TOA ~突き進め、我が道を!~   作:あきあ

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第十二話 最後の休息

太陽が憎い。人波がうざい。喧騒は邪魔。お前ら喋るな歩くないますぐ帰れ。

 

頭を埋め尽す罵倒の嵐。

 

俺はいま、すこぶる機嫌が悪かった。

 

「みんなでお買い物……アリエッタ、嬉しいです」

 

とことこと俺達の前を元気一杯に歩くアリエッタがちょっと憎い。

 

「アリエッタ、はしゃぐのはいいけど見えるとこにいて。迷子になられたら……ああ、やっぱり迷子になって保護されてて。覚えてたら迎えに行くから。じゃあねバイバイさようなら」

 

同じくかなり機嫌が悪いシンクが手の甲を向けてアリエッタにふる。そんなシンクにアリエッタは泣きそうになりながら、それでも素直に大人しく道を戻ってくる。

 

だがバチカルの大通り、市場が開始されたばかりなので仕入れにきた商人や店の使いで溢れていて、アリエッタは簡単に人波にのまれそうになっていた。

 

「あっ……ちょっ、ダメです、アリエッタは向こうに……シンクー、シンクー」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………ちっ」

 

誰も動かないと悟り、シンクは涙声のアリエッタをかったるそうに救出に向かった。

 

眠い。とにかく眠い。

 

髪を隠すためにかぶっているフードつきの外套が本気でうざいし、それよりも眠い。

 

完全に寝不足だった。

 

しかし残念なことに時間は無限ではなく有限なのだから有効に使わなければ無駄になる。

 

半分寝ぼけていて何考えてるのか自分でもほとんどわかってないという意味わからん状態だが、それでも俺達は明日に備えて装備を整えなければならないから買い物にきたのだが……全力で帰って寝たい。買い物なんて昼からでもいい気がしてきた。

 

そもそも何でこんな眠たいかと言うと、昨日の夕食……宴会が真夜中過ぎまで約六時間ぶっ通しであった上に、それから明け方まで(元)俺の部屋で色々と話し合っていたせいだ。途中で寝たアリエッタ以外はもうグロッキー状態。

 

あんな異常なテンションで今日からの作戦たててたのは、というかあの時間から超重要な話し合い始めるという暴挙に出たのは絶対にアルコールのせいだと確信している。

 

酒なんてもう嫌いだ。

 

つーか中途半端に寝るんじゃなかった。

 

「ルーク、そこの馬鹿さっさと連れてきて。僕はこっちの馬鹿だけで限界だから」

 

「アリエッタ馬鹿じゃないもんっ!」

 

アリエッタの腕を掴んだシンクが何か言ってるが、いまいち良く聞こえない。

 

一日の内最も込むのが早朝だから仕方はないが、もう少しすれば仕入れに来た奴らも帰っていくだろう。

 

それにしてもシンクのやつ、意外と元気だ。昨日結構飲んでたのに……どこかの誰かとは大違いだ。

 

「ん? ああ……さっきのリグレットのことか」

 

シンクの伝えたかったことに思い当たり、さっきから一言も話してないリグレットを振り返って見る。

 

「…………む?」

 

何時もは凛々しく釣り上がっている目が今は眠たそうに緩んでいて、瞳もどこかとろんとしている。

 

危なげな足取りで歩きながら、こちらを無垢に見つめ返してくるリグレット。

 

だが俺は騙されない。

 

一度しっかり目を覚まさせようと背中を叩こうとしたら、目にも止まらない速さで銃口を突きつけられたのだ。

 

軍人の性か、そういう反応が脊椎反射のレベルで染み付いているらしい。

 

そういうわけで俺は寝惚けたリグレットから距離を保ちつつ声をかける。

 

「眠いのは十二分にわかるけど、面倒だからしっかり歩いてくれよ」

 

「…………了解です、閣下」

 

「――――っ……」

 

眠くて完全に理性が働いてないせいか、リグレットの言葉で一瞬胸にドス黒いものが走る。あのふぬけた少し幸せそうに緩んだ面を潰してやりたい衝動にかられる。

 

「寝惚けてんのは分かるしヴァンのこと考えんのはお前の自由だし俺には全く関係ないからいいけど――俺とあいつを間違えることだけはするな」

 

覆水盆に帰らず。ついつい感情的になってしまい、気づいた時にはもう遅かった。

 

こうも簡単に怒ってたら、勝てる戦いも勝てなくなっちまう。もっと俺はこう、クールにいかないと。それこそ人間味のない、ただただ目的を達成するためだけの機械のように。

 

今回ばかりは――あと少し、俺の役割が終わるまでは、流石に開き直って妥協しちまうわけにはいかないのだ。

 

「喧嘩はいけねえぞ、そこのお客さん」

 

と、すぐ横にあった露店のおじさんが声をかけてきた。流石商人だけあって耳聡く目聡い。

 

「仲直りの印しににうちの商品なんてどうだ? いいもん揃ってるぞ」

 

仲直りも何も、本気で寝惚けてるリグレットは多分何にもわかってないし、俺ももう怒ってない。

 

だけど無視すんのはアレだしと、道行く人を盛大に邪魔してる半分立ったまま寝かけてるリグレットの腕を取り露店を覗く。

 

「へえ、よくもまあこの時間にこんな物売ってるね。尊敬するよ」

 

先にアリエッタの首根っこを掴んで露店を覗いていたシンクが、店のおやじを馬鹿にしきっていた。

 

大抵この時間は、レストランで使うような食材を売ってるのが主だ。食材は新鮮な物に限るから、朝市で仕入れるのは常識。だがこの店、そんな食材店に混じって装飾品を売っていた。

 

なんの効果もない、ただのアクセサリー類だ。銀のペンダントやイヤリングに指輪。それに金の製品もあり、どれも純銀と純金だと説明書きがあるが、露店の商品なのでメッキの可能性もある。あとは少々の宝石類。ぶっちゃけ胡散臭い店だった。

 

「いや、最近売上がな……。だからこうしてまだ薄暗いうちから張り切ってるんだよ」

 

辛辣なシンクの言葉に笑顔で答えて、店主は俺に向かってずいと金の指輪を差し出す。

 

「言っとくがどれもちゃんとした物だぞ。店構えはこんなだが、商品は一流だ」

 

どうやら俺の疑いの眼差しに気づいてたらしい。差し出された指輪を見てみると、確かに綺麗な細工がしてあって、高いと言われればそう思えないこともない。

 

「ふーん、本当っぽいな。まあどっちにしろ買わねえんだけどな」

 

「きついねえ、子供たちにもそっちの姉ちゃんにも一生物になるんだけどなあ」

 

ほらこれなんてよく似合ってる、とアリエッタに可愛いデザインのブレスレットをつけさせるおじさん。

 

そして俺にどうだとばかりに視線を送ってくる。

 

別に金が勿体無いから買わないとか、そういうのじゃあないんだが。俺も含めて、みんなアクセサリーとかにはあんまり興味ない思うのだ。アリエッタは前まで服を知らなかった小動物っ娘だし、シンクに食えないくせに高いものを買う精神はないだろうし、例外としてリグレットは興味あるかもしれないが、彼女は多分響律譜のような何らかの譜術的効果のあるアクセサリー、つまり実用性も兼ねる物以外は買わないのではないだろうか。

 

「アリエッタ……これ、あんまり欲しくないです。いっぱいキラキラしてて、眩しいもん」

 

ブレスレットを不思議そうに見つめて、アリエッタはそれを店主に返していた。

 

まあ確かに、いくらデザインが可愛いとはいえ光物なのだから、年齢はともかくとしてアリエッタの精神年齢には早かったのかもしれない。だってアリエッタは十六にもなってぬいぐるみを常備している子なのだから。

 

そこでふと思い出して、俺はアリエッタに言う。

 

「アリエッタ、あとでぬいぐるみ買いに行こうな。ほら、雪山で無くしたまんまだし。買ってやるよ」

 

「えっ、ほんとう? アリエッタ、嬉しいです……!」

 

瞳をキラキラさせて俺の外套の袖を握って、全力で喜びを表現するアリエッタ。無邪気にはしゃぐアリエッタの頭を撫でてやってたら、シンクが店の商品を手に取り品定めしながらくるりと俺の方を向いた。

 

「じゃあ僕はステーキでいいよ」

 

「は? 何でそこでお前が出てくるんだよ」

 

「ふざけないでよ。僕だってエネルギーなくしちゃったじゃないか。食べて補給しなきゃ」

 

「…………」

 

こいつもうだめだ。

 

「お客さん、旅でもしてるのか? それだったらバチカルにきたいい思い出になるよ」

 

店主の前で全く関係ない買物の話をするという、客として最悪な部類にはいることをしている俺達に、それでも店主は頑張って売り込みに励む。

 

「ほら、少々値は張るけど、お父さんもお母さんもお兄ちゃんも妹さんもみんな一緒に、家族でこの首飾りを揃えるなんてどうだあああああああああああああぁぁぁあああああ!?」

 

首筋に当てられた木刀。鼻を潰す寸前に止められた拳。発動しかけの譜術。そして額に突きつけられた銃口。それらに囲まれ、店主は絶叫していた。

 

何時もの冷たい瞳に、毅然とした雰囲気。完全にふぬけた状態から復活したリグレットが、それだけで殺せそうな冷たい声を出す。

 

「今、なんと言った? 悪いが少し寝惚けていてな、よく聞き取れなかった」

 

「はい……? え……はいっ!! 家族で首飾りを」

 

「そうかそうか、私はこれでも、そう、私が思っていた以上に、いや私程度では想像もつかないほど老けて見えるらしいが、それでも私はまだ二六だ。いや、私も見て貰えばわかるがこのような危険物を扱う職業の人間なのだが、それももう引退かもしれない。自分で思っていた以上に、それこそ十六になる娘を持つと勘違いされるほどにいつの間にか身体が老いていたらしい。今思ってみれば、それも納得できる。どうやら老いで、身体が思うように動かなくなっているらしい。老いからくる震えで、そう怒りからではなく、老いからくる震えでこのまま引金を引いてしまいそうだ」

