好は宿の自室に居るから気を抜いているという訳ではない。その証拠に外套や腰などあちこちに小刀などの暗器がチラ付いているし、そもそも部屋に戻ってきた時には既に彼女はこの格好であった。

 

 この女性の名はミル・ド・レイユ。

 

 名家の娘へと剣術指南をする一方で、密かにその家の勢力や動向を探る影働きなどに勤しんでいる元騎士だ。

 

 ほんの少し前にも指南と調査を行っていた貴族の家があり、今はその調査結果を手紙にしたためている所であった。

 

『現状では公国への影響はないと考えていいだろう』

 

 そこまで書いたところでミルは筆を止めると、僅かに逡巡する。

 

 調査とは別に剣術指南をしていた娘との事を書くか迷ったからだ。

 

(書いておけば必要な情報かどうかは向こうで判断するだろう)

 

 迷ったのは一瞬。

 

 僅かに指導した娘の事を書き加えると、手紙を封筒へと入れる。

 

(さて――)

 

 作業を終えたミルは室内を見渡した。

 

 街の中にある決して高級とは言えない、どこにでもあるような民宿の一室。

 

 清掃は行き届いているものの机とベッドと箪笥しかない部屋は、どこか殺風景で物寂しい。

 

「書き終わったわよ。隠れてないで出てきたらどうかしら?」

 

 そんな部屋で、突然ミルが独り言とは思えない物言いで話し始めた。

 

 どこかぶっきらぼうな思考とは違う砕けた口調は、親しい相手へと話し掛けているようにしか聞こえないが、部屋に誰か居る様子はない。

 

 呼び掛けだけが虚しく消えていくのかと思いきや――

 

「……気付いていたのですか」

 

 その呼び掛けに答えるように、突然部屋の隅に執事服を着た女性が姿を現わした。

 

 達人と呼ばれる域に至った暗殺者が全力で気配を絶てば、まるで背景のように意識されず景色に同化してしまい、魔法を使わなくても姿を隠す事が出来るという信じ難い話がある。

 

 おそらく執事服の女性は、その域に達した使い手なのだろう。

 

「昔の貴女ならともかく、今の影の濃くなった貴女ではね。調査結果を受け取りに来たのでしょう?」

 

 突然現れた女性に驚く事なくミルは気楽な調子で話を続ける。

 

 それもその筈。

 

「それもあります」

 

 この執事服の女性の名はエルミ。

 

 ミルとは数年以上の付き合いになる旧知の仲で、ある少女の専属SPをしている女執事だ。

 

 かつては幻影という呼び名で恐れられた凄腕の暗殺者でもあり、こうして姿を隠して様子を窺っている事など日常茶飯事。

 

 あまりにも日常的過ぎてミルも気配に慣れてしまったのか。隠れていても見破れるようになってきており、今更驚く事なんてなかった。

 

「それも、という事は次の調査依頼かしら? 今回は随分と早いのね」

 

 不思議そうにミルが話すのも無理はない。

 

 エルミは調査以来の仲介役を担っており、大体調査が終わって一月以内に次の依頼を持ってくる事が多いのだが、まだ一週間も経ってないからだ。

 

「ええ。今回はこの会社の……。いえ、そこの社長について依頼したい事があります」

 

 そう言うとエルミは一枚の紙をミルへと渡す。

 

 それはある傭兵会社の広告で、連絡先と依頼を求める旨が書かれていた。

 

「……ここってモニクが居る傭兵会社でしょう? モニクの成長に貢献してるようだから暫く様子を見るって少し前に言っていた気がしたのだけど、気のせいだったかしら?」

 

 モニクとはエルミが専属SPをしている少女の名だ。

 

 かつてエルミはモニクが傭兵会社に入社したと知った時、騙されて無理に働かされているのではないかと考え、無理やりモニクを連れ帰ろうとした事がある。

 

 しかし今はミルが言った通り、様子を見る事になっている筈だった。

 

「確かにモニク様は屋敷に居た頃に比べて随分と成長されました。外の世界に出て自ら仕事をこなしている事も大きいでしょうが、周囲の方にも恵まれているのでしょう。そのトップに立つ社長もそれなりの人物ではあると思われます」

 

「だったら――」

 

「ですが、そこに男女交際が絡んでくるとなれば話は別です。手紙で近況を報告して頂けた時は嬉しく思いましたが、社長に対する記述に深い感情が込められていました。このままでは交際でも始めてしまうのではないかと心配でなりません」

 

 冷静なエルミにしては熱の入った話し方。

 

「それなりの人物なのでしょう? 交際くらい許してはどう?」

 

 普段とは違う様子に若干の疑問を覚えながらミルは尋ねる。

 

「いけません。ワロキエ家当主とはいえ血筋や家柄に縛られ不本意な結婚をなさり、不幸になってしまう事は私も望んでいません。モニク様の幸せこそが第一であるべきだと思っていますし、その為ならある程度までの恋愛は自由であるべきとさえ思います」

 

 そこでエルミは言葉を区切ると、更に力強く語り出す。

 

「だからと言って、どこの馬の骨とも知れないような男との交際がモニク様の幸せに繋がっている筈がありません。幸い、モニク様は普段の行動力あるお姿とは違い、自分の想いには奥手で慎ましやかなご様子。不穏の芽が花となる前に摘み取れば、そう傷付く事もないでしょう」

 

「そういうものかしら? どんな形であれ失恋すれば傷付くものではないの?」

 

「……その可能性もあります」

 

 実の所、二人は恋愛経験がまるでない。

 

 お互い剣に暗殺に仕事に戦いと色恋沙汰とは無縁の日々を送ってきており、本などで得た知識こそ持っているものの、はっきり言って男女の機微どころかファッション一つ碌に解らなかった。

 

 ――具体的には、半ば痴女同然とも言えるミルの服装に、お互い全く違和感を覚えていないレベルである。

 

「とにかく二人の関係に動きが出てしまう前に何らかの手を打たねばなりません。交際を始めてから別れてしまった方が傷は深くなる。それだけは確かでしょうから」

 

「話は解ったけど、今は油断出来ない状況よ。いくらエルミの頼みだからと言って、そんな私事に付き合っている余裕なんてないわ。他に調べなきゃいけない場所なんて山ほどある。優先順位を間違えないでくれるかしら?」

 

 苛立ったようにミルが言うのも無理からぬ事であった。

 

 ミルが密かに名家の動向や精力調査を行っているのは、現在が戦時中であったり他にも複雑な事情が多々多々あるからだ。

 

 その調査は国、あるいは世界の命運にさえ少なからず絡んでいると言っても過言ではない。

 

 にも関わらず過保護でお節介にしか思えない恋愛干渉に協力しろと言われれば、怒りを覚えるのは当然だろう。

 

「誤解してもらっては困ります。いくら私がモニク様を大切に思っているとはいえ、立場や事情を放棄し、自分の目的の為だけに他人を巻き込んでまで監視したいとは思いません」

 

 ミルは目線だけで、エルミに話の続きを促す。

 

「調査に付きっきりだった貴女は知らないと思いますが、あの傭兵会社は随分と力を増してきています。暗黒戦士アンナや異界の刀士トウカなどを始め実力者を有してきているのもありますし、ミストルティンのアザミノ、地獄のオルフェなどを中心とした武具製造に置いては傭兵会社の域を遥かに超えているでしょう。その影響力は既に無視出来るものではなく各勢力が動向を気に掛けている程です」

 

(実力者の方は聞いた事もないが、職人の方は二人ともミステリオでも指折りの鍛冶師だな)

 

 エルミの言葉に、ミルは自分の記憶から二人の鍛冶師の噂を引っ張り出していた。

 

 ミストルティンと言えば古来より続く刀鍛冶の屋号だ。かつては刀の製造を一手に担いかねないほどの規模だったそうだが、今は随分と規模を縮小したらしい。けれど素晴らしい刀を製造し続けており、今でも一部の刀士には刀を卸し続けているという話だ。

 

 地獄のオルフェの方も凄腕の鍛冶師として知られており、あまりにも素晴らしい武器に魅入られ身を滅ぼした者も多いと聞く。

 

(確かに。売り出し中などと軽く見ていい勢力ではないな)

 

 そんな鍛冶師を新興の個人会社が有している事は確かに恐ろしい。

 

 しかし何より恐ろしいのは――

 

 既に一つの大勢力として成立し始めているにも拘らず、いまだ伸び盛りという事だ。

 

 このままいけば、どこまで規模を拡大していくのか解らない。

 

「今後どのように各国、各勢力へ関わっていくつもりなのか。社長の意向を調査し、監視する事は決して我々の目的からも外れないでしょう」

 

