イニスタ湿原は、王都バチカルの西に位置している。一年前に俺とラルゴが王都を襲撃した際、今は誰も通ろうとしない場所であることを踏まえ、移動経路として使用したあの非常に異常に歩き難い湿原だ。
で、その湿原を通る道が、バチカルとその更に西にあるベルケンドとを結ぶ最短経路であるにも関わらず、遠回りになるし幾らか金もかかるのに、皆が皆海路を使う理由とは、ようは強い魔物がいるからなのだ。
その魔物――ベヒモスという名らしいが――かなり昔に王国が総力を上げて討伐しようとしたが、遂にそれは叶わず湿原に閉じ込めるに終わった程の強者なのだとか。
ある意味一件落着して、今となっては人々の記憶からその存在をほぼ消していたベヒモス。それがつい先日、どうやってか湿原を抜け出し、守りが薄くなっている王都を襲撃したからさあ大変。
街に入られる前に橋を爆破して落とし、何とか最悪の事態は防いでいるが、窪みにあるバチカルへと続く橋の警護に当たっていた兵士百人程は……殺られた。近隣の村に住む人や、旅人もかなりの数が殺られたらしい。
「明らかにおかしいよな、ベヒモスのこと」
「そうだな。ティアやアリエッタが心配だ」
全速力でイニスタ湿原へと向かうアルビオールの窓から、リグレットはそう呟いて浮かない顔で夜空を眺めた。
キムラスカより伝令があったのは、もう昨日のこと。
リグレットとシンク、そして俺は、一度ダアトに立ち寄っている。二人は面倒事が続けて起きたため、件のメンバーが自由に動けるように、ダアトの守護を担当していた師団長カンタビレなる人物に、引き継ぎをして来たのだ。
「私を無理矢理総長に据えた、憎むべき主犯だ。もうこの際、総長を代わればいい」
とはその師団長を指してのリグレットの言葉だが……まあ一応信用はしてるらしい。
その師団長に会ってみたい気もしたが、俺も俺でアニスと一緒にイオンを護衛したりイオンから金貰ったり、ダアトの市場独占を狙う商人団体より持ち掛けられた取引を蹴って脅したりと、色々忙しかったので無理だった。ちょっと残念。
「いや、そういうことじゃなくてよ」
相当疲れが溜まっていたのか、ぐっすりとシートで眠っているシンクを横目で見ながら、俺は物憂げにしているリグレットに昔を思い出しながら言う。
「そのベヒモス、剣も譜術も譜業兵器も効かないって話だけど、俺が一発殴ったら逃げてったぞ」
ラルゴと一緒に図体だけかよって呆れたのを覚えてる。
そう続けた俺に、リグレットはぽかんとしてこちらを向く。
「…………本当なのか?」
「ああ。ベヒモスって黒くて馬鹿でかい奴なんだろ? だったら、十中八九そうだぜ。つーか本当にそんな危険な奴だったら、俺がこんなとこに座ってるはずがねえよ」
ベヒモス討伐の援助に向かったのは、オラクルからはティアとアリエッタ、マルクトからはガイだ。そもそもローレライの鍵を持ったアッシュが王都に戻った時点で、超振動の一発でカタがつくのだから心配はない。
「俺がおかしいって言ってんのは、タイミングのことだ」
「ああ……なるほど、一連の事件との因果関係か」
「ぶっちゃけディストの仕業っぽくね? オールドラントの影響受けて興奮して湿原から出たんなら、もっと時間的に早いはずだろ。だからさ、モース誘拐から続く何かの作戦のための陽動、みたいな感じで」
「…………」
リグレットは目を瞑り、左手で細い顎を支えるようにして、少しうつ向きながら
沈黙する。しばらくして目を開けた彼女は、不愉快そうに舌打ちをした。
「イニスタ湿原がディストの拠点だったか。道理で見つからない訳だ」
「あ? 調査してなかったのかよ」
「調査団は送ったが、魔物が強すぎ――って、本当にお前が戦ったのはベヒモスだったのか? 報告書を読んだ限りでは、確かに攻撃が効いていないようだったが」
「…………」
胡乱げな視線を送ってくるリグレットに、俺は何も答えずに若干焦りながら思考する。
百人の兵士をたった一匹で殺したというベヒモス、一年前の反則技も使ってない俺が木刀で殴ったら逃げ出した黒くでかい熊みたいな魔物。その二体は同一の魔物……なのか?
「……何か自信がなくなってきた。リグレットがそう言うんなら、マジっぽいし。…………なあちょっとノエル、これもっとスピード出ねえのか? アリエッタとティアがやべえかも」
もしかして俺は、深刻で重大な勘違いをしてたんじゃないだろうか。これでアリエッタやティアが大怪我でもしたら……。
「……いや、だけどまあ大丈夫か」
二人だって自分の意志で、任務として行っているのだ。俺がそこででしゃばるのは筋違いだし、何より二人はプロなのだから。
「僕だって言いたくはないんだけどさ、あんた、アッシュとかガルディオス伯爵の心配はまるでしないんだね」
唐突に、寝ていたと思っていたシンクがぼそりと呟いた。目は瞑っているし眠たそうではあるが、どうやら俺たちの会話はしっかりと聞いていたらしい。
「心配って、ガイは逃げ足が異常に速いから大丈夫だろ。アッシュは……ぶっちゃけどうでもいいわ」
「聞いた僕が馬鹿だったよ。世界の悪魔君にとったら確かにアッシュの生存なんて……あれ? ほんとにどうでもいいや」
皮肉で返そうとしたシンクだが、全く皮肉になってないと気付いて、勢いよく倒したシートから起き上がった。
至って真面目で真摯さ溢れる反応だったので、奇跡的に俺の中にアッシュへの同情心が欠片ほど湧いた。本気でびっくりである。
しかし、今はそんなことよりだ。
「ひとまずベヒモスのことは置いとくとしてよ、ディストの目的って結局のところ何なんだ?」
焦っても仕方ないし、とりあえずはディストの狙いを知っておくべきだ。
ディストが拉致ったモースとその一派だが、スコアを廃止すべきでないと主張を続けた結果、かなり前に教団から追放され、今では危険思想を持っているからと監視までされているらしい。権力的な面でのモースの価値はゼロだが、しかしたった数日前から恐怖のどん底に突き落とされている人々を煽動し、スコア復活を掲げるつもりなら、かなり利用価値は高い。
だがあのディストが、そんなことを狙ってるとは到底思えない。まだジェイドに構ってもらいたいからという、ふざけた理由の方が納得できるくらいだ。
会えばジェイド、別れてもジェイド。寝ても覚めてもジェイド。
とにかくディストが、やたらとジェイドに執着していたことは、正直に言って嫌だが覚えている。
「断言は出来ないが、レプリカ関連だろう。ディストの目的なら、私たちよりもカーティス大佐に聞くべきだな」
あの人は権威だ、とリグレットは淡々と言い切った。ジェイドが聞けばマジ切れ間違いなしだが、幸いにも今は調査団を引き連れて、星の最南端にあるラジエートゲートを調べに行っている。いくらジェイドでも、流石に聞こえないだろう。
それにしても……レプリカ関係か。
現在のレプリカ技術はどうなってるのかと、二人に視線で尋ねれば、シンクが再び倒したシートに仰向けに寝転び、毛布を顔までかけた。
「生体フォミクリーの研究は全部破棄させたし、レプリカの材料が取れるワイヨン鏡窟も、爆破しといた。ちなみにレプリカの研究をしただけでも、今じゃあ死罪になる」
「へぇー、そんなことになってんのか」
気だるそうにそう言ったシンクに軽く返して、俺は顔を横に向けリグレットの瞳を見やる。彼女は軽く肩をすくめて、無言のまま穏やかな視線でシンクを指し示した。
……ああ、なるほど。シンクが先導してやったのか。
「これでもう、被害者は出ねえってことだな。くはははっ、めでたしめでたし。十全な話じゃねえか」
愉快愉快と笑う俺に、シンクは一度鼻を鳴らしただけで特に何も言わないまま、少ししたら寝息をたてはじめた。どうやら今回は本当に寝てるっぽい。
シンクにもやはり、思うところがあったのだろう。
俺たちはレプリカで、どう足掻いたって本物の人間にはなれない。
それは必然で真理であり、嘘をついても目を背けてもどうしようもない、人の心理である。
だからこそ俺は、人間と生物的に別物であるレプリカとして――レプリカであるからこそという心意気をもって、誰に憚ることもなく、堂々と精一杯胸を張って生きることにした。
俺はシンクがどういう信念をもって、今を生きているのか知らないし、知ろうとも思わない。
