ワタシにとって人間とは、都合の良い獲物に過ぎなかった。
相手の望む物に姿を変えておびき寄せる。感情で動く人間にとって、これほど甘美な餌はそう無いだろう。現にワタシのまいた餌に人間が引っ掛からなかった試しは無く、どんな人間もワタシの前では獲物同然だと……そう思っていた。
数ヶ月前、久しぶりに現れた人間共の中に人の皮を被った悪魔が紛れ込んでいた。
『解釈違い以前の問題だ。お前は俺の望みを知識として持ってるだけで、それを理解しようと全くしていない』
奴は出会ってから間もなく、訳の分からない事を言ってワタシの変化にダメ出ししてきたのだ。
『それじゃ、せいぜい頑張ってくれよな。えーと、まあミミックでいいか』
本当に訳が分からなかった。奴は理想の嫁なる空想の人物を模倣させる為だけに、人間共から畏怖されるワタシを隷属させたのだ。今でも理解できない。
そこからは地獄の日々だった。奴は気付かない内に館の中へと入ってきて、ワタシが理想の嫁を演じられるよう指導という名の調教を施す。四六時中、ワタシは奴の影に怯えながら理想の嫁なる存在を演じなければならなかった。
そんな生活を繰り返してきたせいか、徐々に肉体がセレナ・ユークリッドの姿に固定されつつあった。このまま行けば変化どころか元の姿に戻る事さえ出来なくなると思うと、本当に恐ろしい。恐ろしすぎて最近では毎晩泣きじゃくってしまっている。
そんな、地獄そのものと言って差し支えない日々を送っていたワタシは現在、あの悪魔から新たな無理難題をふっかけられていた。
「あ、そうでした。見て下さいセレナ様!」
授業の合間の小休憩、セレナ・ユークリッドの友人であるカエラと雑談していると、カエラはハッとした表情で机の中から一枚の紙を取り出した。
「これは……」
「学園から悪魔研究クラブの廃部撤回を頂きました!」
これでクラブを続けられます! そう言ってカエラは満面の笑顔をセレナに向ける。
「そうですか……それは、本当に良かったですね」(こ、この人間風情がァ……そのふざけたクラブのせいでワ、ワタシは今こんな目にィ!)
嬉しそうなカエラにワタシは心の底から祝福するような表情と言葉を送って……その裏で湧き上がる憎悪を必死に抑えた。
「はい! これもあの魔術陣を見つけてくれたセレナ様のお陰です」
「ふふ、お役に立てたようで何よりです」(こ、堪えろワタシ! こんな所でボロを出せばアイツに……あ、あの悪魔に殺される……!)
奴は言っていた。もし帰ってきた時に解釈違いな行動を周りに見せていたと判断した瞬間、ワタシの精神に仕掛けた
爆弾、まさかそんな物が仕掛けられているとは知らなかった。詳しくは聞けなかったが、恐らく起動させたら最期な類いの物だろう。
「……?」
「どうかしましたか?」(な、なんだ? まさか違和感でも持たれたか?)
「い、いえ! なんでもないです!」
「そうですか?」
「はい、ただ……えっと、その〜」
首を傾げるカエラに私は問う。が、返ってきたのは曖昧な返事と、ほのかに赤く染まる頬だけだった。
(クソッ、はっきりしないな。どうして人間はこうも面倒な態度を取るんだ)
あの悪魔から得た知識から考えると、この場でセレナ・ユークリッドが取りそうな行動は数パターンある。けどカエラがどういった行動をセレナ・ユークリッドに望んでいるのか、さっぱり分からない。
(……仕方ない、力を使うか)
ワタシの持つ相手の理想を具現化する力は、具現化する為の変化能力ともう一つ、相手の望みを見抜く能力がある。変化の方は奴に封印されているが、相手の望みを見抜く力は今も使える。これを使えば、この女が何を望んでいるのか知る事が出来る筈だ。
「……」(なるほど、パターン四だったか)
カエラを対象に力を使う。すると脳裏に浮かんだのは、カエラの頭をセレナ・ユークリッドが撫でる光景だった。
「ふふ、仕方ない子ですね」
「あっ……えへへ」
その光景の通りにカエラの頭を撫でる。カエラは気恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうにはにかんだ。
(……何がそんなに嬉しいのだ?)
