清らかに流れる水が水路を巡り、街は清涼な空気で満ちていた。譜業と譜術を用いて海上に創られた水の街、グランコクマ。
青、青、青、とにかくグランコクマはその色が強い。どこを見ても蜘蛛の巣のように広がる水路があり、そして人々が纏う衣類も青を基調としたものがかなり多いのだ。
これは壮観だ。
街にある人工の滝や噴水を眺め、俺は感嘆の吐息を漏らした。
鉄ばかりで固いイメージがあるバチカルとは違い、ここは何となく柔らかな感じがする。
初めて訪れた街の景観は、十分に俺の目と心の保養になってくれた。
「そろそろ行くかね」
そろそろ国際会議も終わってる頃だろう。観光も粗方終わったし、俺はぶらぶらと散歩してた公園を出て、城へと続く道を歩き出した。
数刻前、仕事がある仲間とは違い暇な俺は、フリングス少将に取り次いでもらった商会に顔を出したり、有名な観光スポットを巡ったりして街を徘徊していた。その時、皇帝の使いを名乗る人から手紙を渡されたのだ。
そこに書かれていた文章は凄まじく長ったらしかったが、しかし内容は至って単純。要約すれば飯を出すから城に来てくれ、ということだ。
「……つーか、これ意味ねえじゃん」
手紙の裏面を眺めながら、俺は呆れ半分で苦笑した。
びっしりと固い言葉で埋められた手紙の裏に、汚い字で一言書かれているのだ。歓迎するから遊びに来てくれ、と。
多分そっちが皇帝の直筆なのだろう。しかし正式な文書の裏に、立場完全無視の落書きみたいな走り書きって……うん、ぶっちゃけどうなんだ。
相変わらず皇帝らしくない皇帝を危ぶみながら歩いていると、横の通りから見知った二人が出てきた。
思いもしない遭遇だったので、つい反射的に顔が引きつってしまう。
「あー……仕事、終わったのか?」
「はい。ルークは、今からどこに行くの?」
「…………」
可愛らしく聞いてくるアリエッタと、バチカル滞在中から今現在に至るまで、一言も会話してないどころか視線も合わせていないリグレットだ。
アリエッタと会えたのはもう運命を感じて嬉しいが、リグレットがいるのは非常に気まずい。
「二人とも……元気ない、です」
俺たちが発する重苦しい空気に、アリエッタが心配そうにぬいぐるみを抱く腕に力を込めた。
俺は直ちに笑顔を作り、リグレットに向ける。そしてアイコンタクト。
――今だけは無視するなよ。
――……了解だ。
若干渋ったリグレットだったが、俺のあまりの必死さに押されてか、比較的簡単に頷いてくれた。
「別に何もねえよ。なあ?」
「ああ。自分では何時も通りだと思うが、何かおかしかった?」
「……アリエッタの、気のせいかも……。ごめんなさい、変なこと言って」
ぺこりと頭を下げたアリエッタ。その素直さと純粋さは、もはやちょっとした武器だ。嘘をついてる俺としては罪悪感が凄まじく、良心の呵責で苦しい。
……これはもう、逃げよう。
約束の時間までそんなにないし気まずいし、さっさと立ち去るに限るぜ。
「じゃあまた後でな。俺、今から城に行かなきゃならねえんだ」
「ルークも、お城に行くの? アリエッタたちも、です」
……まさかの最悪の展開だった。
アリエッタを真ん中に挟んで、三人で若干ぎこちない会話をしながら歩く。
聞くところによると、リグレットとアリエッタも皇帝に呼ばれたらしい。だが半分以上遊びに行く俺とは違い、二人は皇帝個人からのちょっとした依頼をこなしに行くのだとか。
ブウサギが云々のくだりで、その個人的な依頼への興味が失せた。マルクトの皇帝は家畜と武器に発情する危ない人間だと、そんな噂が笑い話の類として広まっているのだ。きっと、ブウサギの声が聞きたい! とかアリエッタに頼むつもりだろう。
……今更な気がしないでもないが、ピオニー陛下って大丈夫なんだろうか。頭とか。
「ルーク、ルーク」
遊びに行くのやめようかなー……と結構本気で考えていると、アリエッタが服の裾を引っ張ってきた。
「あのね……この服、どうしたの? 前のと同じ、です」
「ああ、お袋がくれたんだよ。服の型紙が残ってたらしくてな、流石に家紋はいれてねえけど、それ以外は前までの一張羅と完全に一緒だぜ」
今日の服装は腹筋が丸出しの白の半袖と、俺のお気に入りのものだ。マルクトは熱いから、この服があってかなり助かっている。
「……お前、二十二にもなってその服装は犯罪だぞ」
「ああ? お前には関係ねえだろ」
「あ…………すまない」
呆れて半眼で見てくるリグレットに何時もの調子で返せば、一瞬酷く傷ついたような顔をされた。
あー……もう本当に気まずい。つーか俺は馬鹿かよ。関係ないとか、ギクシャクしている現在の状態の発端の単語だってのに。
*
「はははっ、本当に生き返ってやがる。どこまで面白いんだよ、お前は」
普段は使ってないと言う大きな部屋に通されるや否や、椅子に座って待っていたピオニー陛下がそんな第一声をかけてきた。
俺は円卓に用意された残り四つのうちの一つに座り、陛下に軽く会釈してやる。
「お褒めに預かり光栄です、皇帝サマ」
「そんな嫌そうな顔をするな。俺はお前が生きていてくれて嬉しいんだ」
からからと楽しそうに笑う陛下に、俺は鼻を鳴らして答えた。
嬉しいも何も、ほとんど初対面じゃねえか。一年前の交渉の時の借りがあるから来たが、別に俺としては再会の感慨も湧かない。
「お前たち二人も座ってくれ」
入口で佇むリグレットとアリエッタに席を進め、陛下は給仕に食事を運んでこいと申しつけた。
大きな円卓を、色とりどりの皿が次々に埋めていく。四人で食うにしてはあまりにも量が多いと、俺は余った一脚と陛下に視線をやった。
「シンクも呼んでたんですか?」
「ああ。仕事があるからと断られちまったが」
残念だ、と首を振って肩までかかる金髪を揺らし、陛下は溜め息を吐く。しかし直ぐにその浅黒く焼けた顔を綻ばし、楽しそうに一度手を打った。
「まあいいさ、それよりも食事だ。今日は無礼講だ、肩肘張らずに存分に楽しんでくれ」
掲げられた杯を合図に、意図がよくわからん食事会が始まった。まだ夕方だってのに、量が多すぎて若干嫌になるぜ。
とは言っても城の料理、かなりの味のそれを自分でも意外なほど次々と胃袋に収めていく。
俺から見て向かいに陛下、左にアリエッタ、右にリグレットの順に座っている。リグレットと陛下の間には空席と、それに伴う壁のようなものがある感じだった。
「それにしても、総長殿が来てくれるとはなあ。ジェイドの話だと、俺は随分と嫌われてるようだったが」
「私はアリエッタの護衛です。魔物を連れていけない彼女に、もしものことがあればいけませんから」
「主の前でここの警備を愚弄するか。相変わらず凄まじい女だな」
「警備が万全でも、内部に危ない人間でもいればどうしようもないと言いたいのです」
不穏な空気を発しながら、二人は視線と言葉で牽制しあう。今のところは危ない人間である陛下が、少し押され気味な感じだ。
つくづく思うが、飯が不味くなるので止めて欲しい。
そんなことを切実に思っていると、陛下の挑発の色を浮かべた瞳が俺に向けられたら。
「安全の確保なら、ここに立派な番犬がいるが?」