 

「ア、アリエッタの方がシンクより年上だもんっ! アリエッタは妹じゃななくて、シンクのお姉さんですっ! 二つもアリエッタの方が上なのに……おじさんのばかぁっ!!」

 

「僕がこいつらと家族!? 本気でやめてよごめんない謝るから本当に許して下さい!! ていうかこの赤馬鹿が僕の父親!? こんな子供みたいなやつの子供に間違えられるなんて自殺もんだよっ!! もしこれでアリエッタより下に見られてたら絶対に歴史に残るような誰もが驚く驚愕の死に方でもしなきゃ自分で自分を許せないところだった!! ありがとうございますそこだけは感謝してます!! 感謝のあまりその顔を素晴らしく変形させてやりたいよっ!!」

 

「ふざけんなよこら、てめえの目は節穴か!? 俺はこれでも十七だぞ! 実質は七だぞ、おお? 俺はなんだ、神か? 一歳の時に子供作ったっつーのか? むしろ化物じゃねえか!! はあ? フードで顔がよく見えない? 眼帯してて年齢がわかり辛い? ふざけんなボケェっ!! 十年どころか二十年間違わねえと父親になれねえよ!! そのぼんくらな目ぇ刳り貫いてやろうかっ!? 」

 

「ひっ……すすすすすみません……っ! どうか、どうか命だけは、これ、ここの商品、何でも持って行って下さって結構ですから命だけは勘弁して下さい……っ!! 娘が、娘がいるんです、まだ十にもなってない娘が、俺の帰りを待ってるんです。明後日が娘の誕生日で、ですからせめて娘の誕生日を祝わせて下さい。まだ俺、貧乏で……貧乏で、ずっと働いてたから……娘の、娘の誕生日をちゃんと、ちゃんと祝ってやったことがないんです。だから、だから……」

 

…………。

 

 

*

 

 

「ご注文を繰り返します。水。水四杯。紅茶が売りの当店において、水四杯のご注文ですね。かしこまりました、直ぐにお持ち致します」

 

冷たい声で告げて、厨房に消えていくお姉さん。そしてすぐに、グラスが四つ乗った盆を持って帰ってきた。

 

「お待たせいたしました、ご注文の水四杯です。ではごゆっくりどうぞ。できるものなら」

 

今までの常識を覆す次世代的な接客を見せつけてくれたお姉さんを、俺は尊敬の眼差しでもって見送った。

 

「店員としてあるまじき態度だね」

 

「客としてあるまじき態度な私達が言ってもな」

 

テーブルに置かれたグラスとウエイトレスさんを嫌そうに交互に見るシンクに、リグレットがこめかみを押さえながら溜め息をついた。

 

テーブルの上には先ほど運ばれてきたグラスの他に、総計三万になる小銭、そして柄と鞘が見事な銀細工になっている細身の装飾ナイフが四本。

 

「ナイフ四本で四百万ガルド超…………俺らは馬鹿か?」

 

こんな高そうなナイフを机に出しておいて注文は水だけ。うん、ウエイトレスの姉ちゃんがキレるのも仕方ねえな。

 

「泣き出したからな」

 

「うん、泣き出したからね」

 

「おじさん、泣いてたもん」

 

「…………やってらんねえな」

 

ついさっきの露店でのことを思い出して、みんな揃ってがっくりと首を落としたのだった。

 

はっきりと脳内で再生できる、もの凄い勢いで土下座して命請いを始めた店主。その本気かつ必死の様子に、ぶっちゃけキレてた俺達も一気に熱が冷め、逆にとんでもない罪悪感に襲われた。

 

そして事なきを得た店主は泣きながら喜び、俺達に秘蔵のナイフを贈呈すると言い始めたからもう大変。

 

娘の誕生日とかそんな話聞かされてたから受け取れるわけもなく、加えて周りの恐喝犯を見るような目にも耐えられず、俺達は有り金全部とナイフを交換して逃げ出したのだ。

 

「いや、でもよ、あのおっさんもある意味すげぇよな」

 

「まあね、同時に僕ら全員の逆鱗に触れたんだから。中々できることじゃないよ」

 

「その上しっかり儲けを出している。多少恐い思いをしたが、それであれだけ儲かれば十二分にお釣りがくるだろう」

 

俺のその場の空気を誤魔化すような話題のフリに、シンクとリグレットが乗ってはくれたが現実は変わらない。

 

全員が財布ごと置いてきたのだから、もう完璧に資金不足。財布とは別に持っていた小銭をかき集めてみたら、なんとか三万はあったがやっぱり足りない。

 

「教団の方も戦争の準備で混乱しているからな、金を引き出すことは難しいだろう。まあもっとも、私の口座は使えなくなっているだろうがな」

 

「アリエッタ、お金いっぱい持ってるのに……」

 

リグレットがグラスの水で喉を潤し冷静に状況を分析して、その分析結果にアリエッタは役に立てなかったと気落ちする。

 

アリエッタの言う通り、彼女はかなりの大金持ちだった。それはシンクにも言えることで、俺も知った時は驚いた。

 

師団長の給料に加えて魔物の飼育費がついてくるアリエッタ。師団長と参謀総長を兼ねての給料をもらってるシンク。しかもあまり金を使う機会のなかった二人だから、ぶっちゃけそこらの大人がショックで人生に絶望できるほどの財産がある。

 

魔物の飼育費ってのが組み込まれてるあたり、実は教団は相当頭悪いのではないかと予想している。絶対おかしいぜ。

 

「それで、どうするの? 方法としたら、そうだね……ルークが泣きながら土下座して公爵様に恵んで貰うっていうのがベストだと思う」

 

「ふざけんな台所。そんなことしたらわざわざ手紙だけ残して出てきた意味が完全になくなっちまうじゃねえか。つーかそもそも、俺はそのくらいのことで下げる頭なんて持ってねえ」

 

喧嘩売ってくるシンクに俺の崇高な精神を刻みこんでやっていたら、アリエッタが俺の服を引っ張って不思議そうに目をパチパチさせる。

 

「? ……でもルーク、リグレットに土下座してました。なんでなの?」

 

「…………うん。あのなアリエッタ、それはきっと夢の話だと思うぞ。アリエッタの勘違いだ。もう全部忘れような?」

 

世の中には覚えてないほうが幸せなことってものがあると思うんだよ、俺は。まあ幸せになるのは俺なんだけどな。

 

余計なことを言うなよとリグレットを睨んで牽制したら、どうでもいいから勝手にしろと冷たい瞳でもって返された。

 

なんだかとっても呆れられているらしいので、俺は一つ咳払いをして無理やり話を戻す。

 

「ラルゴとナタリアの様子見がてら城に行って、ついでに陛下にたかるってのはどうだ? それとさ、リグレット。あいつらは城に泊まってるって公爵が言ってただろ。いい機会じゃねえか、ティアと色々話してきたらどうだ?」

 

「冗談でもそんなことを言うのはやめなさい。それと、ティアとは昨日すでにアルビオールの中で話した」

 

「ふーん。そっかそっか、どうせ四、五日後には全部終わってんだもんな、今後のことなんてヴァンも一緒に話せばいいのか」

 

そういえばそうだった。俺とラルゴが城に特攻かけるために準備してる間、それなりに時間があったのだ。

 

せっかくの一石二鳥のナイスアイデアだったのに、と少々残念に思いながらも、改めてもう少しで全部終わるということを実感してすぐに嬉しくなる。

 

「いやー、今さらだけどほんとよかったぜ。ちゃんと世界救えそうだからシンクとの約束も果たせそうだし、イオンとマルクトの皇帝様のツテでアリエッタを俺の死刑執行人に選べそうだし、ヴァンもちゃんと帰れるようにしたからリグレットとの約束も大丈夫そうだし……うん、なんか上手く行き過ぎで怖いな」

 

ぶっちゃけ俺が思いつく限りのベストって言っちまってもいいような状況だ。なんか運がよすぎて申し訳なくなってくる。

 

「…………ねえ、ルーク。アリエッタとの約束の話だけど…………ああ、ごめん、やっぱり何でもないや。それよりリグレットと何て約束したのさ? 僕たちまだ聞いてないよ。それにマルクトの皇帝のツテなんてあんた何時の間にそんなものを?」

 

前半が声が小さくて良く聞こえなかったが、なんだかやけに後半勢いこんで質問してきたシンク。そういえばリグレットとはゆっくり話す機会があったが、シンクとアリエッタとはここ数日どたばたしていて細かいとこまでは話してなかったのだった。

 

「ピオニー陛下のことはさ、アレだよ、ジェイド繋がりだ。一昨日ジェイドにさ、ピオニー陛下に協力して貰えるように頑張って説得してくれ、って頼んどいたんだ。だから今回の取引って実はよ、最初からキムラスカだけが相手みたいなもんだったんだ。マルクトとダアトが俺との取引に応じるってんなら、キムラスカも断りにくくなるだろ?」

 

やっぱり持つものは権力者の知り合いだぜ、と一人悦に入る俺にシンクが呆れたように溜め息をつく。

 

「みんな考えることは一緒ってわけか」

 

「ん? どういう意味だよ?」

 

シンクの意味深な発言に眉を寄せるが、シンクは「別にー」とアンニュイ気味に答えるだけで取り合ってくれなかった。

 

「で、リグレットとの約束ってのは?」

 

その割に自分はちゃっかり当然とばかりに質問してくるのだからタチが悪い。

 

だがしかし、こいつマジでかったるぜと思いながらも、真面目でいい子な俺はしっかりと答えてやるのだ。流石俺だ。

 

