TOA ~突き進め、我が道を!~   作:あきあ

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第八話 語られない戦い(上)

今より一年程前、世界にはレプリカ研究施設と名付けられた研究所が存在していた。音機関都市ベルケンド、コーラル城、ローレライ教団総本山ダアト、そしてワイヨン鏡窟、破棄されていたものも含め四カ所、それが主たる研究所の場所だ。

 

勿論当時既に研究することを禁忌とされていたレプリカ技術、公にそれが研究対象とされるはずがなく、研究はあくまで密かに隠れて秘密裏に進められていた。

 

しかし数ヶ月前、レプリカ技術を研究対象とする研究所は主たるものもそうでないものも、例外も分け隔てもなく、容赦なく一つ残らず、権力と暴力に物を言わせたオラクル騎士団参謀総長シンクの手によって、徹頭徹尾再起不能になるまで潰された。

 

研究成果や技術書、そして関連する音機関や譜業は勿論、レプリカの素となる鉱石やそれと成分を同じくする物質までもを物理的に破壊または破棄する徹底ぶりは、常軌を逸していると言っても過言ではなく、むしろ病的とも言える。

 

それは決して一人の人間に出来ることではない。シンクの気の遠くなる洗い出し作業や情報収集など、とてつもない執念が成した荒業であることは確かだが、しかし二カ国と教団の全面的な協力があったからこその成果でもある。

 

そもそもレプリカ技術とは、使い方を誤らなければ多岐にわたる利用法と実用性を併せ持つ実に優れた技術だ。よってその技術がもたらす利益を鑑みれば、求める結果の方向性の変更はされども、完全なる技術の破棄という選択肢が選ばれる可能性と意義はむしろ零に近かった筈だった。

 

その背景まで含めて考えれば、狂気的にレプリカ技術を廃絶させることを公言して憚らなかったシンクが、全世界の支援と支持を受けたことは異例の中の異例と十二分に取ることができる。

 

「――――だけど世界は、医学を史学を物理学を音素学を、そしてその他様々の学問並びに技術を飛躍的に向上させるであろう、到底計り知ることなんて不可能なレプリカ技術の可能性の芽を摘んで、僕が唱える技術の根本からの廃絶という絶望的に無意味で虚無的な道を受け入れた。おそらくこの選択は、過去と未来、現代を除く全ての時代のどの場所から観測したとしても、観測した人間全てが口を揃えて人類史上稀に見る愚かしい選択だと断言する程に愚かしい最悪なものだね。だというのに世界は満場一致で、文字通りの満場一致で、統計学上あり得てはならない程満場一致で、両手を上げて僕に賛成してしまった。この不可思議で不可解な現象の原因をあんたは理解し――――いや、何でレプリカ技術は皆に厭われたのか、あんたはわかる?」

 

静謐な暗闇の中に、日の光が届かぬ深い洞窟の中に、ブーツが無機質に地を叩く固い音と共に、少年特有のよく通る中性的な声が響く。何時になく饒舌な少年の声色はどこまでも皮肉げで、そして愉快そうだった。

 

「…………」

 

しかしその少年に、咽を鳴らして静かに笑う緑色の髪の少年に答えるべき少女は、答えない。答えることが出来ない。

 

深い深い洞窟は、世界で唯一、少年――シンクの手を逃れたレプリカ研究施設だった。その場所、誰の目にも触れずに朽ちていく筈だった研究施設は、誰にもその真実の名称を呼ばれることがなかったが故に『深淵のレプリカ研究施設』と呼ばれる、ワイヨン鏡窟の更に下に隠れるように存在している、しかし真実、世界に数多存在していた研究施設を隠れ蓑としていたかのような、他とは一線を画する大規模な施設だった。

 

深淵のレプリカ研究施設は、数週間前の『オラクル騎士団主席総長リグレット誘拐事件』と時を同じくして起こった、世界規模の地震、それによって現れた新種の――否、悠久の時を地下世界で生き残ってきた、創世歴時代の古代種と表現されるべき魔物を討伐する際に、副次的に発見されるに至った場所だ。

 

世界で知る者は今や三人――それは確認が取れている人間に限定してのことだが、どちらにしろ極めて少数であることには変わりない――しかいない、地震が起こるまでは外郭大地降下による影響で入り口を塞がれていた施設を、緑色の髪の少年と桃色の髪の少女――シンクとアリエッタは、ひたすら奥に進む。

 

「わからないかな、あんたには。いや、あんたには、アリエッタだけには絶対にわからない質問なのかもね」

 