「おいこら、そこのブウサギ狂い。犬ってのは俺のことか?」
「ほら見ろ。いくら無礼講とは言ってもこのマルクト帝国の皇帝に、こんな口を叩ける野郎はなかなかいないぞ?」
嫌らしく口元を吊り上げて、陛下はリグレットを見つめる。
むう……相変わらずこの人、どういった基準で動いてるのかまるで分からん。ぶっちゃけリグレットに何を言わせたいんだ。
普段ならここで俺が「外交が絡むから来たに決まってんだろうが」、と暗黙の了解で誰も言わない事実を言えばそれで済むのだが、いたらないことを言ってリグレットの機嫌をこれ以上悪くさせるのはご免だ。
「あ、そうかそうか」
同じく訝しげに瞳を細めていたリグレットに、陛下はジェイドを彷彿とさせる憎たらしい笑顔を浮かべ、納得したと何度もわざとらしく頷いてみせる。とてつもなく下らない三文芝居だ……呆れるほどに。
「番犬君は総長殿のものだったな。アリエッタちゃんは護衛の対象外ってことか」
「……は? あんた何言ってんだよ。むしろ俺はアリエッタを守ることが使命だと思ってるぜ」
またしてもよく分からないことを言い始めた公害陛下を、俺は半眼で睨みつけた。
「ルーク……アリエッタを守ってくれるの?」
一生懸命スプーンを動かしていたアリエッタが、きょとんと首を傾げる。ぱちぱちと瞬きする桃色の瞳がとても愛おしいから、俺は即答した。
「おう。アリエッタが立派なお婿さんを取るまで、近寄ってくる害虫と降りかかってくるゴミは、俺が完全に払おうとか思ってる。嫌か?」
「えっと……えっと……お婿さん? よく分からないけど……アリエッタ、嬉しいです」
にっこりと笑ってくれたアリエッタ。もう感涙ものだ。
一度は命をやると誓った相手なのだから、アリエッタが世界一幸せになる手助けくらいしないと、俺の気は済まない。これで迷惑だとか言われたらどうしようもなかったが、いい答えが聞けて一安心だ。
「……むう、アリエッタちゃんもお前のお気に入りだったか。だが、これで言い逃れは出来ないだろう」
悔しそうに唸る陛下は、しかし次の瞬間には勢い良く立ち上がり指を鳴らす。
「やあやあ皆さん、お久しぶりですねえ」
そして召喚されたのは、あろうことか鬼畜有害眼鏡だった。
「……何だよ、それ」
青い軍服の上に白衣を羽織ったジェイドは、大きな鉄の箱を乗せたカートをガラガラと押してくる。箱には少しだが煤がついていて、どこかで見たようなカーキ色をしていた。
「ラジエイトゲートからの帰りに、過剰な音素力が検出されましてね。遠回りをして調べに行けば、趣味の悪い譜業兵器が海に浮かんでいたんですよ」
「…………それ、記憶媒体か?」
ジェイドが言った譜業兵器、十中八九カイザーディストだ。ジェイドは俺の質問に答えずにただ笑っているが、しかしわざわざ回収してきたってことは、俺の考えは間違ってないだろう。
……と言うことはだ。何か勢いで言ってしまったあの言葉が、しっかりちゃっかり記録されてる可能性が非常に高い。
「その中身、もう調べたのか?」
「ええ。大したことは記録されていませんでしたが、面白い音声データは見つかりましたよ。確か、次あいつに――」
「うん、じゃあもう必要ねえな」
素早く立ち上がりながらジェイドの真ん前に移動し、俺は迷わずに鉄の箱に木刀を振り下ろす。豪快な破砕音をたて、箱は見事に砕けた。
そしてジェイドを三白眼で睨みつけ、肩に担いだ木刀を揺らしながら、俺は真心と誠意を込めて言ってやる。
「次余計なこと言ったら、てめぇを解体バラすぞ」
「はははは、嫌ですねえ。私は常日頃から、陛下に個人情報保護の強化を具申している身ですよ」
「そっかそっか、じゃあ後で音声をコピーしたフォンディスクも破棄するんだな。プライバシーは大切なんだから」
「ちっ……やはり一筋縄ではいきませんか」
いい笑顔で堂々と真っ赤な嘘を吐いたジェイドに釘を刺せば、真顔で舌打ちされた。ピオニー陛下も残念そうに「簡単に負けるなよ、ジェイド」とか呟いてやがる。
この二人……マジで駄目だ。俺をからかうためだけに、普通ここまで手の込んだことやるか?
ぶっちゃけディストを脅した時の台詞、この趣味の悪いおっさん二人組が考えてるようなリグレット個人を心配してのそれではない。
ディストがアニスを人質にしたり、シンクとイオンが頑張って破棄したフォミクリーを復活させようとしたりと、俺の神経を逆撫でするようなことばかりをして苛立ってる時に、リグレットが頻繁に暗殺者を仕向けられているという現実を知って更に苛立ち、それらがぐちゃぐちゃに混ざって口から出たような言葉なのだ。
だから本当にただの勘違いなのだが、例え誤解がとけても絶対にこの二人は話を面白おかしくしようとする。そう判断した上での、迅速かつ最善な証拠隠滅だった。うん、流石俺だ。
「ネクロマンサー、さっきから何の話をしている? 私に関係のあることなら、隠さずに分かるように言ってくれ」
「ルークに聞けばいいでしょうに。ああ、そういえば今は喧嘩中でしたか」
「…………」
うっかりしていました、とジェイドは飄々と言いやがった。
俺はわざとらしく咳払いをし、椅子に腰掛けてジェイドと陛下を交互に見る。
「今後の予定、もう決まってんだろ? 聞かせてくれよ」
「プラネットストームの停止は、三国とも承認しました。作業は四日後、第零音素意識集合体オールドラントの事も含めて、国民への発表は明後日です」
やれやれと肩をすくめた後、ジェイドは態度をがらりと変えて真面目に答えた。ついで眼鏡を押し上げながら、俺が後ろに吊り下げている鞘を一瞥する。
「ローレライの鍵を用いれば、プラネットストームを操作できる――間違いありませんね?」
「ああ、俺はそう聞いてる。アッシュかティアがラジエイトゲートの再奥にある譜陣で、柄の宝珠に第七音素を込めれたら、後は勝手にセフィロトのフォンスロットが閉じるはずだ」
僅かに安堵の表情を浮かべ、ジェイドは科学者の顔のまま次の質問を繰り出して来た。
「前も言っていましたが、ティアにもローレライの鍵を扱うことができるのですか?」
「あの鍵って、元はローレライがユリアの手助けをするために作った、第七音素意識集合体の力を宿すためのものなんだぜ。だから逆に、ユリアの子孫のティアが使う方が自然な流れだろ。まあアッシュもティアも、力の全部は使えねえだろうけどな。出来て第七音素の収束と拡散くらいか」
「なるほど、言われてみれば確かにそうですね。ローレライの鍵はユリア専用のもの、とそういうことですか」
納得したと頷くジェイド。しかし直ぐに眉間に皺を寄せ、戸惑い気味に俺の瞳を覗き込んだ。
「第七音素意識集合体の力を宿した鍵……アッシュとティアの二人がその機能の全てを使えない……。――ローレライの力の本質は、超振動ではな――」
確信に迫ったジェイドの興奮気味の声は、しかし途中で鳴り響いた爆音にかき消され、最後まで紡がれることはなかった。
まあ……すでに俺は、エンゲーブでリグレットとティアに、その答えを言ってしまっているのだ。新発見の嬉しさに若干打ち震えていたジェイドに、ちょっとだけ申し訳ない気がしないでもない。
