石の上にも三千七百年   作:不落八十八

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 井戸を作り終えた千空たちは氷冷室と崩落防止の工事を続ける様で、朝食後にもやる気いっぱいの様子だった。

 そんな二人の姿に力を貰いつつ、今日はやりたい事をしようと画策していた。

 オレは昨日の立派な雄鹿の後処理に奮戦する杠に後方師匠面してから、冷暗所の貯蔵庫から密封した土器を一つ取り出して川辺に向かう。

 河原の一箇所を工夫して水を貯められる場所を作ってから、土器の中身を川に向けて開いた。

 ピンク色のドロドロとした文字通りの鹿の脳汁に漬け込まれた若い雌鹿の皮がでろんと溢れ落ちた。

 一部見た目がショッキングな光景になったが、脳漿鞣と呼ばれる遣り方の鞣に必要不可欠な工程なので我慢する。

 本来なら一年くらい熟成させた脳漿を塗布したり漬け込んだりするものだが、氷冷室の無い今にそれは作れないので廉価版というか妥協した試作品になる予定だ。

 

「ぅあー……、臭いやっばー……。川でやって正解だったなぁ」

 

 鼻呼吸を止めているものの若干貫通してくる臭いに軽く悶絶しつつ、川でじゃぶじゃぶと皮に付いた脳漿を取り除いていく。

 若い個体かつしなやかな雌鹿を素材にしたからか元より柔らかい感じがするが、やるからには徹底してやり抜くべきだろう。

 丸太を四本四角に組んだ物に竹の紐でピンと皮を張って、太陽が浮かぶ方向に向けて乾燥させていく。

 殺人現場みたいな光景の後処理をして、新しい脳汁の用意をしながら時間を潰す。

 そして、太陽光と心地良い風で乾燥された皮に向かい合い、竹で作ったヘラで慎重に毛皮の部分を削いで行く。

 青銅のナイフを使いたい所ではあるがミスって裂けたら元も子もないので慎重を期す。

 良い感じに削り終えたらヘラ掛けを辞めて、竹の繊維を細かく裂いて作ったブラシで表面を綺麗にしていく。

 裏側も軽くヘラ掛けをして全体的にやや白い革になったので取り外した。

 脳漿のリン脂質が鹿革繊維の特性に合うらしく、日に晒して日焼けさせてからヘラで削ぎ取る事で独特な柔軟性と白さを得られるのだとか。

 姫路靼と呼ばれる塩と水と菜種油で鞣す方法もあるが、菜種油が無いのでまだお預けだ。

 薬品を使わない鞣方法なので今のオレらに適した遣り方な上に、耐久性や柔軟性もある方法なので是非やりたいんだけどな。

 今の手持ちで出来る鞣し方で、なおかつ柔軟性を得られる方法として泣く泣く脳漿鞣を選んだという訳だ。

 ……いや、うん、Aカップあるか無いかぐらいのオレにはあんまり必要無いのだけれども、豊満な物をお持ちな杠には必要だろうなぁと思ってブラを作りたいと思い至ったのは良いんだけどもぉ……。

 今のタンニン鞣の革服は割と柔軟性が無く、柔らかい毛皮側を内側に向けてるから何とかなっているが正直言って不快の一言に尽きる。

 

「柔らかい革ならヌーブラみたくなるかなぁと思ったんだが完成が遠いなぁ……」

 

 結局のところ、鞣とは成分による革繊維の分解なので時間が掛かるのは仕方がない事なんだけどね。

 此処からの作業は日焼けさせてヘラ掛けしての繰り返しだ。

 紫外線で革繊維を虐めてから白くなる様に計三回くらい表面を削ぎ取る訳だ、時間が掛かるなぁ。

 幸い日差しが良い感じに強い、良い天気なので作業はしやすい。

 一般的に脳漿鞣は白革と呼ばれる綺麗な白い革になり、防水性や防腐を兼ねて燻製して程良い色を付ける燻製鞣にする事が多いんだっけかな。

 ……オレは兎も角、杠の谷間だと夏とか蒸れそうだよなぁ。

 燻製で仕上げるべきだな、とある程度革が柔らかくなれば十分だと作業を切り替える。

 次の工程は本来なら熱したコテで表面を焼くのだが、んなもん無いので焼いた良い感じの石で代用する。

 丸太から紐を外して平たい大きな石の上で、アイロン宜しく熱した平たい石を竹のトングで掴んで表面を焼いていく。

 ヘラ掛けでささくれた部分を焼いて整える感じでね。

 そこそこ長い丸太を二本打ち込んで、十円玉くらいの太さの枝を紐で縛って白革を乗せる。

 燻製中に縮まない様に革の先に紐を通して丸太へ引っ張られる様に張り、ピンと張ったのを確認してから真下の石を取り除いて乾燥した松の葉を設置する。

 弓切り式の火起こし機で種火を作り、鹿の毛を丸めた物に着火して松の葉に移してじっくりと燻していく。

 

「地味に煙いなこれ……」

 

