東方不死王墓~Requiem for the OVERLOAD~ 作:烏籠茶
フルダイブ型のオンラインゲームがサービス終了するとき、そのゲームにログインしているプレイヤーはどうなってしまうのだろうか。
――別に何か特殊なことが起きるわけではない。普通にログアウト処理が行われ、意識が現実世界へと引き戻される。ただ、それだけのことだ。
ゲームの世界から出られなくなったり、ゲームのデータと一緒に精神が消去されてしまうなんて、そんな陰謀論じみたことは起きない。
こんなことは、誰でも分かっている当たり前のことだ。モモンガにとっても、それはわざわざ考えるまでもない常識だった。
そのはずだった。
だからこそ、目の前に広がる異様な光景に、彼の理解はまったく追いついていなかったのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――
ユグドラシルの最終日、その最後の瞬間。モモンガは目を閉じていた。
このナザリック地下大墳墓は、仲間たちと共に築き上げ、長い時を過ごしてきた場所。いわば、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の軌跡そのものだ。
だが、それもあと数秒で消える。
サービス終了が告知された時から覚悟はしていたが、それを直視する勇気はなかった。
それに、その瞳に現実世界の光景が映り込むまでは、まだナザリックにいる気持ちでいられる。実際には感覚でログアウトされたかどうか分かるだろうが、ナザリックの余韻を少しでも長引かせたかった。
――そんな淡い願いは、予想外な形で打ち砕かれた。
突如、体を支えていた玉座の感触が消え失せ、そのまま重力に引かれるようにして尻餅をついたのだ。
「うわっ」
虚を突かれた出来事に、思わず目を開ける。そこには、モモンガの予想とはかけ離れた光景が広がっていた。
空には澄み渡るような青色がどこまでも広がり、雲一つない。そこに、淡く輝く虹の輪が浮き上がり、深い空を優しく彩っている。そして足元には、見渡す限りに群生する彼岸花が大地を深紅に染め上げ、むせ返るような生命の力強さを放っていた。赤い花弁には透明な朝露が滴り、その一つ一つが陽光を浴びて宝石のように煌めいている。
「……美しい」
その一言が、思わずモモンガの口から漏れ出る。
何もかもが理解不能だった。いくつもの疑問があったはずなのに、目の前の絶景がモモンガの思考を塗りつぶしていた。
ユグドラシルにも、数多くの絶景があった。雲海に隠された黄金の城、無数の水晶が闇を照らす洞窟、天を切り裂くようにそびえる虹の橋など、どれもが現実離れした美しさだった。
しかし、目の前に広がるこの眺めは、これまで訪れたどんな場所よりも強く心を惹きつけた。ただ美しいだけではない。心に直接響くような“臨場感”がそこにはあった。
モモンガは静かに深呼吸をした。冷たい風が鼻腔を通り抜ける。雨上がりの瑞々しさと土の香りが混ざり合ったそれには、どこか生々しい生命の気配を感じた。
初めて味わう新鮮な空気に、モモンガはさらに深く息を吸い込む。現実世界の汚れきった空気とは違う、どこまでも吸い込めてしまいそうな清浄さ――そんな感覚に酔いながら、モモンガはしばらくの間、ただその心地よさに身を委ねていた。
しかし、その心地よさは、やがて強烈な違和感へと変わっていく。息を吸い始めてから、どれほど時間が経っただろうか。十秒、二十秒――普通ならもうとっくに限界のはずだ。だが、肺には圧迫感すら感じられない。
モモンガは息を止め、視線を自身の胸元に落とす。そこに映ったのは、重厚な漆黒のローブと、むき出しになった滑らかな胸骨――ユグドラシルで長年使い続けていた
ああ、そういえばユグドラシルをプレイしている最中だったか――なんて、一瞬納得しかけるが、それは疑問に対する答えになりえないことに気づく。
たとえ五感を忠実に再現したユグドラシルであっても、呼吸器官の感覚はリアルの肉体まま。たとえ酸素不要の種族特性をもつアンデッドのアバターだろうと、プレイヤー自身が先ほどのように「際限なく息を吸い込む」なんて芸当ができるはずがないのだ。
そんな謎が呼び水となって、これまで抑圧されていた疑問が次々と浮かんでゆく。ユグドラシルはサービス終了したはずでは? この場所は一体どこなのか? 何故ユグドラシルでは制限されているはずの嗅覚が機能し、空気の新鮮さを感じ取れたのか。
それらの疑問に対する答えは見つからない。だが、それを確認する方法になら心当たりがある。
そう考え、少し気が休まったモモンガだったが、その希望もすぐに打ち砕かれた。
「あれ……?」
コンソールウィンドウが表示されない。操作は間違っていないはずだ。念のため二度、三度と手の動きを繰り返すが結果は同じ。目の前に見慣れた半透明のウィンドウが表示される気配は一切ない。
