TOA ~突き進め、我が道を!~   作:あきあ

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第十一話 親と子(下)

「お前達は下がれ」

 

皮肉たっぷりの俺の馬鹿丁寧な挨拶を流し、陛下に視線だけで軽く確認を取ったファブレ公爵は兵士達に命令を下した。

 

流石にそんな命令は呑めないと、兵士達の間に動揺が広がる。

 

「賊は満身創痍、私一人でどうとでもなる。それよりも大人数での威圧が、敵意のない相手をその気にさせ、超振動を放たれることの方がよほど恐ろしい」

 

しかしファブレ公爵の鋭い視線と言葉には耐えきれず、兵士達は渋々ながら謁見の間から出ていく。

 

俺に殺す気があったなら、すでに超振動が放たれているはず。

 

そういうことなのだろうが、少しばかり無理のある理論だ。まあ、一国の姫が実は王家の血を引いていないと告げられたばかりで、しかもその姫の実の父親の協力者が指名手配犯で、さらに陛下が血の繋がりのない娘をこれからも大切に育てるとこの場で誓ってしまったのだから、兵士達も何が何やらなのだろう。

 

兵士達の気配が完全に消えたのを確認して、俺は柱の影の人影を見やる。

 

「出てきやがれ、そこの覗き見野郎」

 

「はっはっはっは、覗き見野郎か。そんな愉快なこと言われたのは初めてだな」

 

心底楽しそうな笑い声と共に、ゆったりとした服を着崩した金髪の不良みたいな男が柱の影から出てきた。

 

「なるほどなるほど。ジェイドが言ってた通り中々面白そうな奴だな、ルーク君は」

 

「ああん? 誰だよてめえ、なれなれしい」

 

軽い調子の男を睨みつけてみるが、どこ吹く風とばかりに平然と返された。

 

「ん、俺か? 俺はマルクトで皇帝やってるピオニーって者だ。ジェイドから色々と聞いてるぜ、昔のお前の話は」

 

「…………は?」

 

コウテイって、あの皇帝か?

 

このヘラヘラした兄ちゃんが?

 

「…………あー、そういやジェイドが言ってたな。皇帝としては有能だけど、人間としては破綻してるって。なるほど、マジであんた皇帝なのか」

 

「な!? ジェイドの奴、ブウサギにネフリーの名前つけたのまだ根に持ってやがったのか!」

 

ネフリーさんっていうのははジェイドの妹らしい。実際は有能とか破綻とかそんな話聞いたこともないが、この時期に城にいるのとジェイド関連の話がどんどん出てくることから考えれば、本気の本気でこの金髪の軽い兄ちゃんがマルクト皇帝らしい。

 

…………いや、もう何て言うか、ツッコミどころ満載だ。

 

しかし今は時間がないわけで、早くしないと体力が限界を通り越し倒れてしまいそうなのだ。

 

マルクトの皇帝からイオン、ファブレ公爵、陛下へと視線を移す。これで事実上、世界を取り仕切るトップが集まったわけだ。

 

正直かなり緊張していて、喉がカラカラに渇いている。しかしこれからが正念場なのだ。

 

何て言ったって、ここできっちりと決めないと、俺は約束を果たせなくなるのだから。

 

一度深く息を吸って、精一杯強がって相手を見据える。

 

「これで役者は揃ったわけだ。とりあえず最初に礼でも言っとくぜ、俺の一世一代の大芝居に付き合って下さったことに」

 

アクゼリュス崩落の真実の暴露から始まる和平調印までの流れ。

 

当然のことながら、各国の首脳達は俺の目論見に気づいていただろう。バチカル襲撃が、レプリカルークがアクゼリュスを崩落させたのだと世界に認識させるためのポーズだったことにも。

 

それでも、そのことに気づかないフリをするのは和平を結ぶ上では各国に都合がよかったのだ。

 

俺は複雑そうな表情を浮かべる世界の重役たちに、皮肉気な笑みを浮かべる。

 

「それでだな、今日は取引きをしに来た」

 

取引きか、と呟いて顎をさするマルクト皇帝。俺が取引きをする相手は、今や手を取り合った世界。そんなもの相手に何をどうするつもりなのかと、一同の強い視線が俺に集まる。

 

「俺が求めるものは、今回の騒動――スコアを巡っての争いに関する者の罪を帳消しにすることだ」

 

つまり、ヴァンも六神将もその部下もモース達も、全員揃っての無罪放免。

 

流石に予想していなかったのか、事前に話しておいたイオンを除く全員が目を剥いた。

 

「はっきり言って、今回の騒動は全部スコアを盲信していた世界全体が招いたことだ。ヴァン達のレプリカ世界の創造も、モース達のスコア絶対遵守のための人道無視の行動も、結局はスコアから発生したんじゃねえか。むしろヴァン達は、放っておいたら第七譜石のスコア通りに滅亡することになっていた世界を、方法はともかく変えようとしたんだ。今回のことは、誰も悪くねえんだよ」

 

言い終えて、自分の要望に笑い出しそうになる。どこまでも都合のいい、そして不可能に近い要望だと。

 

これじゃあ本当にまるっきり子どもの我が侭だ。

 

「取引きと言うからには、お前もそれ相応のものを差し出さないとならないんだぞ? お前の要求と釣り合う対価となれば……俺には想像がつかないがな」

 

そのまんま分別のない子どもに言い聞かせるような様子で、マルクトの皇帝は肩をすくめた。

 

陛下もファブレ公爵も呆れと若干の憐れみを含んだ視線を俺に送っている。

 

「そんなこと十分にわかってるさ。俺の支払う対価は、アクゼリュスを消滅させ城を二度も襲撃した犯人、つまり俺の首だ」

 

俺の言葉にイオンは目を伏せ、あとの三人は僅かに動揺を見せる。

 

「もう一回言うけどよ、この一連の騒動は、法律とか人道とか道徳とか、そういったもの全部を超越したスコアが原因なんだ。スコアを遵守することで世界に繁栄がもたらされるって信じて手段を選ばなかったモース達も、スコアを覆さないと世界が滅びるからって手段を選ばなかったヴァン達も、一概には悪いとは言えねえはずだ」

 

だからと言って、全員お咎めなしとはいかない。それゆえに、俺は胸を張って堂々と宣言する。

 

「世界を揺れ動かしたこのスコアを巡る事件の罪全部を被り、そのせいで大切な人、物を奪われた世界中の人々の憎しみを全部受け止めて、超振動なんて人の身に余る力を持った俺がありったけ無惨な方法で処刑される――これが俺の払う対価だ」

 

「…………首を差し出す前に――」

 

「やってみろよ。俺は今ここで暴力に訴えても、全く構わないんだぜ」

 

腰の剣に手を伸ばしたファブレ公衆を睨みつけ、体制を低く落とす。

 