「な、何だ……上か!?」
呑気にそんなことを考えている俺とは対照的に、真上からの爆音に陛下は大いに取り乱す。先程の言葉通り、城の警備には絶対の自信があったのかも知れない。
「晴天の霹靂ってか」
ガラガラと崩れ落ちてくる元天井、現瓦礫をかわしながら、屋根まで突き抜けている穴を見上げる。
『ハーッハッハッハッハッハッ! 薔薇のディスト様、華麗に参上!!』
降り注ぐ高笑い、そして悠然と降下してくるカーキ色の巨大な物体――鳴り響いたその名乗り声の通り、まさしくそれはディストの操りし譜業兵器だった。
大きな球体に、手足の代わりにドリルと推進装置をつけたそれ。球体の上には砲門が二つ覗き、横には例の円筒形の爆弾がずらりと並んでいる。
「……また来たのか」
一緒に部屋の隅に避難していたリグレットが、顔を伏せたまま静かに淡々と呟く。
『おや、これは都合がいい。ジェイド…………ちっ、ローレライも一緒ですか。まあいい、今回は装甲を完全にコーティング済み。いくらあなたと言えど、前のように易々と解体することは不可能ですよ!』
明らかに俺を見つけて声を上擦らせたが、しかしディストは自らを奮い立たせるように叫び、その凶悪なドリルを回転させる。
「これはまた、珍しい客が来たもんだな」
ジェイドの背後に庇われた陛下が、鷹揚たる態度でディストを睥睨する。
「わざわざ城に来たってことは、この俺に用があるんだろう? サフィール、茶を出してやるから、そんな無粋なガラクタから降りて来たらどうだ」
「温かくない牢屋と美味しくない食事も用意しますよ」
『久しぶりですねえ。だが今は、あなた方の無駄口に付き合ってる場合ではありません。率直に言います、この城にある聖剣ロストセレスティを渡しなさい』
ディストは酷く興奮した様子で、喚き散らすようにそう言った。誰もがそのよく分からない要求に目を細めるが、しかしディストはそれさえも我慢出来ないようで、ヒステリックに怒鳴った。
『第六音素含有量が高い剣のことです! 早く持ってきなさい! 邪魔な物を全て壊し、その後でゆっくりと探してもいいのですよ!!』
聖剣ロストセレスティ……気のせいかも知れないが、その名称はどこかで聞いたことがある気がする。だがはっきりと覚えてないということは、大して重要な物ではないのだと思う。大方、教団で読み漁った資料の一部にあった記述だろう。
「第六音素か……」
「陛下、覚えがあるのですか?」
邪魔な白衣を脱ぎ捨てながら問うジェイドに、ピオニー陛下は右手で顎をさすり答える。
「俺のコレクションの中に、確かサフィールが言ったような物があったはずだ」
『それだっ! 早くそれを持ってきなさい!!』
「旧知の縁だ、お前に聖剣とやらをやってもいい。だがなあサフィール、何をするつもりなのかは答えて貰うぞ」
王者の風格と余裕をもって堂々と告げる陛下と、狂ったように叫び続けるディスト。だがしかし、両者の立場は完全に逆だ。今現在最も重要な力関係だけを見れば、圧倒的に有利なのはディストの方なのだから。
『何を……する……? ハーッハッハッハッ!! これは傑作ですねえ! そのような事、あなた達二人ならわかりきっているでしょう! 今も昔も私の願いはただ一つ、あの頃の夢のような日々を取り戻すことだけだ!!』
「……未だに、そんな事を言っているのか」
闇色の重厚さを持つ、負の感情を押し殺したような声。ディストの狂喜の声に答えたのは、ジェイドだった。何時もの淡白なそれは完全に影を潜め、剥き出しの激情だけが表出している。
『ジェイド、あと一歩なんです! あと一歩で――聖剣と第七音素さえ揃えば、ネビリム先生は生き返るんです!!』
「死んだ者は生き返りません。あなたが何を計画しているかは知りませんが、どうやっても零れた水は盆には還らない」
『レプリカがあります! ジェイド、その道を示したのはあなたですよ!』
「昔の話です。既に結論は出た。レプリカはオリジナルにはなれないと」
自らを律するかのように、ジェイドは深く息を吐いた。
……さて、どうしたものか。
正直に言うと、俺はこれからどうするか迷っていた。部屋の外には警備の兵士たちが集まっているが、陛下が踏み込んでくるなと指示を出している今の状況。ある意味で膠着状態とも言える。
何時もなら既に、俺は何らかの行動を起こしているだろう。ディストにも言いたいことは山ほどあるし、ネビリムという名にも聞き覚えがあった。
……だが、いまいちやる気が出ない。何もする気が起きないのだ。さっきまでは頑張ってなるべく何時も通りに振る舞っていたのだが、それももう限界。ディストの襲撃のせいで、逆に緊張の糸が切れてしまった感じだ。
『どうして……どうしてそんなことを言うんだ、ジェイド!! ネビリム先生はレプリカの身体をもって生き返るんだ!』
「いい加減にしなさい! 例え完全同位体が出来たとしても、それでもオリジナルとは違う。ルークとアッシュが生きた証拠だ」
『そんなことは関係ない! 私はネビリム先生を取り戻してみせる! そうすればジェイド、あなただって昔のように――』
「――もう、いいだろう」
噛み合わなくて、そしてどこまでも平行線を辿る二人の会話を、圧倒的な存在感をもって打ち切ったのは、リグレットだった。顔にかかった前髪を払うこともなく、不気味なほど静かに抜いた二丁の譜銃を構える。
「積もる話は後でゆっくりとしろ。ディスト、先に忠告しておく。どうやら私は、手加減出来そうにない……いや、違うな。私は手加減をする気がない。死にたくなければ、大人しく降伏しろ」
「リグレット……怒ってる……?」
場を静まり返らせるリグレットを、アリエッタがおずおずと見上げる。彼女はそれに答えることなく、ジェイドと、そして陛下を見やった。
「…………仕方ないな。カーティス大佐、総長殿の言うとおりだ。宮殿の平和を脅かす危険を、即刻排除しろ。オラクル騎士団主席総長リグレット殿、賊を捕らえるのを手伝ってくれ」
「了解です、皇帝陛下」
「……了解です。確かにあの馬鹿は、一度殺さなければ治りませんね」
ジェイドは一度歯を軋ませ、眼鏡を押し上げた手をそのまま下に払い、音素光を撒き散らしながら分解していた槍を再構成する。ディストもそれに応えるように、二つのドリルを回転させ火花を散らせる。
「衛兵、陛下を安全な場所にお連れしろ! 援護はいい、手が開いている者は皆の避難を!」
『戦う気ですか! いいでしょう、あなたの目を覚まして差し上げます!』
――かくして、戦いの火蓋は切って落とされたのだった。
迫り来るガイザーディストを横にかわし、リグレットとアリエッタが詠唱を始め、ジェイドが牽制に側面に槍を突き出す。
俺はと言えば、兵士に連れられて部屋を出ようとしてた陛下の首根っこをひっつかんで、部屋の隅まで引きずっていた。
「……おいルーク君、これは何の真似だ?」
「無傷でいたけりゃここにいろ。あのガラクタとあいつら三人が暴れたら、壁なんてあってないようなもんだ。下手に逃げてると、途中で戦いに巻き込まれるぜ」