この女がセレナ・ユークリッドの本性を知らないという事もあるのだろうが、それを抜きにしても頭を撫でられて喜ぶ感性が分からない。
理屈は分かる。慕っている人間に褒められた、だから嬉しい。そういう理屈なのだろう。ただ、共感だけは出来そうにない。
どうして人間というのは、こうも他人に何かを求めるのだろうか? 何をそんなに期待するのだろうか?
(やっぱり、人間の考える事は分からないな)
獲物として好都合な思考回路をしてくれているが、分かり合う事は一生無いだろう。
……いや、これは今考える事じゃないな。
(今は奴の命令通り、セレナ・ユークリッドを完璧に演じ切る事に集中するんだ)
それを成し遂げる為にも、セレナ・ユークリッドに近しい人間の事は詳しく知らなければならない。
(現状、警戒すべき奴らは二人居る)
一人は今目の前で会話の相手をしている女、カエラだ。ワタシの前にあの悪魔が現れた元凶だと思うと心底腹立たしい。文句の一つでも言ってやりたい所だが、残念ながらコイツは古くからセレナと付き合いがある。セレナ・ユークリッドを演じる上では一番注意を払わないといけない。
「それでですね、その時にレイラ様が───」
「へー、そんな事が」(しかもコイツ、ぜんっぜん離れようとしないし!)
朝のホームルームから始まり、昼休憩で食堂にて食事をする現在、この女は事あるごとに話しかけてくる。本当に心が休まらない。下手したらあの悪魔と一緒に居る時よりも疲れる。……いや、流石にそれは無いか。
(というかこの程度で疲れてたら後が持たない。なにせ……)
ワタシは、さっきからジーッとこちらを見てくるその男に目線を向けた。
「……」
「えっとルークさん、私に何か?」
「え? あーいや、なんでもないよ」
「そうですか」(こいつにも気を付ける必要がある)
目的達成の上で障害となる二人目の存在、ルーク・アートマン。あの悪魔は何故かこの男の事を強く敵視し、警戒していたが、その理由がなんとなく分かった。
「どうかしたんですのルーク様?」
「ううん、俺の気のせいだった」
「なによ、気になるじゃない」
「いや、本当になんでもないんだよ、ただ……」
両隣に座るメルティとエリーゼに迫られたルークは、渋々と内に秘めていた考えを告げる。
「今日のセレナ、いつもと少し違うような気がして」
「……ッ!?」
「セレナさんが? ……うーん、いつもと変わらないように見えるけど」
「そうですわね、わたくしもいつも通りのセレナさんに見えます」
「いや、俺の気のせいだったよ。自分でも何が違うのか分かってないし」
「なによそれ」
「……? セレナ様、ルーク様がああ言っておられますけど」
「残念ながら、心当たりはありませんね」
……危なかった。あと少しで動揺が表に出る所だった。
(本当に油断できない。勘が良いにも程があるだろ)
姿形は完璧に模倣している。少なくとも不自然な行動は取っていない筈だ。
カエラのようにセレナ・ユークリッドと親密な間柄でも無ければ、
勘なんて理屈もクソもない物を出されたら対処のしようがない。何がキッカケでバレるか全く分からないから、ほんの些細な事にも気を使う必要が出てきてしまう。
(ある意味じゃカエラを相手にするよりもやり辛い)
幸いにも、セレナ本人が普段からコイツとの交流を極力避けてきたから、カエラと違って四六時中くっ付いてくるような事は無い。
「……なによ、アタシの事にはちっとも気付かない癖に」
不意に聞こえた小さな呟き声、その声の主である
(なんだ?)
