後回しにしていた本庁舎の復旧が完了し、それに合わせて俺は仮庁舎という名の倉庫から、本庁舎執務室の隣の仮眠室に引っ越した。この島に着任してからずっと過ごしてきた旧庁舎。多少の不便はあったものの、いざ離れるとなると少し寂しい気持ちになった。他の用途に使うのが合理的なのに、そのまま残してしまっている。とはいえ、特に急いで使用する必要が現時点ではないし、しばらくはそのままにしておきたい。
しっかり内装が施され、丸太製のDIY品ではなく、職人の手によって作られた調度品で整えられた執務室。新任少尉には過ぎた物だと思えて最初は落ち着かなかったけど、数日すれば慣れてきた。対外的に必要な物だから仕方ない……誰がわざわざここへ来るのかという話でもあるけど。
「失礼します、提督。朝食をお持ちしました」
ノックの音と、声。許可を出すと間宮が執務室に入ってきた。
朝食が机に並べられる。今日のも旨そうで何より。
「それから、こちらを」
続けて間宮が書類を机に置いた。それを受け取り、内容を確認する。間宮達、防諜班が傍受した、課業外の通信記録だ。桃箭島から送信されたもので、内容はうちの様子の報告。ただ、機密と呼べる程のものは全く含まれておらず、どちらかというと日常の報告的なものだ。
とはいえ、鎮守府の内情には違いない。それを俺に無断で送っているとなると問題だ。様子見で放置していたけど、現時点で機密に関する部分はないとはいえ、今後は分からない。
書類を机に置く。送信は毎晩行われている。今日もあるだろう。
「今晩もいつもどおりに」
「了解しました」
間宮が執務室を出たのを確認して、溜息をつく。
職務上、通信関係は大淀に任せていた。何事もなければと祈っていたのに、初日から今日までの行動は残念でならない。
そろそろ、やるべきことをやらなきゃいけない。この鎮守府を護るために。
本庁舎は復旧された、というか、今回の復旧作業で妖精さん達により新築されたわけだけど。本来の完成形から変更されている部分がある。地下だ。元々、地下にはいくつか部屋があったところを増設した。島内の施設への連絡通路も設ける予定で、これは妖精さん達が現在も作業中。防空壕とも連結済で、そこは防空指揮所として運用している。
薄暗い廊下を歩く。コツコツと靴の音がやけに響いて聞こえた。
本庁舎地下部分の最奥に辿り着き、無骨な金属製のドアを開ける。中は無機質な部屋だ。一面打ちっぱなしのコンクリート。地下なので窓はなく、換気口と、申し訳程度の洗面台、そして天井の小さな照明があるだけだ。
部屋の中央あたりに、椅子に座っている大淀がいる。ただし椅子は鉄製で、彼女はそれに拘束されていた。その左右斜め後ろに控えているのは大和と天龍。
「提督! これは一体、どういうことですかっ!?」
俺が部屋に入ると、大淀が声をあげた。ふむ、威勢がいい。そういうポーズか、それとも現状を把握できていないのか。
「言わなければ分からないか?」
そちらに近づきながら問う。大淀は無言でこちらを睨みつけてくる。
俺は大淀に見せるように、手にある紙を持ち上げて揺らした。
「ここには、とある軽巡洋艦が送った不自然な通信の日付とその内容が書いてある。始まりは着任日で、毎日ほぼ同じ時間に送信が始まっているな」
「……っ」
「君が大和達に拘束されたのも、今日の送信後だっただろう? もう一度聞くが、本当に、言わなければ分からないか?」
「わっ、私は……」
「あぁ、何も言わなくていい。質問は、一通り終わった後でする」
聞いておきながら言葉を遮って、俺は天龍に視線を送る。彼女は何も言わず、手にしていた工具箱を差し出した。
「拷問なしでの間諜の自供は信憑性が低いらしいからな」
「ちっ、違います! 私は間諜ではなくてですねっ!」
適当なことを言いながら工具箱からペンチを取り出し、カチカチと音を立てると、身を乗り出すように大淀が叫んだ。
「猿轡」
「はっ、話します! 話しますむぐっ!」
騒ぐ大淀に、俺の命令で大和が猿轡をかませる。
