恋に恋するサムライガール   作:フライドレッグ

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4.サムライガールと大人の甘言

 氷雨を先頭に、俺たちは細道を走っていた。

 

「次を右だ!」

 

 寝転んでいた亀人の青年を飛び越え、さらに奥へと進んでいく。

 通り掛けに脇に積まれていた木材やゴミ箱を崩した。抗議の声が後ろから響いてきたが知ったことか。こんなところにいるのが悪い。

 通った道に仕掛けを施しておく。これで少しは時間が稼げるはずだ。

 

 ゴールは見えてきたがあまり楽観視もできない。

 前を進む氷雨の足取りが陰り始めていたからだ。

 散らばったゴミや障害物に足をとられ、引きずるように前に進んでいる。俊敏だった先ほどまでの動きは見る影もない。

 

「くそっ……なんでこんな──」

「急げ、追いつかれるぞ!」

「わかっている!」

 

 その時、前方の横道からひとりの純人が現れた。ネズミ人たちの仲間だ。

 そいつは俺たちの姿を認めるとすぐに、首からぶら下げた笛に手を伸ばした。

 標的を前にして異郷の剣士の足が躍るように跳ねる。

 

「待て、殺すな!」

 

 俺の警告は遅すぎた。

 煌めく白刃が偵察者の胴体を分断して連絡を阻止することに成功した。

 だがその直後、氷雨が膝から崩れ落ちる。

 首輪の痣はいまや身体全体に広がり、血のような真紅に輝いていた。

 

 まずい、まずい、まずい!

 

 後ろの怒声はどんどん近づいている。

 爆発音とともに何かが崩れ落ちる音が響いた。仕掛けは正常に作動しているようだが、もう数十秒ともたないだろう。

 

 少女は完全に意識を失い、ゴミ山の上に倒れている。

 彼女を抱えて逃げるには出口まで遠すぎた。

 あるいはひとりだけでなら逃げ切れたかもしれない。だが、それは別の問題を生むだけだ。

 その時、俺の目にマンホールが映った。

 

 無機質な黒い円形。選択肢は他になかった。

 俺たちは追い立てられるようにそこに逃げ込んだ。

 

 

 

『レゲット・ダイアリー・ホームズ探偵事務所』の建物から十数メートルほど離れた位置にある、とある細道の上。薄汚れて周囲に同化していたマンホールの蓋がゆっくりと持ち上がった。

 下水道の暗闇の中から薄汚い少女を背負った端正な顔立ちの美丈夫が顔を出した。そう、俺だ。

 俺はマンホールから這い出して背負った荷物を放り出すと、ついさきほどまで潜んでいた穴に突っ伏してえずいた。

 おえーっ。

 ひとしきり胃の中の内容物を吐き出すと、先ほどまでの気分が嘘のようにすっきりした。幸いなことに胃の中にはほとんど何も入っていなかった。今朝、同行者が俺の朝食を平らげてくれたおかげだ。

 そしてありがたいことに、彼女が胃液とブレンドしてくれたそれは今、俺のシャツを親しみを感じさせるクリーム色に彩ってくれていた。

 マンホールの蓋を元通り塞ぐ。次に使う人のために整えておかなくちゃいけないな。ふと顔を上げると引きつった顔でこちらを見つめる犬人のご婦人と目が合った。反射的に笑いかけておく。

 

 婦人は鼻をつまむと挨拶を返すこともなく足早に去っていった。よほど下水の匂いがきつかったんだろう。申し訳ないことをした。

 

 あらためて自分の格好を見直す。ズボンは泥まみれ、シャツはゲロまみれ、染みついた下水の匂いは1週間は落ちないだろう。

 逃げられるのも至極当然、誰がどう見ても由緒正しい底辺の風貌だった。せっかくクリーニングした事務所がまた臭くなるな。

 俺はうめき声ひとつあげない氷雨を担ぎ上げると、事務所に向かって歩き出した。

 

 

 

「おやまあ、ずいぶんと男前な格好だねえ。肝試しでもしてきたのかい?」

 

 事務所に戻ると千夜婆さんが新聞を畳みながら出迎えてくれた。

 部屋の中にはコーヒーの香りが充満している。

 空き巣に狙われないよう、ずっと残ってくれていたらしい。

 良い人なのだ、性格のキツさに目をつぶれば。

 

「まあ似たようなもんだな。それよりもほら、家賃渡しとくぜ」

「ああ、いいよ。今月分は特別に免除してやる。その代わりと言っちゃなんだけど……」

 

 猛烈に嫌な予感がした。

 千夜婆さんは俺がソファーに寝かせた氷雨の様子を見ながら言った。

 

「この子の面倒を見てもらえないかい? お礼はするからさ」

「……なんでそこまで入れ込むんだ? いくらあんたでも度が過ぎてるだろ」

「実は遠い知り合いなのさ。会ったことはなかったけどね」

 

 答えになっていない。遠い知り合いなんて、友達の友達くらい曖昧な概念だろう。説明する気もないということか。

 

「ならあんたが面倒を見ればいい」

「あたしんちはダメだよ。子供がいたらボーイフレンドを呼べないじゃないか」

 

 思わず顔が引きつる。

 なにがボーイフレンドだ。年甲斐もねえババアだな。

 

「何か言ったかい?」

「いや、何も……ならせめてこいつを綺麗にしていってくれ。このままだと事務所にゲロの匂いが染みついちまう」

「老人を働かせるつもりかい!? はっ、心配しなくても大して変わらないよ……まあ乙女の貞操のためだ。仕方がないから一肌脱いでやろうかね」

 

