君たちはゲームでアバターのキャラメイクをする時、どちらの性別をよく選ぶ? 俺は自分と同じ性別、つまり男性だ。
デキる男はゲームでも一工夫する。嫁が出来た時、何かの誤りで自作アバターを見られた場合でも諍いが起きないよう配慮するのだ。
例えば、己の性癖を盛りに盛ったアバターを作り、欲望の赴くままにロールプレイしたとする。で、その事が嫁にバレたらどうなる? 気まずいし、場合によっては性癖を否定されて悲しい思いをする。そうならないよう、俺はネトゲをする時には無個性なアバターを作るよう心掛けていた。
まあ俺の理想の嫁ならそこら辺も寛容だから、例え性癖モリモリキャラを作ってるのがバレても問題ない。……いや、それは俺が恥ずかしいし気まずいから、やらないんだけど。
それで結局何が言いたいかというと、俺が第二の人生でやっている事は、そんなネトゲのロールプレイと似たような物だという話だ。
本当は違う。断じて違う。俺は遊び感覚で理想の嫁ロールプレイをやってなんか無いし、いつか本当に理想の嫁をこの世に誕生させて結婚しようと思っている。ただ、俺のやってる事を諸君らに少しでも理解して欲しいと思い、こうして説明しているのだ。
俺は理想の嫁を体現する為に手段を選ばない。金が掛かるなら盗賊を殺して金品を奪ったし、前世の知識と経験を生かして違法スレスレで商売もやった。理想の嫁を誕生させれるのなら、禁忌とされる行為にも躊躇いなく手を出した。
そのお陰で、今はかなり理想の嫁を体現出来てると自負している。このままいけば俺の目的も叶える……そう思っているのだが、実は一つだけ昔から悩まされてる問題があった。
それは───
▼▼▼
グレイスフィア王国の中心地である王都は、一年を通して常に人で賑わっている。それが休日ともなれば、人でごった返す事なんてザラにある。
「……」
その日、休日に王都を出歩いていたセレナは、ある存在が路地裏に潜んでいた事に気付く。
「……」
抜き足、差し足と、彼女は慎重に路地裏の中へ入っていき、その存在に気付かれる事なくすぐ側まで近寄る。
「……」
「ンニャ?」
その存在は、まごうことなき黒猫であった。治安の良い王都な為か、野生である筈の黒猫も何処となく清潔感があった。
「に、にゃ〜」
「……」
セレナは黒猫と目線を合わせようとしゃがみ込み、男が聞けば悶絶しそうな萌え声で猫の鳴き真似をした。
「ニャッ」
「あ、あー待って下さい!」
しかし本場の猫はお気に召さなかったらしく、そっぽ向いてトコトコと離れていった。
「う、うぅぅ」
黒猫に見向きもされなかったセレナはその場に崩れ落ち、ガックシと首を項垂れさせる。
(また……またダメだった……!)
そして理想の嫁を演じる彼もまた、心の中で盛大に嘆いていた。
(何故だ、何故こんなにも動物から好かれないんだ!?)
彼は前世の時から動物に好かれない体質だった。嫌われているとかではなく、全く、微塵も、何一つ、動物から興味を持たれないのだ。その姿、周りから扱いづらいと思われているクラスで浮いたぼっちのよう。
前世の時は何も困っていなかった。攻撃して来ないのならこっちも無視するだけだったし、そもそも彼は動物に興味ない。しかし、転生して理想の嫁を演じようと決意してからは別だ。彼は前世から受け継がれるこの体質に、非常に困らされていた。
(俺の! 嫁は! 動物に好かれてるんだ!! 森の中で寝てたら頭の上に小鳥が乗ってるみたいな! そういう自然に愛されてる子なの!!)
彼は理想の嫁の解釈違いを何よりも嫌う。それが例え体質というどうしようもない問題であっても関係ない。
(チクショウ!! こんな事なら前世でペットシッターとか、そういう動物との触れ合い方を学んどきゃ良かった!)
ちなみにベビーシッターの経験はある。未亡人の奥さんから求婚されて以来、やらなくなったが。*1
(不味い……不味いぞ……このままじゃ……!)
