『次のコロシアイが起きるまで、食事抜き』……。
冗談みたいな動機だが、その効果は絶大だ。
食事を取れなければどちらにせよ、死ぬしかないのだ。これまでのモノクマが提示してきた動機は、いずれも『ヒント』と名の付いたある種前向きなものだった。こちらが動かなければ、誰も死ぬ必要などないもので……。しかし今回のこれは、黙っていたところで餓死という絶望的なゴールが待っているだけ。誰かの死なくして、この状況は変わらない。
そして、それ以上に……。
「か、軽井沢、ちょっと落ち着いてってば……!」
「ム、ムリ……!ム…ムム……ムムムムリだよぉお!まいこ、食べ物ないと……お腹すくのは絶対ムリなんだよお!」
がくがく震えながら、軽井沢が半狂乱になって泣き喚いている。
『大食い娘』の才能を冠する彼女。常人の何十倍もの胃許容量を誇る軽井沢にとって、満足のいく食事が摂れる事は彼女の精神安定において最重要だと聞いたばかりだ。そんな彼女にとって、今回の動機は致命的過ぎる。
餓死のリスクを感じる以前に、この状態では一日二日やり過ごすのも……。
「まいこちゃん、落ち着いて……!大丈夫だから……!」
パニックになる軽井沢を、三雲が必死に肩を抱いて宥めている。
「うぅ、ムリ……ムリだよぉ……!お姉ちゃん、どうしよう、どうしよお……!」
「……」
「……皆お願いがあるんだけど……」
ぽたぽたと涙をこぼす軽井沢を悲痛な顔で見つめていた三雲が、ぐっと手を握りしめて言った。
「……もし、食べ物を見つけたら……。何でもいいわ……まいこちゃんに、譲って貰えない?」
「えっ……」
「おいおい、この状況でンなの通ると思ってんのか?」
「それは……分かってるわ。でも、まいこちゃんには余裕がないのよ、分かるでしょ……!?お礼なら、あたしがするから……!」
「……ま、どっちにしても『何かあれば』、だけどねぇ~」
高梨が、落ち着いた態度でため息を一つ吐いて言う。南界も平然とした表情で薄く微笑みを浮かべ、言葉を繋げる。
「そうね。ひとまず手分けして確かめるのが先かも。今回の『動機』がどこまで本気なのか……ね」
全員で急いで食堂に戻る。今朝まで肉・野菜、あらゆるレトルト食品、焼き菓子などぎっしりと詰められていたそれらが、跡形もなく消えている。
牛乳やパックジュース、アイスクリームが常備されている冷蔵庫の中身も、空っぽだった。
「な、ない……なんにもない……何で……!?朝まであんなに満タンだったのに……!」
倉庫にも向かったが、結果は同じだった。雑貨類がやたらに置かれている事には変わりはないが、その内の食料品だけがさっぱりとなくなっている。
「ひょっとしてモノクマがわざわざ全員集めて回って、体育館でミョーに待たされたのは……。食べ物回収する時間稼ぎだったんかなー?……っち、しくったなあ……」
「あ、あの……」
控えめな態度で、天条が声を上げた。
「これだけ、残ってました……。た、食べ物って言えるかは……微妙ですけど……」
彼の手にあるのは、瓶に入ったインスタントコーヒーだった。
「これだけ、かあ……」
「空腹の所にコーヒーだけ飲むのって、むしろ胃に悪そうね」
「け、けどなんにもないよりマシじゃん!?ね、ほら、軽井沢も……」
努めて明るい声を出す青空に、話しかけられた軽井沢はいっそう目をうるうるさせるばかりだった。
「……ムリだよぉ……!」
「まいこ、コーヒー飲めないもん……」
「…………」
「……と、とにかく……。きょ、今日はもう休んだ方が良いんじゃないかな……ね?少しでも体力温存しないとさ……」
