恋に恋するサムライガール   作:フライドレッグ

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6.サムライガールが斬る引きこもり吸血鬼

 サラと部屋の前で別れ、俺たちは最後の仕事に取り掛かることにした。

 205号室はサラの部屋のふたつ隣だ。さすがにここを氷雨に任せるつもりはない。

 

 俺は氷雨を連れて吸血鬼カップルの部屋のドアを叩いた。

 5回目のノックでようやく反応があった。

 物音が聞こえ、人の気配が扉の向こう側で止まった。ドアスコープ越しに俺たちの様子を確認しているのだろう。

 氷雨は扉から見えない位置に待機している。お許しを得た彼女は今日1番リラックスしていた。

 こいつの力を借りる事態にならなければいいんだが。

 

「……どちら様ですか……?」

 

 扉越しにくぐもった声が聞こえてきた。神経質そうな若い男の声だ。

 俺は事務的に聞こえるよう、努めて感情を抑制して用件を伝えた。

 

「千夜さんの使いで来ました、レゲットと申します。ウォルターさんでいらっしゃいますか?」

「……ええ」

 

 扉はピクリともしない。開けて話す気はないらしい。

 

「家賃を払っていただくことは可能でしょうか?」

「……無理です」

「1ヵ月分でも払えませんか?」

「……できません」

 

 だろうな。

 サラと千夜婆さんの話では働きに出ていたのは行方不明になったエミリーだったらしい。吸血鬼のウォルターは俗な言い方をすればヒモというやつだったようだ。

 支払いをしていた彼女がいなくなった以上、この男がここで生活を続けることは不可能だ。

 

「そうですか。であれば早急にこの物件から立ち去っていただくようお願いします。3日は待ちますので」

「……もし立ち去らなればどうなりますか……?」

「強制退去の手続きを取ることになります。ですがそれはお互いにとって不幸なことになるでしょう。ですので、それまでにお金を工面していただくか、ご自身で退去の手続きを取っていただくことをお勧めします」

 

 今伝えたことは決して誇張した表現ではない。そもそもノア市の市政は市民権を得ていない亜人をはなから人間扱いしていない。懲罰付きの首を買い取っているのがその証拠だ。何の保証も求めずに住処を貸し出している婆さんが異常なだけだ。

 温かみの欠片もない要求に扉の向こう側の人物は沈黙した。

 根気よく20秒くらい待つと、またくぐもった声が聞こえてきた。

 

「……あの、すこし家賃の件で相談したいことがあるんですが……」

「ええ。どうぞ」

「……もしよければ部屋の中で話せませんか……?」

 

 俺は思わず鼻を鳴らしそうになった。

 今日日、童話の狼だってもう少しうまく誘い出すだろうに。

 とはいえ、これは渡りに船だ。行方知れずのエミリーの所在が分かるかもしれない。

 エミリーという女性はよほど人当たりが良かったらしい。仕事を受ける際、千夜婆さんからもできれば彼女の行方を聞き出してくれと指示されていた。

 俺の勘だが、彼女はこの部屋にいる。

 おそらく今日の報酬金の封筒は1枚分厚くなるだろう。もちろんそうならないのが一番だが。

 俺はどす黒く染まった内心をおくびにも出さず、笑顔を作った。

 

「もちろん。かまいませんよ」

 

 扉が開き、男が姿を現した。

 痩せぎすで青白く、いかにも不健康そうな男だ。

 俺は扉の死角で待機している氷雨に合図をすると、彼女を置いて部屋の中へと入った。

 

 室内は暗かった。おそらく電気を切られてるんだろう。

 電気屋は千夜婆さんほど忍耐強くない。支払いを1週間でも遅れれば容赦なく送電を止められる。

 この街ではそちらの方が普通だ。誰もが道楽で生きていけるわけではない。

 

「いやあ、暗いですね。電気は止まっているんですか? 掃除ももう少ししたほうがいいですよ。ひと様から借りている部屋なんですから」

 

 俺は能天気な声を響かせながら廊下を進む。

 廊下は文字通りゴミ屋敷の様相だった。散乱した何かの骨と保存食の空き箱などが床を埋め尽くし、足の踏み場もない。

 まったく、お里が知れるぜ。

 