彼は今後起こり得る未来を予測する。
嫁としてお友達と街中を歩いてる時に猫と遭遇。戯れようとみんなで近寄り、セレナが近付いた瞬間に猫が逃げる。それを見た周りからの反応は……?
(あ゛あ゛あ゛あ゛!!! 違う! 俺の嫁にそんなシチュは訪れない! 断じて!!!)
こんな内心アホほど騒いでいるが、彼はそれを決して表には出さない。猫に逃げられてシクシク悲しそうにしているだけである。
(こうなったら奥の手を……いやでも、アレが周りにバレたら流石に不味いし)
ちなみに奥の手というのは、使ってるのがバレたら一発で極刑になるレベルのヤバい代物である。そんな物を動物から好かれるようにする為だけに使うなという話だが、残念ながら彼にとって解釈違いとは死に等しい事柄なのだ。
(……ん? なんか人の気配が)
激しく取り乱している彼だが、周りに気を配る事は忘れていない。嫁の解釈違いな行動は誰にも見られてはならないからだ。
「……あ」
しかし、どうやら彼は自分が思っていたより精神的に参っていたらしく、
「ひうっ!?」
黒猫に逃げられていた場面を、一人の少女にガッツリ見られていた。
「「……」」
目が合った二人は、見つめ合ったまま動かない。少女は怯えからビクビクし、そしてセレナの方は、
(ヤバいヤバいヤバい! 完全に油断した!)
焦っていてそれどころじゃなかった。
理想とは異なる嫁の姿を他人に見られ、それが周りに伝播する。それは彼にとって何よりも恐ろしい事であり、それを阻止する為なら文字通りなんだってする。
(こうなったら亡き者にして無かった事に……)
その選択肢の中には当然、殺しだって含まれていた。
(いや待て! 流石に王都の中でやるのは不味い。それに素性の知れない相手を消せば、後からどんな爆弾が出てくるのか分かったもんじゃない)
幸せな未来を手にする為、彼は努めて冷静に、目の前の少女を分析する。
パッと見の印象として、かなり臆病に感じられる。そして見た目の方だが……全身をローブで包んでいて分からない。顔も深々とフードを被っているせいでほとんど見えなかった。
(明らかに訳アリだな。立場ある人間か、後ろめたい事でもあるのか)
どちらにせよ今すぐ殺すのはナシだと、彼は自分を抑制した。
(記憶を消す事も出来なくは無いが、相手が王族とかだったら後々バレた時に面倒だ)
此処は王都だ。王族がお忍びで来ているなんて事も十分にあり得る。
(つまり俺のやるべき事は……!)
次の行動を決めた彼は、崩れ落ちた状態から立ち上がる。この間、僅か五秒である。
「怖がらせてごめんなさい」(この子の素性を明かし、問題なさそうだったら消す事!)
不味そうなら法律に触れない範囲で対処しようと、中々にクレイジーな思考で彼は少女に接触した。
「私はセレナ・ユークリッド、王立学園の生徒です」
「お、王立学園」
「はい、ですので怪しい者ではありませんよ」
安心して下さい。そう言ってセレナは少女に微笑みかける。逃げられても捕まえれるよう、コッソリ距離を縮めながら。
「貴女のお名前はなんと言いますか?」
「ぇ、えっと……ゥゥ」
「……そうですか」(ムッ、思ったよりガードが固いな)
内心で毒づきながら、情を揺さぶって答えさせようと彼は伏目がちにして悲しそうな表情を浮かべた。
「あっ……ゥ」
効果はあったようだが、名前を喋らせるには至らない。
「いいんですよ」
「え?」