「それはだな、何て言えばいいかな……えっとだな、ストレートに言えば――――ヴァンとリグレットに幸せな未来を! 愛と正義の使者ルーク君が約束する、二人のラブラブな毎日!! ……みたいな?」

 

「…………」

 

「…………」

 

絶句して固まるシンクと、顔を伏せて震えるリグレット。

 

「ルークは愛と正義の使者なの? かっこいい、です……!」

 

そんな二人とは対照的に、目をキラキラと輝かせ俺に尊敬の眼差しを送るアリエッタ。……うん、なんだかな。

 

「いや、ごめん、そこは嘘だわ。なんつーか、むしろ今の俺ってその対極?」

 

愛と正義では断じてない。どっちかというと憎悪とか悪とか殺戮とか、そんな負の塊みたいなやつが俺だな。

 

さて。俺はグラスの水を飲み干し、席から立ち上がった。背中には冷や汗がダラダラ。調子に乗りすぎたので下手したらリグレットに殺されちまう。

 

嘘も間違いも言ってはないはずなのだが、それでもリグレットは怒っちまうのだから困りもんだ。普段クールなくせに、たまにどうしようもなく取り乱すことがあるリグレット。この先ヴァンと末永くやってくうちに、幾度かそんなことになるのだろうから笑えそうだ。

 

「……いや、俺はもう笑えねえのか」

 

「……どうした?」

 

無言で立ち上って銃口を俺の後頭部につきつけた状態で不機嫌な声を出すリグレットに、俺は降参とばかりに両手をあげて笑う。

 

「いや、ただ金儲けもできて明日にも繋がるいい方法を思いついただけだよ。ってわけでここ出ようぜ」

 

机の上に置いてあった装飾ナイフを取り、三人に渡す。

 

「なぜ私に二本渡す。これはお前の分だろう」

 

二本のナイフ、二百万ガルドのナイフ……やっぱり金の無駄としか思えないが、それをリグレットが俺に向かって差し出す。

 

「俺には必要ねえよ。後でヴァンにでも押し付けてやれ。せっかく止めてもまた世界壊そうとするんなら意味ねえだろ? だからそのナイフ、あいつへの重し変わりだ」

 

手をひらひらと振り、まだ朝早いのに開店していた色々と素晴らしいカフェの出口に向かう。

 

「何すんの? 僕らが言ってもアレだけど、そんな簡単に稼げたら誰も苦労しないよ」

 

百万ガルドのナイフをぽんぽんと上に投げて遊びながら、シンクも水を飲み干し立ち上がる。器用なやつめ。

 

納得いかない様子でナイフを見つめているリグレットと、急いで水を飲み置いていかれないように頑張るアリエッタ。

 

俺はそんな三人に、にっこりと笑ってやった。

 

「金儲けってのはやっぱ、ハイリスク・ハイリターンが基本だろ」

 

「ダメ人間の発想だな」

 

そういう発言は止めて欲しいんですけど、リグレットさん……。

 

*

 

一つ一つは小さくとも、それら全てが重なることで大きな波へと変わる。興奮と熱気に満ちた上からの視線とざわめきに包まれ、俺は何とも言えない妙な感覚を覚えていた。

 

「なるほどなるほど、これが檻の中の気持ちってやつなのか」

 

「こんなふざけた恰好をしていなければこんな不愉快な気持ちは味わえなかっただろうな。貴重な体験、礼を言うぞルーク」

 

「ははは、なんか間抜けに見えるなぐおぁっ!」

 

お礼に銃弾を打ち込んでくれそうな勢いのリグレットを笑ってやったら、シンクに思いっきり脇腹を蹴られた。

 

「それは何、僕の素晴らしいセンスを馬鹿にしてるの?」

 

この素晴らしさがわからないなんてあんた頭おかしいよ、大真面目に吐きすてるシンク。シンクがこれ、と指差す物は皮肉屋シン君のシンボルである鳥の嘴のような仮面。

 

シンク曰く素晴らしくカッコよすぎる仮面、リグレット曰く恥ずかしくて外を出歩けない仮面。顔を隠すためにつける仮面のせいで外を出歩けなくなるなんて微妙すぎる話だが、それはさておき俺達四人はその仮面をつけて闘技場に立っていた。

 

闘技場。もちろん賞金も狙いだが、本当の狙いは賭博による利益だ。借りてきた金も含め、全財産を俺達の優勝にかけた。

 

わざわざ自分達を大穴にするために、六神将だということは隠している。ぱっと見ではお子様二人に線の細い綺麗なお姉さんとフード被った怪しい奴というキテレツ四人組だから、背景がわからない限り人気は最低レベルになると踏んだのだ。

 

「みんなでお揃い、です」

 

「やっぱりわかる人にはわかるんだよ。ねえアリエッタ、かっこいいでしょ、それ」

 

「うん、アリエッタもこのお面可愛いと思う、です」

 

自分の顔を被っている嘴仮面を嬉しそうに触るアリエッタに、シンクが当然とばかりに、しかし共感してもらえて嬉しそうに頷く。会話が微妙に噛み合ってないのは……まあ、ご愛嬌。

 

「というかデザイン以前に、なぜ同じ仮面が四枚ある。なぜあってしまう」

 

若干落ち込み気味のリグレットが、荷物の中から次々と同じ仮面を取り出してきたシンクを思い出しながらだろう、遠くを見ながら悔しそうに唇を噛む。そんなリグレットにシンクが何言ってんの、と呆れたように溜め息をついていた。

 

「そんなの装着用と保存用と布教用とスペアに決まってるじゃないか。常識だよ」

 

…………。

 

もう駄目だわ、こいつ。

 

本気でくらりと倒れそうになったリグレットを支えてやり、俺も一つ盛大に溜め息をついた。

 

「おーいリグレットー、頼むからしっかりしてくれー。つーかお前そんなに嫌なのか、これ?」

 

「嫌とか以前に、これじゃあまるでサーカスみたいだわ」

 

「まあ確かにピエロになった気分ではあるが……つーかアリエッタが魔物連れてきたら完璧だな」

 

「お願いだからやめて……」

 

シンクの仮面被ったせいでクールな仮面が剥げかけているという面白い状況のリグレットは、なんかこれはこれで可愛いくてよかった。

 

「つーかてめえらっ!! いつまで遊んでんだよやる気あんのかっ!!」

 

と、そこで俺達の向かい側――つまり対戦相手のごついオッサン四人組が怒声をあげた。

 

そういえばそうだった。試合――もう始まってたんだよな。

 

あまりに煩かったから脳内でシャットダウンしていたが、闘技場でコントじみたことやってる俺達へのブーイングも凄まじい。

 

――戦う気がないなら去れ。それが今の闘技場を満たす意志。

 

「ハッ――冗談じゃねえ」

 

好奇に満ちた視線を向けられるより、悪意に満ちた視線を向けられるほうが余程心地よい。

 

自然と顔が邪悪な笑みを形作るのを感じながら、対戦相手を見据える。

 

「こちとらコワイ人達から無担保で五百万借りて来たんだ。タダで帰れるかよ」

 

利子しっかりつけて今日中ににして返してやるからと、そっち系の方の事務所から半分強奪してきたのだ。多額を大穴につぎ込んだ分、勝ったら俺達は大金持ち。

 

どちらにしろこれはもう、優勝するしかねえだろ。

 

敵の身体にある無数の傷、向こうもかなりの場数を踏んでいるだろう。ヴァンと殺り合う前の準備運動としてはちっと役不足だが、ここは敬意と誠意を持って挑もう。

 

それぞれが剣を構える四人の戦士達に、俺は腰から木刀を抜き放ち宣言する。

 

「そんなわけでまあ、おっさん方――――誠心誠意全力で完膚なきまでにぶっ潰してやるよ」

 

「…………あのよ、兄ちゃん。そんな仮面つけて女片手にそんなこと言われても、こっちとしちゃあお芝居見てる気分にしかならねえんだが……。お芝居するんなら広場で、女とイチャつくんなら宿に帰ってやってくんねえかな? いや、ほんと、嫌味とかじゃなくてよ……」

 

「…………」

 

真面目にダメ出しを食らってしまった。うん、正直かなり凹みます。

 

さっきからずっと支えてやっているリグレット。言われてみれば、遊んでいるようにしか確かに見えない。ついでに言えば、俺の腕の中にいるリグレットをぽかぽかと叩きながら「リグレットだけずるい、です。アリエッタも抱っこして、アリエッタもアリエッタも~」と羨ましそうにダダをこねているアリエッタがさらに空気をぶち壊している。

 

…………今回の教訓。空気読んで恰好つけないと痛々しいことになる。

 

ふぅ、マジで鬱だぜ……。

 

「俺、やる気失せた。リグレット、お前のせいだから後全部よろしく」

 

「私も同じくらい落ち込んでいるんだが……まあ、いい」

 

ちょっと気だるそうに自分の足で体重を支え、俺から身を離すリグレット。彼女が歩き前に出るのを見送りながら、俺はとりあえずアリエッタの頭を撫でてやる。

 

もう色々とグダグダだ。

 

俺は目を瞑り大きく大きく溜め息をついて――そして目を開けた瞬間試合が終わった。

 

完全な脱力、そしてその状態であるからこそできる神速の動き。ホルスターから瞬く間もなく抜き放たれた一対の譜銃が火を吹いた。

 

「威力は弱めておいた。殺してはいない。ただ暫くは目覚めないだろう」

 

リグレットは両手の銃を流れるような洗練された動作でホルスターに戻す。まとめられた金髪がわずかに揺た。

 

ほとんど一度にしか聞こえなかった銃声。しかしその実、対戦相手の四人は顎を撃ち抜かれ地に四肢を投げ出している。

 

一瞬の間に、別々の一点への四の銃撃。

 

それはそれは、魔弾と呼ばれるにふさわしい戦いだった。

 

先ほどまでより余程劇的な一瞬の出来事に、割れんばかりに響いていた声援と悪態がピタリと消える。時が止まったかのような静寂の後、闘技場に歓喜の嵐が吹き荒れた。

 