しかしシンクが昔の虚無的な考えを捨て、何らかの新たな信念を抱いているのは確かだ。一年前にもその片鱗はあるにはあったが、アリエッタとのやり取りを見て、確信するに至った。
これ以上俺たちのような生体レプリカを生み出さないようにと、シンクが選んだその技術の完全なる破棄という道は、きっとシンクの自身の信念と生き方に対するケジメなのだ。
今では昔なら絶対にやらなかった――トラウマを大いに刺激するであろう――イオンとの入れ替りまで、たまにやっているというから驚きだ。
機内には沈黙の帳が降り、アルビオールの駆動音だけが嫌に響いていた。
昨日から整備や何やらで、一睡もしていないというノエルも、一言断りをいれて操縦席で眠り始める。四人で仲良く天国に墜落するつもりかとかなりびびったが、アルビオールには自動操縦機能が搭載されたとのこと。
「ふむ、操縦士の存在意義とは何だろう」
とリグレットが痛烈な事を言っていたが、若干それっぽいニュアンスが感じられたので、冗談のつもりらしい。
それこそ冗談はほどほどにしとけって感じだ。
いや、結構マジで。
「なあ、リグレット。お前は寝なくていいのかよ?」
「少し考え事があってな……だが二人も眠ったし、丁度いい機会だ」
ひたすら無言で難しい顔をしていたリグレットに聞けば、溜め息と共にどこか気まずそうな表情が俺に向けられる。
「ルーク。お前は女性が男性に短剣を贈る意味を知っているか?」
「短剣……? いや、知らねえけど」
「ふっ、悩んでいた私が愚かだった。すまないルーク、お前が常識知らずだということを、ついうっかりと失念していた」
「ふざけんなよコラ。謝りながら貶してんじゃねえよ」
ほっと安堵の息を吐いたリグレットに、自然と頬が引きつる。うざいことに悪意がまるでないので、その分微妙に悲しくなってくるのは気のせいだと思いたい。
落ち込む俺を若干不思議そうにしながらも、リグレットは自分の荷物を開けて中を探る。ちらりと中身が見えたが、一番上に丁寧に畳まれた衣類が、機械的なまでにきちんと整理されて入れられていた。
相変わらず几帳面なやつだ。
「ルーク、これを」
立ち上がり俺の前まで来て、リグレットは手を差し出す。その手のひらの上で鮮やかに輝くのは、銀製の細身の装飾ナイフ。
それはつい先日、リグレットがふざけた事を俺に言いながら持ち出した物と同じで――
「これって、バチカルで買ったやつだろ?」
――そして、俺の最後になるはずだった思い出を象徴する、例の四本のナイフの内の一本だった。
エンゲーブでのあの会話を思い出し、そしてまたあんな事を言うつもりなのかと怒りに目を細める俺に、リグレットは瞳を閉じて玲瓏とした動作で首を横に振る。
「これは私の物ではなく、お前に押し付けられていた物だ」
「お前に押し付けたんじゃなくて、ヴァンに押し付けろって言って渡したんじゃなかったか?」
微妙に事実が改竄されていたので言ってやったら、俺の磨かれ過ぎて磨耗してしまった気がしないでもない観察眼が、僅かにだがリグレットの眉が顰められるのを捉えた。
改竄も失意も誤魔化せるとでも思ってたんだろうが、不思議な方向にレベルアップした俺からすれば、甘いとしか言いようがない。
まったくもって激甘だぜ。
「ちなみに砂糖をシロップで煮込んだら、そりゃあもう凄いぞ」
「何がちなみになんだと、シロップの原料は砂糖だぞと、一体私はどちらを言いながらお前の頭を叩けばいい?」
とりあえず危ない人を見る眼を止めて欲しい。
わざとらしく咳払いをした俺に合わせて、リグレットは無言で下ろしていたナイフを元の位置に戻してくれた。
ていくつー、すたーと……って感じて、凄まじく痛々しい。主に俺が。
「お前に押し付けたんじゃなくて、ヴァンに押し付けろって言って渡したんじゃなかったか?」
「……………………。…………これを閣下への重し代わりにしろと、お前はそう言った。だが一年間もふらふらと行方不明になっていたお前にも、重しは必要だ。だからルーク、これはお前に返す」
もう受け取らない理由も必要もないだろう――リグレットは有無を言わせない冷たさと厳しさをもって、そう言った。
果てしなく間が気になったが、しかし告げられた内容は真面目そのもの。
……どうするかねえ、ほんとに。
リグレットの奴、俺が約束を守らずに勝手に死んだことを、本気で怒ってるらしい。
もう絶対に死ぬなと、そう言ってるようにも聞こえる。
微妙な気まずさから左手で頭をガリガリと掻いて、俺はリグレットの切れ長の冷え冷えとした瞳から逃げる。
「……あの譜術を、もう使うなってか。だけど――」
「話をすり替えるな」
リグレットは素早く鋭く言葉を差し込み、口が半開きのままの俺を睨む。
「わかっているだろう、私の言いたいことを。勿論当然、譜術のこともそうだが」
「…………わかったよ。もう昔みたいな無茶はしねえって。それにもう譜眼はないんだ、それこそお前なら意味がわかるだろ?」
「使いたくとも、あれはもう使えないということか。……それと、ノートを勝手に見たことは謝っておく」
すまなかった、とリグレットは素直に頭を下げた。
……つーか、やっぱりこいつ、俺の落書きだらけの(元)日記帳を見てやがったのか。
この分だとベルケンドの医師から、改竄前の俺のカルテの内用も聞き出してるだろう。だからこその、『重し』というわけか。
しかも日記帳に纏めていた木刀に刻まれている譜陣の解析と転用のデータ、ちゃっかりと多連譜術砲撃とかいう技術に使ってるらしい。
ジェイドからその技術の名称と内容のさわりだけを聞いた時、心当たりがあり過ぎたのだ。
「まあ、別にいいんだけどな。それよりナイフ、ありがたく貰っとくわ」
リグレットに頭を上げさせ、銀製のナイフをもらう。どうしようかと少し悩んで、右手で抜けるようにベルトの左側に挟んでおいた。後でホルスターでも用意しよう。
そんな俺の様子に満足したように自分の席に戻るリグレットは、よく見れば右の太腿にそれらしき黒いホルスターをつけていた。
それからリグレットも静かに眠りに落ち、起きてるのは俺だけとなった。
窓際のリグレットの穏やかな寝顔をぼんやりと見ながら、とりあえず安堵の息を吐く。
……誤魔化せて良かった。
ぶっちゃけヴァンを殺したあの譜術、譜眼と木刀の音素収束機能がなくなった今でも――使える。
だけどあれを使う必要がないように、訓練してきたのだから、使うつもりも予定もない。
まあ結局のところ相変わらず、あれは最後の最後の俺の切り札のままだった。
「つーか女の寝顔見るのって、なんかダメな気がする……」
主に倫理的な面で。
*
悪寒を感じたのは、浅い眠りに落ちて割とすぐのことだった。俺は木刀に手をかけながらシートから飛び起きて、不気味な気配の出所を――
『ハーッハッハッハッハッハ! そこの飛晃艇、止まりなさーいっ!! 薔薇のディスト様のお出ましですよ!!』
……探るまでもなかった。
何を狙ってるのかまるで理解できない内用が、下に町でもあれば、皆が皆一斉に目を覚まして罵声を飛ばしそうなほど、馬鹿でかい音量で流された。
いや、もう名乗ってくれなくてもよかった。最初の奇抜な笑い声から、一発でディストだと特定できる。
「あ、あの……どうしましょうか?」
「迷わず直進で。無視していいよ」
戸惑いの声を上げたノエルに、シンクがあくび混じりに答える。しかしノエルは困ったように操縦席から顔だけを覗かせて、後ろの俺たちに向かって首を横に振った。
「アルビオールは、最高速度で飛行してるんです。でもレーダーをみる限り、どうも後ろから接近されたようで……」
「無視していれば、そのうち追いつかれるということか」
目を瞑ったまま嘆息して、リグレットは膝に置いていた譜銃を手に立ち上がった。
「ノエル、バチカルまでは後どのくらいで到着する?」
「それが、もう十分ほど――って! ええ!? どどどどうしましょう! アルビオールが操縦不能に……というか飛行譜石が暴走を!!」
『ハーッハッハッハッハッハ!! 言って止まるような人たちではありませんからねぇーっ!! このディスト様の手にかかれば、ジャミング装置によりアルビオールを飛行不能にするなど朝飯前なのですよ!!』
「…………」
「…………」
「きゃああああ! エンジンが、エンジンが暴走してアルビオールが止まりません!!」
し……死ね、ディスト! もう死ね、死んじまえ!!
