机の上にあるファイルに視線を落とす。そこにあるのは天龍の情報だ。今までに現れた艦娘達の情報を纏めた資料。着任時にはなかった、鎮守府にあるべきはずだったそれを、宮君が前回横須賀から戻った時に持って来てくれていた。
深海棲艦が確認された昭和20年2月末頃までは、基本的に彼女らの人生……艦生? については、こちらの世界の記録と、艦娘達の記憶に齟齬はほとんどない。
艦娘の性格が必ずしも艦の頃の活躍と一致するとは限らないけど、軽巡洋艦娘としての天龍は、基本的には勇ましい。それを想起するエピソードもあるし。
なのでうちの天龍もそのとおり、と思ってたんだけど。微妙に違うと思える部分がある。どこかの誰かと似た匂いもするというか。
素直に答えるかは分からないけど、そのへんの確認はしておこう。
それにしてもこの資料、分厚いよなぁ。今までに確認された趣味や好みとかの結構細かいことも載ってるせいだと思うけど。今所属してる艦娘分だけでも早めに熟読しておかなければ。
翌日。鎮守府仮庁舎。
目の前に、呼び出した天龍が立っている。緊張で固まった顔色は悪い。瞳に不安と怯えも見て取れた。昨日のやらかしについて思うところがあるのかもしれない。
「天龍、君にはしばらく秘書艦をしてもらう」
「はっ……?」
だからか、要件を告げると、拍子抜けしたような声を漏らした。
「向き不向きはあるだろう。君がどう思うかは別にして、案外向いているのではないかと思っている。事務方が何をどうしているのかを知っておくのは悪いことではない」
面倒見のいい性格は、こういうのに向いてると思うんだ。
「拒否権はない。昨日の件の罰、ということにしておこう。ただ、無駄にはならないはずだ。励むように」
「……分かった」
不安を拭いきれない感じではあったけど、天龍は頷いた。秘書艦用の机に着席したところで、彼女の前に書類を置く。
「ではまず、収支を知ってもらおう。これは着任から昨日までの、君が出撃で消費した燃料と弾薬、それに修理に費やした鋼材。その下の数字は、それら資源を購入する場合の相場だ。そして、その右の数字が、天龍の給料額になる」
戸惑いつつも数字を追っていた天龍の目が、大きく見開かれた。
「艦娘の基本給は同じで、別に艦種手当がつく。そこの額は軽巡洋艦の手当が加算されているものだ。その他該当する諸手当があれば他にも加算されるが、何かやらかさない限りはこれより下にはならない」
「お、おぅ……」
「こっちの世界での買い物の経験がまだないから、支出にしろ給料にしろ、額がどれくらいの価値かよく分からないかもしれないが、それが今まで君に注ぎ込まれたものということになる。負担するのは国民で、君ではないがね」
実際には遠征等の資源回収で得られる物もあるから、全て購入で賄っているわけでもないけど、大雑把にいく。
ただ、実際の軽巡洋艦1隻の運用コストを考えれば、軽巡洋艦娘1人分のそれなんて微々たるものだ。だから艦娘を使い捨てに、なんてのが湧いてくる。
あと、軍艦潰して海兵減らして予算を別のことに充てろとか言う奴も。確かに深海棲艦相手に今の艦船が戦力にならないのは事実ではあるけど、艦娘はあくまで対深海棲艦の戦力で、人間相手の戦争への従軍義務はないと協定で定められているってのに。軍艦や兵隊は、必要になったその時にすぐ建造・育成・運用できるものじゃないんだぞ。
「そして、君が戦い続ける限り、それらは積み重なっていくし、沈んでしまえば同等の戦力を取り戻すまでに同量の時間と予算、資源等が必要になる。自分が運営側に回ったと仮定して、どうだ? 使い捨て上等なんて思えるか?」
「そりゃ……次々建造しても、結局は新兵の補充だから、数はともかく質は落ちる。戦力低下は避けられねぇか。新兵だけで回そうってのは狂気の沙汰だ」