一心に送られる爆ぜるような拍手喝采は全て金色の彼女のもの。

 

「はははっ、かっこいいねリグレット。観客の心鷲掴みじゃねえか。俺ももうお前に夢中だぜ」

 

「意外だね、戦いに芸術を求める人間だったなんて」

 

「リグレットすごい、です……!」

 

にやにやと笑って茶化す俺とシンクと、純粋無垢に感激するアリエッタ。リグレットはやれやれと呆れたように首を降った。

 

「では私は休憩だな。次はお前が私の心を射ぬいてくれるんだろう?」

 

「ハッ、当然。火傷しねえように気をつけてな」

 

冗談に冗談で返し、肩まで上げられたリグレットの手を軽快な音をたてて叩き選手交代。四回勝ち抜けば優勝という妙な形式の試合、その次の相手が出てくるはずのゲートを見据える。

 

「舐めているっ! 神聖な闘技場をどこまでも舐めきっているっ! 仮面のサーカス団、団体戦で個人戦に挑む喜劇を上演してくれやがるつもりだぁあああ!!」

 

盛り上がった会場の空気をここぞとばかりに司会が更に盛り上げる。何時の間にやら勝手に決められたチーム名が、観客によって連呼される。

 

さっきまでは完全にアウェイだったってのに……流石はオラクル騎士団が師団長兼総長付き副官魔弾のリグレット、凄まじいカリスマ性だぜ。

 

「次の上演者は謎が謎を呼ぶ黒マントの男、木刀なんてふざけた物で一体何を見せてくれるのか!! 相手は剣に槍に弓に鎚、何でもござれの傭兵団!! それでは参りましょう、仮面のサーカス団が贈る夢の世界へ!!」

 

斜め上に急上昇する闘技場の熱気を肌にビシビシと、それこそもう痛いほど感じ、俺は結構本気で引いていた。

 

いや、司会の人のセンスって破滅的じゃね? マジで。新しい時代が築けそうだぜ。

 

このありえないくらい恥ずかし過ぎる場を逃げたしたい気持ちにものの数秒で屈伏してしまったが、だがそれでも金のためだと自分に言い聞かせて歯をくい縛る。金のためにプライドを捨てるなんて俺はもう色々と大人になってしまった気がする。

 

「はははははは……所詮この世は金と権力が全てだー……」

 

もう割り切っちまおうと三下っぽい台詞を棒読みで呟いてみるが、何だか逆に虚しくなる。……俺は一体何がしたいんだよ。

 

本気で人生って何だろと悩んでいると、ゲートから傭兵団の皆さま方が登場……登場登場登場登場登場登場登場登場登場登場登場登場登場登場登場登場登場登場登場…………?。

 

ゲートからぞろぞろぞろぞろ出てくる鎧の波、その数なんと二十。

 

「は……? いやいやいやいやいや、団体戦っつっても団体様過ぎるだろ……」

 

もう非の打ちどころのない反則っぷりだった。しかし司会者は何も言わないし、どうやらオーケーらしい。この闘技場絶対に狂ってる。

 

「ちょ、え……?、マジでこれ俺一人でやんの? ねえねえねえ何で客席上がってんのみんな? 逃げんなよおいこらリグレットてめえ何笑ってやがる! そこのお子様二人もお菓子食べ始めるんじゃあありません!」

 

なんと奴ら、巻き込まれる前に客席に避難しやがった。冷たく嘲笑うリグレットとのほほんともぐもぐやるシンクとアリエッタにはそろそろ天罰が下ればいいと思う。

 

焦りまくる俺を置き去りに、無情にも鳴らされる試合開始のゴング。

 

「ちょっ……! マジで待ってくれえええぇえええ!!」

 

ガチガチの重装備で身を固めた二十人の半分、十人がそれぞれ武器を構え波となって押し寄せてくる。

 

野郎共、重さで押し潰すつもりか……!!

 

頭を冷静に冷静に、一瞬で殺し合いの思考に切り替える。体調体力精神全て上々。精神を体中のフォンスロットと聖樹の御剣に集中し、音素を取り込む。昨日と同様に同時に二十人を相手だが、それでも昨日と今日ではまるで状況が違う。あんな反則技使わなくても、万全のコンディションなら十分にやれる。

 

その重い鎧と数で圧殺せんと迫り来る敵――馬鹿共が、こっちが一人だからって安易な考えを持つな。

 

あと数歩、時間にして二秒にも満たない距離まで踏みこんできた瞬間、俺は地に木刀を突き立てその柄を踏み台に跳躍した。

 

「凍っちまいな――守護氷槍陣っ!!」

 

突き立てられた木刀を中心に空に向かって放射状に突き出された氷の槍が、敵の鎧を穿ちその場に拘束する。

 

――まだ決着はついていない。鎧とそれぞれの武器、そして音素の障壁に阻まれ致命打にはなっていない。だがそれでいい、予定通りだ。

 

「続けて行くぜ――朽ち飛びなっ!!」

 

跳躍した状態、空中で姿勢制御し体内に取り込み続けていた音素を一気に開放する。

 

――紅蓮襲撃。

 

第五音素を、紅蓮の炎を纏い落下の勢いをのせた蹴りを、氷槍に囚われた傭兵達の中心に叩き込む。

 

轟音と共に爆ぜ飛ぶ地面。その膨大な熱量により氷も一瞬で水蒸気となり、闘技場の一角を霧が覆い隠した。

 

衝撃で空を舞った木刀を再び飛び上がり空中で掴み、様子見として適度な間隔を開けて立つ最初の位置から動いていない十人の中心に投げ込む。

 

「ふはははははっ、呪いの魔剣の本領発揮だ! 吸いつくしちまえ!」

 

俺以外の人間が触れれば体内の音素を吸われるという性質を持つ聖樹の御剣。意識的にその性質を引き上げてやれば、半径五メートル程度の円内の人間にまでその効果を及ぼせる。ただし何の抵抗もされなければだ。それでも五秒程度は持つ。

 

木刀の近くにいた傭兵達五人が、体内の音素を奪われたことで存在そのもののバランスを崩し地に膝をついたのを視界の隅に、俺は先ほどの攻撃でかなりダメージを負っている敵の一人のすぐ側に着地する。

 

「くそが……っ!!」

 

傭兵の剣が横に振るわれるがキレがない。その下を潜り抜け、掌低を敵の腹に打ち込む。

 

「――――烈破掌」

 

「ぐっ……!?」

 

めり込ました掌で音素を爆発させ、敵を――その後ろにいたもう一人、さらにその後ろのもう一人を直前で結べる軌道に向かってふき飛ばす。勢いよく飛んできた仲間に巻き込まれ、結局合計三人は仲良く揃って気絶した。

 

名付けて人間大砲ってな。

 

「喰らいやがれぇええっ!!」

 

背後から雄叫びと共に鎚を横薙に振るってきた一人の傭兵。俺は捻りを加えた後方宙返りでそれをかわす。

 

「崩襲脚っ!」

 

反転しながらの宙返りのまま、相手の胸元を蹴りつける。

 

その傭兵もどうやら先程の紅蓮襲撃を喰らわしてやった内の一人らしく、身体の限界がきて一撃でその場に崩れてしまった。

 

水蒸気の霧が晴れてきた。

 

今の状況を確認するために素早く視線を全体に巡らせる。

 

人間大砲の被害者三人。ついさっき蹴り飛ばしたやつが一人。そして最初の氷付けと爆破のコンボをもろに喰らってダウンしたやつが六人。

 

とりあえず最初の特攻してきた十人は片付いた。

 

そして木刀の周りに倒れているのが五人。だが既に音素を制御して木刀の吸収攻撃に抵抗している。この分だとあと少しで回復してしまうだろう。

 

やはり範囲を広げれば俺が疲れるし効果がガタオチだしと、不意打ち以外にはあまり使えない。

 

まだ無傷の五人は、俺を囲うように移動する。一人は弓をつがえて距離を置き、二人は剣を手に正面に、二人は槍を構え横に。

 

俺が素手だと判断してだろう、得物の間合いが遠すぎず近すぎずの剣士二人が距離をつめてきた。

 

絶妙のコンビネーションで繰り出される、一瞬間を置いての縦横の二閃。バックステップで回避した俺を、両脇から槍での横薙が襲う。

 

素手で受ければ刃で切られる。後ろも前も下も上も今からでは間に合わない。

 

回避不能の一手を打った四人が喜びに顔を輝かせる。――そして俺は嘲笑った。

 

「残念、前提から違ったな」

 

さっきまで何も収まっていなかったはずの両手に、何時の間にかしっかりと握られている木刀。

 

交叉した槍の隙間に刃を入れて、俺は必殺の連携をしっかりと食い止めていた。呪いの魔剣もとい聖樹の御剣、捨てても戻ってくるんだから戦闘中は便利なことこの上ないぜ。

 

驚愕に目を見開く槍使いの二人。敵の力が緩んだ一瞬に、一気に木刀を前に押し込む。

 

「――――双牙斬!!」

 

強引に押し返した二本の槍を、続け様に深く沈んだ状態からの全身のバネを使っての切り上げで遥か上空に吹き飛ばす。

 

そして着地。武器を無くした二人と、剣を構えたもう二人。俺は着地した状態のまま地を這うように、一番右の槍を失った傭兵の真横に出ながら、横薙に剣を払う。鏝で守られた腕で防がれたが、剣を脇に引き体を限界まで引き絞る。

 

敵の背後に剣を構えた傭兵がいるのをしっかりと確認し、俺は無手の傭兵の腹に突きを繰り出す。

 

「――――瞬迅剣!」

 

「がはぁっ……!!」

 

高速で放たれた突きは鎧を突き破り、傭兵は衝撃で後方に吹き飛び後ろの剣士に直撃する。

 

