TOA ~突き進め、我が道を!~   作:あきあ

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第五話 誰が為に君は哭く

グランコクマでの観光を終えた夜、訓練がてら皆にディストの件について話した。手伝いたいという一部のメンバーを加え、オールドラントと俺の存在を正式に世界中に発表するその日、俺たちはケテルブルクに向かう事になった。

 

時刻は夕方、しんしんと降る雪を窓の外に見ながら、グミや薬品類を荷物袋に詰め直す。今は収まっているが、昼頃の吹雪の勢いは凄まじかった。本来の予定なら今頃はレプリカネビリムが封印されている場所にいたはずなのだが、悪天候の為に予定が繰り越されたのだ。

 

今夜はアルビオールの中で眠り、明日の昼頃に目的地に到着しようということで話が纏まっている。

 

「そういえば」

 

と、刀の手入れをしていたガイが急に顔を上げる。

 

「バタバタしていて忘れてたけど、街の方は大丈夫なのかねえ」

 

「大丈夫じゃないでしょ。大混乱してるに決まってるじゃないか」

 

「やっぱりそうだよなぁ。向こうに残ってるみんなに、何か悪いことした気がするよ」

 

鼻で笑いながら平然と返されたシンクの言葉に、ガイは申し訳なさそうに頭を掻いた。

 

メンバーはジェイドとディストは当然として、それにガイとシンクとアリエッタ、そして俺を加えた六人だ。

 

ガイとアリエッタは特に仕事がなかったからだが、シンクは少々無理やり休暇を取って参加している。イオンも来たがっていたが、しかし例の暴露式があるから無理だった。

 

生体レプリカ第一号――例えそれが封印されるような存在でも、俺たちにとってはやはり無視できない存在だ。

「なあ、ルーク。俺はまだ詳しい話を聞いてないんだが、ディストのやろうとしてることは……その、成功しそうなのか?」

 

「その成功ってのが、ゲルダ・ネビリムの復活を指してんのなら、間違いなく結果は失敗で終わると思うぜ。レプリカネビリムの解放と安定化なら……まあ、失敗することはねえだろうな」

 

そもそもレプリカネビリムの欠陥とは、第一音素と第六音素の極端な欠乏だ。だから根本の原因である音素を補充して、かつ第七音素で補強・補完してやれば、音素乖離の心配はなくなるだろう。

 

「音素の供給ね。それを惑星譜術の触媒を使ってやろうとしてるわけか。それにしてもディストのやつ、よくも世界中から触媒武器を六本も見つけ出したよね」

 

清々しい粘着性だね、とシンクがディストを誉めつつ貶した。

 

昨晩リグレットから聞いたのだが、ヴァンの計画における一つの選択肢として、惑星譜術を用いて外郭大地を壊すというものがあったらしい。だからシンクも術の媒介となる六本の武具の存在を知っていたのだろう。

 

だが、微妙に知識が中途半端だ。肝心な部分を忘れちまっている。

 

「聖杖はホドのどこかにあったんだぜ。六本集めるのは、実質は不可能だ。ディストも五本しか集めてねえよ」

 

「ああ、そういえばそんな話だったね。だからヴァンも途中で諦めたんだっけ」

 

シンクは大して興味もなさそうに相槌を打った。まあ、今となっては本当にどうでもいい話だ。俺だってそんなすでに失われちまった技術のことなんて、とうの昔に頭の片隅で埃まみれにしていた。

 

「だいたい惑星譜術なんて、現実的じゃねえよな。発動条件もそうだし、威力の方も怪しいって」

 

「まあね。流石に創世暦時代の代物でも、計算通りの威力はでないでしょ。武器が反動に耐えられないだろうしね」

 

「ちょっといいか?」

 

気だるげな俺とシンクの会話に、ガイが割ってはいる。刀の手入れは終わったようで、今はそれは綺麗な装飾が施されている鞘に納められていた。

 

「よくわかってないんだが、一本足りてないのならレプリカネビリムの封印は解けないんじゃないのか?」

 

「別に惑星譜術が、封印の鍵ってわけじゃねえよ。二つの間には何の因果関係もないし、言っちまえば第一音素と第六音素さえあれば、触媒武器なんて必要ねえんだ」

 

さっきから偉そうに講釈を垂れてるが、全部が全部何の裏も取ってない、予想の域を出ないあやふやな話なのだ。それでも誰に恥じることもなく、無意味に堂々と語っているせいか、ガイがさっきから若干だが尊敬の光を湛えた瞳を向けてきている。うん、どうしよう。

 

「ならどうして、わざわざディストは宮殿を襲撃してまで聖剣を手に入れようとしたんだ? 音素だけが必要だったのなら、他にも手段があっただろうに」

 

「さあな、俺も知らねえや。本人に聞いてみろよ。あとちょっとでアルビオールの修理も終わるだろうし」

 

まあ、何となく想像はついている。どうせ科学者のくせに妙に空想かつ非現実かつロマン主義の襟巻蜥蜴のことだ、ゲルダ・ネビリムの研究成果でゲルダ・ネビリムが復活するという構造に、運命でも感じてるんだろう。

 

ちなみにディストは今、吹雪で不調になったアルビオールの修理中。ぬくぬくと服を着込んだ上に譜術で暖を取ってるジェイドの監視の元、一人虚しく悲しくわざわざ薄着で強制労働を強いられてるディストに、俺は憐憫の情と精一杯の応援の言葉を送る所存だ。

 

頑張れディスト、俺は心から応援してるぞ。

 

と、そこで薬缶が音をたてはじめた。俺は意気揚々と立ち上がり、沸騰してコポコポと気持ちいい音を奏でる薬缶の元に向かう。今からは楽しい楽しいティータイムだ。

 

やっぱり寒い時は、美味しい茶で暖まるに限るぜ。

 

「茶いれるけど、お前らも飲むか?」

 

「ああ、頼むよルーク」

 

「美味しくいれてね……っていうか僕がいれようか? どうせ飲むんなら、美味しいのが飲みたい」

 

普段は絶対に面倒がるのに、わざわざ立ち上がって俺の横まで来たシンク。最近何となくだが、オラクル騎士団参謀総長の使用法がわかってきた。

 

……こいつ、絶対に山奥の魚よりも簡単に餌で釣れる。

 

今度リグレットに教えといてやろうと思いながら、俺は若干引きつった笑みを浮かべ、せっせと茶葉の準備をして、何やら薬缶に温度計をぶち込み、真剣にそれを睨み始めたシンクの後ろ姿を眺める。

 

シンクの奴、飯を食うだけでは飽きたらず、自作し始めたのかもしれん。

 

凄まじい手際の良さで茶をいれるシンクの背中に、直感的にそう確信したのだった。

 

それから最も安全と思われる航路を協議していたアリエッタとノエル、アルビオールの修理をしていたジェイドとディストが戻ってきた。

 

アリエッタのお友達(魔物)が伝えてくれる情報の精度は凄まじく、あやふやだったレプリカネビリムが封印されている場所も、今ではすっかりと地図上に明記されている。

 

高山が乱立しているここらの空の事情も何のその、突然吹き付ける轟風もすでに恐るるに足らんといった感じなのだ。魔物様々だぜ。

 

夕食の後、俺たちは何をするでもなく、それぞれ適当な場所に座ってとりとめのない雑談に興じていた。

 

「ローレライ……どうして私に協力してくれるのですか?」

 

それまで寒さで弱りきって、死んだようにうつ伏せに倒れていたディストが、そんなことを聞いてきたのは、ちょうどアリエッタを膝に乗せて和んでいた時だった。

 

「だから、俺はローレライじゃねえっての」

 

多分相当アレな顔をしていたのだろう、アリエッタの桃色の髪をすきながら声の方を向くと、ディストが大いに後ろに仰け反る。

 

しかしそんなこと関係ない。誤解はちゃんと正さなければと、俺は胸を張って堂々と宣言する。

 

「俺はあんな引きこもりじゃない、正真正銘の外出系無職だ。そこんとこ間違えるな」

 

「誇るなよ」

 

何故か不機嫌なシンクがボソッと、しかしはっきりと聞き取れる声で辛辣な台詞を吐き捨て、アリエッタに向かって手招きをする。

 

「アリエッタ、離れたほうがいいよ。無気力とか無職が移るから」

 

「無職だけは移らねえよ」

 

失礼極まりないことを言って来たシンクを睨み返してみても、圧倒的に俺には説得力というか安定性が足りてなく、何だかとっても残念な空気になった。金だけはまだあるのだが、そろそろ就活をしようかと本気で悩む今日この頃だ。

 

とは言ってもやはり言われっぱなしは悔しいので、俺は綺麗な笑顔を無理やり作って、アリエッタに向かってにっこりと言ってやる。

 

「アリエッタ、シンクが寂しくて仕方ないから、アリエッタに来て欲しいってよ。だから俺に意地悪言うんだ」

 

「この赤バカ、あんたそんなに死にたいわけ!?」

 