炸裂する光と闇の上級譜術に、雷を纏うジェイドの槍。それらを受け止め、跳ね返すカイザーディスト。既に皹が入っている対面の壁を眺める俺に、陛下は難しい顔をして唸る。
「ここにいれば、お前が守ってくれるのか?」
「まあ、そういうことだな。ぶっちゃけあんたが一緒に逃げてたら、兵士たちの生存率もがた落ちだし」
「…………ルーク、お前ここでで働かないか? ガイラルディアもいるし、給料も好きなだけ出すぞ」
……この人、いきなり何言ってんだ。勧誘するにしても状況を考えろよ。
『ハーッハッハッハッ! このカイザーディスト、その程度の攻撃ではビクともしませんよ!』
「相変わらず固い……二人とも、時間を稼いで下さい。一気に決めます!」
床を削り砕くドリルを槍でいなし、ジェイドは跳躍して後ろに大きく後退する。入れ替わるように前に出たリグレットが、譜銃を乱射しながら凄まじい速度でカイザーディストに向かう。
『爆ぜ飛べ!』
譜業兵器より解き放たれた四発の円筒爆弾。リグレットはそれを、ほぼ発射と同時に的確に打ち抜く。閃光とともに生まれた爆炎は、展開していた無色の壁に押し殺された。
『バリアーだと!?……アリエッタですか!』
「ディスト……降参して下さい、です。アリエッタ、ディストと戦いたくない」
『残念ですが、私は止まりません! かつての同僚を殺してでも、私にはやらなければならないことがあるのです!!』
轟と大気を震わせ、爆炎とともにリグレットを吹き飛ばさんと、ドリルが振るわれる。しかしそこに、彼女の姿はなかった。
「忠告はしたぞ、ディスト」
――シアリングソロウ――
爆風の余波を利用し、遥か上空に飛び上がっていたリグレットは、第五音素を凝縮して作り出した巨大な火球を下方に飛ばす。衝突して爆ぜたそれは、真上に焔の柱を走らせ、カイザーディストを飲み込んだ。
……あの技、確かティアも使ってた。譜術と比べればそりゃあ早いが、炎の塊を生み出すのにも敵に着弾するまでにも、それなりに時間がかかるし、さらに射程距離がやけに短い乱暴かつ乱雑な技だったはずだ。だから使い勝手が悪いと思ってたが……なるほど、場合によってはかなり使えそうだ。
感心して延々と譜を紡いでいるジェイドを見ていると、後ろから陛下に肩を叩かれた。
「勝てそうなのか?」
「勝てるだろ。珍しくジェイドも本気っぽいし、それ以前にリグレットが後先考えないで攻めてんだから。これでアリエッタまでディストを殺す気でやり始めたら、この城、冗談抜きに崩壊するぞ」
リグレットは普段、仲間の安全を確保するように動く。中距離から援護射撃をしつつ、敵の反撃を遠距離から強力な譜術で封じる。
それが前衛に出て、仲間を援護するためでもなく、敵の反撃を封じるためでもなく、ただ敵を潰そうと動いているのだ。
今の譜術士だけのメンバーでは妥当な配役だが、それでもあれは軍人の戦い方から外れている。どちらかと言えば、俺のやり方に近い。
「……何でリグレットの奴、切れ気味なんだ?」
「いや、それはお前らの仲違いの元凶が、サフィールだからだろう」
炎の柱に焼かれる譜業兵器、その一番上に位置する砲門に、落下の勢いを乗せた回転踵落としを食らわせ、さらに純白のニードルがついた譜銃の銃底で、装甲の薄いドリルと本体を繋ぐ駆動部を殴りつける。
「――――貫け!」
――レイジレーザー――
そしておまけとばかりに、リグレットは全身のフォンスロットを解放し、収束した第六音素を超圧縮した光線を二つの譜銃より放った。
光線は見事接合部を貫き、ドリルは根元から火を吹きながら回転を止める。重さを感じさせず華麗に着地したリグレットは、ついで横に飛びながら詠唱を始める。
『片腕が……まだだっ! 食らいなさい!!』
「いかせません……――ネガティブゲイト!!」
残っているもう片方のドリルを地と平行に構え、距離を取るリグレットに突撃するカイザーディストを、待ち構えていたアリエッタの譜術が襲う。
上空に出現した暗黒の空間が力場を生み出し、譜業兵器を束縛しながら装甲を削る。大したダメージにはならないだろうが、いい時間稼ぎにはなっていた。
「……流石だな、あの二人もお前も。参戦しなかったのは、最初から一方的な展開になると予想してたからか?」
「一方的ってわけでもねえだろ。しかも俺がここにいるの、何かここ最近身体がダルい……つーか、やる気が一向に出ねえからだし」
金属の軋む音に耳を傾けながら、オラクル組の連携に目を見張る陛下に正直に答える。
つい最近まで常に追い込まれてたから、それを乗り越えるために、俺は何時も死ぬ気で頑張っていた。不調の原因は多分だが、現在絶対的な困難がないからだろう。
『小癪な小娘どもがっ! あとで絶対に復讐してやりますよ!!』
「やっぱ平和ボケしてんのかね……こっちに帰ってきた時は調子良かったのに」
「この状況で平和なんて言葉を出すのは、本当にお前くらいだろうなあ」
別々の理由で、しかし二人揃って溜め息を吐く俺たちの視線の先では、アリエッタの第一音素譜術から抜け出したカイザーディストが、残っている爆弾を四方八方に突き出し始めていた。
「ちっ、キレやがったか」
「うおっ! またか!?」
「な、何を!?」
俺は焦らず騒がず、迅速に行動に移す。陛下の首根っこを再び掴み走り出し、近くにいたリグレットを抱え上げ、一番遠くにいるジェイドを直線で結べる角度で、アリエッタの前に出る。
すでに先日、俺はあの爆弾の対処法を見つけていた。ついさっきもリグレットによりそれを実行されたからだろう、ディストはあえて狙いを定めず、無差別に爆弾をばらまき続ける。
総数にして二十。球形の機体から次々と吐き出された爆弾は、一瞬にして室内を埋め尽くした。
そしてつぎの瞬間、部屋に散在する爆弾が閃光を放った。
世界は爆炎で赤く染まり、爆音で激震する。たとえ障壁を展開しても重傷は免れない、圧倒的な破壊の衝撃。
……やはり予想通り、一方的な展開だけでは終わらなかったか。
『…………また……か……またあなたですか、またあなたが邪魔をするのですか、ローレライ!!』
しかし爆炎と粉塵が晴れた、既に原型を留めていない部屋に、俺たちは完全完璧に無傷で生存していたのだった。それはもう、ピンピンと。
俺は邪魔な陛下の襟首を離して、瓦礫が積もる床に下ろす。そして研ぎ澄ましていた意識を緩め、瞳を開けて機体の中のディストを見据える。
「もうわかってるだろ、ディスト。一年前なら十分だったんだろうが、強くなってんのはお前の譜業兵器だけじゃねえんだ。対譜術機構っつったか、あれだって距離がなかったら使えねえんだろ? 今の技術力じゃあ俺どころか、オールドラントっつー死線を二回も潜り抜けて来たこいつらも超えられねえよ」
『黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!! 私はネビリム先生を復活させるためだけに生きてきた! それが叶わないのなら、私には生きている意味がないんだ! こんな所で捕まるわけにはいかないのに……どうしてあなたは邪魔をするのですか!? あなたは人間との契約を果たすためだけにいるのでしょう!? だったら! ――オールドラントを倒せば消える身なら、私の邪魔をするな!!』
