TOA ~突き進め、我が道を!~   作:あきあ

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第一話 世界が終わる日

ホド崩落地点、並びにアクゼリュス崩落地点。両者より吹き出た大量の障気と音素は、両者の中間地点であるマルクト帝国領ルグニカ平野上空に集束した。

 

障気はそこよりルグニカ平野に広がり、今現在も着実にその汚染地域を拡大している。

 

音素は上空に留まったまま、大気中の音素を取り込みながら停滞している。

 

マルクト帝国はエンゲーブ並びにセントビナーに避難命令を発令。エンゲーブ住人は北上して自治区ケセドニアへ、セントビナー住人は南下してカイツールへ。異常現象観測より、僅か一時間後の決定だった。

 

同時刻キムラスカ・ランバルディア王国、そしてローレライ教団オラクル騎士団は、マルクトへの軍派遣を決定。両先遣隊はその決定と同時に、それぞれマルクトへと発った。

 

各国の異常なまでの速断。それは一年前の天災の再来を危惧し、全世界で協力体制を取り対策を練ってきた結果に他ならなかった。

 

 

*

 

 

「おい、どうしてお前等があんな場所にいたんだ」

 

アッシュ・フォン・ファブレは苛立ちを抑えながら、対面の二人を見据えた。

 

先遣隊としてナタリアとラルゴと共に乗り込んだアルビオールは、緊急時――考え得る最悪の状況――の為に定められていた当初の予定通り、海上でオラクル騎士団の船と合流した。

 

「どうして一番戦力になる奴らが、肝心な時に現場にいやがらねえんだ……」

 

予定では合流した船に搭乗しているのは、オラクル騎士団の先遣隊――リグレット、ティア、シンク、アリエッタ、アニス、そして導師イオンの六人。

 

しかしその船にはどういう訳か、マルクト帝国の人間二人までもがいた。

 

「休暇だったんですよ、私達は」

 

「間が悪いことにな」

 

苦い顔をしてアルビオールの進む先、障気の暗雲に覆われたルグニカ平野の方角の空を睨むジェイドとガイ。何時起こるか分からないから緊急事態なのだが、それでもアッシュは何処か納得いかなかった。

 

「マルクト軍の指揮は、おそらくフリングス小将が取っておられるでしょう。敵が一年前のあれと同じであるならば、第七音素を扱えない私では彼以上の働きはできませんよ」

 

一年前のあれ――あれはヴァンではなかったと言うのが、共通の認識だ。ルークが最後に言ったことを鵜呑みにするわけではないが、あの異質な力は人ではあり得ない。

 

「アッシュ、落ち着いて下さいまし。カイツールのセシル小将が援軍に向かっておりますのよ。両国が協力するのです、きっと持ち堪えてくれますわ」

 

自分自身に言い聞かせるようにたしなめてくるナタリア。アッシュは一度目を瞑って息を吐き出して、乱暴にシートに座った。

 

言われるまでもなく、そんなことは分かっている。だが自分達が行っても、どうにもならないかもしれない状況なのだ。冷静になどなれない。

 

一年前の戦いを経験した者が、先頭を切って戦うことになっている。少しでも全戦力が集まる為の時間を稼ぐのが目的だが、しかしそれも捨て身の作戦に近い。

 

仮に敵があの時のヴァンと同じ力を持っているとしたならば、ジェイドの計算では戦艦の砲撃でも効かないのだから。幾ら人数と兵器を集めても、悪戯に混乱を招き状況が悪化するだけかも知れない。

 

「私達が出た時点では、まだ障気が広がり始めただけとしか報告を受けていなかったけれど、何か新しい動きがあったのかしら」

 

「空に集まっていた音素が別れて、魔物もどきの形を取って暴れ出した。数はそれほどじゃあないが、倒しても倒しても復活するらしい」

 

緊迫した様子のティアの問いかけに答え、アッシュは受けた報告をそのままを伝える。

 

「しかも時間がたつ毎に数が増えやがる。世界中の音素を食らってるんだ……当然一年前と同じで、俺達も音素を持って行かれる」

 

「そう……向こうに着いたら、私達も直ぐに参戦しましょう」

 

ティアは気丈に頷いて見せた。感情を殺して冷静さを保とうとしているのが、嫌でも分かってしまう。

 

アッシュはティアから視線を外し、戦場には最も似つかわしくない者の様子を伺った。

 

イオンは音叉を模した導師の杖を膝に乗せ、静かに目を瞑っていた。緊張と不安が容易に見て取れる。

 

ここに集まった人間殆どに当てはまるが、本来ならば導師ともあろう者が戦線に出ていいはずがない。しかし今回ばかりは、全戦力を集結させるべき時なのだ。

 

――どうせ出なければならないのなら、最初からいた方が色々と都合がいい。

 

そう自身で言って、ダアト式譜術という、確立された第七音素を攻撃の術として扱う技術を持った導師は、戦場に赴くことが決定された。

 

それはほぼそのまま、アッシュにも言えることだった。

 

超振動。それがアッシュの切札だが、敵に有効かどうかは不明だ。一年前はヴァンが放った音素の塊によって、レプリカの超振動もろとも相殺されたのだから。

 

「アッシュ。貴方は先程、敵を倒しても蘇ると言いましたが、それは確かなのですね?」

 

ジェイドの声に、自分の掌に落としていた視線を上げる。

 

「ああ、そう聞いた。正確にはバラバラにしても、少し時間がたてば元通りに動きだすんだとよ」

 

「…………攻撃は効く、しかし有効ではない……まだ判断を下すには材料が足りませんね。いいでしょう、作戦の詳細は向こうに着いてからです。今は大まかなことだけを決めておきましょうか」

 

ジェイドの言葉で、各自の基本的な役割を話し合うこととなった。

 

それがルグニカ平野到着予定時刻より、約六時間前のことだった。

 

 

*

 

 

ルグニカ平野の西南西側に、両軍の本部は設置されていた。

 

エンゲーブからもケセドニアからも食料を比較的容易に調達でき、北から南下してくるマルクト軍の本隊とも、西と東から上陸してくるキムラスカ軍とオラクル騎士団とも位置が被らない、一番都合の良い場所だ。

 

到着後直ぐに、一目でそれと分かる、周りに設置されている物より一回り大きい司令部用の軍用テントに案内された。

 

そこでされた報告は、本隊が到着するまでの最高司令官、マルクト軍少将アスラン・フリングスと、キムラスカ軍少将ジョゼット・セシル両名による直々のものだった。

 

曰く、今はまだ現在集結している戦力――兵力五万、戦上戦艦三隻――の三割程度で対処出来る状態で、加えてあと三日程で世界中の戦力が集結するとのこと。

 

しかし敵の数は着実に増加しており、予想では後2日もたてば現在の倍にまで膨れ上がるという。

 

敵個体の能力は、三人がかりで相手取れば容易に撃破が可能。しかし約十分程度で、終えたはずの活動が再開される。敵の形状は、輪郭のはっきりしない靄で構成された四足歩行の魔物。大きさはほぼ人間と同じ程度。

 

両軍の司令官が一ヶ所に集まり、各国の代表者とも言える者達にそのような報告を行える程度には、今はまだ戦場には十分な余裕があるようだった。

 

 

*

 

 

「さて。それでは、最後にもう一度だけ私達の任務を確認しておきましょうか」

 

暗色の障気にうっすらと覆われた平野に、ジェイドの声が周囲の喧騒と対照的に静かに響く。

 

アッシュは遥か上空に存在する巨大な音素の集合体を上目で睨みながら、その声に耳を傾けていた。

 

「私達は今日一日、この現象の根本からの解決の為に、情報収集に徹します。分かっていますね、情報収集であり討伐ではありませんよ。無用な戦闘はなるべく避けるように」

 

メンバーの顔を順に見回し、ジェイドは真摯さを滲ませて念を押した。戦場特有の魂が削られて行くような音と、ジェイドの何時になく真面目な声が相まって、場に重い緊張の帳が降りる。

 

「私達の目的地は、上空の音素の集合体の中心――その真下です。十中八九、途中で引き返すことになるでしょうが、行ける所までは行きましょう。それが私達にしか出来ないことであり、私達がすべきことなのですから」

 

先程から見据えている、空に浮かぶ音素。それは巨大な球体で、アルビオールから見たそれは、悠に直径数百メートルはあった。

 

数を増して行く不気味な魔物もどきは、その球体を中心に拡大していっている。だから当然、近づけば近づく程、敵の数も増える。目的地の中心直下までは、おそらくはたどり着けないだろう。

 

「さて、それでは行きましょうか。アルビオールの準備も出来たようですので、最初の四人はお願いします」

 

ジェイドの声で、低空飛行へとモードを変え、譜術砲を三門取り付けたアルビオールへ乗り込んだ。音素の球体までは、歩いていけばそれだけで二日はかかる。だからアルビオールを足として使うのだ。

 

速度を落としたアルビオールの上に命綱をつけて乗り、四人で四方の防御を受け持つ。敵の殲滅が目的ではないのでイオンは外してあるが、それ以外の十人で十分毎に一人づつ交代する作戦だ。

 

四十分防衛を行い、六十分休憩を取る。かなりハードな体制だが、それでもまだ不十分なくらいだった。

 

譜術砲撃と治療を担当する為に両軍より選出された、十二人の譜術士と二人の第七音素譜術士も乗り込み、そしてアルビオールは若干の不安を抱えたまま発進した。

 

 

*

 

 

かつて愛用していた教団の導着ではない、黒で統一した戦装束に身を包んだアッシュは、腰に巻いた命綱の具合を確かめ、足場を確認する。腰の鞘から剣を抜き放ち、前方を見据える。

 

後部を任されたアッシュは、ジェイドが機首の上から敵の塊を譜術で殲滅する轟音を耳にしながら、アルビオールの上を疾走してくる魔物を両断する。返す刃で、一匹目の後ろに潜んでいたそれを切りつけた。

 

「ちっ……数が増えてきやがったな」

 

既にローテーションは二順目に入っていた。魔物もどきが地を駆けるよりも、少し速い程度の速度でアルビオールは進んでいる。よって後ろから敵に襲われることはほぼないため、後十分で休憩に入るアッシュはそこに回って来ていた。

 

しかし音素の集合体に近づくにつれて、敵の数は急増して行く。最初は見張りくらいしかやることがなかった後部の担当も、今は打ち漏らしを片付けるので息を吐く暇もない。

 

「ガイ、アリエッタ、大丈夫か! 余裕がないのなら言え、加勢に行く!」

 

アッシュは再び抜けて来た魔物を切り伏せ、譜術発動の準備を行いながら声を張り上げる。

 

「大丈夫だ、お前はそこで打ち漏らしを頼む! って……アリエッタ、でかいの頼む!」

 

遠距離への攻撃手段を持たないガイと、接近戦が得意ではないアリエッタは役割を分担しながら戦っていた。

 

進行方向から見て十時の方向から押し寄せてくる八体に、アリエッタの譜術が放たれる。アリエッタの後ろに回り込んだガイの刃が二度閃き、接近していた二体を三つに分断した。

 

今やアルビオールは、六属の音素で構成された魔物の波と正面から衝突している状態だった。

 

いくらジェイドでも、波状になって地を駆ける魔物の群に、何時までも一人で穴を空け続けるのは不可能。アッシュはそう判断して、機首へと向かって走り出した。

 