「シンク……そうなの?」

 

「そんなわけないじゃないか、信じるなよ!」

 

一瞬で顔を真っ赤にしたシンクは、まるでも何もあったもんじゃないが、とにかく、まるで年頃の少年のように俺とアリエッタを怒鳴りつけた。

 

うん、どうやら図星っぽい。このままいけば、アリエッタのお婿さん探しをする必要がなくなってしまうんじゃないだろうか。

 

「まあ、俺はお見合いとか政略結婚には、断固反対だからな。そういった意味じゃあ、安心は安心か」

 

「え……? いや、あんた本気で何言ってんの?」

 

シンクが痛々しい物を見る目で見てくるが……まあ、それはあれだ。きっと気のせいだ。

 

「……あの」

 

俺の提言通り、とことことシンクの所に行って、ちょこんと野郎の片膝に座ったアリエッタを眺めていると、ディストが遠慮がちに咳払いをしてきた。

 

つーか、シンクの満更でもなさそうな顔が笑える。軽く殺意がゴポゴポとわくほど笑える。

 

「あの……いい加減、薔薇のディスト様の質問に答えて頂ければ…………」

 

何故かやたらと腰の低いディスト。俺としても答えてやりたいのは山々だが、そうもいかないのが世の常なのだ。俺は軽い罪悪感とともに、とりあえずへらへらと笑ってみた。

 

「おお、悪い悪い。完全に忘れてた。……で、質問って何だっけ?」

 

「ははははは、これは一度グランコクマに戻った方がいいかもしれませんねえ」

 

「わかるわかる。それでティアかリグレットを連れてくるんだ。じゃないとルークはふざけ続けるもんな」

 

「昔ならいざ知らず、最近はティアも簡単に巻かれてしまいますからね。私は番犬ルー君の飼い主――おっと失礼、リグレットを推しますよ」

 

ふざけてねえし、番犬でもねえよ。

 

失礼極まりないことをズバっと言ってくれやがる鬼畜眼鏡と、あくまでも本気でそう思ってるらしいガイ。

 

若干悪意のないガイの方がタチが悪い気がしないでもないが、それでも両者とも間違いなく極刑に値する。間違いないったら間違いないのだ。

 

「そこですっ! そこっ!!」

 

腰から木刀を引き抜きかけていると、ディストが急に喚きだした。そして俺の動作に何を勘違いしたのか、真っ青にした顔の前で両手をぶんぶんと横に振る。

 

「ち、違うんですごめんなさいすみません!! わ、私はただ」

 

「いや、別にディストに怒ってるわけじゃないから。な? ほら、ちょっと落ち着けって」

 

「あ……そ、そうなんですか。でしたら、話を続けても?」

 

「ああ」

 

一度頷いてみせ、俺は密かに大きくため息を吐いた。

 

確かにジェイドとガイの言いたいことも、わからんでもない。このメンバーだと、話がこれでもかと飛びまくるのだ。誰か律儀でマメな奴がいた方が、絶対に色々と都合がいい。

 

「私が言いたかったのはですね」

 

と、ようやくディストが語り始める。

 

「あなたは契約があるからこそ、現世に止まれているはずです。いえ、もっと言えば、契約を果たし続けなければ、存在できないのではありませんか?」

 

「んー……契約って、そこまで固っ苦しいもんじゃねえぞ。だいたい、この俺自身が大して契約の内容ってのを認識できてねえし」

 

ぶっちゃけ今わかってることと言えば、誰かとの何かしらの契約が終われば、俺がどうにかなってしまうかもしれない、というあやふや過ぎることだけなのだ。

 

「まず、契約主からしていまいちわかってねえしな。とりあえずまだちゃんと生きてるし、一応は契約内容を遂行中ってことなんじゃねえのか?」

 

「いや、俺たちに聞かれてもなぁ……。誰と何を契約したかがわからないって、そんな馬鹿な話があるもんなのか?」

 

ぽりぽりと金色の短髪を掻いて、ガイが困ったように首を捻る。首を捻りたいのは俺の方だ。

 

俺は世界中の人間と、オールドラントをどうにかするってな内容の契約だと、とりあえずそう認識はしているのだが……うん、ぶっちゃけどうなんだろう。

 

「まったく……あなたはどこまで適当なんですか。流石にそれは見過ごせない問題でしょうに」

 

「いいんだよ。見過ごせない問題でも、解決できなきゃ見過ごすしかねえんだから」

 

「リグレットではないのですか?」

 

呆れたように眼鏡を押し上げて溜め息を吐くジェイドに言い返していると、不思議そうに首を傾げたディストがそんなことを突然言ってきた。

 

「何が?」

 

「ですから、あなたの契約主がです。私はずっとそう思っていたから、彼女を拉致しよう計画したのですが……違うのですか?」

 

いや……そんな常識を疑うように言われても、こっちが困るんだが。

 

「譜歌を歌ったのが全人類でも、全人類があなたという不確定な存在に願った事象は全て違うというのが当然の考えです。少なくとも戦場にいなかった私には、生き残りたいという思いはありませんでした。ですからあなたと人類が契約するに当たり、核になった人物がいると、私はそう予想したのです」

 

「その核こそが、リグレットだと……。確かに筋は通っていますね、譜歌の正当後継者たるティアという可能性もありますが、少なくともルークの木刀を持つことが出来たのは、リグレットだけでした。ルーク、どうなのですか?」

 

「いや、あのな……」

 

科学者二人がさあさあと詰め寄ってくるが、俺に一体全体どうしろっていうんだ。さっきから自分でもわからねえって言ってんじゃねえか。

 

「もうその話はいいって。今度リグレットがいる時にでも、また話せばいい……って、んん?」

 

ウザいと言わんばかりに手をひらひらとさせていたら、ふと先日の記憶がフラッシュバックした。

 

――何故か、私はお前に依存してしまっている――

 

リグレットは確かに、そう言った。もしやそれが契約の副作用……だったりしちまうのだろうか。

 

眉間に皺を寄せてない頭を回転させるが、どうにもやはり答えは出ない。

 

だいたい契約って単語からして、定義がしっかりとしてねえのだ。前例が超人ユリアと変態ローレライしかないのだから、先人の知恵にあやかろうにも到底不可能だし、今度また色々とやってみる必要があるかもしれない。

 

急に唸りだした俺を胡散臭そうに見る幾つもの瞳を意識的に無視し、首もとのバカでかい黒いマフラーを、俺は無意味にひたすら両手でもふもふやるのだった。

 

「……む、そういえばラジエートゲートって寒いんだよな。リグレットの奴、また薄着で行ってねえだろうな……」

 

はて、何やら滅茶苦茶不安になってきた。そわそわするというか何というか……んー、急に例の嫌な予感がバシバシとしてきた。

 

「ちょっと俺、帰ろっかな……とりあえず防寒着を……じゃねえ、何か寒気がするし……」

 

「もうさ、契約主ってリグレットでいいんじゃないの? ていうか、それって絶対に病気だから。まあ、あんたは何時でも病んでるけど」

 

シンクが何やら小さく言っていたが、雪のせいでか遭難時のことを思い出してしまい……それだけでもないきがするが、とにかくやたらと不安を掻き立てられてる俺には、いまいち聞き取れなかった。

 

まあ、馬鹿にされたことだけはわかる。後でしっかりと復讐をしよう。

 

奇襲と強襲と復讐は、まこと人生における基本だ。

 

 

レプリカネビリムが封印されている場所に到着したのは、太陽が頂点を過ぎた頃だった。今日は年の大半を雪で覆われているこの大陸では珍しい程に温かく、そして青々と晴れ渡った日だ。

 

懐かしのロニール雪山の麓、徒歩で辿り着くには困難を極める場所に、その洞窟はある。

 

銀世界に溶け込むように存在している、静謐すぎる洞窟。中に広大な空間を持つそれは、まるで人間が立ち入ること拒んでいるようでもあった。

 

「譜陣……です……」

 

何かに怯えるようにシンクの背中に隠れるアリエッタが、洞窟の突き当たりに設置されている巨大な岩の前に描かれている譜陣を、恐々と見つめる。

 

「以前に訪れた時に、私が書いた惑星譜術の譜陣です。今から五本の触媒武器専用のものにしますので、しばらく待っていて下さい」

 

悲願を目の前にしたためか、一見冷静なようで声を震わせているディストが譜陣の前に進み出る。

 

「ちょっと待て」

 

俺はディストの肩を掴んで引きとどめ、皆の顔を見回す。

 

「油断するなよ。念のため、武器抜いて準備しとけ」

 

「……どうしたんだ、ルーク?」

 

切迫した俺の声にガイが眉を寄せる。それに答えず、俺は目前にある巨大な岩を見据える。

 

「何か問題でも?」

 

「問題だらけだぜ、多分。はっきり言えるのは、封印が解けて出てくるのは相当な化物だってことだ」

 