 ミルが事態を把握した事を態度から予測したのだろう。

 

 エルミは決して自分だけの私的な依頼ではないのだと説明する。

 

「なるほど。公も私も両方満たせるという訳ね」

 

 ようやくミルは納得と共に頷いた。

 

 公私混同ではなく、公私混合。

 

 モニクの恋愛と情勢把握。どちらにも上手い事、折り合いが付くという訳だ。

 

「ええ。そして有名になるという事は決して良い事だけではありません。危険もそれだけ増してきています」

 

 傭兵会社としての名声が上がれば上がるほど、大口の依頼。つまり実入りも大きい代わりに危険な依頼も増えてくる。

 

 そして、それを快く思わない者から攻撃される事も出てくるだろう。

 

「これは私的な頼みになってしまいますが、もしもの時はモニク様を助けては頂けませんか?」

 

 日を重ねる毎に加速度的に増していく危険。

 

 本当に力ある者が妨害程度の軽いものでなく、命を含め全てを奪い去ろうと襲い掛かってきた時、力を付けてきているとはいえ防ぎきれるのか。

 

 防ぎきれなかった時、犠牲になるのはモニクにならないだろうか。

 

 その心配こそが、エルミがミルへと依頼を持ってきた最大の理由なのかもしれなかった。

 

「……私には敵を倒す事は出来ても誰かを守るような力なんてないわよ?」

 

 エルミの期待に気付いたからこそ、ミルは否定的な言葉を返す。

 

 自分の力は決して小さくはない。

 

 自惚れでなく、事実として把握している。

 

 けれど同時に――

 

 エルミの期待に応えられるほどの力は持ってないとも感じていたからだ。

 

「それでも構いません。もし貴女が傍に居てそれでもどうにもならなかったのなら、その時は……」

 

 そこでエルミは言葉を止めてしまった。

 

 止めた先にあったのは『諦めも付く』という短い言葉。

 

 けれど本当にそんな事態が来てしまえば、想像の中でさえ割り切る事が出来ない程にモニクはエルミにとって大きな存在であったのだ。

 

「調査だけが私の使命ではないわ。モニクに構っている余裕まであるかどうか……」

 

 ミルの言葉は嘘ではないものの決して本音でもない。

 

 何かあった時、余力が仮にあったとして。

 

 それでも自分にはモニクを守り切れないのではないか。

 

 そんな自信のなさが逃げる為の建て前の言葉を並べさせていた。 

 

「存じています。自らの役目を最優先して頂いて構いません。余力があればで結構です。気に掛けて下さるだけでも、お願い出来ないでしょうか?」

 

 そんなミルの気持ちを知ってか知らずか。

 

 エルミは変わらない静かな口調とは裏腹に、縋り付くように頼み込む。

 

「……使命が最優先よ?」

 

 結局、ミルにその頼みを断り切る事は出来なかった。

 

 それが旧知の仲であるエルミの頼みだったからか。

 

 それとも他に理由があるのか。

 

 ミル本人にさえ解らなかった。

 

「お心遣い感謝します」

 

 未だモニクを失う想像を引きずっていた上に頼みを受けてくれて安心したのだろう。

 

 僅かに震えた声で礼の言葉を口にするエルミに、ミルは思わず目を丸くした。

 

「……随分と情が深くなったものね」 

 

 人の心を持たない無情の暗殺者。

 

 かつてのエルミはそんな言葉が浮かぶほど、無機質で冷たく。依頼を黙々とこなしている印象が強かったからである。

 

「何とでも仰ってください。今の私にモニク様以上に大事な事など有りはしないのです」

 

 エルミ自身、自分が変わってしまった事を感じていた。

 

 いや、それだけでなく変わってしまった自分を恥じている。

 

「冗談よ。だからそんな顔しないでほしいわ」

 

 別にミルは責めたい訳でも、からかいたい訳でもなかった。

 

 ただ見た事がないエルミの一面が新鮮で、それが思わず口に出ただけ。

 

 自分の気遣いのなさが嫌で、茶化すように誤魔化してしまう。

 

「それにしても――」

 

 これ以上、この話題を続けても空気が重くなるだけだと思ったのか。

 

 エルミが話題を変える。

 

「依頼主と話していた時と随分と話し方が違いますね。ころころと口調を変えて疲れたりはしないのですか?」

 

 次の話題は剣術指南をしていた時のミルの様子について。

 

 今のミルは柔らかく砕けた口調で話しているが、依頼主と話している時はエルミによく似た丁寧な話し方をしていたのだ。

 

「ローズや貴女と話している時まで堅苦しい丁寧な口調で居る方が変だと思うわ」

 

 ローズとはミルの剣士時代からの友人で高名な剣士である。

 

 どのくらい高名かと言えば、公国の人間に最強の剣士は誰かと聞けば、十人に九人はローズと答えるレベルだ。

 

 ローズの事はさておき――

 

「むしろ誰にでも同じ話し方している貴女の方がまずいんじゃない? プライベートと仕事では口調は使い分けた方がいいんじゃないかしら?」

 

 ミルとエルミは口調に付いての話し合いは続く。

 

 自然と変わるではなく、変えた方が自然に見えるのではないかという相談。

 

 どうすれば普通の人に見えるか。どうするのが自然なのか。

 

 裏を返せば――

 

 そうして意識して演じなければ自分達は普通に見えない。

 

 そう言っているのと同じだった。

 

「私は相手次第で口調を変えるような訓練は受けませんでしたが……」

 

「暗殺と執事業には必要ないから教えなかったのかしら? それとも変えない方が自然なのか。気になるわ……」

 

「任務に支障が出るのであれば、街などで調査してきますが?」

 

「そうね……。今の私の話し方に違和感を覚えたりするかしら?」

 

 わざわざミルが自らの口調を気にするのには理由があった。

 

 ミルの元々の口調は、ぶっきらぼうで飾り気がないものだ。

 

 それはミルの深い部分に根付いてしまっており、考え事や独り言など誰かを相手にしていない時や無意識の時に顔を出す。

 

 今こうしてエルミと話す時などに使っている口調は、ローズなど友人の口調を真似ているものでしかない。

 

(少しは普通の人らしく振舞えてるだろうか)

 

 ミルは魔族などではなく生物学的に見れば完璧に普通の人間だ。

 

 けれど物心付いた時には剣を持ち、剣を捨てるまでの間は脇目一つ振らず剣と共にあった。

 

 その為、知識や感覚が一般と大きくズレてしまっており、そのズレは時として誤解や悲劇を生む。

 

 その事を知っているからこそ、ミルは自分の口調や振る舞いを気にするのだった。

 

「いいえ。口調を使い分けている理由が気になっただけで、話し方そのものには違和感はありません」

 

「それならいいわ。今は任務を最優先しましょう」

 

「解りました。任務に必要なものなどがあれば仰って頂ければ幸いです。出来る限りの協力は致します」

 

「ありがとう。感謝しているわ。剣を捨ててからというもの、貴女には世話になりっぱなしだものね」

 

「礼には及びません。お互いの利害が一致しただけです」

 

「それなら必要以上に感謝はしないけれど、言いたい事が一つあるわ」

 

「何でしょうか?」

 

 わざわざ話を区切るようにして放たれたミルの言葉に、見当も付かないといった様子でエルミが尋ね返す。

 

「剣の代わりに短剣の扱いや暗殺者の技を教えてくれたのはいいけど、何も執事の応対まで教える事はないでしょう?」

 

「バトラーに何かを習うという事はバトラーの全てを教わるという事です。旧知の仲であれ、欲しい技術だけを選り好んでお教えするという訳にはいきません」

 

 口調の話題の切っ掛けとなった依頼主などに対するミルの丁寧な対応。

 

 それはエルミ本人がミルへと教えたものだった。

 

「本当に融通が利かない人ね」

 

「性分ですので」

 

 しれっと答えたエルミの姿に、ミルは妙な親近感を覚える。

 

(暗殺術や隠密行動なら、いくらでも融通を利かせられるだろうに……)

 

 エルミの技は多彩にして豊富で、状況に合わせていくらでも形を変え適応する。

 

 本人は融通一つ利かない堅物なのに、だ。

 

(だからかもしれないな。一番付き合いが長いローズよりも話しやすく感じるのは……)

 

 そういう意味では二人はよく似ていた。

 

 ミルが普段の丁寧な態度や柔らかい物腰は、そういう態度を取っていれば一番トラブルが起き難いからという打算的な理由でしかなく、あくまで表面を取り繕っているに過ぎない。

 