「屑共が無駄に集まりやがって……!」

 

既に三十分を越えて剣を振るっている。アッシュは肩で息をしながらも、アルビオールに飛び乗ってくる魔物を蹴散らし走る。

 

「アッシュ! 交代よ、中に入って休んで! 今からもう四人出るわ」

 

ハッチを過ぎた時、後ろからティアの声が聞こえた。アッシュは足を止め、正面に迫る魔物を切りつけながら叫び返す。

 

「何かあったのか!」

 

「前方に百体近く来ている! 船を墜とされる前に倒さんとならん!」

 

横から巨大な鎌が現れたかと思うと、それはアッシュの死角から襲いかかって来ていた三体の魔物を一振りで刈り取った。

 

黒いキムラスカの紋章が刻まれた鎧が、アッシュの横を過ぎ去って行く。

 

「アッシュはもう休んでて! 今だってラルゴがいなかったらやばかったじゃん!」

 

「そうよ。もう予定から外れてしまったのだから、次に備えて休憩を」

 

黒い鎧の巨漢――ラルゴに続いて、導士守護役の導着と師団長の黒い導着を着た二人の少女――アニスとティアが走り抜け様に声をかけて行った。

 

「ちっ……ローテーションが崩れたってことは、もうそろそろ限界だってことだろうが」

 

後三十分も進めば、膨大な量の音素で構成された球体に到着出来る。しかし今の状況を考えるに、それは無謀な試みだろう。

 

「まだ限界ではない。安全な脱出方がしっかりと準備されているんだ、あれを観測出来る地点までは何としてもたどり着いてみせる」

 

舌打ちをして吐き捨てた独り言に、予想していなかった反応があった。アッシュはそのことにもう一度舌打ちをして、声の主を睨みつける。

 

「あいつ等は走って行ったが、てめえは呑気に歩いていていいのかよ」

 

「あの三人の仕事はまとめて敵を吹き飛ばすこと、私の仕事はその生き残りを――一匹と余す所なく殲滅することだ」

 

今だってもう、その準備に入っている――そう続けたリグレットの両の手に納まった譜銃は、仄かに発光していた。

 

「……まあいい。――しくじるなよ」

 

「誰に言っている。最近はあの不本意な名でばかり呼ばれるが――私は元六神将『魔弾』だぞ」

 

悠々と横を通り過ぎて行ったリグレット。その形作られた不敵な笑みに、一瞬かつて師と仰いだ男と、あの憎むべきレプリカが重なって見えた。

 

リグレットの腰に吊された鞘――その中の奴の遺品が、あたかも自分を嘲笑うかのように律動した気がして、アッシュは無言で背を向けた。

 

先程ガイとアリエッタは、まだ大丈夫だと言っていたが、実際はもう殆ど余裕はないだろう。今もアリエッタは上級譜術を放ち、ガイはアルバート流シグムント派の奥義を惜しまずに振るって戦っている。

 

「観測機の有効範囲まで特攻、データが取れ次第譜術障壁を展開して飛行モードで全速で撤退だ! いいな!」

 

「了解です!」

 

ハッチから内部に向かって叫び、操縦士ノエルの短い返事も最後まで聞かずに、十を超える敵に囲まれ始めたガイとアリエッタに向かって、アッシュは剣を握り締め走り始めた。

 

 

*

 

 

杖とナイフの手入れを終えたティア・グランツは、少しだけ開けた入口から、何時もより濃い闇が広がるテントの外を見渡した。

 

「あらら……まだ終わってないみたいだね」

 

「そうね、明日からの行動方針で揉めているのだと思うわ」

 

ティアは作戦会議中の司令部テントに視線を向けたまま、横から同じように外を覗き始めたアニスに相槌を打った。

 

今この区域では、飛行譜石が乱れた音素の影響で上手く機能しない。ジェイドが用意していた特殊な譜術障壁を展開し、その影響を軽減させてアルビオールの飛行モードで戻って来たのは、今から三時間前のことだった。

 

情報収集にかかった時間は合計して二十五時間、後二日で戦力が集結する。よって仮眠に入ったティア達と違い、ジェイドとアッシュとリグレット、そしてシンクとイオンは、その時に向けて両将軍と作戦を詰めていた。

 

「ねえ、ティア。これからどうなるのかな……。解決策って、あの空の音素の塊を消すしかないんだよね?」

 

「……大佐は、そう言っていたわね」

 

「うぅー、一年前のあれでしょ? 私達で勝てるのかな」

 

隅に置いた寝袋の所まで戻り、腰を下ろしたアニスが難しい顔をして唸る。ティアもアニスの隣に座って、まだ深い眠りに落ちているアリエッタとナタリアに、毛布を掛け直してやった。

 

「勝たなければならないのよ、私達は。それにアニスだって、ルークが作ってくれた時間を、無駄に使ってきたわけではないでしょう?」

 

言葉に出して、胸に痛みが走った。死んだ兄と彼――気持ちの整理はとうの昔につけたのに、今日のことで再び乱れてしまった。

 

――ヴァン・グランツが、敵である可能性も出てきました。

 

何とかレーダーの有効範囲まで辿り着き、得たデータを分析したジェイドの言葉だ。

 

ヴァン・グランツ――ルークの手で文字通り消滅したはずの兄の振動数と、空に浮かぶ音素の球体の振動数が同値を示している。

 

その結果は十分にジェイドの言葉を裏付けるもので、同時に一年前のようにヴァンという元凶を何とかすることが、事態解決の最もな手段であることも示していた。

 

ティアの心は複雑だった。リグレットはヴァン生存の可能性を知った時、ティアの目から見れば一目瞭然で分かるほどに歓喜していたが、ティアは素直にそれを喜べない。

 

もう一度あの兄に会えると思えば、嬉しくて泣きそうになる。しかしヴァンがあの時の――ルークの言葉を借りれば操られている――状態のままで、誰の言葉にも耳を傾けなかったならば、どうすれば良いのか。

 

――もう一度、肉親を殺す覚悟をしなければならないのか。

 

アニスにかけた気丈な言葉とは真逆の心境に、自然とティアは伏し目がちになっていた。

 

しかし、そんな形だけの言葉でもアニスには多少の効き目があったらしく、浮かぶ表情にだんだんと活力が見えてくる。

 

「……うん。そうだね……そうだよね。ごめんごめん、アニスちゃんちょーっとだけ弱気になってたよ。でももう大丈夫だからさ、何でもかかってこいやーっ! って感じで!」

 

あんなボールも総長も、トクナガでぶっ飛ばしてやる! そう冗談めかして言うアニスに虚をつかれ、ティアは暫し呆気に取られた。それからくすりと笑い声を漏らす。

 

良く気が回るアニスのことだ、一番落ち込んでいるのが誰か直ぐに気付いたのだろう。

 

「ありがとう、アニス」

 

「え、え~!? は、励ましてくれたのはティアの方じゃん、アニスちゃんは何にもしてないよ~!」

 

「ええ、そうだったわね。ごめんなさい」

 

「そうだよそうだよ、間違えちゃだめだよ!」

 

口元を隠して微笑むティアから顔を反らして、アニスは照れくさそうに継ぎ接ぎだらけの人形をいじった。

 

それから暫くして、会議を終えたリグレットがテントに来た。五時間後に作戦の説明があるとだけ伝えて、今は深く深く眠っている。

 

リグレットと入れ違いに目を覚ましたアリエッタと一緒に、ティアとアニスは軽く食事を取る。簡単なものだったが、軍属である三人には慣れた味で、大して気にならない。

 

「ねえねえ、私はイオン様付だからいいけどさ、二人は師団のみんなをほったらかしにして来てよかったの?」

 

「大丈夫よ、指揮権はもう譲渡済みだから。私より古参で用兵に長けてる方だから……まあ、言ってしまえば象徴の私は、ここで先に戦っている方が効率的なの」

 

「アリエッタのところは、みんながここに来るの嫌がってたから……」

 

ふとしたように疑問を口にしたアニスに、苦笑しながら答えたティアとアリエッタ。アニスは中途半端に止めたアリエッタに、そういえばそうだったと納得してと頷く。

 

「アリエッタのとこって、人間あんまりいないもんね。みんなって魔物のことでしょ、嫌がるってどうしちゃったわけ?」

 

「あのね……みんな恐いって言って、隠れてるの」

 

「アリエッタの師団は、今回はダアトの守りを担当するの。オラクルの兵士はともかく、他は魔物と一緒に戦うのに慣れていないし」

 

ティアは補足して、少し落ち込むアリエッタを慰める。何時も一緒にいるライガも来ていないから、心細いのだろう。

 

「へぇー、何か大変そうだね。ライガ達が怖がってるって言うけど、アリエッタは大丈夫なわけ? 野性の本能的に危険ってことなんでしょ」

 

「アリエッタも……恐いよ。総長と戦った時とおんなじで……逃げないとだめな感じがするもん」

 

うつ向いてぬいぐるみを抱きしめるアリエッタ。魔物に育てられただけあって、本能的に危険を察知する能力に長けている彼女の言葉に、ティアは僅かに眉を寄せる。

 

「ねえ、アリエッタ。アリエッタもやっぱり、あの中に兄さんがいると思う?」

 

「……よくわからないけど、たぶん。でもね、総長とはちょっとだけ違うの。えっと……えっと……」

 

曖昧に答えて、どう続ければいいか迷うアリエッタに、ティアは質問を変えた。

 

「あの中にいるのは、一年前に戦ったヴァン・グランツということでいいのね?」

 

「うん……。前までの総長じゃない総長……だと思う」

 

何となく感じたままを伝えているアリエッタは、自信がなさそうだったが、それでもジェイドの分析と合わせて考えると、やはりそれがほぼ真実なのだろう。

 

「ティアってば大丈夫? ちょっと顔青いし、寝てた方がいんじゃないかな。ほら、気持ちの整理とかは一人の方がやりやすいだろうしさ」

 

「いいの、大丈夫よ」

 

心配そうに顔を覗いてくるアニスに少し微笑んで見せて、ティアはゆっくりと首を横に降る。そんな様子に首を傾げたアリエッタが、不思議そうにティアと眠るリグレットを交互に見た。

 

「ティアは嬉しくないの? 総長、生きてたのに」

 

「あ、あんたねぇ……! 少しは考えなさいよ! ていうか軽! 何でそんな死んだ人が生き返ったっていうビックリ現象をそんな脳天気な顔で…………って、そっか、根暗ッタは総長もルークも生きてるって思ってたんだっけ」

 

無邪気に質問したアリエッタに、アニスは唖然として声を上げたが、しかし直ぐに落ち着きを取り戻し、仕方ないと呆れ果ててため息を吐く。

 

「思ってたけど……でもね、アリエッタ、ほんとうに総長が生きてるって、思ってなかったよ。アリエッタも……びっくりしてるもん」

 

「んん? どういうこと、意味不明なんだけど……」

 

首を傾げて眉間に皺を寄せるアニスに、アリエッタは少し混乱して続ける。

 

「えっと、えっと……あのね、ルークも総長も生きていてほしいから……死んだって思ったらだめだと思って……」

 

「ふーん。なるほどねー、そういうことか。でもアリエッタって意外とシビアだしリアリストじゃん、リグレットもシンクもだけど、何からしくないよね」

 