どうしてこの女は怒っているのか……仮にワタシが関係していたら面倒だし、ここは力を使って調べるとするか。
(えっと、怒るという事は自分の望みに反した出来事が起きたという事か? だったらその望みを知ればいいから……)
相手の望みを見抜く力、この力をこうやって繊細に使った事が無いからすごくやり辛い。だけどなんとか力をコントロールして、ワタシはエリーゼの怒っている理由を知る事が出来た。
(……アホくさ)
そして、そのつまらない理由に思わず落胆してしまった。
どうやらこの女は今日オシャレで化粧をしていたらしく、それを自分の好きな人間……ルーク・アートマンに褒めて貰いたかったそうだ。
「ん? どうしたのエリーゼ」
「っ、なんでもないわよ!」
(いや言えよ)
ルークの呼び掛けにエリーゼは拗ねた様子でそっぽ向く。なぜ気付いてくれる前提なんだこの女は。あれか? これがあの悪魔の知識にもあったツンデレというヤツなのか? まあ確かにワタシの擬態に勘付く冴えがあるなら化粧の有無ぐらい気付けよと思うが。
(何はともあれ、ワタシには関係ない事だし無視して良いだろう)
しかしこれで確信した。やっぱりこの学園でワタシが警戒すべき相手は二人、ワタシの側を引っ付いて離れないカエラと、異様な勘の鋭さを見せるルークだけだ。
コイツら以外にも比較的関わりの多いセレナの友人は居るが、ルークにご執心なエリーゼはそこまで気にしなくて良いだろう。同じ理由でメルティ・エルロードも問題ない。そしてロッシュ・アークライトだが……コイツは少し警戒した方が良さそうだ。
どうもこの男、セレナに気があるようなのだ。あの悪魔の知識にはそんな情報カケラも無かったが、まさかアイツ気付いてないのか? まあ気があると言っても、ルークほどの勘の鋭さは無いから必要以上に警戒しなくても大丈夫だろう。
(……確かアイツは、最低二日は学園から離れると言っていたな)
王祭が始まる五日後までには戻ってくると考えても、少なくとも明日はセレナ・ユークリッドの演技を続ける必要があるだろう。
(はあ、やり切るしかないか)
気が滅入りそうになりながらも、食堂で昼メシを食べ終わったワタシはカエラやルーク達と一緒に教室へ戻り、
「ねえ、セレナ」
……その道中、エリーゼからコッソリと声を掛けられた。
「はい、どうしましたか?」
「放課後、相談したい事があるの」
「相談したい事、ですか?」
「う、うん」
「……」
嫌な予感がする。いや、これはもう予感ではなく確信だった。
「だ、だめかしら?」
「まさか、勿論お聞きしますよ」
だけど断る事は出来ない。困っている友人を放っておくなんて事、セレナ・ユークリッドは絶対にしないからだ。
▼▼▼
(やっっっと終わりだ!)
授業中は周りの目を気にする必要が無いから楽で良い。時間もあっという間に流れて放課後となった。
(死ぬほど疲れたけど、明日からはもっと上手くやれるだろう)
今日一日を通して、人混みに紛れて生活するのにもだいぶ慣れた。少なくともチャイムの鐘が鳴るたびにビクつく事はもう無いだろう。
嗚呼、早く帰って寝たい。この姿になってから、体に疲労が溜まりまくって仕方ない。霧状で肉体の無かった元の姿が恋しい。
(それじゃあ、あとはエリーゼからの相談事を聞いて終わりだな)
いったいどんな話を持ち出してくるのか戦々恐々としながら、ワタシは待ち合わせの空き教室にやって来た。
「お待たせしました、エリーゼさん」
「セレナ、来てくれてありがとね」
「いえ、私もエリーゼさんに頼られて嬉しい限りです」(頼むから人外でも答えれる相談内容にしてくれよ)
特に人間関係とかの相談はマジで勘弁。こちとら生まれてこの方同族の存在すら知らない一匹狼なのだ。
「それで相談したい事とは?」
「うん、あのね……じ、実はアタシ」
声を震わしながら、エリーゼは意を決してそれを告げる。
「その……ル、ルークの事が好きなの!」
(……は?)
そして内に秘めた想いを告げられたワタシは、思わず目を見開いてしまう。
……いや、知っている。ああ知っているとも、コイツがあの男に恋愛感情を持っているなんて事は。驚いたのはそこじゃない。
「でね、こっちはセレナも知っていると思うけど、メルティもルークの事が好きなの」
(いや、ちょっ)
「他にもルークが入ってるクラブの先輩もルークの事が好きで……」
(待て待て待て!!)
相談したい事があると言ってこんな話をするという事は、つまり……
(相談って、恋愛相談の事かよ!?)