本能が告げている。あの岩の向こうに、危険が潜んでいると。

 

アリエッタもそれをわかってるのだろう、あの怯えようにも納得できる。

 

「ネビリム先生は化物じゃない! 何も知らない人間が先生を語るな!」

 

「ただの比喩だ。俺が言ってんのは、戦力のことだ。てめぇの試みが百パーセント成功するって確証がねえ限り、警戒はしなきゃなんねえだろうが」

 

喚くディストを一瞥し、代わりに俺が前に進み出る。ついでディストが抱えていた五本の武器が納まる袋を奪い、中身を取り出す。

 

「待って下さい、まだ譜陣の修正が……」

 

「必要ねえよ、俺が最後の一本の代わりをやってやる。第七音素の供給は……いや、必要あるようだったら、それもまとめて一緒にやる」

 

引き止めるディストの手を払い、譜陣に五本の武器を突き立てる。最後に俺が聖杖が納まるはずの場所に立ち、ジェイドとディストを無言で見やった。

 

あくまでも、今この場における主役はこの二人だ。

 

何十年も前、この冷たくとも温かい雪国で始まった物語に、俺たちは登場しない。

 

そして何十年も前から宙ぶらりんのまま、終わるに終われず、そして無為に続き続けている物語には、やはり俺たちの出る幕などない。

 

歪んでいようとも美しいその物語のキャストは、三人。

 

才があるばかりに人間として欠けていた少年と、彼に憧れその背中を追い続けた少年、そしてどこか歪んでいる二人の少年を、清く正しく導いていた恩師。

 

物語の主題は、零れた水を盆に還す外法。

 

物語の中核は、死んでしまった恩師を生き返らせることを夢見る、二人の少年の生き様と――容赦ない現実の世界。

 

物語が物語として認められないほど無為に時間がすぎた頃、一人の少年は夢を諦め、一人の少年は夢を追い続けた。

 

そして未だ終わらない物語の結末は、今から綴られる。

 

「私に、迷いはありません。何時までも逃げるわけにはいかないのですよ。ネビリム先生を私が殺した、何をやっても――例え先生が生き返ろうと、その事実は覆らないのですから」

 

「私にも、迷いなどありません。先生を生き返らせることを悲願とし、今まで私の全てをつぎ込んできました。過去の事実など関係ない――ネビリム先生が私たちの前に帰ってくれば、全ては清算されるのです」

 

片や夢を見ることをやめ、現実を受け入れた少年。

 

片や夢を追い続け、現実を覆そうと奮闘した少年。

 

すでにジェイドもディスト……いや、サフィールも少年とは言えない年齢になっているが、それでもこの物語のキャストには違いない。

 

だから俺は、二人の全く違った意志――だけど強さは同じ意志を尊重して、静かに右手を上げた。

 

「ハッ。覚悟はいいな、蛇が出ようが鬼が出ようが――物語の完結編は、責任持ってお前らでしっかりと情け容赦無く完膚無きまでに綴れ!」

 

目を閉じて、第七音素、否、俺自身に語りかける。

 

第七音素の力の本質は『干渉』。

 

それは世界に、少しだけ我が儘を言う力。

 

望みしは、第六音素。

 

第七音素を糧に空を指す右手に収束した膨大な量の第六音素――その眩い純白の光を、律動する五本の武器が形作る足元の譜陣に、精一杯全力で叩きつけた。

 

五本の武器――創世歴時代に作られたそれらは、内包する黒色と白色の二極の音素を、余すところなく譜陣に行き渡らせる。そして武器自体が譜陣の一部として稼働し、今や最後の一本と化した俺の意志に従い、洞窟を飲み込む閃光を打ち出した。

 

「くはははははははっ! よう、先輩! 腹一杯喰っただろう? さっさと出てきやがれ!!」

 

譜陣に注がれた大量の音素は、組み込まれた経路に従い巨岩の向こう側に注がれた。

 

空気を震わせる力強い鼓動、確かに感じる強烈な存在感。

 

俺は未だ閃光が満たす洞窟を駆け、腰より引き抜いた木刀を振りかぶる。

 

「てめぇの獲物二匹が、雁首揃えて待ってるぜ!!」

 

その凶悪で強烈な気配に当てられたのか、色々と楽しくて仕方がない。誰かが俺のことを戦闘狂ベルセルクなどと呼んでいたが、確かに自分でも納得できる。

 

レプリカネビリム――人類の枠に収まりきらない強者と、俺は戦いたいと思っちまってる。

 

――だからその思いを乗せて、振り上げた木刀を巨岩に叩きつけた。

 

鳴り響く轟音、暴れ狂う大気。見事に粉砕両断された岩石――その向こうから放たれた光線を引き戻した木刀の腹で弾き、自然と邪悪につり上がる口元をそのままに、俺は言ってやる。

 

「残念なことに、俺はただの黒子兼観客だ。てめぇの獲物は俺じゃねえ、あそこのゲルダ・ネビリムの生徒さんだよ」

 

「――知ってるわ、聞いていたもの。ジェイドにサフィール、お久しぶりね」

 

肩口で乱雑に切られた流水のような銀髪に、血の色を彷彿とさせる赤い瞳。纏う黒装束から覗く雪のごとき白い肌、背中より突き出す御伽噺の悪魔のような翼。そして何より、五本の武器を周囲に従え空に浮かぶ彼女が放つ、人外の気配。

 

まるで天使のような彼女は、綺麗な笑みを浮かべて、目前に佇む二人を見つめる。

 

「あの時はまだ幼かったあなたたちが、こんなに立派になって――今ならちゃんと答えてくれるわよね?」

 

「……ネビリム、先生……ネビリム先生が、ネビリム先生が話してる!! ジェイド、ジェイド、ネビリム先生が……!!」

 

「――うるさいわよ、サフィール」

 

歓喜の涙を流し叫ぶディスト。そんな相手にレプリカネビリムは慈愛の瞳を向け、翼をはためかす僅かの予備動作の後に、一瞬で消え失せる。消失した彼女は次の瞬間には俺の背後に現れ――そして掌より白光を放つ槍を生み出す。

 

ネビリムは慈愛の微笑をそのままに、ディストに死の閃光を容赦無く放った。

 

「ハッ! させねえよ」

 

しかしそれがディストに届くことはない。身体を深く沈めたままネビリムの懐に潜り込んでいた俺は、地面に手をつけ彼女のか弱い腕を無造作に蹴り上げた。

 

「ん――……また、あなた?」

 

放たれた光槍は洞窟の天井に突き刺さり、その後音素光を撒き散らし大気上に霧散する。

 

この女……今のは……。

 

感じた違和感に眉を寄せながらも、とりあえず真正面からネビリムを観察してみた。うん……つーか興奮し過ぎてて、すっかり第七音素の供給のことを忘れてたが、どうやら大丈夫っぽいな。

 

「……とりあえず、あなたは邪魔ね。消えなさい」

 

「待った! 俺はもうお前に第六音素食わせたのでお疲れだ! あとは勝手にやってろ」

 

攻撃に移ろうと右手をあげかけたネビリムに、俺は真剣な顔で訴えかける。ネビリムを含め全員が、こいつは何を言ってんだと言いたげにしてるが、事実は事実だ。

 

「じゃあ俺そっちで見てるからな、みんな頑張れよ。あ、悪い、向こう行くからちょっといいか?」

 

「…………ええ」

 

正面にいるネビリムに軽く笑って断りをいれて、横に退いてもらう。そのままネビリムが封印されてた方に行き、木刀を鞘に納めてから胡座をかいて座った。

 

「あの馬鹿……逃げやがった……」

 

呑気にくつろぐ俺を、シンクが殺意を込めた瞳で睨んでくる。早々に俺がリタイアしたため、ここの寒さより厳しいネビリムの殺気は、今や残りの五人にのみ向けられているのだ。そりゃあシンクがキレても仕方がないってもんだ。

 

とは言っても、シンクは何一つ行動を起こさない――いや、起こせない。

 

「ねえ、ジェイド。わかるでしょう?」

 

僅かに俺に向けていた意識を完全に切断し、ネビリムはジェイドに向かって不気味なほど優雅に近づく。

 

たったそれだけの動作で、彼女がただ近付くだけで、皆は無意識に自然に後退する。

 

「わかるとは、何をです?」

 

「あなたはあの時、私を破棄しようとしたわね」

 

ネビリムが発する殺意には、気を抜けばそれだけで圧倒され、そして屈服させられる濃厚さがある。

 

シンクもジェイドも、俺なんかに構っている場合ではないのだ――彼女から意識を外すことは、即ち死に直結するのだから。

 

「第一音素と第六音素の欠乏、あの時の私は欠陥だらけだったわ」

 

恐怖に身体を強ばらせる人間に、ネビリムはただ微笑を浮かべて続ける。

 

「だから、あなたは私を殺そうとした。でもそれは、昔の話。サフィールとその赤毛の子のおかげで、私に欠陥はなくなったわ。――私はあなたの望み通り、完全な存在になった」