ティアもアニスとほぼ同じ気持ちだった。確かに目の前で二人が死ぬのを――超振動で肉体が分解されるのを見たのだ。楽観的には考えようもないから、現実逃避に近いものがあるのだろうが、それはリグレットにあまりにも似つかわしくない。

 

「……アリエッタも、よくわからないけど……たぶんリグレットは、そう思っていないと……壊れちゃうの」

 

「壊れる?」

 

「うん。リグレットね、時々夢でうなされてるの……ごめんなさい、って何回も繰り返して。たぶんね、二人が死んだって信じたくなかったんだと思う。でも今日、総長が生きてるかもしれないって分かったから、まだ全部終わったわけじゃあなかったから……とっても嬉しそうだった」

 

アリエッタにしては饒舌に、そして臆することなく語られた事実に、ティアは今は穏やかに眠るリグレットをまじまじと見つめた。

 

この一年どこかぎこちなくて、ティアとリグレットの間に存在し続けた少しの距離。何故そんなものが出来てしまっているのか不思議だったが、今なら少しだけその理由が分かる気がした。

 

だから――

 

「私も、嬉しいわ。確かにちょっと戸惑ってもいるし、恐くもあるけれど――もう一度兄さんを取り戻せるチャンスなんだもの――嬉しいわ」

 

――ティアは見つめてくる二人の少女に、自然と微笑みを浮かべて、しっかりとそう言えていた。

 

 

*

 

 

世界の命運を賭けた作戦とは、単純なものだった。

 

時が流れれば流れるだけ敵の数が増え、障気汚染の濃度が高まる現状。つまりこの未曾有の危機を乗り越えるには、早期決着以外に手段はない。

 

そういう結論から導かれた作戦は即ち――全戦力をもって空に浮かぶ巨大な球体に進撃する。人間の存亡を賭けるにしては、あまりにも単純で強引な作戦だった。

 

「で、僕達は本隊到着までの間、ゴミ掃除をしてなきゃならないって……わけっ!」

 

軽やかに跳躍して、全身を捻りながら放ったシンクの後ろ回し蹴りが、虹色の魔物もどきの頭部を砕く。

 

「それは宜しいのですが、何故戦場で説明をしますの!」

 

「ちょっとした予行演習だよ、指揮や伝達の。余裕があるうちにやっとこうかと」

 

ナタリアの弓が鋭い音を奏で、シンクの拳が風を切る。

 

「連携の確認というのもありますね。あくの強い人間ばかりですから」

 

「士気を高めるのも目的――ですよね、教官」

 

「む……そうだが、何かあったのか?」

 

「はい、いいことがありました」

 

ジェイドの発動させた上級譜術――渦巻く火炎が敵を飲み込み、やる気に満ちたティアのナイフと、若干戸惑うリグレットの弾丸が敵を貫いた。

 

四足歩行の魔物もどきの数は、球体の近くに比べればかなり少ない。加えて個体の力がそれほど脅威でないので、重傷を負うこともほぼなかった。

 

最前線に立ち、中心地より数匹単位でやってくる敵を蹴散らし、その残骸が再び動き出す前に一ヶ所にまとめる。そして復活した魔物のもどきを、譜術で一掃。

 

一人当たり数分に一体を片付ければ事足りる現状は、確かに死亡する確率は低いが、その作業を数日前から延々と続けている兵士達の精神面は、かなり重大な問題だった。

 

敵を倒しても倒しても復活し、時がたてばたつほど次第に数が増す。さらに障気汚染の可能性。

 

今はまだ少ないが、このままいけばたった一日でもノイローゼになる者はかなり出るだろう。

 

その対策として、かの英雄と共に戦った者達が戦場に現れたのだ。平和を司る導師イオンに率いられる、という形で。

 

「イオン様、きつかったら直ぐに言って下さいね。絶対無理しちゃダメですからね」

 

「トクナガに乗せてもらっていますから、大丈夫ですよ。アニスの方こそ、無理をしてはいけませんよ。アニスもみなさんも、明日の作戦の中核なのですから」

 

巨大化した継ぎ接ぎだらけのぬいぐるみ――トクナガの背で心配そうな声を漏らしたアニスに、イオンは安心させるように微笑む。

 

「それにダアト式譜術は無理でも、普通の譜術なら連発しても身体に負担はないですから。こうして少しでも、ここで戦い続けている皆さんの力になることが、僕に出来る数少ないことです」

 

トクナガの上――高い目立つ場所から譜術を放ち、導師が敵を一掃する。その姿は確かに、兵士達の萎えかけた気力を奮い起たせるにはもってこいだった。

 

それを理解しているアニスは、薄く障気が立ち込める戦場で、普段よりも青白く見えるイオンを、ただ我慢して見つめるしかない。

 

「……ダアト式譜術だけは、使わないで下さいね。少なくとも今は、使う時じゃないです」

 

「はい、わかってます。アニス――ありがとう」

 

「…………はい」

 

戦闘を初めてまだ数分。その短い時間で額から汗を吹き出し、青白い顔で荒くなった呼吸を繰り返しているのに、それでも優しく微笑み礼を言うイオン。

 

アニスは前衛が食い止めている敵を睨みつけ、手が白くなるまで握り締めた杖を上空にかざして譜術を放った。

 

縦横無尽に戦場を駆け、敵を圧倒する導師率いる独立隊により、疲労と戦力差から窮地に立たされている部隊は、その勇士に歓喜と興奮の声を上げ押し返し、崩壊寸前の部隊は助太刀によって状態を持ち直していった。

 

 

*

 

 

「お疲れ様です、皆さん。兵達の士気も高まりましたし、マルクト軍の本隊も到着しました。ですので討伐の方はこれで」

 

小休止を入れて計五時間の戦闘を終え、本格的な休息の為に戻った本拠地で、フリングス小将が労いの言葉と共に報告を行う。

 

「キムラスカのファブレ元帥、並びに各将軍方もアルビオール二号機で先に到着しましたので、一時間後に作戦の詳細の打ち合わせが予定されています。お疲れとは存じますが、全員出席してくださるようお願い申し上げます。あなた方は作戦の中核ですので、出席いただかない訳にもいかず……もう少し時間を置ければよかったのですが……すみません」

 

「構いません。本来ならば直ちに会議に入るのが最良なのです、お心遣い感謝します」

 

泥と汗にまみれた面々を申し訳なさそうに見るフリングス小将に、リグレットがゆるりと首を振る。仮眠と最低限の身だしなみを整える時間を計らってくれただけでも、ありがたかった。

 

各自疲れた身体を引きずりながらテントに戻り、簡単に汚れを落とす。会議に備えて男性陣用のテントで横になったガイは、難しい顔をしていた他のメンバーに声をかけた。

 

「なあ……何か不気味だと思わないか?」

 

「ああ、不気味だな」

 

同じく毛布を被り横になっているアッシュが、背を向けたまま同意する。

 

「あの球体付近に比べて、敵の数が明らかに少なかった。いくらかなりの距離があるからと言って、密度の差が激しすぎる」

 

「あれの近くは、それほど数が多かったのですか?」

 

忌々しそうに吐き捨てられた言葉に、イオンが疑問の声を上げる。ガイは寝返りを打ち、イオンの方を向いて頷いた。

 

「球体の真下につく前に引き返したんだが……俺達だけじゃあ万全の状態でも、どうやったって辿り付けなかったと思う。特にあれまでの二百メートル間は……何て言うか……」

 

「うごめいてる。ほら、ちょうど最近営業許可出したケーキ屋の、オープンセールの時ぐらい」

 

「それは……なるほど、物凄い密集具合ですね」

 

言葉を探すガイに代わって、至って真面目に例を上げたシンク。イオンは見る見る顔を青ざめさせ、神妙に頷いた。

 

「あそこにヴァンが……敵の核があるのですから、当然と言えば当然のような気もしますが…………やはりこれからまた、新たに何かあるのでしょうか?」

 

「それはわかりません。ただ何かあるとだけは、覚悟しておいた方が賢明でしょう」

 

今まで黙っていたジェイドが、やや強い調子で割り込んだ。

 

「今はそれを考えるより、休息を取るべきです。疲れていてはまともな思考もできません、会議の場で意見を交わす方が遥かに有意義でしょう」

 

「あ、ああ……そうだった。しっかり休んどかないとな。悪かった」

 

血と雄叫びに溢れた戦場で戦い続けていると、人間は一時的に強い興奮状態になると聞く。疲れはピークに達しているのに、普段より会話に熱が入りかけていたガイは、はっとして謝った。

 

戦うことには慣れているが、やはり軍人ではないガイやイオンにはその辺りの意識がおろそかになっている。

 

「それでは皆さん、私は寝ますので。最近は歳のせいか疲労がなかなか取れませんでしてねえ、私の安眠に少しでも協力して下さいよ?」

 

「俺ももう寝る。起こすなよ」

 

おどけるジェイドと有無を言わせないアッシュの宣言で会話が打ち切られ、暫くして静かに寝息が響き始めた。

 

 

*

 

 

「それでは各軍がアルビオール一号機から三号機までを護衛――目標下に到着後、アルビオールは障壁を展開し目標に突入、そして予想される敵本隊を撃破。なお左からキムラスカ、オラクル、マルクト軍が展開。――宜しいですね?」

 

会議でまとまった作戦を、導師が読み上げていく。書面より顔を上げて、目にかかったくすんだ緑の髪を払い、キムラスカ軍ファブレ元帥、マルクト軍ノルドハイム将軍、オラクル騎士団リグレット揺将に順に視線をやり確認をとった。

 

「それではアルビオールに搭乗予定の――目標への突入要員の確認をお願いします。キムラスカ軍、ファブレ元帥」

 

「はい。キムラスカ軍よりは、二十名程を。五名の第七音素譜術士、七名の譜術士、八名の剣士の構成です。そして軍属ではありませんが、キムラスカ・ランバルディア王国よりナタリア・L・K・ランバルディア殿下、アッシュ・フォン・ファブレ子爵、ラルゴ王女親衛隊長が同行予定です。なおキムラスカの指揮権は、アッシュが持つこととなっております」

 

「わかりました。次はマルクト軍、ノルドハイム将軍」

 

「はい。構成は第七音素譜術士が五、譜術士が八、剣士が八の二十一名を予定。それに加えガイラルディア・ガラン・ガルディオス伯爵と、オラクル騎士団より出向のティア・グランツ殿が同行されます。譜術士隊のジェイド・カーティス特務小将に指揮権を与える予定です」

 

「わかりました。リグレット揺将、ティア・グランツの出向は問題ありませんね?」

 

「はい。問題ありません」

 

リグレットの返答にイオンは頷いて見せ、各軍の最高司令官――二人とも大柄で壮年の眼光の鋭い男――に着席するよう手で示した。

 

「私は三ヵ国連合軍の最高司令官として、オラクル騎士団に三名の守護役と共に同行します。オラクル騎士団の構成は、リグレット揺将」

 

「はっ。オラクル騎士団からは四名の第七音素譜術士、七名の譜術士、七名の剣士――この場におります、シンクとアリエッタ、そしてこの私の二十一名を予定しております。なおシンクは治癒術は扱えませんが、攻撃用第七音素譜術を扱い、アリエッタは補助に特化した第七音素譜術を扱いますので別に上げさせて頂きました。それとですが、マルクト軍に出向するティア・グランツは攻撃、補助、治癒の第七音素譜歌を扱いますので、ここで補足しておきます」