 ウォルターは俺の言葉に返事もせず奥の部屋へと歩いていく。

 もう俺の言葉なんてどうでもいいのだろう。

 

 俺は踏んづけた腐った何かに悪態を突きながら、彼が待っているであろう部屋のドアをくぐった。

 そして即座にその場から飛びのいた。

 

「──ふっ!」

 

 一瞬前まで俺の頭部があった空間をガラス瓶が高速で通過していく。あぶねえ。

 懐に納めた固い感触を引き出しながら開け放たれたドアを再びくぐり抜ける。

 廊下から死角になる位置にウォルターが驚いた顔をしながら立っていた。その手には先ほど振られた凶器が握られている。

 俺はその間抜け面を存分に味わいながら、凶器を握ったその手に取り出したナイフを突き刺した。

 

「ぐっ! ──があぁぁぁっ!?」

 

 ウォルターのこらえた悲鳴はすぐに絶叫へと変わった。

 俺がナイフの機構を作動したからだ。

 持ち込んだナイフ、通称スタンナイフは刀身を伝導体として突き刺した対象を体内から感電させる。

 柄の内部に小型の大容量バッテリーを内蔵し、握り手のスイッチを押すことで放電するのだ。

 例え純人よりはるかに優れた身体能力と耐久力を持つ亜人でも、身体の中に電気を流されれば大半のものが意識を失う。

 護身用と呼ぶには少々過剰な代物だが、亜人相手にこれほど頼もしいものはない。

 携行性、単価、入手性。ノア市の市民が手に入れられる護身用品の中では最も信頼できる製品のひとつだ。

 その効果のほどは目の前で痙攣する吸血鬼が如実に物語ってくれている。

 

「はっ、くそったれのヒル野郎が。人間様を舐めんなよ」

 

 俺はもう1本のナイフを取り出し、ウォルターの首元を覆っている布切れを斬り捨てた。

 露わになった首輪は純人殺しを意味する懲罰の強烈な赤色の輝きを発していた。

 

 やっぱりな。

 純人と亜人の2人組。その片割れがいなくなったと言えば何が起こったかはサルでもわかる。

 殺しだ。

 だが、1ヵ月前に同居人を殺したにしては色が濃すぎる。ただ殺しただけなら、すでに色が抜けていてもおかしくない頃合いのはずだが。

 

「ううっ。エミリー、エミリィーッ……どうしてぼくを置いて行ったのぉ……?」

「はっ。そんなもんテメエが救いようのないクズ野郎だからに決まってんだろ」

 

 うわごとのように恨み言を呟くウォルターに毒づく。

 ウォルターは虚ろな目で懐に手を突っ込んだ。

 問題ない。何をしようと俺がやつのドタマに風穴を開ける方が早い。

 だが、そんな余裕は取り出された注射器を見て木っ端みじんに吹っ飛んだ。正確にはその内部に充填された青緑色の粘液を見た瞬間に、だ。

 

「テメエッ! そいつをどこで──」

「エミリーッ! 今行くよぉぉォォォオオオッ!!」

 

 一瞬の躊躇が明暗を分けた。ウォルターは躊躇いなくそいつを静脈に注入した。俺がヤツの目に銃弾を放ったのと、ヤツの身体が爆発的に膨らんだのはほとんど同時だった。

 

「イギイィィイッ!!」

 

 不気味な悲鳴を上げてそいつは立ち上がった。いいや、立ち上がろうとした。身体がデカくなりすぎて四つ足をついてかがむのがやっとだった。

 俺は拳銃が効かなかったのを確認して脱兎のごとく出口に走っていった。

 ヤツの咆哮を背中に受けながらドアを開け、即座に通路の脇へと退避する。

 閉まりかけた扉をぶち破りながらウォルターが飛び出してきた。やつはそのままの勢いで通路の手すりを引きちぎると、アパートの前の道路に地響きを立てながら着地した

 

「あれはなんだ?」

「敵だ!」

 

 待機していた氷雨に短く答えると、彼女は犬歯を剥き出しにして飛び降りていった。

 

 

 