そんな俺を複雑そうに見て、ファブレ公爵は何かを我慢するように音が聞こえるほど歯を軋ませる。

 

「我が侭をまかり通し、世界を好きに動かし、挙げ句の果てに全ての罪を被って死ぬだと……? お前は神にでもなったつもりか!!」

 

珍しく、本当に珍しく激情を露にしたファブレ公爵に、しかし俺は壊れたように笑って返していた。

 

「はっ! 全知全能にして完全無欠の神様、なれたらいいよなあ! だけどよ、あんた達が玉座から降りて好きに振る舞えないように、誰だって出来ないことは山ほどあるんだよ。俺が神になれるって言うんなら、俺が神だって言うんなら、誰一人殺すことなく全部丸く納めたかったよ! だけど俺はちっぽけな人間で神になんてなれねえんだよ!」

 

腹の底から込み上げてくる笑いは、いつの間にか悔しさに変わっていた。

 

今まで生きてきて俺に結局何ができた。

 

まともにできたことと言えば一つ、アクゼリュスの民を虐殺したことだけだ。

 

だから最後に一つくらい、俺は自分の我が侭に従ってやりたいことをやらせてもらう。

 

それでこの先あいつ等が笑って幸せに暮らせるのなら、未来永劫人間として認められることはなくなっても、俺は俺として俺らしく今を精一杯生きてやる。

 

「だけどなあ、神にはなれなくても、悪魔にならなれるんだよ。ベストは無理でもベターなら俺にも選べる。悪魔が死ぬことで救われる人がいるなら、悪魔が死ぬことで許せる人がいるなら、俺はいくらでも悪魔になってやるよ!!」

 

血を吐きながら胸の内を全て吐き出し、それぞれの反応を見る。マルクトの皇帝は難しい顔を、陛下は戸惑い、ファブレ公爵は怒りとも悲しみともつかない顔をしていた。

 

「僕は、彼との取引きに応じたいと思います。教団からの離反者が巻き起こしたことを帳消しにでき、そのうえヴァンと六神将という有能な人材を失わずにすむ。教団側としては、実に魅力的な話ですから」

 

停滞を打ち壊す、どこまでも無機質なイオンの声。最後まで俺の身を案じてくれていたイオンには、辛い仕事を押し付けてしまった。

 

「マルクトも、その取引きに応じる。スコア云々は関係なく、ヴァンがそんな危険思想を持つ原因になったのは先代皇帝のせいだからな。うるさい議会の連中は、責任を持って俺が黙らせよう」

 

マルクトの皇帝も、イオンに続き同意。俺の案を蹴っても、得るものは特にないマルクト。それなら他二つの勢力に恩を売っておくほうが得だという判断だろう。

 

これで残るはキムラスカのみ。

 

「…………わかった。キムラスカもその話を聞き入れよう」

 

取引きと言っている以上言葉にされることはないが、この話に応じない場合レプリカルークが強攻手段にでるということは分かりきっている。

 

そういう認識からか苦い表情ながらも、陛下は大きく首を横に降り承諾の意を示した。

 

これで事実上、世界が俺のみに罪があると認めたわけだ。不安は残るが、ひとまず俺が自身に課した役目に終りが見えてきた。

 

「取引きは成立だな。言っとくが、俺は本気だからな。文字通り命かけてんだ。俺が死んだあとに好き勝手やってみろ、その時はどうやってでも後悔させてやる」

 

死んだら何もできないが、それでも何かをどうにかしてやる。

 

矛盾してはいるが嘘偽りない意志を瞳に込め、世界を統べる者達を見据える。

 

そんな俺に、マルクトの皇帝が譲れない条件をしっかりと出していく。

 

「言っとくが、こっちもかなり譲歩してるんだ。今回のヴァン側の人間の罪も大詠師達の罪も帳消しにするが、その役職の保証までは話が別だぞ。それに重要な地位にいた人間には監視もつくだろう。世界を脅かすような危険は少ないにこしたことはないからな」

 

「わかってる。死んだり投獄されたり――何処かの誰かみたいに軟禁されて飼い殺しにされたり、つまり自由を奪われなければいい。世界の自由を願った人間が自由を奪われるなんて、洒落にも冗談にもならねえからな。勿論、スコアがなくなってもまだ世界を壊そうなんてことする輩がいるなら、法の下に存分に裁いてやってくれ。まあもっとも、その法も変わる必要があるんだけどな」

 

絶対の真理だったスコアがなくなるのだから、法律も根本から変わるだろう。

 

難儀な話だと人事のように考えながらも、俺は最後の詰めに入る。

 

「ああ、言い忘れてたけど、『烈風』と『妖獣』は前からだけど、それに加えて『魔弾』もヴァンから離反したから。あと、ラルゴもか。まあだから、この先スコア関連のことは『鮮血』よりスコア破壊の計画の近いところにいた四人を中心にした方がいいぜ」

 

「離反した……と言うが、信じられないな。お前のことも完全に信用できていないのに、正直全てヴァンの差し金としか思えない」

 

もっともなことを疑う陛下に、俺は出血のせいで飛びそうになる意識を押さえつけて、言う。

 

「だったらヴァンの捕縛を俺等だけに任せればいい。監視役にあんた達がそれぞれ英雄にしたい奴をつけて、アルビオールでゲートの上に待機させる。そんで俺等が裏切るなり何なりしたら、アッシュの超振動で消し飛ばせ。俺等が捕縛に成功したら、スコアに詠まれた未来を回避できたと思うまでヴァンを手元に置いとけばいい。そんで破滅のスコアを覆し、この史上最悪の犯罪者を捕まえたキムラスカ、ダアト、マルクトの英雄様の出来上がりだ。まあ俺等の予想じゃあ、俺等がヴァンを捕えた時点でスコアの問題はほぼ解決なんだがな」

 

英雄云々は、ぶっちゃけスコアという絶対のモノを失った民の支えになるモノだ。

 

キムラスカはアッシュ。マルクトはジェイド。ダアトは……導師イオン、またはユリアの子孫であるティアぐらいか。

 

ヴァンがなれるんなら適任だろうが、しかしヴァンに力を与えたがりはしないだろう。何て言ったって、ヴァンが世界そのものを復讐のために壊したがっているという可能性は捨てきれないのだから。

 

まあ一度捕えて計画を潰してしまえば、警戒されて次の機会がくることはなくなるだろうから、そこは安心していていいだろう。

 

「ヴァンを捕えれば、スコアの問題が解決するとは?」

 

イオンは本当に上手な演技で、ごく自然に俺に聞いて来た。一度打ち合わせをした俺としては、その演技力がちょっと怖い。

 