それを見て彼は今すぐ素性を暴く事は不可能だと判断し、まずは少しでも心を開かせる事に徹した。
「大丈夫です。言わなくても、それで貴女の心が安らげるのなら、無理に問いただしません」
「……」
「ゆっくり、深呼吸をして、心を落ち着かせて」
少女に落ち着く事を優先させる。相手の呼吸に合わせて一歩一歩、セレナは少女に近づき、そして抱きしめた。
「ッ!?」
「大丈夫、大丈夫ですよ」
突然の事にビックリする少女だが、構わずセレナは優しく言葉を投げ続ける。
「私は貴女に何もしません。嫌がるような事は、決してやりません」
その言葉の通り、セレナは抱きしめるだけで危害を加えようとしたり、フードを取ろうとはしなかった。
「きっと何か、事情があるんでしょう。それを無理に明かす必要はありませんし、私も気にしません」
「……」
その言葉が決め手となったのか、少女はされるがままとなり、みるみる内に落ち着きを取り戻した。
(うーん、物凄く顔を見たいが、まだ王族の線が残ってるからなぁ)
その裏で彼は、まだ危険を犯すべきじゃないと自制していた。まるで慈愛の塊みたいな行動を取っているが、隙さえあれば積極的に正体を暴いて始末しようとしている。彼に情など無かった。
「───なるほど、お兄さんと逸れてしまったのですか」
「う、うん」
それから抱きしめ続けて五分、すっかり落ち着いた少女は恥ずかしがるようにセレナから離れ、彼女に現在の自分の状況を説明する。
(ほんっとガード固いな、ちょっとは口を滑らすと思ったんだけど)
その事に彼は内心で不満を吐露する。やはり本質的に臆病なのか、少女は説明する間も自分の素性を悟られないよう言葉に気を遣っているのだ。
(この手の相手に距離を一気に詰めようとするのは悪手だ。長い目で見て対応する必要がある)
もし急接近して少しでも相手の線引きを誤ろうものなら、恐らく少女の持つ事情も相まって二度とお近付き出来ないだろう。そう彼は悟った。
(そういう意味で言うと、さっきの抱きつきは危なかったな)
一歩間違えれば逃げられていたなと、今更ながら肝を冷やした。
(……うん、やっぱ今日中に向こうから素性を教えて貰うのは無理だな)
前世の人生経験(※主に女性との交流)に基づいて考えた時、穏便に事を進めるのは無理そうだと彼は思った。
「お兄さんの居る場所にアテはありますか?」
「あ、ある。……けど、通りには人が沢山いるから、怖くて」
「なるほど、そういう事でしたら」
セレナは、優しい笑みで少女に手を差し伸べる。
「私も一緒に付いていきます」
「え?」
「安心して下さい、詮索はしません。それに一人じゃ心細いでしょうから。……嫌、でしたか?」
「……ううん、そんな事ない」
恐る恐る、少女は差し出された手を握る。
「ありがとうございます。では、行きましょうか」(隙を見て素性を暴く。うん、これしか無いな)
優しい笑みの裏に隠された真意に、気付く事なく。
並んで手を繋ぎ、セレナと少女は王都の下町を歩く。
「こっちの方向で合っていますか?」
「う、うん、合ってる」
少女はまだセレナへの警戒を解いていないが、それでも初対面の時と比べたら随分とマシになっていた。
「……」
「大丈夫ですよ、此処に貴女を害する方はいません。それにいざとなったら私を放って逃げてもいいんです」(ふむ、この辺りに上級貴族は滅多に来ないし、だとすると王族の線は薄いか?)