 誰も居ない場所や無意識の時の垣間見える飾り気のない口調、そして成果や効率で物事を判断したがる無機質な思考こそがミル本来の姿なのだ。

 

(私も剣なら何でも出来たのだけどな)

 

 そして今でこそ剣を捨てたミルだが、常識に捉われない自由な発想と磨き抜かれた技術が生んだ独自の剣は、剣の枠すら超えるほどに変幻自在であったと言っていい。

 

 どこか平坦で歪な対人能力とは反対に、豊かで変化に富んだ戦闘技術。

 

 それは人間関係を育んだ時間より、戦いに明け暮れた時間が多い事の証明である。

 

 ミルとエルミの共通点であり、親近感を覚える最大の理由がそこにあった。

 

(けれど私とエルミには大きな違いがある)

 

 言葉より雄弁に自らを語れる筈の剣と暗殺の技。

 

 けれどミルは剣を捨て。

 

 エルミは弱くなったし執事業の裏に隠れてこそいるが、未だ暗殺者である自分を持ち続けている。

 

「どうかしましたか? 珍しい表情をしていますが」

 

「いいえ、何でもないわ。少し過去の事を思い出していただけよ」

 

 エルミの声に自分が思った以上に考え込んでしまっていた事にミルは気付き、努めて冷静に言葉を返す。

 

「左様ですか」

 

 それほど興味がないのか。

 

 エルミが追求する事はなかった。

 

「とりあえず傭兵会社の調査という事は入社しない事には始まらないわね。今はどんな求人があるのかしら……」

 

 無駄を嫌い、効率を求める二人にしては珍しい長話は終わり――

 

 ようやく依頼の話に戻る。

 

「募集中の求人は全てこちらに纏めてありますし、履歴書の用紙も用意してあります。封筒はここです」

 

 予め準備していたらしく言葉と共にエルミが書類を差し出す。

 

 ミル向けの求人には全て付箋が貼ってあり、隠し持っていた筈の履歴書の用紙には皺一つない。

 

 そして極め付けに目を惹く黒封筒。

 

「……準備いいのね」

 

 あまりにも完璧過ぎる用意に逆に呆れてミルの口から声が漏れた。

 

「執事ですから」

 

(それは何か関係があるんだろうか……)

 

 何を当たり前の事を、と言わんばかりのエルミの姿にそんな事を思いつつも、ミルは口に出さない。

 

 口に出してしまえば、執事とは何なのか。エルミが延々と語り出すのが目に見えていたからだ。

 

(さて、何を書こう……)

 

 剣を捨ててしまった自分に、会社に示せるだけの何かがあるのだろうか?

 

 そんな想いに駆られながらミルは履歴書を見詰めるのだった。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

「ミル・ド・レイユと申します。騎士は廃業しましたが、何かとお役に立てる筈です」

 

 履歴書を送ってから数日後。

 

 一度、会社に来て欲しいという連絡を受けたミルは指定通り会社を訪ねていた。

 

 広報部に用意された応接スペースに案内されたかと思うと、すぐに面接が始まった。

 

「始めまして。履歴書の方は拝見させて頂きました。廃業の理由は怪我だそうですね」

 

 机を挟み、向かい合う先に座っているのは社長。

 

 履歴書を見ながらミルへと質問を投げかける。

 

「ええ。ですので魔物や盗賊の討伐や退治といった仕事は難しくなってしまいました。そんな中、剣術指南の求人をこちらが出しているのを目にし、応募させて頂きました。怪我こそしましたが知識自体は変わらず残っていますから」

 

「なるほど……」

 

 納得したように頷く社長の姿にミルは戸惑いを覚えずには居られなかった。

 

(……暗殺の可能性を考慮していないのだろうか? これほど隙だらけの人間を見るのは久しぶりかもしれない)

 

 というのも、時折、履歴書の方に目を落としているものの基本的にはミルの方を向いている。

 

 けれど、不意打ちされるなんて全く考えてなさげな無防備な姿なのだ。

 

 いくら経営などを専門にしているとはいえ、傭兵会社のトップという情報からミルが想像していたイメージからは、あまりに遠い。

 

(これならば短剣を喉に投げれば一瞬。素手でも殺すのに五分と掛からないだろうな)

 

「備考に短剣の扱いとありますが……」

 

 物騒な事を考えているミルに気付きもせず、社長は質問を続ける。

 

「剣を捨てたからといって周囲が私に合わせて安全になる訳ではありませんので」

 

「自らの身を守る新しい技という事ですね。どのくらいの練度なのでしょうか?」

 

「そうですね。小さな部屋程度の距離で動いていない的でしたら、掌くらいの大きさまでなら外す事はないと思います」

 

「ふーむ……」

 

「何か気になる事でもありますか?」

 

「その、あまりおおっぴらにしたい話ではありませんが、社内業務とはいえ決して安全とは言えません。相手が会社に乗り込んできた事もあります」

 

 ここでいう乗り込んできたとは依頼の為に直接やってきたなどという優しい話ではない。

 

 殴り込みや襲撃といった意味合いの言葉だ。

 

「賊の討伐依頼など受けているでしょうし、逆恨みもされるでしょう。そういう事が起きていても不思議ではないと思います」

 

 ミルもそれを解った上で返答する。

 

「ええ。そんな事はなるべく避けようと考えていますが、それでも起こってしまう時はあります」

 

「解ります」

 

 避けようと思って避けられるものではない。

 

 もしそれでも全て避けられると思う人間は、何もかも甘過ぎる。

 

「その時の対処や迎撃などの用意はありますが、最悪、自分の身は自分で守らなければいけない。そしてその可能性は決して低いとは言えない状況です」

 

 そういう意味では対策もしており、その上で尚、絶対的な安全は有り得ないと考えている社長の防衛意識は中々のものと言えるだろう。

 

「なるほど。剣を捨てた私にその力があるのか気になるという事ですね」

 

(ふむ。少しはエルミが安心出来る報告が出来そうだ)

 

 そして、それはミルには好印象だった。

 

 本人が観察されている事にさえ気付いてないくらい隙だらけな事さえ省けば、防衛意識には特に問題ないとミルは判断する。

 

「……率直に言うとそうなります。私は戦いに関しては素人同然です。ですが剣を振れなくなるほどの怪我が大きく、それが戦闘に与える影響が計り知れないだろう事の想像くらいは少しならば出来ます」

 

「事前に説明して下さっているのに入社を希望しているのは、こちらです。仮にそうなったとしても自身の身を守れなかった私の責任だと思いますが……」

 

 その辺りの危険を加味した上での給料や報酬だと思うし、釣り合ってないなら仕事を受けないだけだとミルは思っている。

 

 そして求人を見る限り、その危険に見合うだけの給金は十分以上に出しているように見えた。

 

 それなのに社長が何に戸惑っているのか、ミルには理解出来なかった。

 

「……確かに貴女が危険を承知の上で入社し、報酬や手当に満足しているならそうなのかもしれません」

 

 傭兵として見れば確かにミルの考えは正しい。

 

 例えば魔物討伐の仕事を引き受けて魔物に殺されたなら、報酬に目が眩んで実力以上の仕事を請けた傭兵が悪い。

 

 危険度と報酬、そして自分の腕。

 

 それらを計算し成果を得ようが、計算を間違えて命を失おうが、それは傭兵本人の問題でしかないのだ。

 

 ――逆に、依頼料を節約して護衛に裏切られた場合は依頼者が悪いと言える。

 

「ですが、それでも――」

 

「ったく、さっきから聞いてたら随分まどろっこしい話してんなー」

 

 そんな損得勘定だけで割り切れず、話を続けようとした社長の言葉を寸断する第三者の声が割り込んできた。

 

「アザミノ!」

 

 声だけで誰か解ったらしく、驚きと共に社長が顔を向けてみれば――

 

「よう、社長。いつにも増して堅苦しい話し方してるじゃないか」

 

 社長の予想通りの女性がそこに居た。

 

 親しみやすい快活な話し方、引っ掛けただけで胸元が大きく開いた着物の着こなし。そして飲んでなくても何故か漂う酒の匂い。

 

 大体の人間が、一目見るだけで彼女の豪快さや破天荒ぶりを何となく感じる事が出来るだろう。

 

 そしてそれは決して間違いとは言えない。

 

 ゲテモノ食いな上に酒に目がない上、後先考えないずぼらな部分が目立つ事から、ちゃらんぽらんが服を着ていると評する人間も居るくらいだ。

 

 けれど刀の腕は社内有数の実力者であり、大陸全土に名前が知れ渡っている超一流の鍛冶師でもある。

 

 破天荒さと職人気質を併せ持つ、規則や社会性に馴染み難い自由な芸術家のような女性。

 

