私は
鈴を産んだばかりの新米ママです。
時間の流れはあっという間で、気がついたら3年が経っていました。
鈴は3歳になりました。
私たちの子、鈴は不思議な子でした。……いえ、不思議というのは正しくありません。なんて表現すればいいのでしょう、とにかく異様な子です。
鈴は全く泣かず、手がかかりませんでした。そして本当に赤ちゃんなのか疑うくらい、言葉を理解していたと思います。言いつけはしっかり守って、悪戯もしませんでした。赤ちゃんはなんでも口に入れてしまう、というけれど鈴は全くそんなことはありませんでした。
……どう見ても普通の子供ではなかったけれど、そのくらいだったらまだよかったです。
鈴の表情はいつも暗い。生きる気力がまるで感じられませんでした。
生まれた時からそうです。
あれは出産して初めて鈴を抱いたときのことです。私が目にしたのは、まるで何かに絶望したかのような愕然とした表情。生まれたばかりの赤ちゃんがしてはいけない顔です。なぜと思うのと同時に、こんな顔をさせてしまった罪悪感でいっぱいでした。
鈴はいつも何かに怯えていました。時折、何か嫌なことを思い出したかようにその顔が恐怖に染まり、呼吸が浅くなります。決まってそういうときは私と夫を見ていました。
最初は私たちが怖いのかなと思っていました。娘に怖がられているなんて、考えただけでも胸が張り裂けそうになるほど悲しいことでした。
ですが、そうではありませんでした。
鈴は私たちを通して、何かを見ている。それにひどく怯えている……のだと思います。
鈴がパニックになる度に抱きしめました。ぎゅっと抱きしめると、その恐怖に染まった顔が和らぐのです。少しでも鈴を楽にしたくて、繰り返し、何回も抱きしめました。その度に反応が良くなりました。最初は表情があまり変わらなかったのですが、最近ではひどく安心した様子で、にへらと相好を崩します。
初めて笑ってくれた日には、思わず泣いてしまいました。
やっと、鈴の母親になれた気がして。
やっと、鈴が安心できる存在になれた気がして、涙が溢れました。
それでも、鈴が苦しそうな顔をするのは止みませんでした。むしろその頻度が多くなっているようにも感じました。
鈴が苦しむのを見ているだけしかできない。
その生きるのを諦めたような目が、まるで生まれたきたことを後悔するような目が、苦しみを訴えているのです。
私は力を尽くしました。今まで以上に鈴に寄り添えるように、いっぱい話しかけてたくさん触れました。私が母様にされて嬉しかったことを行いました。
いつか、鈴が心から笑って、幸せになることを信じて。
それから月日が流れ、鈴は4歳になりました。そのときに、鈴が弟か妹が欲しいと言ってきました。私と夫はびっくりしました。鈴が何かを要求するのは初めてのことでしたから。
私と夫は頑張りました。
妊娠して、お腹の子がだんだん大きくなりました。お腹の子の性別は女の子らしいです。
そして、私の二人目の娘、あかねが生まれました。
♦︎♢♦︎♢♦︎
何もかもがどうでもよかった。この生を終わりにしてほしかった。
生まれてこなければよかったと何度も思った。
それでも、死ぬ気にはなれなかった。次も転生するかもしれないし、何よりもあの苦痛を感じたくはなかった。
死ぬのではなく、ただ消えたい。苦しむことなく、存在がなくなればいい。二度と生き返れないように。転生なんてふざけたことが起こらないように、消えたいと何度も思った。
幸運なことに、その方法に見当はついていた。
少し外に出ただけで、そこは不思議で満ちていた。空を飛んでいる人がいれば、人差し指から火を出してタバコに火をつける人もいた。車を素手で持ち上げる人もいたし、荷物を浮かしている人もいた。
まさしく超常現象。前世の常識ではありえない光景だった。