「あんた達はさ、ヴァン相手に戦争起こそうとしてるもんだろ? それじゃあ駄目なんだ。スコアに詠まれた場所とは違うけど、スコア通りに戦争が起こっちまうことになる。それさえ防げれば、あとはあんた達が戦争起こしたり怠けたりしないで、全員の先頭切ってちゃんと世界のために仲良く頑張ってくれりゃあ、世界は大丈夫だろうよ。それでも世界が滅びるってんなら、それこそどうしようもねえ」

 

「耳に激痛が走る話だが……実際のところお前だけじゃあ――いくら元六神将がいるからって、軍隊率いてるヴァン相手に勝つのは無理だろう」

 

苦い顔をして言うマルクトの皇帝。俺の皮肉に対してか戦力差に対してか、いや、その両方にかもしれない。

 

「『妖獣』の偵察によると、ヴァンはずっとパッセージリングのところから出てないらしい。明らかに異常だ。だから一般の兵士が『魔弾』の説得に応じる可能性もあるし――俺だけなら特攻してヴァンまで辿り着ける自信と実力がある。二百人蹴散らしてきた俺だ、できない道理がねえよ」

 

「…………」

 

複雑な表情を作る一同に、俺は殊更明るく邪悪に言ってやる。

 

「勘違いすんなよ。今回は誰も――誰一人殺してねえって。二百人相手に手加減するより、千人相手を本気で殺る方が楽だ。勝算は十分にあるぜ」

 

そんなことやったら俺の命はそこで燃え尽きるだろうが、それしかないんなら実行する覚悟はできている。

 

まあ、納得させるためのハッタリでもあるんだが。

 

「……その姿の通り、まさしく鬼というわけか」

 

ぽつりと呟いたファブレ公爵に、俺はニヤリと笑って返す。

 

「俺は悪魔だっつーの」

「悪魔……か」

 

ファブレ公爵は奥歯を強く噛み締め、目を伏せる。よく見れば、その手も震えるほど強く握り締められていた。

 

…………。

 

…………まさか、な。

 

一瞬脳裏をよぎった馬鹿ばかしい予想を消しさり、順に一同の顔を見ていく。

 

「それで? ヴァンを一発ぶん殴ってやりたい俺としてはさっき言った通りの作戦がベストなんだが、どうだ?」

 

さっきの取引きとは違い、こちらは案外すんなりいきそうな雰囲気だった。俺達が失敗しようが裏切ろうが最終的には計画通りに軍を出せばいいだけなのだから。

 

まあ、細かい問題は色々と出てくるんだけどな。

 

「それでいいんだったら、俺達はアルビオールで明後日に出発する。メンバーは俺と『魔弾』と、それに俺が個人的に話つけてきた『烈風』と『妖獣』の四人だ。そっちからも英雄役でも監視役でも、まあ何をつけてくれても構わないけどよ、一応俺達が失敗した時のことを考えておいてくれよ」

 

もっとも失敗するつもりはねえけどな、と挑発を含んで言った。

 

「思うんだが、何で無謀だとわかっていてそこまでやろうとする。捨てる必要のない駒を捨てるほど無意味なことはないぞ」

 

意味がわからない、と目を細めて訝しむマルクトの皇帝。俺がやろうとしてることは、確かに言ってしまえば無意味に死にに行くようなものだから、その反応はもっともだ。

 

だけどまあ、こればっかりは仕方ない。

 

「さっきも言ったが戦争をしないでヴァンを捕らえるのがベストだし、俺の手でそれをやりたいのも確かにある。だけどよ、それ以前に嫌な予感がするんだ。ヴァンが――あのヴァン・グランツが、何にもしないで終わるはずがない。負けるとわかってる戦争を真っ向から受けるはずがないだろう」

 

それに今のヴァンの行動はおかしな点ばかりだ。なぜこの時期に六神将を自分の下から離れさせたのか。文字通り外郭大地の大黒柱であるパッセージリングを抑えているのだからそれなりのことをできるはずなのに、なぜ未だに動きを見せないのか。

 

「今までオラクル騎士団の半数を率いて教団から出た以外何もしてこなかった分の反動が、何らかの形で絶対ある。だから俺達が先ずは行くんだ」

 

下手をしたら、戦争に突入した瞬間に自爆して道連れ、ということも考えられる。

 

だったらやはり、被害は最小に抑えたい。

 

そんな意志を込めて、これが最後の確認だと両手を広げて見せる。

 

「――――答えは?」

 

果たしてその言葉を受けて――四人がどういう反応を取ったのか、俺はそれを確認することができなかった。

 

身体が限界だったのだろう、頭が何やら真っ白になって俺の平行感覚は崩壊した。

 

数秒の空白――そして何一つ状況が掴めないまま、身体に衝撃が走った。

 

生暖かい何かを肌に感じて、ようやく自分が床に倒れこんだのだと分かる。

 

それと同時に、ああそうかと納得する。

 

広く床を染める赤い液体。

 

これだけ血を流していれば、身体が動かなくなるのはあたりまえだ。

 

五感全てがまともに機能しなくなる中で、わずかに、本当にわずかに、脳内に音色が響く。

 

「――――から――リ――――罪を――――――――――――――この子を――――――――救い――――」

 

何処かで聞いたことのあるような、誰かの声。

 

でも、それは、俺の、知って、いる、それ、とは、違って、いて、――だから、やはり知らないのか――――だけど、やはり知ってるのか――――

 

白と黒の光が交錯し、全ての色が点滅し、そして決定的に俺という存在が分断されていく。

 

何処までも冷たいのに、何処か優しく響く誰かの音色を遠くに――俺の意識はそこでブツリと切れた。

 

*

 

ふわふわとしていて、暖かく柔らかい感触。ともすれば永遠にこの心地よさを味わっていたいとも思えてしまう。

 

だけどそれは不可能な話なわけで、かなり名残惜しくて後ろ髪を引かれるが……。

 

「…………やっぱあと五分だけってぐうぅううう……マ、マジでやばい、痛いから痛いから、ちょ、ちょっと待ってヤバい……!」

 

欲望のままに意識を落としかけた瞬間強烈な痛みが全身を襲って、俺は身体を跳ね上がらせる悶え苦しみ絶叫する。

 

「痛いのは分かるが、なるべく動かない方がいい。傷口が開くぞ」

 

額を軽く押さえられ、やたらに高級感溢れる超絶に柔らかいベッドに戻された。俺の腕には点滴の針が刺さっており、チューブがベッドの横のパックに伸びている。

 

「………………っ!?」

 

俺は冗談抜きの涙目で指の主を見てみると、包丁を片手に装備したリグレットさんだった。

 

「ちょっと、ちょっとヤバいってリグレット、落ち着けよ…………俺は怪我人だぞ?」

 

「起きるなり非常にこれを突き刺したくなるような言葉を吐けるなら、一応は大丈夫そうだな」

よく見てみれば、リグレットの脇にある机の上には半分まで剥かれた林檎が置いてあって、俺はほっと胸を撫でおろした。

 