「連激――受けなっ!!」

 

――――飛燕瞬連斬。

 

ガシャガシャと音を立て体制が崩れたせいで動けなくなっている二人を通りすぎ、もう一人の剣士の背後へ回り込み斬撃を繰り出す。

 

斬撃により浮いた傭兵に、俺は身を捻り飛び上がりながら回し蹴りを連続で繰り出し、最後に強烈な一撃を叩き込み――鎧のせいで動けなくなっている先程の二人へと飛ばす。

 

上空から飛んできた鉄の塊が直撃し、耳障りな音を立てながら三つの鎧は折り重なり地に崩れた。

 

「素手で俺と殺り合うか?」

 

ギラリと槍を失ったもう一人の方を睨みつけたら、ぶんぶん首を降って白旗をあげてくれた。というわけで残りは六人。

 

横手から飛んできた弓をかわしつつ、俺は三つ折り重なっている鎧の方へと駆ける。

 

木刀の呪いを喰らい、ようやくふらふらと起き上がりはじめた五人。俺は積み重なる鎧を踏み台にして、その五人の上空に飛び上がった。

 

聖樹の御剣の刀身に指を走らせ、大気中の音素を一気に収束させる。

 

「起きてそうそう悪いな。もう一回お休みなさいだ」

 

「な……っ!?」

 

「ちょっ、ま――――」

 

首を上に向けて目と口を唖然と開く五人を意にかいさず、俺は大きく大きく剣を上段に構えた。

 

「魔王――――」

 

刃が土色に光輝き、振動する。そして俺は――力一杯大地に刃を叩きつけた。

 

「――――地顎陣っ!!」

 

轟音が響き、地が割れ巻き上がる。岩や土砂が五人を襲い、そのうねりに飲み込んだ。

 

砂埃で視界が塞がれ、何も見えなくなる。俺は事前に確認しておいた位置めがけて、拳を振り上げる。

 

「魔神拳」

 

「ぎゃっ……!」

 

地を這う衝撃破が砂埃の中を突き進み、しばらくして間抜けな声が響いた。

 

「さてと……これで終了だな――――空破絶風衝!」

 

身体を引きしぼり、フォンスロットから音素を体内に取り込む。先ほどの声の発生源、そこに向けて身体が軋むほどの速度で剣を突き放つ。

 

刃の先端から放たれた突風が、空を駆ける。全てを切り崩しながら突き進む一迅の風が、辺りを覆う砂埃を徹底的に粉砕しつくし吹き飛ばす。技の反動で脱げてしまったフードを被り直し、目を細める。そして綺麗さっぱり元通りになった視界、そこには一つの陰があった。

 

何がどうなったのかと静まりかえる闘技場。そこに存在する瞳全てが、俺と一つの陰――最後の一人である弓使いに集中していた。

 

俺は突きを繰り出した体制を崩し、相手に背を向けて木刀を背中の鞘に戻す。

 

その瞬間――弓遣いの鎧に次々と皹が入り、そして一気に崩壊した。

 

ガクリと膝を折り、地に手をつく弓使い。俺はその気配を背後に、ゆっくりと握り締めた左拳を上げた。

 

それは試合の終了を示す、俺の少し控え目な――しかしリグレットに対抗するための精一杯クールな勝ち名乗りだった。

 

痛い程の静寂、そして爆発するような拍手喝采。二十対一の不条理かつ理不尽な試合は観客のお気に召したようで、しかも一人の方が勝ったのだから最高の見世物だっただろう。

 

「かかかかかかか勝ってしまったああああぁぁぁあああぁぁああああッ!! 一人で圧倒的な数に、派手に派手に派手を重ねた派手派手な技の大判振る舞いで見事に喜劇を演出、流石だ黒マント!!」

 

そして何処までも司会者は破滅的だった。もう頼むから変なこと叫ばないで大人しくしといてくれ。

 

全てが片付いたので客席から下りて来た三人のもとに歩きながら一つため息をつき、それでも俺は気を取り直し皮肉気に笑う。

 

「どうだ? 俺的にはばっちり射抜いてやったつもりだぜ」

 

「ああ、しっかり命中していたぞ。もっとも危なかっしい技術だったからな。お陰様で私の心臓は高鳴るどころか弱ってしまった」

 

「そりゃあ残念だ」

 

同じく皮肉気に返してくるリグレットの脇からアリエッタが飛び出し、俺の外套を掴んで満面の笑顔を浮かべる。

 

「お疲れ様、です。かっこよかったよ、ル――」

 

名前を言われる前に口を塞ぎ、アリエッタの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。ここで俺の名前を言っては駄目だと注意しておいたが、アリエッタはやはり忘れていた。まったく、危なかっしい。

 

俺はアリエッタの頭に手を置いたまま、腕組みをして立っているシンクに片手を上げる。

 

「へい、団長。悪いな美味しいところ持っていっちまって」

 

「やあ、三下。アレが美味しいだなんて、相変わらず可哀想な舌してるね。だいたいさあ――」

 

手と手を打ち鳴らし、選手交代。闘技場の真ん中へと進んで行く元祖仮面のシンクは、背を向けたまま実に楽しそうな声で告げた。

 

――この世の美味しいものは全部僕のものなんだよ。

 

果たして今この瞬間、シンクはこの世で一番面白いやつになってしまった。

 

「……なんだかんだで、あいつが一番美味しいよな」

 

「ああ、何時か自分で自分を食べそうで恐い」

 

「……ついでにアリエッタとかぱっくりいかれそう」

「現実的過ぎる冗談を言うな。否定できないのが恐すぎるぞ」

 

笑顔でシンクに無邪気に手を振るアリエッタを後ろから眺めながら、俺とリグレットは冗談ではなく本気で真剣に心配していた。

 

シンクは本気で遊び人になるんじゃあないだろうか……。

 

司会者がまた破壊的なテンションで破滅的なことを叫び絶望的に斜めに熱気を押し上げているが、シンクの未来を心配する俺たちはもうそれどころではなかった。

 

対面のゲートから、上等な生地を多分に使用した青と白のマルクト風のゆったりとした服に、何故かブウサギの仮面をつけた長い金髪のがっしりとした体格の男が現れたのも、気にすることではな…………くはなかった!!

 

「………………ああ、そうだルッ君。右手を出せ。心優しい私が怪我を治してやろう」

 

「い、いや、リグレットさん? アレ……ピオニー陛下――」

 

「私には何も見えない。私はお前の怪我が心配でたまならい。そんなマルクトの皇帝なんて知らない。あれはただのブウサギの仮面を被った頭のおかしい変人だ」

 

そして同じく正しく現実を認識したリグレットは、その現実から逃げ出していた。

 

「アリエッタ、こっちに来なさい。目に毒だ」

 

何か知らないがめちゃくちゃ酷かった。

 

向こうでは大笑いしながら、それこそ気でも狂ったのかと聞きたくなるほどの勢いで笑い観客に手を振るブウサギの仮面……マルクトの皇帝、世界のトップの一人、超超重要人物。

 

「…………和平とかってどうなんだ、ここでもしあの人死ん――」

 

「ああ、この怪我は酷い。手首を捻っているな。早速治癒術をかけなければ。アリエッタも向こうなんて見ていないで手伝いなさい。シンクも病気で目が悪いのに(・・・・・・・・・)、まともに見えていないのに(・・・・・・・・・・・・)闘うというのだから心配だが、先ずはこっちを心配していなさい」

 

…………。

 

大きな声で――シンクに聞こえるような声で言い、俺の手を冷静沈着に診察しながら決して闘技場に目を向けようとしないリグレット。しかもアリエッタの頭をがっしりと固定しながらだ。

 

つまりリグレットが何を言いたいかというと、何も知らなかったことにしろということらしい。

 

ここでバレたら本気で面倒なことになる上に、間違って死にでもしたら大変すぎる。だから無理矢理シンクを病弱設定にし、言外に手加減して絶対に重傷を負わせるなと――

 

「一度あんな変人は痛いめにあった方がいい」

 

いうことではなかったらしい。

 

「……お前さ、何か恨みでもあるのかよ?」

 

「…………ない。ただ怪我でもして大騒ぎになった方が私達が動き易くなる」

 

小さなやり取りの後、リグレットはふいと顔を背けてしまった。俺は馬鹿な質問をしたと後悔する。

 

――ヴァンに自らの故郷を滅ぼさせるという悲惨な過去を与えた直接の原因は、ピオニー陛下の父親ではないか。

 

それはスコアに詠まれていたこと、つまり国の決定でもあるしわけだし、ピオニー陛下の罪ではないのだけど、それでもリグレットはやはり複雑なのだろう。

 

「クッ、思い出しただけでも腹が立ってくる。あのセクハラ皇帝め」

 

…………。

 

…………あれ?

 

「もう大丈夫だろう、怪我は」

 

小さく悪態をついて相変わらずの冷静沈着な瞳を向けてくるリグレットに、俺は何か複雑な気分で消沈して頷いていた。

 

「…………ん、ありがとな。つーか、お前って第七音素術士だったんだな」

 

「あ……あう、いたい……あ、シンク……ああ……ダメ、です……アリエッタ、心の準備がまだ……」

 

「はぁっ!?」

 

「なっ!?」

 

突如会話に割り込んできたアリエッタの妖しい声に、俺とリグレットは当然のごとく高速で首を捻った。

 

そんな馬鹿な、一体何がどうなれば!!