 千夜婆さんは氷雨の放つ強烈な匂いを嗅いで即座に前言撤回した。

 台詞の割には楽しそうに氷雨をシャワー室に担いでいくと念入りに洗浄してくれた。

 おかげで鼻を刺すような刺激臭もようやく気にならなくなった。

 

 

 

 俺は静寂を取り戻した事務所の中でひとり煙草を吸っていた。

 吐き出された紫煙がわずかに開けられた窓から小さな龍のように外へと出て行く。

 窓の外は夕焼けに染まっている。まもなく完全に日が落ちるだろう。

 

 今日も普段通りいくつか営業をかけた後、食糧を買い足して戻ってきていた。

 出かける前、念のためローテーブルに置いていた水と食料はまだ手をつけられていない。

 テーブルの向こう側にあるソファーの上で氷雨が微かな寝息を立てていた。

 さらけ出された首の痣はゆっくりと明滅している。

 

 ふと、眠っていた彼女が身じろぎをした。

 よく見ると薄く目を開けている。倒れる前の記憶をたどっているのだろう。

 

「……ここは……?」

 

 囁くような弱々しい声だった。今朝のような獰猛な雰囲気は欠片もない。

 

「俺の事務所だ。お前が今朝早く襲撃に来た場所だよ」

 

 氷雨は寝ながら首の動きだけでこちらを向いた。ぼんやりとした顔で俺の存在を認めると何度か瞬きする。

 

「……そうか。あんたが……」

 

 そう言うと微かに咳き込んで静かになった。まだ本調子には程遠いのだろう。とはいえ、首輪の輝きはだいぶ弱まっていた。一般的な亜人に比べると明らかに異常な緩和速度だった。

 

「……なんで助けた?」

 

 少ししてからまた氷雨が言った。

 

「はっ、さあな」

 

 本音を話す気はない。どう伝えても面倒なことになるだろうからな。

 すげない返事になってしまったが少女は気にしていないようだった。というよりも気にするほどの気力が戻ってないと言った方が正しいか。

 虚ろな目でうわごとをつぶやく姿は、今際の際に罪を告白する咎人のような哀愁を漂わせていた。

 

「……こちらに来たのは父上が死んだからだ。病気でもう門をくぐる体力もなかった」

「そうかい」

「先に渡ったはずの同胞を探せと言われた。俺の雪辱を代わりに果たせと」

 

 復讐か。こっちに来る亜人の動機としては特にめずらしくもない。

 察するにこいつの親父はその同胞とやらにこっぴどく痛めつけられたんだろう。

 

「父上は私を厳しく鍛えた。毎日血反吐を吐くまで刀を振った。ただひたすらに武術の稽古に埋没する日々だった。私は……本当は羨ましかった。人間たちは平和に暮らしているのに、どうして私だけがこんなに苦しい思いをして戦に備えなければならない? いくら腕を磨いても私を必要としてくれる戦場なんてもうどこにもないのに。私の存在価値が老人の介錯を勤め上げることだけだとすれば、使命を果たした私はどうやって生きていけばいい? 向こうにはもう戻れない。父上の雪辱を果たせば私は知らない世界でひとりぼっちだ」

 

 どうやらあまり楽しい青春時代ではなかったらしい。しかし意外だな。サムライってのはどいつもこいつも刀を振ることしか考えていない社会不適合者ばかりだと思っていたが、すくなくとも目の前の少女には人並みの感性が存在するようだ。

 とすれば、なんとか説得をする余地があるか。

 

「親父さんはすぐにやれって言ってたのか?」

「……いいや」

「なら後回しにすればいい。しばらくそこら辺をうろついてやりたいことを探すんだ。そうすれば目的を果たした後にどうしようなんて不安もなくなるだろうさ」

 

 俺の言葉に少女は考えてもみなかったことを聞いたというように目を瞬かせた。

 そして眉間にしわを寄せ、途切れ途切れに言葉を吐き出した。

 

「そんな不真面目なこと……それにやりたいことなんて、私には……」

「ないのか? ならなおさら探さなきゃならんな。復讐を果たした後も人生は何十年も続くんだ。死んだような余生を送るなんて、それこそ剣を交えた相手に失礼だろ?」

「……しつれい、か。そうかもしれないな……」

 

 氷雨はぼんやりと俺の言葉を反芻した。

 

「手始めに俺の仕事を手伝ってくれないか? ちょっと前に人が減っちまってな、ちょうどボディーガードを探してたんだ。お前ならぴったりだと思う。その代わりに街のことを教えてやるよ」

「……それは、あんたが一緒にいてくれるってことか?」

「ああ、そうだ」

 

 少女の熱っぽい瞳が俺を凝視した。さきほどまでの夢見心地な雰囲気は消え去り、能面のような無表情の中に黒々と浮かんだ煮えたぎるタールの双眸がこちらを見据えている。俺は背中から吹き出る嫌な汗を感じながら努めて平静にそれを見つめ返した。

 しばらくそんな風に俺を見定めていた少女だったが、やがて小さく鼻を鳴らしてから目を閉じた。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら寝ちまったようだ。

 聞こえないようにそっと息をはく。

 今の様子を見るに目覚めてすぐ復讐に向かうということはなさそうだし、最低限の義理は果たせただろう。

 

 

 

『あたしが頼んだってことは内緒にしておいてくれないかい?』

 

 千夜婆さんは最後にそう言い残していった。

 恩に感じられるのが嫌だという面もあるのだろうが、あの世話焼きで有名な人が今更それを隠す意味は薄い。

 どちらかと言えば千夜婆さんとその知り合いに近づかないよう、氷雨を俺にあてがったと考える方が妥当だろう。

 

「ボーイフレンドねえ……」

 

 つぶやきは窓の隙間から暗闇に沈んだ街へと消えていった。

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