意地悪く笑うシンクに、アリエッタはしかし俯いたまま彼と繋いだ左手に少し力を入れて、首を弱々しく横に振る。

 

「わかるよ……アリエッタ、何となくだけど……わかるよ」

 

「わかるけど、わかりたくないんだね。でも多分、アリエッタの出した答えはそう悲観するものじゃない。だから安心しなよ。あんたは直感的に結論は出せるけど、何時だってその結論の間にあるべき過程が抜けてる。今重要なのは当然結論だけど、それは過程があってこその結論だから、もし悲観するのなら、過程を聞いてからじゃないと遅いんだ――いや、早いのか」

 

「シンク、さっきからいじわる……です。アリエッタが知らない言葉、わざといっぱい使ってるもん」

 

不気味なオカルトチックなぬいぐるみを右手で抱きしめて、アリエッタは瞳を潤ませてシンクを見上げる。シンクは普段は使わない回りくどい話し方を用い、それにアリエッタが困惑するのを見て楽しんでいるのだ。

 

「僕はただ、言葉を弄するべき問題だから言葉を弄してるだけさ。まあ、消し去ったはずの過去の遺物が、今この時期になって出てきて、気が立ってるっていうのもあるんだけどね」

 

音素灯を左手に持ち、真っ暗な洞窟内を照らすシンクは静かに嘲笑した。

 

「シンク……アリエッタ、わからないよ。答え、教えてほしい、です」

 

シンクの含みしかない質問に、アリエッタは不安にその桃色の瞳を揺らして降参の意を示す。レプリカ技術が世界中の人間、少なくともその問題に対して決定権を持つ人間に忌避されたと言うことは、シンクの難しい話からでもどうにか理解できた。その原因も何となく予想できる。しかしシンクの言う通り、何故それが原因になるかがわからない。

 

特殊な育ち故に夜目が常人より遥かに効くため、危なげなく暗闇を進むアリエッタに、シンクは何時もの皮肉げな笑みを浮かべたまま口を開く。

 

「アリエッタ、もう少し脳細胞を働かせること覚えた方がいいよ。じゃないと早々に呆けちゃう……いや、アリエッタの場合は成長しないのか。まあとにかく、少しは自分で考えなよ。今回は教えてあげるけどさ」

 

「うぅー……アリエッタ、ぼけてもないし、ちゃんと成長してるもん」

 

「どうだかね。まあ、いいさ。それじゃあ答えから言おうか。あんたは確かに頭はあんまりよくないけど、理解力はあるからね。わかってるかな? 今後鍛えるべきは、筋道立てて思考する能力だってことだよ」

 

「シンク、アリエッタのこと……嫌いなの?」

 

「冗談さ冗談。好きではないけど」

 

「シ、シンクのばかぁっ……!!」

 

ぼそりと呟いたシンクに、アリエッタは泣きそうな顔で怒鳴った。憤慨して繋いでいる手を振り解こうとするアリエッタに面倒くさそうに苦笑して、シンクは更に手に力を入れて強引にアリエッタを鎮める。

 

「ふざけるのは止めにするとして――そろそろ本題に戻ろうか」

 

「…………うん」

 

低くなったシンクの声に、アリエッタは自然と生唾を飲み込む。アリエッタは自負している。自分は世界で最もレプリカ技術に関わりがある人間の一人だと。それ故に思い入れもあり、複雑な感情も抱いている。

 

だからわからない。人々がどうしてそれを否定するのか、完全に否定してしまうのか。

 

シンクは思考に没頭するアリエッタを横目で見やり、顔を覆うように左の掌を動かす。それはかつて隣の少女の前で、日常的に仮面をつけていた時の癖だった。

 

「誰もが皆レプリカ技術を破棄することに賛成し、狂喜乱舞して研究に取り組むべき学者達が未だに異論を唱えない理由、その根本たる原因は――――」

 

カツン――と、透明な靴音が洞窟内で反響する。

 

「――――レプリカルークの存在に他ならない」

 

「あ…………」

 

やっぱり、と言いかけたアリエッタは、無意識にその言葉を喉で押し止めた。そして冷笑するシンクは続ける。

 

「レプリカ技術の最大にして最悪の功績は、ルークをこの世界に産み落としてしまったことだ。ルークと少しでも関わってしまった奴らは、本能的に理解して恐怖してる。本能的にしか理解できず恐怖できていない。あいつの泣きたくなるほどの、思わず死にたくなるほどの異常性に」

 

「え……で、でもルークは……」

 