 薬剤によって巨大化した吸血鬼が日の光を浴びて悲鳴を上げる。青緑色の粘液が潰れた眼孔からあふれ出し、赤く輝く首輪に巻き付いていた。首輪の輝きが弱まり、神に課せられた枷から解き放たれていく。

 空から降ってきた氷雨がヤツの首に斬撃を放つ。首のなかほどまで達した刀は強靭な筋肉に絡めとられて動きを止めた。傷口が真っ赤な蒸気を上げながら泡立つ。氷雨はそれを見て頭部の切断を諦めて刀を引き抜き、ヤツの肩を蹴りつけて道路へと着地した。

 脊椎まで達するほどの傷口は数秒後には赤い蒸気を残して綺麗に塞がっていた。

 

「これが吸血鬼本来の回復力か。でたらめだな」

「問題ない。死ぬまで斬るだけだ」

「あっ、おい!」

 

 脳筋そのものの言葉を吐くと、氷雨は振り向いた魔人に向かって突撃した。緩慢な動作で伸ばされた腕を斬りつけ、足の健を断ち切って横を駆け抜ける。たまらず四肢をついて倒れた吸血鬼をさらに追撃する姿勢に入った瞬間、何かに勘付いたようにその場から飛びのいた。

 先程まで氷雨の立っていたアスファルトに真紅の針金が突き立っていた。ウォルターが手を振ると、傷口から流れ出た血の飛沫が針状に凝固して撃ち出された。氷雨はそれを横っ飛びに避けた。

 着物の裾をたなびかせながら氷雨が攻勢に転じる。自身を狙う血の針を致命的なものだけ切り落とし、血の海に這いつくばる吸血鬼に肉薄する。そして、顔の前に掲げられた腕ごと吸血鬼の眼球を切り裂いた。

 

「ギ、ヤアアアァァァ!!」

「──ちっ」

 

 大音量の悲鳴とともに血の霧が撒き散らされる。

 それらの血が実体を持つ前に氷雨は飛びのいていた。だが、着地した氷雨の足は血に染まっていた。吸血鬼から流れ出た血の海が針の罠となり、薄い草履を貫通して彼女の足を刺し貫いたのだ。

 じゅうじゅうと蒸気を上げながら吸血鬼が立ち上がった。修復されたばかりの眼球が目の前の少女へと向けられる。傷だらけの腕を振ると、大量の血の針が雨のように氷雨に向かってばらまかれた。

 氷雨は人間離れした反応速度で回避行動に移ったが、その動きからは機敏さが失われていた。かろうじて致命傷は避けているが、徐々に息が上がり始めている。

 

 線での攻撃しかできないサムライと流血を武器に変える吸血鬼の相性は最悪だった。氷雨の攻撃は致命に至らず、むしろやつの手数を増やすだけだ。もし彼女に俺の知るサムライと同等の経験があれば戦い方を変えられたのだろうが、そうではなかった。

 苦境に立たされた少女の顔には未知の敵に対する困惑と僅かな恐怖の色が浮かんでいた。

 

 俺は弾丸を装填し直した拳銃を握りしめ、アパートの2階から飛び降りた。ヤツの頭に銃口を向け、叫んだ。

 

「氷雨! あわせろ!」

 

 その瞬間、攻防を繰り広げていた両者の意識がこちらを向いた。危険を察知したやつが銃口を遮るように右腕をかざしたが、今度は俺の方が一瞬だけ早かった。

 引き金を引く。衝撃とともに射出された弾丸が、巨大な指の間をすり抜けて再生したばかりの眼球から頭部に侵入し、運動エネルギーをぶちまけた。

 思考を司る脳組織に大きな損傷を受け、吸血鬼の動きが止まる。

 氷雨は制御を失った血の海を駆け抜け、裂帛の気合とともに無防備に晒された頸部に斬撃を放った。

 

「疾っ!」

 

 緋緋色金(ヒヒイロカネ)で作られた戦鬼の刀が茜色の軌跡と化して、硬質化した筋線維と頸椎を押し進む。重い手ごたえを残し、今度こそ吸血鬼の頭部が身体から切り離された。グロテスクな風穴を開けたひと抱えはある頭部が、ゆっくりと血の海を転がっていく。