 

「連合軍の最高司令官は私となっておりますが、オラクルの指揮を取るのは彼女ですので予めご了承下さい」

 

補足を入れて、導師はもう一度席につく全員を見回した。大きな円卓に導師を十二時として両側にオラクル騎士団、二時から六時までをキムラスカ、六時から十時までをマルクトの、それぞれの将軍や参謀などが座っている。

 

既に決まっていた作戦の概要を読み上げ、集まった将軍達に確認を取り、細かな隊列などを決める会議。殆どもめることもなく、速やかに進行したのは、空前絶後の怪奇かつ危険過ぎる事態なだけに、自然とそれを打破出来うる対策は限られているからだった。

 

「ではこれで、一度目は終了とします。次の招集はキムラスカ軍とオラクル騎士団の本隊が到着し、装備等の状態を確認してからを予定していますが、何かあれば各軍の代表の意思で迷わず招集をかけて下さい。――それでは、解散」

 

告げられた言葉と共に次々と立ち上がり、軍の編成を始める為に控えていた伝令を走らせた。

 

第七音素を攻撃に使用できる者がおらず、ジェイドとガイとの連携に比較的慣れている為に、マルクトへの出向が決定したティアは、若干の不安と共に立ち上がり一度周りの様子を見回した。

 

今の今まで毅然と司会を務めていた導師イオンは、酷く疲れた様子で椅子に深く座っていた。

 

ずっとイオンの斜め後ろに控え見守っていたアニスが、心配そうな顔で水を飲ませ介抱している。

 

「あーあ、だから休んでろって言ったのにさ。僕らは成り変われるんだから、利用出来るもんを利用しないなんて噴飯ものだよ――絶対しないけど」

 

「そういう訳にはいきませんよ。と言うかシンク、そういうことは……」

 

「大丈夫だって、マルクト側のお偉いさんはもう出てったし。ファブレ公爵だってそう思ってるってよ。ですよねー、公爵?」

 

円卓に肘をついたままイオンの隣に座るシンクは、大して興味もなさそうに鳥の嘴のような仮面を外して、導師と同じ顔をもって、未だ席についているファブレ公爵に話をふる。

 

何とはなしに二人の会話を眺めていたティアは、思わず息を呑んだ。一国の公爵にどういう口の聞方をしているのだ。

 

「部下から導師の活躍は聞き及んでおります。この後も最前線に立って戦われるお体なのですから、ご自愛下さい。次の会議ではシンクの助言に従うのも、一つの選択かと」

 

「そうそう。僕もあんたも、ダアト式譜術は連発出来ないんだからさ、戦う前に潰れられたら困るんだよね」

 

アッシュと同じ紅の長髪のファブレ公爵は、気分を害した様子もなく導師を労る。厳格そうな顔立ちだが、纏う雰囲気は案外柔らかく、導師を本当に心配している様子だった。

 

会議の場に残ったのは、ジェイドとガイを除いた一年前のメンバーと、ファブレ公爵のみ。

 

ティアは一年前、まだルークと別れる前――アクゼリュスに向かうことが決定した頃、一度ファブレ公爵と話したことがあったが、その時とは少し雰囲気が違っていた。何というか、丸くなっている。

 

暫し呆然としていると、席を立ったアリエッタがとことこと公爵に近づき、頭を下げる。

 

「あの……、公爵……おひさしぶりです」

 

「元気そうだな。式典には出席していなかったから、最後に会ってから随分と立つ。また今度、シュザンヌに元気な顔を見せに屋敷に来なさい。歓迎しよう」

 

「あ……えっと……いいの?」

 

「シュザンヌが寂しがっている。遠慮をする必要はない」

 

「は、はいっ!」

 

嬉しそうに瞳を輝かせるアリエッタの長い桃色の髪を、公爵は慣れない手つきで撫でた。

 

「ち、父上……頭は大丈夫ですか?」

 

唖然と目と口を開き、アッシュがそんなことを言う。

 

物言いはとんでもないことになっているが、ティアにも言いたいことは納得できる。アッシュがそれほど混乱しているのだということも、理解はできる。

 

「私にも、最近はあのような感じですわ。アッシュの前では、絶対に見せませんが。まあ、アリエッタの場合は……」

 

ナタリアに視線で助けを求めてみれば、苦笑気味にそんな答えが返って来た。

 

ルークとリグレットとシンクと一緒に公爵邸にお泊まりをした、と嬉しそうにアリエッタが話してくれたことがあったが、公爵はその時に冷た過ぎる態度を見せれば彼女は泣くだろうことを、きちんと理解していたらしい。

 

「イオン様、そろそろ……」

 

「はい、そうですね。ファブレ公爵、ご厚意痛み入ります。それでは私達は明日に備えて、そろそろ失礼しますので」

 

一刻も早く休ませたいと提言するアニスに頷き、イオンは公爵に軽く会釈をして席を立った。それに合わせてリグレットも立ち上がり、テントの入口に向かうイオンとアニスの背を追う。

 

「ティア」

 

「はい」

 

向けられたリグレットの視線を理解し、ティアは一同に頭を下げた。

 

会議はもう終わったのだし、退出するには丁度良い機会だ。面倒そうにシンクもアリエッタの襟首を掴んで、半分引きずるように着いてくる。

 

「リグレット揺将」

 

外に踏み出そうとしていたリグレットを、公爵が静かに重たく響く声で呼び止めた。一年前より少し延びた、大きな髪飾りで後ろに束ねられた金色の髪が、戸惑うように揺れる。

 

「各地のパッセージリングに、度々何者かが立ち入った痕跡が確認されている。それと、懇意にしている情報屋の幾人かが、何者かが湯水のように金を使い、二人の男を探していると溢していた」

 

「そのようですね。私の所にも情報が来ています」

 

公爵の突然の問いかけにリグレットは振り返り、事務的な相槌を打つ。不自然さがまるでないことが、逆に不自然だった。

 

少し重くなった空気。緊張で無音になった空間に、軽過ぎる手を打つ音が二つ間抜けに響いた。

 

「あ、それ何処かの騎士団の総長の――ったぁっ……!」

 

「あ、それリグレットの――いたっ……!」

 

「いきなりバラすな!」

 

悪意に満ちたシンクと善意に満ちたアリエッタの頭が、一方は鈍い、一方は軽い音をたて殴られた。

 

リグレットは額に手を当て顔を隠し、深くため息を吐く。それからおもむろに腰の鞘から木刀を引き抜き、眼前に掲げて公爵を見据えた。

 

「私は――まだ諦めていません。どんなに醜かろうと、どんなにみっともなかろうと、どんなに惨めたらしくとも――私は諦める訳にはいかない。あの時、これに――ルークの木刀に誓った。約束は、絶対に守らなければならない」

 

「……ヴァンは、生きていたようだな」

 

「…………」

 

公爵の意図の掴めない無機質な返答に、リグレットは沈黙する。

 

ティアは顔を伏せた。ルークを殺したのは、間違いなくヴァンなのだから。公爵が憎しみをこちらに、自分やリグレットに向けても何らおかしくない。

 

しかし公爵はティアの罪悪感に反して、僅かに目を細め、口元を緩めた。そして二人を――ティアとリグレットを、優しげな瞳で見つめる。

 

「ヴァンを取り戻し、君達は幸せになりなさい。ルークのことを君達が気に病む必要はない。あの子が生きていようが死んでいようが、何時までも過去に囚われ続ける君達を見て、幸せであるはずがない」

 

「公爵……」

 

ルークは死んでいて、ヴァンは生きている。それは確かに後ろめたく、ヴァンの生を素直に喜べない理由でもあった。

 

だから公爵の言葉に、様々なものが赦された気がして、そして何より――兄が生きているという確かな実感が得られ、ティアは瞳に涙を浮かべた。

 

「…………ちがう」

 

「え……?」

 

後ろから聞こえた、消え入りそうなかぼそい良く知っている声に、ティアは振り返る。

 

「……ちがう……違う……私は――私は……!」

 

悲鳴のような声を上げ、リグレットが泣きそうな顔で手の中の木刀をすがるように見る。そしてそれを強く握りしめ、一礼して逃げるように外へ走り出した。

 

「きょ、教官っ!? あ、えっと……ありがとうございました、失礼します!」

 

一瞬の焦慮の後、ティアは公爵に礼と無礼に頭を下げ、リグレットを追うため外に飛び出した。

 

リグレットはテントが並び立つ一画より少し離れた、人の気配のない場所に佇んでいた。

 

その背中にどう声をかけようかと暫し悩んでいると、振り返らないままリグレットがため息を漏らした。

 

「すまなかったな、ティア。後で私から公爵に非礼を詫びておく」

 

「……はい。私も飛び出してきてしまったので、お願いします」

 

予想していた普段通りの冷涼な声に、ティアは少し可笑しくなって緩んだ口許を手で隠す。

 

いくら取り乱そうが、リグレットは絶対に直ぐに冷静さを取り戻す。

 

しかし人前で激情を露にすることも絶対にないリグレットが、あそこまで感情に任せた行動を取ったからこそ、ティアは不安になって追って来たのだ。

 

「教官……さっきのこと、聞いてもいいですか?」

 

「…………ティア、人が本質を見せる時とは、どのような時だと思う?」

 

質問に質問で返され少し戸惑うが、今までリグレットが問掛けを変に誤魔化したことはなかった。答えたくない時ははっきりとそう告げる人なので、ティアは大人しく質問の内容を考える。

 

「特に親しい……それこそ家族やそれに近しい相手に、でしょうか」

 

「私は、偶然に限ると思っている。例えば先程のようにな」

 

「偶然……ですか」

 

自分はロマンチストではないが、それは少し寂しい答えに思えた。

 

未だ背を向けたままのリグレット。何だか拒絶されているように感じながらも、ティアは意を決っしてリグレットの横に歩み並んだ。

 

「どちらですか、教官が見たのは?」

 

今までリグレットと兄とルークに関する会話を避けてきたのは、ティアの方だ。だからけじめとして、自分から一歩を踏み出し、聞いた。

 

「兄さんとルーク、どちらの本質を見たんですか?」

 

「ルークだ。ロニール雪山でこれ以上ない程の偶然、悪夢にうなされる――いや、願望の実現を夢にまで見て寝言を漏らすという形でな」

 

「……聞かせて下さい」

 

隣のほんの少し高い位置にあるリグレットの顔は、優しく微笑んでいた。

 

ルークの本質。それはとても魅力的な言葉に感じる。憎からず想っていた彼の本質、教官にこのような穏やかな表情をさせる本質。

 

彼はとても優しい人間だったから、きっとリグレットもそう言うのだろう。

 

「ルークの本質、根源は――純然たる憎悪と殺意だ」

 

「――――…………え?」

 

「遭難して気絶していた私は、叫び声で意識を取り戻した」

 

淡々と、それでも優しく語るリグレットを、ティアは呆然と見つめる。表情と内容が、まるで一致していない。

 