「そう、そこだよ。ルークの不可視にして認識不可能な異常性と、あいつがレプリカ技術によって生み出されたことには、何の因果関係もない。だけどそんな無関係さえ駆逐してしまうほど、ルークはおかしいんだ。それはまあ、ルークがああいう性質を持つに至ったまでには、レプリカっていう生い立ちも関係してるんだろうけどね」

 

ルークは世界から、オールドラントという世界そのものである存在から、『理を外れた者』と称された。つまり皆が無意識に、まるで元からそう刻まれていたかのように感じるルークの『異常性』は、そういうことだとシンクは考えている。

 

「ルークの異常性っていうのは、世界を川の水に例えると理解しやすいかな。オールドラントが川の水そのもの、僕たちは水の粒子だ。ルークが言っていた異端であるユリアとローレライは、偶然川に落ちた葉っぱのようなもの。だから流れが乱れはするけど、川の水の行き着く先は変わらない」

 

シンクは音素灯をアリエッタの顔に近づけ、挑発するように小さく首を傾げる。

 

「その例えでいくと、ルークは何になるかわかる?」

 

「…………たぶん、アリエッタたちとおんなじ……。ルークも小さなお水の粒、です」

 

「流石にヒントを出しすぎたか。あそこまで言って理解できなかったら、僕はあんたを騎士団の幼年学校に放り込んでたとこだよ」

 

自信なさげに、しかし意外とはっきりと答えたアリエッタに、シンクは鼻で笑って正解だと告げる。

 

「アリエッタが思ってる通り、ルークは異常なんかじゃないんだ。だけど何故か意味不明なことに、ただの水の粒子であるルークの周りでは流れが乱れ、そして乱れた流れは渦巻き始めて、最終的には川の流れそのものが変わって行く。川そのものであるオールドラントも、異物ではない異物でしかないものには、異変が起こってからしか気づけないってこと」

 

以上がオールドラントがルークを排除すべきモノだと認識した理由、そして人間がルークを遡ってレプリカ技術を排除しようとする理由。

 

そう纏めたシンクに、しかしアリエッタは首を傾げる。何がかはわからないが、何故か何処かに違和感を覚える。

 

「あ……」

 

「どうかした?」

 

「えっとね、シンクはさっきルークが恐いって言ったけど……ルークのいじょうせい? それは恐いものなの? ルークはいい人だもん」

 

人類の敵であるオールドラントの敵は、人類の敵ではないのではないか。そう尋ねるアリエッタに、シンクはしばらく間を開けて頷いてみせる。

 

「敵の敵は果たして、っていうのはその時々の状況によって違うからね。でも人は確かに未知を恐れる、そういう意味ならルークは未知も未知、矛盾だらけの恐れられて当然の存在さ。だけど――」

 

そしてシンクは紡いでいた言葉を区切り、呆れたように諦めたように、しかし清々しいまでの苦笑を浮かべた。

 

「だけど異常性云々以前に、ルークは人として越えたら駄目な一線を飛び越えたような奴だからね。もう完全に壊れちゃってる。恐いって点だけで考えると、異常性よりそっちの方が恐いか」

 

少なくともシンクにとっては、オールドラントという厄介な存在が介入しなければ何の問題にもならなかった異常性よりも、生々しい人の定義についての問題の方が遥かにリアルで恐ろしい。

 

「考えてもみなよ。一年前の時点で絶対に牢獄行きが決まってた六神将は、何の権力も持ってないただの犯罪者だったあいつが嫌だって言っただけで、たったそれだけで何の罪にも問われなかったんだよ? みんな怖がったんだよ、ルークを。ほんと誰なんだろうね、一番初めにあいつを悪魔なんて称した奴は。間違いなく天才だよ、その人」

 

からからと笑うシンクに、アリエッタも小さく頷いて同意を示す。年相応の頭脳を持たないアリエッタでも、ルークの非凡さと、彼がその非凡さだけでは説明がつかない程の尋常ではない結果をもたらした事実は理解している。

 

「一線を、こえちゃった人……」

 

ぽつりと呟かれたアリエッタの言葉に、シンクはにたりと口角を吊り上げる。

 

「当ててみようか? 今アリエッタが思い浮かべた人間」

 

「ち、ちが――」

 

「大丈夫だよ。ルークはただ病気なだけさ――もちろんリグレットも」

 

「あう……」

 

泣きそうに眉を寄せてうなだれるアリエッタに、シンクは静かに喉を鳴らして笑う。

 