 

ぶっちゃけ俺たちはシンクを殺しちまおうと一瞬で決意していたと思う。だがしかし、現実はなんか予想の斜め上をいっていた。

 

「てめぇ、このガキ!! 俺のブウサギ仮面のどこがダサいんだ!!」

 

「全部に決まってるじゃないか!! あのディストも真っ青なダサさだよ!! ていうか僕の仮面が何だって!?」

 

「センスがマイナスきってるって言ったんだ!! 何だこのちびっこ、お前は頭スカスカな鳥にでもなりたいのか!!」

 

「じゃああんたはブタになりたいわけ!? このブタが!!」

 

「ブウサギだブウサギ!! 撤回しろちびっこ!!」

 

「僕はまだ成長期なんだよ!! 三十路のブタはブタ小屋でブタらしくブヒブヒ言いながらぶくぶく肥ってなよ!!」

 

「だからブウサギだぁああああ!!」

 

目に飛び込んできたのは、がっしりと握手をしたままゼロ距離で殴り合っている鳥仮面とブウサギ仮面だった。そしてそれを何時の間にリグレットの手から逃げ出したのか、目を手で覆いながらチラチラと怖そうに見ているアリエッタ。

 

それぞれ武器を抜き放った状態で固まっている俺とリグレットは、とっても痛くて可哀想な感じだった。

 

「あ……シンク……あ、痛そう、です。 ……あ、ちゃんと避けないと……」

 

小さく困ったように声を出すアリエッタに、俺は泣きそうになった。

 

やばい、俺何想像してたんだよ。やばいじゃんやばいじゃんやばいじゃん、今考えると意味不明じゃん、ここ闘技場だよおい大丈夫なのかよ俺シンク殺そうとしてたよ、むしろ俺が死ねよ……。

 

鬱状態でブツブツ呟く俺をよそに、シンクとピオニー陛下の握手したままでの殴り合いは続く。ふと思い当たり死んだ魚のような目で客席を見渡してみれば、案の定ガイとジェイドのマルクト組、イオンにティアにアニスのダアト組がいた。みんな軍服を脱いでだ。

 

この分だと多分、マルクトとダアトの信用のおける実力者が数十人変装でもして隠れているのだろう。徘徊皇帝の見張り役ってわけだ。

 

ぼーっとそんなことを考えていたら、ティアと目が合った。正確には俺は仮面をつけているので、互いに見ていることに気づいただけなのだが……それはさておき、冷たい瞳で睨まれた後、視線を外された。俺が一体何をしたっていうんだ、……マジで鬱だ。

 

「あ、アニスたち……」

 

俺の発する負のオーラに気づき、視線をおったアリエッタが嬉しそうな声を出す。そんなアリエッタに優しく微笑みながらティアが手を振って、リグレットにはペコリと一礼しているものだから、俺は何か死にたくなった。

 

いや、冗談抜きで最近ティアが冷たい気がする。

 

この世の不平等さに絶望している俺に、ジェイドを除く残りのメンバーが苦笑しながら手を振る。ジェイドは何故かすっごく生き生きした満面の笑みだった。寒気がするぜ。

 

とまあそんなこんなで微妙なことがあったわけだが――

 

「い、いい加減倒れ、やがれっ!!」

 

「そっちこそ倒れなよ! 手加減してやってるうちにさあ!!」

 

「う、ウソつくなちびっこ!! フラフラしてるくせに!!」

 

「そっちは棺桶に片足突っ込んでるじゃないか!!」

 

――とりあえずシンクとピオニー陛下は未だに殴り合っていた。

 

*

 

「お買い上げありがとうございました」

 

何だか久しぶりにできたまともな買い物。まだまだずっしりと重たい金の詰まった袋と買い占めた道具類を抱えて、すがすがしい気分で店を出た。

 

闘技場での三回戦、シンクと皇帝の殴り合い。

 

「う……現役には勝てねえか……」と泣ける台詞を最後に倒れたピオニー陛下。体格からして無理なただの殴り合いだったが、なんとかシンクの辛勝だった。

 

そして最終戦、俺達の決勝戦。なんと奴ら、魔物の大群を投入してきてくれやがったのだが、対魔物用最終兵器アリエッタによって一瞬で決着はついた。

 

「みんな、あとでご飯あげるから、今日は帰って下さい、です」

 

一言だった。一言で魔物はゲートにぞろぞろと帰っていった。流石アリエッタだった。

 

最後は魔物が棄権するという本気で不思議現象で締めくくられたわけだが、過程はどうあれ俺達は優勝。つまり大金持ちになったというわけだった。

 

配当金だけ回収して逃げるようにして、というか逃げてきたちょっと前のことを思い出しながら、俺は誰にともなく嘆いた。

 

「つーかさ、絶対あそこって優勝者がでねえように必死に頑張ってるよな。最後なんて魔物の大群だぞ、大群。客がひいてたじゃん」

 

「僕が聞いた限りじゃあ、優勝したのはファブレ公爵だけって話だよ」

 

「は? マジで? つーかあの親父何者なんだよ……」

 

「まあ、優勝者が出ちゃったからハードルが高くなったんじゃないの」

 

「ハードルって……あれはそんな優しいもんじゃなかったぞ……」

 

絶対にでないと噂されていた優勝者がでたことで大騒ぎ、ティア達にラルゴとナタリアの様子を聞くこともできなかったぐらいだ。

 

お陰様で俺は黒い外套から茶色の外套、シンクは今までの服を白にしたものと帽子、リグレットは膝下までの長さの黒いコート、アリエッタは黒いヒラヒラした服と帽子、とそんな感じにそれぞれ着替えて変装している。

 

しかし効果があるかどうかはかなり怪しい。今のところシンクとアリエッタの珍しい髪の毛を隠しているからか、バレてはない。

 

とは言っても、だ。

 

「もうマジでたるいぜ」

 

「同感だね」

 

シンクと愚痴りあってたら、アリエッタが何やら歓声を上げて前方にある店を指差した。

 

「ぬいぐるみ、です」

 

リグレットの手を取って店に駆け足で向かっていくアリエッタを、シンクは鼻をならして不機嫌そうに見る。

 

「流石無傷なだけあって元気だね。ぬいぐるみぬいぐるみって馬鹿みたい」

 

今は治癒術かけてやったから大丈夫だが、試合直後のシンクの顔はモースもびっくりの見事な腫れあがりぐあいだった。

 

どうやらこいつ、アリエッタにそのことでクスクスと笑われたのをかなり根に持っているらしい。

 

「まあいいんじゃねえの、楽しそうだし。ぬいぐるみ無くして寂しそうだったじゃねえか」

 

「僕は楽しくないね。試合のせいで昼食逃しちゃったし。せっかくのフルコースだったのに」

 

「いや、ステーキって話だっただろ。つーかお前……真っ昼間からフルコースって正気かよ……?」

 

「むしろ食べなきゃ正気じゃないよ」

 

「…………」

 

俺は若干引き気味に二人が入っていった店に逃げ込んだ。何が恐いって、マジで本気で真剣にそう思っているシンクが恐い。シンクの感性は最近ズレまくりだ。

 

「――って、何ここ!?」

 

シンクから逃げて一安心、一息つきながら額の汗を拭って店内を見た瞬間、俺は絶叫していた。

 

思わず目を疑いごしごし擦ってみるが俺の目が映し出す風景はかわらない。俺はすぐに店の外に出て看板を探した。

 

「…………マジかよ」

 

――黒魔術店。

 

看板には血のような色でそう書かれた。しかもかすれている。

 

もう百%断じてぬいぐるみを買いにくる店ではなかった。

 

再び店内に戻れば、やはり黒々とした空間に怪しげなアンティークが溢れている。

 

商品の陳列棚にはいい具合……ヤバい感じに蜘蛛の巣がかかっていて、良く言えば歴史を感じる。……果てしなく黒そうな、だが。

 

はて、俺は疲れているのだろうか? 今目の前を半透明な人間が通りすぎた気がする。

 

「リグレット……アリエッタこれがほしい、です」

 

縫い目だらけの不気味な動物っぽいぬいぐるみを指差し、リグレットのコートの裾をちょいちょいと引っ張って上目使いに頼むアリエッタ。リグレットは額を押さえる。

 

「……ルークに頼みなさい」

 

そして俺を悪魔に売りやがった。――目の前をまた半透明な何かが通りすぎた。

 

「ルーク、これ……」

 

アリエッタが不気味なぬいぐるみを抱いて、俺に近づいてくる。赤と黒の糸でバッテンに塞がれたぬいぐるみの口が、不気味に吊り上がった。

 

…………。

 

…………あれ? え? ちょっと何何何何何何何何何?

 

今、ぬいぐるみが笑ったの? ぬいぐるみは笑わないよ。生きてないんだよ。落ち着こうよ俺。俺は強い子なんだ、雰囲気に呑まれちゃだめなんだ。

 

「アリエッタ、止まれ。そこ動いちゃダメだぞ。リグレット、こっちこい。シンク……のボケェッ!! あいつ逃げやがったっ!!」

 

店の入口から高速で遠ざかる緑色に罵詈雑言の限りを尽くしたかったが、今はそれより差し迫った問題がある。

 

「かなりヤバいぞここ。ぬいぐるみが笑ったぞ今。幽霊が目の前にいるんですけど今。幽霊なんて信じてなかったさっきまでの俺が馬鹿みたいだ。今すぐ霊能者を呼ぼう。お払いをしてもらおう」

 

「今すぐ医者を呼ぼう。アリエッタ、どうしよう、私はどうすればいい? ルークが、ルークがおかしくなってしまった……」

 

本気で泣きそうな俺にリグレットがなんかマジで取り乱し始めた。俺の顔を覗き込み、ついには頭を撫でながら「痛いの痛いの飛んでいけ」とあたふたと言う。

 

ぶっちゃけ喧嘩売ってるとしか思えない行動なのだが、何かリグレットは相当焦ってるから案外本気なのかもしれない。

 

「ちょ、リグレット、遊んでないで幽霊を、幽霊を何とかしてくれ、今なんか後ろから俺の首絞めてるの。首が異常に冷たいから、頼むから助けて」

 

「大丈夫だルーク、気をしっかりと持て。アクゼリュスのことは、私が背負うから。だから、だから自分を責めないで」

 