 それが彼女、アザミノ・ハレンだ。

 

「……今日は鍛冶の方が忙しいって言ってなかったかい?」

 

「ちょっと前に終わってね。それで様子見てたら回りくどい事ばっか話してるから、思わず出てきちまったよ」

 

 覗き見していたとは思えないくらいアザミノに悪びれた様子がないのは、何も性格だけの問題ではない。

 

 気付いてなかったのは社長だけで、ミルはアザミノが来た瞬間から気付いていた為、覗き見していたという気がしないのも理由の一つであった。

 

「自分の身を守る力があるかは重要じゃないか」

 

「ああ。それは否定しないさ。最低限、自分の身くらい守れないヤツはさすがにウチでやっていくのは厳しいね」

 

「だろう? だから今どれくらい戦えるのか聞こうとして……」

 

「それがまどろっこしいって言うんだよ。要するに、それなりに戦えるかどうか解りゃいいんだろ? じゃあ話は簡単」

 

 そこで言葉を区切るとアザミノはニヤリと微笑む。

 

「まさか――」

 

「私と思う存分、戦えばいいのさ!」

 

 その姿に社長の身体に嫌な予感が駆け巡り口を挟もうとするが、それを待ってくれるアザミノではない。

 

 名案だろうと言わんばかりに物騒な提案をする。

 

「そう言うと思ってたから君が居ない時に来て貰ったのに……」

 

「大丈夫だって。ちゃんと峰打ちするし、あばらの一本や二本折れた所で死にゃあしないさ」

 

「そこは折らない努力をしてくれ……」

 

「オイオイ、自分の身を守らなきゃいけないような時に相手が怪我しないように手加減してくれるかい? それに社長。戦うかどうか決めるのはあっちだ。私達がどうこう言ったって始まらないだろ?」

 

「それはそうなんだけど……」

 

 やる気満々のアザミノと違い社長はノリ気でない。

 

 確かにアザミノの言葉は正しい。

 

 そして社内でも指折りの実力者であるアザミノと戦えるのなら、確かに身の安全を気にする必要はないだろう。

 

 だが、そもそもアザミノとの戦闘での身の安全が全く保障されてなかった。

 

「私は構いませんよ。その方の言う通りだと思いますしね」

 

 社長の心配を余所にミルは気楽な調子で引き受ける。

 

 けれどそれはアザミノの実力と性格を解ってないからだろうと思い、止めようと考える社長だったが――

 

「お、いいねいいね。そうこなくっちゃ」

 

 社長が口を挟むよりも早く、アザミノが返答してしまっていた。

 

 こうなっては、もう止められない。

 

「今はモニクもトウカも依頼で居ないんだから、あんまり無茶しないでくれよ……」

 

「大丈夫大丈夫。まあ大人しく見てなって。社長が心配しているような事にはならんだろうからさ。……それより私の心配をしてた方がいいかもしれないぞ」

 

 諦めたように話す社長に気楽な様子で答えるアザミノだったが、不意に真面目な声で不安を煽るような言葉を付け加えた。

 

「え? それはどうい……」

 

「それじゃあ付いてきてくれるかい?」

 

 社長が言葉の意味を問い掛けるよりも早くアザミノはミルへと話掛け、どこかへ向かって歩き始める。

 

「ええ。解りました」

 

 音も無くミルは立ち上がると流れるような動きでアザミノの後を追っていく。

 

 動いているのが見えているのに自然過ぎて気にならない不思議な動き。

 

「あ、待って。僕も見学させてくれ」

 

 遠のいていく背中にようやく自分だけ動いてない事に気付いた社長は、慌てて二人を追って歩き始めるのだった。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

「さーて、それじゃあ始めようか」

 

 アザミノが向かったのは社長室だった。

 

 机の他に調度品がいくつか置かれているものの、そもそもの間取りが広めに作られているのもあって狭さは感じない。

 

 戦うには十分な広さがある。

 

「ここでやるのですか? 訓練場などには見えませんが……」

 

 だからといってミルが戸惑いを覚えずに居られるかと言えば無理な話だ。

 

 いくら社長室の割りには広いとはいえ、訓練場などと比べてしまえば広さもそうだが、作りがまるで違う。

 

 戦えと言われれば戦うのは難しくないが、物を壊さない自信はあまりない。

 

「ん、ああ。もし襲撃された時に机とかが邪魔で戦えない、なんて事になったら笑えんだろ。特にアンタは社内勤務希望だそうじゃないか。ここで戦える事が解るのが一番だろ」

 

「より実戦向けの訓練という事ですね」

 

「そういう事。だから実戦のつもりで戦ってくれて構わないし、わざとじゃなきゃ物はいくら壊して貰ったって構わない。命には代えられんしな」

 

 なあ、と言わんばかりにアザミノが社長に顔を向けると社長は渋い顔をしながらも、しっかりと頷く。

 

「なるほど……」

 

 実に理に適った訓練だとミルは納得感に思わず声を漏らした。

 

 確かにどれだけ訓練場で上手く戦えたからといって、ここで戦えないようなら大した意味はないだろう。

 

「解ってくれたんなら始めたいんだが……」

 

 アザミノは刀を抜いてミルに話し掛ける。

 

 それは自分は武器を構えたからミルも戦う準備をしてほしいという合図でもあったのだが――

 

「ええ。お手柔らかにお願いします」

 

 ミルは解っているのか、いないのか。

 

 直立不動のまま静かに答えた。

 

「武器必要なら余ってるの貸すぞ? それとも素手の方が強かったりするのかい?」

 

「自前の物を持っていますので必要だと感じたら抜かせて頂きますよ」

 

 静かに話すミルには、言葉にも表情にも気負いというものがない。

 

 ミルとアザミノの間には僅かながら距離があるとはいえ踏み込めばすぐにでも無くなる程度の距離。

 

 決して安全と言える程、離れている訳ではない。

 

「お、私相手に武器抜かないとか。何だ、戦えないとか言ってた割りに結構余裕じゃないか」

 

「そういう訳ではありません。武器を持つとどうしても攻撃に意識が向いてしまうので、まずは避けるのと見る方に専念させて頂こうと思いまして」

 

 にも拘らず、アザミノと話すミルの態度は驚くほどにリラックスしたものだった。

 

 まるでアザミノが持っている刀なんて見えてないかのようだ。

 

「そうかい」

 

 その様子を見てアザミノは戦う覚悟を決める。

 

 ミルの態度の裏に隠されているのが余裕か、油断なのか。

 

 戦わなければ解らないと思ったからだ。

 

「武器さえ構えてないヤツに斬り掛かるってのは変な気分だが、そっちがそれでいいってんなら遠慮しないよ!」

 

 言葉と共にアザミノが打ち掛かる。

 

 鋭い踏み込みは一瞬で間合いを潰し、間髪入れず斬撃がミルへと襲い掛かった。

 

 旋風を思わせるほどに速く鋭い斬撃。

 

 初撃が避けられても意にも介さず、二撃、三撃と立て続けに放たれたアザミノの刀がミルを追う。

 

 避けられる度に勢いを増していく刀は、今や旋風どころか全てを薙ぎ払う暴風。

 

 激しさを帯びて縦横無尽に荒れ狂う刀に巻き込まれた机や椅子が砕け、破片となって辺りへ撒き散らされていく。

 

 数分もしない内から、もはや室内は嵐でも巻き起こったかのように無茶苦茶だ。

 

(これって峰打ちしてても意味ないんじゃないか?)