俺たち三人は血相を変えて、ハッチから甲板に飛び出した。ほんとに死ねよディスト。
アルビオールの後ろから迫ってくるのは、円錐形の胴体に……つーかドリルが先端についた鳥のような形をした、巨大な譜業兵器だった。
俺は声を張り上げて、カーキ色のふざけた物体に乗っているディストに叫ぶ。
「ディスト! てめぇ半端な物作ってんじゃねえよ!! 止まるどころか加速してんじゃねえか!!」
『んんー? サンプルがありませんでしたからねえ、暴走してしまいましたか。しかーしっ!! このカイザーディストXXXの最高速度からは逃げ切れませんよ!!」
ハーッハッハッハッハッ!! と人の神経を逆撫でしたいとしか思えない奇声を発する物体Xに、切れ気味のリグレットが譜銃を乱射する。
「ルーク、シンク。全身全霊をかけて最大出力の譜術で、あれを粉微塵に吹き飛ばせ」
「了解――死になよ、疫病神ディスト!」
『ちっがーっっう! 死神です、しーに……は、謀りましたねシンク!! 私は薔薇のディスト様です、薔ーっ!?」
――サンダーブレード――
何やら不思議な呪文を唱えていたディストを、シンクが生み出した雷の大剣が襲う。しかしそれは譜業兵器に突き刺さる寸前、突如機体の上部から飛び出した人間大の球形の譜業により、呆気なく阻まれた。
雷の剣が球体に吸い込まれるようにして消失し、ディストの哄笑が空に響き渡る。
『どうですか、この対譜術機構による華麗な防御は! ジェーイド、これであなたの譜術も恐れるに足りませんよ! ハーッハッハッハッ、さあジェイド、観念して大人しく止まりなさい!!』
止まれねえし、ジェイドはいねえよ。
幾本ものコードに繋がれた鋼色の球体は、緑色の音素光を巻き散らかし譜業兵器に収納される。
これは……ヤバい。
『そ、し、て! 私の一年間の研究成果の一つ、音素力循環機構!! 食らいなさい――』
譜業兵器の両翼が、耳障りな音をたてながら稼働する。翼の中心部が両脇にスライドし、現れた馬鹿でかい砲門が怪しく輝く。
『――ツインレーザー・versionサンダーブレードォォオオ――――ッ!!』
解き放たれたのは、雷を纏う凶悪な太さの光線。凄まじい音をたて、一筋に集束しきらない電流の余剰分を周囲に放電するそれを、俺たちは半ば呆然としながら見つめた。
そ、それは反則だろ、いくら何でも……。
空気抵抗や他諸々の為に展開していた障壁に、更に音素を上乗せする。ついで衝突した雷光は、腹に響く低音を打ち鳴らし、三人分の障壁を易々と削り取る。
「くっ……シンク、お前は一体どれだけ譜術に力を注いだんだ!」
「あんたが全力でやれって言ったんじゃないか!!」
「吸収されるなんて思わなかったわ!」
歯を食いしばり障壁を維持するリグレットに、シンクが怒鳴り返す。二人とも全力で、もう余裕がなさそうだ。
次第に発光が収まり、それに伴い負担が減っていく。連発されたら流石にやばいが、あんな威力を出すには溜めが必要なはずだ。
空を凄まじい速度で駆ける譜業兵器に、両手の譜銃を向けるリグレットが柳眉を歪ませる。
「どうする、ディストのあれは異常に固かったはずだ。有効なのは譜術くらいだったが……」
「頼みの綱の譜術も吸収される、か。譜術を連発するってのはどうだ?」
「僕の譜術を取り込んだ玉が、せいぜい一つしかないことを祈るんだね」
俺が出した案を鼻で笑いながら、シンクが呼吸を整えて詠唱の準備に入る。実際この空の上という戦場では、それくらいしか策がないのだ。
「じゃあ頑張れよ、二人とも」
「ルーク、ふざけていないでお前もやれ!」
「俺は攻撃用の譜術は使えねえんだよ。安心して全力で撃て。返されても防いでやるし、死んでなきゃ回復もしてやるから」
告げられた事実に、リグレットとシンクは声を揃えて叫んだ。
「こ、この役立たず!!」
かなり胸に突き刺さる言葉だが、無視して一つ息を吐き出し、気持ちを切り替える。
さて、ふざけるのはここまでだ。
譜を紡ぐ二人を視界の隅に、今は行動を起こさずただ飛ぶだけの譜業兵器を見据える。
高感度のセンサーでも乗せてるからか、ディストはこの距離と状況で、俺たちの声を拾っていた。だから叫ぶ必要はない。
「ディスト、俺たちを狙う目的は何なんだ? ジェイドならラジエイトゲートにいると思うぜ」
『この私を見くびらないことですねえ。その程度のことは当然知っています」
先程までの奇声まじりの話し方から一変し、ディストは真剣さを滲ませる声で返答した。俺は木刀を肩に担ぎ、口許を吊り上げ嘲笑う。
「流石マルクトのお偉いさん。仕事が早ぇよな」
『宿願の成就まで後一手となった今、私の情報源の安否などどうでもいいことです。何なら名前まで教えて差し上げましょうか?』
「ハッ! 動けねえ尻尾なんてどうでもいいんだよ、襟巻き蜥蜴。俺は、てめぇが今ここにいる理由を聞かせろって言ってんだ」
内容によれば、取引に応じてやってもいいぜ――そう告げながら、俺は木刀の切っ先を絡繰り仕掛けの鳥に向けた。
果たしてディストの答えは――
『私の狙いはあなた方三人の身柄――交渉の余地などなーい!!』
――翼の下部からそれぞれ二つずつ落とされた円筒が、後ろに煙と炎を吹き出しながら向かってくるという、悪辣なものだった。
「行っけぇええ――!」
嫌な予感に導かれるまま、俺は円筒の一つに木刀を投げつける。木刀は右から二番目に回転しながら直撃し、円筒は赤い光と熱を撒き散らし爆ぜる。炎に巻き込まれ、両隣りの円筒も連鎖して爆発し、更にもう一つも空に赤い花を咲かせた。
『…………な、な、……なぜだ!! このディスト様の第五音素ゴージャスホーミングミサイルを、生身の人間が打ち落とせるはずが……――人間なら、打ち落としては駄目でしょう!!』
かなりの近距離で爆発の余波を食らった譜業兵器から、ディストの悲痛な悲鳴が上がる。
俺はその声を聞きながら、心底呆れ果てていた。
やっぱりこのディストという天才科学者、正真正銘の非の打ちどころのないバカだ。
確かに速度と聞いたこともない構造には目を見張るものがあるが、この限定され過ぎた状況で、来ると予想出来ている攻撃を防げないはずがねえだろ。
譜業兵器が爆炎を突き抜けた瞬間、放たれていたリグレットとシンクの譜術――光槍と雷剣が展開されていた譜術障壁に突き刺さった。
『小癪なぁあああ!! いいでしょう、作戦変更です! ローレライには不確定要素が多すぎますからねえ!! 少々気が引けますが――抵抗すれば人質の命はないものと思いなさい!!』
「……うわ、あれってアニスじゃないか」
みた感じかなりの強度の障壁とボディーを持つカイザーディストに、大した傷はないが、ディストは慎重にも搦め手を用いてきた。
機体の下部から吐き出された、ガラスで出来たような球体。ワイヤーで繋がるそれの中身は、確かにシンクの言うとおり穏やかに眠るアニスだった。
なるほどどうして、シンプルな話だ。俺たちが攻撃をすれば、アニスの命はないということか。
『本来なら導師を攫う予定でしたが、この娘に逃がされてしまいましてねえ。このディスト様の作品を使いこなすだけのことはあります。……フフ……フフフフ…………ハーッハッハッハッ! 導師を誘き出す餌にしようと思っていましたが、この薔薇のディスト! 転んでもただでは起きませんよ!』
導師――イオンを攫う、か。ディストの目的がレプリカ関連ならば、俺やシンクの身柄を押さえようとするのも理解出来る。
しかしだ。ならば一体、何故リグレットまで狙われるんだ。
爆発に巻き込まれて吹き飛んだ木刀を、刻まれた譜陣を発動し手元に戻す。そして俺は、木刀を腰の鞘に収めた。
「俺らの負けだな。で、俺がお前の捕虜になればいいんだったか?」
『リグレットとシンクも一緒にです。今からそちらにカイザーディストを近づけますが……わかっているでしょうねえ?』
「まったく、今度は誰の差し金だ。私の命を狙う人間が多すぎて、いい加減に嫌になってくるな」
聞き捨てならないことを言って、溜め息混じりに譜銃を腰のホルスターに収めるリグレット。風に舞う前髪を掻き上げる彼女を、ディストは愉快で堪らないといったように嘲笑する。
『殺すなどとんでもない。あなたにはもっといい使い道がありますよ。もっといいねえ』