▼▼▼
アタシとルークの出会いは幼少の頃、同郷の子達と遊んでいたアタシが、遠くからコッソリこちらを見てくるルークに気付いたのが始まりだった。
「ねえ、あんた」
「え?」
「さっきからなにジロジロと見てんの?」
その頃のアタシは、今と変わらずキツい性格で、反してルークは今と違ってオドオドとしていた。
「あ、その」
「なによ? 言いたい事があるならさっさと言いなさいよ」
「うっ……ご、ごめん、もう覗かないから」
「はあ?」
なんとも釈然としない答えを返してきたルークは、そそくさとアタシから離れようとした。
「待ちなさい!」
「わっ!?」
その姿にアタシは思わず彼の腕を掴んで引き留めた。
「な、なに?」
腕を掴まれたルークは酷く怯えた様子でアタシの事を見てくる。人の顔色を伺うという事を知らなかったあの頃のアタシは、そんな様子もお構いなしに彼へ問いただした。
「あんた、アタシ達と遊びたいの?」
「……え?」
思えば、あれくらいの強引さがあったからこそルークと関係を持てたのだろう。
「どうなのよ?」
「う、うん」
「なら早く言いなさいよね。じゃあほら、行くわよ」
「え!? ちょ、ちょっと待って」
「もうなによ! 一緒に遊びたいんでしょ? みんなにはアタシから話しとくから」
「……いいの?」
この時のアタシは、ルークがこの町の領主……アートマン家のご子息だとは知らなかった。どうやらルークは、平民であるアタシ達との身分差を気にして、今までアタシ達が遊ぶ様子を遠くから眺める事しか出来なかったそうだ。
「なにがよ? 別にアタシ、あんたの事を嫌ってなんか無いわよ」
「……!」
だからこそ、あっけらかんとそう言ってくるアタシにルークは驚いたのだろう。目を丸くして、ジッとアタシの事を見てきた。
「というか、会ったばかりで嫌いになる訳ないでしょ」
「そっ、か……ふふ、そうだよね」
「……? 変な奴ね」
その後、アタシはルークを連れて町の子ども達と一緒に泥遊びをした。貴族という事もあって泥遊びは始めてらしく、随分と渋い顔をしていたのが印象深かった。
こうしてアタシとルークの関係は始まった。ここからルークが貴族という事を知ったのは一年後で、その頃にはもう互いに遠慮しない間柄となっていた。
「貴族だかなんだか知ったこっちゃないわ! アタシにとってあんたはただの友達、これからもずっとそうよ!」
このまま、大人になっても二人の関係は変わらない。そう信じていたし、そう誓い合った。……その筈だった。
いつからだろうか、アタシがルークの事を意識し始めたのは。
いつからだろうか、気の小さかったルークが強くなり出したのは。
……いつからだろうか、アタシがルークと差を感じるようになったのは。
ルークはすごい。昔はアタシの後ろをついて行く事しか出来なかったのに、いつの間にか追い抜いて、誰よりも前へ前へ走れるようになっていた。昔は喧嘩の一つも出来なかったのに、今では武王祭へ出場できるほどに強くなった。
少しずつ、確実に、ルークは変わってきた。けど根っこの部分は変わっていない。お人好しな所、努力家な所、昔から何一つ変わっていない。
成長というやつなのだろう。ルークはどんどんと強く、大きくなった。……それに気付くたび、アタシは自分の進歩の無さに気付かされる。
アタシは、昔から何も変わっていない。強くなっていない。むしろ広がり続けるルークとの差を見て自信を無くし、弱くなった。
変われていないから、今じゃルークの背中を追いかけるのに精一杯だ。そのくせルークに対する気持ちだけは変わって、今以上の関係を求めてしまうようになった。
ルークの側に居続けたい一心で入学した王立学園では、ルークへの劣等感や想いは更に強まった。そしてアタシより優秀な人達がルークの事を好きになって、こう思うようになる。
アタシじゃルークと釣り合わないのでは? 最近ではその事ばかりを考えてしまう。
▼▼▼
「アタシ、どうしたらいいのかな。こんな気持ちのままルークの側に居て良いの?」
「……なるほど」
昔話から始まり、抱える悩みを告げたエリーゼ。それに対する偽セレナ改めミミックの答えは一つだった。
(そんなのワタシが知るかよ)
人間とは面倒な生き物だと昔から思っていたミミックだが、まさかこんなに拗れた考えを持ってしまうとは思いもしなかった。