「僕が言うのもなんだけどさ、実際問題あの二人みたいにはなりたくないよね、人間として。そりゃあさ、生き延びるためにも失わないためにも、目的のためにも楽しむためにも、強くならないととは思うけど……いや、そういう願望があって、僕も多少は努力したよ。だけどさ、あいつらみたいにそうし続けなければ生きていけないってわけじゃない。僕は文字通り血反吐を吐く毎日を過ごせないし、それを最低限の義務だと思えない。あいつら病んでるだよ、頭が」

 

シンクはルークとリグレットを最も間近で見続けていた。

 

世界を敵に回して世界を救うために、命を燃やすように力を求め続けたルーク。

 

全てを失い全てを取り戻そうと、泣きながら力を求め続けたリグレット。

 

正直に言ってしまえば、見ていて気持ち悪かった。感化されて自分も頑張ろうなどと思えない、嫌になるほどひたすら気持ち悪い鍛錬。

 

「病気だよ、あれは。頭がイかれてないと間違いなく死ぬって、人間なら」

 

「だ、だけど……っ! だけどルークもリグレットも、優しいもんっ!」

 

鼻で笑ったシンクに、必死になって首を横に振るアリエッタ。その姿にシンクは皮肉げな笑みを消し、苦笑を漏らす。

 

「フォローになってないよ、それ。まあ、アリエッタが言いたいこともわかるけどさ」

 

シンクはふと足を止め、暗黒の洞窟内に屈み込み、言葉を続ける。

 

「あの二人って異常とか壊れてるとかそれ以前に、ただの馬鹿だし」

 

復讐のためと言い張らなければ世界を救えないルークも、あくまでもヴァンのためと言い張らなければルークに協力できないリグレットも、見ていて痛々しいほどの馬鹿だ。

 

殺したいほど憎んでいるヴァンに、幸せになってほしいと言うルーク。

 

殺してもらうためにルークを求めていたというリグレット。

 

シンクはどんな冗談だとしか言えない。あの二人はトラウマや自己嫌悪が原因なのかは知らないが、とにかく自分にとってのベストを頑なに選ぼうとしていない。

 

今のままではあの二人は不幸になると、シンクにはそんな漠然とした予想がある。

 

「似た者同士の傷の舐め合いって言うのかな、僕からしてみれば何をしたいのか理解不能だよ」

 

復讐や恨み辛みや殺す権利や、端から見れば物騒な繋がりしかないと思えるルークとリグレットは、しかしそれでも好き好んで両者が隣にいようとしているのだから、本当に何がしたいのかわからないのだ。

 

灯りで足元を照らし、何やら探りながら「馬鹿ばっかりだ」締めくくったシンクに、アリエッタはきょとんと首を傾げる。

 

「ルークは、リグレットのことが好きだもん。だから一緒にいても変じゃない、です」

 

「好きって……まあ、そうなんだろうけど……っていうかアリエッタ、意味わかって言ってる?」

 

「アリエッタ……間違えました。好きじゃなくて、一番好き、です」

 

「…………本人の前で言わないほうがいいよ、それ。発狂しそうだし。知らないのは当事者達だけってね」

 

ルークは基本的に頭がいい。常日頃から馬鹿だ馬鹿だと皆に言われているが、それはその頭脳を妙な方向に働かせるからであり、自分がどのように他人の目に写っているのかまるで理解出来ていないなど、普通の人間としてのスキルが欠けているからだ。

 

「ルークも……リグレットもだけど、皮肉とか抜きに本気でちょっと頭おかしいからね。あのティアが心配するくらいだから相当だよ。誤魔化してるわけじゃなくてアレなわけだし」

 

「二人とも鈍い……です」

 

「鈍い……ちょっと違う気もするけど――ていうかアリエッタ……いや、やっぱり何でもない」

 

さり気に酷いねという言葉を飲み込んで、シンクはようやく見つけた布切れを掴んだ。

 

ルークの頭の話だが、先日の墓参りツアーがいい例だ。どう考えても立案したルークも賛同したリグレットも病んでるとしか思えないが、実際には確固たる別の目的があっての旅だったのだろう。その証拠にバチカルに集結している他のメンバーと別れ、ルークもリグレットも「まだ用事がある」とだけ告げてふらふらと何処かに向かった。

 

大概の人間はあの二人はまだ仲良く二人で旅行中だと思い込んでいる。否、思い込まされている。何をするつもりかは知らないが、少なくとも大したことではないはずがない。行動を起こすなら、せめて事前に報告はしておいてほしいとシンクはげんなりとする。

 