周りを過剰なほど警戒する少女に、セレナは安心できるよう絶えず優しい言葉を投げ掛ける。その裏で彼女の素性を探る事も忘れずに。
(バックに権力者が居ないならやりようはいくらでもある。……けどなあ)
なんとなく少女の扱い方も理解できた。今なら彼女を人気の無い場所へ言葉巧みに誘導して誰にもバレずに始末出来る。そう思う彼だが、少し懸念点があった。
(周りの人達に対する異常な程の怯え具合、これがどうにも気になる)
いくらなんでも人目に晒されるのを怖がり過ぎでは? そう思えて仕方ないのだ。
(やっぱり素性を明らかにしてから動いた方がいいな)
そもそもこんな事をしている理由は、セレナが猫と戯れようとして逃げられた所を少女に目撃されたからだ。流石に彼もこの程度の解釈違いでリスクを犯したく無かった。
(だとすると、彼女が目的地に到達する前に何か手を打たなきゃな)
どうするべきかと彼が悩んでいると、隣からグゥ〜っと地の底から鳴り響くような音が聞こえた。
「〜ッ!」
なんだなんだと見てみれば、少女は恥ずかしそうに顔を俯き、体をプルプル震わせていた。その表情は伺えないが、きっと真っ赤に染まっている事だろう。
「お腹が空きましたか?」
「……うん」
尋ねてみれば、か細い声が返ってくる。
「でしたら……あそこが良さそうですね」
「え、でも」
「大丈夫、なんとかなりますから」
お腹が空いてる事を聞いたセレナは、少女の前に出て近くの屋台へと向かった。
「らっしゃい! ……お、嬢ちゃんじゃねえか」
「こんにちは、店主さん」
セレナが屋台に訪れると、店主のおじさんは親しげに彼女と話す。
「また来てくれたのかい?」
「はい、下町で小腹が空いた時は店主さんのお店を探すようにしてるんです」
「はっはっはっ! そりゃ光栄だな、ウチの常連客になってくれるのかい?」
「ふふ、そうなりますね。今後とも通わせて貰います」
ちなみにセレナが店主と喋ったのは、先週の休日に下町へ出掛けた時だけである。その時も深い交流はしておらず、ただ普通に客として屋台に訪れただけだ。
これは店主だけに限った話ではない。セレナと面識を持った下町の住人達は皆、彼女に好印象を抱いている。
理想の嫁は人に愛されている。それを事実とする為、彼は常日頃から人に好かれるよう意識してきた。
「……後ろに居るのは嬢ちゃんの連れかい?」
「ウッ」
しかもそれ自体は前世の時から心掛けてきた事であり、
「はい、少し事情があって顔を隠しているんです。ですが、決して悪い方ではありません」
「そっか、まあ嬢ちゃんがそう言うんだ。俺も信じるさ」
「ありがとうございます。では彼女の分も含めて小さめのを二つ、お願いします」
「あいよ!」
このように出会って二回目の相手に信用されるぐらい、彼のコミュ力は極まっていた。
「……」
「ほら、なんとかなったでしょう?」
目を丸くして自身を見る少女に、セレナはしたり顔を浮かべた。
「必要以上に怖がらなくていいんです。例え隠し事があっても誠実に応じれば、それだけで貴女を受け入れる方は増えますよ」
ならお前はどうなんだと思う方が居るかも知れないが、彼はあくまで理想の嫁ならこう考え、こう感じ、こう動く筈だと、嫁の代弁者として行動しているに過ぎない。
彼が心の内でどう思おうと、セレナの振る舞いに誠実さを感じてしまうカラクリの正体がコレである。
「誠実に、応じる……」
「ほいお待たせ!」
少女はセレナが言った事をブツブツと呟いて反芻する。そうこうしている内に頼んだ料理が出てきた。
「ありがとうございます。はい、どうぞ」
セレナは料理の入った二つの器を店主から受け取ると、片方を少女に渡す。
「あ、お金」
「お金の事は気にしなくて大丈夫です。少なくとも私には、そういう気遣いは必要ありませんよ」(それに金なら死ぬほど持ってるしな)
そう言われても受け取るのを躊躇ってしまう少女だったが、香ばしい匂いが空腹を刺激した事で思わず手に取ってしまう。
湯気が出るほどアツアツな六つの玉が器の中を転がり、その上には様々な調味料が乗せられ更に食欲を掻き立たせる。
「ワァ……!」
「ふふ、たこ焼きは初めてですか?」
「う、うん!」