「…………」
どこか下非た笑い声を垂れ流すディストを、リグレットは冷たく睨む。俺は無意識のうちに柄を掴みかけていた左手を止め、そのままリグレットの肩を叩いた。
つい、と戸惑い気味に向けられたら青い瞳に、自負と自信をもって小さく頷く。シンクにも同じく視線を送り、そして俺は静かに譜業兵器を見つめた。
ディストはアルビオールへの妨害を止めるつもりはないらしい。出力系が暴走しているだけなのだから舵は効くが、しかしスピードは変えられず停止も出来ない。
よってカイザーディストがこちらに追いつくまでには、少し時間がかかる。俺はその間、ひたすら機体を睨みつけていた。
アルビオールに四つのアンカーが打ち込まれ、カイザーディストと繋げられる。そこで漸くディストはジャミング装置とやらを切った。
『操縦士、飛晃艇をホバリングさせなさい。それとローレライ、あなたは中の手錠をつけてからカプセルに乗り込むんですよ』
「さっきからローレライローレライうるせぇんだよ。お前のスパイも随分と立派な仕事するじゃねえか。捨てるのは勿体ねえぞ、絶対に」
アニスが捕まっている透明な球体と同じ物が、十数メートルを開けて接近したカイザーディストから打ち出される。アルビオールの甲板、俺たちの真ん前で止まったそれは、空気が抜ける音とともに上に開いた。
中にはディストの指令通り、複雑な作りをした大きな手錠。何らかの譜業であることは間違いないそれは、まあ変なことをしたら、とっても痛い目を見るような仕組みにでもなってるんだろう。
「僕らにはしなくていいの? 手錠」
『催眠ガスで眠ってもらいますから結構です。そこの人外は、何を仕出かすかわかりませんからねえ』
早くしなさい、と企みが成功したからか、興奮気味に高慢に命令してくるディスト。
面倒くさいと思いながらも、言われた通り異常に重たい手錠をつけていると、リグレットが苛立ち気味に透明なカプセルを靴底で蹴りつけた。
「その臭い口を閉じていろ。貴様はしかる後に、大人しく黙って素直にアニスを解放していればいい」
『キィィイイイ! 相変わらずヴァン以外には愛想の欠片もない、いけ好かない女ですねえ!!」
「おい、ディスト。手錠はこれでいいんだな? 俺らがこの中に入ったら、直ぐにアニスを出せよ」
ディストの奇声を無視して、俺は見えるように両手を上げた後、カプセルに近づく。よく見れば外側にはボルトやパーツの継ぎ合わせなどがあり、完全な球体というわけではなかった。
撫でたりつついたりして、カプセルをいじっていると、手錠の確認を終えたらしいディストが『入りなさい』と命令してきた。
リグレットとシンクも素直に俺に続き、そしてカプセルはゆっくりと閉ざされた。ただでさえ狭苦しい内部で、隣りのシンクが不快そうにもぞもぞ動くので、余計に窮屈に感じる。
『眠らせるのは、アニスを解放してからにしてあげましょう。変に抵抗されては面倒ですからねえ』
三人が入れば、もういっぱいいっぱいの窮屈なカプセルの中で、アニスが入ったカプセルごとカイザーディストが上昇していく様を眺める。アルビオールの真上に移動した譜業兵器はそこで静止し、甲板に乗ったカプセルはワイヤーごと切り離された。
これでひとまず、アニスは無事になったわけだ。
「ふぅ……一件落着だな」
『まさに一件落着。これで我が悲願まで、残すところあと一歩となったのですからねえ!!』
ハーッハッハッハッ――と、ディストの歓喜の哄笑が、大空に響き渡った。
かくして俺たち三人は、呆気なく情けなく不甲斐なく、悪の科学者に捕らえられてしまったのであった、まる。
*
――と、言うわけで、
「よいしょ」
俺はカプセルを軽く蹴り開けた。
アンカーを切り離し、アルビオールより飛び去ろうとしていたカイザーディスト。俺たち三人は間抜けに開いたカプセルより悠々と飛び降り、甲板に降り立つ。
『な、な……なぜだぁああああああ!? なぜ蓋が開いているんです!! オートロックに加えて内部からは絶対に開かない設計なのに!!』
科学者のサガかは知らないが、喚き散らしながら解説するディスト。確かに内側は完全な球形で、音素を吸収するような仕組みになっていた。
俺は再び甲板を蹴り、カプセルから譜業兵器へと繋がるワイヤーに飛びつく。そして腕力を使い一気に登っていく。
『というか――どうして手錠が外れているんですか!! あれには封印術が組み込まれて……く、まさか音素集合体たるローレライには、フォンスロットがなかったのか!?』
「ほんとに優秀なスパイだぜ、お前の尻尾君は。俺が一年前、モースの部屋と金庫を開けたのも知らねえなんてよ」
『ピ、ピッキング!? キィィイイイ!! そ、そんなふざけた手で!!』
ディストが唾を飛び散らしてる姿がありありと想像出来る。
ワイヤーを登りきり、機体の隙間に木刀を突き立てる。それを足場に跳躍し、ドリルの後方、アルビオールからは見えなかった機体の上部に着地する。
俺の足の下の透明な半球の下には、唖然とする白髪の眼鏡をかけた男が座っていた。
虹色の襟巻き蜥蜴を連想させる服を着込んだ男の頭上に、俺はにっこりと笑って、右手に持っていた十数個の透明なボルトを落としてやる。
『そ、それは……カプセルの…………ま、まさかあの、私が手錠の起動を確認していた――あなたから目を離した、あの短時間で――』
「お前、いちいち解説しなくていいんだよ。うぜーから」
半球から左翼に移り、ずっと見て確認していた砲門の真上で止まる。そして装甲の継ぎ目、その下の丸見えになっている駆動部に、第五音素を収束させた指を入れ、
「てめぇはこれから、リアル絶叫マシーンで、空の散歩を楽しむことだけを考えてたらいいんだよ」
散々鍛え上げられた技術を駆使し、譜業兵器の翼を基礎パーツ単位に分解してやった。
『素手でだとぉおおおお!? さっきから一体何なんですか、あなたは!? どう考えてもおかしいでしょう!!』
最後に接着や溶接されてる部分を強引に蹴って外し、鳥の尾の部分まで移動する。そして出力である第五音素機関に、音素を集めた木刀を突き立ててやった。
「ああん? そりゃあ手錠の鍵は、ピックとテンション使って開けたに決まってんじゃねえか。つーかハイテクの結晶のキーポイントに、アナクロ使ってんじゃねえよ。この半端蜥蜴野郎」
吐き捨てながら、さっきまで翼だった物の一部を、ディストの頭上を覆う半球体に向かって投げ、音機関を暴走させんと更に音素を込める。
『ちょ、止めない、本当に止めない!! そんなでたらめな量の音素をつぎ込めば――……!!』
いい具合に不協和音をかき鳴らし始めた音機関に、ディストが顔を青ざめる。
今や同情を誘う片翼となった鳥。俺はそれの主にひらひらと手を振り、アルビオールに飛び移ろうと嘴を歩く。
「あ、そうだ。こんな開かねえ嘴じゃあ、餌が食えねえだろ。俺が食いやすくしといてやるよ」
さっき翼を分解した時に出てきた二つの円筒形の爆弾を、ドリルの接合部に第五音素で生み出した炎でかるーく溶接しといてやった。隣に火を起こす譜陣を書いておくのも忘れない。
『悪魔ですかあなたは!? 空気抵抗で、空気抵抗で外れてコックピットに直撃してしまうじゃないですか!!』
「今ごろ気づいたのか、間抜けめ」
「ていうか、何かルークキレてない?」
アルビオールの上では、アニスを背負ったリグレットとシンクが、何とも言えない複雑な声色でぼやいていた。つーかリグレットのやつ、後で泣かす。
「じゃあな、ディスト。――次あいつに手ぇ出そうとしたら、てめぇを解体バラすぞ」
『ひ、ひぃぃいいいいいいい――――っ!! や、やめて、もうしませんから……!!』
低く呟くように言えば、ディストは泡を吹きながら操縦席で両手を振り回しもがき始めた。
……いや、いくら何でも大袈裟だろ。流石に死ぬほどの事をするわけではないし。
首を傾げていると、ガコンと不吉な音が聞こえた。下に飛び降りようと準備していたのだが、何か微妙な衝撃とともに逆に上に上がっている。
いや……え? 何だこれ? 何で俺の足は中に浮いてんだ? つーか首、首が苦しい。
「ば、ばかっ! あんた何で捕まってるのさ!」
シンクの盛大に呆れ果てた声に後ろを見てみれば、カイザーディストの側面から出ているアームが、マフラーに引っかかっていた。