 

 ここまで来ると逆に物が壊れていくのが当たり前に見えて気にならない。

 

(頼むから取り返しの付かない怪我だけはさせないでくれよ……)

 

 けれど人間の話となれば別。

 

 手加減なんて一切してなさそうなアザミノの刀がミルに怪我させないかが気掛かりだった。

 

 しかしそんな社長の心配とは裏腹に――

 

(こりゃあ、まいったね……)

 

 冷や汗を流していたのはミルではなくアザミノの方だった。 

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

(こりゃあ、まいったね……)

 

 アザミノとミルが戦いを始めてから数分。

 

 休むことなく刀を振り続けているにも拘らず、一度たりとも掠った手応えさえ感じてない事にアザミノは焦りを感じていた。

 

(戦えないと言っちゃあいたが面接してた時から隙なんて見当たらなかったし、ただ者じゃないのは最初から解っていたつもりなんだがな)

 

 だから手を抜かず、当たれば骨の一本や二本くらいは本当に折れても仕方ないくらいの気持ちでアザミノは打ち込んできたつもりだった。

 

(だってのに当たる気が、いや、刀が届く気さえしやしない……)

 

 当たるとか当たらないの次元ではない。

 

 まるで遥か遠くを飛んでいる鳥に向かって刀を振っているような、そんな感覚がアザミノの身体を支配している。

 

(武器を見て剣筋を見れば大なり小なり、どんな奴か解るたぁ思ってたし、今だってその考えは変わっちゃいない)

 

 それは決してオカルト染みた話ではない。

 

 武器の摩耗具合は戦闘経験と修練の濃さを物語るし、戦い方に急所や致命傷を狙う癖が付いているかなどが解れば命をどう扱う人間かの判断に大きく役立つ。

 

(けど刀を交える事さえさせられん)

 

 しかし武器や剣筋以前に、そもそもミルは武器を取り出してすらいないのだ。

 

 今の状態はアザミノが振り回す刀をミルが避けているだけ。

 

 戦いにさえなってない。

 

「はは。アンタで戦えないってんなら、うちの会社に戦えるヤツなんて一人も居なくなっちまうよ」

 

 決して自分は弱くない。

 

 むしろ並の剣士や刀士よりも確実に強い。

 

 アザミノはそれを知っているからこそ、そんな言葉を放つ。

 

「そんな事はありません。避ける事に専念していなければ、もう既に勝負は付いているでしょう」

 

「よく言うよ。それともそっちの勝ちでけりが着いてるって話かい?」

 

 ミルの言葉に短く答えると、アザミノは刀を構え直す。

 

 実力は十分解ったし、ここで刀を収めてよかった。

 

 採用だ、と会社に入った頃のアザミノなら声をあげていただろう。

 

(けど、腕だけじゃないんだ。知りたいのは)

 

 そんな事を考えたアザミノの脳裏に浮かぶのは少し昔の記憶。アザミノが会社に入って暫くしての事だった。

 

 ふらりと魔法使いを名乗る女性が会社の面接にやってきた。

 

 当時、魔法使いとは名ばかりで碌に魔法も使えない人間しか面接に来ない中、その女性は見事な魔法を使いこなし、アザミノを含めた会社の全員が彼女の入社に賛同した。

 

 だが彼女が会社に来たのには仕事以外の目的があり、その目的の為に会社は少なくない損害を受け、下手をすれば潰れていたかもしれない。

 

 最終的には全て丸く収まった。

 

 問題だった女性とは和解し、今では正式な社員となって献身的と言ってもいいほど懸命に働いてくれている。

 

(けど、アレは運が良かっただけだ)

 

 もし当時、彼女が社長を殺してでも目的を遂げたいと思っていたなら、その時に社長は死んでいた。

 

 それは社長だって解っている。

 

 そうならなかったのは彼女が恨みの無い人間を殺してでも目的を遂げる事なんて出来ない人間だったからだ。

 

(今回もそうだなんて保障なんざどこにもない)

 

 もしミルが誰かの暗殺や重要な情報を奪う為に来ているとしたら?

 

 そして目的の為に躊躇するようなタイプでなかったとしたら?

 

(ある程度は社長だって覚悟の上だ)

 

 外部の人間と一緒に仕事を受けるどころか、明らかに会社を調査しに来た諜報部の人間と社員寮で過ごした事だってある。

 

 下手をすれば何か重大な事件が起きていた可能性は十分あったものの、自分やモニク、アンナだって居るし他に何人も社員は居る。

 

 どうにかなるだろうと思っていたから多少の危険には目を瞑っていた。

 

(けど、コイツは強過ぎる)

 

 元剣士だと名乗っていたし確かに動きの節々に剣士の匂いは感じている。けれど軽快な身のこなしは一流、いや、超一流の暗殺者に勝るとも劣らない。

 

 正面から何人かで戦ったとしても厳しそうだが、もし隙を突いて社長を殺そうとしてきたなら止められる自信がなかった。

 

(らしくない事考えてるもんだ……)

 

 アザミノは自分自身でそんな事を思う。

 

 酒を飲み変わった物を食べ、武器を打ち、刀を振るう。

 

 そんな生き方が好きだったし、今でもそれは変わってない。

 

 けれど彼女が会社に入ってから随分と時間が経った。

 

 最初は数えるほどしか居なかった社員も今では随分と増え、アザミノはもう会社内で古株と言ってもいいだろう。

 

(愛着が湧いたってやつかね……)

 

 気付けば、この会社が好きになっていた。

 

 この場所や仲間達の事を大事に思うようになっていた。

 

(一回だけで良いんだ。せめて武器を抜かせてみせる!)

 

 そう思い、アザミノが捨て身の覚悟で飛び込もうとした瞬間だった。

 

「肩に力が入り過ぎています」

 

 場違いなまでに静かな声が響き、思わず足を止める。

 

「先程までの貴女ならともかく、今の貴女では私に刀を届かせる事は難しいでしょう」

 

 その言葉にアザミノは改めて自分の姿を確認してみる。

 

(ははっ、戦場に出たばかりの新兵みたいにガチガチじゃないか……)

 

 肩どころじゃなかった。

 

 腕は力の入れ過ぎて凝り固まり、足は地面にべったりと根を下ろしていた。

 

 こんな状態では思い通りに刀を振る事なんて到底出来はしないだろう。

 

(ったく、本当にらしくない……)

 

 アザミノは一度、構えを解いて深呼吸する。

 

 隙だらけになるが気にしない。

 

 もしミルが単純に自分を倒したいだけなら、倒す機会なんていくらでもあった。助言なんてわざわざする必要なんて無い筈。

 

「悪いな。アンタがあまりに強過ぎるもんで、柄にもなく緊張してたみたいだ」

 

「お褒めにあずかり光栄です」

 

 予想通り。

 

 準備が整うまで律儀に待ってくれたていたミルに声を掛け、アザミノは刀を構え直す。

 

 もう会社の為に剣を交えたいなんて考えはアザミノの頭の中から消えていた。

 

 今の彼女の頭の中にあるのは目の前に居る強い相手と思う存分戦ってみたいという刀士として戦闘欲求だけだ。

 

(細かい事はモニクなり社長なりが考えてればいい。私にゃ刀と酒と戦いがあればそれで十分だ!)

 

 身体が軽い。

 

 刀は自分の身体の一部のように重ささえ感じない。

 

「誰でもいい! どっちか怪我すると思うから手の空いているクレリックにでも声掛けてきてくれ!」

 

 叫ぶように治療役をアザミノは要請し――

 

 刀士の感覚の赴くまま、ミルへと切り掛かっていく。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

(良い腕だ……)

 

 鼻先を掠めるように走ったアザミノの刀に、ミルは素直にそんな事を思う。

 

(基本は戦場など実戦の場で戦い続ける事で力を付けてきたのだろう。乱戦になり易い戦場では下手に格式ばった剣術よりも力と速さこそがものを言う)

 

 もうアザミノの刀を交わすミルに今までほどの余裕はない。

 

 刀は何度も薄肌を掠め、僅かに切られた皮からは少しだが血が滲み始めている。

 

 もし一瞬でも反応が遅れればアザミノの刀はミルの身体を捉えるだろう。

 

(その豪速の剣をより強固なものにしているのが磨かれた確かな技)

 

 一見すると荒々しく見えるアザミノの剣だが、ただ力任せに乱暴に剣を振るだけでは暴風と言えるような剣速は出ない。その剣速を生み出しているのは実戦経験だけでは身に着けるのが難しい洗練された技術。

 

 それは刀士であるだけでなく刀鍛冶でもあるアザミノが、武器を納品する中で多くの剣士と出会い学んできたものだった。

 

 実戦で身に着けた力。

 

 交流の中で学んだ技術。

 

 その二つが合わさって初めて暴風の如きアザミノの剣が生まれるのだ。

 

(これほどの剣の使い手は騎士達の中でもそう多くはなかった。単純な戦闘力だけなら副団長クラスに匹敵するな)

 

 実の所、刀捌きなどではミルからアザミノに指摘したい事は特になかった。

 

 それはミルが剣の扱いには詳しくても刀の扱いにそれほど詳しくないから、教えられないという部分も少しはある。

 

 しかし単純にアザミノの力が教える事などないくらい大きいのだ。

 

(それだけに惜しい)

 

 それでもアザミノの刀がミルを捉えられないのには訳があった。

 

(戦い方が豪快過ぎる)

 

 凄まじく速い剣が縦横無尽に、そして絶え間なく襲い掛かってくる。

 

 それは確かに脅威ではあるが速度とリズムに慣れてしまえば避け切るのは無理でも、直撃を避けるくらいならミルには造作もない事だった。

 

(もう少し虚実に気を付ければ戦い方に幅が出来るだろうに)