(いやでもどうする? ここでそんな事を言うのは論外だ)
かといってどんな言葉を掛ければ良いのか、人の感性など持ち合わせていないミミックには到底分からなかった。
そもそも、今のミミックは
(…………はあ〜、仕方ないけど、このやり方で乗り切るしかないか)
少し考えて、ミミックは腹を括る。失敗したら一貫の終わりだし、成功しても彼から解釈違いと言われてしまう可能性がある。しかし他に良い方法が思い付かないミミックは、泣く泣くその策に縋るしか無かった。
(クソッ、なんでワタシがこんな目に……)
己の悲運を嘆きながらミミックは策を実行する。今まで人間を食い殺し続けた報いなのだとか、そういった考えが思い浮かばない辺り、やはり人ならざる怪物なのだろう。
▼▼▼
今まで誰にも言えずにいた悩み。それをぶち撒けたアタシはセレナの返事を静かに待ち続けた。
「……エリーゼさん」
沈黙の時間に心をすり減らし続けていたアタシに、セレナは静かにアタシの名を呼んだ。
「少し目を瞑ってみて下さい」
「え?」
最初に口にした言葉は、アタシの予想から大きく外れた物だった。
「ど、どういう事なの?」
「お願いします。必要な事なんです」
「……っ、わ、分かったわ」
いきなりの事に動揺するアタシだったが、セレナの真剣な表情を見て大人しく従う事にした。
「ありがとうございます。ではそのまま、ゆっくりと深呼吸を」
「……すぅー、はぁー」
言われた通り、アタシは目を瞑ったままその場で深呼吸する。するとセレナは、両腕を回してアタシを優しく包み込んだ。
「っ!?」
「大丈夫です。そのままゆっくりと、心を落ち着かせて」
「……」
普段なら驚きのあまり飛び退いてしまいそうな所だが、不思議とアタシはセレナの言葉に大人しく従い続けた。彼女の抱擁が、言葉が、アタシの心を直に温めているような、そんな温もりを感じたのだ。
「そのままで良いので聞いて下さい」
「……」
まるで母が子に聞かせる子守唄のように、彼女の言葉が淀みなくスッと耳に入っていく。
……ああ、もう限界。
「あなたは知っている筈です。自分の望みを、理想を───そして、その叶え方を」
このままねむっても、いい……よ……ね……。
「…………ふぇ?」
あ、あれ? アタシ、いつの間にか眠ってた?
「やばっ、こんな所で寝ちゃうなんて……うん?」
自分で言ってて違和感を覚えたアタシは、咄嗟に周囲を見渡す。どうやら此処は、バロウズ商会の前にある広場らしい。
なんで自分はこんな所に……そう思っていると、アタシの元に見知った人物が駆け寄ってきた。
「お待たせ! 待たせてごめん」
「ルーク?」
ルーク・アートマン。幼い頃から一緒に居るアタシの幼馴染……いや、もう違うんだっけ。今の関係性は、そう───
「もう、遅かったじゃない!
「うっ、ほ、本当にごめん」
アタシとルークは、少し前から付き合うようになった。そして今日、アタシ達は付き合って初めてのデートをする事になる。
「ったく……じゃあ、さっさと始めるわよ。満足させなきゃ承知しないんだから!」
▼▼▼
「……よし、上手くいったな」
静かに眠りにつくエリーゼを見て、ミミックは自分の策が成功した事を知って安堵する。
(あとはこの女が夢の中で満足してくれる事を期待するだけだ)
ミミックが持つ力の本質は、願望を具現化させる事にある。普段は変化能力を使っているが、それ以外の方法でも相手に望む景色を見せる事は可能である。その一つとして、相手の夢に干渉するという物があった。
ミミックの計画はこうだ。夢の中でエリーゼに好きな人とのデートを存分に満喫して貰う。その過程で彼女の持つ不安や悩みが吹き飛べば、もう誰かに相談したいと思わなくなる。
(満足して貰っている内にワタシはさっさと帰る。そして後日、またコイツが恋愛相談しに来たとしても、その時にはもうワタシはお役御免となっている筈だ)
そう、ミミックの真の狙いは問題を先送りさせる事だった。
所詮自分がこの学園へ通うのは数日間程度、その場凌ぎさえ出来ればあとは本物のセレナが上手くやってくれる。そう考えたのだ。
(問題はこの方法が奴の
恋愛相談なんて出来る自信皆無なミミックには、もはやこの方法しか切り抜ける手段は無かった。
(……ほ、本当に大丈夫だよな?)