「…………え?」
「――お喋りはここまでです」
最後の抵抗とばかりに、泣き叫びながら砲門に音素を収束するディスト。ディストの声をついだのは、俺が左腕で抱えるリグレットの呆けた声と、ジェイドの幕引きの言葉。
『……――旋律の戒めよ、死霊使いの名の下に具現せよ――』
延々と紡がれていた譜が、今ここに漸く完成した。両の譜眼から取り込まれた膨大な量の音素が顕現する、死霊使いの真骨頂。
――ミスティックケージ――
譜の帯が譜業兵器を包み込み、譜術の名称通り動きを封じる。そして譜の檻の中に、純粋な破壊を秘めた音素力が解放された。
「同郷の誼です。命だけは奪わないでおいて差し上げましょう」
顔馴染みですからね、楽しい楽しい尋問も私が担当しましょうか――と、そう締めくくるジェイドの赤く輝く瞳の先では、檻の中でのみ暴れまわる力の奔流が、文字通り譜業兵器を粉砕していたのだった。
*
「……本気、ですか」
「ああ。本気も本気、徹頭徹尾大真面目だぜ」
薄暗い牢の簡易ベッドですやすやと眠るディストを視界の隅に、とことん複雑な顔をして眉間に皺を寄せるジェイドにむけて、俺は口元を釣り上げて挑発的に笑う。
「知ってるぜ、ゲルダ・ネビリムのこと。教団の研究者時代から最後の時まで――と、その続きまで」
「…………まったく。最近あなたが何を知っていようと、驚けなくなってきましたよ。どこでネビリム先生のことを?」
あの事件は関係者以外は知り得ないはずです、とジェイドは僅かに目を細めた。
俺は小さな机の上にあるカップを取り、対面に座るジェイドを真正面から見据えながら、それに口をつける。牢屋の廊下で飲む茶ってのも、なかなか乙なもんだ。
「別に俺が凄いんじゃねえよ。お前も忍び込んでみれば、ローレライ教団の立ち入り禁止区域の凄さがよーくわかるぜ。今はどうか知らねえが、一年前の時点じゃあ、あそこに揃ってない情報はなかった」
ゲルダ・ネビリム、彼女は稀代の天才科学者であり第七音素譜術士。元ローレライ教団所属の研究者で、退役後は故郷のケテルブルクで教鞭を取りつつ、治癒術士として貢献した人物。研究者としてのテーマは、創世歴時代の戦略兵器・惑星譜術の復活と制御――等々、その人生の粗筋がまとめてあった。
「人の口に戸は立てられねえってな。ゲルダ・ネビリムの資料に、ちゃんと書かれてたよ。俺たちの先輩――生体レプリカ第一号のオリジナルだって」
「あなたは……っ……」
適当にカップを机に置く俺に、ジェイドはあからさまに溜め息を吐いた。何か言おうとして口を開いて、そしてまた閉ざす。何度かそれを繰り返した後、もう一度溜め息を吐いてからジェイドは俺を正面から見た。
「あなたには、思いやりという概念がないようですね」
「くははははっ、ジェイドにそんなこと言われる日が来るなんてな。つーか弱くもねえお前を思いやって、何になるってんだよ」
「それで、本気なのですか?」
真っ黒な笑顔のまま、そんな質問を至って自然に差し込んで来たジェイド。だから俺も、邪悪な笑みを浮かべて答えてやった。
「だから本気だって言ってんだろうが。まあ、選択するのはお前だし、せっかくの機会を不意にして後悔するのも、これまたお前なんだけどな」
――ディストに、協力してやろうぜ――
それが、俺の提案だった。
何もレプリカを生み出すのに賛成したのではない。ディストを尋問して得た情報から、そういう結論に至ったのだ。
先ほど上がった、生体レプリカ第一号の話。レプリカネビリムは、俺たち新世代レプリカのように第七音素で構成されているのではなく、普通の人間のように第一から第六音素までで構成されている。
しかし第七音素で出来ていないレプリカは、とてつもなく不安定なのだとか。だから幼かったジェイドの譜術で生み出されたレプリカネビリムは、極端に第一音素と第六音素が欠乏しているという欠陥を孕んでいたという。
結果、精神が不安定だった彼女はジェイドたちの前から姿を消し、そして数ヶ月にも渡り譜術士を殺し回って、死体から音素を吸収することになる。それをまだ現役だったマクガバン前元帥が、強すぎた彼女に対する苦肉の策として、何とか封印したのだ。
そしてディストの計画とは、その生体レプリカ第一号レプリカネビリムを復活させることなのだ。
欠乏している音素を供給し、第七音素で安定化を図る。俺たち新世代のレプリカのようにゼロから作られたのではなく、オリジナルの身体を材料として作られた彼女なら、オリジナルの意志を持っての完全な復活も可能――それがディストの考えだった。
「あなたは、ディストの推測が正しいと考えているのですか?」
「まさか。死んだ人間は、絶対に生き返らない。俺はただ、ディストの気が済むまでやらせてやりてえだけだよ。それに言っただろ、やらなくて後悔するのはお前だって」
俺は席から立ち上がり、ジェイドに背を向けて扉に向かう。そしてひらひらと手を振りながら、鼻を鳴らして笑ってやった。
「ずるずる引き摺るのは、結構辛いだろ。そろそろレプリカとの決着、完全につけてみたらどうだ?」
「…………そうですね」
「ああ、そうですよ」
石の扉を押し開ける音に混じり、ジェイドが小さく息を吐き出す音が聞こえた。
「ルーク」
会話はおしまいとばかりに石段を登り始めた俺の背中に、そんな声がかけられる。牢屋に響くそれには冗談抜きの真剣さが滲んでおり、俺は思わず立ち止まってしまった。
「死んだ人間は、絶対に生き返らない。私の考えもそうです。ですが……いえ、だったら――あなたは、どうしてここに存在しているのですか? もしやネビリム先生も――」
「ジェイド」
俺は再び薄暗い牢屋から出るために、ジェイドの声を遮り歩み出す。
「――そんなの、俺が人外だからに決まってんだろ」
*
皆は仕事柄、宮殿内に部屋を与えられている。ディストの襲撃で宮殿はかなり損傷したからどうなるかは知らないが、ともかく無職な俺は一人で部屋を借りていた。
その宿屋へと続く夜道を歩きながら、静かに溜め息を吐く。
……ついに、バレちまった。俺の今のところの末路と、正体というか実体というか……何と言っていいのか分からないが、とにかくそういうものが。ディストの野郎、絶対に後で殴ってやるぜ。
頭の中でディストを撲殺していると、宿屋の前の街灯の影から出てきた人影が、石畳を靴底で鳴らす。
「あー……奇遇ですね、リグレットさん。こんな夜道で偶然出会うなんて」
「……今は、そういうやり取りをする気になれない」
三日月に照らされる金髪で顔を隠し、リグレットは消え入りそうな声でそう返してきた。
「ずっと待ってたのかよ、結構冷えるのに」
「……本当のことを、教えてくれ。言いたくないなら、言わなくてもいい。でも、嘘はつかないで」
事前に、会う約束をしていたわけじゃない。それどころか、俺はまだ宿泊先をリグレットに伝えてもいなかった。
挨拶も前置きも完全に置き去りにして、いきなり切り出された核心。あまりにも余裕がなく、あまりにも危なく見える彼女の様子に、俺は無言のまま頷いて宿屋の扉を開けた。