……おい、嘘だろ。
さっきディストがもがいてたので、変なスイッチが入ったのかも。勘弁してくれ。
「ディスト、今すぐルークを解放しろ!」
『…………』
「ちょ、何でてめぇ気絶してんだよ!? 起きろ、マジで起きろ! つーか起きて下さいディストさん!」
「バカルーク! まさかさっき、脅して気絶させたのか!!」
「ふざけんな! ディストが勝手に気絶しおぉおおおおおおおぉおおおおおお!!」
失礼な暴言を吐くリグレットに怒鳴り返していると……うん、譜業兵器の出力系、つまり音機関が……爆発した。
バタバタと足を振り乱していた俺は、急激にかかった重力に悶える。譜業兵器は凄まじい速度で急発進し、アルビオールに接近する。
「この間抜け悪魔! 死ぬんなら一人で死になよ!! こっちに来るな!」
「無茶言うなっ! そんなことより先ず俺を助けてくれ!!」
「無理! ディストと仲良く心中してなよ!!」
口早に怒鳴りあう俺とシンク。まだ言いたいことは沢山あったが、しかし機体同士がギリギリですれ違う瞬間には、もうそんな余裕はなかった。
あわや衝突、というところだったが、しかし何とかそれだけは免れた。アルビオールが寸前で降下したのだ。
「ねえ」
「何だよ」
「ねえ」
「何だよ」
「ねえ」
「だから何だよ」
何故かちゃっかり、俺の後ろでアームに引っかかってるシンク。壊れたようにひたすら「ねえ」と繰り返している。
俺もそろそろ体勢的に死にそうなので、金属製のゴツゴツとしたアームをよじ登り、絡まったマフラーを外した。
「で、お前はそうやって捕まったわけか」
びしびしと打ち付ける風に目を細め、アームの肘の部分の出っ張りに引っかかっているシンクを見る。何にしても間抜けだ、俺もシンクも。
錐揉みしながら吹っ飛ぶ譜業兵器からもくもくと上がる煙の向こうに、こちらに何とか追いつこうとしているアルビオールが見えた。しかしアンカーを打ち込まれるなどして、機体に相当ガタがきちまってるから、速度がまるで出ていない。
「なんで……なんで僕がこんな目に! ていうか死ぬ! 死んじゃう! 世界が回ってる!」
とんでもない速度ぐるぐると回る機体にへばり付き、切実な悲鳴を上げるシンクの首根っこを掴む。俺としてはもう、自分で作ってしまった絶叫マシーンに感心するしかない。
景色が渦を巻きながら矢のように過ぎて行くって……もう恐怖と混乱を通り越して、興奮と快感しか湧かないのだ、ほんとに。
三半規管をやられ、催してきた吐き気を必死に抑えながら、さてこれからどうやって生き延びようと、俺は絶対に麻痺してる頭で必死に思考するのだった。
「死ね! ルーク死ね! 呪ってやる呪ってやる呪ってやる!」
半分泣きかけのシンクは……いや、もう本当にどうしよう。
*
地獄巡り空のコースは、しばらくして漸く終わりを迎えた。固い地面に全てを託して、大空に身を投げ出す勇気はなかったので、海に出るまでひたすら待っていたのだ。
体感でだが、小一時間は必死扱いてカイザーディストにしがみついてた気がする。そのカイザーディストは、もしかしたらまだ錐揉みしながら飛んでるかもしれないが、気にしてる場合ではなかったので勿論スルーだ。
「で、ここはどこなのさ?」
「船」
「…………地獄にしては、確かに生ぬるいけどさ。よく生きてたよね、僕たち」
簡易なベッドの上で目を覚ましたシンクは、深く深く溜め息を吐く。どうやら明確に死を確信していたようで、今は信じられないといった面持ちで、周囲をきょろきょろと見ている。
「ねえ、ほんとに生きてるの? どうやったらあの状況で助かったのさ?」
「偶然この船が通りかかってよ、お前が息してないとか言ったら浮き輪投げてくれたんだ」
「……その冗談、かなり際どいんだけど。笑えないよ」
「際どいも何も、冗談も嘘も抜きのマジな話だし」
水を飲み過ぎて呼吸が出来なくなっていたとシンクに告げれば、顔を青ざめさせてベッドに仰向けになった。
簡単に洗ってもらった服をシンクに渡し、仮面も返してやる。船が北西に進路を取り、バチカル付近に向かっていると説明しているうちに、ようやくシンクは何時もの冷静さを取り戻してきた。
仮面の下から唯一覗く口元を、何時ものようにシニカルに吊り上げ、シンクは拳を握ったり開いたりして体調を確認する。
「この船って、民間の? 随分と立派な造りだけど」
「あらん。随分と嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
骨董と言っても決して失礼ではない、二世代くらい前に作られたような小さな木造のキャビンの扉が、苦笑と共に開かれる。
ベッドと小さな古めかしい机、そして俺の座っている椅子しかない船室に入って来たのは、やたらと露出度の高い赤い服を着た女だった。
出るところは出て、引っ込むとこは引っ込んでいる、ってな感じの大人の色気のある姉ちゃんを、俺は首だけ横に向けながら見つめる。
むう……この赤髪の女、見覚えがあるようなないような。
向こうも若干不思議そうに首を傾げてたが、とりあえず俺は会釈しといた。
「あんたがお頭さんか? ありがとな、助けてくれて。おかげさまで命拾いした」
「助けたのはあたしじゃないよ。部下が勝手にやったことさ」
気にするなと手を振る、懐の深い姉ちゃん。年はリグレットよりも上くらいだろうが、なかなか取っ付きやすい感じのいい人だ。
と、軽く挨拶を交わしてると、一年前の記憶――賑やかな砂漠の町での微妙な思い出が、唐突に蘇った。
そう、生まれて初めてスリにあった時のことだ。しかも鼻の下を伸ばしながらという、情けない感じで。
「――ってお前、漆黒の翼のボスかよ」
「――ってあんた、もしかして赤い悪魔……じゃなくて、あの時の坊や……でもなくて……誰だい?」
俺が一年前にケセドニアで財布を盗まれた哀れな少年で、一回死んでつい先日生き返った赤い悪魔君だと説明して信じてもらうのに、三十分もかかった。
自己紹介に三十分とか、本気で勘弁してほしい。
*
漆黒の翼。それはかつて(ここ重要)、巷を騒がしていた盗賊団の名称だ。盗賊団と言っても実際に動くメンバーはたった三人だし、最近は落ち目らしい。
オールドラントを代表する悪党だった漆黒の翼だが、しかし新たに現れたジェノサイダーこと赤い悪魔(ここもっと重要)に、その座を見事に奪われちまったのだ。
赤い悪魔の悪名は結局真逆に転がっちまったが、裏の世界で誠しやかに囁かれるその極悪非道な裏の裏工作は、未だに漆黒の翼が悪の華に返り咲くことを妨げている。
そう――赤い悪魔に関わるな、血で得た名声に騙されるな、奴が歩んだ後には破滅しか残らない――それが未だに世界一の悪を冠する、俺のための詩である。
噂に尾鰭どころか翼がついて飛び回ってる気がしないでもないが、流石は俺だ。これっぽっちも誇れねえ。
「……あんた、一体何してたのさ。僕とアリエッタの目を盗んで」
赤髪の姉ちゃんことノワールが歌った俺の詩に、シンクは迷わず唾棄した。
「いや、キムラスカの大臣と繋がってた裏組織を、物理的に潰したからだろ。じゃねえと、悪党共だけに恐がられる理由がねえし」
俺の計画を押し通すため、障害になりそうだった巨大組織の頭を、血まみれになりながらぶん殴った記憶がある。多分それが原因だ。
よくよく思い返してみれば、何で俺が生き残ってたのか不思議だ。自殺行為にも程があるぜ。
「それにしてもあの時の坊やが、何時の間にかこんないい男になってるなんてね」
しかも赤い悪魔だったなんて、と細いウエストを強調するようにくねらせ、歩み寄ってくるノワール。俺は財布をスられないように半歩引きながら、彼女に尋ねる。
「意外だな。煙たがられるかと思ってたんだけど」
「仕事がし易くて助かってるよ、おかげさまでね。悪党同士、仲良くやろうじゃないか」
俺の胸に手を当て、ノワールは誘うように整った顔を近づけてくる。助けて貰った手前、無碍にすんのも悪いかなあ、とか微妙なことを思っていると、横からシンクの皮肉げな冷笑が聞こえてきた。
「いっそのこと、盗賊の仲間にでもなっちゃえば。天職だと思うよ、剣より諜報の才能があるあんたなら」
「……否定できねえな」