それはそれとしてこのやり方で本当に彼が許してくれるかどうか、不安は募るばかりだった。
▼▼▼
空が夕焼け色に染まる頃、デート帰りにアタシはルークと一緒に公園でひと休みしていた。
「ふぅー」
「はい、お水」
「ん、ありがと」
アタシはベンチに座り、ルークが差し出してきた水筒を受け取る。
「今日は楽しんでくれた?」
「まあそうね。今朝の事は許したげる」
「あ、あはは、根に持ってたんだ」
水を飲んで喉を潤しながら、ルークに言葉を返す。その返答に彼は苦笑の表情を浮かべていた。まあ冗談混じりに言っちゃったけど、今日は本当に楽しい一日だったと思っている。
美味しい物はたくさん食べたし、ルークのカッコいい所を見る事が出来た。事あるごとにアタシの事を褒めてくれたし、付き合った記念と言ってプレゼントもしてくれた。
───嗚呼、幸せだ。心が満たされるとはこういう事を言うんだろう。
「ルーク、今日はありがとね」
「こちらこそ、俺もエリーゼと一日過ごせて幸せだよ」
「そっ、なら良かったわ」
幸せで幸せで……本当に幸せな夢だ。
「……ねえ、ルーク」
「うん?」
分かっている。ここは夢の中だ。こんな都合の良い事がある現実な筈ない。
「ちょっと聞きたいんだけど」
全てはアタシの妄想で、目の前のルークも本物ではない。……そう思ったら、不思議と普段なら聞けない事も聞けそうだった。
「ルークは、アタシの事をどう思ってるの?」
「……」
アタシの問いにルークは口を噤む……やっぱり所詮は夢かと思い、話題を逸らそうとした。その直後、
「昔から変わらない、子どもの頃に憧れた姿そのままだって、そう思ってるよ」
「……え?」
予想が大きく外れた答えが、返ってきた。
「エリーゼは覚えてる? 俺達が始めて会った時の事を……あの頃の俺は自分が貴族である事を気にし過ぎて、町の子達と遊ぶのを躊躇うような、そんな気弱な奴だった」
「そんな俺にエリーゼは話しかけてくれたよね。少しも物怖じせず、ひたすら純粋な気持ちで俺に話しかけてきた……本当に嬉しかったよ」
「俺が貴族だと知っても変わらず接してくれた時、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。俺もエリーゼのような強い人間になりたい、そう思うようになった」
「……ルーク」
その時、アタシはこれが夢なのか疑わしくなった。だってまさか、ルークがそんな事を思っていたなんて知らなかったのだ。
「エリーゼ、最近無理してる事が多かったよね。なんというか、本心を隠してるっていう感じ? 俺が好きだった事もずっと隠し続けてたし」
「……仕方ないでしょ。ルークは昔と違ってすごく強くなった。そんなルークと、昔から何も成長していないアタシが釣り合うなんて思えなかったのよ」
「成長してないって、別に俺はそんな風に思った事ないんだけど……まあ、そこは今良いんだよ」
顔を俯かせるアタシに、ルークは膝をついて目線を合わせる。そして真剣な声と表情で言ってきた。
「エリーゼ、君の言うように俺は自分でも強くなったと思っているよ。そしてそれはエリーゼが居たお陰なんだ」
「アタシの、お陰?」
「うん……一つ言ってなかった事があったね。子どもの頃、俺は
そしてルークは、アタシの頭を撫でながら、
「強くなって、今度は俺がエリーゼの事を支えようと、そう決意したんだ」
そう言って微笑んだ。
「ーーー」
「今日一日、エリーゼの無邪気な姿を見て安心したよ。普段は素っ気ないけど、中身は昔と変わらないんだなって」
「……そう、なんだ」
───本当に、ルークは夢の中でもスゴイ奴ね。アタシの悩みをこんなあっさりと晴らすなんて。
「ルーク」
これが夢であっても関係ない。
「ありがとうね」
アタシは確かに、答えを得た。
▼▼▼
茜色の日が差し込む教室で、アタシはセレナの膝の上で目を覚ました。
「ぁ、セレナ」
「おはようございます」
「うん、おはよう……ずっとそうしてくれてたの?」