それぞれが不安そうな表情を浮かべたまま、場は解散となった。ぐすぐすと泣き続ける軽井沢の手を、三雲がしっかりと引いて帰っていく。
突然の展開に、まだ戸惑いから抜け出し切れない。
黙って耐え続ける訳にもいかない。今後の事を考えると、少しでも体力のある内に対処しなくてはいけないが、誰かを殺す選択肢はあり得ない。だが早急になんとかしなくては、軽井沢があの様子では……。
「なあに?見通君、しょぼくれちゃって。いつにも増して捨て犬みたいな顔してるわよ?」
「……」
南界レイコが相変わらず人を食ったような……余裕しゃくしゃくの態度で現れた。
「……今はお前のおふざけを相手してる余裕はないぞ」
「何よ、そんなにご飯を取り上げられたのがかなしいの?待てがきかないのね」
「状況が今までとは違う……死活問題だろ。お前が平然とし過ぎなんだよ」
「考え方が違うのよ。そもそも今まで、衣食住に不自由しなかった事が奇跡的だっただけじゃない?」
そう言ってふ、と笑い目を細めてみせる。
「だって私達、得体の知れない人物に幽閉されてるのよ?とっくに生殺与奪の権は明け渡し済み。死活問題なんて最初からじゃない」
達観さえ感じるような微笑みで、南界はそう嘯いた。そしてふと、目線を遠くにやる。
「まあ、今更こんなことを『動機』にされるなんて……つまらないけれどね。こんな黙っていても死人が出るような条件でコロシアイが起きて、面白いのかしら」
「……面白いとかつまらないとかの問題じゃないだろ。猶予は同じなんだから……お前にだって焦りはあるだろ」
「別にそこまで。私、数カ月くらいなら飲み食いしなくても平気だし」
「はあ……っ!?」
「冗談よ。それじゃあ……」
真顔でそんな事を言って、南界レイコはすたすたと去っていった。
「……まったく……」
皆が皆、あの女のように超人的な神経の太さを持てるはずもない。
かつてない不安を振り払うように、俺は自室に戻り半ば無理やりに眠りについた。
…翌朝。
当然ながら気分は晴れない。体力的にはそれほど変わりもないが、精神的な負荷はやはりかなり大きいようだ。
食糧を失った事実。そして……緩やかな死に近付いているという現実。
首を振ってやや強引に意識を切り替え、廊下に出る。
固い表情をした三雲と出くわした。
「ああ……。見通くん」
彼女は俺を見やると、軽く挨拶をし向き直る。
その表情は普段の気だるげな調子とは別の方向で……疲れた様子が滲んでいた。
「あれから……軽井沢は?」
「……今は眠ってるわ。可哀想に……昨日は夜通し、お腹空いたって泣いて眠れてなくて……」
そう言う三雲の両眼には、薄く隈が刻まれている。
「三雲の方こそ、昨日は寝れてないんじゃないのか?少しでも休んだ方がいいんじゃ……」
「私の事はどうだっていいのよ!」
ぴしゃん、と声を荒げた三雲は、はっとなり気まずそうに顔を背けた。
「……ごめんなさい、短気起こしちゃダメね……。心配しなくても、考えがない訳じゃないの。出来るだけ早く……何とかするわ」
「何とか、って……」
「……何とか、するわよ。まいこちゃんの為に……お姉さんが、何とかしなきゃ……」
ぶつぶつ呟きながら、三雲は忙しなく去っていった。
何も成果が得られないまま、時間だけが過ぎていく。
ピンポーン…
(……?)
夜時間もほど近くなった頃。ふと部屋のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、そこには誰もいない。
(何だったんだ……?)