「あー……マジで殺されるかと思ったぜ」

 

「ふっ。そう思うのなら、きっと何か後ろめたいことがあったんだろうな」

 

「――って、うおぁっ!? ここ俺の部屋じゃねえか!!」

 

「人の話を聞けっ!」

 

ビシッと指で額を弾かれた。一応怪我人相手なので、リグレットなりに手加減したらしい。

 

だがしかし、流石と言うべきなのか。ぶっちゃけリグレットのデコピンは冗談抜きに痛かった。

 

ベッドの上でごろごろと転がり、俺は声なき悲鳴を上げながら額を押さえて痛みを堪える。

 

「え? ちょっ、お前一体全体何者だよ? デコピンで人が死ぬぞ、おい……。何お前? 化物?」

 

「お前の鍛え方が足りないだけだ」

 

「額は鍛えられねえから! つーかむしろお前が鍛えすぎなんだ!」

 

未だにジンジンと痛む赤くなった額を指で示し、リグレットに抗議する。だがしかしリグレットはまたしてその額を押さえつけ、俺を寝かせる。

 

「ルー君、傷が開くぞ」

 

お前のせいでな。つーかルー君って何だ。

 

ふぅ……と大きくため息をついてリグレットから視線を外して。

 

「――ってえ、父うファブレ公爵!?」

 

俺はまた絶叫していた。

 

リグレットの反対側、そこに立っていたのはファブレ公爵だった。

 

それはもう色々とびっくりした。間違えて昔の呼び方をしてしまうほどに。ついでに点滴の針まで抜けてしまった。

 

「いやいやいや、その前に何で俺がここにいるんだよ……つーかその前に話の続きだ! いやその前に今は何時だ!?」

 

自分でも笑えるほどに動揺していた。うん、城であれほど見栄をはって格好つけたのに、ついつい地が出てしまい台無しって感じがこれでもかとする。

 

……恥ずかしいぜ。

 

「今はお前が倒れた日の夕方だ。お前がここに運ばれたのはあのまま城にいてもらっては都合が悪いからだ。あの話は、お前の要求は全て通った。お前に同行するのは教団からはユリアの子孫であるティア・グランツ、導師直属騎士アニス・タリトン、マルクトからは皇帝の懐刀ジェイド・カーティス、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス伯爵、キムラスカからはナタリア殿下に……ルークだ」

 

「は? 全部通ったのか、ですか? つーかガイっていつの間に伯爵家復興させたんだよ……つーか全部通ったのか?」

 

相変わらずの動揺っぷりで、俺はもう色々と諦めた。律儀に俺の質問全てに答えてくれたファブレ公爵には多分嘘をついている様子はなく、それに嘘をつく必要もないはずだ。殺すつもりなら助けたりはしないだろうから。

 

だから格好つけると言うか、軽く見られないようにするための仮面を被るのも諦めて、俺は心から胸を撫でおろした。

 

これで後はヴァンをふん縛るだけだ。

 

大きく息を吐いて、天井に視線をやる。それから壁、棚、窓へと。

 

それは確かに俺が七年間見てきたもので、ここの空気は懐かしい。壁にかけられた刀剣類のコレクション、机に積み上げられた途中で読むのを止めた本、暇を潰してくれた蓄音機。

 

全てが懐かしい。

 

だが。

 

「ファブレ公爵。何でここが、この部屋がまだ残っているんですか。ここはもう邪魔にしかならないはずでしょう」

 

俺の居場所は――徹底的に潰して置かなければならない。

 

ここはただのルークの居場所じゃなくて、ルーク・フォン・ファブレの居場所なのだから。

 

「リグレット、肩かしてくれ。町の宿屋に行く」

 

「ルー君。お前の言ったことだ。決着は、しっかりとつけておいたほうがいい。ラルゴを動かしたお前の言葉の価値を貶めるような真似はするな。あの親子達に対しても、自身に対しても失礼だから」

 

私はこれで失礼します、とファブレ公爵に一礼してリグレットは部屋から出て行ってしまった。

 

…………現実逃避に、一言。だからルー君って何だ。

 

かつての俺の部屋を、何とも言えない重い沈黙が支配していた。

 

リグレットが言った決着をつけろというのはわかる。

 

しかし俺なりに、『ファブレ公爵』と呼び方を変えてみたり、例の新聞で全部暴露した時も自分のことを『ルーク・フォン・ファブレのレプリカ』と称してみたりと、つまりはかつての家族との決着はつけたつもりだ。

 

だから今さらファブレ公爵と話すことなんてないし、向こうもそのつもりだと予想していた。

 

だと言うのに、この部屋が――俺がここ公爵家に存在していた証が、まだ残っている。

 

これは一体、どう解釈すればいいんだよ。

 

「ルーク……」

 

思考に没頭する俺に、ファブレ公爵が何時もとなんら変わらない重く冷たい声で呼び掛けた。

 

「それはあんたの息子の名前だろうが。つーか、あいつとちゃんと話したのかよ」

 

「ああ。和平が結ばれる前にな。本人の了承も得て、正式にここに戻ることになった。ルークが消えたことで弱りきっていたシュザンヌも、七年前に消えたルークが戻ってきたことで今は落ち着いている。だが、まだ一人消えたままだ。快復には至っていない」

 

シュザンヌ、と口に出した時の何時もとは違う安堵の表情に、ついつい苦笑してしまう。

 

俺はなんとなくファブレ公爵の意図がわかって、皮肉気に返してやる。

 

「そりゃあ十全な話だが、元からルークは一人のはずだぜ。アッシュのことをルーク・フォン・ファブレと認めた上でこの俺を未だにルークって呼ぶなんて一体全体どんな冗談だ。国から、ファブレ一家仲良く赤い悪魔と一緒に打ち首、なんてありがたい褒賞がもらえちまうほどに笑えるな」

 

ファブレ公爵は、シュザンヌ様に踏ん切りをつけさせるために別れの言葉を俺から言わせたいのだろう。そう予想をつけてこっちからそんな感じのことを言ったのだが、遠回しかつ嫌味ったらしくなっちまったのは俺のお茶目な心のなせる技だ。

 

点滴のおかげで栄養は取れているので、俺は治癒術で内臓を治療していく。

 

消化器官系さえ治してしまえば、栄養価が高く消化の早いグミを食べて全身を治療するのに必要な血肉とエネルギーを確保できる。

 

急げば十分程度で回復できるので、すぐにシュザンヌ様のところに出向いてやろう。

 

そんなこと考えていると、ファブレ公爵がリグレットが置いていった剥きかけの林檎と包丁を手に取った。

 