一年前にダアトでやらかした事を考えれば、履歴書もっていけば盗賊の仲間入りが余裕で出来てしまいそうだ。
「ま、そんなことしたら、総長殿が怒り狂うだろうけどね」
「それは……恐いな」
確かに普通に容赦なく殺される気がする。つい先日も盗賊まがいのことをしようとしたら、衆人監視の中で説教されたばっかりだし。
「あらん。赤い悪魔ともあろう者が、女狐なんかを恐れるなんてね」
「女狐?」
首を傾げたシンクに、俺の首に腕を回して身を委ね、首だけを横に向けたノワールが嘲笑を浮かべる。
「あんたのとこの謡将さんのことだよ。オラクル騎士団参謀総長」
「何だ、そこまでわかってたのか。まあ、今回も次回も捕まえる予定はないから、感謝してくれていいよ」
名乗ってもないのに名前までしっかりとバレてたが、それでも面倒くさそうに職務を放棄するシンク。
そんなことより、とシンクは嬉々として続ける。
「何でリグレットが女狐なのさ? そっちじゃあそれが通称だったりするわけ?」
「はん。裏も表も関係ないよ。確かにスコアを壊そうとしてた点じゃあ評価はしてるさ」
ノワールは眉根を寄せて、嫌悪を隠そうともせずにシンクから視線を外した。
「でもね、あの中途半端な生き方は頂けない。好きな男が世界を壊すと言えばそれに従って、新しく出来た男が世界を救いたいと言えばそっちに従う。ふらふらふらふらと、あの女には信念ってものがないんじゃないのかい? 今の地位だって、男二人に媚を売って得たような……何だい、その目は?」
「何も知らねえ奴が、あいつを語るなよ」
密着していたノワールを睨み、耳障りな雑音を消す。助けて貰った借りはあるが、それとこれとは別だ。
俺は恩人を貶されて黙っていられる程、人間が出来てはいない。いや、人間として終わっていない。
「それ以上べらべらと適当なことほざくと、てめぇらもどっかの組織みたく潰すぞ」
仰け反ったノワールを睥睨し、答えを待つ。
「……はは……あははははははははっ!」
しかし予想に反して、呼吸も荒く、額に汗を浮かべたノワールは、可笑しくて溜まらないと笑い始めた。
「冗談さ、冗談。本気にしちゃだめじゃないか。あたしだって、本気でお得意様を貶すような真似はしないよ」
「…………は?」
「だから、リグレットはあたしの雇い主だって言ってるんだよ。聞いてなかったのかい? 漆黒の翼は、リグレットの情報網の一部だって」
悠々とベッドに歩み寄り、ノワールは足を組んで座った。シンクは迷惑そうに座ったまま身体をずらし、ノワールから距離を取る。
「なるほどね、顔見知りだったんだ」
確かによく思い出してみれば、過去に教団の依頼で、バチカルに滞在していたイオンを拉致ったのは、ノワール達だった。
シンクが知らないようだったから、つい勘違いしちまったということか。
……つーか、俺が可哀相な奴みたいじゃねえか。潰すぞ、とか痛すぎるぜ。
もう一回死んでくればいい。マジで。
「なんだい? 照れちゃってるのかい、色男」
「照れてんじゃなくて悶絶してんだよ、女狐」
「あらん。あたしにぴったりな名前だこと」
愉快そうに笑うノワールに、俺は深く深く溜め息を吐いた。この女、マジでいい性格してやがる。
それから三人で、船の甲板に出た。数人の船員達がせわしく仕事をしていたが、客人扱いなので俺はのんびりとしてていいらしい。
小さくてボロいが、手入れの行き届いているいい船だ。ちゃんと磨かれてるからだろう、錆が少ししか浮いてない手すりを何とはなしに眺めていると、ノワールが性懲りもなくまた引っ付いて来た。
鬱陶しいので絡んでくる手を払い、盾代わりにシンクを間に立たせる。
「何だよ、さっきので借りはチャラだから、今度からは容赦なく蹴るぞ」
「つれないねえ。あんた、浮気しない男は一流になれないよ」
「しようにもできねえよ」
俺には妻はおろか恋人すらいねえのである。でもアリエッタがいてくれるから、別に悲しくはない。枯れてるとか言われても、別に気にしない。気にしないったら気にしないのだ。
というのもつい先日、俺にはアリエッタの父親代わりとして、一緒にヴァージンロードを歩くという、生涯の目標が出来たからだ。
その夢さえ実現できれば、もうそれだけで色々満足できる……気がする。
アリエッタに認めてもらう為に、一層精進しようという所存な今日この頃だ。
夢の実現には何が必要かを思い悩んでると、シンクが「ねえ」と声をかけてきた。
「前から聞こうと思ってたんだけど、リグレットに言ったことって本気なわけ?」
「何のことだよ」
「ヴァンを連れ戻して末永く幸せに、とかいう出来もタチも悪い冗談みたいな約束のこと」
シンクは皮肉でもからかいでもなく、純粋にそう質問を繰り出してきた。
何となくだが、そういう質問が出てくる理由がわかる。さっきのノワールの言葉もそうだが、何故か俺は勘違いされまくってるらしい。
「シンク、お前多分勘違いしてるぜ。 リグレットのことが好きとか、そんなのじゃねえから」
「……果てしなく意外なんだけど」
そりゃあまあ好きなことは好きだが、恋とか愛とかではない……と思う。
俺がリグレットとその約束を交わした理由は、不思議とどこか危なっかしくて見てられないのと、それ以上に感謝してるからだ。
「つーか第一、あいつが俺のこと嫌ってるだろうしな」
「嫌ってるって……リグレットが、ルークを? 嘘でしょ、それ本気で言ってるの?」
海に投げかけていた視線を、驚嘆して俺に向けるシンク。俺は手すりに組んだ腕を乗せ、進行方向――バチカルの方の海をぼんやりと眺める。
「嫌われてるってよりかは、怨まれてるって方が正しいかもな。だってよ、俺……あいつの目の前で、ヴァンを殺したんだぜ。許してくれるとは言ってたが、そりゃあ好かれてるはずがねえよ」
どうしてもあの、リグレットの今にも泣いてしまいそうな怒りの表情が忘れられない。白い頬についた血、震える長い睫、揺れる綺麗な青い瞳、歪められた細い眉――そして今にも俺に向けて、あらん限りの怨嗟を吐き出しそうな、強く引き結ばれた唇。
「…………あー、やっぱ絶対嫌われてる。つーかむしろ呪われてる」
自然と重くなる身体を手すりに預け、俺は深く溜め息を吐いた。何かもう色々と凄まじく辛い。
アルビオールで貰った銀のナイフが、陽光を受けて憎いほど綺麗に輝いた。
「……何なのかね、これ」
「……何なのかな、これ」
ノワールとシンクのぼやき声が、波と風を切り進む船に嫌みなくらい染み渡る。
「いい男が台無しだね」
「いい男ってのも、怪しいもんだけどさ」
バチカルまでは、まだまだ遠い。
*
瞳を閉じて、外界と自分を切り離す。
深く深く、全身に染み渡るように呼吸を繰り返す。
記憶を探るまでもなく、全身に蓄積された情報に従い、暗黒の世界に当然のように克明に姿を表すそれ。
腰から得物を引き抜き構えながら、刹那の後に切り込めるように重心を低く落とす。
思考を情け容赦ない殺しのそれに一瞬で切り替え、十歩の距離を隔て存在する敵を見据える。
奴の長い髪の一筋が風に舞い、一瞬その聡明な輝きを湛える瞳を隠す。
――細い銀糸が瞳を過ぎ去る前に、俺は一歩を踏み出していた。
九歩――奴はまだ動かない。
八歩――左に持った剣を、背後に回す。
七歩――奴はまだ動かない。自然体のまま、俺を見てすらいない。
六歩――背に隠した剣の切っ先を、敵に向ける。
五歩――奴の無関心をこれ以上ないほど表す表情が崩れる。浮かべられた表情は、慈愛のそれ。
四歩――一足で間合いを零にせんと力を込めた俺の目の前に、気づけば奴が立っていた。
顎に繰り出される右の掌底。霞んでほぼ視認できないそれを、身体ごと首を左に傾けやり過ごす。
加速する体躯を急制動。引き絞った上半身を解き放ち、殺された間合いに合わし剣を外に倒し、握った左拳を振り上げる。
しかしそれはインパクトの瞬間、全身に力を込め硬直したその一瞬に、敵の左手により易々と真横に押された。
固まった身体は、力を加えられるままに左に倒れる。同時に敵より放たれる右の回し蹴りを、体重を乗せていた左足で地を蹴り、横に反転しながら交わす。そして敵に狙いをつけ、反転した己の頭頂から足先に向けて剣を閃かす。
――そこで俺の腹から、刃の切っ先が突き出した。