首を捻りつつふと視線を下げると、ドア下の床に紙が一枚落ちているのに気が付いた。
『もしかしたら突破口を見つけたかも。皆で話し合いたいから、21時に食堂に集合して』
拾い上げ読んでみるとやや硬い綺麗な文字で、そんなメモが残されていた。
(誰かの呼び出しメモか……?しかしこの、『突破口』というのは……)
午後21時。
呼び出しメモに書かれていた時間の通りに、食堂へ向かう。
中に入ると、ふわん、と良い香りが漂ってきた。
「見通くん、来てくれてありがとう」
テーブルの奥に、三雲と軽井沢が座っている。軽井沢は相変わらずべそべそと泣いて、ハンカチを口に入れもぐもぐと噛み含んでいる。
「ひっぐ、うぐ、お腹すいたぁ……」
周りを見ると、青空と高梨、天条……そして南界が揃っている。
「三雲が皆を集めたのか?」
「そうよ。ほら、座って……」
促されるままに席に着くと、カップに入ったコーヒーが差し出された。
「ちょっとだけだけど、砂糖が入ってるから。飲んで」
「え……!?砂糖……があったのか?」
「食堂の棚の奥を、よく探したら見つけたのよ。ほんのちょっとだけだったから、皆のコーヒーに入れた分で終わりだけど……」
黒く濁った液体へ目を落とす。
口に入れると……焦げ付くような苦味と、ほのかな甘みが喉の奥へ落ちていく。
ほぼ丸一日振りの食べ物だ。
「……お姉ちゃん、お腹すいた……」
物欲しそうに俺達を見ていた軽井沢が、哀れっぽい声を上げて三雲の袖を引いた。
「まいこも、お砂糖もうちょっとほしい……」
「……駄目!我慢して!」
「っ、ぴ……っ!」
怒鳴りつけられて、軽井沢の身体がびくっと揺れる。しばらくぷるぷると震えたあと……両目から大粒の涙がぼろぼろこぼれ落ちた。
「うっ……うぇえええ〜ん……!うああぁああ〜ん……っ!」
「あ……!ご、ごめんなさいまいこちゃん……!お姉さん怒ってる訳じゃないのよ……!?ほ、ほらお気に入りのリボン持ってきてあげるから……ね?」
「……ごめんなさい皆、ちょっと待ってて……」
そう言って、三雲がぱたぱたとその場を離れる。
残された空気の重さに耐えられなかったのか、天条が軽井沢へ声をかけた。
「あ、あの……軽井沢さん、僕のコーヒー飲みますか……?ぼ、僕、気分が優れなくて……これ口付けてないんで……」
「いらない……ぐすっ……。まいこ、コーヒームリだもん……。飲むと吐いちゃうから……」
「そ、そう、ですか……。すいません……」
「…あ、じ、じゃあ他の子はもう飲んだみたいだし、片しちゃうねっ?」
青空が慌てて立ち上がり、全員のカップを片付け始めた。
少しの間気まずい時間が流れ、三雲が軽井沢のリボンを手にし戻って来る。
「……ごめんなさい、お待たせ。それじゃあ、始めましょうか」
「あら、もういいの?尾後君がまだ来ていないけれど」
南界がこてりと首を傾げそう尋ねる。
「……そうね。断られちゃったみたい……まあ彼の事だし、そうだろうとは思ってたけど……」
「それに……。もしかしたらその方が都合が良いかも」
「……?どういう意味だ?」
俺の疑問に、三雲は真剣な目で俺達を見回して言った。
「皆をここに呼び出す時……突破口を見つけたかも、って書いたでしょう?」
「実は……私達の中に、モノクマの仲間がいるかもしれないの」
「えっ……えぇえええ〜〜っ!?」
「しっ、静かに……!向こうに聞こえるわ……!」
大声を出す青空に対し、三雲が口元に指を当て監視カメラを指し示してみせる。
「みんなこっちに寄って……」
机の半ばほどに寄り集まり、ひそひそと小声で言葉を交わす。
「食べ物を探してて、空き教室の前を通りがかった時に……モノクマが誰かと話してるのを聞いちゃったの」
『予想通りに、場は混乱してるみたいだね。けど、あんまり長引いてもつまんないし……明日一日、様子を見て誰も動かないようなら、もういいや。君が適当な奴殺しちゃいなよ。夜の間に殺ってくれたらボクがアリバイなんかはでっち上げてあげるからさ!』
「って……そう、言ってたわ」
「中を詳しく覗く勇気は無かったし、モノクマが誰と話していたかは分からなかったけど……」
「……お姉さんは、あれは尾後くんだったんじゃないかと思うの」
「じ、じゃあ彼が……モノクマと通じている、『裏切り者』だと?」
「ええ……。そしてあの話が本当なら……彼は明日の夜、誰かを殺すために動くはず」
俺達の中に……裏切り者がいる?
そして……それが尾後で、俺達を殺そうとしている……?
そう……なのか?