「そういうことだ。経理畑出身の艦娘提督として言うなら、費用面と戦力面で所属艦娘には絶対に沈んでほしくない」
「……提督として、じゃなけりゃ、どうなんだよ?」
「いち個人としてなら、もっと深刻だな」
探るような問いにそう答えると、訝しげに天龍が書類から顔を上げた。
「艦娘提督として働く以上、部下である君達を失う可能性は常にある。そうなった時――」
冷静に指揮、運営を続けていけるかどうか。言いかけたそれを、飲み込んだ。いかんいかん、部下の前で弱音を吐くな。一度大きく深呼吸して、気を落ち着かせる。
「提督?」
「何でもない」
「ふーん。オレ達が沈んだら悲しいってか?」
「当然だろう」
出会ってから日が浅いとは言え、俺にとっては大切な仲間だ。からかうような口調に即答したら、ぐっ、と天龍が呻いた。
それはそれとして。秘書艦の教育を始めよう。吹雪や大和に頼んでもいいけど、俺自身もこれくらいはできるようにならなくては。
「一息入れようか」
「えっ?」
業務を始めてしばらくして。気もそぞろな天龍に声をかけると、撥ねるようにこちらを見た。
「集中できていないだろう。慣れない業務だから仕方ない」
「え、あ、その、そういうんじゃなくて……」
もごもごと天龍が言葉を濁す。やっぱり
じっと彼女を見ながら言葉を待つ。あれ、これ逆にプレッシャーかけてることにならないか? 方針変更、こっちは仕事を続けよう。
「てっ、提督!」
手元の書類を処理することしばし。勢い良く、天龍が立ち上がった。
「き……昨日は、悪かった!」
そして、そちらを見ると深々と頭を下げられた。昨日? ああ、なるほど。
「まあ、一服しよう。座っていてくれ」
90度に曲がった天龍に、それだけ言って席を立つ。宮君が戻ってきた時に魔法瓶のポットを持ってきてくれたので、その都度湯を沸かさなくてよくなったのは助かる。
「あ……いや、オレがやるよ!」
「次から頼む」
お茶を煎れようとしたことに天龍が慌てた。動こうとするのを制止して、準備を進める。お茶請けは……あれを出すか。
執務机の引き出しから、着任後の間宮からこっそり渡された羊羹を取り出した。皆にも手軽に入手できるようにしたいけど、それには少し時間が必要だ。
手早く準備を済ませ、お茶と羊羹を天龍の前に置く。
「あ、あり、がと……」
「羊羹のことは内緒で頼む」
口の前で人差し指を立てて見せ、自分の席に戻ってお茶を啜る。あー、ホッとする。
天龍を見ると、羊羹を食べて顔を綻ばせていた。
「甘い物は好きか?」
「……嫌いじゃねぇよ。おかしいか?」
「いや。私――俺も、甘い物は好きだ。特に業務の合間に食べるのはな」
休憩なので素に戻って、手元の羊羹を一口大に切り、口に運ぶ。うん、やっぱり旨い。頭の疲れが抜けていく気がする。
羊羹を食べきり、お茶を飲み終えて。先程から天龍がチラチラとこちらを窺っているので、どう切り出そうかと考える。
「提督はっ」
声を掛けようとしたら、先に天龍が言葉を発した。
「オレのこと、どこまで知ってる?」
「軽巡洋艦としての情報と、一般的な軽巡洋艦娘天龍の情報は、持ってる」
帝国海軍初期の軽巡洋艦、だったっけ。軽巡の中では小型で一番古く、それ故か、艦娘としての出力や火力といった部分が他の軽巡洋艦娘達より低い。
「たっ、頼む! オレを、使ってくれっ!」
そこまで思い浮かべたところで、再び天龍が立ち上がり、身体を曲げた。両手と額が机に打ちつけられて大きな音を立てる。
「戦力としてオレが劣ってるってのは分かってる! 命令には従う! もう逆らわねぇ! なっ……何でもするから……だ、だから、オレをお役御免にしないでくれ……」
表情は見えない。でも、震える声と身体で、想像は容易い。天龍にとってはそれだけの覚悟を示したつもりなんだろうけど、俺がろくでもないゲスだったらどうするんだ。あれ、そう思われてる? 嘘だろ?