遅れて、背中に軽い衝撃、そして激痛。
木刀を振った時には、確かに目前に存在していた敵。しかし反転している今の俺の視界に、奴の姿はない。
着地も出来ず、俺は無様に地に叩きつけられる。背中から差し込まれた刃は既に横に払われ、右腕までもを切断していた。
いつの間にか背後に移動していた敵。俺は最後の瞬間にその姿を見ることもなく、戦いに敗北した。
しめて七秒。それがルークが敵と対峙し、殺されるまでに要した時間だった。
「はぁ……大したもんだね、あんた。最後のはよくわからないけど、前半は剣の型の練習だったんだろ? 綺麗なもんだ」
感嘆の息を洩らすノワール。それを合図にしたかのように、いつの間にか俺を囲うようにして立っていた船員達が拍手を始めた。
……ぬう、何だかな。
妄想上だとしても、ついさっき腹を切り開かれて死んだ――しかも頬にアッパーを掠らせただけの、有効打とも言えないような攻撃をしただけで――ばっかの俺としては、複雑な気分だ。パチパチされても全く嬉しくねえ。
やっぱり剣だけで戦える相手ではない。改めてそう実感してしまったが、それでも何とかして勝ちたいのが心境だ。
果てしなく先が長そうなのは……まあ、我慢するしかない。
「おい、あんた達。そろそろ仮面の坊やを起こしてきな」
「ん? もうバチカルか?」
部下に指令を出すノワールに問えば、からからと笑って首を横に振られた。
「今日は物資調達に来たとは言っても、あたし達はれっきとした義賊だからね。バチカルの港に堂々と船はつけられないよ。そこに見える崖に船を隠して、そこからは陸路さ」
「あー、そうだったな。犯罪者やってて一番辛いのって、みんなが普通に街に入ってくの見る時だ。よく覚えてる」
「あらん、話がよく合うこと。あんたとは一緒に飲んだら楽しそうだね」
南東に見える切り立った崖を指差すノワールに、なるほどと頷けば、激しく同意された。
いや、あれはマジで悲しいのだ。取り残された気がして、孤独をひしひしと感じてしまう。俺はあまり長くはそれを経験してないからいいが、毎度毎度だと本気で嫌にもなるだろう。
それから物資調達部隊と名付けられたら二十名に、俺とシンクを加えた人員を、崖の手前の都合のいい所で下ろし、船はもう少し先の崖の奥まった部分に隠された。
船から降りた時間は、すでに夕方近くだったので、その日はバチカルまでの道を四分の一ほど消化して野宿。夜中は皆でわいわい火を囲み、漆黒の翼の実態を教えてもらったりした。
盗賊――本人達は義賊と主張するが――である漆黒の翼はノワール達の三つある顔の一つだとか、馬鹿でかい拠点があるとか、なかなか興味深い話ばかりだった。
それにしても、今日はなかなか濃い一日だ。早朝にディストの襲撃にあい吹き飛ばされ、海難中に偶然通りかかった盗賊の船により救助。夜中には意気投合して酒盛り。
……うん、俺らは何してんだろう。いや、マジで。
*
夕焼けに染まる、天を突く譜業仕掛けの街。天然の堀の外側より、俺は久しぶりの故郷を見上げた。
二時間くらい前から、ずっと見上げていた。
「……か、感慨が台無しだ」
そう、俺たちはすっかりと忘れていたのだ。大地の窪みにあるバチカルへと続く大橋は、魔物騒動でつい先日落とされたばかりだということを。
今バチカルに入るには、北東にある港か、急遽かけられた仮の橋を通るしかない。しかしその橋は余りに小さくて、延々と順番待ちしなければならないほど人が並んでたりする。
「アリエッタってば、まだこないわけ? 相変わらずいちいちとろいなあ」
「お前シンクふざけんなよ。わざわざ迎えに来てくれるアリエッタに、なんつーこと言ってんだ」
「頭が傷んでる奴は黙ってなよ。見てて痛々しいよ、あんた」
シンクとのそんなやり取りも、かれこれ一時間は続いてる。いい加減うんざりだ。
順番を静かに待つより、シンクの権力を使って見張りの王国兵に伝言を頼む方が早いという結論は、長蛇の列を発見した瞬間に出た。しかしそれでも、この空高くまで聳える街でアリエッタに伝言を届けるには、それなりに時間がかかるのだ。
――と、列より離れた場所で三人で待っていると、後ろからフレスベルグの鳴き声が聞こえた。
「お、ふーちゃんか」
「やっと来た」
「……あれに乗るのかい?」
地を這うように飛ぶ、普通より一回り大きなフレスベルグ。昔お世話になった、馴染みの鳥形の魔物だ。
救助のお礼として便乗させろと言ってきたノワールが、かなり顔を引きつらせていたが、構わず俺たちはふーちゃんに飛び乗った。
フレスベルグは一つ高く鳴き声を上げ、翼をはためかせ一気に空高く舞い上がる。そしてそのまま上昇を続け、バチカルの最上部――城と貴族の屋敷が立ち並ぶ頂点へと向かう。
バチカルは多層構造の街だ。上に行けば行くほど金があるという単純な構造で、つまりそれだけ人の数も少なく、向かう先の候補も少ない。
ということはだ。
「やっぱ城に連行されんのかねえ」
『第一回・英雄を称える会』とか開かれたら、根本的にヤバい。城には招待されて行くより、お忍びで行く方が都合がいいのだ。
逃げ遅れる前に飛び降りようかと思ったが、しかしそれは杞憂に終わった。ふーちゃんは最上部の昇降機の前で、ゆっくりと降下する。
見ればガイにティア、アニス、そしてリグレットとアリエッタが広場に揃っていた。
「よ、またしても死に損なったぜ」
「お前なあ……まあ、その台詞はともかく、無事そうで何よりだよ」
白い石畳が敷き詰められた地面に降り、苦笑するガイと挨拶をかわす。皆にも軽く手を上げて声をかけると、アニスが俺とシンクに勢い良く頭を下げた。
「ごめん! 二人とも……私のせいで死んじゃうとこだった……」
「じゃあ今からすぐに、何でもいいから美味しい料理作ってもってきなよ。それで許してあげるからさ」
「りょ、料理って……でも、そんなので……」
シンクのよくわからない提案に、アニスは両手をわたわたとさせて戸惑う。
隈までつくって目を赤くしているアニスを気遣っての言葉だろうが、堂に入り過ぎていて、まるでそう感じさせないところがある意味すごい。
「……ア、アリエッタもお料理するもん!」
「はあ? 根暗ッタてばいきなり何言ってんの。今あんたは関係ないじゃん」
「……あう……か、関係……ないけど……」
何やら焦って不思議な主張を始めたアリエッタ。いきなりの事に首を傾げたアニスだが、「まあ」と腰に手を当てて無い胸をはる。
「手伝ってくれるんなら手伝って。無知な労働者は貴重だもんね、賃金的に!」
さらりと黒いことを言ったアニスに、アリエッタを除く全員がひいた。
しかしまあ、アリエッタは嬉しそうににぱっと笑っているし、本人がいいのなら別にそれでいいのかもしれない。
俺はお子様三人組から多少無理やり視線を外し、不穏な空気を出しているリグレットとノワールを見る。
「なぜ貴様がここにいる」
「あらん、随分な挨拶だねえ。あんたの部下とルークを助けてあげたってのに」
「そんなことは見ればわかる。警備のきついここに、捕まる危険をおしてまで何をしに来たのかと聞いているんだ。謝礼なら後で出す」
さっさと消えろと目だけで促すリグレットに、ノワールは嘲笑でもって返す。
「あんた、あたしの心配をするだなんて、しばらく見ないうちに善人のふりをするようになったのかい?」
「ふざけるな、自分の心配に決まっているだろう。早くしろ、さもなくば裏切って憲兵に突き出すぞ」
「はんっ。ならあたしは自首でもしようか、どこかの総長さんに貰った金でも持って」
……うわ、こいつら恐え。
関わり合いたくない気持ちでいっぱいだが、銃に手をかけたリグレットと、背中に手を回して何らかの獲物を出そうとするノワールに、どうするべきかと可哀想なほど取り乱すティアを救うべく、俺は勇敢にも二人の間に一歩を踏み出した。
背中に感じるガイの熱い視線が、退路を塞いでいる。
くそ、こんなのガイの仕事のはずなのに。
「落ち着けってリグレット。一応シンクの命の恩人だし、喧嘩腰なのはどうかと思うぞ」
「…………」
両手を突き出し正論で宥めると、リグレットは何か言いたげに口を開いたが、しかし直ぐに眉を寄せて口を閉ざした。
「あ、あれ? リグレット……?」