 残心。

 力を失って倒れ伏した吸血鬼を前に氷雨はゆっくりと刀を納めた。ふらつきながら振り向いた少女がこちらに向かって笑いかける。それは、彼女が敵と殺し合う時に浮かべていたものではない、年相応の安堵と達成感に彩られた柔らかい笑顔だった。

 俺はそれに答えようと手を上げ……そして、少女の後ろで立ち上がる怪物の姿を見た。

 

「避けろっ!」

「──ぐぅっ!」

 

 氷雨が致命傷を回避できたのは奇跡に近かった。振り向く途中で足をもつれさせ、結果的に振られた拳の衝撃を身体の芯で受けずに済んだのだ。吹き飛ばされ、ボロ雑巾のような姿になった氷雨が俺の横まで転がってくる。

 それでも懸命に立ち上がろうと力を込めた彼女の動きは突如として崩れ落ちた。彼女が身に着けた着物は数多の裂傷から流れ出た血でぐっしょりと濡れている。

 

「なん、で……」

「血を流しすぎた、か。あれだけ飛び跳ねてりゃそうなるさ」

 

 吸血鬼は転がっていた頭部を拾い上げて頭にのせた。首の切断面からにじみ出た血の糸が傷口を縫合していく。弾丸が開けた穴の周辺組織が肉の芽と化し、のたうつように空洞部分を埋めていく。

 呆れるほかない回復力だ。一体どうすれば殺しきれるのか、見当もつかない。

 俺はゆっくりと近付く吸血鬼の姿に苦笑いを浮かべた。そして力なく痙攣する氷雨を見て覚悟を決めた。

 

「あんただけでも……」

「黙ってろ! 舌噛むぞ!」

 

 何事かを叫びかけた氷雨を担ぎ上げ、力任せに後ろにぶん投げる。クソ、けっこう重いじゃねえか。

 

「来いよヒル野郎! こっちだ!」

 

 適当な悪口を叫びながら氷雨を追おうとする吸血鬼に弾丸をぶち込む。放たれた弾丸はかざされた手のひらの肉を数センチ削っただけで速度を失う。

 俺はやつが顔面を守ったのを確認し、取り出したそれのピンを外して投げつけ、即座に耳を塞いだ。やつが踏みつぶそうとした瞬間にそれは爆発した。

 塞いだ耳を貫通し、衝撃で骨が震えるほどの爆音が響き渡る。対亜人用に製造された高圧音響手榴弾はヤツの平衡感覚を揺さぶり、数舜の隙を作りだしてくれた。俺は眩暈を振り払い、膝をつく吸血鬼に銃弾を放った。

 がら空きになった両目を銃弾が貫通し、ヤツの視界を再び奪う。更に引き金を引こうとした俺は、吸血鬼の動きを見て横っ飛びに転がった。

 視界を埋め尽くすほどの赤色が通り過ぎ、意識が一瞬途絶えるほどの激痛が走った。やつが反撃にばらまいた血の散弾が、俺の回避行動が意味をなさないほどの広範囲を薙ぎ払ったのだ。

 

「がああぁぁあっ!」

 

 自分が出したとは思えないような絶叫が聞こえた。膝をついていた吸血鬼がゆっくりと立ち上がる。四度目の再生を終えたその眼球は憤怒の炎を宿していた。

 

「──どうしてっ!」

 

 遠くで叫ぶ甲高い声が聞こえた。

 ああ、本当になんでだろうな。柄じゃない。普段の俺ならあんな面倒なガキは見捨ててとっとと逃げてるはずだったのに。

 

 腐った血のにおいが近づいてくる。吸血鬼は立ち上がることもできない俺をつかみ上げると、皮下組織の露出したグロテスクな顔面で獲物の調子を確かめた。

 鼻が曲がりそうな血の匂いと、首を締め上げる異常な高温に意識が遠のいた。おぼろげに浮かぶ景色はかつての同僚たちの姿だった。

 

「悪いな──」

 

 俺の首をつかむ手にゆっくりと力が込められる。氷雨の絶叫、穢れた血が体を喰い荒らす痛み、怪物の荒い息……そして唐突に、それらすべての温度がなくなった。

 目と鼻の先まで近づいていた吸血鬼の動きが完全に停止していた。あれほど再生を繰り返していた身体に霜が降り、流れ落ちる血液までそのまま凍り付いている。

 パキリ、という破砕音とともに俺をつかんでいた腕がなかほどで砕け、俺は凍り付いた地面に投げ出された。

 凍り付いた地面に手をついて上体を起こし、呆然と眼前に生まれた銀世界を見つめる。

 

 なんだこれは?