「まあ、僕らも完全に単独行動してるわけだけど。結果は真逆だからいいけどさ」

 

誰にともなくぼそりと呟いて、シンクは手に持った布をアリエッタに見せる。

 

「ぼろぼろ……だけど、服?」

 

「あたり。正真正銘人間用の服だね」

 

口の端を吊り上げるシンクに、アリエッタは眉根を寄せた。

 

シンクによって深淵のレプリカ施設に連れてこられたアリエッタだが、説明らしい説明は何も受けていない。知っていることはこの研究施設の責任者がディストだったこと、そして数年前に破棄されていたことだけだ。

 

「閉じ込め……られてたの……?」

 

「外郭大地降下による地層の変動でね。破棄されたのはもっと前だけど」

 

この広大な洞窟には、人が――正確に表現するなら人間のレプリカが住んでいた。そしてそのまま、生き埋めにされたのだ。

 

「よく見なよ。これは人間の服だけど、それよりもっと注目すべきことがあるだろ」

 

擦り切れた服をあった場所に戻し、シンクは立ち上がってアリエッタの顔を覗き込む。その表情に浮かぶのは意地の悪い笑みではなく、真面目で真剣なそれだった。

 

天井も幅も広い、洞窟と表現するには不相応なほどの広大な地下空間。アリエッタはやたらと瓦礫が多い足元や、先に落ちている数枚の先程のものと似たような布切れ、ひんやりとした凸凹が目立つ壁を観察するが、特に気になることはない。

 

きょろきょろと辺りを見回すアリエッタに小さく溜め息を漏らし、シンクは再び彼女の手を取って歩き始める。

 

「服の残骸は何枚かあるけど――普通なら一緒にあるはずの遺体はないでしょ?」

 

「あ……」

 

遺体がない。まるで引き裂かれたかのような服だったものはあるが、それを着ていた人自身がいない。

 

内外の繋がりが断たれた空間、レプリカの研究をしていた場所――生物が存在していた、何もない洞窟。

 

「ここも上と、僕らが生きてる地上と同じさ。弱肉強食、弱者は強者の血肉になるしかない。食われたのさ、ほとんどの奴らは。魔物も人間も、たぶんもうほとんど――いや、今はもう、この日の光も届かない最初から朽ち果ててる地下世界で、最も強い生物しか生き残ってないんだろうね」

 

大規模研究所で生まれた多くの生物の頂点。ある意味でのレプリカ研究の最終結果――完成系。

 

「とは言っても、ルークやネビリムに比べたら可愛いもんじゃないかな。ルークはレプリカ云々以前の問題として、ネビリムも存在自体が別格だし」

 

「別格……あ、今ネビリムさん、バチカルにいるって言ってました」

 

「へぇ……そういえば世界一周やってるんだっけ。ていうかルークとリグレットがいなくてよかったね、三人揃ったら王都が魔都になっちゃうし」

 

自分達も大概だが、あの三人が本気になれば世界征服でも出来るのではないか。オールドラントなどよりよほど現実的で、冗談になっていないところが本気で恐ろしい。

 

「あのね、シンク」

 

「ん?」

 

つらつらと三人の化け物による地獄の未来を想像していると、アリエッタが戸惑い気味に声をかけてくる。

 

「どうしてここのこと……みんなに言わなかったの?」

 

ああ、とシンクは納得する。先程からアリエッタの様子がおかしかったが、その理由がようやくわかった。よく考えれば、ほとんど何も説明していなかったのだ。

 

「ここはある意味最悪の場所だからさ。ここには僕たちの――六神将のレプリカがいる。まあもっとも、すでに食べられちゃったらしいけど」

 

「食べられたの……シンクも、リグレットも……?」

 

「だからレプリカだって。アッシュはルークと違ってちゃんとした人間だし、僕はあんたのイオンとは別物。それと同じだよ」

 

「あ……ごめんなさい」

 

何でもないように言うシンクだが、何でもないはずがないとアリエッタは知っていた。昔ほどではなが、それでもシンクは自分の生い立ちにコンプレックスを持っている。

 

やはりシンクは自らを歪な形で生み出したレプリカ技術を恨み、決してルークやネビリムの不気味さの前でも霞まない、自分のような歪んだ存在が再び生まれてくることを恐れているのだ。異様なまでの技術の完全破棄への執着は、そこからきているのだろう。

 

アリエッタは――シンクのオリジナルと深い関係にあったアリエッタは、そんなシンクにどのような言葉をかけるべきなのか、そしてどのような言葉をかけたいのかわからない。

 