「お、そっちは初見かい? たこ焼きは美味いぞ〜、俺が人生で出会った料理の中で一番と言っても過言じゃないぜ!」
そう豪語する店主の言葉を聞いて、少女はゴクリと唾を飲み込む。
「た、食べてもいい?」
「いいですよ。ただ熱いので気を付けて下さいね」
セレナから許可を貰った少女は、恐る恐る串をたこ焼きに刺し、それを口を運んでいく。
「ふあっ!?」
口に入れた瞬間、少女はあまりの熱さに驚いてしまう。
「は、はふっ! ふっ……お、美味しい!」
しばし悶える少女だったが、熱さにも慣れると味わう余裕が出てきて、そしてあまりの美味しさに再び驚きの声を上げた。
「おー、気に入ってくれたみたいだな!」
「ふふ、私もたこ焼きは好物なので嬉しいです」(やっぱたこ焼きって美味えわ、流石に本場と比べたら劣るけど)
そこからはもう熱さなんてなんのその、少女はガツガツとたこ焼きを食べていき、ものの数分で器からたこ焼きが消えた。
「美味しい、こんなに美味しい食べ物があったんだ」
「見ていて気持ちのいい食いっぷりだったぜ!」
「あっ……」
夢中になって食べていた少女は、店主に話しかけられてハッと我に返る。
「あ、えっと、その」
そして体を店主の方に向けて、少女はおずおずと言葉を紡ごうとする。
「……?」
「あぅ……」
そんな少女の様子に店主は首を傾げて、少女も何も言えず後ろへ下がろうとしてしまう。
「大丈夫ですよ」
後ろへと退く少女の背に、セレナは優しく手を触れる。
「大丈夫、大丈夫」
何度も何度も、大丈夫だと声を掛ける。
「……っ」
俯いていた少女は少しだけ顔を上げ、前へ一歩進む。
「お、美味しかった! 本当の本当に、すっごく美味しかった!」
そして店主に向かい、伝えたかった事を思いっきり告げた。
「……おう! 良かったらまた食いに来てくれ!」
それを聞いた店主は、大きな笑顔を浮かべて少女にそう言った。
たこ焼きを食べた後、少女とセレナは本来の目的を果たすべく先へ進んだ。
「この先、ですか?」
そうして少女の案内でたどり着いた場所は、奇しくも二人が出会った時と同じように路地裏だった。
「うん、此処から先は一人で大丈夫」
(え゛?)
まだ口止め出来てない彼は、少女の言った事に少し動揺してしまう。
「えっと、本当に大丈夫なんですか? 危険とかは」
「大丈夫、むしろ一人だけの方が都合いいの」
(えぇ……マジかよ)
なんとか引き止めようとするが、それもどうやら不可能そうで、
(周りに人も居ないし、もう強硬手段にいくか?)
遂にはそんな事を考え始めた。
「……トリン」
「はい?」
「わ、私の名前」
いつ仕掛けようかと彼が考えていた矢先、少女は別れの最後に自身の名前を告げた。
「……ええ、教えてくれてありがとうございます。トリンさん」(俺の知る限り、王族にそんな名前の奴はいない……よし! 貴族じゃないっぽいし、多少無茶をしても大丈夫だろ)
バックに権力者が居なさそうな事を確認できた。もう彼の中に手を出す事への抵抗感は無い。
「本当にありがとう。セ、セレナが居なかったらここまで早く来れなかった」
「ふふ、どういたしまして」(背中を向けた瞬間が狙い目だな。安心しろ、記憶を弄るだけだ)
彼の思惑にトリンは気付かない。そのまま別れ際に気絶させられ、セレナと出会った時の出来事だけ若干の記憶改変が施される。
「ニャー」
そんな未来が起ころうとした直前、まるで狙っていたかのようにソイツは現れた。
(あ、あいつは!?)
路地裏の奥からトコトコと、あの時の黒猫が顔を出したのだ。
「ニャッ」
黒猫は一直線でトリンの胸へと飛び込む。そしてトリンも当たり前のように黒猫をキャッチし、そのまま抱き抱えた。
「随分と懐いていますね」(なっ!?)
衝撃的な光景に驚きで声が出そうになるものの、何が何でも理想の嫁を演じてやるという彼の深い執念により、それは別の言葉に変換されて口から飛び出た。
「もしかしてペットですか?」
「ううん違う。私、動物には好かれやすいの」
(それはもしかして俺に対する当て付けかな? お???)
彼が内心でピキッていると、
「ニャ〜」
黒猫がもっと構えと言わんばかりに、トリンの腕の中で手をパタパタ動かし始める。
「あはは、甘えん坊ね」
(ウゴゴゴォォ……!)