 

 虚実。

 

 いわゆるフェイントと呼ばれる技術などを指す言葉だ。

 

 アザミノの剣には相手を惑わし意表を突く、そういう感覚が足りないようにミルには思えた。

 

(それにしても、避けているだけでは採用してもらえないのか……)

 

 ミルがアザミノの剣について思考している間も攻撃は止まる事無く続いている。

 

 いくら直撃は避けているとはいえ、掠めるように付けられた傷の数はもう二つや三つといった話ではない。

 

 避け続ける自信はあったが、長引けば万が一は十分あり得る。

 

(仕方ない)

 

 正直、ミルは戦いたくなかった。

 

 避けて逃げ回る事しか出来ないと思ってくれれば、剣術指南や調査、資材管理といった裏方的な仕事が回ってくるだろう。

 

 けれど、それなりにでも戦える事が解れば魔物の討伐など戦うような仕事が増えてしまう。

 

 そうなっては調査や監視が難しくなる。

 

 そう考えていたからだ。

 

(採用されなければ話にならないしな)

 

 アザミノの刀を避けながらミルは両手首を僅かに動かす。

 

 遠目には何もしてないように見えるほどの小さく速い動き。それだけの動作でミルは袖の中に仕舞っていた短剣を取り出すと素早く構えた。

 

(時間稼ぎは、もうお仕舞い)

 

 勝つにせよ負けるにせよ、決着を付ける為ミルが動き始める。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

(元剣士だって言ってたけど投げナイフが戦闘スタイルなのか?)

 

 武器を取り出したミルの姿にアザミノは僅かに逡巡する。

 

 というのも武器こそ持っているが、だらりと両手を下げた姿勢はとても接近して戦う構えには見えなかったからだ。

 

(小さい部屋でなら的は外さないって言ってた気はするが……)

 

 まさか手で持って斬り付けるなら外さないも何もないだろう。

 

「いきますよ」

 

 迷いを覚えたアザミノに警告でもするかのような静かな声が響いたと思った瞬間――

 

(速い!)

 

 ミルが滑るように真っ直ぐアザミノへと急接近する。

 

 速い事は速いが、本来ならアザミノが戸惑う程の速さではないのかもしれない。

 

 しかし今までヒラヒラと避ける動きに目が慣らされていた上に、投擲を警戒していた為、反応が大分遅れていた。

 

 アザミノが体勢を整えた時には既にミルは軽く手を伸ばすだけでも届く距離まで近付いている。

 

(くっ、近過ぎる!)

 

 それは長い刀でなく、文字通り短い短剣を自在に振り回せる間合いだ。

 

(何かヤバイ感じだぞ……)

 

 戦闘経験を積み重ねてきたアザミノの勘が危険を知らせていた。

 

 反撃など考えず、全神経を防御と回避に集中させると同時にミルの短剣が襲い掛かってくる。

 

 攻撃と呼ぶには静か過ぎる攻撃だった。

 

 例えるなら水。

 

 防御の隙間に流れ込むように短剣が入り込んでくる。

 

 速く鋭いのに、それを感じさせない滑らかな短剣捌きは刀で弾く事どころか触れる事さえ許さない。

 

 それでも何とか直撃だけ避けられたのは、触れないなりに刀でミルの攻撃を妨害し、回避に専念していたからだ。

 

 もし少しでも反撃しようとしていれば、アザミノは今の攻防でミルに破れていただろう。

 

「素晴らしい判断力です」

 

 ミルの攻撃の切れ目に全力で後ろへと飛び退いて距離を空けた瞬間、飛んできたのは短剣でも何でもない称賛の言葉だった。

 

(ったく、こっちは必死だったってのにそっちは指南気分かい……)

 

 刀士、というよりも一人の戦うものとして僅かな悔しさを覚えるアザミノだったが、同時に納得感もある。

 

(もし持ってたのが剣で実戦だったなら、今ので私は四回か五回くらい死んでたね……)

 

 文字通り短い短剣だったからこそ、何とか避け切る事が出来ただけ。

 

 本来なら相手にならないくらいの差がある。

 

(けど、だからって諦めてやるほど私は利口じゃないんだ!)

 

 余裕ぶれるだけの実力差があるのは認めても、それで素直に負けを認められるかと言ったら別問題。

 

 アザミノは臆する事なくミルへと切り掛かっていく。

 

 今まで通り避けられる事を前提とした斬撃。

 

 それでも手数と体力に任せ、当たるまで攻撃する予定だった。

 

 けれどアザミノの予想に反し、刀はミルの身体へと吸い込まれていき――

 

(防がれた……)

 

 当たる直前、ミルは器用に短剣で刀を弾いて直撃を回避した。

 

 けれど弾かれたとはいえ、避けられ続けた中で初めて感じたアザミノの手に残る感触。空振りや掠めただけとは違う確かな手応え。

 

 ――武器を持つとどうしても攻撃に意識が向いてしまうので、まずは避けるのと見る方に専念させて頂こうと思いまして。

 

 ふと、アザミノの頭に戦い始めに放たれたミルの言葉が思い出される。

 

(あれは冗談とか遠慮しての言葉じゃなかったって事かい?)

 

 半信半疑ながら、今までは掠りこそしていたものの当たったと言えるほど深く刀が触れた事はなかった。

 

 それが武器を構え出した途端、当たるようになったのは事実。

 

(また防がれた……)

 

 思考の最中に近寄ってきたミルに刀を振るうも、また後少しの所で短剣の前に阻まれる。

 

 けれど刀は確かにミルへと届いている。

 

(いける! これならやれない事はない!)

 

 よくよく観察して見れば距離を取って回避に専念していた時とは違い、今のミルは攻撃も考えているのか。距離を取るどころか隙があれば近付いて来ようとしている。

 

 この状態のミルになら頑張れば攻撃を決められそうだった。

 

(後もう半歩……)

 

 隙を突くように放たれるミルの攻撃を必死で避けつつ、アザミノは間合いを調整し刀を振るっていく。

 

(もう少しだけ腕を伸ばせば……)

 

 徐々に加速していく刀はミルを捉え始め、際どい回避や防御の回数が増えていく。

 

 それと同時にアザミノの身体に軋むような痛みが走っていたが、ミルに攻撃を当てられるなら気にしないとばかりに痛みを無視する。

 

 ついには刀と短剣の間合いの差か。

 

 ミルは近付く事も出来ず一方的な防戦に陥った。

 

 そして――

 

(貰った!)

 

 アザミノの渾身の一振りが放たれる。

 

 威力も速度も今までで最高。間合いとタイミングすら完璧。

 

 刀を振り切る前から自分の刀がミルを捉える瞬間さえ目に浮かぶ会心の一撃。

 

(消えた!?)

 

 しかしアザミノの腕にミルを捉えた手応えがない。それどころか捉える筈だったミルの姿さえ視界になかった。

 

 アザミノの見立てに間違いはなく、彼女の刀はミルの身体を完璧に捉えていただろう。

 

 ただし、それは刀を振る直前にミルが急加速してなければの話。

 

 例外はあるものの、人間の目というのは自分達が感じているほど、動く物を捉える力は高くない。

 

 それでも高速で動く物を目で追えるのは、動きを予測しているからである。

 

 だからこそ当たると確信して予測する事を放棄してしまったアザミノに、急加速したミルの動きは捉えられなかった。

 

 アザミノの視界から消えたミルは反撃の出来ない死角へと素早く回り込む。

 

 決着を付けようとアザミノへと腕を伸ばし――

 

(まだだ!)

 

 戦いに没頭し、いつもより遥かに研ぎ澄まされていたアザミノの感覚が死角へと入り込んだミルを見付け出す。

 

 既にミルは攻撃に入っているし、迎撃しようにも満足に刀を振れない絶妙な位置取り。

 

 けれど、迎撃は出来なくても防御は何とか間に合いそうだった。

 

(これを凌いで仕切り直しだ!)

 

 一瞬にも満たない僅かな時間。

 

 けれど戦いの中で加速した思考が答えを探すには、その刹那の時間で十分。

 

 素早く防御態勢に入る……筈だった。

 

(何だ? 身体が動かな――)

 

 だが、いつもに比べて身体の動きが鈍い。

 

 まるで糸か何かに身体を引っ張られているようだ。

 

(駄目だ、これじゃあ防げん!)