 

 微かな飛翔音とともに眼前に巨大な何かが落下した。氷の彫像と化した吸血鬼がガラス細工のように粉々に砕け散り、吸血鬼だった物体があたりに散乱する。

 爆心地でのっそりと巨大な獣が起き上がる。それは一点の染みもない純白の獣だった。つい数時間前にアパートの部屋で顔を合わせた白熊の獣人だ。だが、さきほどと違い、そいつの姿は熊と狼と兎と狐を混ぜ合わせたような奇妙なものになっていた。

 クヌートが赤く輝く4つの目を俺たちに向けた。下の2つを俺に、そして上の目を氷雨にだ。

 

「……過保護だねえ、レゲット。そういうの、あんまり良くないと思うなあ」

 

 俺はそれに返事をしようとして、代わりに口から血を吐いて倒れた。情けないことに身体を起こす気力すら湧かない。ただひたすらに寒かった。

 

「……あっ、しまった。ちょっと遅かったか。でも、大丈夫。この辺に、タルちゃんの血が……」

 

 横たわる俺の視界に獣人の巨大な顔が映り、すぐに離れていく。戻ってきた彼の爪には青緑色の粘液が摘ままれていた。

 

「……やめろ……どうするつもりだ……?」

「じっとしててねえ。すぐ終わるから」

 

 クヌートは俺の口をこじ開けると粘液を近づけてきた。軟体動物のようにジタバタと暴れるそれを容赦なく俺の口に放り込む。ぬるりとしたゼラチン質の感触が広がり、口いっぱいにエビのような匂いが充満する。本能的な恐怖から吐き出そうとしたが、粘液はまるで自分から望むように俺の喉に入ってきやがった。

 

 ごくん。

 

 強烈な吐き気に襲われて俺はその場にうずくまった。だが、飲み込んだものは一向に出てこない。それどころか、先ほどまでうるさいほどに自己主張していた痛みが嘘のように消えていた。腹を触る。痛くない。足を触る。傷ひとつない。

 

「……なんだこりゃあ?」

「次はもっと静かに起こしてねえ。それと……これ。嫌いだから、もう二度と使わないで」

 

 クヌートは転がっていた手榴弾の残骸を摘まんで粉々に擦り潰した。4つの目がすべてこちらを向き、巨獣の苛立ちが矮小な純人の心臓を撫で上げた。俺が必死で頷くと、やつは大きな欠伸をして部屋へと戻っていった。

 どう見ても通路よりも巨大な身体が部屋の奥へと消えていき、最後に狐のようなふさふさとした尻尾が扉を閉める。途端に辺りは元の気温を取り戻した。肉体の動きを支配していた芯まで凍えるような寒気がゆっくりと掻き消えていく。

 

 霜が解け、氷に包まれていた吸血鬼の肉片が日の光に焼かれて灰になり、風に吹かれてどこかへと飛んでいった。

 俺はしばらく茫然自失と目の前の光景を眺めていたが、少女の発したうめき声にようやく我に返った。

 

「……あっ、おい! 氷雨、大丈夫か!」

 

 地面に突っ伏した氷雨を抱き起こす。

 頬をはたきながら何度か呼びかけると少女はゆっくりと目を覚ました。そして、俺の顔を見て目を見開くと、鳶色の瞳が徐々に大粒の涙を浮かべる。俺が何か言う前に、少女は勢いよく抱きついて来た。後頭部に衝撃が走り、氷雨の流した涙が頬を濡らす。

 

「レゲット! レゲット、レゲットォ……!」

「……ま、待てっ……死……!」

 

 氷雨の腕が万力のように俺の首を締め付けてきた。首に絡みつく腕を必死にタップするが、氷雨にはまったく伝わらない。壊れたように名前を呼ぶ少女の声を聞きながら、俺は意識を手放した。

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