 直接煙の当たる内側の様子を確認しながらほんのり色付くまで燻煙し、適当なところで革をひっくり返して両面を仕上げたら完成だ。

 両面に程良く茶色掛かったら砂を掛けて消火して暫く風に晒す。

 ……うん、素人なりにそれなりに出来たんじゃないかな、分からないけど。

 ううむ、正解が分からない……、オレたちは雰囲気で皮鞣しをしてるからな……。

 聞きかじった内容を何となくで実践しているに過ぎないので、出来上がり次第で成功と言って良いのかもしれない。

 

「まぁ、後は手先が器用な杠にパスしとけばなんとかなるでしょ、多分」

 

 脳汁の臭いが消えて松の匂いが付いた出来上がった鞣革を回収し、リビングで何かしらをしているであろう杠の所へ向かう。

 換気と外の光を取り入れるために開けっぱなしな玄関を潜ってリビングを見やれば、竹を只管に細く裂いて竹紐となる素材を作っている最中の様だった。

 前にオレが作った物よりも遥かに細く長いのを見て少し敗北感を抱きつつ、その繊細な神業めいた器用さに感嘆する。

 

「へーい、杠。これ使ってオレらのインナー作ろ」

「あ、カナメちゃん。ちょっと待ってね、纏めちゃうから」

「ゆっくりで良いよ」

 

 シュバババと裂いたそれらを節を抜いた竹筒に仕舞い込み、机の上を一瞬で片付けた早技に肩を竦める。

 若い世代の人間離れは深刻な社会問題だね……、もう社会無いけど。

 だなんて現実で言う機会が無さそうな事を内心で呟きつつ、燻製して飴色になった柔らかい鹿革を机に置いた。

 

「わ、何これ、柔らかいね」

「鹿の脳汁に漬け込んでから松の葉で燻った若い雌鹿の革だよ」

「……ワ、ワァォ。生々しい単語が聞こえちゃった……。にしても凄いね、モチモチしてる」

「これでヌーブラみたいなの作ったら良い感じかなぁと思ってさ」

「……すっごい助かるよ。端材を当てて誤魔化してたけどやっぱり痛くて」

「でしょ、杠は豊満だからなぁ」

 

 柔らかい新素材を受け取った杠は手芸部魂か何かが燃えてるのか、創作意欲全開の様で興奮している様子だ。

 採寸用の紐で何故かスリーサイズを測られたが、尻のデータ要るんだろうかブラ作るのに。

 ふんすふんすと気合の入ってる杠の後ろ姿に肩を竦めながら、後は任せるかとその場を離れる。

 竪穴式の住居を真似た井戸の屋根を作っている千空たちの姿を眺めてから、次は何をしようかと思案する。

 

「……何だ、意外とやりたい事無いな」

 

 自分でも贅沢な悩みだなと思いつつ、千空が鉄欲しいとぼやいていた事を思い出したので砂鉄取りでもしようかと思い立つ。

 そう言えば千空はパンニング皿的なものを使って砂金宜しく取って磁石を作ってからと考えてたっけな。

 砂鉄の取り方と言えば磁石でくっつけて取るものが一般的な考えではあるが、比重の差で大別してから製鉄の時に不純物を取り出す事で集める方法が昔ながらの方法だ。

 確か、鉄穴流しとか言うんだったかな、鉄が含まれる岩を上流で砕いて流す事で途中で自然に分解される事で分別を図っていたんだとか。

 まぁ、流石に産業化する程集めたい訳じゃないのでそこまではしないけども。

 川の砂を土器に集めてから、ボウルくらいのサイズの土器に飽和する程の塩と川の水を溶かした物を用意する。

 川の砂を塩水に流し入れて、グルグルと掻き混ぜると塩によって浮力が強くなった塩水の中で比重の軽い砂とかが上に漂う。

 竹で編んだ笊の上に鹿の毛を広げた物の上にもう一個笊を置いた簡易的な濾過器に塩水の上澄みを流して塩水を回収する。

 塩水を土器に戻して掻き混ぜて大別する作業を繰り返し、金属が含まれて比重の重い粒と分別していく。

 大分根気の要る作業ではあるが、量が要る事は分かり切っているので黙々と続ける。

 大量の川砂から大匙数杯程度の量をせっせと取り分けて土器に溜め込んでいく。

 火山岩が混じっていた川だったからか割と量が取れたなぁと思いつつ、350mlのペットボトルくらいの量が入った土器を見て笑みを浮かべる。

 後はこれを炭を詰め込んで点火した所に上から入れて製鉄すれば一塊の鋼になる事だろう。

 もしくは炭に当たらない様に熱だけぶつけて溶かせば不純物入りの鉄塊になるので、熱しながら叩いて純化していけば良い筈だ。

 

「と、言う事で砂鉄の入った素材を用意しといたよ千空」

「……マジで言ってんのか?」

「うん、大マジだよ、ほら」

 

 夕飯後のサプライズとして比重の重い粒が入った土器を手渡せば、掌にそれを広げた途端に目を見開いていた。

 磁石もねぇのにどうやって、と聞かれたので塩で浮力を足した水で比重分けした事を伝えれば、その手があったかという顔を浮かべていた。

 