「殺してやる、と何度も繰り返して。幾度も閣下の名前や、自分を利用した人間の名前を叫んで。私は人間があそこまで憎しみに満ちた叫び声を出せるなんて、知らなかった。私は恐くなって、震えて耳を塞いで目を瞑っていたから知らないが、私の名前もあっただろうな、当然」

 

「え、でもルークは……! ルークは教官のことも、アリエッタもシンクも……!」

 

「だから、それがルークの、自分で正しく理解出来ているかどうかも怪しい本質だ。ルークを動かす最初の衝動は、全てそこから来ている。そしてその上で、アクゼリュスのことを全て自分だけの責と背負い込み、私達を許しているの。それも偽りのない本心、本質。……夢が悪夢に変わったところを話せば分かり易いが、そこからはルークに口外しないと約束したからな」

 

まるで想像がつかない。リグレットが脅えて震える様も、リグレットにそれほどの反応をさせるルークの内の狂気も。

 

そして何より、まるでルークが人を殺したくて仕方がなかったという口ぶりが、ティアには理解すらもできなかった。

 

「私はな、ティア。ルークを被害者にする覚悟はあったが、加害者にする覚悟は全くなかったの」

 

「……アクゼリュスのことですか」

 

「そうだ。私が思い描いていたルークの姿は、オリジナルの身代わりとして、その力で一つの街を消す為だけに製造された出来損ないの道具で、哀れな被害者。それがどうだ、本人の認識は何処までも加害者で、道具どころか私などよりも余程人間らしい人間だった」

 

何が楽しいのか、リグレットは薄く笑っていた。何も反応を返せないティアの耳に、嫌でもぞっとする程冷たい声が入ってくる。

 

「ルークに狂気と憎悪を植え付け、あんな自殺まがいの偏った生き方を強制させたのは、紛れもなく覚悟も何もしていなかった、楽な道を選んだ私なの。――それなのにルークのことを気にせずに、自分だけ幸せに生きるなど、私には到底できない」

 

「…………教官は……」

 

嘲笑でもなく、冷笑でもなく、ただひたすら楽しそうに薄く笑うリグレットに、ティアは身体が震えるのを抑え、喉からかすれた声を絞り出す。

 

「教官は……教官は、ルークを探して――――何をするつもりだったんですか……」

 

リグレットはその問いに、浮かべていた微笑を消し、何時も通りの淡々とした無表情で、無機質に返した。

 

「――あの子に、殺して貰おうとしていたの」

 

 

*

 

 

「…………はぁ」

 

「かなり疲れてるようだけど……やっぱり気まずいよな」

 

ティアは到着した自分が率いる師団の状況を確認し、今回の任務のことを告げ激励を送った後、マルクト陣営に来ていた。出向ということで別国の軍に一人違う軍服を来て混じっている現状も、確かに多少はストレスではあるが、疲れの原因は別だ。

 

陸上戦艦の甲板から、同じくそこに鎮座するアルビオール、そしてその向こうの巨大な音素の塊を見上げる。

 

昨日よりも濃くなっている紫色をした障気が光を遮り、遠くの方までは良く見えないが、確かにそれは大きさを増している。

 

「作戦は……今日なのよね」

 

「ああ。後一時間で最後の作戦会議だよ」

 

隣で同じく遥か向こうの空を見る青年の金髪に、嫌でも昨日の上司が重なる。

 

――冗談だ、冗談。ただ私は、ルークに謝りたいだけだ。少しでも償いたいだけだ――

 

殺して貰うなどと言い放った後に、至って普通にそんなことをリグレットは言った。

 

償うと言うが、どう償うつもりなのだ。本当にルークの根底にある望みが復讐なら、真面目で責任感の強い彼女なら命を差し出してしまいそうで、それこそ冗談になっていない。

 

「ねえ、ガイ。復讐して、幸せになれると思う?」

 

「それは……個人によると思うけど、少なくとも俺は幸せになれなかったと思う」

 

困ったように短く刈られた髪をかいて苦笑したガイは、それからため息を吐いてティアの瞳を覗き込む。

 

「さっきからまるで話に脈絡がないけど、本当に平気かい?」

 

「ええ。挨拶もしてきたし、有能な方に託してきたし、私の師団は心配ないわ」

 

「…………ちょっと、ジェイドに良い薬ないか聞きに行こうか」

 

ガイが心配そうに眉間に皺を寄せ、近くにいた兵士を呼び止め質問をする。ティアはそれをぼんやり眺めながら、袋小路に入り込んだ思考を半強制的に切り替えた。

 

ガイに脈絡のない質問を幾度と繰り返したのもちゃんと認識しているし、例えルークが生きていてもリグレットを殺すような真似をしないこともわかっている。

 

今自分がしていることは、下らぬ杞憂だ。ただ単に、今日の決戦を前にして不安定になっている精神が、色々と余計な事を考えさせているだけだ。

 

今考えるべきなのは、今日の戦いの事。

 

要になるのは自分なのだ。敵の核を討つことが任務だが、そのためには先ずあの音素の殻を破る必要がある。

 

そしてそれを成せるのは、第七音素を攻撃に転用出来る数少ない者達だけ。全軍で出撃するということだが、そんなものは気休めにしかならないというのが実情だった。

 

しかも敵戦力の増加速度から考えれば、この未曾有の危機的状況を乗り切る機会は、今しかないのだ。

 

深呼吸をして雑念を捨て、任務にだけ意識を集中させる為に軍人としての仮面を被り直したティアに、ガイが見計らったように声をかける。

 

「ティア、丁度いい。ジェイドもいるらしいから、そろそろ司令部に行こ――って、何だっ!?」

 

「え! これは……!?」

 

突如、何の前触れもなく、世界が揺れた。――否、前触れはずっと存在していた。

 

数日前から異常な形で存在していた、膨大な量の音素で構成された虹色の球体が罅割れ、障気に満たされた薄暗い世界を照らす。

 

――アァァァアアアァアアアアァァァアアアアアァアアァアァァァアアアアアァァアアァァァァアアアアァァ――――

 

轟音、そして振動。まるで産声のような空気の唸りが世界を満たし、まるで鼓動のような空気の揺れが世界を打ち鳴らす。

 

それはまさしく、罅割れた球体を突き破り、生まれ落ちた何かの産声と胎動だった。

 

「…………な、何なんだ……アレは……。巨大な人……いや、化物か……?」

 

不気味に虹色に輝くそれは、遥か離れた場所にあるにも関わらず、はっきりと姿形が見て取れる程ひたすら巨大だった。出来損なったような乱暴で乱雑な外観をした胴体に、暴力を体言したかのような腕と認識出来ない程の二本の凶悪な腕。

 

たったそれだけの、雑で単純な造形。だというのに何処か神々しく、そしてただひたすら神々しかった。

 

「……ガイ、行きましょう!」

 

一年前の兄――音素を従えていたかのような何かを彷彿とさせるそれに、しかしティアは呑まれることなく行動を開始した。

 

「行くって……まあ、作戦会議とか言ってる場合じゃないよな」

 

「ええ。これは人間同士の戦いじゃない。敵は待ってくれない、ぐずぐずしていれば私達は全滅よ」

 

「前例から考えて、聞く耳は持ってないだろうからな。世界の崩壊……ここからが本番ってことか……」

 

放心から立ち直って苦々しく言うガイに頷き、ティアは目配せをして走り出す。

 

状況は変わった。敵の形状はどう見ても攻める為のものだ。悠長なことを言っていれば、前線で戦っている者達はただ無為に死に絶える。

 

巨大な音素の化物は、戦略でどうにかなる相手ではないと、一年前の戦いからでもそれは証明されている。

 

そもそも考えることは、自分達の役割ではない。

 

「行きましょう――戦場に」

 

自分達の役割は、そこにしか存在していない。

 

「ティア、下にジェイドがいる。ちょっときついけど飛び下りよう、合流した方がいい!」

 

戦艦の下に、ジェイドが数人の部下を引き連れ走っているのが見えた。ティアとガイは迷わず甲板から飛び、数度装甲の凹凸を蹴り下に降りる。

 

「ジェイド!」

 

「ガイに……ティアですか。準備は整っていますね、馬車の所まで走りますよ。戦艦もアルビオールも機能しません」

 

「音素の吸収ですか……前線の兵士は無事でしょうか」

 

後ろを振り返りもしないジェイドに並び、ティアは前方を見据える。化物は間違いなくこちらを――人間を見ていた。目や鼻、顔に相当するものはないが、全身の細胞がそうだと告げている。

 

「狼煙で後退命令を出しています。これ以上敵を強くしたくありません」

 

「ジェイド、他のみんな――」

 

「そこの三人、諸事情で止まれないから飛び乗って!」

 

ガイの声を、まだ声変わりもしていない少年の声が掻き消す。後ろから聞こえ始めた徐々に大きくなる音に同時に気づき振り返れば、十頭の馬に引かれる大型の馬車がかなりの速度で走ってきていた。

 

御者台に半分立つようにして馬を走らせるシンクと、隣で身を乗り出し、泣きそうな顔で馬に触れているアリエッタにぎょっとし、三人は慌てて身構える。

 

馬車はまるで止まる様子を見せず、本当だと悟り三人は通り過ぎ様に荷台に飛びのった。

 

「残念だが馬車はこの一台しか動かない。怖がる馬をアリエッタが何とか説得して、それで漸くだからな。おまけに恐怖で動転して、止まってくれない」

 

「教官……」

 

大きな荷台には簡潔に状況を説明してくれたリグレットの他に、イオンとアニス、そしてナタリアにアッシュにラルゴまで既に乗っていた。

 

「敵が消えているな……なるほど、時間稼ぎだったか」

 

「ええ、まんまとやられました。敵は待っていたのですよ。まあ確かにあれほどの巨体を構成するには、それなりの時間も必要だったのでしょうがね」

 

顔をしかめて呟いたラルゴに、ジェイドが同意する。ティアも小さな丘になっている現在地から前線の方を見たが、確かに到底数え切れない程いた無数の魔物もどきが消失している。

 

「どういうことですの、敵が待っていたとは。一体何を?」

 

「俺達の準備が整うのを――つまり、全世界の軍がこの地に集まるのを待っていたたんだ」

 

ナタリアの問いにラルゴが答え、目を見開いた彼女に続ける。

 

「敵のあの異常な巨体、何十万もの人間をまとめて葬るつもりだろうな」

 

「そういう、ことでしたの……」

 

身体を強張らせるナタリアの頭を撫で、ラルゴは無言で安心させるように微笑んだ。

 

「死霊使いネクロマンサー、作戦の立案をお願いします」

 

「構いませんが、あなたは?」

 

「戦闘の準備が必要だ。今からやれば、丁度いい具合に出来上がる。ちなみに私の戦力、火力だが、つい先日あなたと戦った時の――数倍だと考えて貰えればいい」

 

ジェイドに後を頼み、リグレットは静かに瞼を落とし詠唱を始める。それから彼女は、到着まで目を開けることはなかった。

 

 

*

 

 

「サイズが違い過ぎる。後十分もかからないぞ」

 

舌打ち混じりのアッシュの声が、ざわめきで満たされた薄暗い平野に消えた。

 

後ろには後退してきた十万の、少し前まで存在していた無数の魔物もどきを抑え込んでいた兵士達。長い直線を描く陣形を取って未だじりじりと後退を続ける兵士達の中には、前方から静かに迫る山のような大きさの化物に恐れをなし、逃亡を図る者達もいる。