「はい、ご迷惑でしたか?」
「いや、大丈夫よ。むしろ長い間座らせちゃってごめん」
「いえいえ」(というか夢への干渉を維持する為に頭を触り続ける必要があったんだよな)
日の沈み具合を見るに、かなりの時間を膝枕してくれていたのだろう。それなのにセレナは嫌な顔一つせず、穏やかな笑みを向けてきた。
「それで、どうでしたか?」
「……今のって、セレナがやってくれたの?」
「ふふ、私はただ疲弊しているエリーゼさんに一度休んで貰いたかっただけですよ」
「ふーん」
どうにもはぐらされている感じはするが、そういう事にしておこう。
「まあいいわ。それで "どうだったか" ね」
その問いに対して、アタシは笑顔で答えた。
「ええ、色々とスッキリしたわ。ずっと長い間小難しい事を考えちゃうなんて、アタシらしく無かったわ」
「そうですか。なら良かったです」(よしっ! どうやら満足したらしい。これは
……セレナ・ユークリッド、非の打ち所がない慈愛に溢れた聖女。あまりに優し過ぎて一時期は何か裏があるんじゃと思ってたけど、どうやらこれもアタシが小難しく考えていただけらしい。
「今日はありがとねセレナ」
「いえいえ、また相談したい事があったらいつでも言って下さい。どれほど役立てるか分かりませんが、私も精一杯お力になります」
今日は色んな事を知る事が出来た。ルークの気持ちも、セレナが底抜けに優しい奴だという事も。
……今日、アタシは初めて心の底から変われたと、そう思えた。
▼▼▼
初日からハードなイベントに遭遇した偽セレナことミミック。幸先が思いやられるスタートだったが、二日目ではエリーゼと関わる頻度が増えたのを除いて、何事もなく終了した。そして最後は呆気なくミミックの影武者生活も終わりを迎えて、
(……来ない)
なんて事は無く、ミミックがセレナの自室に夜遅くまで起きて待ち続けるも、彼はやって来なかった。
「……ま、まあ、奴は最短でも帰れるのは二日後になると言っただけだ」
そう、二日後とはあくまで目安。彼がいつ帰ってくるのか、正確な日や時間はミミックに分かる筈もない。
(ひとまず今日は寝よう。なぜかエリーゼが良く話しかけるようになってきたし、あの女の対処法を考えないといけない)
その日、ミミックは潔く明日に備えて眠る事にした。案の定翌朝になっても彼は現れず、ミミックは三日目の影武者生活を送る事となった。
そして三日目の夜、その日も彼は帰って来ない。更に翌日、影武者生活四日目に突入したミミックは、その日もなんとか乗り切り、無事に寮の部屋へと帰る事が出来て……
「いや遅くないか!?」
四日目の夜、ミミックは突っ込まずにいられなかった。
「いくらなんでも遅いだろ? なんだ、死んだか? 遂にあの悪魔は死んでくれたのか?」
だとしたら心底嬉しいとミミックは思いつつも、アレが死ぬ姿は想像付かないなとその考えを一蹴する。
(いや、え? 本当に今日も帰って来ないのか? もう奴が目的にしている王祭が間近だぞ?)
まさかこのまま帰って来なかったら王祭の間も自分がセレナ・ユークリッドを演じる必要があるのか? その事に気付いたミミックは、思わず吐きそうになる。
(冗談じゃない!? 頼むから早く帰ってこいよイカレ狂人!)
「よっすミミック、ちゃんとやってくれたか〜」
「……!」
噂をすればと、
「お邪魔しまーす。へー、コレがお兄さまの言ってた影武者かぁ」
「……は?」
彼の後ろからひょっこりと姿を見せた女の子。
「ふーん、確かにそっくり。けどお姉さまの方がずっと可愛いわね♪」
(は?)
桃色のツインテールをたなびかせて、少女はミミックの顔をジッと見つめる。
「あなたもお兄さまの協力者よね? ならこれから関わる事も多いだろうし、自己紹介しておくわ」
そう言って少女はミミックから距離を取り、スカートをちょこんと摘んで優雅にお辞儀する。
「───はじめまして、私はミリア。巷では魅了の魔術師と呼ばれている者よ。よろしくね♪」
…………。
「は?」