 

「……せ、先生?」

 

未だに自分に向けられて槍が放たれた事実に放心しているディスト。ジェイドはそんなディストの肩を掴み、雑に後ろに下がらせる。

 

「――彼女は、ネビリム先生ではない。あの日私が生み出した、レプリカだ」

 

死んだ人間は生き返らない。そしてレプリカは、オリジナルにはなれない。

 

そう宣言するジェイドに、ネビリムは静かに吐息を漏らす。

 

「そう――あなたは、また私を否定するのね。ねえ、ジェイド。なら私は、一体どうすれば本物になれるの?」

 

自分は一体、何のために生まれたのか。自分は一体、何なのか。

 

黒い翼をはためかす彼女は、脈動する不気味な色合いの剣を取る。そして不確かな意志を、それでもどうにか示すように、剣を構えた。

 

自分の居場所を掴み取るためには、戦わなければならない。彼女はちゃんと知っているのだ。

 

だから、俺は思う。

 

創造主であるジェイドに自らの存在意義を問い掛ける彼女は、どこまでも――

 

「連続譜術士殺傷事件――生きるためとは言え、あなたは多くの人間を殺しすぎた。マルクト帝国軍大佐として、私はあなたを捉えます」

 

「ふふ――答えてくれないのね。いいわ、面白い。なら試してみましょう」

 

ジェイドは取り出した槍の切っ先を、ネビリムに向ける。ネビリムはそれに答えるために、剣を振り下ろした。

 

「――勝つのは、私だけれどね!」

 

「来ますよ、気を引き締めなさい!」

 

「――あなたもね」

 

吠えるジェイドに禍々しい形状の剣を叩きつけ、ネビリムは妖艶に微笑む。辛うじて槍の柄で斬撃を受け止めたジェイドは、彼女の凄まじい膂力により後方に吹き飛ばされた。

 

「ジェイド、大丈夫か!?」

 

「ガイ、シンク、足止めを! 私は譜術に集中します。アリエッタは私の後ろに!」

 

洞窟の壁に叩き付けられながらも、ジェイドは冷静に指示を飛ばした。ガイとシンクは距離を詰め、光槍を作りジェイドに追撃をかけようとしていたネビリムに襲いかかる。

 

ガイの抜刀からの横一文字の剣閃を軽く弾き返し、シンクの蹴りを微動だにせず翼で払った。そしてネビリムは宙に浮かぶ聖剣を無造作に掴み、驚愕に顔を歪める二人を二本の剣で切りつける。

 

「くそっ……重い!」

 

刀と障壁でそれぞれやり過ごすが、ネビリムは止まらない。常軌を逸した威力と速度で、二人を連続して切り続ける。

 

「シンク、いけるか!?」

 

「陽動よろしく」

 

「任せろ!」

 

降り注ぐ斬撃をかい潜り、間合いに入り込んだシンクが鋭く拳を突き出した。当然のように障壁で弾かれるが、反動を使い後ろに飛び下がる。

 

「――虎牙破斬!!」

 

入れ替わりにガイが刀を振り上げ、強引にネビリムを上空に打ち上げた。

 

「――昇龍礫破!!」

 

 

ネビリムにできた僅かな隙を逃さず、シンクは再び間合いを詰め、そして第二音素を纏った拳を振り上げる。

 

空に昇る衝撃波により巻き上げられた大地が、ガイの上空からの追撃を受けたネビリムを叩き上げだ。

 

「入ったのか?」

 

「いや、手応えがなかった」

 

「――なかなかよかったわ」

 

「な……っ! 後ろか!」

 

「ちっ!」

 

攻撃後の僅かな膠着もとけない二人の後ろから、どこまでも余裕を漂わせる妖しげな響きを持つ声が発せられる。

 

シンクが慌てて振り返りざまに拳を振るうが――しかし、そこにネビリムの姿はない。

 

「逝きなさい」

 

――アブソリュート――

 

振り返った二人の真後ろに再び現れたネビリムは、凄まじい速度で譜術を発動する。急激に大気が凍てつき、生み出された巨大な氷がガイを襲う。寸前で横に飛び込んで回避したガイは、しかし背中に浅くない傷を負った。

 

「邪魔だよ!」

 

「ぐぁ……っ!」

 

痛みに喘ぐガイをシンクが蹴り飛ばす。直後ガイが膝をついていた空間を、ネビリムが突き出した魔槍の矛先が貫いた。

 

「あらあら、面白い坊やたちね。避けられちゃったわ」

 

「くっ! いくぞ!」

 

「動いたらダメ! 回復しないと……」

 

受け身を取りながらも刀を構え直すガイに、アリエッタの鋭い声が飛ぶ。一瞬ネビリムを一人で相手にしているシンクを見るが、しかしガイはそのまま転がるように後衛の所まで下がった。

 

治癒術の準備をしていたアリエッタが素早くガイを癒やす間、シンクは一人猛然と拳を振るう。

 

横に薙がれる槍を地に伏せかわし、右足を腹部に向かって振り上げる。一瞬の後に横に移動して避けたネビリムが、シンクの頭上に持ち替えた魔剣を振り下ろした。

 

「――っ!! ヴァン以上の化物がいるなんてね、付き合ってられないよ」

 

皮肉気に笑うシンクだが、交差して刃を受け止めている拳が震えている。そして諦めたように短く息を吐き――ネビリムの冗談じみた膂力により後方に吹き飛ばされた。

 

土埃を巻き上げ壁に叩きつけられたシンクは、しかしまだ生きていた。口早に譜を紡ぎ、静かに報復の時を待つ。

 

「簡単にはやらせません」

 

――グラビティー――

 

前衛を薙払い終わり、一気に片付けようと翼をはためかすネビリムを、ジェイドの譜術が捉える。周囲に展開された重力場が、圧殺する勢いで彼女を押しつぶした。

 

……うん、何かいけそうな感じだ。ネビリムのスピードは常人なら視認すらできない反則の域のそれだが、よく練られたコンビネーションで何とか対応してるし、アリエッタが戦闘の前にかけていたバリアーが一発で昇天できる攻撃の威力を殺してる。

 

一見してネビリムが完全に優勢だが、しかしこのままの状態なら彼女は負けるだろう。今まではあくまでも様子見、そろそろジェイドが戦い方を確立するだろうし、たぶんこれからは一方的な展開になる。

 

オールドラントが操るヴァンには劣るが、それでも化物のように強いネビリムでも、トップクラスの使い手四人を同時に相手にするのは辛いはず。手加減する余地など皆無だ。

 

「今のは、少し効いたわ」

 

光までもを吸い込む暗黒の重力場が消え、地に足をつけたネビリムの姿が現れる。ジェイドは眼鏡を押し上げながら冷徹に彼女を見据え、詠唱の準備に入った。

 

「少し……か。皆さん、わかりましたね、彼女に生半可な攻撃は通用しない。ガイとシンクは足止めすることだけに集中して下さい。アリエッタ、最大火力でいきますよ」

 

「ふふ、させないわ」

 

「――それ、僕の台詞だから」

 

触媒武器が一つ聖弓を手に取ったネビリムの周囲の大気が、急速に凍てついていく。

 

「―――フリジットコフィン!」

 

意趣返しとばかりに放たれた、第四音素譜術。地面に手の平を叩きつけたままニヒルに笑うシンクの視線の先では、ネビリムが氷塊に押しつぶされていた。

 

譜術は直撃したが、その程度の攻撃ではネビリムには届かない。しかし敵の戦力を正しく認識している皆は、慢心せず次の行動に移る。

 

シンクの放った氷塊が消え去る寸前、鞘に納まった刀の柄に手を掛けたガイが高速で間合いを零にする。

 

「絶衝――」

 

大気に溢れる残留第四音素を取り込み、刀に乗せる。

 

そして抜刀。

 

「――氷牙陣!!」

 

放たれた十字を描く斬撃。刃の軌道に沿って生まれた氷が、再びネビリムの動きを封じた。

 

「小癪ね、この程度の攻撃で――」

 

「――は、終わらないよ!」

 

「ん……」

 

一瞬がら空きになった背中に、シンクの拳がまともにめり込む。続けてガの斬撃、そして再度シンクの拳。

 

後先を考えない二人の猛攻を、ネビリムはしかし防いでいた。両手に持った二本の剣を振り回し、絶妙なタイミングで繰り出される攻撃をはじき落とす。それはデタラメな身体能力が可能にする、デタラメ過ぎる荒技だった。

 

「懲りない坊やたちね。無駄だとわからないのかしら」

 

「いえ、無駄ではありません。くらいなさい――」

 

ガイとシンクを吹き飛ばし嘲笑するネビリムの真下に、巨大な譜陣が浮かび上がる。そしてここに――時間をかけて練り続けられた上級譜術が解放される。

 

――ディバインセーバー――

 