 

足に相当するものがない巨大な化物は、六属の音素の光を入り乱せながら、滑るように移動して来る。まるで燃え盛る炎に凶悪な外観の腕をつけただけの異形。それが卵から孵るかのように生まれ落ちた地点は、現在地から人が歩けば一日はかかる程離れていたというのに、化物はそれを一時間とかからず詰めて来ていた。

 

「後退を止めましょう。敵の狙いが一年前と同じならば、私達を皆殺しにする為に停止するはずです」

 

ジェイドの指示が長く長く直線を作る兵士達に伝えられ、一層ざわめきが大きくなる。作戦としては、後方の主戦力と合流するということになっている。しかしその前に追い付かれれば、各自が自由に戦うことが決定されていた。

 

人がまとめて吹き飛ばされることがないようにする為の苦し紛れの策で、陣形はそれを実行しやすくする為のもの。

 

量と勢いで攻めるのが戦の常識だが、化物に常識は通用しない。固まっていれば一撃で消滅されることは、一目瞭然だった。

 

「……俺も超振動を放つ。足止めには丁度いいだろう」

 

「全力でお願いしますよ。超振動には敵の攻撃を打消した実績がありますから。みなさんも、よろしくお願いしますよ」

 

前に進み出て両手を前方に突き出すアッシュ。そしてイオンとシンク、ティアとリグレットも横に並んだ。

 

完全に脅えてしまっている兵士達は、役に立たない。おそらく、戦力と考えていい人間は百にも及ばない。それは主戦力と合流しても大して変わらないのだから、むしろ人が少なく戦いの邪魔をされない今が、敵を討つ最大にして最初、そして最後のチャンスだ。

 

ここで逃げようと、敵の速度を考えれば無駄なこと。人類は七日とかからずに絶滅するだろう。

 

後退を止めた兵士達が、思い思いに散らばる。そして譜術士が震える声で詠唱を始め、凄まじい速度で接近してくる全長二百メートルもの巨大な六色の化物、それと相対した。

 

「総員、放てぇええ――――!!」

 

ジェイドの掛け声と共に、幾万もの譜術が放たれ化物に直撃する。炎や雷や氷など様々な現象が発現し、色とりどりの光が空間を縦横無尽に走り、轟音を響かせる。

 

「シンク、行きましょう」

 

「張り切るのはいいけど、ちゃんと狙いなよ」

 

くすんだ緑色の髪の少年二人が視線を交わしあい、残り数百メートルまで接近してきた敵の前に立ち塞がる。そして障気で閉ざされた天空に手を掲げ、気合いの声と共に地を叩く。

 

『――――アカシック・トーメント!!』

 

敵の真下に展開された巨大な第七音素の譜陣、敵を完全に囲うそれは光を立ち上らせ、進行を食い止める。そして膨大な威力を持つダアト式譜術アカシック・トーメントは、譜陣の中の全てを蒼白い破壊の光で飲み込んだ。

 

『――――魔を灰塵と成す、激しき調――……」

 

――ヴァ―ネゥ―ヴァ―レィ―ヴァ―ネゥ―ヴァ―ズェ―レィ――

 

戦場に似つかわしくない、美しい歌声が響く。杖を掲げ喉を震わせるティアは、瞑っていた目を開き天を見上げた。

 

――ジャッジメント――

 

天空から何本もの光の柱が降り注ぐ。第五音素譜歌ジャッジメントは火の性質を持つその柱によって、敵を貫き焼き清めた。

 

静かに前に出たリグレットが、両の手に持つ二つの激しく発光する譜銃を敵に向ける。馬車の上で詠唱を続け、弾丸として譜銃の中に留めておいた幾つもの譜術を解き放つ。

 

「雪辱の為に用意したとっておきだ――食らえ!」

 

――ホーリーランス――

 

銃口に展開された第六音素の譜陣が輝き、両の譜銃から第七音素が混在された光の槍が永遠と連射される。槍の数は百を越え、全てが敵を貫いた。

 

「行くぞ、屑が!」

 

そして最後に、アッシュの手が第七音素によって輝く。雄叫びと共に放たれた蒼白い光の奔流――超振動が最早姿が見えない程の攻撃を浴びた敵に、正面から衝突した。

 

「ちょっと、大佐っ! 何にも見えなくなっちゃいましたよ、どうなったんですか!? ていうかイオン様が!」

 

「これほどまで火力を集中させたのは、失敗ではありませんの!?」

 

「アニス、ナタリア、恐いのは分かりますが落ち着きなさい。十中八九まだ終わっていません、手加減していては進行を止めることもままならなかったでしょう」

 

凄まじい轟音と攻撃の余波に動転し取り乱すアニスとナタリアをなだめ、ジェイドは眼鏡を押し上げ目を細めた。

 

ダアト式譜術を全力で放ったイオンが反動でふらついているが、アニスがそちらに行ったので問題はない。

 

今一番優先すべき問題は、敵だった。

 

「効果は……あるようですね」

 

譜術の残光が消え、漸く回復した視界。幾万もの譜術を浴びた敵は、最初より小さくなっているように思えた。元が乱雑過ぎる形で分かり難いが、譜術の衝撃で確かにところどころがえぐられている。

 

――アァァァアアアァアアアアァァァアアアアアァアアァアァァァアァァァアアアァ――

 

「またこの声か! あいつが出してるのか……?」

 

何処から鳴っているかいまいち特定出来ない、大気を激しく揺るがす振動。その轟音は凄まじく、ガイが耳を塞ぎながら苦痛の声を漏らした。

 

化物の叫び声のような轟音、それに呼応して大気中の音素が律動する。僅かばかり小さくなった化物の身体を、大量の音素が取り巻いた。

 

「死霊使い……やばくないか」

 

「これは……いけませんね。譜術の残留音素を吸収している」

 

ラルゴとジェイドが苦々しく吐き捨て見据える先には、次第にえぐられなくなった箇所が少なくなり、急速に元の姿に戻る化物の姿があった。

 

誰もが驚き黙り込む。轟音も音素の律動も収まり、ただひたすら静寂が支配する場に、小さく静かに誰かの声が響いた。

 

――無理だ。

 

たった一つの、小さな小さな、絶望に打ちひしがれた声。しかしその小さな波紋は、瞬く間に全体に広がり、そして大きな波を生んだ。

 

無理だ。勝てない。勝てるわけがない。強すぎる。相手にならない。ほとんど無傷だなんて。無理不可能出来ない勝てない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない――

 

負の感情が負の連鎖を呼び、戦場は崩壊して行く。ただでさえ軋轢のある二国――マルクトとキムラスカの連合軍という不安定な構成、その上不意を打つように出現した未知の圧倒的な敵。まともな作戦も対策もないという現状は、いくら英雄や導士がいようとも、到底兵士達には受け入れられるものではなかった。

 

「俺は、死にたくない!!」

 

誰が叫んだのか、誰もが叫んだのか。兵士達は剣を捨て敵に背を向け――逃げ出した。

 

それはもう、本能的な行動だった。訓練を積み覚悟を決めた者達の心を易々と砕く何かが、泰山の如く存在するその何かにはある。

 

兵士の半数以上が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う、それはもう何をしようが止めようがなかった。

 

数十秒の内に完全に再生を遂げた化物の中心、荒削りな岩石のようで猛る炎のような胴体の前方に、闇、土、風、水、火、光の六色が集い輝き――

 

「伏せてぇぇええええ――――っ!!」

 

――極太の光線として解き放たれた。

 

一軒の家屋が飲み込まれる程の凶悪な光線は弧を描くように、逃げ惑い散らばった兵士達を薙払う。衝撃で地がえぐれ巻き上がる。その攻撃はまさしく災害そのもの。

 

光線の標的になったものは、化物より離れた位置にいた者――即ち逃げ出した者達。寸前でアリエッタが展開した戦場を覆う程巨大な障壁が僅かに勢いを殺したが、しかし直撃した者は一瞬で絶命していた。

 

「死にたくないのなら戦え! 敵を休ませるな!」

 

巨大な障壁を展開した反動で気絶したアリエッタを腕に抱え、リグレットが叫ぶ。前を見て、敵を見ていた者は各自障壁を張り、攻撃を軽減できていた。心さえ無事なら、まだ戦える。

 

「教官、その手……! 今治します」

 

「心配するな、譜術砲撃の反動は予想済みだ。それよりティア、治癒術を使うなら第四譜歌を。今ならまだ間に合う者もいる」

 

アリエッタをティアに預け、リグレットは譜銃を持ち直し敵に向き直り強く睨む。

 

その手は重度の火傷に侵されており、心配するなと言う本人の正気を疑う。戸惑い何かを言おうとしたティアだが、しかし直ぐに心を鎮ませ譜歌を歌い始めた。

 

再び音素を集束し始めた化物の中心に、巨大な雷の剣が突き刺さる。それを放ったジェイドは、一瞬怯んだが直ぐに行動を再開した敵を確認し、再びフォンスロットを開放し譜を紡ぐ。

 

「間に合わないか……仕方ない」

 

敵の二撃目とジェイドの譜術、一見でどちらが速いか容易に分かる現状に、未だ混乱から立ち直れずただ呆然としている多くが悲鳴に近い声を上げる中、化物が集束する音素の塊に八本の光槍が突き刺さった。

 

一瞬の均衡の後、槍を基点とし音素が弾けた。

 

続け様にもう一度ジェイドの上級譜術サンダーブレードが敵を貫き、そして先程放たれた凶悪な光線の再発はどうにか阻止された。

 

「やはり第七音素が弱点か。ナタリア殿下、第七音素を集束させた矢の連射を!」

 

「わ、わかりましたわ!」

 

方膝を着き、焼けただれ一部が炭化した両手を震わせながらも指示を出すリグレットに、ナタリアは慌てて頷き矢をつがえた。

 

「まだ残っていたのですか……」

 

「ホーリーランスを六○発分用意した。ストックは後二八程だ」

 

「無謀なことは止めなさい。既に倒れそうではありませんか」

 

額に汗を浮かべ早くも浅い呼吸を繰り返す程疲労しているリグレットに、ジェイドは口速に言った。

 

反動が身体にまで出ているのは、明らかにその詠唱した譜術を発動させないで留めておく技術が不完全だからだ。ジェイドにもそれ専用の譜陣を刻んだ媒介があれば可能だが、六○という数は明らかに無謀な試みだ。

 

「私のことはいい。三○も連発しなければこうはならない。それよりも追撃を」

 

「ティア、イオン様をお願いね! ガイ、今の内に突っ込もう!」

 

「おう!」

 

アニスとガイが互いに頷きあい、果敢にも敵に向かって駆け出した。敵の攻撃の二波を防いだことで士気を取り戻した兵士達も、殆ど諦めの境地のような雄叫びを上げ二人に続く。

 

譜術士達も歯を食いしばり詠唱を始め、前衛の援護の為化物に譜術をぶつけていく。

 

「――裂空斬!」

 

「――空破特攻弾!」

 

高速で距離を詰めたガイが跳躍し、身体ごと剣を縦に回転させ敵を切り裂き、遅れてアニスが巨大化させたトクナガを飛び上がらせ、疾走の速度をそのままに敵を貫いた。

 