「そうか、浮力か。砂鉄は磁石で、って言う固定観念にしてやられたな……。確かに火山岩がごろごろしてるあの川の砂だしな」

「後はそれを製鉄すれば良いんだよね?」

「あぁ、総量に対して大体五分の一くらいできれば上出来だからな。この量はお手柄だぜカナメ」

「ふへへ。やってる事は単純作業だから千空なら半自動化できたりしない?」

「あ゛ー……、理科室で実験してる時ならできたが今は無理だな。精々思いつくのは塩水を加熱してから更に濃度を高めてから分別するぐれぇだな。まぁ、今あるこれで磁石作れば良い話なんだがな」

「それもそうだね。それで砂鉄を集めた方が早いか」

「カナメのやっていた方法で集めてから磁石で分別するってのが効率的だな。最初から砂鉄のみで作った方が楽だしよ」

「じゃあ、今回みたいに比重の重いのを集めておけば良さそうだね」

「あぁ、取り合えずそれで鉄の問題はオッケーだ」

 

 流石はカナメだな、だなんて屈託の無い良い笑顔を浮かべた千空に褒められ嬉しく思う。

 これで鉄のツールを手に入れられるから、工具の質はかなり向上する事になる訳だね。

 これなら箱根への引っ越しのための準備も捗るかな、役に立てていると実感が生まれてホッとする。

 箱根の温泉だなんて家族旅行で行ったきりだ、と連想してから奥歯を噛み締めた。

 思い出さないようにしていたのに、ふと家族の事を思い出してしまった。

 ……駄目だな、生活が安定して考えられる余地が増えたせいで余計な事も浮かぶ様になっちゃった。

 だなんて顰め面が浮かんでいたのか、目の前の千空が小さく溜息を吐いて――。

 

「大丈夫だ、だなんて軽い事は言わねぇ。お前の心配は相応な事だからな」

「せん……くう……」

 

 随分とオレはしょぼくれた顔をしていたのだろうな、あの千空が自ら抱き締めて慰めてくれる程に。

 

「慎重に掘り出せる様にしてから戻ってくれば良い。だから、お前が気に病む事はねぇ。俺の準備不足だ、俺のせいにしてくれても良いぞ」

「……いや、んなことしないよ。ありがとう千空」

「あぁ、辛い時は言え、胸くらい何時でも貸してやるからよ」

 

 態々悪役になろうだなんて事までしてくれた千空に頭が上がらない。

 薄い胸板に額を置いて、ぽろぽろと零れる心の悩みを目から零しながら人肌の温かさに暖を取る心地になる。

 あぁ、身も心も女になったんだなぁと腑に落ちる様に、千空への恋心をしっかりと自覚してしまった瞬間だった。

 恋する乙女は最強なのだ、と胸を張って言えるように今だけは千空の胸で泣かせてほしい。

 明日やろうは馬鹿野郎と言われてしまうかもしれないが、きっと明日のオレは今日のオレよりも強い事だろう。

 




磁石で砂鉄だけ取り出す、という遣り方はされてなかったみたいで、鉄穴(かんな)流しという遣り方で踏鞴場の近くで行われていたのだとか。
砂鉄は採取場所から山砂鉄・川砂鉄・浜砂鉄と大別されていたようで、この鉄穴流しは山砂鉄を取り出す時に使われていた手法らしいです。
砂鉄を含む土砂を水路に流し、水流によって流れて崩れていく過程で粒を小さくしていき、その流下の間に何回か手を入れてから踏鞴場近くの精洗場で攪拌して軽い土砂と比重の重い砂鉄を分別して、最終的な砂鉄の比率を増やすのだとか。
それを踏鞴場で製鉄化し、熱して叩いて不純物を取り出して純度を高めていく訳ですな。
木炭が使われていたので出来上がる物は純粋な鉄ではなく、所謂鋼鉄(=鋼)で、鉄が溶ける程度の温度で作られていた事で質の良い鋼鉄が作られていたそうですね。
純粋な鉄を作りたい場合は溶鉱炉などではなく、乾式法と湿式法という遣り方で作ります。詳しくは「高純度鉄」で検索すると宜しいかと。

鋼鉄を作り、その鋼鉄から不純物を熱して叩いて取り除いた物が玉鋼になります。
玉鋼は鉄に炭素(炭)が主で、ケイ素やリンやマンガンに硫黄などの不純物が少ないのが特徴ですね。
普通の鋼鉄は上記の不純物とされていた物がある程度含まれていて、バランスよく硬い物質になります。
玉鋼は硬度と靭性(粘り強さ)に極振りした物で、鋼は耐食性のある耐久型みたいなイメージで宜しいかと。

原作の六巻(Z=48)で千空たちが日本刀を作る際に「鉄の折り返し鍛錬っつってな。金属ん中のゴミをぶっ飛ばしてパワーアップさせんだ!」の部分がこの不純物を取り出す描写ですね。
つまりは玉鋼の製造過程ですねこれ……、相手がカセキたちだから説明端折ったのかな。
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