自分では決してやってくれない行動を見て、彼の怒りはますます高まる。
「……ね、ねえセレナ」
「はい、なんですか?」
不意に、トリンは黒猫からセレナの方へと顔を向け直した。顔が見えないが、真剣な眼差しを向けている事が伝わってきた。
「その、私と、その……と、友達になって───」
「ニャッ!」
直後、早よ構えと言わんばかりに黒猫がトリンへ猫パンチを仕掛ける。そしてそのパンチは、彼女のフードを振り払った。
「───欲し……い」
突然の出来事だったからか、はたまた油断していたからか、反応が遅れたトリンはすぐにフードを被り直す事が出来ず、そのままセレナの前で素顔を曝け出してしまう。
短く切り整えられた茶髪のショートヘア、翡翠色の瞳、そして……頭に生えた三角形の獣の耳。
「───」
自身の素顔をセレナに見られたトリンは、
「あ、あああ!!」
絶望の表情を浮かべていた。
▼▼▼
この世界には、獣人という人間とは似て非なる知的生命体が存在する。頭に獣の耳を生やし、それ以外は限りなく人間に近い生命体。それが獣人だ。
獣人は、人間と比べるとお世辞にも器用とは言えず、繁殖力も高くない。しかし人間とは比べ物にならないほど高い身体能力を持っており、更には自然と対話する能力を有し、動植物を味方に付ける事も出来た。
そんな獣人は、大昔に人間と長い間、争い続けた歴史がある。まだ今より文明が発達していない頃、純粋な武力が物を言う時代、優れた能力を持つ獣人は人間を相手に有利に戦えていた。
しかし現在、人間が統治するグレイスフィア王国が栄えているのを見れば分かる通り、人間は滅んでいない。それはどういう事か?
結果から言うと、獣人は人間との戦争に敗北した。数の力で押されたか? 知略に翻弄されたか? はたまた文明の力の差で圧倒されたか?
……否、どれも違う。そういった場面も確かにあったが、獣人達はそれら全てを凌いでいる。
数の力には圧倒的な個をぶつけ、知略を前には動植物を味方に付けて逆に翻弄させて、高度な文明の力を使われても技術を盗んで対抗して見せた。
このまま何事もなければ、獣人は勝利できた。人間が何をしようと勝っていたのだ。……あの存在が現れるまでは。
神、人間がそう呼び崇め奉る存在が突如として現れて人間に味方したのだ。
神は人間に加護を与えた。超常の力を振るう人間達に獣人は成す術なく倒れていった。
危機に瀕した獣人達は、人間と同じように神を信仰して加護を授かろうとした。……だが、終ぞ神が獣人に加護を授ける事は無かった。
獣人は敗北した。加護を得た人間達に蹂躙されて。
人間は勝利した。そして悪しき獣人達を討つ為、加護を授けて下さった神々を深く信仰するようになる。
やがて生き残った獣人達は等しく奴隷の身分に堕とされ、逃げ延びた獣人も日陰に姿を隠しながら日々を過ごす事を強いられた。
▼▼▼
人里から遠く離れた森の中、人間の手が届かない獣人達が住む村、そこでトリンは生まれた。
生まれたとは言っても、生まれた場所の記憶を彼女は持っていない。物心つく前には故郷を離れていたし、その故郷も今は存在しないからだ。
両親は居ない。既に亡くなっている。しかし亡くなったのはずっと昔、それこそトリンが赤ん坊の頃だ。顔さえ覚えていない両親の死は、とても悲しいが心に傷が残るほどでなかった。
彼女にとって家族とは、兄のガークだけである。たった一人の家族だからこそ、トリンはガークへ非常に懐いたし、ガークの言いつけもきちんと守った。
ガークはよく、トリンに人間の恐ろしさを語った。欲深く傲慢で、悪魔を味方に付けて自分達を破滅にまで追いやった忌むべき種族だと。