 

 見えているのに身体が付いてきてくれない。

 

 アザミノは自分の身体へ向かって真っ直ぐ伸びて来るミルの腕を、ただ眺める事しか出来なかった。

 

 

 

   ○   ○

 

 

 

「私の勝ちでいいですね?」

 

 アザミノの首筋と脇腹に短剣を突き付けたミルは穏やかに問い掛けた。

 

「ああ、まいった、降参だ。ほんっと、アンタ強いな……」

 

 その言葉にアザミノが潔く敗北宣言を返したのを聞くと、ミルは素早く離れる。

 

 決着が付いたのに武器を突き付けておく必要がないと思ったのもあるが、それ以上に絵面が人質でも取っているような状態になっているのが良くないと感じたからだ。

 

「こちらこそ驚きました。まさか最後、あの状態から反応出来るとは思いませんでしたので」

 

 誤魔化すように戦いの中で最も印象的だった事に付いて話す。

 

「それだよ、それ! アレ一体どうやったんだ。道具も魔法も何も使ってなかっただろう?」

 

「ええ。多少の小細工はさせて頂きましたが道具は使ってませんよ。魔法はそもそも使えないですね」

 

 興奮したように自分に問い掛けてくるアザミノに僅かな驚きを覚えつつ――

 

 けれどミルは口元に笑みを浮かべて質問に答える。

 

「だよな。だったらアレは――」

 

「その前に一つ、お聞きしたい事があります」

 

 興奮して畳み掛けるように話を続けようとするアザミノの言葉を遮るように、質問を投げ掛けるミル。

 

「剣士や刀士が型の稽古をする理由を聞かせて頂いてもよろしいですか?」

 

「んー、色々あるが一番は効率良く武器に力を伝える為と無駄を省いて刀を速く振る為だと私は思ってるぞ」

 

 一見すると力任せに全力で振るのが一番武器を速く強く振れるように見えるが、実際は違う。

 

 力任せに雑に振ってもバランスが悪くて武器に力が伝わり切らず、無駄が多過ぎて速さも思っている程は出ないものなのだ。

 

 だからこそバランスを調整しつつ無駄を省いていった末に完成した『型』というものを身体に覚え込ませていく。 

 

「ええ、私も同意見です。もし剣を習い始めたばかりで型が固まっていない人間なら試合中に偶然やコツを掴んで良い型で剣を触れた時などに、剣が速くなったり力強くなったりするでしょう」

 

 それでは型を覚えた人間が更に成長しようと思えばどうすればいいかというと――

 

 型そのものを徹底的に見直して無駄を削ぎ落としたり、自分に合うように調整していく事が必要不可欠になってくる。

 

 それ以外の方法だと単純に身体能力を上げるのが一般的な方法だろう。

 

「ですが貴女程の実力者ともなれば剣が急に速くなったりする事は、まずないでしょうね」

 

 しかしそれらの方法は長い月日の末に成長していく為の方法だ。

 

 にも拘らず、アザミノの剣は確かに試合中に加速していき、ミルの身体をあと一歩で捉えるまでになっていた。

 

「ああ、なるほど。そういう事かい」

 

 そこでアザミノは何の為に、この話をミルが始めたのかに思い至り声を上げる。

 

 いくら相手へ攻撃するとはいえ、絶対に攻撃が成功するとは限らない。

 

 むしろ一定以上の力量を持つ者同士であれば、避けたり受けたりして損害を軽減しようとする為、完璧な意味で攻撃が成功する事は全くないと言っても過言でもない。

 

 そうなった時、怖いのは反撃だ。

 

 攻撃に全てを注いでいては外した時に完全な無防備になってしまう。

 

 その為、攻撃の型というのは効率良く攻撃するのは勿論の事。

 

 反撃に備えて、次に防御や回避行動をし易くする為の動きを含んでいるものなのだ。

 

「気付いたようですね。それでも貴女の刀は私を捉えられるほど速く力強くなっていました。つまり――」

 

「攻撃が強くなった分だけ、防御がおろそかになっちまってたって事か」

 

 けれど、そこから防御や回避へ移る為の動作を全て省いて攻撃に回してしまえば、その分だけ攻撃は速く力強くなる。

 

 軋むような痛みは本来の型を捻じ曲げ攻撃的な物へと変えた事により、身体に無理が生じ始めていたからだったのだ。

 

 これがアザミノの剣が速くなった理由であり――

 

 同時にアザミノの防御が間に合わなかった理由でもあった。

 

「そういう事です」

 

 素晴らしい、と言わんばかりに満足気にミルは頷く。

 

 敗北を引きずる事なく冷静に分析し、次に活かそうと努力している。

 

(なるほど。これがミストルティンの鍛冶師、アザミノか)

 

 豪快な剣筋に、それを支える技術。

 

 その豪快さに隠れた奥深さすら感じさせる探求心。

 

 名工として知られるのも頷けるとミルは納得感に感嘆とした。

 

「つまり――」

 

 アザミノの印象を強く刻んでいたミルの思考を現実に戻したのは、確認するように区切られたアザミノの声だった。

 

「あそこで防御忘れて刀を振り切っちまった時点で私の負けだったって訳だ」

 

「ええ。そこで九割近く勝負は決まりました。後ほんの少しだけ反応が早ければ、まだ十分仕切り直せたでしょう」

 

 軽い調子でミルは言うが、その少しだけ速い反応とやらが出来る者は決して多くはないだろう。

 

 そしてそこで何とか反応出来ていたとしても、あくまで仕切り直し。

 

 互角であっても勝ちではない。

 

「ったく、いいように弄ばれちまったな」

 

 それに気付いているからこそ、アザミノは悔しげに。

 

 それでいてどこか楽しげに吐き捨てるように呟くのだ。

 

「そんな事はありません。本当に実力差があったなら、あんな博打のような事をしなくても倒せた筈ですから」

 

 そんなアザミノの言葉をミルは否定する。

 

 ミルはアザミノの動きを読んでいたし、大振りになっていく心情さえ計算して動いていた。

 

 けれど読みや計算が狂っていれば倒されていたのはミルの方だ。

 

 自信はあったし決して分の悪い賭けではなかったが、そもそも賭けに出なければいけない時点で実力に差と言える程の開きはない。

 

 それがミルの考えだからだ。

 

「ああ、いや。そこもなんだが本来の得物じゃないのに、こうも見事に倒されちゃうとな。ちょっと自信失くしちまいそうだよ」

 

「怪我と共に剣は捨てました。この短剣が今の私の武器ですよ」

 

「怪我で、ねえ。まあアンタがそう言うのならいいさ」

 

 ミルが話したくないと思ったのか、アザミノは特に何も追及しない。

 

「けど剣が必要になったら言ってくれよ。並の剣じゃアンタには物足りないだろうからさ」

 

 けれど戦う事で何か確信を得たのだろう。

 

 剣を振れる事前提の、お節介とも言える提案を一方的に投げ掛けた。

 

「それで私の採用の件はどうなったのでしょうか?」

 

 そこでミルは話を打ち切るように話題を変える。

 

 まるで触れられたくないと言わんばかりに。

 

「あー、んー……」

 

 誤魔化すように急に話題が切り替えられたが、そもそも戦いの本題はミルの採用の合否判定だ。

 

 そこに話を戻されてはアザミノも興味本位の話題は切り上げて、考えざるを得ない。

 

(強さは疑いようがない。問題は――)

 

 決着の瞬間、ミルは迷いなく首筋と脇腹へ短剣を突き付けてきた。

 

 どちらも人体の急所であり、そこを狙えば短剣であろうが一撃で人を死に至らしめる事は十分に可能な場所。

 

 そこへ寸止めとはいえ『迷いなく』だ。

 

 おそらく必要であれば人を殺す事を一切躊躇わない。

 

 いや、容赦なく殺すのだろう。

 

 そういう世界の住人なのだと戦いの中でアザミノは感じていた。

 

「アンタは社長か社員の誰かを殺す気はあるかい?」 

 

 その事自体をどうこう言う気はアザミノにはない。

 

 武器を手に取り戦うのだ。例えばその場所が戦場であれば相手を殺さなければ自分が殺される、あるいは仲間を守れない状況も数多く存在するだろう。

 

 その時に敵の命を奪う事に躊躇して自分や仲間の命を危険に晒す人間は貴くはあるが、それ以上に愚かしい。

 

 そういう意味では生きた実戦を肌で知っている人間なのだとアザミノは思う。

 

「過去のしがらみとか割り切れない理由とか、生きてりゃ、しがらみなんていくらでも付いて回る。もしアンタが誰かの命を奪う機会を窺う為に会社に入りたいってんなら、私は反対だね」

 

 けれど、それが仲間に向くとなれば避けたい。

 

 例えどんな理由があるにせよ、だ。

 

「今の所でよければありませんよ。ですが殺した方が良いと判断した時にどうするかは、正直な話をすれば解りません」

 

