恋に恋するサムライガール   作:フライドレッグ

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1.プロローグ

「あははははははっ!」

 

 ノア市のとある暴力組織の拠点、雑居ビルの一室に少女の笑い声が響き渡っていた。

 ブルドックにパグ、ビーグル。居並ぶ犬人が戦々恐々と見つめる中、そいつは血塗れの刀を振った。

 いましがた斬り殺されたドーベルマンの血が慣性に従って飛び散り、剥き出しのコンクリート壁を赤く染めた。

 

「て、てめえ……どこのもんだ!」

 

 若頭のチワワが侵入者の放つ異様な雰囲気に飲まれないように甲高い怒鳴り声をあげる。

 

 見慣れない少女だった。黒い瞳と髪、幼さの残る顔立ちに華奢な身体つき。身に纏う和服が多少風変わりだったが、未成熟な姿は裏路地の花売りと大差ない。手にした刀に目を瞑れば、組の誰かが暇潰しに呼んだコンパニオンだとでも思っただろう。

 問題はそれがずかずかと事務所上がり込んできて、締め出そうとした下っ端を何のためらいもなく斬り殺したことだ。

 まったく意図がわからなかった。敵対組織からの刺客か? だが今のところ彼らを襲撃するほど元気な組織はないはずだ。

 地域担当の公安にも金を握らせている。だからつい先日、組長の背広をアイスクリームで汚したガキも穏便に処分できたのだ。

 目の前の異常者に因縁をつけれられる筋合いはない。

 

 恐怖と警戒心の入り混じった視線を受け止めた少女は口を三日月のようにゆがめて楽しそうに言った。

 

「ああ、そういうのはいいんだ。レゲットから聞いた。あんたたちは頭にドのつく畜生で、死んでも誰も困らないんだって。だからほら……存分に殺し合おうじゃないか!」

「こいつっ!」

 

 啖呵を切る少女にドーベルマンとシベリアンハスキーが襲い掛かる。裂帛の気合とともに振り下ろされた角材は寸前まで少女の立っていた床材を虚しく砕いた。

 蛍光灯の白い光が翳る。少女は彼らの頭上にいた。足の力だけで1メートル以上飛び上がったのだ。宙返りの途中、逆さまの体勢で彼女は刀を振った。

 呆気にとられた表情の組員の首がふたつ、彼女と同じように宙を舞った。

 ふたり分の首無し死体が崩れ落ち、少女が机に降り立つ。着地の際に灰皿が立てた小さな音を聞いて若頭はようやく我に返った。

 

「……殺せぇっ! ワシらを舐めたガキを生かして帰すな!」

 

 悲鳴にも似た絶叫に追い立てられて組員たちは我先にと武器を手に突進した。まさしく獣の如き速度で走り寄る犬人たちに、少女は足場にしていた巨大な机を蹴り飛ばした。

 先頭に立っていたプードルが分厚いテーブルで顔面を強打し、もんどりうって倒れる。他の組員たちが迂回して少女のいた場所に突っ込んだが、そこにはもう誰もいなかった。

 彼らの後列で悲鳴が上がる。最後尾にいた巨漢の土佐犬ふたりが倒れ伏す。少女は悠然と血の海に立っていた。机を蹴り飛ばすと同時に並々ならぬ脚力で組員たちの頭上を飛び越えていたのだ。

 ありえないことだった。助走もなしに5メートル以上の距離を跳躍するなど、身体能力に優れた彼ら犬人にも不可能だ。そのうえ、すでに5人が少女に傷ひとつつけられずに斬り殺されている。犬人たちは絶望的な状況を前に、舌べらを出して荒い息をした。

 恐怖が彼らの身体を床の上に縫い留めていた。固まる犬人たちの姿に少女が失望したように不満を漏らした。

 

「……どうした? あんたたちは裏社会でも有名な武闘派ヤクザなんだろう? こんな子供ひとり片づけられないのか?」

「ずいぶん舐めた口利くじゃねえか。その言葉、撤回できんぞ……」

 