間違いなく、この世界には超常現象がある。それは漫画や小説に出てくる、超能力や魔法と呼ばれるものだ。
超能力でも魔法でもなんでもいいが、それならば僕が消えることもできるかもしれない。
「鈴、ママですよ。鈴はいつ見ても可愛いですね。おててもこんなに小ちゃくて……」
桃色の髪をした綺麗なお姉さんが、微笑みながら僕に話しかける。
このピンク髪のお姉さんは、今の僕の母親にあたる人だ。
周りから聞いた情報によると、今の僕は鈴という名前の女の子らしい。
どうでもいい話か。前世の経験から考えると、そのうち、ろくに名前も呼ばれなくなるのだから。
そんなことより、僕はどうすれば僕という存在を消せるか悩んでいた。僕がその超能力を持っていたら、話は早いんだけど。
そんな思考と同時に、僕の体は自動的に目の前のお姉さんを警戒していた。いつ暴力を振るってきても防御できるように。
「鈴はお顔も可愛いですね〜。よしよし」
ピンク髪のお姉さんが、頭を撫でようと手を伸ばす。
その光景が、過去の記憶を呼び起こした。
『あんたさえいなければ!』
母さんが振り上げた手は、僕の頭に振り下ろされる。
似ても似つかない、母さんとお姉さんが重なる。頭に伸ばされた手が、振り下ろされた手に見える。
思考が止まり、頭が真っ白になる。
──やめて、いたいのはやだ、やめてやめてやめて
咄嗟に頭を守った。気がついたら目を瞑っていた。
「鈴? 大丈夫ですか?」
衝撃は来なかった。代わりに、安心感のある暖かなものが頭に優しく触れた。
おそるおそる、まぶたを開ける。
心配そうな表情のお姉さんと目が合った。
真っ白になった頭が思考を始める。
──殴られるのなんて、慣れたと思ってたんだけどな。
羞恥心から、笑って誤魔化した。
「……鈴、大丈夫、大丈夫です」
お姉さんは悲しそうな表情で、僕を撫でる。その撫で方はとても優しく、全てを許してくれるような包容力があった。
僕はその対応に戸惑う。
──お姉さんは、母親……なんだよな? なんでこんなに僕に優しくするんだ?
前世との差に不気味に思ったが、どこか心地良くもあった。
頭を撫でられながら、その心地良さに身を委ねた。
僕は3歳になった。
僕はできるだけ迷惑をかけないように行動した。
おむつが汚れても、どれだけお腹が減っても泣くことはなかった。パパとママの邪魔をしないように、自分のことはできるだけやった。しかし、それでも限界はある。
結局、僕は今のパパとママの手を煩わせた。
今のパパとママは、前世の両親とは全く違かった。
パパとママはとんでもなく優しい。僕が何をしても、前の母さんみたいに、叩いたり物を投げたりは絶対にしない。前の父さんみたいに、僕を無視したりしない。いつも笑って話しかけてくれて、ずっと傍にいてくれた。僕に触れる手が、愛情に溢れていた。傍にいると、なんだか安心した。心地が良かった。
でも、そんなに愛されるのは、中身が僕だと知らないからだろう。出来損ないで、誰かに迷惑をかけることしかできない僕だと。
僕が人のためにできるのは死ぬことくらい。……いや、死ぬことすらできなかったんだった。
親からの愛情が僕には毒だった。愛してもらえるのが心苦しい。所詮僕なんだから、そんな価値はない。何の才能もなく、何もできないのに。
僕は愛されてはいけない。パパとママの愛を受け取っていい存在じゃない。パパとママに迷惑をかけてはいけない。
早く消えなきゃいけない。
パパとママから離れなくては。愛されればされるほど、あとが怖くなる。僕に価値がなかったことを知ったとき、この愛情がどうなるのか。あとで失望して見放すなら、最初から放っておいてほしい。一度だって優しくしないでくれよ。まるで僕が生きていてもいいと勘違いしそうになる。
突然、あまりにも隙がない完璧な案が浮かんだ。
──そうだ、もう一人子供が増えればいいのでは?