それを聞いて育ったトリンは、人間を酷く恐れるようになった。だが同時に、人間を信じたいという心も微かに持っていた。それはかつて盗賊に攫われた時、自分を助けてくれたのが人間だったから。
(み、見られた。セレナに見られた)
そして現在、彼女は人間のセレナに自身が獣人である事を知られてしまった。
セレナ・ユーグリッド、それはトリンが兄と逸れてしまい途方に暮れていた時に出会った人間の少女である。
セレナはとても不思議な人間だった。トリンが初めて彼女と出会った時、トリンは彼女に対して形容しがたい違和感を感じて仕方なかった。
嫌な感じはしない。むしろ類を見ない善人であると直感で思った。だが、何故だかトリンは素直にそう思えなかった。
自然と対話できる獣人の中でも、トリンはその能力が強く備わっている。その影響か、相手の本質を見抜く第六感が非常に働くのだ。
そんなトリンだからこそ、セレナの隠された本質を
真実に辿り着かなかったのは寧ろ幸運だっただろう。もしこの事実を彼が知れば、彼は何がなんでもトリンの存在を消した筈だ。
しかし実際にはそうならなかった。トリンは妙な違和感を抱くだけで、最終的にはセレナの善性を信じた。
あの時、恐怖で体を震わすトリンをセレナは優しく抱きしめた。驚くほど心が安らぎ、セレナが人間である事も忘れて温もりを感じ続けた。初めて食べたたこ焼きは天にも昇るほど美味しく、感想を伝えた店主に笑顔を向けられた時は温かな気持ちになった。
『隠し事があっても誠実に応じれば、それだけで貴女を受け入れる方は増えますよ』
セレナが言ったあの言葉、それをトリンは確かに実感し、気付けば人間に対する悪印象も薄まっていた。
(悪い人間だけじゃない。良い人間もちゃんと居るんだ)
そう認識を改める事が出来た。まだまだ人間全体に対する恐怖心はあるが、少なくともセレナとは仲良くしたいと、あわよくば友達になりたいと、彼女は思った。思ってしまった。その期待が裏切られるとは思いもせず。
「……トリンさん、そのお姿は」
トリンは兄のガークから人間の恐ろしさを教えられている。しかしそれと同じぐらい、人間がどれほど獣人を毛嫌いしているかも教えられた。
奴隷として酷使するなんて当たり前。どれだけ友好的に振る舞っても、相手が獣人と知れば人間達はたちまち迫害する。
……神に見放された存在である彼らは、存在そのものが悪なのだと。
「い、いや! 違うの! これは違うの!!!」
トリンは獣人の証である獣の耳を両手で必死に隠そうとする。フードを被るという発想が出ないほど激しく取り乱し、その表情は見るに堪えないほど悲痛だった。
(嫌だ嫌だ嫌だ!!! 嫌われちゃう、セレナに嫌われちゃう!)
トリンが人間と直接言葉を交わした事は少ない。しかし他の獣人と人間が対峙する場面は遠目で何度か見た事がある。
獣人は明確な恨み怒りを人間にぶつけ、そして人間は害獣を相手にするような侮蔑の視線を送っていた。
「トリンさん」
「やめて! 見ないで!!!」(見たくない、セレナにあんな目で見られたくない)
セレナに呼び掛けられたトリンは、目をギュッと瞑って顔を俯かせる。過去に見てきた人間達の目、あの目をセレナから向けられたら、とてもじゃないが心が持たない。
「トリンさん」
「お願い、お願いだから」
私を見ないで。そう言おうとするトリンだが、彼女の口からそれ以上拒絶の言葉が出る事は無かった。
「大丈夫」
「…………ぇ?」
優しい温もりがトリンの体を包み込む。
「大丈夫、大丈夫」
「……」
子どもをあやすように、セレナは優しく言葉を投げ掛け、背中をトントンとさする。
「なん、で?」
獣人である事を隠していたからこそ、人間のセレナとも仲良く出来た。これまでがそうだったように、今回も同じ事じゃないのか?