 苛立たしげに吐き捨てたチワワが大柄なドーベルマンの組員に目くばせする。

 合図を受けた犬人は懐から取り出した注射器を首元に突き刺した。

 変化は劇的だった。筋肉が二回り以上肥大してスーツを破り、恐怖に震えていた目から理性が消えて興奮の色に書き換えられる。

 

「ぐおおおおおおおおっ!」

 

 窮屈そうに振り下ろされた手のひらがすぐそばにいたポメラニアンを叩き潰した。床と巨大な手のひらの間から赤い液体がにじみ出る。

 憤怒の叫び声を上げたのは先ほどまでの犬人とは似ても似つかない、肉ダルマとでも呼ぶべき物体だった。肥大した肉体から撒き散らされる濃密な敵意と殺意が少女を突き刺す。

 

「ははは! いいじゃないか! こういうのを待っていたんだ!」

 

 異常事態を前にして少女は笑った。

 咆哮を上げて突撃する肉ダルマと後に続く犬人たち、そして狂喜を振りまく少女。

 血の匂いに酔う者たちの第二ラウンドが幕を開けた。

 

 

 コンクリートの壁に反響して響き渡る笑い声と怒号、悲鳴と剣戟の音。

 俺は騒々しい隣室の様子からビジネスパートナーが上手くやってくれていることを確認した。

 そして目の前の犬人に突きつけた拳銃を脅すように振った。

 

「ほら頼むぜ、組長さんよ。あんたが一昨日ぶち殺した蜥蜴人に詫びてくれれば、俺たちもさっさと帰れるんだ。変なプライドは捨ててくれよ。お互いクレバーに行こうぜ」

 

 しわくちゃの顔面をより一層ゆがめて、ブルドックの犬人はこちらにガンをくれた。

 

「……何でも屋レゲット。純人の分際であちこちに首を突っ込む変わり者が、ワシの組にまで噛みついてくるとはな」

「よく知ってるな。もしかしてファンか?」

「たわけが。あの殺人鬼を拾ってからずいぶん気が大きくなったようだが、裏路地のパワーバランスが崩れて困るのは一般市民だぞ。貴様に大義なぞない。偶然手に入れた力に酔っているだけだ」

「力に酔ってるだって?」

 

 ブルドックはたるんだ皮膚で隠れた目を俺に向けてうなずいた。

 

「そうとも。強すぎる力は社会の枠組みを破壊する。お前は善を成すという看板を盾に平穏に生きる市民の安全を脅かしているだけだ。誰に雇われたのかは知らんが、さっさとあの鬼子を連れて消え去れ」

「そりゃあ無理な相談だな。俺だって飯のタネを稼がなきゃいけないし、なによりもあの相棒がせっかくの遊び相手を見逃がしてくれるとは思えない」

「そうか、ならば後悔するなよ」

 

 視界に突如として影が差した。

 俺が座っていた椅子を真上から降ってきた肉塊が叩き潰す。俺はその場から飛びのきながら、一瞬前まで尻を預けていた物体が跡形もなく破壊される様を見て背中に冷たい汗をかいた。

 距離を取って乱入者に銃口を向ける。そこにいたのはまさしく肉ダルマと呼ぶのにふさわしい物体だった。

 スーツの残骸を身に纏い、ぶくぶくと盛り上がった肉で身体のシルエットは丸くなっている。鈍重そうな見た目に似合わず奇襲してきたのはそれがもとは狼人だったからか。

 大きく裂けた口元から滝のようによだれが滴り、瞳から理性の色は確認できない。

 着地の衝撃でそいつの首に刺さっていた注射器が外れ、床の上に橙色の液体をばらまいた。ニンジンに似た香りが漂い、厄介な状況が浮き彫りになる。

 

「……ハッピーラッピーか。こりゃまたえげつないモン持ち出したな」

「ふん、博識だな。こいつは本来であれば周防組との抗争で使う予定だったものだ。お前のような若造にはいささか贅沢に過ぎる代物だが、たったふたりでカチコミをかけてきた肝っ玉にめんじて特別にご馳走してやろう」

 