だからアリエッタは何時ものように、悪夢を打ち消そうともがくシンクの手を握り、そして何も言わずに目的に向かって隣を歩こうと、そんなことをぼんやりと考えた。

 

 

先日の魔物騒動だが、シンクがティアとガイと共に討伐に当たったのは、つい最近バチカルを騒がせたベヒモスに酷似した魔物だ。

 

しかし姿形が酷似しているのは当然、その魔物は正真正銘ベヒモスのレプリカだったのだ。ティアとガイにとっては「ディストが生み出したレプリカだった」という事実だけで十分だったようだが、シンクはそれで納得しなかった。

 

ディストを呼び出し過去の研究所のデータを全て吐かせてみれば、世界中から集めた資料にはその影さえ写していなかった新たな研究施設があるという事実が発覚したのだ。それと同時にベヒモスが出てきたと思われる穴を発見し、そしてその穴の先は案の定、深淵のレプリカ施設へと繋がっていた。

 

「――で、僕はアリエッタを呼び出して、その穴蔵に潜り込んだわけさ」

 

シンクとアリエッタはたった一匹の魔物に遭遇することもなく、洞窟を前進し続けていた。

 

アリエッタは気づいていた。もう洞窟の行き止まりは近い。今まで全くしなかった魔物の匂いがするのだ。

 

「レプリカベヒモスは、多分逃げてきたのさ。この奥にいる奴には勝てないと覚ってね。まあ、餌がなくなったって言うのもあるんだろうけど。魔物ってそういうのに敏感なんでしょ?」

 

「はい。えっとね……勝てないってわかってたら……逃げれるうちに逃げると思う。アリエッタたちは、そうでした」

 

シンクはおそらく初めからそのつもりだったのだろう、とアリエッタは考える。初めからこの奥にいる魔物の存在を予想していて、初めから世界に気づかれる前に秘密裏に始末するつもりだったのだ。

 

シンクは基本的に怠惰だ。面倒なことを進んでやる性格では断じてない。

 

――しかし彼は、徹底的な、最終的な場面では、手間も怪我も犠牲も厭わずに、迅速に行動を起こす。これ以上、世界中が混乱している現状でこれ以上、面倒ごとを増やすわけにはいかないと判断したのだろう。

 

だがそれ以上に――

 

「ルークもリグレットも……頑張ってるもん。アリエッタも、頑張ります……! 」

 

――彼らは今、何かはわからないが大きなことをやっている。だからこれ以上、ルークとリグレットに重荷を背負わせるわけにはいかない。

 

きっとシンクもそういう気持ちなのだろうと、アリエッタは彼の不器用さに小さく笑って、そしてぬいぐるみを片腕で強く抱き締めて気合いを入れた。

 

「いきなり何叫んでんのさ。頭大丈夫?」

 

「だ、大丈夫だもん……! アリエッタ、ちゃんと頑張ります……!」

 

「うん、ならよかった。ちゃんと心の中で応援してあげるから、一人で頑張ってね」

 

「ひ、一人なの……? シンクは……?」

 

「僕は横になって目を瞑っておくよ」

 

「お、おうえんは……?」

 

「だから心の中でちゃんとするって言ったじゃないか」

 

「それ、寝てるだけだもん……っ! シンクの意地悪!」

 

アリエッタの半泣きの叫び声が、幾重にも木霊して返ってくる。シンクにもアリエッタにも、声を潜めて進むつもりなどなかった。

 

敵はすでに、この先で待っている。シンクとアリエッタがそうであるように、敵も二人の存在を認識し、そして明らかな敵意を持って二人を迎えようとしているのだ。

 

そうであるならば、正面から対峙する以外の道を選ぶ必要はない。

 

「このおく……です」

 

幅の広い通路の先に、広大な空間が拓けている。全く光がないこの地下世界では、常人の目は役に立たない。

 

しかし、確かに何かの気配がする。それも巨大で強烈な、この世界を食らった王者だと確信するに至る気配。

 

シンクは小さく譜を紡ぎ、背負っていた布袋を前方の空間に放り投げる。

 

発現された第三音素譜術――吹き荒れる暴風が空中で布袋を切り裂き、そして中にあった大量の音素灯を周囲に吹き飛ばした。

 

「これはまた……なかなか不自然極まりない生物だね」

 

ばらまかれた十数個の音素灯が、広大な空間を照らし出す。鼻を鳴らすシンクと驚きに目を見開くアリエッタの視線の先には、巨大な魔物――ドラゴンが鎮座していた。

 