「いや、その台詞にはマジで感動して俺泣きそうなんだけどさ、今言わないで欲しかった。勘違いで言わないで欲しかった。今は違うから。今はそれ関係ないから。俺殺そうとしてんのは本物の幽霊だから」

 

「すまない……本当にすまない……こんなになるまで追い詰めてしまって……」

 

「リグレットさん、頼むから言葉の無駄遣いはやめて下さい。俺幽霊に首絞められてる意味不明な状態なのに心打たれて泣きそうって事実に泣きそうだから!」

 

いい加減会話の噛み合わなさを不思議に思ったのか、リグレットは眉をひそめる。

 

「うなされているのではないのか?」

 

「あれか? お前は俺が寝てるって言いたいのか? つーか後ろ、幽霊いる、マジでいる。首がなんかもう冷たい通りこして痛くなってきた」

 

「……私としては実はお前が寝ていて、寝言を言っていてくれたほうが嬉しい」

 

「ごめん、俺今正気だ」

 

リグレットには見えていないらしいが、首がひんやりとするのがその存在の証明だった。感触はないのだが、本能的に危険を感じる。身体の底から恐怖が沸き上がってくる。

 

「…………あのさ、これ金。俺、もう無理、不可能。あとよろしく」

 

歯をガチガチと鳴らしながら言う俺に、リグレットは神妙に頷いて金を受け取る。俺は同じ側の手と足を同時に動かしながら、店の出口へ向かう。冷や汗どころか涙が出てきそうだった。

 

俺の背後にいた幽霊さん。ばっちり向こう側が透けているから、店員さんではない。……うん、幽霊っていたんだ。

 

幽霊さんは長い長い髪をしていて顔は見えない。多分女の人の幽霊だ。体格はちょうどティアぐらいか。しかし顔が見えないのは唯一の救いだ。視線を合わせるとマジで呪われそうだから。

 

「ルーク……その、なんだ……頑張れ」

 

「ルーク、ぬいぐるみありがとう」

 

リグレットの憐愍の情溢れる励ましと、アリエッタの何も知らない子特有の無邪気なお礼を背中に、俺は過呼吸気味に外に逃げ出した。

 

*

 

……色々と恐いこともあったが、それはもう忘れてしまおうと決心した。

 

明日には俺にとっては最後の戦いが待っているのだから、早めに宿を取り食事をすませた。買ってきたグミや薬を道具袋に詰め直し、武器屋で買った投擲用ナイフ三ダース分を両足と腰の後ろに分けて装備して、明日の準備を全て済ませた俺は宿の屋上へと来ていた。

 

アルバート流の型、音素制御の練習、それらを疲れが明日に残らないように早めに終わらせて、俺は屋上のふちに座った。

 

まだ暗くなってから大して時間はたっていない。屋上からは雲のない空に浮かぶ透き通るような月と、静かになり始めた町にともる灯かりが綺麗に見えた。

 

考えるのは、明日のこと。

 

明日は乱戦になる。一応作戦は考えているが、最悪の場合オラクル騎士団の三分の二――二万人弱をたった十数人で突破してヴァンを打ち倒し捕えなければならない。

 

それは本当に全ての作戦が駄目になった場合だが、それでも可能性として考えておかなければならない。

 

「…………アレを使えば、一人でなら突破は出来るんだよな……」

 

いっそのこと一人で行くのもありかなあ、と呟いた瞬間、後ろから頭をはたかれた。

 

「馬鹿なことは考えるな」

 

「ん……冗談だよ冗談、半分はな」

 

呆れ果てたような声に笑って返し、俺は自分の横を手で叩いた。

 

「まあ座れよ、後ろに立たれてるとなんか恐いし」

 

「相変わらず失礼な奴だな」

 

風になびく金色の髪が視界の中で遊び、その髪の主――リグレットが俺の横に腰を下ろした。

 

「アリエッタとシンクは?」

 

「アリエッタはもう寝た。シンクは夜中に誰かと語り合う趣味はないそうだ」

 

「ふーん、そっか。でもよ、アリエッタについてなくてよかったのか? ほら、例の夜泣き」

 

「お前に買って貰ったぬいぐるみを大切そうに抱き締めて、幸せそうに寝ていたからな。心配ないだろう」

 

それはそれで心配なんだが、とは思ったが多分大丈夫だろう。あの店、ホンモノのそういうのが売ってあるんじゃなく、雰囲気が楽しめる変わったデザインの小物店だったらしいから。

 

俺はリグレットが言うアリエッタの様子を思い浮かべて苦笑し、それから少し沈んだ気分になった。

 

「アリエッタ、か……。あいつが夜泣くのって、やっぱり寂しいからなんだよな……母親とアリエッタのイオンが死んで……」

 

アリエッタの母親を殺したのは俺だ。リグレットが来る数日前までは、俺がアリエッタをあやしていたのだが、それは結構きつかった。

 

泣く原因を作った奴が泣き止ませるなんて、まったくふざけた話だ。

 

「シンクはさ、オリジナルイオンのレプリカだろ? だからあいつ、自分が慰めるわけにはいかないって言ってさ…………まあ、アレだ。プロのお前が来てくれてよかった」

 

暗い空気になりかけたから最後は冗談めかして言ったのだが、リグレットは真剣な瞳で俺を見つめて、そしてゆっくりと首を横にふった。

 

「確かに以前からアリエッタの面倒は見てきたが、私はそれを仕事だと思ってやっていた。しかもアリエッタが関わる任務が近い時限定で、だ」

 

「じゃあ、今はどうなんだよ?」

 

卑下するリグレットに、俺は苦笑して聞いていた。俺はまだあんまりリグレットのことを知らないが、それでも完全に心の底から仕事だと思っていたわけではないことぐらいは分かる。

 

「…………そうだな、私達は変わった」

 

問いには答えず、リグレットは町にともる優しい灯りをぼんやりと見ながら言う。

 

「シンクは基本的に何に対しても興味を持っていなかった。アリエッタが泣いていれば、本当にシンクはうるさいとしか思わなかったはずだ。食事に関してもだし、あの仮面に関しても。むしろあの仮面ことは、シンクにとっての禁句だったぐらいだ。アリエッタも、以前は今ほどに笑わなかった。根本の部分であの子は、人を恐れていたから。だから私もあの二人も、以前は上辺だけの付き合いだった……」

 

「じゃあ今は、前より仲良しってことか?」

 

淡々と語るリグレットに、俺はとりあえず相槌を打つ。なぜこんな話をするのかわからなかった。

 

「そうだな……今は仲良しだ。教団にとっての異端ばかりを集めた六神将では、馴れ合いという概念を持つこと自体が暗黙のうちに禁止されていたようなものだったからな」

 

ヴァンによって集められ、ヴァンという一点でのみ繋がる関係。

 

それが六神将の本質。

 

「ルーク、お前がそれを壊したんだ。あの子達を変えて、ラルゴとアッシュを救ったのはお前だ」

 

目を細めて微笑むリグレットに、俺は頭をかいて空を見上げる。

 

「変えるつもりもなかったし、救うつもりもなかった。アッシュに至っては、救ってすらねえし」

 

「そう思うなら思っていればいい。ただファブレ公爵とシュザンヌ様は、アッシュが笑ってくれたと言っていたがな」

 

「なんだよそれ……アッシュの笑顔にそんな価値があったなんて知らなかったぜ。いや、マジで」

 

「同じ職場にいた私から言わせてもらえば、奇跡以外の何でもないぞ」

 

「さりげにひどいな、お前」

 

真面目に言うリグレットに若干引いたが、よく考えれば俺はあいつが怒ってるとこしかまともに見たことがない気がする。うん、確かに奇跡なのかも。

 

「そういやあ六神将で思い出したんだけどよ、ディストってどうなったんだ? 雪山でティア達…………いや、ジェイド追って行った後。なんか聞いてないか?」

 

「星になったそうだ」

 

…………。

 

……………………。

 

「今日は晴れてるから、星が綺麗に見えていいな」

 

ふっと目を細めて空を眺める俺に、リグレットが、む? と首を捻る。

 

「違うな、流れ星になったのだったか?」

 

「あのさ、紛らわしい言い方すんなよ。死んだのかって思ったじゃねえか」

 

いや、普通の人間なら流れ星になったら死ぬけど、ディストには前科がある。

 

バチカルに帰ってる最中の船の上で襲われた時も、譜業兵器の爆発で吹っ飛んでいったが、ちゃっかりディストは生きていたのだ。

 

「マジで何なのかねえ、あいつは……。ゴキブリかよ」

 

「新聞紙で叩いてもディストは死なないぞ?」

 

「あの、リグレットさん? そういう意味で言ったんじゃあ……」

 

「冗談だ冗談。可愛い冗談だ」

 

「可愛くねえよ」

 

何だか気の抜けるやり取りをしたせいか、緊張がいい具合いに抜けて眠たくなってきた。これで肝心要の明日に寝不足で体調不良です、だなんてまったく笑えないことにならなくてすみそうだ。

 

「よっしゃ、そろそろ寝ようぜ。身体も冷えてきたしな。これで風邪ひいたら俺等はただの馬鹿だ」

 

「ふふ、手のかかる子だな、ようやく緊張がほぐれたか。これで私も安心して眠れる」

 

悪戯っぽい光を瞳に湛えて立ち上げるリグレット。何だか今日はやけに喧嘩売ってくるな、一発ぶん殴ってやろうか……マジで。俺はガイとは違って男女平等を常に心がけるいい子なので、女を殴ったって心は痛まないのだ。多分。

 

「ルーク、一つ聞きたいことがある。真面目な質問だ」

 

リグレットは一度空に浮かぶ月を見上げて、それから俺を真剣な眼差しで見据える。

 

俺は瞬時に悟り、気を引き締める。

 

今からが彼女がここに来た理由――本題だ。

 

「お前は――死ぬことが恐ろしくないのか?」

 

果たして彼女の口から発せられたその言葉は、俺の心に深く暗く、そして冷たい穴をあけた。

 