「ここの内情を無断でこそこそ外部に流す行為が間諜のものではないと? 斬新な解釈だな」
鎮守府司令の誰に聞いても、この状況下でこの行為は、
「聞き取りにくくなるかもしれないから、舌や歯に『聞く』のは後にするとして」
視線を下げる。椅子の肘掛けに大淀の腕が固定されていた。椅子も縛っている縄も特別製。艤装を纏っていない艦娘では壊すのが困難なシロモノだ。
「大淀。君の利き手はどちらだった?」
「むぐーっ!?」
大淀が必死に首を振る。それは椅子が揺れるほどで、大和が椅子を押さえて動かないよう固定した。
「大淀。着任初日、ここの概要に目を通したと思う」
目を合わせ、優しく声をかけると、ブンブン首を縦に振る。
「この鎮守府に対し、良からぬことを考えている者がいる、というのは伝わったか?」
続けて問うと、ブンブン首を縦に振る。
「それを踏まえて。お前のやったことが、私にどう受け止められているか、理解できるか?」
今度は低く冷たい声で問うと、首を振りかけて、固まった。
「そして、そんなことをやらかした奴があっさり白状することを、信用できるだろうか?」
返事はない。ただ顔を蒼くし、震えている。
「私は……いや、俺は、ここを守るために手段を選ぶつもりはないんだよ。だから、これは必要不可欠なことなんだ。恨んでくれていいぞ」
涙をボロボロ零し始めた大淀から、再度視線を手元へ。固く握られた指の隙間にドライバーを差し込み、こじ開けて爪が見えるようにする。
「ああ、そうだ。見えていると怖いだろう」
空になった高速修復材のバケツを大淀の頭に被せると、えっぐ、と天龍が呟くのが聞こえた。見えないほうがより恐怖を煽る。分かってるよ、ろくでもないことしてるのは。
「では始めよう。まずは1枚目だ」
右手の親指の爪を、ペンチで挟む。気付かれないように、ゆっくりと深呼吸した。
「提督」
そして、意を決し、行動に移ろうとしたところで、大和の声。
「落ちました」
顔を上げると、大淀の頭が前に力なく垂れていた。複雑ではあるけど、一応の効果は出せたか。
「どう思う?」
「訓練を受けた工作員ではなさそうですね」
「送信内容も、当たり障りないっつーか。張らせてた妖精からも、それ以外の怪しい動きはないって聞いてるしよ」
実行せずに済んだ安堵を隠して、2人に問うと、そのような意見。まあ、仕事は真面目にやっていたからなぁ。変な手抜きもなかったし。敵の手の者、の可能性は現時点では低い。となると、誰のどういう意図で動いているのか、という話になる。
「ここに来て別勢力、というのは勘弁してほしいな……俺は一旦執務室に戻る。目を覚ましたら呼んでくれ」
「水をかけましょうか?」
バケツを脱がせて、大和が部屋の隅の洗面台を見ながら聞いてくる。
「いや、自然に目を覚ますまで待つ」
それだけ言ってペンチとドライバーを天龍に渡し、俺は部屋を出る。ドアを閉め、人目がなくなった途端に、吐き気がこみ上げてきた。
『提督。大淀さんが気付きました』
艦娘無線で大和の声が聞こえた。早かったなと時計を見ると、随分と時間が経っている。あれ、今まで何してたっけ? 感覚がおかしくなってる。いや、立ち直れてないと言うべきか。
『今行く』
深呼吸し、提督としての自分に切り替える。執務室を出ると、大和が立っていた。
「大丈夫ですか?」
「何がだ?」
何も、問題はない。あっても、表に出しちゃ駄目だ。だから、気遣ってくる大和に聞き返し、返事を待たずに地下室へと足を向ける。すると、背後から肩を叩かれた。何だと立ち止まり、
「わぷ」
妙な声が口から漏れてしまう。振り向く前に引き寄せられて、視界が塞がれていた。顔にふんわりとした感触が伝わる。後頭部はがっちりと固定されていて、動けない。大和の胸に抱きしめられていた。
「提督」
柔らかく、優しい声が耳朶を打ち、振りほどかなければという意思を霧散させる。この感覚は知っている。戦艦大和の破片が入っていたお守りを握りしめた時の安堵感だ。え、今の大和、本当に生きたお守り状態?