 組長の号令とともに肉ダルマが突撃してくる。

 俺が横っ飛びに避けると、そいつは後ろにあったオフィステーブルを巻き込みながら壁に突っ込んだ。軽トラックでもぶつかったような衝突音とともにコンクリート製の頑丈な壁に罅が入る。

 肉ダルマは机の残骸を跳ね除けながら平然と身を起こした。肩に突き刺さって折れた机の脚が増殖する肉に埋もれて瞬く間に見えなくなった。

 

「はーっはっは、どうだこの威力は!? 大枚をはたいて闇市で仕入れただけはあるだろう! 泣いて謝るなら今のうちだぞ。もっともコイツに謝罪の言葉なんぞわからんだろうがな!」

「……ご機嫌だねぇ」

 

 俺は咄嗟に隠れた机の裏でぼやくと、ヤツの様子をあらためて机の脚の隙間から確認した。

 肉ダルマの顔面のパーツは膨れ上がる筋肉に覆われてほとんど見えなくなっている。あの調子なら放っておいても10分そこらで心肺が異常増殖する組織に押し潰されてオシャカになるだろうが、そこまで待ってはくれなさそうだった。

 奴は唯一残った鼻でこちらの位置を嗅ぎ当てると、くぐもったうなり声をあげて跳躍の姿勢に移った。

 俺は机の下から這い出すと肉ダルマに銃口を向けた。愛すべき回転式拳銃の薬室にはすでに半年分の食費に匹敵する特別弾が詰め込まれている。

 

「無駄よっ! ちっぽけな拳銃でR型被検体は──」

 

 飛び掛かる肉ダルマに銃口を向けて引き金を引いた。撃鉄が薬室内の雷管を叩き、エーテル混合火薬が炸裂してアダマン鋼弾頭を殴りつけた。

 轟音を置き去りにして飛び出した弾丸は推定300キログラムの巨漢をその内蔵エネルギーごと吹き飛ばした。

 耳の痛くなるような静寂の後、哀れな被害者は胸に子供でも通り抜けられそうな空洞を開けて地に伏した。

 

 俺は硝煙を吹き散らすと呆然と佇むターゲットに尋ねる。

 

「よう、まだやるかい?」

「若造如きが……」

 

 だが、ようやく決着の目途がついたところで咆哮とともに隣室の扉がこじ開けられ、新たな肉ダルマが侵入してきた。

 途端にブルドックの顔に生気が戻る。

 

「どうだっ! ワシの組はまだ終わっちゃいない! 死ぬのはお前だ!」

「おいおい、そりゃないぜ。食べ残しはなしって言っただろうがよ……」

 

 冷たい汗が背中を伝う。先ほどの弾丸は撃ち止めだ。あんな高価なものをいくつも持ち歩く余裕はない。

 

 吠えながら四つ足で突っ込んできた怪物をすんでのところでかわす。転がりながら体勢を整える途中、鋭い痛みが走った。飛び散った机の破片で足を切ってしまったようだ。

 痛みを押し殺してブルドックに銃口を向けた。この肉ダルマ2号を止めることは俺にはできないが、タダで死ぬ気はない。

 

「な、何をする!? ワシを殺してもコイツは止まらんぞ。銃を向けるな!」

「それはどうかな。何事も試してみなきゃ分からないだろ」

 

 状況の変化を感じ取ったのか、猛獣の威圧感が薄れる。それでも徐々に近づいてくる姿に俺は引き金に力を込めた。

 組長が屠殺される豚のような鳴き声を上げた。悲鳴に反応したそいつは力をためるように身をかがめた。

 

 それを止めたのは壁を突き破って出現した刀だった。

 厚さ10ミリメートルのコンクリート壁に前触れもなくバツ印の切れ目が入る。爆発するように壁が突き破られ、下手人の華奢な足が鋼鉄の下駄を踏みしめて散らばった壁の残骸を踏みつぶした。

 あらわれたのは1メートルを超える刀身。数多の犬人の血をすすり、無機物を斬ってなお一点の曇りもない刃紋が怪しく光を跳ね返す。

 それを握るのは白魚のような指だった。まだ細く、育ち切っていない五指はごく自然に刀を握っている。

 身にまとう着物のまだらな赤色は斬り殺した獲物の数を物語っている。

 まだ幼さの残る顔立ちは興奮で薄い朱色に色づいていた。潤んだ黒い瞳が獲物の姿を認め、喜色に染まる。

 

