株式会社ロイヤル・エンタープライズ。
和名で言えば、高貴な、若しくは王の冒険とでも訳すべきか。
何十年前だっただろう?
詳しくは覚えていないが、本邦では少子高齢化の進行に対する対応策として、獣人らに対する一律の給付金を取りやめ、その代わりとして国が主導していた獣人らの権利制限を撤廃したのだ。
結果として、獣人らに人間と変わらぬ基本的人権が認められ、彼らの社会的地位は大きく向上した。
その流れに棹さして、この会社は設立された……らしい。
制限撤廃によって安価な人材が市場に溢れ、人獣共に失業率が大きく上昇する中で、両者に生まれつつあった蟠りの解消を目的に、ロイヤル・エンタープライズは設立された。
(余談だが、創業者の獣人は神谷さんの遠い親戚だったとかどうとか)
そのため、この会社は獣人を積極的に雇用する事で知られている。
なんと、実に3分の1もの社員が獣人で構成されているのだ。
「おはようございます」
オフィスに足を踏み入れると、スタッフらの明るい声が帰ってくる。
朝礼の30分前という事もあってか、夜勤組みらの顔が多い。
「春香ー!久しぶりじゃん!」
「あっ、勉(ツトム)さん!お久しぶりです!……今日は上がりですか?」
筋肉質にも関わらずスラリとした体格に、グレーがかかった灰色の体毛を纏い、ふさふさとした長い尾が特徴的な彼は、オオカミ系の獣人だ。
その優れた嗅覚と、夜目が効く特徴を生かして、夜間警備などの仕事に従事しているのだ。
歳は俺よりも2〜3歳ほど年上らしいが、孤児だったが故、詳しくは本人も分からないとの事だ。
「いやー、それが臨時であのプロジェクトの警備に入ってくれって言われちゃってさ、だから今月から君らと一緒よ」
壁に立てかけられたイベントのポスターを指差しながら、彼はそう言った。ポスターには「新人アイドル募集!」との大きな見出しと共に、キツネ系やネコ系の獣人らが人間と踊っている写真が掲げられていた。
アイドルや芸能人といった話題に無頓着な俺でも可愛いと分かるタイプの獣人達だ。すらっとした体型に、整った顔立ち。
宛ら綾瀬の様な容姿をした彼女達は、人間から好かれやすい姿をしているので、こうした職業に就く事も多いのだという。
もしかすると、綾瀬も何処かのアイドルやモデルだったりして?
まさか……な。いくら何でもあり得ないだろう。
「そうなんですねー!勉さんがいてくれるとうちのチームも心強いです!」
「嬉しい事言ってくれるじゃんー!今日から宜しくな!」
「はい!こちらこそ宜しくお願いします……!」
「ははは、別にオレ相手なんだからタメ口でいいのに」
「あっ、じゃあお言葉に甘えて……。」
そんなこんなで立ち話をして、就業時間まで時間を潰した。
……
現場までは車で移動する事になっている。移動時間も給与は発生するのだから、このバイトはなんとホワイトな事か……前世の、最低賃金すら払ってもらえなかった頃の待遇と比べると涙が出てくる。
「尾形さんー、昨日のシフト思いっきり飛んでましたけど、大丈夫でしたか?」
「うげっ……す、すみません。二日酔いで頭痛が酷くて」
運転免許証を持っていない(金も時間も十分にあったのだが、面倒だからと取らなかった)俺は今現在、バイトリーダーを担当している狐系獣人の紅葉(モミジ)さんが運転する車に相席させてもらっている。
俺が話す度にピクリと動く長い耳と、細身でしなやかな体格、美しい銀色の体毛が特徴的なモミジさんの姿に暫く見惚れていたが、確信を突かれた質問に対して冷や汗が流れた。
「清い……ま、いいですけど。次からは気を付けてくださいね」
「すみません、気を付けます……」
ドタキャンの事自体はあまり気に止めていなかったらしい。
暫くすると彼女は窓を開けて、タバコを吹かし始めた。
暫しの間、沈黙が場を支配する。
……あの話題で終わってしまうのは、少し気まずいなぁ。
「メビウスですか?美味いですよね、それ」
「……尾形さんは吸わないんじゃ?」
「同居人に怒られちゃうので……ここ数年は吸ってないですね」
モミジさんは俺の言葉に軽く頷きながら、口元からタバコを外して煙を吐き出した。その姿には一種の優雅さがあり、彼女の冷静な雰囲気と相まって、独特の雰囲気を醸し出している。
「へぇ……匂い的に、彼女さん?」
「……!?いやいや、そんな大層なものじゃなくて。ただの友人で……シェアハウスみたいな形で一緒に暮らしてるだけなんですよ」
俺は慌てて、笑いながら否定した。モミジさんは軽く目を細め、タバコの先に視線を向けながら、笑みを浮かべた。
「いいじゃないですか、賑やかで。一人暮らしっていうのも案外寂しいものなんですよ」
「まぁ、家に帰ると誰かが居るってのは悪くないですね……紅葉さんは、お一人暮らしなんですか?」
しまった。
無神経な事を聞いてしまったかと、すぐに後悔した。
「一人暮らしですよ。以前は貴方のご友人の様に、私を気遣ってくれる同居人が居たものですが。仕事が忙しくて、そればかりに集中してしまったものだから、いつしか上手く関われなくなってしまったんです」
彼女の言葉に起伏は無く、淡々としたものだった。
俺はその言葉に、どう反応していいのか分からなかった。
「仕事と私、どっちが大切なのかっていう古い話ですよね。結局のところ、両立は難しいんです」
そういう彼女の声には、少しだけ寂しさが含まれている気がした。
どう反応すれば良いのかと、オロオロと慌てている俺を見てか、モミジさんは少しだけ笑みを浮かべて、話を締めくくった。
「でもまぁ、今はこの仕事が楽しいからいいんです。獣人だからっていう事もあるけど、あまり人間社会には馴染めなくって……だから、ここに居るのが一番心地いいんですよ」
___いつしか見慣れたビル群が消え、田園と山々があたり一面に広がっていた。
広がる緑と青空のコントラストが、少しだけ心を穏やかにしてくれる。
俺は暫くの間、何を話そうかと考えていたが、結局言葉が見つからず、ただ静かに窓の外を眺めていた。モミジさんの表情は読み取れないが、時折漂ってくるタバコの匂いが、彼女の存在を意識させた。
余談ですが、獣人には苗字が存在しません