「彼女が……リグレット殿が言っていた。お前はルークだと。もう一人のルークと外見は同じだが、中身は全く違う別のルークだと。だから私がお前をルークと呼んでも、何も問題はない」

 

「…………」

 

…………なるほどな。

 

ファブレ公爵がなぜそんなことを言ったのかは分からなかったが、リグレットが俺のことを『ルー君』と呼んでいた理由は分かった。

 

『ルーク・フォン・ファブレ』であるアッシュと、ただの『ルーク』である俺を区別するためだ。

 

公爵邸で『ルーク・フォン・ファブレ』をもう一つの名前、『アッシュ』で呼ぶのは憚れたのだろうが、律義なやつめ。

 

俺は苦笑を噛み殺し、ファブレ公爵の瞳を覗き込んだ。

 

「それで? 公爵様がただのルークであるこの俺に、何の御用でしょうか」

 

「………………」

 

俺の問いには答えず、ファブレ公爵は無言で林檎を剥き始めた。慣れないと言うかやったことがないのだろう、もうとんでもなく不安になるぎこちなさだった。

 

包丁なんて剣と同じ持ち方だし、林檎もわし掴み。剥くと言うよりむしろ削っている状態。

 

…………何をやってんだこの人は。

 

「私は……ずっと後悔してきた……」

 

ファブレ公爵の突然の奇行に顔を引きつらせていると、向こうは何やら行動と正反対のシリアスな声で語り出した。

 

「スコアによって、私が自らの手で、息子を死においやることになると知った時から……ずっとだ」

 

「………………」

 

今度は、俺が押し黙る番だった。

 

ファブレ公爵の言葉が、つい最近の――だけど遠い過去を思い出させる。

 

何時でも難しい顔をしていた父上。

 

何時でも俺を見ていなかった父上。

 

何時でも俺と必要最低限しか話さなかった父上。

 

俺は正直に言って、父上が苦手だった。

 

そして何処かで確信していた。この人は俺に興味がないのだと。

 

だけど、それは違ったのかも知れない。

 

ファブレ公爵は、死ぬとわかっていた子供を大切にすることが恐ろしかったのかも知れない。

 

「私は、どうすればよかったのだろうな……」

 

自分を嘲るような乾いた笑みを見せて、ファブレ公爵は俺から視線を外した。

 

国の繁栄か、息子の死か。

 

国を背負う者にとっては、究極とも言える二択。

 

城でのファブレ公爵の言葉が、自然と思い出される。

 

――お前は我が儘をまかり通す気か――

 

ファブレ公爵も、国に縛られることなく、我が儘を言いたかったのかも知れない。

 

でもそれができなくて、やってはいけなくて、ファブレ公爵は苦しみ続けたのかも知れない。

 

全部仮定の話だけど、それでも俺は、ファブレ公爵に含みのない自然な笑顔を向けることができた。

 

「あんたは何も間違えてねえよ。大のために小を捨てるってことは、為政者にとっちゃあ必要なことだろ。だからあんたは間違えてなんかいない。この俺が――ルーク・フォン・ファブレを名乗ってた俺が言うんだ、絶対にあんたは正しかったよ」

 

「…………大のために小を捨てる……か」

 

「本の受け売りだけどな。ついでに昔の頭いいらしい人の言葉を借りると、正義なんて人の数だけあるらしいぜ」

 

だからあんたは自分の為した正義を誇れよ、と笑ってやった。

 

「本を、読むようになったのか」

 

「ああ。目的達成のためには、知識があっても邪魔になることはねえからな」

 

「お前の正義を為すためにか」

 

複雑な表情のファブレ公爵に、俺はゆるりと首を横にふる。

 

「俺のは悪だよ。一万人虐殺した奴が吐く正義なんてそれこそ笑えねえ。だからさ、あんたは自分の正義を誇れるように、これからは全部の命を大切にしろよな」

 

さて。

 

そろそろ傷は癒えた。

 

俺はベッドから起き上がり、ファブレ公爵に向かって歩き出す。

 

ファブレ公爵に、もうこれ以上辛くなる言葉は言わせたくない。

 

だから俺は、しっかりと笑って口を開いた。

 

「それでは、貴方とシュザンヌ様――そしてお二人のたった一人の息子であるルーク・フォン・ファブレ様が何時までも幸せでありますように」

 

公爵の横を通り過ぎ、外への扉に手をかける。

 

だけどその俺に向かって、ファブレ公爵は声をかけた。

 

「私の息子は、二人いる。今は行方不明だが、きっと何時か帰ってくる。そして私は、息子の死を二度も見過ごすつもりは――毛頭ない」

 

扉にかけていた手を、下ろしてしまう。

 

俺は戸惑い呆れ、何をどうすればいいのかまるで分からなくなってしまった。

 

だけどそれは一瞬のことで、俺はすぐにファブレ公爵に向き直っていた。

 

「なあ。俺は今、少し身体を動かしたい気分なんだ。あと、全く関係はないんだけど、俺には父親との思い出ってもんが、ほとんどないんだ。だから公爵、俺とさ、剣で試合してくれないか?」

 

そんな俺に、公爵は柔らかな笑みを作る。

 

「お前には全く関係ないが、私にも息子との思い出がない。そして私も、剣を振るいたい気分だ」

 

ファブレ公爵は壁にかけてあった数本の剣から一本取り、構える。

 

俺もそれに倣い、空の手を横に薙ぐ。そして今までは確かに空だったはずの手に、僅かに発光する木刀がしっかりと握られていた。

 

「それじゃあ俺は病み上がりだから、一撃だけな」

 

言って、俺は公爵に向かって走り、上段から木刀を振り下ろした。

 

公爵は俺の一撃をしっかりと受け止め、俺達は鍔迫り合う。

 

「関係はないけど俺は死ぬ。それで話に繋りがないけど、もしかしたらあんたの息子も帰って来ないかも知れねえ」

 

さらに力を込めて、公爵と押し合う。

 

「だけどよ――きっとあんたの息子は、家族のことが大好きだったと思うぜ」

 

「私も息子に言いたかった――愛していたと」

 

二人ともニヤリと笑い、ファブレ公爵は剣を押す力を増し、俺は剣を引いた。

 

「!?」

 

体制を崩した公爵に半歩距離を詰め、喉元に木刀をつきつけた。

 

冷や汗を流しながら、公爵はそれでも威厳たっぷりに薄く笑う。

 

「たくましくなったな」

 

そんな公爵に、俺も同種の笑みで返してやる。

 

「賢くなったって言って欲しいね」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………はっ」

 

「…………ふんっ」

 

数瞬の沈黙の後、二人は鼻で笑いそれぞれ剣を下ろす。

 

そして俺はそれっきり、ファブレ公爵に背を向けた。

 

「ルーク、持って行け」

 

ぶっちゃけまた傷が開いたので、グミを口に放り込み詠唱を始めた俺の背中に、ファブレ公爵の声と共に林檎が飛んでくる。

 

首だけ後ろに向けて、肩口めがけて投げられたそれを掴み、俺は眉をひそめる。

 

…………皮剥いた林檎を丸かじりしろってか?