ネビリムを中心に据えて展開された譜陣に、凝縮された一筋の雷が堕ちる。ネビリムを貫いたそれは激しく雷光を撒き散らす。そして一瞬遅れて、轟音が鳴り響いた。

 

「……流石ね、ジェイド。でも、まだダメ」

 

巻き上げられた土埃の中から、ネビリムの声が響く。その声にはしかし、最初の余裕をこれ以上ないほど示す響きはなく、冷徹で張り詰めたものになっている。

 

「――耐えてみなさい」

 

そして笑みを消した彼女の手は、天を指した。音素が急激に大量に収束され、凄まじい速度で術が構成される。

 

「や、ヤバくないか……?」

 

「大丈夫、です。アリエッタ、負けないもん……!」

 

額から玉のように浮かんだ汗を一筋滴らせ、唖然と呟くガイ。危険な空気に慄く皆に、アリエッタは力強く頷いてみせた。

 

 

「本気で、いきます……!!」

 

――ビッグバン――

 

奇しくもネビリムとアリエッタ、両者が放った譜術は、同じものだった。

 

現存する譜術の中で最強の一角を冠する、広範囲殲滅譜術。

 

対象全てに破壊の波動を食らわせるそれは、二人の術者を中心に衝突する。暗黒と純白の光が幾度も瞬き、衝撃と轟音が五感を麻痺させる。

 

「今、です……!」

 

未だ譜術の影響で震える大気。視界も晴れない洞窟内に、アリエッタの声が僅かに響いた。

 

それと同時、それぞれの得物を構えた三人が駆け出す。譜術の反動で硬直しているネビリムを視界に捉え、三者三様に敵の急所を見据える。

 

「これで終わりです!」

 

首筋を目掛け薙がれる、ガイの刀。鳩尾に迫る、高密度の音素を纏ったシンクの拳。そして心臓を貫かんと突き出される、ジェイドの槍。

 

そして死を齎す矛先は、ネビリムの雪のような肌を貫いた。

 

――そして時は、その流れを止める。

 

 

 

 

それは確かに、千載一遇の掛け値なしの好機だった。非の打ちどころのない、どうしようもない好機だった。

 

まともに行動を取れなかったネビリムに、死を回避する術はない。得物が彼女に届いた刹那の後に、彼女は確実に絶命する。

 

「……危険な子たちね、まったく」

 

――そう。刹那の後が来ていれば、彼女は絶命していた。刹那の後さえ、来ていれば。

 

彼女の足下では、展開された譜陣が第七音素の光を放っている。安堵の息を吐くネビリムの首筋と腹部には刃と拳が触れ、胸部には槍の切っ先が僅かに突き刺さっている状態で、停止している。

 

ネビリムは、生きていた。止まった時の中で、しかし彼女は生を刻み続けている。

 

後退して扇状に展開する三人から距離を取り、ネビリムは傷口を確認する。皆が積み重ねてきた攻撃は、ネビリムに確かに届いていたのだ。

 

「大丈夫か? あんた、さっきから結構いいの貰ってただろ?」

 

「え……っ!?」

 

「お、おおっ!?」

 

な……何だ、その反応……。

 

 

伸びをして立ち上がり、後ろからネビリムに声をかけてみれば、彼女の肩が大きくビクリと跳ね上がる。上擦った小さな悲鳴とかが予想外すぎて、俺も思わず悲鳴を漏らしてしまった。

 

先ほどまでの冷たい印象から一転し、疲れたように俺を見るネビリム。

 

「あ、あなた……そこまで非常識な存在だったの……?」

 

「いや、俺からすればお前も十分に非常識……つーか、よくタイムストップとか使えるな。マジでびっくりだ」

 

第七音素譜術タイムストップ。時に干渉して時間を止め、その間に好き放題できるという意味不明なほど反則的な譜術だ。先にも後にも、生物学上一応人間である限り、そんな譜術を使えるデタラメ野郎はユリアくらいだと思っていたが……凄すぎるぜ、ネビリム先生。

 

「私の譜術に干渉できるだなんて……とんでもない譜術士ね」

 

「いや……俺、譜術まともに使えねえし。全力で第五音素上級譜術使えば、いい感じの焚き火になるくらいのナイスな威力だ。マジで」

 

ちなみに暑い日には、第三と第四音素上級譜術が役に立つ。情けないとは思っているが、事実だから仕方ないのだ。

 

「ほら、俺って一応第七音素意識集合体だから、第七音素関連だけは得意なわけだよ。すげぇだろ」

 

「…………とんだカミングアウトね」

 

もうどうでもいいと言わんばかりに、大きく溜め息を吐いて肩をすくめるネビリム。俺としてはもっと驚くとか感嘆するとか、ちゃんとした反応をして欲しい。

 

「それで? ローレライが私に何の用かしら。今の今まで傍観していたのに」

 

「特に用はねえよ。普通に怪我の具合心配して声かけただけだっての。あと、俺はヘタレライじゃなくてルークだ」

 

「ルーク……ね。まあ、いいわ。それより、用がないのなら大人しくしていて。私、この子たちを殺さなければならないの」

 

――それとも、あなたが死ぬ?

 

うっすらと冷たい笑みを浮かべ、ネビリムは剣を手に取った。

 

……殺す、か。自然と思い浮かぶのは、ジェイドが彼女について語った時のこと。

 

――生まれたネビリム先生のレプリカは、化物でした――

 

人間として欠けている、破壊衝動のみによって動くもの。それがレプリカネビリムだ。

 

と、ジェイドはそう語った。

 

だからこそ――

 

翼を広げ、悠然と空に浮かび上がるネビリム。

 

だからこそ俺は、それを否定するために、迸る殺気に口角を吊り上げ、彼女を正面から見据えて、挑発的な笑みでもって返してやった。

 

「くははははっ、冗談きついぜ。――最初っから誰も殺す気なんざねえくせによ」

 

「…………」

 

構えた剣の先が、僅かに揺れる。しかし相変わらずネビリムは殺気を放ち続け、静かに俺を見つめ返しているままだ。

 

「ディス……サフィールに打とうとしてた槍、俺は間近で見たんだぜ。あんなもんじゃあ、人間なんて到底殺せねえよ」

 

「…………」

 

「まあ、狙い通り額に当たってたって、脳震盪で気絶が関の山だろうな。んん? 違うな、気絶させんのが狙いだったか」

 

「ふふ……何を言うかと思えば。殺すのは後のお楽しみに決まってるじゃない」

 

……あくまでも、そういう設定にこだわるわけか。

 

しかしそれで俺が諦めると思ってるのなら、空前絶後の大間違いだ。わざわざネビリムとゆっくり話せる機会を窺っていたのだ、ここで引く選択肢はない。

 

呆れたと首を横に振っているネビリムに、俺は鼻で笑って返してやる。

 

「殺人衝動でも破壊衝動でも何でもいいけどよ――そもそも、全部をぶっ壊したいって心の底から掛け値なしに本気で思ってる奴は、てめぇみたいに手加減なんざ出来ねえんだよ」

 

経験者は語るってな、と壊れたようにケタケタと笑う俺に、ネビリムは諦めたように冷たく笑い返した。

 

「違うわね、体現者が語ってるのよ。そうでしょう、人の皮を被った化物さん?」

 

……化物、か。まあ、確かに純粋な人間ではないが……むう、軽く傷つくぜ。しかし俺は幾つになっても硝子のハートを持ち続ける、ある意味純粋な人間だから問題はない。きっと。

 

「で、何でジェイドに喧嘩売ったんだ?」

 

「挑発にくらいのってよ、からかい甲斐がないわね」

 

ネビリムは剣を放して地面に下りて、どこか影のある表情でジェイドに近づく。

 

「ルーク。あなた、神話を読んだことはある? 創世歴以前に創られた、神代の御伽噺」

 

「教団の禁書庫にあった、絵本みたいのなら読んだことはある」

 

現在にはない、創造主としての神の概念。スコアが詠まれる前は、人は様々な神々を奉り崇めていた。

 

神が世界を創り、世界の管理者として人を創った。そんな人間の都合に合わせた御伽噺が、神話だ。

 

ネビリムはその細い腕を伸ばし、槍を突き出したまま動きを止めているジェイドの頬に触れる。

 

「ある人間は、自らの欲望のために神を討とうとする。――私も同じよ。私が私として生きるためには、私という存在を創造主に認めさせるしかないの」

 

何を考えているのか皆目見当もつかない無表情で、しかしネビリムはどこまでも優しくジェイドの頬を撫でた。

 

どこかで聞いたことがあるような状況に、俺はひたすら苦笑をかみ殺す。改めて思うが、やはりネビリムは俺たちと同じレプリカなのだ。

 

「なあ、もう一つ聞いていいか? 認めさせるって割には、かなり手ぇ抜いてるよな。お前が本気の本気でやれば、簡単に倒せてただろうに。何でそんな怪我までして、本気でやらねえんだ?」

 