何時もなら「それとこの女の軽率な行動は別だ」とか言いそうなのに、一体全体どうしたのか。
青い瞳を伏せたリグレットに声をかけようとしたが、しかし背中にかかった重みに俺は前のめりになった。
「ルークの言うとおりだよ、総長さん」
後ろから首に腕を回してくるノワール。耳にかかる吐息と背中にあたる二つの柔らかいモノが……うん、色々とヤバいです。
「あたしは仕事で来たんだ。あんた、レムの塔って知ってるかい? あそこに船籍不明の船が一隻とまってたって話だよ」
「……モースか」
伏せていた瞳を跳ね上げ、怜悧に光らせるリグレット。さっきまでの陰はなく、何時もの冷徹なそれだ。
俺も思考を切り替え、ノワールの言葉を反芻する。
レムの塔。一年前にがむしゃらに知識を求めて本を読み漁っていた時、それについて読んだ記憶がある。
確かあれは禁書指定されてた本だ。レムの塔とは創世暦時代に、障気から逃れるためにこの星から脱出しようとする人達により、移動経路として建造を始められたが、途中で脱出計画ごと放棄されたものだという記述があった。
でもそれは、ぶっちゃけどうでもいい情報だ。一番重要な塔の位置を思い出せないとは、いくら何でも悲しすぎるぜ。
「それじゃあ報告も終わったし、あたしはこれで失礼させてもらうよ」
ノワールは俺の上着のポケットに何か押し込み、それぞれ思考を巡らせる皆を一瞥する。ちょうど真横にある彼女の顔が、リグレットの方を向いた時だけ挑発的な色を浮かべたのが見えた。
案外この女、船で言ったあれは本音だったのかもしれない。
「……あなた、何時までルークにそうやっているつもりなの?」
「あらん、まさかの伏兵だね」
犬猿の仲ってのはこの二人のことを言うんじゃねえのかと考えてると、目を細めたティアが横からノワールの肩を掴んだ。
「何を言いたいのかわからないけれど、あなたにはスリの前科があるわ」
「さっきあたしはもう失礼するって言ったじゃないか、小娘」
唇を意地悪く歪め、ノワールはティアの手を払った。ついでようやく俺の背中から離れて、昇降機の方へと無駄に色気のある歩き方で去っていく。
「ああ、それと総長さん。救助のお礼はいらないよ、そこの色男にもう色々と貰ったからね。い、ろ、い、ろ、と」
そして背を向けたまま、やたらと含みのある捨て台詞を残していった。
つーか、俺は何一つやった覚えがねえ。完全な嘘だ。
「ルークってばやっぱり、年増が好みなの?」
「はは、どっちかって言うとルークは胸が大きな女性が……いや、何でもない」
「あ、メロンかぁ。懐かしいよね、あの会話」
あまりのことに呆然として立ちすくんでる俺の後ろで、アニスとガイが好き勝手にふざけたことを言って盛り上がる。
俺はもう……そりゃあ当然キレた。
「お前ら、今すぐ昇天すんのと後で地獄巡りすんの、どっちがいい?」
「えぇ~、だってほんとのことじゃん。ルークが言ったんだよ」
小癪にも楯突いてくるアニスをどうしてやろうかと考え始め、そこでようやく隣のティアが顔を真っ赤にして、極寒の殺気を放っていることに気づいた。
こ、これは……死ぬ!
「ティティティティア……さん? 今メロンって言ったのはアニスだし、そもそも胸が大きいのはいいことだし、メロンほめ言葉……デスよ?」
「あ、あなたって人は……最低っ!」
顔を真っ赤にしてキッと冷たく俺を睨みつけ、ティアは後ろを向いてしまった。ほめたはずなのに、怒られるのは何故なんだ。
意気消沈してみんなに助けを求めても、苦笑と嘲笑が返ってくるばかり。つーか断言できるが、今だけは絶対に俺に非はなかったはずだ。
何かもうあれだ……軽く鬱になる。
盛大に溜め息を吐いて、首をがっくり落としながらその場にしゃがむと、横のリグレットと目があった。
今もそうだが、何かさっきからリグレットの様子がおかしい。元気がないというかキレがないというか、微妙にだが陰がある。
少しうつむいているリグレットの瞳を下から覗き込み、俺は首を傾げる。
「そういえばお前、体調崩してたりするのか? 何か調子悪そうだけど」
「煩い」
純粋な心配から声をかけたのに、リグレットから返ってくきたのは思いもしなかった拒絶の言葉。
余りにその声色が冷たい怒りで満ちていて、余りにその表情が本気で、俺は思わず唖然として息を呑んだ。
リグレットはそんな俺から視線を外し、後ろを向きながら淡々と続ける。
「気安く私に話しかけるな。お前に心配されるいわれはない」
そして彼女は俺に一瞥をくれることもなく、そのまま赤いショールを揺らしながら広場の先へと歩き去って行った。
*
あれから王城へは行かずに、まずは俺の実家へと向かった。お袋の喜びようと言ったらそれはもう凄まじく、今は興奮し過ぎた反動で寝込んでいるくらいだ。
俺の強固な反対により、陛下への謁見は夜中にお忍びで行うことになったので、今は公爵邸の客間でくつろいでいる。
それぞれがこの数日の近況を報告しあい、幾つか判明したことがある。それに伴い今後の行動の指針が、何となくだが見えてきた。
先ずはこの王都でのこと。
バチカルを騒がせた魔物――ベヒモスは、ローレライの鍵を行使したアッシュによって無事に討ち滅ぼされた。しかし魔物によってもたらされた被害、橋の破損とそれによる流通の混乱は、まだ納まりきっていない。
ベヒモスの住処であったイニスタ湿原には、正式な調査団が送られた。詳細まではわからないが、ディストの拠点らしき物も見つかっている。
次はプラネットストームのこと。
これはジェイド率いる調査団の正式な報告だが、もうパッセージリングは耐久限界なのだとか。このまま無理をして稼働させれば、プラネットストームがどうにもならないほど暴走し、この星自体がどうにかなってしまう可能性が非常に高い。
この全世界におけるエネルギーの問題については、四日後にマルクト帝国帝都グランコクマで国際会議が開かれる。とはいっても、すでにプラネットストームは停止しなければならないと結論は出ているので、三国での一応の確認のようなものだ。
最後はダアトのこと。
先日のディストの譜業兵器による襲撃で、導師イオンは危うく拉致されるところだった。導師守護役アニスの活躍によりそれは妨げられたが、危険はまだ去っていない。
だからイオンは、ディストの襲撃の可能性が最も低い今、身の安全のためにバチカル――俺たちという戦力が揃っているここに、アルビオールで向かっている。勿論身を隠すことも狙いだ。
以上がここ数日のうちに起こったこと。そして俺たちは明後日バチカルを発ち、グランコクマに向かう予定だ。
……まあ、そんな予定、果てしなくどうでもいいのだ。今は何というか、全体的にやる気がでない。
「ルーク、そろそろ元気だせよ。いつまでも落ち込んでるなんて、お前らしくないぞ」
「そうそう。いい加減うざいしね」
客室のベッドにうつ伏せに寝転んでいる俺に、向かい合うソファーに座ったガイとシンクが何やらほざいてくる。気怠いが頑張って、俺は首だけ横に動かして二人を見た。
「……別に落ち込んでねえよ」
「彼女達もお前を心配して、一晩中手がかりを探してたんだ」
そのまんま子供を宥める調子で、ガイが俺に語り始めた。だが俺は落ち込んでなんていない、きっと。
「それがお前、眠れないほど心配してた相手が、その間女遊びをしてたなんて知ったら、それは頭にきても仕方ないだろう」
「だーかーら、全部あいつの嘘……つーかお前らの勘違いだって言ってんだろうが。何もなかったんだよ、マジで」
ガイの間違いだらけの指摘に反論し、俺は大きく溜め息を吐いた。ノワールの奴、今度会ったらマジでぶん殴ってやる。
だいたいそもそも、シンクが俺の無実を証明してくれたら話は早いのだ。しかし、面倒だし自分には関係ないことだ、とかほざいて何もしてはくれない。
だからまだ、非常に非常に納得いかないが、ティアとリグレットは俺を軽い人間として軽蔑中なのである。
……ふぅぅぅぅ……何で俺がこんな目に。元から嫌われてんのに、更に嫌われたとか……そろそろ二人から消えて欲しいとか願われるんじゃないだろうか、いやマジで。
これでアリエッタにまで笑顔で「目障り、です」とか言われたら、普通に楽々と寝込めそうだ。
そんな軽く鬱が入ってる、バチカルの実家での夕暮れ時だった。
* * *