「殺すに足る理由が出来れば殺すのもやむなしって事かい?」

 

「そうですね。出来ればそんな事がなければ良いとは思っています」

 

 ミルの言葉は決して善意や良心の呵責といった部分から出た話ではない。

 

 人を傷付ければアザミノの言うように大なり小なりのしがらみを生む。ましてや殺してしまえば、しがらみは一生付いて回ってくるだろう。

 

 そんな面倒事は出来れば避けたい、ただそれだけの事だった。

 

「正直だねえ。そこは嘘でも殺す気なんてないって言っておいた方が受けはいいぞ」

 

 ミルの言葉と態度から本音だと確信したのだろう。

 

 苦笑いを浮かべながらアザミノは指摘する。

 

「わざわざ質問するという事は疑っているという事でしょう? それなのに嘘を吐いては余計に疑われてしまいませんか?」

 

 そんなアザミノの言葉にミルは逆に問い返す。

 

 不思議そうに尋ねる姿はまるで幼子のようでさえあった。

 

「ははっ。なるほど、これは一本取られたね」

 

 ミルの姿にきょとんと呆気に取られた顔をしたかと思うと、すぐに堪えられないとばかりにアザミノは噴き出した。

 

 馬鹿らしくなったのだ。

 

 腹の中を探ろうとしているのはアザミノだけで、ミルにはそもそも探り合いや駆け引きなんてする気が一切ない。

 

 ただ正直に質問に答えているだけだったから。

 

「よし、解った。私はアンタの入社に賛成だ。多分そろそろ今のウチにはアンタみたいなヤツが一人は必要だと思うしね」

 

 何よりアザミノはミルの事を気に入り始めていた。

 

 自分を打ち負かした強さに鍛冶師や刀士として惹かれる部分もあるが、その強さに似合わない無邪気にさえ感じる子どもっぽさ。それでいて修羅場を潜ってきたであろう冷徹さを兼ね備えている。

 

 もっとよくミルの事を知ってみたい、一緒に過ごしてみたいと思うには十分な理由だった。

 

「僕も賛成だ」

 

 そのアザミノの声に追従するように男の声がする。

 

 戦いに全く付いていけず、蚊帳の外で眺めていた社長だった。

 

「おお、社長。勝負に夢中ですっかり居るの忘れてたよ」

 

「酷いな。戦いに関して訳に立てないから仕方ないとは思うけど、建前上は最終的な採用は僕なんだけど……」

 

「はは、悪い悪い。けど、これで安心して雇えるだろ?」

 

「まあね。アザミノにあんな勝ち方出来る人なら心配する必要もない」

 

 そこで社長は言葉を区切るとアザミノからミルへと目線を移す。

 

「さすがエルミさんの紹介で来られた方ですね」

 

 そして歓迎の意を示すように微笑んだ。

 

「エルミの事をご存じなのですか?」

 

 何気ない調子で放たれた社長の言葉にミルは戸惑いを隠せなかった。

 

 てっきり目的を気取られる事無く陰で社長を監視し、モニクを守れという頼みだと思っていたのにエルミが見える形で関わっていると思わなかったからである。

 

「え、ええ。封筒の方にエルミさんの署名が入っていたので」

 

 ミルの反応に戸惑いながら社長は履歴書が入っていた封筒を見せた。

 

 光沢すら感じさせるほどの深い黒に染められた封筒。

 

 そもそもミステリオにおいて黒封筒とは、単に色が黒いだけの封筒ではない。

 

 その黒さは家紋や紹介状などが入った重要書簡である事を示しているのだ。

 

 今回ミルが使った黒封筒には家紋も紹介状も入ってなかったものの、封筒にエルミの署名と捺印があった。

 

 簡潔な印に見えるが、そこにはエルミの名誉と誇りが込められている事を指す。

 

 その印がある限り、たかが会社への履歴書だからと侮る事は出来ない。

 

 ただでさえ書類の偽造は犯罪。ましてや正式な印が記された特殊封筒を偽造したとあっては、誤魔化しの効かないレベルの重罪になる。

 

 そんな危険を冒してまで偽造した履歴書を送ってくる可能性は限りなく薄い。

 

 故に黒封筒で送られてくる履歴書は漏れなく有力者の物と見て間違いない。

 

「そこまでしてエルミさんが紹介する人を疑うなんて失礼だって言ってね。いつもは警護してくれる方が居るのですが、今日は依頼に出ています」

 

 だからこそ面接時は護衛を兼ね、傍に居る事が多いモニクは今回居ない。

 

 もしエルミが何かする気ならこんな回りくどい事しないわ。むしろ変に疑ったりしたら、それこそ直接乗り込んでくるわよ、とはモニクの言葉だ。

 

「なるほど」

 

 ようやくミルは高い防犯意識に反して、どこかチグハグに感じていた社長の警護レベルに納得がいった。

 

 この護衛一人用意してなかった不用心さは、そのままエルミに対する信用の証と思えばいいのだろう。

 

(全く。エルミも伝えておいてくれればいいものを)

 

 そんな事を思い内心だけで愚痴を零したミルだったが、すぐに思い直す。

 

 ――聞かれませんでしたし、話したところで合否に大きく影響するとは思いませんので。

 

 追求したところで、しれっとした態度でエルミが答える姿が思い浮かんだからだ。

 

「それでは仕事内容についてですが、剣術指南や資材管理といった社内での勤務を希望したい、という話でしたね?」

 

 脳内エルミの言葉に僅かにげんなりしていたミルを現実へと引き戻す社長の質問。

 

「ええ。自分の身を守るくらいは出来ますが、それ以上となると自信がないもので。出来れば求人にあったように剣などの指南に務めさせて頂きたいのですが……」

 

 その声に間髪入れず答えたミルだったが、アザミノの方に僅かに目をやると言葉尻を濁した。

 

(おそらく彼女は会社内で屈指の実力者だろう)

 

 アザミノと互角どころか、半ば圧倒する程の力を見せてしまった。

 

 そんな腕を持つ人間に討伐依頼もせず、社内で遊ばせておく必要などない。

 

 第一、何かあれば社長や社員を殺す事も考えていると宣言した危険分子を社内に置いておく必要がない、とミルは思ったからだ。

 

「解りました。他に何か希望はありますか?」

 

 けれどミルの予想に反して、あっさりと社長は頷く。

 

「よろしいのですか? あくまでこちらの希望ですので討伐の依頼などを回して頂いても構いませんが……」

 

「ええ、大丈夫です。幸い起業した頃と違い余裕はありますし、望まない仕事を無理に押し付けてもモチベーションは上がりません。それは依頼主にとっても、依頼を受ける側にとっても良い結果を生まないと我が社では考えていますから」

 

「なるほど」

 

 社長の言葉に納得したように頷くミルであったが内心は違った。

 

(確かに士気は時として実力以上に大きな意味を持つが、それでは誰もやりたがらないような依頼が来た場合はどうする気なのだろう?)

 

 士気は大事ではあるが、そこに統率がなければ部隊とは言えない。ただの烏合の衆でしかない。

 

 好き勝手やらせるだけでなく、纏める為の規律と意志があるべきだ。

 

 それは騎士団であっても会社であっても変わらない、とミルは考えていたのも理由の一つだ。

 

(話を聞いていただろうに。自分を殺すかもしれない相手を平気で傍に置くのか)

 

 しかし、それ以上にミルが気になったのは暗殺者である自分を傍に置く事に社長が無頓着な事だった。

 

 それは自分に殺されるような理由を作らない、あるいはそんな事態になっても生き残れるという絶対の自信か。

 

 それとも社員である自分が刃を向けるとは思えないのか。

 

(どうやら簡単に推し量れる相手ではなさそうだ)

 

 傭兵会社の社長。

 

 戦いや争いを傍に居る筈なのに、どこか安穏とした空気を纏った不思議な人間。

 

「それでは契約書と細かい注意点などですが――」

 

 入社や契約に付いて社長が説明する姿を静かに眺めつつ、ミルはエルミへの報告内容を考えるのであった。

 




 前述した通り、申し訳ありませんが続きを書く予定は特にありません。
 かんぱにSSを投稿した理由も、某所でアレって思う名前の方をお見掛けして、もしかしてって思い、過去に書いていた物を置きに来ただけでして。

 続き気になるって方は大変申し訳ない。
 さすがにもう続きを書くのは色々な意味で非常に困難です。
 ごめんなさい。

これで最終更新です

  • 普通に物語として続き見たかった
  • ミル本当に好きなんだな
  • 面白かった
  • 良いかんぱにSSだった
  • リメイク版で会おうぜ
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