リグレットを後ろに、古ぼけたカウンターを抜けて、棚からワインの瓶とグラスを取って階段を上がり、二束三文で借りた小さな部屋に入る。
「その椅子、壊れかけてるからベッドに座ってくれ」
弁償させるために置いてあるような椅子を扉の前にどかし、小さな丸テーブルに瓶とグラスを置いてベッドに腰掛ける。リグレットは部屋のボロさに軽く眉を寄せていたが、しばらくして俺の隣に座った。
「とりあえず酒、飲むだろ?」
「…………ああ」
何から話していいか分からずに瓶を揺らしてみたが、気まずいを通り越した重苦しい空気はまるで変わらなかった。
半日前までの俺なら完全に心がへし折れてただろうが、しかしようやく調子を取り戻した今の俺にとったら、この程度の空気は何のそのって感じだ。
「あのよ、今日はお互い腹割って話そうぜ。俺も、今なら色々と正直に言えるし」
「……そうだな。最近、私は嘘しかついていなかった」
「俺はごちゃごちゃ複雑に考え過ぎてた。やっぱシンプルが一番だ、今日のディストの言葉でやっと目が覚めた」
ワインをグラスに注ぎながら、俺たちは苦笑しあう。本当に苦々しい笑い方だった。
今日、ディストは言った。夢を諦めるのなら、生きている意味はないと。
ぶっちゃけあれは、相当効いた。現在と未来を深く複雑に考えすぎるあまり、俺は自分が何をしたいのかを見失っていたのだ。そんな不甲斐なさすぎる精神状態を、ディストの単純だが強い言葉は、確かに変えてくれた。
グラスをリグレットに渡してやりながら、俺は苦笑を続けたまま論より証拠とばかりに手を振ってみせる。
「もう気づいてるだろうけど、正確に言ったら俺は、人間どころかレプリカですらねえんだ。一番近い存在は、やっぱりローレライなんだろうな」
振った手に握られているのは、第七音素の結晶である大きな黒いマフラー。正真正銘、ついさっきまで俺の身体を構成していたもの――つまり、俺の身体の一部分の別の形だ。
「見ての通り、今の俺は第七音素そのもの……でも仕組みだけは人間やレプリカと同じ、音素意識集合体でもレプリカでも人間でもない、中途半端な何でもない奴ってわけだよ」
「正直に言えばかなり驚いているが、今それはいい。私が教えて欲しいのは、ディストの最後の言葉のことだ」
ワインで口を湿らせたリグレットは、そんな事はどうでもいいとばかりに首を横に振った。果てしなく意外な反応に、逆に俺がびっくりだ。
「ルーク。今、私は本当に余裕がない。自分でも呆れるほどに、参ってしまっている。本当の事なんて聞きたくない、夢を見続けたい――そんなことさえ、考えてしまっているんだ。でも……でも、今何もしなければ、また前みたいに逃げてしまえば、私は絶対に後悔する。だから答えてくれ」
――あなたは、またいなくなってしまうの?
リグレットは俯いたまま、声を震わせたまま、それでもしっかりと、そう俺に問いかけてきた。
……本当に、どうしようもない。そんな質問をしてくるリグレットもリグレットだが、いくらでも誤魔化せるのに、そうしようとさえしない俺も俺だ。
リグレットは真実を知れば、絶対にまた自分のせいだと思い込む。完全に俺に対する罪悪感で、どうにかなってしまっているのだ。
そんな彼女の病気に近い精神状態を知っていて、俺は自分が楽になりたいから全部打ち明けようとしている。最悪だとは思うが、俺はそうしたいと思ってしまっている。
「……わからねえんだ、俺にも」
「わからない?」
駄目だとは思いながらも、俺はワインを煽りリグレットから視線を外して続ける。
「ローレライたち音素意識集合体は、知っての通り基本的には人間や魔物、この星に生きてる奴らには関われないだろ。契約しない限り、世界にただ存在してるだけだ。ローレライもユリアが死んだから、地殻にいたわけだし」
「…………」
「さっきも言ったけど、俺は前例も同類もいない半端な存在なんだ。だからお前とした契約を果たせば、また死んだ状態に戻るのか、イレギュラーとして存在自体が消去されるのか、このまま生き長らえれるのか、それともローレライに取り込まれるのか……冗談も嘘も抜きに、どうなるのかわからねえんだよ」
最後まで包み隠さず言って、俺は難儀な話だと溜め息を吐いた。半日前にもう自分の中で答えを出した問題だが、それでも人に話したことで楽になった気がする。
「……そうか、よかった」
「よかったって、全然よくねえだろ」
俺とは真逆に安堵の息を吐くリグレット。なぜそんな非道なことを言うのかと目を細める俺に、リグレットはゆるりと首を振って俺の手を取った。
「ルーク、お前はまだここにいる。消えてしまうというのも、絶対ではないのだろう」
「まあ、そうだけど」
「だったら、大丈夫だ。お前は人に望まれたから、帰ってこれた。例えオールドラントを倒して人間との契約を完遂しても、そんなことは関係なく、お前を必要としている人間はいる。ティアもアリエッタも、ガルディオス伯爵も導師もシンクも、みんなお前を必要としている。私だって、お前が居てくれないと困るんだ」
目尻を優しく下げて、リグレットは綺麗な青い瞳で俺を正面から見つめてくる。冷たくもなく妙な気遣いもない、ただ純粋なだけのその視線に耐えられず、俺は誤魔化すようにボトルを傾けた。
「……あー、そういう考えはなかったわ。結局のとこ、ぐだぐだ悩まずに全力でやろうって感じで自己完結してたしな。うん……なんか、マジで楽になった。ありがと」
弱音も吐いてみるもんだな、と笑う俺に、リグレットは澄ました顔で笑い返す。
「お前でも、弱気になることがあるんだな」
「当たり前だろ。つーか、前からよーく知ってるくせによ」
頭をがりがりと掻いて、空いたリグレットのグラスにワインを注ぐ。よく考えれば、こうやってリグレットと話すのは久しぶりだ。
「なあ、さっき腹割って話そうって言っただろ? そろそろ、何でずっと怒ってたのか教えてくれよ。流石に原因がノワールってわけじゃねえだろ」
「そう言質を掲げなくとも、正直に答える。今日のことで、無駄な努力だとわかってしまったからな」
やれやれと肩をすくめて、リグレットは俺のグラスにワインを注ぐ。妙に開き直った様子のリグレットに、俺はただただひたすら首を傾げていた。
まったくもって摩訶不思議だぜ。
「最初に謝っておく。あの言い様はなかった、すまない」
「ん……別にいいって」
「そうか、ありがとう。本当に軽蔑されてもおかしくない愚行だった。恥ずかしながら、理由を簡単に言ってしまえば…………」
微妙に戸惑いながらそう答えると、リグレットは開いていた口を閉じ、ぴたりと動きを止めて困ったように俺を見つめてきた。
「ルーク、どうしよう。理由が恥ずかし過ぎて……どうしよう、私は頭の足りない子供なのか?」
……いや、どうしようとか言われても困る。若干胡乱な瞳で見つめ返してしまった俺は、きっと悪くない。
「いや、まあ何となく分かるぜ」
「わ、わかるなっ! 何なんだ私!」
顔を真っ赤にして取り乱し始めたリグレット。流石に色々危険だと判断し、とりあえず頭を軽くはたいてみた。