嫌な予感を覚えたモモンガは、GMコールやチャット機能といった、コンソールを経由しない連絡手段を試みる。だが、それらも一切の反応を示さない。モモンガの胸の内で、焦燥がじわじわと膨らんでゆく。そして、最後の頼みの綱である強制ログアウトを試みたが――何も起きなかった。
「クソッ!」
なにが起こっている? ゲームに閉じ込められた? どうして? 事故か? 故意か? なぜ自分が? どうすれば助かる? 現状でできることは何だ?そもそも助かる可能性なんて残っているのか? 既に詰んでいるのではないか――。
頭の中で次々と浮かぶ疑問が絡み合い、不安の感情が膨れ上がっていく。
「ふざけるな!ここから出せ!!」
そう怒鳴り散らしてみるが、当然返事などない。
思考がパニックを起こしかけたその時、モモンガの精神に『何か』が作用した。怒りが波を引くようにすっと消え、自分でも驚くほど冷静になる。
「……まずは周囲を探索するべきだな」
ここで立ち尽くしているという選択肢はない。時間が状況を改善してくれる保証など、どこにもないのだから。ならば自らの足で情報を集めるしかないだろう。
モモンガは改めて周囲に視線を巡らせた。できれば、町や村のような人目の多い場所を目指したい。他のプレイヤー、あるいはNPCでもいい、誰かと接触できれば何かがわかるかもしれない。
だが、周囲には建物はおろか、道すら見当たらない。あるのは血のように赤い彼岸花の海と、点々と生える木々のみ。遠くには深い森と険しい山々が見えるが、あのような場所に町か何かがあるとは考えにくい。
「……あれは?」
ふと、モモンガの視線が一箇所で止まった。彼岸花の群生の先に、灰色の石のようなものがいくつか立っているのが見える。自然物には見えないが、ここからでは正体を見極めることは難しい。
大きな期待はできないが、他に手がかりがない以上、行ってみる価値はあるだろう。そう判断したモモンガは、周囲の彼岸花をかき分けながら、ゆっくりと歩き出す。
赤い花畑の中を進むたび、花弁に垂れた露がローブの裾を濡らし、ひんやりとした感触を伝える。モモンガはその煩わしさを感じながらも、灰色の物体を目指し彼岸花の海を進んでいった。
――――――――――――――――――――――――――――――
三つの黒い影が、濡れた彼岸花の群生をかき分けながら進む。揺らされた花弁から零れ落ちた雫が、赤い大地に小さな水玉を散らした。踏み荒らされた茎の根元は折れ曲がり、深紅の海に三本の無残な跡が刻まれていく。
そんな破壊者たちの中央には、漆黒のローブを纏った骸骨の
漆黒の鎧には血管のような赤い紋様が脈打つように浮かび、肩からはボロボロの赤いマントをなびかせている。悪魔の角を模した兜の奥で爛々と赤く光る眼窩は、生者に対する憎悪を宿していた。
彼らは『デスナイト』。モモンガの能力によって生み出されたアンデッドの騎士である。
モモンガが、この未知の世界で魔法やスキルが問題なく使えることを知ったのは、ほんの少し前のことだった。
探索を始めて間もなく、突如として上空から羽の生えた人型生物――フェアリーのようなモンスターが現れ、こちらへ襲いかかってきた。咄嗟の出来事にモモンガはコンソール画面が出ないことも忘れ、反射的に魔法で応戦しようとしたのだ。
コンソールがない以上、魔法が発動するはずもないこの状況。――だが次の瞬間、何も問題がなかったかのように手のひらから稲妻がほとばしり、目の前の妖精たちを一掃したのだ。
静寂の後、モモンガは自分の手を見つめ、目の前で起こった出来事の異常さに目を丸くしていた。
その後、いろいろと試した結果、魔法やスキルの発動方法が別物へと変化していることが分かった。能力を使おうと意識すれば、まるで生まれつきの手足を動かすように、そのやり方が自然と思い浮かぶ。その感覚に従い体を使えばコンソール無しでも問題なく発動できるようだ。
今両脇を固めているデスナイト達も、その検証の過程で生み出されたものだ。片方は魔法、もう片方はスキルの<中位アンデッド作成>によるものだが、どちらも問題なく機能した。
何故か<中位アンデッド作成>の際、デスナイトがモモンガの背後の地面から這い出るように出現して、無駄に彼の無い心臓を縮み上がらせたりもしたのだが。
――ともかく、せっかく召喚したものを無為にするのも惜しく感じて、こうして護衛として同行させているところだ。
好戦的なモンスターが存在するとわかった以上、魔法詠唱者が単独で前衛に立つのは危うい。肉の壁としてはちょうどいいだろう。
モモンガは歩みを進めながら、改めてこの現状について考察する。
初めは「何らかの要因でゲーム内に閉じ込められた」と考えていた。だが、そのためだけにこんな手の凝ったことをするだろうか?