攻撃は確かに傷を負わせたが、しかし根本的な大きさの違いがそれをほぼ無意味なものにする。

 

戦場に悲鳴が響いた。

 

二人に追随して武器を振り上げる兵士達は次々と化物にそれを突き立てるが、しかし化物が振るった凶悪な二本の腕に数十人単位が巻き込まれ、そして吹き飛ばされた。

 

「や、やばいって! あんなの食らったら即死だよ!」

 

「何でもいいから斬りまくって走り続けろ! 死角に回り込むんだ!」

 

「死角ってどっちっ!? これ顔なんてついきゃああああ!!」

 

何とか難を逃れたアニスとガイが叫び、そして今度は先程と反対方向に薙がれた腕が二人の真上を通り過ぎる。

 

「前後左右見境なしかよ!」

 

腕に三太刀浴びせたガイが顔を青ざめさせ、横になって回転する腕を地に這いつくばりやり過ごす。

 

化物の回転する腕に一気に数百人が刈り取られ、血まみれになって吹き飛んだ。

 

「おぉぉおお――――っ!!」

 

雄叫びを上げるラルゴが、上空から火炎を纏った大鎌を降り下ろし、化物の腕の回転を一瞬鈍らせる。その隙を見逃さず、シンクが凹凸だらけの凶悪な腕を駆け登り化物の真上に飛び上がった。

 

「二発目――行くよっ!」

 

――アカシック・トーメント――

 

真上からの破壊の第七音素譜術が敵を飲み込み、再び敵が停止する。シンクは落下しながらも敵の頂点を蹴り付け、反動で回転しながら離脱。入れ替わるように治癒を受けたリグレットが真上まで駆け上がり、零距離で左の譜銃から三発の譜術を解き放つ。

 

――アァァァアアアァアアアアァァァアアアアアァアアァアァァァ――

 

化物が大気を震わせるのを無視し、一二本の光槍が突き刺さった頂点を踏み台に飛び上がり、腰から抜き放った木刀を、敵を両断せんと一気に落下しながら降り下ろした。

 

「全員下がれ! もう一発叩き込んでやる!」

 

全身を淡く光らせるアッシュの怒鳴りが響き、そして突き出された両手が激しく発光する。

 

再び解き放たれた超振動の奔流が、肉薄していた兵士達が離れ出来上がった空間、その中心で動きを止めた化物を飲み込んだ。

 

「まずいですね」

 

「どういうことですの? 超振動が命中しましたのよ」

 

それまで譜術を放ち続けていたジェイドに、隣で弓を構えたままのナタリアが前を向いたまま尋ねる。

 

「周囲にはもう、音素が殆ど残っていません。プラネットストームから供給される音素も音譜帯からの音素も、奴が八割方吸収してしまいます。私達は後少しで、攻撃の手段を失ってしまうのですよ」

 

「ですがまだ第七音素が残っておりますわ。敵の弱点ですし」

 

「…………第七音素も、決め手にはならないわ。与えるダメージと敵の回復力の差が大きすぎる」

 

第四譜歌で全体の治癒、第三譜歌で身体能力向上の補助を行っていたティアが、ナタリアに苦悶を滲ませ、言外に倒せないと告げる。

 

「しかもだ、第七音素は急激に障気に汚染されつつある。後一時間も戦っていれば、第七音素譜術士は障気汚染で倒れるだろう」

 

「間が悪いのか、それとも障気さえもあれの仕業なのか……。後ろから来る本隊もろとも全滅する可能性が高い今、私は一時撤退を推します」

 

戻って来たリグレットの推測から合わせて考え、ジェイドは皆に意見を求める。またしても集束させた音素で身体を復元する化物。このまま同じことを後数度繰り返せば、戦う手段から無くなるのだから、無理をしてでも撤退すべきだった。

 

「でも大佐、あいつめちゃくちゃ速いんですよ! 逃げられるんですか?」

 

「第七音素で攻撃すれば、十数秒動きが止まることは分かっています。それに場所を変えれば、ここよりは音素が豊富なはずです」

 

「どちらにしろ、移動はするべきですか」

 

体調を何とか回復させたイオンが納得して頷く。とりあえず後退して本隊と合流する、ということで話がまとまり指示が飛ばされた後、リグレットが静かに皆の注意を引いた。

 

「一つ、手があるかもしれない」

 

「教官……?」

 

何故か自分を見るリグレットに、ティアが首を傾げた。リグレットは一度頷いて続ける。

 

「先程上から斬り下ろした時、一部で違う手応えを感じた。音素振動数から考えると、あの中に閣下がおられるのではないだろうか」

 

「兄さんが!? ……そうだわ、同じ振動数なら十分に……」

 

「ああ。確証はまるでないが、可能性は捨てきれない」

 

頷き合うティアとリグレットを見て、ジェイドが眼鏡を押し上げ口を開く。

 

「あれからヴァンを引きずり出せばあるいは、ということですか。やってみる価値はありますね」

 

しかし今は、引くことの方が優先だった。陣形も気にせず異常に掻き立てられる生存本能に従い、兵士達は既に全力で逃げている。たった十分足らずの内に出た死者が一万にも及び、更に戦いを続けるに当たって条件が悪過ぎるこの場に留まることは、愚かと言う他なかったのだ。

 

アッシュの超振動で三度足止めをする間に、近くまで来ていた本隊が肉眼ではっきりと見えた。三国の軍で構成される六○万の軍勢も、しかし先に走った伝令の報告により後退している。

 

「もういいだろう! このまま逃げても余計な混乱で状況が悪くなるだけだ!」

 

事実逃げたり錯乱したりで大した役に立たなかった兵士達に見切りをつけ、アッシュが怒鳴る。それは先程から超振動を連発して、自身の体力の限界を悟っているが故のことだった。

 

「そうですね……正直に言って策では覆し難い戦力差があります。混乱で徐々に自滅するよりは、ここは全軍で突撃した方が希望があるかもしれません」

 

超振動を食らわせれば敵も弱るとジェイドは踏んでいた。しかし敵の様子から考えるとそれも怪しく、逃げるのも限界に近い。その上敵がいるだけで辺り一帯の音素が乱され、戦艦や譜業、音機関がまるで機能しなくなる。

 

言ってしまえば閉じ込められたのだ。

 

「で、ですが宜しいのですか? 全軍突撃なんて、そんな……」

 

「敵の罠にまんまと嵌った時点で、僕らが選べる選択肢なんて元から二つしかないんだって。罠なんだから抜け道がないのは当然」

 

控えていたマルクトの伝令が思わず上げた声に、シンクが淡々と答える。そしてグローブを填め直し、横目で控えていた伝令達を一瞥した。

 

「好きな方を伝えていいよ――黙ってあれに殺されるか、黙ってあれを殺すか」

 

一泊の後、伝令は敬礼を取り決意に満ちた瞳で駆け出した。

 

――アァァァアアアァアアアアァァァアアアアアァアアァアァァァアァァァアアアァアアアア――

 

しかしその直後、行動を再開した化物が一瞬で加速し、開かれた距離を零にせんと迫って来た。

 

「――ってウソだろ!? 飛べるのか!」

 

「狙いは本隊か!?」

 

唖然として突如空に浮かび上がった化物が頭上を通り過ぎるのを見送り、ガイとアリエッタを腕に抱えたラルゴが青ざめ叫ぶ。

 

上空で火の粉のように音素を撒き散らせ、六色の輝きを放つ敵はその凶悪な二本の腕を真横に突き出し切り離し、そして変質させた。

 

「あ、あれは…………」

 

息を飲んだティアの絶望的な声に、それを実際に見て知る者はただ沈黙し、聞き及んでしかいない者は危険な空気に身体をこわばらせる。

 

切り放され変貌した二本の腕、それは数えることなど到底不可能な、強いて数を言えば戦場に存在する七○万の人間の数を悠に上回る、無数の凝縮された音素の帯となって、気味の悪い薄暗い空に六色が入り混じる幻想的な模様を描き出した。

 

星空のように無秩序に広大に広がる帯の基点――それが一瞬輝き、全ての帯が地上に降り注いだ。

 

「障壁は無駄だ、いなせ!!」

 

ジェイドが瞬時に発動した譜術により、戦場に荒々しく声を飛ばす。そして自らも降って来た帯を横に飛んで避けて、そしてでたらめに撥ねるそれを槍でいなし避け続ける。

 

――アァァァアアアァアアアアァァァアアアアアァアアァアァァァアァァァアアアァアアアア――

 

震える大気に、血が舞う。とてつもないエネルギーを内包した帯が暴れ狂い、人間が容易く切り裂かれ蹂躙される。

 

本隊にも分隊にも、戦場に存在する者全てに等しく降り注ぐ死。

 

それはもう手の打ちようがない、非の打ちどころがない暴力だった。

 

敵の本体は無数の帯に守られている上に、全方位から押し寄せる暴力から生き延びることが精一杯で、そもそも攻撃のしようがない。

 

「……っ! 何だ!?」

 

「聞こえないわ!」

 

アッシュとティアが、同時に叫ぶ。剣と杖を振るって帯を防ぐ二人には、微かに聞こえた誰かの声に反応を返すが、そもそもそんな余裕はなかった。ひたすら生き残ることを考え、動き回り武器を振り回す。

 

しかしそれも、長くは続かなかった。四方八方から迫る死は、確実に生命を蝕んで行く。疲れが傷を呼び、傷が死を呼び続ける。そして当然の結果数分後には、戦場で未だ己の力で立つことが叶う者は、たったの数百にまで減っていた。

 

――オォオオォォォオオォオオオォオオォォオオオォォォオオォオオォォォオ――

 

そしてまた、戦場の空が震えた。

 

「今度は何なのっ!? もうやめてよ……何で、何でなの……みんな死んじゃうじゃん!!」

 

「違う、違うよ――この声!」

 

血の匂いでむせ返る凄惨な惨状に涙を流し叫び、それでも死力を尽くしイオンと己を守るアニスに、つい先程意識を取り戻し応戦していたアリエッタが歓喜の声を上げた。

 

荒れ狂う音素の帯が、突如動きを止めた。そして空が赤く染まる。

 

「ドラ、ゴン……? 嘘だろ、あんなのまで増えたら……」

 

全身から血を流すガイが、呆然として空を見上げる。そこには巨大な翼で大気を叩き、雄叫びを上げる岩石のような屈強なドラゴンの姿があった。

 

「あれは……火山のドラゴンか」

 

「リグレット、ゴン君が、ゴン君がルークとの約束だって、アリエッタ達を助けてくれるって……! それにみんなも来てくれた!」

 

涙を流して笑顔を浮かべるアリエッタの見つめる先には、何千もの魔物が空を駆け化物に火炎や雷を吐き出す姿があった。

 

「約束……」

 

「うん! 一年前に、約束したんだって」

 

空を見上げて呟くリグレットに、アリエッタが返す。血と泥にまみれたその笑顔は、とても綺麗だった。

 

「誰、誰なの……?」

 

「ティア、どうしましたの!?」

 

突如頭を押さえて地面に蹲ったティアに、慌ててナタリアが駆け寄る。そして今度は視界の隅で、アッシュが倒れた。

 

「くそっ……頭が、頭が割れる!」

 