「あのな、リグレット。お前いくら何でもストレス溜めすぎだ」
総長の仕事に要人の護衛、挙げ句の果てに定期的な暗殺者の襲撃とむちゃな鍛錬。ヴァンを失った辛さから逃れるためか、明らかに人間の限界を超えた仕事量をずっとこなしていたと、みんなからそれとなく聞いていた。
「この一年働きっぱなしだったんだろ? 明日からちょっと休め、流石に頭も身体もぶっ壊れるぞ……つーか、もう病気になりかけだ」
エンゲーブの時から警戒はしていたが、やはりリグレットの奴、言っちまえば人生に疲れてやがる。ちょっと酒が入っただけでこの壊れよう……本格的にヤバい。
「違う! 私は病気じゃなくて、ただお前にあんな事を言ったのは、お前に依存しているから危険だと判断したから言ったんだ!」
「だから落ち着け! お前さっきから言葉がおかしいんだよ! 完璧痛々しい奴じゃねえか!」
「落ち着けるかっ! だから何なんの、私!? ルークに依存し過ぎているから無関係だとか言い張って距離を取ろうとか、どんな理屈だ!」
……オラクル騎士団主席総長は冷静沈着を絵に描いたような存在だとか言った奴、マジで出てこい。そんでこの状況を何とかしてくれ。
*
「俺がいい人間のはずがあるかぁああ!! 全員俺を美化し過ぎ、英雄とかありえねえっつーの!!」
「聞いてるのかルーク? 私はお前がまた死んでしまったのかと思って、泣きそうだったんだぞ」
「さっき聞いたばっかじゃねえか! つーかお前こそ聞いてんのかよ! 明日から仕事休め、じゃねえと俺の胃に穴あけるぞ!!」
「何で私はお前なんかに依存しているんだ。おかしいだろう」
「知るか病人! 聞きたいのは俺だよ、何でこの俺がお前の身体の心配しなきゃなんねえんだ!!」
……いや、えっと……うん。俺もしっかりと酔っ払って、壊れちゃったりしていた。
互いに酔っ払って好き勝手に言い合っている現状、十分に俺も病人の資質ありだ。
支離滅裂なリグレットの話を総合すると、バチカルで俺にあんな非道な事を言った理由は、また俺が勝手に死んだんじゃないかと思うと、どうしようもなく不安になったからなんだとか。半分依存している状態は良くないと、半端衝動的に距離を取ろうとしたら、勢い余ってああなってしまったらしい。
確かにリグレットらしくない安易で単純な行動だが、分からない話ではない。精神的に参っていると、結構そういう事をやってしまうのだ。
両者とも粗方全てを吐き出し、ちょっとした休憩に入る。途中で補充した酒の瓶が、部屋中に転がったりしていた。
……これだけ人に弱音を吐いたのは、初めてかもしれない。
ぼんやりと空き瓶を眺め、ふとリグレットに視線を移すと、彼女もまったく俺と同じことをしていた。
「くはははっ、真似すんなよ」
「ふん、真似しているのはお前だろう」
互いに小さく笑いあい、視線を合わせたまま仰向けに倒れる。笑顔から苦味は、完全に消えていた。
「……なあ、ありがとな。俺、弱音吐けるのお前くらいしかいねえんだ。みんなにはさ、難攻不落で完全無欠の無敵超人とか思われてるし」
「礼を言うのは私の方だ。私には、お前が見せてくれる夢が必要だとよくわかった」
リグレットは照れ隠しにか、仰向けになった身体ごと横に向けて続ける。
「スコアがなくなり、閣下がこの世界を好きになり、そしてこの世界で生きる道を選んで下さる。お前の周りにはティアやアリエッタがいて、導師とアニスが仲良く笑いあい、シンクも満更でなさそうにそれを見ている。……年甲斐もなく、お前がいるだけでそんな夢が叶うと、私は本当に信じてしまっている」
叶えないとも思っている、とリグレットは苦笑した。
ヴァンの事を幸せそうに語る彼女の後ろ姿を、俺は複雑な思いで見つめる。
顔を突き合わせてなくて、ほんとに正解だった。自分が今どんな顔をしているか、想像もしたくねえのだから。
俺は湧き上がる思いを強引にかき消し、上体を起こしてリグレットに毛布をかけてやる。
「叶う……っていうか、叶えてやるって約束しただろうが」
嘘だ。叶えるつもりなんざ、欠片たりともねえ。
俺がヴァンと一緒にいる未来なんて、それこそ世界が滅ぶ未来の方がよっぽど現実的だ。
黒い大きなマフラーを掴みながら、丸テーブルを壁際まで動かす。即席の椅子に座りマフラーを布団代わりに、俺は瞳を閉じる。
俺はまだ、ヴァンを許せていない。殺そうとまで思わないのは、リグレットとティアの存在があるからだ。二人さえいなければ、俺は間違いなくヴァンを再び殺すだろう。
だからリグレットの夢見る未来は、未来永劫来ることはない。俺はヴァンを二人の前に連れ戻し次第、一人で生きていくつもりなのだから。
「ルーク、今日はありがとう。私も言いたいことが言えて、助かった」
「どういたしまして。じゃあ、お休み」
幸せそうなリグレットの声が、妙に癇にさわった。
*
「…………あ、頭が死ぬ」
「飲みすぎなのよ、もう少し後先を考えて」
「今の台詞、そこで寝てる奴たたき起こして、もう一回言ってみろ」
存在しなくていい朝日を呪いながら、訪ねて来たティアを睨む。寝不足と二日酔いのダブルパンチは、冗談抜きに骨の髄まで響いているから困りもんだ。
「そこでって、誰かいるの?」
「あ? 見りゃあわかる……って、いねえじゃん」
ベッドの方に首だけ向けて見てみれば、しかし寝てたはずのリグレットはいなかった。
むう……いつの間に。明け方に帰って来た時には、ぐっすりと眠ってたはずなのだが。
全く気づかなかったと首を傾げる俺を、ティアが不思議そうに覗き込む。
「大丈夫? 辛いようなら、治癒術をかけるけど」
「いや、自分でやるから大丈夫だ。それより、何か用があるんだろ?」
座っていたテーブルから降りて、軽く身体をほぐす。ついでにあくび混じりに音素をフォンスロットから取り込み、小さく詠唱して治癒術で体調を整えた。
そんな俺を視界の隅に、ティアは几帳面にも、昨晩俺たちが嫌がらせのように散らかしまくった部屋を片付けてくれる。空き瓶の異常な量にあからさまに顔をしかめているが、いい子には違いない。
「悪ぃな、後で何か奢るわ」
「いいわよ、別に。それよりルーク、今日は何か予定が入ってる?」
「いや、昨日全部終わらせたから暇だぜ」
「なら、ガイがグランコクマを案内してくれるのだけど、あなたも来る?」
むぅ……観光か。ぶっちゃけ微妙だな。用事がてら、主要な観光スポットは昨日全部回っちまってるのだ。
しかしまあ、みんなで遊ぶのもいいかもしれないと、俺は荷物を纏めながらティアに聞く。
「誰がいるんだ、ティアとガイの他に?」
「えっと……教官にナタリア、それにアッシュとラルゴね」
「ふーん、じゃあ俺も参加ってことでよろしくな。ちょっとシャワー浴びてくるから、先に行っててくれ」
「そのくらい待っているわ。待ち合わせ場所が分からないでしょう」
――というわけで、簡単な水浴びの後、血と汗と酒による、悪臭と言っても差し支えない臭いを放ってる服を着替え、俺は相変わらず寝不足気味な身体をずるずると引きずって、ティアとともに喫茶店に向かったのだった。