僕なんかより、才能ある子供の方が可愛く見えるのは必然。そうなれば、僕を放っておいてそちらにかかりきりになるはず。もしかしたら、「え、鈴? ああ、いたねそんな子も」と言われるくらいには愛情が消えるかもしれない。
そうなれば、心置きなく自分の消し方を模索できるというものだ。
早速お願いしようと思ったが、両親が聞いてくれるか分からない。まあ、この人たちならいつでも聞いてくれそうだが。万全を期して、1番効果的なときにお願いすることにした。
それは誕生日だ。
4歳になった。
テーブルを囲うように僕たちは座っていた。テーブルの上にはケーキが置いてあり、そこに刺された4つの蝋燭の炎がちらりと揺れる。のだが、なぜか電気はつけっぱなしなので、LEDの明かりを受けたケーキが白く眩しい。
「誕生日おめでとう、鈴」
体格のいい壮年の男性、パパが太い声で僕を祝う。
「鈴、4歳の誕生日おめでとう」
薄い桃色の髪のお姉さん、ママが澄んだ声で僕を祝う。
満面の笑みを浮べる二人を見る。
なんかこう、デレデレしすぎじゃないか? やっぱり愛が重すぎる。
さりげなく、ママが僕を膝の上に乗せて問いかける。
「鈴、何か欲しいものはあります?」
ママは距離が近い。何かとスキンシップを取ってくるのだが、何度やられても慣れない。ママの膝の上に座るのも居心地が悪い。全身がふわりと包まれて、心があったまる感覚が、落ち着かない。
「……えっと、弟か妹がほしい、です」
僕は用意していたことを答える。
やっぱり迷惑だろうか。
言ってから怖くなった僕は顔を俯かせる。
ふと、前世の記憶が蘇る。
あれは7歳の誕生日だったと思う。そのときはまだ誕生日を祝われていた気がする。そういえば、母さんにも同じようなことを聞かれた。
『あなたは何か欲しいものはある?』
『えっ! じゃ、じゃあゲーム機! クラスの友達がみんな持って……て……』
『はぁ、あなたはお医者さんになるのよ? たくさん勉強しなきゃいけないのよ? もう一度だけ聞くわ。何か、欲しいものはある?』
『さ、算数ドリル! 漢字ドリルも! 立派なお医者さんになるから!』
『そうよね、それがいいわよね。もう用意してあるから今日はそれをやりなさい』
母さんの失望した目が僕に刺さる。
──母さんの言う通りにするから。ちゃんと勉強してお医者さんになるから。
──だから、僕をそんな目で見ないで。
──みすてないで
突然、後ろから柔らかくて暖かい何かにぎゅっと包まれる。
ハッとした。
そうだ、今はもういないんだった。
ママが僕を抱きしめながら囁く。
「いいですよ。でも少し時間をくださいね」
ほっとした。自分でもよくわからないけど、じんわりと心があったまる。
「……ぁりがと」
なぜか喉がからからで、思ったように喋れなかった。
「いいんですよ。鈴、何を欲しがってもいいんです」
背中から伝わる熱が、僕の脳を溶かす。何にも考えられない。ただ心地よかった。
──ふへへ、ママ、あったかい。
しばらく経ってから、我に返った。何してんだ僕。
恥ずかしくて、ママの膝から飛び降りた。
「あぁ……」
ママが残念そうに呟く。
「ふふっ。それじゃあ、ケーキ食べようか」
気を取り直したようにパパが声をかける。微笑ましい光景を見たとばかりに笑っている。
後悔の念が押し寄せてくる。僕に甘える資格はないというのに。
元の椅子に座って、テーブルに伏せる。
そうしていると小分けにされたケーキが置かれた。
にこにこしてこちらを見る両親を横目に、ケーキを食べた。
ケーキはとても美味しかった。
ついに妹ができた。名前はあかね。雲咲あかね。
妹のことは両親に任せようとして、僕はあまり関わらないようにしたかったのだが、それはできなかった。
──妹は可愛かった。それはもうとんでもなく可愛い。一目見たときから、脳天にガツンと衝撃を受けた。喋れないうちから、僕に抱っこをせがんできた。それはもう喜んで抱きしめた。「ねぇね」なんて呼ばれたときは心臓が止まるかと思った。
そう、僕はお姉ちゃん。あかねのお姉ちゃん。
あかねの姉として、ふさわしい人にならなければならない。
僕、いや私。私がお姉ちゃん。私が落ちこぼれなのはどうしようもないが、それでもあかねの評判が落ちるような真似はできない。私があかねの邪魔をしてはいけない。私はあかねのために行動しないといけない。
──あかねと一緒に生きたい、と思ってしまった。
だから、私はお姉ちゃんとして生きるの。
でも、前世の僕がそれを許さない。前世の僕が、僕の存在を認めない。
──
──だって
──だから、早く消えろよ。
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本作の主人公。劣悪な家庭環境から自殺した転生者。雲咲家の長女。
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鈴の母親。
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鈴の妹。雲咲家の次女。