全身が鉱石で構成されているかのようなドラゴンは、見るからに不自然だった。硝子細工のような緑色の翼、ドラゴンの首から上がそのまま成り代わったかのような、赤い右腕と青い左腕。

 

唯一まともなのは土色の頭部だが、翼と両腕と合わせて見ると、それさえも取ってつけたかのように見えてしまう。

 

「なるほどね、ネビリムを引き合いに出したのは正解だったわけか」

 

レプリカとして不自然に生み出されたが故に不自然、原因の正しい帰結として存在する必然の生命体。それが目の前の歪なドラゴン。

 

レプリカとして自然に生み出されたにも関わらず不自然、因果律を持たない偶然によってのみ存在する生命体。それがレプリカネビリム。

 

敵意を剥き出しに、目前の敵――否、餌を見据える巨大にして強靭なドラゴンに、しかしシンクは悠然と皮肉気な笑みを浮かべ、アリエッタはいつも通りに真っ直ぐ前を見つめる。

 

「人為の産物と神為の産物か――――ふん、比べるまでもないね」

 

「あなたは……悪くない、です。でもきっと……いえ、あなたはアリエッタたちの世界では、生きていけません――」

 

ドラゴンはこの地下世界で生きてきた。この地下世界で最も強かったが故に、生きてこられた。だから知らないのだ、地上での生き方を。

 

やったら、やり返される。

 

それを知らない、集団という存在を知らない彼は、悪戯に地上を荒らし回るだろう。

 

――オォオオオオォォオォオオオオッ!!――

 

それを理解しているアリエッタは、そしてシンクは、故に牙を剥き出しにして雄叫びを上げるドラゴンに向かって宣言した。

 

「――アリエッタは、あなたより友達が大事だから……あなたを殺します」

 

「端からそのつもりだったけど、そっちもその気らしいからね。というわけで、たった今から僕がここのルールと僕自身のルールに則って――あんたを綺麗さっぱり食べてあげるよ」

 

宣言と同時、シンクは何の躊躇いもなく敵へと駆け出す。雄叫びと共に巨体を揺らし、拳の代わりに顎がついた赤い右腕を大きく振るうドラゴンに、口の端を釣り上げて挑発的に笑う。

 

「流石継ぎ接ぎだらけ。随分と動きが速いね」

 

疾風の如き速さをそのままに直進。自身の胴体の倍はありそうな腕を体勢深く沈め回避。

 

――オォオオオオォォオォオオオオォォッ!!――

 

「ハアァッ!」

 

巨体故に多く広く存在する死角――ドラゴンの足元に潜り込んだシンクは、疾走の勢いをそのままに右足で踏み切り跳躍し、空中で斜め前方に回転。そして敵の脇腹――クリスタルのような頭部や腕と違う、生物的な鱗に被われたそこに、回転と跳躍による遠心力と重力をたっぷりと加えた踵を叩き込んだ。

 

斜め下へと軌道を描く踵落としの反動を利用し跳躍、シンクは大きく真横に振り切った敵の右腕側に出る。着地寸前、地に足が付く前に、左から敵の太く強靭な暗色の尾が襲い来る。第三音素を収束した足で大気を蹴り再び跳躍。尾を背中に掠らせながら回避し、着地と同時に強く一歩を踏み出した。

 

「双撞――」

 

体内へと取り込んだ音素を一気に掌に込める。強く息を吐き出すと共に、両の掌底を敵の左足の付け根へと繰り出す。

 

「――掌底破!」

 

そして打撃の瞬間、溜め込んだ音素を爆発させた。

 

――オォオオオオォォオォオオオオォォッ!!――

 

 

シンクの体術は、そもそも対人戦――ひいては中型の魔物を想定したものだ。大型の魔物や防御力が高い魔物には、譜術で立ち向かうことを前提とした戦闘スタイルは、導師としての能力、つまり破壊力の劣化と、戦闘に不向きな小柄な体格から導き出されたものだった。

 

威力には頼らない、速度と手数重視の戦術。剛に剛で対抗しない、柔の体術。

 

 

それ故に――相対する敵は、シンクの会心の、必殺の一撃を受けてなお、平然と翻した尾でシンクを吹き飛ばした。

 

「おも……っ!』

 

覆しようのない質量差によって宙を舞うシンクを、左腕である青い竜の眼光が捉える。口腔に煌めく透き通る蒼い光。そして雄叫びと共に、第四音素、冷気の塊が放たれた。

 