獣人と分かってもなお優しく接するセレナの事が、途端に分からなくなった。
「……獣人の存在については、私も知っています。人間とはどういった関係なのかも、十分に理解しているつもりです」
そう言って語るセレナの顔は、どこか悲しげだった。
「人間と獣人の共存、そんな夢物語を考える日々もありました。ですが私は自分の信じる道を歩むだけで手一杯で、とてもそれを実現する為に行動は出来ません……ですが」
セレナは密着した状態から体を離して、両手でトリンの頬を包む。
「ふぇ?」
「トリンさん、先ほど友達になりたいと言いましたよね?」
無理やり顔を合わせられたトリンは、そこでようやく彼女の目を見る。
蒼い瞳はどこまでも透き通っていて、真っ直ぐにトリンを見つめていた。
「なりましょう。友達に」
セレナは慈愛に満ちた笑みを浮かべて答える。
「い、いいの?」
「勿論です。むしろ私からお願いさせて下さい」
……感じない。他の人間が獣人に抱くような想いを、全く感じない。
「〜ッ! うん!!!」
トリンは思わずセレナを抱きしめる。堪え切れず、涙が溢れ出た。
『トリンさんと友達になれたのは嬉しいですが、その事を迂闊に話すのは危険だと思います』
あの後、気分を落ち着かせたトリンにセレナは言った。
『なので、私とトリンさんの関係は暫く秘密にしておきましょう』
それはトリンとしても懸念すべき事だった為、彼女もすぐに頷いて同意した。
もっとセレナと喋っていたい気持ちもあったが、兄を放っておく訳にもいかないので、その後はすぐに場を解散させた。
「……セレナ」
次にいつ会えるのかは分からない。トリンの住処は教えられないし、セレナが住む王立学園の寮も部外者は入れない。もしかしたら数年、下手したら二度と会えないかも知れない。
(次に会う時は、たくさん話したいな)
だが、トリンは不安に思わなかった。近い内にまた会えるだろうと、根拠もなく思っていた。
「トリン!!」
「あ、お兄ちゃん!」
暫く路地を歩いていると、向こうから彼女の兄、ガークがやって来た。
「アジトを見ても居なかったからもう一度探しに行こうとしたが……良かった、戻って来れたんだな」
「うん、逸れちゃってごめん」
「いや良いんだ。それより大丈夫か? 人間に何かされてないか?」
「……」
友達が出来た事を兄に話したい。けど、その相手が人間だと知れば二度と会わないようにと言ってくるだろう。
「うん、大丈夫だよ」(ごめんお兄ちゃん、いつか絶対に言うから)
普段なら兄の気持ちを優先する所だが、トリンはまだセレナとの関係を断ちたくなかった。
(いつかお兄ちゃんにも気付いて欲しいな、セレナみたいにすごく良い人間も居るって事を)
……この日、獣人の少女に人間の友達が出来た。
それで何かが変わる訳ではない。獣人の迫害が無くなる事も、人間が考えを改める事も無い。ただ、この日を境に時代は着々と変わりつつあった。
▼▼▼
人間と獣人、相容れない種族の間で生まれた確かな絆。二人の少女による友情物語はとても綺麗で美しい。……少なくともトリンの視点では、だが。
(いやー、まさか獣人だったなんてなぁ)
もうお分かりかも知れないが、彼にはそんな殊勝な考えなど持ち合わせていない。
(予想外だったけど、お陰で獣人と接点が出来た。これを機に獣人にも嫁の事を知って貰おう!)
彼の思考の中心にあるのは常に理想の嫁の事だけである。トリンと友達になったのも、嫁が獣人達から愛される為にやった事だ。
(嫁も初めての獣人の友達が出来て嬉しいし……うん、ハプニングもあったけど良い日になったな!)
彼は理想の嫁を追求するだけじゃない。嫁の為になる事も積極的にやっている。動物に好かれてない事を隠して嫁の理想像を保つより、嫁の為に獣人の友達を作る方が大事だと彼は判断したのだ。
(獣人は人間に悪感情を持ってるから結構厳しいと思ってたけど、トリンちゃんが橋渡しになってくれたら大分やり易くなる)
感性が前世よりの彼は、獣人を忌避しない。しかし獣人が可哀想だから救ってみせるなんて微塵も思わない。そんな義理など無いからだ。
(トリンちゃんも良い子そうだし、今後も嫁と仲良くして貰おう)
最初は最悪の一日だと嘆く彼であったが、思わぬ拾い物が出来て帰宅後はすっかり上機嫌なのであった。