 

「一ついいか?」

 

呆れと非難混じりの視線を送る俺に、ファブレ公爵はどこかすがすがしさを感じさせる表情で返した。

 

「お前は――何のために戦っている」

 

「…………その質問、流行ってんのか?」

 

若干呆れた声で返した俺に、ファブレ公爵が何のことだと不思議がる気配。俺はガリガリと頭をかきつつ、ため息をつく。

 

「どっかの誰かにも言ったけど、自分のためだよ。詳しく言うと、復讐心三割、大切なもの守りたいのが三割――そんでもって約束守るためってのが、四割だな」

 

「約束、か」

 

「ああ、約束だ。後先考えずに沢山してきたらよ、いつの間にか原動力の四割締めちまうようになってた。算術もちゃんと勉強してたらよかったって、今さらながらに後悔してる。まったくもって笑えるぜ」

 

ひらひらと後ろに手を振り、俺はようやく外への扉を開けた。

 

そして笑いながら半分無惨で、半分は綺麗に剥かれた林檎をかじって。

 

「ぼふぁっ!?」

 

盛大に林檎を喉に詰まらせた。

 

「今日は良い天気ですね。挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。歓迎しますよ、お客様」

 

扉を開けた先、公爵邸の中庭には、シュザンヌ様が立っていた。

 

「いらっしゃいませ、ルーク様」

 

そしてシュザンヌ様の後ろには、執事のラムダス、ファブレ公爵に仕える白光騎士団の面々、屋敷中の使用人が整列していた。

 

「明後日にはバチカルを立つと聞きました。それまではここで休養を取って下さい。私の可愛い今は行方不明の息子にそっくりなルークさん」

 

間抜けに口をパクパクとさせるだけの俺に、シュザンヌ様は優しく微笑む。

 

「貴方の御連れの方は、賛成して下さいましたよ?」

 

「不本意ながら、幸せ極まりないですと言っておくのが社交辞令なんだよね」

 

「アリエッタ、お泊まり楽しみです」

 

シュザンヌ様のインパクトが強すぎて気づかなかったが、そっぽを向いている緑色と嬉しそうに笑う桃色がシュザンヌ様にしっかりと手を繋がれて立っていた。

 

「安心しろ、全て聞かれていたぞ。決着がついたのなら、遠慮しては失礼だ。公爵夫妻のご好意を謹んでうけよう」

 

相変わらず唖然としている俺の肩を、扉の横に控えていた金色が軽く叩く。

 

俺は深く深くふーかーく、ため息をついてシンク、アリエッタ、リグレットを恨みがましく睨んだ。

 

「お前らもう何なんだよ。つーかリグレット、てめえ失礼してねえじゃねえか」

 

部屋から出たけど扉の前で待機ってのは、いくら何でもだめだろう。

 

俺は最後にもう一度ため息をつき、シュザンヌ様と公爵家に使える皆に肩をすくめて見せた。

 

「…………ったく。じゃあ、お世話になります」

 

*

 

結局のところ公爵家とその使用人達は、俺が本気でとち狂って犯罪犯罪また犯罪のオンパレードをやっていたとは根っから信じていなかったらしい。

 

シュザンヌ様もラムダス達使用人も白光騎士団の皆も、俺の演技と狙いについて全て知っているとのこと。俺が運び込まれて寝ている間に知らされたのだとか。

 

恐怖でもって世界をまとめさせた俺が、実は世界を壊す気なんてさらさらないと世界に知られては、俺が死刑になっても意味がなくなる。

 

だけどファブレ公爵は、俺の真意を皆に伝えた。そのことが世界に漏れる危険と、家臣達への信用を考慮した上で。

 

その背景には、シュザンヌ様と使用人達の一致団結があったらしい。

 

自分達には知る権利があるはずだ。

 

そう皆でファブレ公爵に詰め寄って、半分脅すような形で聞き出したとのこと。

 

情けないぜ、公爵さん。

 

それにしても、どうしてみんなはそこまでして俺のことを聞きたかったのかね。

 

そんなことを夕食の時間まで待機するために再び戻った俺……に似た七年前に公爵家に来たほうのルーク君の部屋でぽつりと漏らしてみれば、シンクが呆れたように笑った。

 

「まあ、七年間も朝から晩まで一緒だったんだ。ちょっとした愛着だってわいちゃうだろうし、あんたの本質なんて嫌ってほどわかってたんでしょ。何事でもあんまりに想像とかけ離れていたら、そりゃあ気持ち悪くもなるよ」

 

「悪意が混じり過ぎてていまいち掴めねえぞ」

 

俺のじっとりとした睨みを適当に流して、シンクはアリエッタに手招きして俺に向かわせる。

 

「アリエッタ、出番だよ」

 

「え? アリエッタ、何をすればいいの?」

 

「ルークの印象を率直に言ったら?」

 

質問に質問で返す形で告げて、シンクはアリエッタの頭を両手で掴んでこちらに向けなおした。

 

アリエッタはしばらく首を傾げて、一言。

 

「え、えっと……優しい?」

 

「ていうかお人好しだね」

 

…………。

 

それはつまり、そういうことなのだろうか。

 

俺がお人好しだから、世界を壊すわけがない。だから俺を憎むのではなく、真実を憎みたい。

 

そういう解釈でいいのだろうか。

 

でも、そうだとすると……。

 

俺がどうしたものかと視線を彷徨わせていれば、丁度いいタイミングで夕食の準備を知らせにメイドが来てくれた。

 

シンクは一瞬の躊躇いも見せずに掴んだアリエッタの頭をそのままに部屋から出ていく。当然アリエッタはシンクに引きずられることになり、回りを見ることを放棄したシンクに頭をもがれないように頑張っていた。

 

部屋に残されたのは俺とリグレットで、リグレットは俺の様子に気づき目を瞑り微笑んだ。

 

「ここにいる者全てが、私達が誰で以前何をしていたか当然知っている。ルーク……これだけは言っておく。本来罪を償わなければならないのは、お前ではなく私達だ」

 

表情とは程遠い厳しい口調で言うリグレット。その意味を計りかねて僅かに眉をよせる俺に、彼女は続けた。

 

「――だからあなたは、心配しなくていいの。自分のことだけを心配して」

 

突然変わった口調と声色。何時もの堅いものではないそれに意表をつかれて黙る俺をおいて、リグレットは歩き出す。

 

だがギリギリ、本当にギリギリのところで俺は彼女の肩をつかむことができた。

 

 