「ぐおおおおおおおおっ!」

 

 悲鳴のような怒声を上げて肉ダルマ2号が突撃する。床に罅が走るほどの猛烈な踏み込みとともに剛腕が振りかぶられた。

 少女はわずかに目を細めると、倒れ込むように腕の下をくぐり抜けた。着物の裾すら捕らえられず、剛腕は虚しく空を切った。

 振り向く暇を与えず、少女は肉ダルマの背後で刀を振った。わずかな残心の後、肉ダルマの両腕と頭が離れ、胴体が崩れ落ちる。転がり落ちた首は何度か口を開閉して仇敵に噛みつこうとしたが、やがて力を失ってただの死体に戻った。

 

 少女は血振りをしてからゆっくりと刀を鞘に納めた。

 

「なんだ、終わりか。つまらないな」

「……小娘ぇ。貴様、ワシの組員はどうした」

 

 少女は退屈そうに組長の姿を捉えると、開通したばかりの道を指差した。

 穴を通してわずかに見えるあちら側の床は少女の着物と同じ深い赤色に濡れている。うめき声ひとつ響かないそこは、まるで地獄のような沈黙を保っていた。

 

 組長はおぼつかない足取りで穴まで近づくと、おそるおそるその先を覗き込んだ。そして潰れたカエルのような悲鳴を上げてその場に尻もちをつき、無情な現実を受け止め切れず白目を向いて倒れ込んだ。

 可哀想に。きっと夢で何度も見るような光景だっただろう。だが、心配する必要はないさ。公安の取り調べが終わればすぐにでも部下と同じ場所に旅立てるだろうから。

 

「あんたは確認しないのか?」

 

 当たり前のように死体検分を勧めてくる相方に、俺は黙って首を振った。

 その様子を不審に思ったのか、少女は無遠慮に俺の身体を確認し、足の怪我を見つけて軽く鼻を鳴らした。

 

「ふんっ。だから私に任せろと言ったんだ。どうせ皆殺しにするくらいなら謝らせたって無駄じゃないか」

「……お前に任せてたらそいつまで斬り殺してただろうよ」

 

 俺のもっともな指摘に少女は豆鉄砲を喰らったような顔をすると、すぐに不機嫌そうに顔をゆがめ、床に散らばった壁のかけらを足で弄りだした。

 面倒なやつだ。本当のことを言っただけでいじけるなよ。だが、何はともあれ今の俺の商売はコイツの存在で成り立っている。機嫌取りぐらいはしておかなければいけない。

 俺は込み上げてきた面倒くささを飲み下すと無理やり笑顔を作った。

 

「だが助かった。お前がいなきゃ俺は今頃床の染みの仲間入りをしていた。ありがとうな、氷雨」

 

 少女は俺の言葉に意外そうに二度三度瞬きをした。それからくすぐったそうに口元を緩め、うんと返事をするのか、それともふんと鼻を鳴らすのか、決めあぐねたようにくふんと謎の音を出した。よくわからんが、どうやら俺の下手くそな社交辞令を気に入っていただけたようだ。

 顔を赤らめ、口をもにゅもにゅとしながらガレキを蹴飛ばす少女に問いかける。

 

「それで……満足したか?」

「うん、悪くはなかった」

 

 俺の問いに少女は歯を剥き出しにして笑った。

 さきほどの控えめなものとはまるで違う、久しぶりに獲物にありつけた猛獣の笑みだった。

 数ヵ月に渡ってこいつと暮らしてきた俺でもいまだに慣れない、寒気のするような極めつけの戦闘狂スマイルだ。

 

 こいつの名は氷雨。ご覧の通り、定期的に武装集団を血祭りにあげないと気が済まない頭のねじの外れた戦闘民族だ。

 

 そして俺の名はレゲット。不注意から彼女を拾ってしまったドのつく間抜けだ。

 

 事の発端は数ヵ月前にさかのぼる。

 

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