ゆっくりとネビリムに歩み寄りながら、質問を投げかける。彼女は慈しむかのように頬に触れていた手を下ろし、静かに俺に向き直った。

 

「……だって、私が本気でやったら、この子たちが死んじゃうじゃない」

 

そう言って、彼女は薄く微笑んだ。それは、ともすれば泣き出してしまいそうな、儚い笑み。壊れてしまいそうな、ボロボロな微笑。

 

俺はそんな彼女に、一度だけ頷いてみせた。教えてくれてありがとうと、そういう思いを込めて、頷いてみせた。

 

一つ、大きく息を吐き出す。そして思考を切り替える。

 

――なるほど。ああ、そうなのか。俺は今、納得した。完膚なきまでに納得して、理解した。きっとこれは、そういうことなのだろう。

 

――彼女はきっと、そうなのだろう。

 

「ネビリム、そろそろ術がきれる。俺が引き伸ばしてられるのも限界だ。まだこいつらと戦う気なら、準備しとけよ」

 

洞窟の外に向かって歩きながら、ネビリムに手を振る。聞きたかったことは、既に聞き終えた。何時までも座って傍観しているわけにはいかない。

 

「……お礼を言うのは変なのかもしれないけど、ありがとう。もしあなたが気付かずに参戦していれば、私はもう死んでいたのでしょうね」

 

「ほんとに変だな。言葉通り俺は何にもしてねえってのに」

 

彼女が何年も捕らわれ続けていた洞窟から一歩踏み出すと同時――再び時は刻まれ始めた。

 

 

 

 

――必殺の三撃は、無為に大気を貫いた。

 

「な……っ!?」

 

「消えた……?」

 

目前から消失した、確実に仕留めたはずの敵にうろたえ、シンクとガイが目を見開く。ジェイドは素早く構え直し、周囲に目を配る。

 

三人の横に距離を取って浮かぶネビリムは、手で口元を隠しながら首を傾げていた。

 

「危ないわね。少し血がでちゃったじゃない」

 

「確かに切っ先が当たった手応えがあった。……何をした?」

 

「教えると思う?」

 

声色低く詰問するジェイドに、ネビリムは涼しげに返す。

 

片や殺意を持って挑む者。

 

片や殺意を偽って挑む者。

 

ネビリムは、知っている。不完全な存在として生まれ、それでも生きるために人の命を食らい、そして人外となった彼女は、知っている。

 

望まれた完全な存在になることは未来永劫叶わず、過ぎた力を持つが故に人として生きることも出来ない。

 

彼女の狙いとはおそらく、創造主たるジェイド・カーティスにその圧倒的な存在を刻み込み、そして自分自身の証明を終えた後に――創造主によって殺されることで、終わりを迎えることだ。

 

彼女がその気になれば、タイムストップを発動して後ろに回り込み、術の解除とともに首を切り落とすこともできる。

 

だが――皆は、まだ生きている。

 

だから彼女は、本当に死ぬ気なのだろう。存在の証明を終えて、死ぬ気なのだろう。

 

「……皆さん、もう一度いきますよ。敵の力は不明だが、動かないことにはどうにもならない」

 

言葉と同時に、ジェイドは槍を構えて走り出す。その本気の表情に、ネビリムは挑発的に、そして嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

俺にはどうしても、彼女が泣いているようにしか思えなかった。悲しいとか悔しいとか以前に、どうしようもなく歓喜しながら、泣いているようにしか見えなかった。

 

――ほんと、まったくもって冗談じゃねえぜ。

 

ぐるりと肩を回して準備体操。目を細めて狙いを付ける。すくい上げた雪を固め、大きく息を吸う。

 

そして――

 

「食らえやジェイドォオオオオオ――――ッ!!」

 

「――瞬迅そっ!?」

 

――俺は作った特大の雪玉を、ジェイドの頭目掛けてぶん投げてやった。

 

「ふははははははははははははははっ!! もういい、俺は飽きた! 寒いし暇だしうるせえし、見てても欠片たりとも楽しくねえ!」

 

「ル、ルーク!? お前、いつの間に洞窟の外に……」

 

「……参戦する気になったわけ?」

 

声を張り上げて馬鹿笑いする俺に、ガイが唖然として声をあげる。それに続いて困惑気味にされたシンクの質問に、俺は雪玉を次々と生産しながら答えてやった。

 

「ああ、座っとくのはもう嫌だ。つーわけで俺も戦うことにした、ネビリム側で」

 

「はあっ? ちょ……、あんた何を言って――……っ!」

 

「不公平はよくないと思うんだよ、俺」

 

溜まらず叫んだシンクの顔面に雪玉をぶつけ、俺は人道を説く。やっぱり集団リンチとか、よくないと思う。楽しいけど、趣味じゃないし。

 

側頭部を雪で真っ白にしたジェイドと、仮面を雪で豪快に飾ってるシンク。二人は本気の本気で思考停止してるらしく、罵倒すらせずに突っ立っていた。

 

うん、至極当然の反応だ。固まるのも無理はない。

 

命懸けの戦いの真っ最中に、いきなり味方から雪玉ぶつけられるなんて、ぶっちゃけあり得ちゃあいけないような状態なのだから。

 

「ネビリム、こっち来い! 流れ弾が当たるぞ。あとジェイドとディストを苛めたい奴、裏切って俺に味方しろ! ――せっかく雪があるんだ、雪合戦で決着つけるぞ!!」

 

「ル、ルークっ! 今はふざけてる場合がふっ!?」

 

何やら抗議の声をあげていたガイの口を、見事雪玉が直撃した。流石俺、惚れ惚れするコントロールだぜ。

 

そんな無駄なことを考えつつも、迅速かつ的確に雪玉を作り続ける。雪合戦なんざ結局は物量がものを言うのだ、真にフライング上等である。

 

「――……ルーク」

 

冷え冷えとした声が、静かに重く洞窟に反響する。

 

「何のつもり? 邪魔をしないで」

 

憤怒の色に染めた瞳を細めるネビリム。彼女はどうしようもなくもどかしそうに、それ以上は語らず、ただひたすら俺を見据え続けた。

 

「俺はお前が何をするつもりでも、結果が最悪にならねえ限りは邪魔するつもりはねえよ。後で存分に好き勝手にやってくれ」

 

「私は、今それをやりたいの。あなたは今、これ以上ないほど邪魔をしているわ。妙な気持ちを起こしてるのなら、迷惑だからやめて」

 

独善かつ偽善でしかないと言い放つネビリムに、俺はそんなことなんざとうの昔から知ってると笑い返す。

 

「うだうだ言ってねえで本気で雪合戦やってみろや。何も戦り合うだけが、本気のぶつかり合いってわけじゃねえんだからよ」

 

「関係ないわ。命懸けだからこそ、わかることがある。遊びじゃあ、駄目なの」

 

まるで以前の――強迫観念に駆られてなりふり構ってなかった、過去の俺を見ているようだった。

 

だからこそ、俺はあの言葉を贈ってやる。終わりしか見つめずに全力で走る最中に、嫌みに地味に迷惑極まりなく――そして緩やかに柔らかく上り坂を与えてくれる、あの言葉を。

 

「命懸けのお前に、世界一いい言葉を贈ってやるよ。――死に急いでんじゃねえよ、そこのどうしようもないお人好し」

 

「…………」

 

「遊びでしかわからねえこともあるぜ、きっと。それに、ジェイドとディストと雪合戦をやった記憶……いや、記録はあるだろ? 戦った記録はなくてもよ」

 

不敵に笑う俺に、ネビリムは苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。

 

レプリカネビリムには、オリジナルネビリムの記憶――本人の態度を見る限りでは、それはただの情報、記録に近いのだろう――がある。ジェイドのこともディストのことも、しっかりと認識できているのだから、おそらくその予想は正しい。

 

僅かの沈黙の後、何となく状況を把握したらしいシンクが鼻を鳴らして舌打ちする。

 

「…………また始まったわけか。まあいいや、雪玉ぶつけだのは貸しだからね」

 

諦めたように溜め息を吐くシンクに、アリエッタがぬいぐるみを抱きしめて戸惑い気味に首を傾げる。

 

「行くの……?」

 

「あの赤馬鹿があそこまで言ったんだ、仕方ないさ。病気みたいなものだしね。アリエッタ、伯爵」

 

「わかった……まあ、ルークだしな。ルーク、後でちゃんと説明してくれよ」

 

そういうわけで、三人は洞窟を抜けて俺のもとに駆けてきた。うん、みんなして性格がよすぎる。シンクには後でタカられそうだが、そこはまあ仕方ないと諦めよう。

 

「記憶……記録……」

 

「ネビリム、さっさと始めねえと全部バレちまうぜ」

 

俺たちの会話からすでに答えを導き出しかけているジェイドを顎で示し、邪悪に笑いながらディストに雪玉を投げつける。

 

「ディスト! お前も何時までも呆けてんじゃねえよ! さっさと動かねえと生き埋めにするぞ!!」

 