頭を抱えて蹲るアッシュの身体が金色に輝き、それに共鳴するように周囲が煌めき出す。

 

「今度は何だ!?」

 

軍の壊滅、助けに来たという魔物の軍勢。そして今度は倒れた二人に輝き出した世界。あまりに唐突な出来事の連続に堪らず上げたラルゴの叫び声を掻き消すように――壮麗なパイプオルガンの旋律が響いた。

 

――歌い……い……――

 

「これは、ティアの声ですか……」

 

直接頭に響くような声に、ジェイドが耳を押さえる。

 

流れる川のように時に優しく時に激しく、目の前に壮大な自然がありありと浮かび上がる優雅な演奏と合わさり、その声は神々しく響く。

 

――生き………ら……歌い……――

 

「私じゃないわ……誰なの、この声は」

 

激痛に耐えるティアが、か細く声を出す。

 

壮麗な演奏は続き、その何処から響くか分からない音が、人々の頭に何かを伝える。

 

――生きた………、歌いなさい――

 

そして一層鳴り響く声が大きく、流れる旋律が激しくなった瞬間、リグレットの手の中の木刀が眩い光を発し、空に浮かび上がった。

 

「何だこれは……歌詞なのか……?」

 

「僕の頭にも……何なのさ、これは」

 

戦場に立つ者、傷つき倒れた者、あまねく全ての人の頭に一つの詩が浮かぶ。

 

「うそ……これは、大譜歌?」

 

――生きたいのなら、歌いなさい――

 

――願いを込めて、譜歌を歌いなさい――

 

旋律が流れ、弾け、しぶきを上げる。そして血まみれの戦場で何かに突き動かされ、絶望に満たされる戦場で僅かな光を見つけて、人は歌を紡ぎ出した。

 

――トゥエ―レィ―ズェ―クロア―リュオ―トゥエ―ズェ――

 

空に浮かぶ木刀――聖樹の御剣と呼ばれていたそれの柄に刻まれた譜陣が、闇色の光を放つ。

 

そして地上に、果てしなく大きな譜陣が展開された。世界中の第一音素が響き踊り、譜陣を闇色に染め上げる。

 

――クロアーリュオ―ズェ―トゥエ―リュオ―レィ―ネゥ―リュオ―ズェ――

 

 

闇色の譜陣の上に重なるように展開された譜陣、そこに歓喜するように震える第二音素が集束し、譜陣は大地の輝きを灯す。

 

――ヴァ―レィ―ズェ―トゥエ―ネゥ―トゥエ―リュオ―トゥエ―クロア――

 

 

――リュオ―レィ―クロア―リュオ―ズェ―レィ―ヴァ―ズェ―レィ――

 

流れる旋律と歌声に導かれ、重なり展開されて行く二つの譜陣を第三音素と第四音素――風に包まれた緑と水を湛える青の光が包み込んだ。

 

――ヴァ―ネゥ―ヴァ―レィ―ヴァ―ネゥ―ヴァ―ズェ―レィ――

 

――クロア―リュオ―クロア―ネゥ―ズェ―レィ―クロア―リュオ―ズェ―レィ―ヴァ――

 

激しさを増す旋律が第五音素と第六音素を呼び、展開された二つの譜陣を熱い火と眩い光が染め上げる。

 

――レィ―ヴァ―ネゥ―クロア―トゥエ―レィ―レィ――

 

聖樹の御剣を中心に据える六つの積み重なった巨大な譜陣が、輝きを増す。

 

遥か二千年の時を隔て、今ここに大譜歌は完成された。

 

脈動する地を突き破って世界に解放された一筋の光が、六属の音素により構成された六つの譜陣を突き抜け、世界を震わす金色の光と化したそれは――上空の化物を貫いた。

 

――ローレライィィィィイイイイ! 貴様が、やはり貴様が立ちはだかるか!!―――

 

その声は確かな意思を持って、化物から発せられた。誰もが轟音に耳を塞ぎ、未だ溢れるように立ち昇り続ける金色の光に目を奪われる。

 

そんな中リグレットは、軽い音を立て落ちて来た木刀を拾う。

 

そして金色の柱、その元に立つ人影を見つめた。

 

金色の光を放ち、何処か輪郭がはっきりしない人の形をしたそれ。

 

穏やかで清涼な空気を発する何処か神々しいその者の背中を、立ち上がったアッシュが睨みつける。

 

「てめぇ、ローレライか」

 

「ローレライって、あのローレライか!?」

 

「さっき化物も言ってたし大譜歌で出てきたし、まさか本物!?」

 

ガイとアニスが驚愕の声を上げる。そんな誰もが目の前の出来事に放心する中、金色の人影が空を見上げる動作をする。

 

――邪魔をするなローレライィィイイィィイイ!!――

 

「――――ああん?」

 

純然たる憎しみの声を響かせる上空の化物、それを悠然と広がる泉の水面の如く、穏やかに見据えたその人影の醸し出す雰囲気が――がらりと一変した。

 

「ローレライだぁ? あんな引きこもりのヘタレ野郎が、こんな場所にいるわけねえだろ。間違えてんじゃねえよ、オールドラント」

 

穏やかさは消え失せ激情に。清涼な空気は一瞬で汚され、神々しさは一変して邪悪なものになる。

 

金色のベールを脱ぐように振り返ったその何かは、化物を無視して勝手気ままに悠然とリグレットに歩みよる。

 

「ま、まさか……」

 

「嘘、この喋り方って……」

 

「まいりましたねえ……本当に……」

 

外套のような大きなマフラーと朱色の長い髪が風になびき、緑色の瞳と不敵で邪悪な笑みを浮かべた顔が覗く。

 

「よう、お前が預かっててくれたのか」

 

「お前が忘れて行ったから、仕方なくだ。それより、他に言うことがあるだろう」

 

顔を伏せるリグレットの前まで歩んだその男は、頭を掻きながら顔を横に反らす。

 

「約束やぶろうとして悪かった。だけどまだ、した約束は全部果たせるから。だからさ――泣くなよ」

 

「うるさい、見るな。これは返すからさっさと向こうに行け」

 

涙を溢すリグレットの頭を戸惑うように撫でた男は、押し付けられた木刀を持って楽し気に無邪気に笑う。

 

「くはははは、涙とか血とか泥でボロボロじゃねえか。つーか相変わらず冷たいな、お前。一言ぐらい何か言ってくれたっていいじゃねえか」

 

「ならばお前が泣くぐらいの言葉を考えておいてやる。だから先ずは、やるべきことをやって来い」

 

「おう、了解だ。楽しみにしてんぜ」

 

振り返った男は再び上空の化物――今や魔物の軍勢も離れ、譜歌によって音素を大量に奪われ、小さくなったそれを見上げる。

 

「おうこら、そこの貧相なナリした化物! てめぇ何めちゃくちゃやってくれてんだよ、怪我人だらけじゃねえか」

 

――ローレライィィイイィィイイ!!――

 

「だからさっきからローレライじゃねえって言ってんだろうが。まだ完全体じゃねえってのは聞いてたが、それにしても随分お粗末な頭だな。人様の話くらいちゃんと聞きやがれ」

 

男は木刀を地面に突き刺し、腰から宝玉が柄尻についた白刃の剣を引き抜く。そして天に切っ先を向け、大譜歌によって新たに生成された膨大な量の金色の第七音素を集束させる。

 

「頭の足りてねえてめぇのために、分かりやすく言ってやるよ。俺はてめぇの大好きな聖なる焔の成れの果て、崩壊因子……だったか? んで赤い悪魔―――」

 

不敵に邪悪に口笑い、金色に染まる世界を従えて、男は剣を振るう。

 

「――――ルークだ!!」

 

剣――ローレライの鍵と呼ばれるそれは空に存在する第七音素の塊を全て喰らい付くし、そして解き放たれた巨大過ぎる超振動の奔流は、化物どころか世界に充満していた障気すらも全て分解し――世界に蒼い空を取り戻した。

 

「ちっ、核は逃げたか。まあいいか、逃げなきゃヴァンも一緒にくたばってたんだし」

 

振るった剣をかったるそうに肩に担ぎ、地に差した木刀を引き抜き腰の鞘に収める。そしてそんな一年前に死んだはずのルークに、桃色の髪の少女が駆け寄り抱きついた。

 

「ルークルークルークルークルーク、ルークが生きてた!」

 

「おうアリエッタ、元気にしてたか。お前もボロボロだな、傷は塞がってるから大丈夫だけど、後で風呂入らねえとな」

 

「はいっ! ……ルーク、ほんとにルークだ」

 

涙で顔をぐしゃぐしゃにしたアリエッタの頭を撫でるルークは、シンクの方を見て挑発的に顔を歪める。

 

「シンク、お前も頭撫でてやろうか?」

 

「っ……だ、誰がそんなこと。って言うか、相変わらず空気ぶち壊すね、あんたは」

 

譜歌の効力か、瀕死の重傷を負っていた者、殆ど死んでいた者でさえも息を吹き返しその場に立ち上がって呆然としている。

 

「ルークなのか、ルークなんだよな、ルークだ、ルークが生きてる!」

 

後ろからガイが飛び付き、三人揃って平原に倒れる。ガイは涙を流しながらひたすら笑い、ルークの頭を無茶苦茶に撫でた。

 

「おう、ガイも元気か? つーか止めろ、頭痛えって」

 

「ああ、止めるさ止めるさ! ルークが生きてたんだ、頭撫でるのを我慢するくらい何でもない!」

 

「ティア、お前とは久しぶりの気がしねえけど久しぶり。お前はちゃんといい子のままでいろよ」

 

「な、何よそれ! ああもう……あなたが変なこと言うから、涙が出てきたじゃない……」

 

「ナタリアもイオンもアニスもジェイドもラルゴもアッシュも久しぶりだな。色々あってこうなっちまったから、今日からまたよろしくな」

 

 

笑顔を浮かべて楽しそうにアニスとイオンがルークに抱きつく。暫く笑い続けていたルークは、地面に仰向けに寝転んで何人にも抱きつかれたまま、静かに立つリグレットを見上げて笑いかけた。

 

「で、考えてくれた言葉ってのは?」

 

リグレットはルークに歩みより、顔を真上から覗き込む。

 

「えらくまた近付くな。くははは、何する気だよ」

 

「何、ただお前が泣くのを一番いい場所で見ようとな」

 

「やっぱりお前、怒ってんのか? 俺も悪かったとは思って――」

 

「ルーク」

 

バツが悪そうに顔を反らそとしたルークに、リグレットは綺麗に柔らかく、そして優しく微笑んだ。

 

「おかえりなさい」

 

柔らかく下がった目尻から、日溜まりに寝転んだ彼の悪戯めいた挑戦的な笑顔に、硝子玉のように透明な一滴の涙の雫が溢れ落ちる。雲一つなくなった蒼い空に、高く高く昇った太陽。その陽光に煌めく透明な雫は、それはそれは美しい宝石のような輝きを放っていた。

 

「あ……えっと…………」

 

涙の雫が瞼の上ではねて、一瞬見開かれたルークの緑色の両目が、くすぐったそうに細められる。彼女の冷たく心地よい涙と日溜まりをつくる陽光が目に染みて、少しだけ瞳に湛える涙が量を増した。

 

そして一筋の涙が、頬を伝った。

 

「おう――ただいま」

 

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