「ひょっとしたら、それも向こうの罠かもね」
南界が、にこりと微笑んでそう言った。
「……その可能性は、ないとは言えないわ……。だけど黙ってても、死ぬだけだもの……!可能性があるなら縋りたいし、皆にも協力して欲しいの……!」
「いーんじゃない?僕も出来る事ならするよぉ~、ってか死にたい訳じゃないしねぇ」
軽やかな口調で、高梨が扇子を振りつつそう言った。
「そ、そうなのかな……。私達の中に裏切り者がいるなんて……でも、う~ん……」
「あ、あの……。僕も異論はないですけど……。でも、具体的な対応としては、どうするんですか……?」
「……そうね、とにかく……今は一人にならない事。そして明日の夜、尾後くんが仕掛けてくるようなら……何とかその裏をついて彼を拘束して、モノクマの事を聞き出す。……それしかないと思うの」
「具体的な作戦は明日の朝、ここでの話し合いで決めましょう。彼は朝の集まりには顔を出さないはずだから……」
「……それじゃあ、もうすぐ夜時間になるし……今日は休みましょう。皆、聞いてくれてありがとう……」
「……もしかしたら彼が動くのは今夜かもしれないし……皆、すぐに部屋に帰って。絶対に外に出ちゃ駄目よ」
三雲に促され、場は解散となった。
部屋に戻るが、とてもすぐには寝付けそうにない。
当然だ。いきなりあの情報量をぶつけられ、すぐに消化出来るはずもない。
考える事は山積みで、今夜はとても眠れない。
……そうだ。
眠れない。
その、はずなのだが…………。
いやに眠い。意識がどろどろと溶けていきそうだ……。
(…………)
はっと気が付いた時には、俺は自室の床に倒れ込んで眠っていた後だった。
硬い地面に臥すように寝ていたせいで、身体のあちこちが軋んでいる。
ぐらぐらする意識を抑え、呻きながら立ち上がる。
「う…………」
頭が痛い。
何が起こった?たかが一日二日食事を抜いたくらいで、ここまで体調を崩すとは思えない。
波のようにやって来る吐き気を抑えて、ふらふらと立ち上がった。
今が何時かも分からないまま、とにかく食堂へと向かうために部屋を出る。
「うぎゃあっ!」
「っ!?」
廊下に出た途端、誰かとぶつかりそうになった。
悲鳴を上げて飛び上がったのは、青白い顔をした青空だった。
「み、見通……!?ここで何し……うぅっ、ぎもちわるい……」
ふらふらしながら、青空が口元を押さえ壁に寄りかかる。
「今何時なんだろ……。なんか、昨日は急に寝ちゃって……」
「……俺も」
「ていうかさ、もっとヤバい事あって……。いや、今はそれどころじゃないよね……はやく、食堂……行かなきゃ……」
よろよろと立ち直り、歩き始めた所で……青空の足が、ぴたりと止まる。
「ね、ねえ……私だけかな……。あっち……なんか、変な感じしない……?」
「変な感じ、って……」
キンコンカンコーン…
『オマエラ、おはようございます!朝です、7時になりました!起床時間ですよ〜!』
『さあて、今日も張り切っていきましょう!』
空々しいチャイムが響き、青空の身体がびくっと震える。
しばし立ち尽くし、俺達はお互いの顔を見合わせた。
「行か……なきゃ……だよね……」
「……ああ……」
一歩ごと、近付くほどに……。
非日常へ近付いている事が、分かっていった。
食堂からは、言い様のないような……暗い気配が立ち込めている。そして同時に鉄臭いような、生臭いような……『血生臭いような』、そんな悪臭が漂ってくる。
青空が、俺の腕にぎゅっとしがみついた。お互い言葉にはならないながら、立ちのぼるような嫌な予感が身体を流れていく。
それでもどうする事も出来ないまま、ゆっくりと中に入った。
そして……。
俺は衝撃に目を見開いた。
「な……!?」
ピンポンパンポーン…
『死体が発見されました!一定の捜査時間の後、学級裁判を開きまーす!』
ピンポンパンポーン…
『死体が発見されました!一定の捜査時間の後、学級裁判を開きまーす!』
二度、チャイムが鳴った。
血まみれの少女達が、そこにあった。
三雲磨朝。
高梨水仙。
ともにおびただしいほどの血を流した二つの死体が、折り重なるようにして倒れていた。
そして……。
部屋の隅で、軽井沢が一人立ち尽くしている。
いつものフリフリの洋服は、上も下もべたべたに汚れている。
それは、床に流れているものと同じ……赤黒く染まった血の色によって。
そして、彼女の小さな手には……。
同じく血に染まった、包丁が握りしめられていた。