唯一と言っても過言でない希望を断たれ、先ほどから微動だにしないディストに叫ぶ俺を、ジェイドが咎めるように睨む。

 

「ルーク、これは私たちの問題です。あなたは何時ものように全てを有耶無耶にしようとしているのかもしれないが、これは有耶無耶に終わらせるわけにはいかない。大人しくしていて下さい」

 

「嫌だね。目の前で人が死ぬとこなんざ見たくもねえ」

 

あくまでもへらへらと笑う俺に、ジェイドははっきりと聞こえるほど歯を軋ませた。

 

それは俺が初めて見る、ジェイド・カーティスの鋼鉄の理性が、完全完璧に決壊した瞬間だった。

 

「そういう問題ではない! 関係ない人間がでしゃばるな!!」

 

先日のディストと対峙した時を上回るその激昂に、俺は口角を吊り上げた。

 

馬鹿みたいに、トラウマと対面してまで冷静であろうとしていたジェイドが、ようやく感情的になったのだ。

 

ここからは冷たい殺し合いなどではなく、思うがままに感情をぶつけ合う、ただの喧嘩だ。

 

「よっしゃ、今だ! バンバン投げろ!! ――烈震……ッ!」

 

右の拳な音素を収束。雪の大地を強く踏みしめ、引き絞った上半身を解き放つ。

 

「……――天衝!!」

 

そして天に向けて放たれた拳は、大地ごと雪を巻き上げ、洞窟の入口を塞ぐほどの純白の壁を作った。

 

「僕は知らないからね――全部あんたの責任だよ!!」

 

「俺もとばっちりを食らうのは嫌だぞ!!」

 

――獅子戦吼――

 

シンクとガイが雪の壁に添うように移動し、前方への重心移動から、気合いの声とともに肩での当て身を放つ。連動して放出された音素が爆ぜ、雪の壁を粉々にしながら洞窟内へと吹き飛ばした。

 

雪合戦というより雪を使った戦いに近いが、とにかく大量の雪の粒がジェイドとディストに直撃する。

 

「あなた、私を巻き込まないでよ」

 

「知らねえっての、忠告はしただろうが。それより下がってお遊びの準備しとけ」

 

「……お遊び、ね」

 

ちゃっかり凄まじい速度で俺の横に非難していたネビリムは、戸惑うように洞窟の中を見つめる。俺以外の面々も、つい先ほどまで戦っていた相手に困惑気味だ。

 

「いいか、あの鬼畜眼鏡は絶対にみんなで仲良く和気藹々と雪合戦するような奴じゃねえ。とりあえず俺が適当にあしらうから、お前らは雪玉を投げ続けろ」

 

「いい加減に、ふざけるのをやめろ!」

 

荒々しい声とともに、舞い上がった雪の中からジェイドが飛び出してくる。その手にはしっかりと槍が握られており、矛先は俺を狙っていた。

 

引き抜き様に木刀で槍を払い、後ろに飛んで距離を取る。

 

「らしくねえぞ、ジェイド。てめぇこそもっと冷静になりやがれ!」

 

「私は冷静です! ここに私は決着をつけに来た、それはあなたの提案でもあったはずだ! どうして今更邪魔をする!」

 

払われた切っ先を翻し、横薙に振るわれる槍。左から迫るそれに上段から木刀を叩きつけ、右足で槍の柄の中心を思い切り蹴り上げてやる。

 

「決着決着決着ってうるせぇんだよ!!」

 

ジェイドの槍は両端と中心、上下からかかる衝撃により、鈍い音を響かせながらへし折れた。

 

「てめぇもディストも結局、オリジナルのネビリムのことしか考えてねえじゃねえか!! てめぇらの先生がとうの昔に死んでることなんざ、猿でもわかってるっつーの!! 今お前らの目の前にいるのは誰だ!? ああ゛、言ってみろや天才ども!! どっからどう見たって、あいつはてめぇらの先生じゃねえだろうが! 決着なんてあいつを殺したってつくはずねえし、全体的に悪いのはネビリムじゃなくてお前だっつーの!!」

 

「な……だから彼女はきけ――」

 

「危険なわけねえだろボケェッ!! あいつが本気だせばてめぇらなんざ瞬殺されてるっての!! それとも何か!? 死霊使い様は時を止めれる化物に勝てるってのか!? 肝心な時に回らねえ頭なんざ挽き潰して捨てちばふっ!!」

 

興奮し過ぎて危ない人そのままに喚き散らしていると、異常な速度で飛んできた雪玉が横っ面に直撃して爆発した。

 

ちょ、これ……雪玉が兵器に……。

 

「ルーク、いたらないことは言わないでいいわ」

 

「……おう、悪い」

 

怒りというよりかは焦りを露わにするネビリムに、俺は素直に謝った。基本的に俺の我が儘をまかり通そうとしているのだから、最低限の節度は守るべきだ。

 

ジェイドの武器はすでに破壊した。だからこれ以上俺がでしゃばるのは、本当の本当に不必要で、邪魔以外の何でもない。

 

ふむ……やっぱり似合わないことはやるものじゃない。むしろ考えるべきじゃない。俺は一体どの口で雪合戦で決着を、などとほざいてんだ。まったくもって、笑うしかねえぜ。

 

先ほどまで槍だった物の残骸を適当に蹴り飛ばし、木刀を鞘に収める。

 

無残に途中でへし折れてしまっている柄を、どこか憮然として持つジェイドに、俺は視線を合わせずに言う。

 

何と言ったって、あのジェイドなのだ。もう冷静になってるだろうし、彼女が隠そうとしていた真実も、一つの仮定としてすでに頭にあるはずだ。

 

「ジェイド、まだ戦うつもりなら流石に止めねえけど、譜術だけでやるのは無理だろ。一回だけ、あいつと遊んでみてくれよ。お前ならもう全部わかってんだろうけど、確信は得れると思うし」

 

「…………彼女には、ゲルダ・ネビリムの記憶があるのですね……?」

 

「俺に聞くなよ、部外者が答えていい問題じゃねえだろ。まあ、一つだけ言えるのは、やっぱりお前らの先生はどこまでも死んでて、これからも死に続けるってことだけだ」

 

俺の言葉を、ゆっくりとしっかりと反芻するジェイド――そして、洞窟の中で告げられた言葉に涙を流すディストを見て、改めて思う。

 

ゲルダ・ネビリムは、ほんとにいい人だったのだろう。ここまで人に愛されてる奴は、なかなかいない。

 

動かない三人を一瞥し、俺は舞台から下りる。物語にはもう、脇役は必要ない。必要なのは、主役たちだけだ。

 

「雪合戦……私のオリジナルに、よく付き合ってもらっていたのでしょう? 私もやってあげるわ――雪玉でもあなたたちを殺せるもの」

 

「先ほどあなたを捕らえると言いましたが――いいでしょう。雪に埋めて捕まえることにします」

 

「わ…わた……っ……わた、じも…っ……やってやる……っ! か、かくごじなざいっ!!」

 

儚い微笑を浮かべるネビリム。諦めたように決意したように溜め息を吐くジェイド。泣きながらそれでも立ち上がろうとするディスト。

 

当然のように雪を掬う三人が、不思議とどこか幼く見えた。

 

――ここから先は、もうただのおまけに過ぎない。ただ自分達を主張しあう三人が、ひたすら昔を懐かしむように、ひたすら始めてを噛み締めるように、雪を両手にぶつかりあっただけの、単純な締め括りだったのだから。

 

俺には三人の心の内はわからない。そもそもけしかけた俺自身が、何を望んでいたのかもいまいちわかっていない。

 

ただ、ジェイドとディストに、誤解をしたまま終わって欲しくなかった。ネビリムにも、あんな複雑な顔をしたまま、終わって欲しくなかった。

 

俺はまだ心のどこかで、自分のレプリカとしての生い立ちを気にしている。すでに完全に受け入れたつもりでいたが、あくまでもつもりだったのだろう。

 

だから無意識に、自分の存在意義に苦しむネビリムの助けになりたいと思ってしまったのだ。

 

だけど、まあ……ぶっちゃけそれはどうでもいい。結局は何時もの自己満足だし、やってることも大して変わってない。

 

今も昔も変わらずに俺は、気に入らないことは頭っから否定するという、残念な信念を持って生きているのだから。

 

気持ち悪いのをわざわざ我慢してやる義理や必要は、まったくこれっぽっちもねえ。

 

「ディストとジェイド……負けた、です」

 

「情けねえな、年寄りどもは」

 

雪原に仰向けに倒れ、凍えるような寒さの中だというのに、汗だくになって肩で息をしているジェイドとディスト。そしてそんな二人を宙に浮いて見下ろすネビリムを、アリエッタはにこにことしながら眺めている。

 

いい年した大人が年甲斐もなく雪をぶつけ合う光景は、苦笑を漏らしてしまう程には清々しかった。

 

「ジェイド、サフィール」

 

「…………」

 