それは何度も何度も繰り返し繰り返し自身に問いかけてきたことだった。

 

答えはもう出ている。

 

何度も何度も繰り返し繰り返し問いかけても、その答えは変わらなかった。

 

俺は死ぬことが――まったく恐くない。

 

強がっているとか、諦めているとか、そんなんじゃあなくて、何も感じないのだ。

 

非の打ちどころのない、ゼロからまるでブレない、どこからどこまでも無。

 

――それが俺の死への思いだった。

 

そして……そして、そのことが堪らなく恐ろしかった。

 

俺はもしかすると、もうとっくの昔に壊れてしまっているのかもしれない。

 

「覚悟は……もうできてる。未練もできる限りは断ち切ってきたし、何よりもうずっと前から決めてたことだからな」

 

全部は言わなかった……いや、言えなかった。でも、嘘はついていない。

 

この数ヶ月で嘘をつくことには慣れたけど、多分彼女は騙せない。恐いか恐くないかの答えにはなってないけど、今の返答だと恐いけど仕方ないという感じに伝わるだろう。

 

未練はあるのに死ぬことに何も感じない。自分でも不気味に感じるのだから、人に知られたくはなかった。

 

「……そうか。言いたいことは山ほどあるが、今は何も言わない。だから明日は何があっても生き残れ。以前にも言ったが、死に急ぐな」

 

リグレットは強く厳しい瞳で俺を見据えていた。俺はそれに耐えられず、射抜くような眼差しから眼下に広がる町灯りへと視線を逃がした。

 

「こら、目を反らすな。もう約束したからな。いいな、絶対に破るな。わかったな」

 

「……まあ、そりゃあ俺にだって公開処刑っていうビッグイベントが残ってんだから、明日で死ぬつもりはねえよ…………つーかちょい待て、人の話は最後まで聞けよ帰るなよ。俺もお前に一つ聞いときたいことがあるんだよ」

 

「む?」

 

言いたいことだけ言ってさっさと中に入ろうと歩いていたリグレットが、立ち止まり俺の言葉を待つ。

 

俺はその場にごろんと仰向けに倒れ、下から逆にリグレットを見上げた。

 

 

リグレットは腕を組み、なぜか知らないがどこかソワソワして立っていた。

 

まあどうでもいいやと、俺は構わず聞く。

 

「スコアのことなんだけどよ、本当にもう世界はスコアから外れられたと思うか?」

 

「…………」

 

リグレットはすぐに何時もの怜悧な雰囲気を取り戻し、目を伏せて思考をめぐらせる。

 

「言い方が悪かったな。こう、言葉にはしにくいんだけどよ、本質って言えばいいのかな。確かにスコアに詠まれた未来から外れてるけど、スコア自体を直接どうにかしたわけじゃないだろ?」

 

それにまだ謎も残っている。第七譜石のことだ。全ての人に聞いたわけではないが、第七譜石の後のことを俺の知る限り誰一人として疑問に思わなかったなんて異常だ。

 

不安がどうにも拭えない。

 

「閣下はスコアの本質をローレライの力だと考えておられた。そもそも計画におけるアッシュの役割とは、超振動によってローレライを完全に消滅させることだった」

 

「ん? ……んんん? おいちょっと待て、初耳だぞそれは」

 

シンクからもアリエッタからも聞いていない。これも極秘事項だったってことかだろうか。

 

それでリグレットの言葉だ。ローレライを消すってことは、第七音素をなくすということか。で、第七音素をなくすってことは記憶粒子、更にはその大元である『星の記憶』をなくすってことになるのか。

 

本当に可能なのかと軽く考えてみたが、結論はおそらく可能。世界のレプリカを作れば、第七音素はめちゃくちゃ少なくなる。で、とどめの第七音素消費しまくりの超振動。詳しくは知らないが、まあできるんだろう。多分。

 

だがそれより問題は、だ。

 

「それって本当に意味あんのか?」

 

多分俺の質問があまりに以外すぎたのだろう、リグレットは音が聞こえそうなほど眉根を寄せていた。

 

「星の記憶ってのはさ、オールドラントの誕生から滅亡までのことだろ。俺は学者じゃないから普通にまだ起きてもないことが、星の記憶として存在してるってのからして意味不明なんだけどよ、ようは日記みたいなもんなんだろ? 未来とか時間関係のことはスルーするとしてさ、星の記憶が日記みたいなもんなんだったら、日記消したって実際に起こったことはなくならねえじゃん」

 

それだとぶっちゃけ、日記を読むってことと同じスコアを詠むって行為で知った未来は、覆せないことになる。

 

しかも星の記憶が時間無視の日記なんだとしたら、それを読んだって意味はない。日記を読まなくても実際に起こったことは確かに存在しているのだから。

 

しかしユリアが完璧に星の記憶を読み解くことができなかったのだとしても、あまりにも今はスコアから、星の記憶を読み解いたものから外れすぎている。

 

これは一体どういうことなのか。

 

「今を生きている私達とは関係なく、星の記憶は既に全てのことが起きている、完了しているという前提の上に成り立っていると――つまり私達と星の記憶は別々の時間、もしくは概念の上に存在していると言いたいのか? ユリアのスコアは単に大きく星の記憶を読み違えたもので……そもそもユリアがスコアを詠んだという事実も閣下の計画も私とお前がしている会話も、全てはもう星の記憶が存在している時間・概念ではもう起きてしまったことで、ただ私達はそれをなぞっているだけだと……お前はそう言いたいのか?」

 

リグレットは淡々と、しかし怒りと困惑をはっきりと露にして俺の瞳を覗きこんだ。それにしてもリグレットは頭の回転が早すぎる。

 

スコアは外れても星の記憶は外れていない。ただ単にユリアが星の記憶を間違えて読み解いていただけ。

 

星の記憶に縛られた世界を解放しようというヴァンの計画ですらも、星の記憶の一部なのかも知れない。俺の今抱いている疑問すらも。

 

「違う……そんなわけがない、あっていいはずがない。それだと……何をしても星の記憶から逃れることなんてできないわ」

 

「落ち着けよ。多分俺は間違えてるんだから。まあ、ヴァンの計画だってもしかすると根本に穴があるのかもって、そう言いたかっただけだからさ」

 

悲痛な面持ちで一人嘆くように呟いたリグレットを、俺は軽く笑ってなだめる。

 

第七音素、ひいてはその主成分である星の記憶。まだそれが何であるかは完璧に分かっていないのだから、仮説ならいくらでもたてれる。

 

「こんなことは考えても仕方ねえよ、答えなんて出ねえ。仮に今のが真実なんだったとしても、遭難した時にも言ったけど自分らしく生きればいいんだよ」

 

「…………」

 

しかし俺の言葉には答えず、何かに気付いたかのように押し黙るリグレット。つーか、もう冷静になってやがる。これだとあまりにも慰め甲斐がない。

 

「ルーク。お前はロニール雪山で私達にこう言ったな――――ヴァンに何があった」

 

「ああ、言ったな。多分今お前が考えてる通りだ。ヴァンは多分だけど、スコアについて、星の記憶について何か確信を得たんだと思う。俺みたいな荒唐無形の想像じゃなくてな。だからヴァンは動いてない。もしくはアブソーブゲートのパッセージリングから、動けない状態なんだ」

 

「…………よく我慢したな」

 

リグレットは呆れたようにため息をついて、それから俺に近づき優しく言った。

 

まあ、今の話だって予想の域を越えないからな。焦って失敗しても、やらなきゃならなかったこと放り出して行っていても、いい結果にならないことは見えていた。……すぐにヴァンのところへ乗り込もうとはやる気持ちを抑えるのは、彼女の言う通り大変だったが。

 

「お前の言いたいことはよくわかった。明日は何が起きてもおかしくないと、そう肝に銘じておこう」

 

「相変わらず頭の回転はえぇな。ま、俺が言いたかったのはそれだけだ。もしかしたら、ヴァンが全部いい方向に決着つけててくれるかもな」

 

逆のこともありうるが、それは言わず俺とリグレットは少し笑い合った。

 

今度こそ中に入ろうと踵を返したリグレットに、俺はふと思いついたことを尋ねる。

 

「なあリグレット。さっきシンクとアリエッタが変わったって言ってたけど、お前はどうなんだ?」

 

彼女は足を止めるでもなく振り返るでもなく、コツコツと軽い音をたてて歩きながら至って普通の様子で答えた。

 

「私が一番変わったさ。大切な人の行き過ぎた行動を止めて、自らの手で幸せにしてあげたいなど、数ヶ月前の狂信的だった自分からは考えられないわ」

 

俺からは彼女の顔は見えなかったが、きっとその顔は笑顔だったと思う。

 

俺はしばらく仰向けになったまま、夜空に浮かぶ月を見ていた。

 

「…………星の記憶の定義……ユリアの力を信じるんなら、やっぱ今までのオールドラントの誕生から終わりまでってのじゃあなくなるんだよな……」

 

ヴァンは言っていた。戦争が起こらなかった程度のこと、スコアは物ともしない。

 

しかしだ。今までの星の記憶の定義からすると――ユリアのスコアは正しく星の記憶を読み解いたものだという前提で考えれば――そもそも戦争が起きないはずがない。さらに言えば、俺が存在しているはずがないんだ。絶対に。

 

「…………ダメだな」

 

しばらく考えてみたが、そう簡単にわかれば苦労はない。知識と経験と頭脳が絶対的に足りていない。

 

今まで誰もが疑問に思わなかったことだが、今からは違う。俺が答えを出す必要はないのだ。きっとジェイドあたりがそのうちすぐに星の記憶の定義を新たにするだろう。

 

「…………そろそろ寝るか」

 

七年間暮らしてきたバチカルの景色も見納めたし、もう満足だ。

 

立ち上がり大きく伸びをして、俺は宿の自室へと戻った。

 

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