「一言命じてくだされば、後は大和がやります」
「……駄目だ」
心の奥を見透かしたような提案に、思わず頷いてしまいそうになり、言葉にして拒否した。
「ですが、艦娘を傷つけること自体、提督にはお辛いでしょう?」
俺にとって艦娘がどういう存在なのかは、以前聞かせた。そりゃあそうも思うか。
「それでも、だ。お前に代わってもらうのは、違う」
大和の肩に手を置き、力を入れて身体を離す。後頭部にあった大和の手は、あっさりと外れた。少し名残惜しく感じてしまうあたり、重症だなぁと思う。でも、これ以上大和に心配をかけるわけにはいかない。提督として……いや、男の意地だな。
「これは、俺が、やるべきことだ」
「……分かりました。ですが、本当に無理だと判断したら、大和は勝手をさせていただきますよ?」
「そうならないように努めるよ。心配してくれて、ありがとう」
大和の肩を軽く叩いて、再び地下室へ向かう。
部屋の中は先程と変わらない。いや、大淀は目を覚ましていて、バケツは外されているのが違いか。
こちらに気付いた天龍が振り向いた。そして、何故か手にしたバケツを大淀に被せる。混乱する彼女を放置し、近づいてくる天龍。
「んー……」
立ち止まった天龍は、がしっと俺の両頬を掴み、顔を近づけてじっとこちらを見た。
「大丈夫みたいだな」
少しの間そうしていて、天龍が大和を見る。大和は笑みでそれに答えた。俺の状態を話題にしたんだろうか? 視線で問うと、大和は首を横に振る。つまり、天龍は天龍で俺の様子に気付いたってことか。
「ありがとう」
「お、おう……」
礼を言うと、天龍は頬を染め、そっぽを向いた。
さて、これ以上2人を心配させないように、やるべきことをやろう。
前に進み、バケツを取って床に置く。腕を伸ばすと大淀が身を固くした。
「さて、目を覚ましたなら再開するとしようか。だが、その前に」
大淀の頭の後ろへ手を回し、猿轡を外す。
「今、言えることがあるなら言うといい」
「しっ、しんじてくれるのですか?」
「それは聞いてから判断する」
涙声の大淀に、努めて冷たい声で答える。ごくり、と喉を鳴らした大淀は、大きく深呼吸して、口を開いた。
「わ、私をここに直接派遣したのは、
横須賀本鎮守府の総司令長官で、艦娘提督の? しかも直接?
「目的は、桃箭島鎮守府運営の補助。元々、どの鎮守府にも『私』がいるのはご存知だと思います」
それは知ってる。そして実際に、大淀はその仕事をここでこなしてくれていた。俺への悪意があれば、何かしらやっていてもおかしくないのに、今のところそれはない。つまり、本来の目的で異動してきたのは間違いないわけか。
「それから、これが今回見つかってしまったもう1つの任務ですが……」
俯き、少し躊躇った後、顔を上げて大淀は言った。
「桃箭島の様子の報告です」
「具体的には?」
「特にこれを、とは指示されていません。私が見たままの、この鎮守府のありのままを……」
「その理由は?」
「生の情報が欲しい、と」
宮君の報告書とは別視点で、ってことか。黙って情報収集してたのも、こちらを身構えさせたくないから? 宮君は俺と近いってのは知ってるだろうから、手心が加えられているのではと考えるのも、まあ分かる。手の者からの直接の情報が欲しいと考えるのも、まあ。
でもここの現状を考えたら、それは悪手だ。横本への不信感があるのを知っていながら、そんな手を講じてどうする。
「先程も言ったが、私にちょっかいを出す奴がいる。総司令がそうではない、と言い切れるか?」
「……もしあのかたが、提督を直接始末しようとしているのなら、今のこの状況になる前に終わっていると思います」
そこなんだよなぁ。以前も考えたけど、殺すだけならどうとでもできるはずなんだ。ただ、目的が単に俺を殺すことじゃないなら、話は別だ。
でも、磯端大将か。俺との関わりは全くないし、悪い噂は聞かない。あの人が敵になる理由が、俺には思い当たらない。
「現時点では、信じていいのではないでしょうか」
「身内の世間話で収まる程度のもので、まだ何もやらかしてねぇしよ」
考えていると、大和と天龍が言った。大淀の自白に嘘がないなら、査察のようなものとも解釈できる。別にやましいことはないから、それでもいいか。現状、書類処理とか助かってるしなぁ。問題は、隠された意図や目的がある場合だけど。
「もし、変な真似したら。大淀が敵だったら。オレが首を刎ねるからよ」
「本来の主砲で撃ちます」
2人の視線を受けて、大淀が小さく悲鳴をあげた。すっかり怯えている。どんな顔したんだろうか2人とも。
「ところで、任務がバレた時の符牒みたいなものは?」
元の世界で読んだ、イージス艦が時代逆行する漫画にそういうのがあった気がする。潜入捜査みたいなことをしてたんだ。そういうのがあってもおかしくない。
「いえ、ありませんけど……本当にありませんよ!」
「本当に?」
「本当ですっ! そもそもバレることを想定してませんっ!」
「随分と必死だな?」
「じゃないと爪剥がされるじゃないですかぁっ!」
「好きでやるわけではない。必要と判断すればやるだけで」
「そう判断されないために必死なんですよぉっ! お願いです! 信じてくださいぃっ!」
涙をこぼしながら大淀が懇願してくる。椅子に縛りつけてなかったら、縋りついてきそうな勢いだ。
「まあ、明日からの仕事もよろしく頼む」
「へっ……?」
間の抜けた声が大淀の口から漏れた。
「あ、あの……今、何と?」
「明日からの仕事も頼む、と」
「え、いや、その……いいんですか? 牢に入れるとか、そういうのじゃ……」
「この鎮守府に、そのようなものはない」
というより、艦娘を拘束すること自体、想定してなかった。牢屋はともかく、営倉とか作ったほうがいいんだろうか?