「この勝負は、私の勝ちね。どう、私は凄いでしょう?」

 

暗い雲の隙間から降り注ぐ陽光に照らされるネビリムは、しっかりと胸を張って二人を俯瞰する。

 

狂ってもなく、壊れてもなく、そして完璧でもないネビリムは、それでも確かな自信を持ってそう問いかけていた。

 

それはきっと、彼女なりの存在の証明――

 

身体の火照りで曇る眼鏡を乱れた息を整えながら外し、ジェイドは赤い瞳で彼女を見つめて、無邪気に小さく笑った。

 

「――参りました、降参です。昔よくあなたと同じ顔をした人と、こうして遊んでいましたが……彼女はいつも私たちに負けてくれていた。あなたとはまるで正反対です」

 

「……先生は、何時でも優しかった……。あなたは違いますよ……全くの別人ですよ……」

 

あなたはネビリム先生ではない、あなたはあなただ。

 

苦しそうに悲しそうに、そう告げた二人に、ネビリムは静かに微笑む。

 

どういう気持ちを込めて微笑んだのかを、考える必要もつもりもない。微笑んだという事実だけがあれば、それで十分だ。

 

ネビリムはまるで脳裏に刻むように二人を見た後、翼をはためかせてゆっくりと地上から離れていく。

 

勝負に勝った彼女を、止める者は誰もいない。彼女はもう自由なのだ。

 

「ねえ」

 

空を舞うネビリムは、どうでも良さそうに下を見た。仰向けのまま彼女を見送る二人を、わざとらしいほどどうでも良さそうに見た。

 

「私の中には、彼女の記憶があるわ。ただの映像と音声だけのものだけど……この情報群から、あなたたち二人に彼女が言うであろう言葉なら、予想できる」

 

雪の上に大の字になるジェイドとディストに、彼女はぶっきらぼうに、だけど優しい口調で、その言葉を紡いだ。

 

「――ありがとう、二人とも。私はあなたたちのような立派な生徒を持てて、とても幸せだったわ。こんなにも大きくなって……こんなにも立派になって…………もうあなたたちに、私は必要ないわ、卒業よ。これからは、あなたたちが人を育て、未来の芽を育んでいきなさい。二人とも仲良くして、協力しあうのよ。――それじゃあさようなら、ジェイド、サフィール――私の自慢の生徒たち」

 

それは記録をつなぎ合わせて紡がれた、どこかスコアにも通じる遺言。過去から未来を覗き見て、過去から未来へと送られた親愛の手紙。

 

「…………まったく」

 

「先……生………」

 

手で顔を隠すように覆うジェイド。顔をぐしゃぐしゃにして泣くディスト。

 

ネビリムはそんな二人を満足げに眺めて、そして雪降る空へと姿を消した。

 

 

「で、何の用だよ?」

 

「最後に一つ聞きだいことがあるの。あなたばかり質問するのは、卑怯でしょう」

 

曇天の向こうへと消えたはずのネビリムは、ちゃっかりと俺の正面に立っていた。この女、わざわざタイムストップを使って戻ってきたのだ。

 

しかも延長よろしくなどとほざき、この俺を顎で使う始末。軽く殺意がわく。マジで殴りたいぜ。

 

こめかみを引きつらせる俺に苦笑しつつ、ネビリムはまったく悪気なんざなさそうに首を傾げた。

 

「あなた、私と一緒に来ない?」

 

「は、何だそりゃ? 脳髄が腐ったか」

 

「断言しなくていいわよ、余計なお世話。私は本気で言ってるの」

 

若干ふてくされたように唇を尖らせて、ネビリムは背中の翼を無駄にパタパタさせる。

 

「私には行く場所も、やることもないでしょう。死なないで生きろって言ったのはあなたなのだから、責任取って私と一緒に来るくらいはして欲しいわ」

 

「寝言は永眠してから言え。それに俺は生きろなんざ一言も言ってねえ、ただ死に急ぐなって言っただけだろ」

 

この女……本気で言ってんのか……?

 

胸中で絶句しながらも、俺は何とか平然を装って暴言を吐く。

 

「やっぱ頭が沸いてんぞ、お前。つーか、行くとこないならジェイドにでも取り憑けよ」

 

「嫌よ。彼にこれ以上は迷惑かけたくないもの。同じ化物同士、仲良くしましょうよ。あなたも私も、結局はどうせ人間の輪に入れないんだから」

 

一緒に生きて行きましょう。ネビリムは屈託なく、そう笑った。

 

…………うん。何なんだ、この状況……。

 

本気でそういう気があって言ってるなら、俺としても本気で対応するが、ネビリムの態度はどちらかと言えば悪戯のそれに近い。

 

だから俺としては、溜め息を吐くしかないのだ。マジでめんどくさい。

 

「俺はずっと引きこもってたお前と違って、音素意識集合体って知ってもどうでもいいとか言ってくれやがる知り合いがいるんだよ。そういう冗談じみた悲観は、せめて世界一周くらいしてから言え」

 

「あら残念、フられちゃったわ。もう買い手がついてたのね」

 

「ついてねえよ。つーかいい加減にしねえと売り飛ばすぞ」

 

おかしそうにクスクスと笑うネビリムを、サクッと殺してみたいと思うのは仕方ないはずだ。だから思わず頭をはたいた俺は、きっと悪くない。

 

とりあえずもう一度溜め息を吐いて、微妙な疲れから適当にネビリムに言ってやる。

 

「まあ、いい加減ふざけるのは止めにして……お前、一緒に来るか? ほら、そこの仮面の奴もレプリカだし、結構受け入れられるもんだぜ?」

 

だりぃと頭をガリガリ掻いてシンクを指差す俺に、ネビリムは僅かに目を見開いた。しかし次の瞬間にはゆるりと首を振り、含みのない笑みを見せる。

 

「遠慮しておくわ。あなたの言うとおり、少し世界を見て回ろうと思うの。彼女の記憶があるとは言っても、私はまだまだ子供なわけだし」

 

「そっか、適当に頑張れよ」

 

どうでもいいと適当に手をひらひらと振って、俺は荷物の中から努力とコネの結晶である手帳を取り出し、一ページ千切ってネビリムに渡してやる。

 

「ほら、これ持ってケテルブルクの港の倉庫に行ってみろ。選別に俺の血と涙と努力とその他色々の結晶、ちょっとだけ分けてやる」

 

訝しげに紙切れを眺めたネビリムは、若干の驚きと呆れを浮かべる。それから楽しそうに笑って、俺を馬鹿にするように紙切れをひらひらとさせた。

 

「似合わないことやってるのね。音素意識集合体がこんな――」

 

「うるせぇよ、笑うんなら返しやがれ。まったく、何で俺の幸せ未来一人旅計画の素晴らしさが分かんねえかな」

 

「冗談よ、怒らないで。それに私に教えたら、一人旅にはならないわよ」

 

取り返そうと手を伸ばす俺を避けて、ネビリムは宙に浮かび上がる。人の神経を逆撫ですることが趣味のような女に舌打ちして、俺はさっさと行けと雑に手を振って言ってやる。

 

「ならお前は、俺の部下一号だ。俺が全部厄介事片付けて、まだ生きてたらこき使ってやる。精々覚悟しとけよ」

 

「嫌よ。だいたい、あなたはきっと一人にはならない。だから私は邪魔にならないように、それまでには独立出来るように頑張っておくわ」

 

「は? って、ちょっと待……てよ、あの馬鹿女」

 

――そして、どこか予言めいた言葉を残して、ネビリムは勝手に空へと飛んで消えて行った。雲の下に、目を細めなければ見えないほど小さく、「ありがとう」と書き残して。

 

……うん、何か異常に疲れたぜ。いい性格しすぎだろ。

 

――それは雪降る地で、一つの物語の完結編が綴られる前の話。

 

譜術により一斉に全世界に向けて暴露された荒唐無稽の真実によって巻き起こされた狂乱が、国を統べる者達の尽力により、どうにか大混乱と言える程度まで収束した時、それは起こった。

 

――オラクル騎士団首席総長リグレットの誘拐。

 

グランコクマに現れた、先日失踪した元大詠師モースとその配下たちが、脅えて泣く幼子たち人質を盾に、彼女の身柄を要求したのだ。

 

彼女は事態を悪化させる訳には行かないと、その場で現場にいた導師に後を託し、人質の解放を条件に抵抗することなくその要求を呑んだ。

 

そしてあらかじめ捨て駒として準備されていた部下が、モース達が安全圏に退くまで人質を盾にして時間を稼ぐ。結果、実にあっさりとリグレットは誘拐されたのだった。

 

その事件がかの人物――混乱を悪戯に無意味に不必要に増長させるという単純な理由で、雪山に遊びに行きたいという要望に、各方面の人物に両手を上げて賛成されたルークに報告されるのは、それから一日の後。

 

雪国での物語が、完膚なきまでに中途半端に完結した、すぐ後のことだった。

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