「誤魔化すなよ。あの時も、ベルケンドの時もそうだ。お前は結局、ヴァンの計画から抜けた理由を言ってない。今回だって、誤魔化してる」

 

若干怒りを含んだ俺の声。しかしリグレットはそれを気にすることもなく、涼しげな瞳を俺に向ける。

 

「誤魔化しているのではなく、言っていないだけだ。私が仮にあそこで、弟が生きて、守ろうと戦った世界はここだけなのだとルークに教えられた――と本心を言ったとしても、それを本心だと証明することはできなかったから」

 

「…………」

 

落ち着き払った動作で俺の手を退けて、リグレットは中庭に歩いていってしまった。

 

しばらく停止していた俺だが、まだ部屋の外に控えていたメイドさんの咳払いでようやく我にかえる。

 

「…………くそ、やっぱ誤魔化してんじゃねえか」

 

まさかあそこでヴァンから離れた本心を言うとは。なるほど、そういう動揺のさせかたもあるわけか……。

 

盛大にため息をつき、俺も歩きはじめた。

 

そこでふと気づいて、俺は首を傾げたのだった。

 

最初はシンクにもアリエッタにもリグレットにも、裏切られて元々という思いがあった。

 

なのに今はそういう思考はない。

 

リグレットに至っては、ヴァン側から抜ける理由も聞いていなかったのに信用していた。

 

…………。

 

俺は本館に向かって懐かしい中庭を横切りながら、苦笑していた。

 

まったく、悪い兆候だ。

 

本館に入る前に一度中庭をぐるりと見渡してみた。俺がまだ屋敷にいたころは、庭を彩っていた花々はどれも素晴らしく咲き誇り、庭が一種の芸術だった。しかし今は以前と比べて少々見劣りする……気がする。

 

原因は間違いなく、ペールがいなくなったからだろう。ガイは今マルクトで伯爵様をやってるらしく、それについて出ていったらしいのだ。

 

まあ正直なところ俺は芸術なんて欠片もわからないのだが、要は気分の問題なのだ。見知らぬ誰かより、知り合いを評価したくなるのは当然のこと。

 

庭の鑑賞もそこそこに、本館へと入る。長く待たせすぎると、シンクがキレてアリエッタで遊び始めるのだ。そしてアリエッタが泣いてリグレットが俺にキレる。

 

結局俺が損をする構図になる理由に心底首を傾げながら、俺は早足で会場まで行って部屋に入った。

 

まったくもって世界は不思議だ。

 

晩餐会場には大きなテーブルが置かれ、その上には色取り取りの大量の皿が。既に俺以外の面々は席についており、一名を除き談笑していた。

 

「…………あ、あの……もう始めて貰えます? ええ、はい……一応乾杯だけ? あ、じゃあグラス……ああ、ありがとね……って何で気絶してんだよ……もういいや、どうでも。じゃあ乾杯」

 

尋常じゃない雰囲気で皿を凝視するシンクに俺は心打たれ……つーか恐くなってテーブルにつくなり急いで夕食を開始してもらった。途中グラスを取ってくれたメイドに礼を言うと目を見開かれ気絶されたが、それはもうきっと全部気のせいだと思い込みスルー。

 

ともあれ無事に夕食が始まったのであった、まる!

 

「…………」

 

「…………」

 

「あらあら」

 

無事に始まったことは始まったのだけど、食べ始めたのはシンクのみ。全ての動きが三倍速なのに、完璧とも言えるテーブルマナー。

 

この世界で楽しく生きてみろよ、的なことを俺はシンクに言ったのだが、その結果何をどう間違えたのか、シンクは楽しく食べて飲んでそして食べまくる道を選んだのだ。

 

慣れている俺とアリエッタにとっては今さらだが、リグレットと初見の公爵夫妻は些か呆然気味。

 

だがしかし、さっき怪我を治したばかりの俺も血が足りてないわけで、皆の観察を何時までもしてるほど無駄なことはない。

 

そんなわけで俺もシンクに倣い、ナイフとフォークを手に取った。

 

さて何を食べようかとテーブルの上を一通り見て、俺はふと気づいて立ち上がった。

 

そして空の皿を手にローストビーフが盛られている大皿の所まで行って、皿が一杯になるまで肉を取る。ついでに隣にあったパンも肉の上にのせて自分の席に戻った。

 

「じゃあ頂きまーす」

 

手始めにローストビーフを一枚味見し、かなり美味かったのでフォークで五枚程度を一気に貫き口に運ぶ。

 

「うん、やっぱ病み上がりには肉だよな」

 

とは言うものの一品だけでは飽きてしまうので、俺は手を伸ばして唐揚げを取る。流石公爵家の料理だけあり、これもまた美味い。

 

ざっと見た限り、料理は二十品以上はあった。ここは一品の量を多くするより、全部まんべんなく食ったほうがお徳だろう。

 

と、そこでようやく皆からの視線に気付いた。

 

食事中に立ち上がって何してんだこら、とファブレ公爵の刺すような視線が特に強い。

 

 

「いや、だってよ……立たねえと取れねえじゃん。料理だって別にそんな格式ばったもんじゃねえし、むしろ立食のほうがしっくりくる感じじゃねえか」

 

俺がこの家で食べて来た食事といえば、一品一品妙にゆっくり出てくる一言で言えば恰好つけた面倒な食事だ。たまにならいいが、毎日毎日だと正直嫌になるような。

 

だが今日は最初っから料理が全品出てる風だったし、気取った盛り付けもしてない実に気楽な感じの料理。逆にテーブルマナーをガチガチに守って食べてたら不味くなる。

 

つまり一言で言うとだ。

 

「だから俺は悪くねえ。つーかもう立食パーティー風にしようぜ。屋敷中の人全員で」

 

ナイフに刺した肉をもぐもぐやりながら、俺はファブレ公爵に訴えた。というかそうしないとアリエッタが可哀想なことになる。小動物なアリエッタはテーブルマナーなんて知らないのだ。

 

「私は賛成です。そちらのほうが楽しそうですし」

 

綺麗に微笑んでファブレ公爵を少し首を傾げて見るシュザンヌ様。ファブレ公爵はその言葉と動作を受けて速攻で、しかし頑張って威厳を保ちながら頷いていた。

 

この色ボケオヤジめ。

 

「ルーク様」

 

ぶっちゃけ公爵の行動が恥ずかしくて、食べること以外を放棄した周りなんぞ欠片も見えてないシンクに視線を固定していると、後ろから小さく囁かれた。

 

振り返って見てみれば、この家専属のシェフが新たな皿を持っていかつい無表情で仁王立ち。

 

ただでさえそのシェフは職業選択を絶対に間違えてると断言できるほどに色黒でいかつい体格良すぎるオジサンなので、その無表情はそりゃあもう恐かった。だが料理の腕は一流なので……うん、たちが悪すぎる。