ユグドラシルⅡ発表の悪趣味なサプライズの線も考えたが、呼吸の感覚、土の匂い、そしてUIを介さない魔法の発動。これらはMMORPGという枠組みを技術的にも倫理的にも超越している。
ユグドラシルのアバターのまま、リアルともゲームとも違う別の世界に転移した。非現実的で馬鹿げた妄想だという自覚はある。だが、消去法でいくと、その可能性が最も現実的な答えとして残ってしまうのだ。
かといって、そんな話を易々と信じられるはずもない。だからこそ、モモンガは早く知性ある誰かを見つけ、対話によって真実を確かめたいと切に願っていた。
そんなことを考えながら進んでいると、不意に花畑が途切れ、開けた場所に出る。
そこには、大きめの石が乱雑に立ち並んでいた。材質や形に統一感はなく、どこかから適当に拾い集めてきたもののようだ。なかには、無残に割れたものや、分厚い苔に覆われたものも見受けられる。
その一つ――苔生した石の表面には、風化してかすれているものの、確かに文字が刻まれていた痕跡があった。
「……墓石、か?」
モモンガは(存在しない)眉をひそめる。墓というにはあまりにも粗雑で、弔いの心や手入れがされている気配が微塵もない。周囲の美しい彼岸花が、かえってこの場所の不気味さと寂寥感を際立たせていた。
広い花畑の中にポツンと立つ風化した墓。まるで自分の行く末を暗示しているようで、あれほど美しいと感じた深紅の色も、今は少し気色悪く思えた。
とはいえ、明らかに人為的な痕跡を発見できたことは大きな前進だ。ここにある道――獣道に毛が生えた程度だが――を辿れば、いずれ誰かに出会える可能性が高い。
そう考え、さらに足を進めようとした矢先――
モモンガはピタリと足を止めた。墓石の群れの奥に、人影があったのだ。
こんな寂れた場所に人がいるとは思っていなかったモモンガは、警戒を強める。
その人物は、何かを探しているのか、地面の方を見つめてかがみ込んでいた。青い服に白い髪という出で立ちで、遠目には武装しているようにも、高い戦闘能力を持っているようにも見えない。
だが、ここは未知の世界だ。先ほどの妖精のように、見た目に反して襲いかかってくる可能性は十分に考えられる。
モモンガはデスナイトに無言の指示を送り、即座に身を呈して防御できる陣形を整えさせると、慎重な足取りでその人物へと歩み寄った。
「すみません、少しよろしいですか?」
極力敵意がないことを示すため、かつて現実世界で営業マンとして培った、最も低姿勢で穏やかな声色を作って呼びかけた。
突然の背後からの声に、不意を突かれたように人影がビクッと肩を震わせ、顔を上げる。
白い髪に眼鏡をかけたその男は、どこか知的な雰囲気を漂わせる青年だった。しかし、振り返りざまにモモンガたちを視界に収めた瞬間、その表情は一変した。
しばらくの間が流れるが、相手は一言も言葉を発しない。
(しまった……言葉が通じないのか?)
相手の反応にモモンガは内心で焦りを覚える。ここが本当に異世界なのだとしたら、言葉が通じる保証などないのではないか。モモンガは非言語コミュニケーションを余儀なくされ、軽いパニックに陥る。
「あ、あの、私の言っていることがわかりますか?」
僅かな希望を抱いて再び問いかけるが、男は相変わらず無言のままだ。モモンガは言葉の通じない相手に、どうやって意思疎通を図るべきか困惑していると――
「はい。」
静寂を切り裂くように、簡潔な返事が返ってきた。そのたった二文字に、モモンガは安堵すると同時に拍子抜けしそうになる。
(言葉が通じるなら、最初から答えてくれよ……)
内心ではそう思いながらも、表情には出さない。
「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
言葉が通じるのならば話は早い。まずは相手の名前から尋ねる。こちらから名乗らなかったのは、本名かプレイヤーネームのどちらを使用するべきか迷ったからだ。
男は何かを思い悩むように表情を曇らせると、また沈黙が訪れる。モモンガは相手がそのような態度をとる理由が分からなかったが、男はしばらくすると観念したように口を開いた。
「森近……霖之助です――
そろそろゆっくり投稿していきたいと思います