「それに。大淀は、磯端大将は、桃箭島の敵ではないのだろう?」
「はっ、はいっ!」
「だったら、働いてもらわないとな」
人員に余裕があるとは言えないし、大淀の力は頼りにしてるところだ。これを失うなんてとんでもない。リスクはゼロじゃないけど、ここまでの目に遭って、妙な真似をすることもないだろう。それに、人を見る目が確かな宮君が、磯端大将を信用してるようだし。
「課業は変えない。定時報告については検閲させてもらう。まあ、余程のことではない限りはそのまま通すつもりでいる。それから、この件は、公表するつもりはない。今までどおり、頼むぞ」
「は……はい……はいっ……っ!」
監視の目はしばらくつけたままにするけど、現時点ではこんなところでいいだろう。
もうじき日が変わる。明日に備えてそろそろ休むか。大和と天龍、こんな時間まで付き合わせて悪かったなぁ。
「決裁を、お、お願いします」
夕方、ガチガチに緊張した大淀がやってきて書類を差し出した。今日の送信予定内容が書かれている。
特に問題はない。大和と天龍の、ある意味忠誠とも言える俺への信頼度について触れてあるけど、そんなのあったっけ? まあ、これはいいか。あくまで大淀の主観だし。
「このままで問題ない」
書類を大淀に返すと、ホッとした表情に変わる。針の筵だろうし、仕方ないか。
ちなみに、彼女の正体については公表しないとは言ったものの、大和、天龍、給糧艦2人以外にも吹雪と鳳翔が知っていた。何故か大和が伝えていたらしい。今朝、本当にいいのかと聞かれたので、そんなことはなかったものとして接してくれと頼んである。
「ところでこれ、総司令に直接伝わるのか? それとも間に何人か入るのか?」
通信先がどうなってるのかを尋ねると、大淀は考える様子を見せた。
「どうでしょうか。誰が受け取っているのかまでは把握していません。直通ではありませんから、普通に考えれば誰かが間に入ると思います。どれだけ挟むかは分かりませんが、あちらも大掃除の準備中のようなので、何かしら活用するかもしれません」
大掃除、ね。故意に漏らして流れを探るのに使われるか。たいした情報はないから、効果はなさそうだけど、うちの状況をとことん利用する気らしい。だったら、
「それでは、この一文を追加してくれ」
ふと思い立ち、メモにこう書いて渡す。
『給糧艦2名、その能力を十全に活かし、活躍中』
「……ここで言う能力って、給糧艦としてのものじゃありませんよね?」
メモを読み終えた大淀の口元が引きつった。大淀は気付いたか。無言で頷く。もちろん、無線監査艦としての活躍だとも。
「こんなの送信したら、私がバレたことがバレちゃうじゃないですかぁっ!」
「総司令なら気付くだろう」
というか、気付いてほしい。桃箭島を利用する気があるなら、当事者である俺に説明が欲しいんだ。宮君が間に入ってるみたいだけど、そこは筋を通してほしい。
一筆したためるのも手だけど、書類とかはちゃんと届くか疑わしいから、こっちを使おう。さて、どう動いてくるか。
皆斗退出後(2回目)
大和「さて、お風呂に行きましょうか。あとお洗濯もですね」
天龍「オレも行くか。大淀の着替え、取ってきてやるよ」
大淀「……提督、気づいていましたか……?」
大和「大丈夫じゃないですか? 床は拭いておきましたし」
天龍「まあ、ありゃ怖ぇよな。オレでもビビった。しゃーなしだ」
大淀「……死にたい……」
大和「提督に迷惑のかからない方法でお願いしますね」
天龍「提督には非がない旨の遺書を残しとけよ。自殺と断定できる方法で頼むぜ」
大淀「ぶれませんねっ!?」