 

とりあえず俺は顔を引きつらせながらも、気さくにシェフに挨拶してみる。

 

「お、おう……これ美味しいですね?」

 

しかし余りの恐ろしさに敬語だ。

 

そんなビビりまくる俺に、シェフは無表情のままぐっと親指を立てる。

 

「……はい?」

 

わけが分からず辺りを見渡してみると、部屋にいる白光騎士団の面々にメイドさん達全員が親指を立てていた。

 

……ああ、なるほどね。

 

俺は半分呆れたように笑いながら、目の前に並べられた様々な料理を見る。

 

こういう軽い気持ちで食べれる料理、しかもそれを大量に作ったのは、最初から皆して騒ぎたかったってことか。

 

みんなこんな愉快な性格してたかなあ、なんて考えてみるがやはり答えは否で、急遽形式を変更した夕食の会場の調整を行う使用人一同を不思議な思いで眺める。

 

「彼らも嬉しいのでしょう。あんなに小さかった子、に似た貴方が、こんなにもたくましくなって帰って来てくれた、のではなく訪れてくれたのですからね」

 

なんかもう必要あるのかないのかわからないお芝居をしながら、シュザンヌ様は嬉しそうに微笑む。

 

「私も子供が一気に四人も増えたようで嬉しいですから」

 

近いほうからアリエッタ、シンク、リグレット、俺、と順に見て、ファブレ公爵に同意を求めるシュザンヌ様。

 

とりあえずシュザンヌ様の様子に嬉しそうに頬をほんのりと赤く染め、だが頑張って威厳を保ってゆっくりと頷いていた公爵は頼むからもう大人しく寝てて欲しい。

 

切実にそんなことを願いながらも、俺はシュザンヌ様の言葉に首を傾げていた。

 

四人というと、俺も入っているのだろうか。そうなんだとすると、ますます俺がファブレ家に七年前にやってきたルーク君ではないという形だけのお芝居がグダグダになってしまう。

 

本当に今さらな気もするが、俺はそれでもついつい自身を指差してしまう。

 

ふと隣に動く気配があり、横目で見てみるとリグレットも俺と同じように、しかしかなり困ったように自分を指差していた。

 

リグレットも俺の様子に気づいてこちらを向き、二人して戸惑いながら視線を合わせる。

 

「ええ、もちろん二人ともですよ」

 

「…………まあ、いいんだけどよ」

 

「…………私は、二十六なのだが」

 

手で口元を隠しながら楽しそうに笑うシュザンヌ様に、俺とリグレットは何とも言えない声で呟いていた。

 

「アリエッタも、ですか?」

 

「そうよ、アリエッタちゃんも。私はね、娘も欲しかったの」

 

きょとんと純粋に首を傾げて、シュザンヌ様に真ん丸に開かれた瞳を向けるアリエッタ。その動きににたまらないといった感じで、シュザンヌ様は手を伸ばしてアリエッタの頭を優しく撫でていた。

 

そんなシュザンヌ様の様子に嬉しそうに少し赤く染まった顔を緩め、最早完璧に無駄といえるがそれでも頑張って威厳を保とうとゆっくり頷いていたファブレ公爵は俺が永眠させてやると誓った。

 

「ルーク、なぜ剣を抜く」

 

不思議そうに俺を見て、先ほどのシュザンヌ様の言葉に対する照れ隠しにか俺の皿から奪って食べていたパンを自分の皿におくリグレット。

 

 

俺は彼女に、真剣な面持ちで答えた。

 

「世界を救えるのは俺だけなんだ」

 

「何を言ってるんだお前は」

 

「俺は勇者なんだよ。あの発情期の変態親指を倒さなきゃいけないんだよ」

 

「ますます意味がわからなくなったが、とりあえずやめなさい」

 

本気の本気で木刀を構えた俺の足を踏みつけ、公爵にすみませんと頭を下げるリグレット。

 

「ルークは勇者なの?」

 

と純粋に聞いてきたアリエッタに「おう、もちろんだ。それでアレが魔王だ」と答えていると、またリグレットが俺の足を踏んで公爵に頭を下げた。

 

公爵は鷹揚とした態度でリグレットに構わないと告げたはずなのに、俺に人を殺せそうな厳しい視線を向ける。

 

「人の風上にも置けんやつめ」

 

「はっ、残念。俺は人じゃなくてレプリカだっつーの、行き過ぎ愛妻家オヤジ」

 

鼻で笑う俺に公爵はこめかみに青筋を浮かべる。馬鹿にされるのに慣れていないのだろう。というよりアッシュと反応が同じなのでからかいやすい。

 

「開き直るな馬鹿ルー君。だいたい言い訳になってない。レプリカも人間も本質は同じだろう」

 

パシンと俺の頭を叩いてため息をつき、再び公爵に頭を下げるリグレット。お前は俺の保護者かよ。

 

…………ん?

 

と、そこでやっと俺の可哀想な脳がリグレットの言葉を認識して解釈した。

 

…………。

 

……………………。

 

ふとシンクの方を見てみれば、シンクもナイフとフォークを止めてこちらを向いていた。

 

互いにアイコンタクトを交わし、頷き合う。

 

そして俺とシンクは同時に行動を開始した。

 

「唐揚げがお勧めだ」

 

「はいこれ、なかなかいけるから」

 

美味そうなもの、美味かったものを次々とリグレットの皿にいれてやり、ワインも注いでやる。

 

アリエッタが仲間外れにされたと泣きそうだったので、アリエッタにも同じことをしてやって俺とシンクは黙々ともぐもぐやり始める。

 

「なんだ、どうした…………ああ、いや、今のは……」

 

「ルークと、シ……シンクが優しい、です」

 

俺とシンクの普段と比べれば奇行ともいえる行動に眉を寄せていたリグレットだが、すぐに自分が言ったことと俺達の心情に気づいて苦い顔になる。アリエッタはシンクの優しさに驚愕して目を見開いていた。

 

リグレットの様子を見る限り、打算的なものは本当に何もなかったらしい。

 

と、まあそんなことをやってるうちに会場の修正が(ただ料理の皿が増えて、それにともない机が拡張されてただけだが)終了して、体調がまだあまりよくないシュザンヌ様以外の椅子が取っ払われた。

 

再び乾杯、そして夕食を再開。ファブレ公爵が今日は無礼講だと告げたせいで、使用人達は盛大にハメを外して暴走した。見ていてすがすがしいほどに。

 

ともあれ、皆が皆、俺が帰ってくることを望んでいたようだった。しかし俺にはもうそうすることができないし、例えできたとしてもそうする気はない。

 

なんだかんだ言ったってやはり――俺の中ではもう、かつての家族と完膚なきまでに決着をつけきってしまった後だったのだから。

 

まったく、今さらだぜ。

 

 

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