それにしても、どうしてこうなった? お役御免だなんて、そんなことは微塵も考えちゃ――あ。
「大和に、何か聞いたか?」
「自分が、そうなりかけた、って……」
あー……あれはまたケースが違うのに。俺に逆らったらそうなるって天龍は受け取ったのか。どういう説明をしたんだあいつは。
しかし、天龍が抱えてるものも、理由は違うものの大和と同じなのか? どこかでの作戦で、旧型艦を理由に外されてたのを直談判して参加したなんて逸話があったっけ。それを引き継いでる感じだろうか。
「俺に弱みを握らせてどうするんだ。やるべきことをやってくれればいいんだよ。それがお前の意に沿うものかは分からないが……天龍、お前の望みは何だ?」
「……一線で、戦い続けたい」
絞り出すような天龍の声が聞こえた。
「艦としての能力がオレ達にそのまま反映されてるなら、他の軽巡艦娘よりもオレは弱いんだろうさ。でも、だからって戦えないのは嫌だ……」
言いたいことは分かる。やりたいことをやっていく。できるならそれが一番だ。ただ、それが叶うかは別。組織に身を置くなら、特に。
「やりたいことと、やるべきことが違うのは、よくあることだ。俺みたいにな」
天龍が顔を上げた。その顔は――いや、よそう。
「俺は元々、士官学校の経理科で学んでいた。ゆくゆくは主計科勤務だったはずが、適性が発現してしまい、艦娘提督になることが決められてしまったのは、卒業の数ヶ月前だ。その結果、やろうとしていたことができなくなり、今はやるべきことをやっている」
まあ、主計に関わる部分も仕事のうちだから、全くってわけじゃないけど。
「これからも艦娘は増えるし、今いない艦種も来るだろう。だから、一線で戦いたいという要望を叶え続けることは約束できない。ただ、高火力の艦だけいればいいのかっていうと、そんなことはない。その時の状況に応じて適切な艦と装備は変わるだろ? あと、燃料と弾薬。修理となると鋼材も必要だし、空母の運用を始めればボーキサイトもだ」
艦の運用は何かと物入りだ。それは艦娘であっても同じ。
「1つ確認するけど、天龍が一戦で戦いたいってのは、役に立ちたい、ってことが一番にあるからか? 戦うことと役に立つこと、優先されるのは後者でいいな?」
「……そ、そうだけど」
「だったら、戦闘に拘る必要もないだろ。戦って敵を倒すことだけが、役立つ方法じゃない」
天龍の机に視線を移す。さっきまで処理してくれていた書類がそこにあった。
「書類仕事1つにしても、それをする奴がいないと、今、できていることができなくなったり、普通に使ってた物が無くなったりする。それらが大切だっていうのは理解できるだろ?」
「それは、まぁ……」
「軍隊だからな、戦うことこそが、って考えるのも分かるけど、戦い続けるために必要なものがなきゃ話にならない。今、皆に頑張ってもらってる任務や資源回収だって、そのために必須なことだ。それらをこなすことは、鎮守府の役に立っていないのか? そんなことはない。むしろ礎だと言っていい」
直接戦うこと、その戦いを支えること。どちらも重要だ。どちらが上、って話じゃない。
「天龍の戦意そのものは否定しない。ただ、俺の方針は、やらなきゃならないことを、やれる奴に振り分ける、だ。何かしらの役割を任せることは間違いないから、天龍がお役御免になることはあり得ない。やりたいことかは別にして」
鎮守府の規模が大きくなっても、何かしらできることをやってもらう。戦えなくなったら、戦い以外のことをやってもらえばいい。お役御免になるとすれば、鎮守府に全く貢献できなくなった時。つまり、死んだ時だけだ……あれ、なんかブラック?
「何でもやる、って言ったんだ。色々とやってもらうし、今後、できることが増えればそれだけ仕事の幅も広がる。だから天龍。生きてこの鎮守府のために、そしてみんなのために働いてくれないか? さっきも言ったけど、お前が沈んだら悲しいし、そんなことになったら俺は泣くかもしれんぞ?」
最後はおどけたように言ってやると、天龍は手の甲で乱暴に顔を拭い、
「……し、仕方ねぇな! 艦娘として、提督を泣かせるわけにはいかねぇし!」
ようやく笑顔を見せた。