メンバーは既に揃っており、結局俺が皆を待たせるかたちだった。飲んでいた茶を置いてぞろぞろと出てきた皆、その最後尾で不機嫌を隠そうともしてないリグレットに、俺は引きつった笑みを浮かべてみせる。
やべぇ……言い訳のしようもねえぜ。流石にリグレットが起きたら気づくと思って、イオンに話をつけたことに関して何の説明もしてなかったのだ。
「……今朝一番で導師の所に行ったら、いきなり暇を言い渡された」
「良かったじゃねえか、休めて」
「白々しいぞ。お前が夜明け前に提案しに来たと聞いた」
恨みがましい視線を送ってくるリグレットに答えれば、冷え冷えとした瞳で睨まれた。リグレットの奴、きっと寝不足の身体に鞭打って、頑張って出勤したのだろう。ご愁傷様としか言いようがない。
「せめて事前に説明が欲しかった。いや、それ以前に今後は事後にくらい説明をしろ」
「俺もせめて部屋を出る前に一声かけて貰いたかったね、マジで。お陰様で部屋の鍵が開けっ放しでしたよ、トリガーハッピーさん」
「ふざけるな。夜中に酒を買って帰ったあと、鍵は酔っ払ったお前が壊しただろう」
「おいおい、二人とも」
対峙そうそう路上で言い合う俺たち二人の間に、苦笑を浮かべたガイが割って入った。
「何でいきなり喧嘩……って、あれ? 喧嘩してるってことは、仲直りしたのか?」
嬉しそうに顔を綻ばせ、ガイは「よかったなあ、ルーク」と俺の背中をバシバシと叩いてくる。とりあえずガイの頭の中で、俺とリグレットがどんな位置付けをされてるかわかってしまい、果てしなく微妙かつ複雑な気分になってしまった。もう帰ろうかな……いや、本気で。
「おい屑ども! 何時まで遊んでるつもりだ、今日しか予定が開いてる日はないんだぞ!」
「アッシュの言うとおりですわ。喧嘩なら歩きながらでも出来ましてよ」
とりあえずキムラスカの夫婦は、今日の観光に命を懸けてる勢いだったので、しぶしぶながらも俺たちは歩き出した。
それからガイに連れられて、様々な場所を回った。最初の勢いをそのままに、アッシュとナタリアはうざいことに、熱く睦まじくはしゃぎまくっていたので、残りの独り者ども(無論当然勿論俺もこっちである)は引きつった笑いを浮かべて握り拳を震わせていたりした。
「グランコクマとは、本当に美しいところですわね。バチカルには、この水上庭園に勝る名所はありませんわ」
「ナタリア、俺たちがバチカルを変えよう。この帝都にも劣らない、美しい街にしよう」
今すぐ二人揃って鏡を見ろ。そしてしかる後に悶絶して死ね。
水上庭園の噴水の前でロマンティックやってる阿呆二人から光速で視線を外して、俺はチンピラよろしく路上に唾棄した。
「はっ、俺らは一体全体何なんだ? 石か? 路上の石か? 徹頭徹尾終始一貫存在してるだけで邪魔でしかない馬に蹴られて地獄に落ちるだけの可哀想で哀れで情けないどうしようもない奴らなのか?」
「よく噛まずに言えたな」
熱い想いを全て吐き出した俺に、お疲れ様とでも言わんばかりにリグレットがお茶のカップを渡してくる。とりあえずそれを受け取り、ずずーっとやって、俺はベンチに腰掛けた。
「確かに私たち、あの二人にしたら邪魔でしかないわね。別行動にした方がいいのかも知れないけど……」
「まあ、護衛なら見えない所からでも、出来ないことはないんだけど……それはちょっとなぁ」
隣では昼食代わりのサンドイッチを食べながら、ティアとガイがどうしたものかと首を捻る。恋人同士のイチャつく姿なんぞ見たくもねえという心境と、それでも仲間だし王族だし護衛もしないとという心境の板挟みになっているに違いなく、両者とも眉間に深く皺を刻んでいた。
いや、もう本気で退散しようか。周囲に護衛の兵士たちも隠れてるし、少し視線をずらせば熱々の夫婦が映るし……軽い気持ちで遊びに来るんじゃなかったぜ。
練兵所でも借りて剣を振ってこようかと、現実的にそんなことを考えていると、ラルゴが小さく咳払いをした。
「勘弁してやってくれ。オールドラントが何時また攻めてくるか分からないんだ、少しでも思い出を作っておきたいんだろう。お前たちもせっかくの休暇なんだ、護衛なら俺もいるし、好きな場所に行って羽を伸ばしてこい」
「ラルゴ……」
貫禄のある堅物が、娘とその婿を愛情溢れる瞳で見守るその光景に、心打たれたガイが感動の吐息を漏らす。
「俺はここで大丈夫だ。今日のガイドだし、たまには幼なじみの役にもたちたいしな」
一緒に陰から見守ろう、とガイはラルゴと熱い握手をかわす。この二人、根っからのお人好しだから、気が合うのかもしれない。
相変わらず国の未来について語ってるアッシュとナタリア、そして二人を温かく見守るラルゴとガイ。そんな四人をぼんやりと眺めながら、とりあえず俺はサンドイッチをもぐもぐやっていた。
何やかんや文句は言ってるが、しかしそれでも俺はちゃっかりしっかり楽しんでいる。わざわざ大して必要もない護衛に甘んじてる理由も必要もねえし、それだけに集中するなんざ大損に決まってるのだ。
「ルーク」
「ん、砂糖なしだよな」
「ありがとう」
グランコクマの水上庭園の片隅で、バスケットを開けて昼食と洒落込んでいる昼下がり。喫茶店で煎れてもらって来た珈琲をカップに注ぎ、リグレットに渡してやる。
「ティアもいるか?」
「……え、ええ。お願い」
半円を描くベンチで、俺は両隣にいるリグレットとティアを交互に見る。
「それにしても、お前らよくそんな泥水みたいなの飲めるよな。珈琲って苦いだけじゃねえか。あ、玉子だけの取ってくれ」
「味云々以前に、癖みたいなものだな。最初は眠気覚ましの為だけに飲んでいたわけだし。紅茶もいるか?」
「おう、頼む。つーか眠気覚ましなら、カフェインが強い紅茶の方がいいだろ。美味いし」
「……まあ、たまには紅茶も悪くないな」
リグレットにコポコポとポットから紅茶を注いでもらい、とりとめのない会話をして和んでいると、他の三人から妙な視線が向けられていることに気づいた。
「どうかしたか?」
「いや……俺はこう、結構シリアスな展開になると思っていたんだ。オールドラントの話題が出たあたりで」
「教官もルークも、妙に落ち着いているから……」
真面目な顔をしたガイとティアからそんな返答が返ってきた。
俺としてはシリアスになる要因はなかったと断言できそうだが……むう、オールドラントとの戦いで人類が負った心の傷は、案外想像以上に深かったのかもしれない。
「今は英気を養うべき時だ。明日になればまた忙しくなる、たまにはそういう思考を捨てることもまた必要だと、私はそう思う」
「そうそう、要するに紅茶は美味いってことだよ」
「何だ、そのでたらめな比喩は」
適当にへらへらと笑う俺に、リグレットが軽い冷笑を浮かべる。その割には珈琲のカップを置いて、別のカップに紅茶をいれようとしてるのだから、本当にやれやれって感じしかしない。
「ま、心配ねえって。俺はオールドラントを蹴飛ばすために喚ばれたんだ――あいつらの暑苦しい日常も、お前らの夢と希望に満ちてるかもしれねえ未来も、俺がしっかりと守ってやるよ。あ、リグレット、次チキンのやつ取ってくれ」
* * *