しかしシンクはその表情を崩すことなく、かん高い音を響かせ目前で停止した蒼の煌めきを一瞥し、片手を地面につけて受け身を取り、膝を曲げて慣性を殺した足で地面を蹴り、再び疾走を始める。

 

たっぷりと時間をかけて構成されたアリエッタの譜術障壁が、そう簡単に突破される筈がない。シンクはそう確信を持って、自身の前に展開されている障壁越しに敵を見据える。

 

歪な竜の間合いにシンクが入り込んだ瞬間、赤々と猛る火炎を牙の隙間から覗かせる巨大な腕が、轟音を響かせ障壁に叩きつけられる。ついで放たれた炎の塊が零距離で爆ぜ、ついに障壁が破壊されるが、すでにそこにシンクの姿はない。

 

「空破爆炎弾!」

 

着弾する寸前にバックステップで間合いの外に離脱していたシンクは、障壁が破られた直後に地面を蹴る。爆炎が広がる空間を突き抜けつつ炎を纏いながら、伸びきったドラゴンの赤い腕を蹴り更に加速。弾丸の如き一直線の軌道、シンクの全体重を乗せた炎を纏う拳が、敵の腹部にめり込んだ。

 

「――歪められし扉、今開かれん!」

 

――ネガティブゲイト――

 

ドラゴンの上空に、暗黒の力場が発生する。

 

「――魂をも凍らす魔狼の咆哮、響き渡れ!」

 

――ブラッディハウンリング――

 

ドラゴンの足下に、漆黒の譜陣が展開する。

 

間髪いれずに発現された、中級第一音素譜術と上級第一音素譜術。常人を遥かに上回るアリエッタの術構成速度が可能にした、上下からの譜術による挟み撃ち。上から降り注ぐ暗黒の光と、下から湧き上がる邪悪な闇は、ドラゴンの動きを止めてその身体を軋ませた。

 

敵がその動きを止めた瞬間、シンクは大きく息を吸い込み、拳を固める。

 

シンクの体術は確かに速度を重視したもので、一撃一撃は軽い。だがそれは身直にいた圧倒的な膂力の持ち主達と比較してのことで、高密度の音素を込めた拳には人間としてトップクラスの破壊力が秘められている。

 

拳に音素と共に、殺意を込める。大気より取り込む音素は、第三音素。体現せしは『烈風』。

 

「――――連撃、行くよ」

 

闇の檻に捕らわれた、継ぎ接ぎだらけの異形。静かにそれを見据えならがの宣言の後、シンクは吹き荒れる風となった。

 

「疾風雷閃舞!!」

 

人の限界まで集束した音素が、体外へと光となり溢れる。全身から緑色の光を、黄色い閃光を放つシンクは、拳と脚による神速の連撃を繰り出す。拳に纏いしは全てを焼き尽くす雷撃、脚から吹き荒れしは全てを切り裂く烈風。

 

一息の間に叩き込んだ十を超える打撃の後、最後の止めとばかりに右拳を大きく構える。

 

「――――ラスト、喰らいな……っ!!」

 

地面が砕けるほど強く強く踏み込み、その身に残る音素を全て集めた拳を、敵の腹部へと解き放った。

 

雷が鳴り響き、風が吹き荒れる。衝撃までもを閉じ込めていた闇の檻が破れ、竜の巨体が後方へと押し出された。

 

「倒した……?」

 

油断なく後方のアリエッタの所まで戻ったシンクは、心配そうな視線を向けてくる彼女にすぐには答えずに、肩で息をしながら仰向けに倒れた敵を睥睨する。

 

「いや――」

 

――オォオオオオォォオォオオオオッ!――

 

「――まだだよ。この魔物、硬すぎる。頭と腕……いや、腕も頭みたいな奴だけどさ、とにかくそういう鉱石じみた箇所以外を攻撃したんだけど、それでも全然効いてなさそうだ」

 

「アリエッタの譜術も……あんまり効いてない、です」

 

何匹もの魔物を融合させたのであろうレプリカ生命体。動きは遅い。攻撃力も絶対的な驚異ではない。しかし、耐久力だけは異常に高いのだ。その一点では、ある意味での対極に位置するレプリカネビリムをも凌ぐだろう。

 

「厄介だね。持久戦になると、こっちが不利だ」

 

「一回、にげる……?」

 

「あいつを地上に出したくないから、それは最後の手段。最善は今この場で片をつけることだ」

 

拳を包む黒いグローブに一度視線をやり、シンクは忌々しそうに小さく舌打ちする。頑丈な皮革は焼け焦げ、内側に仕込まれた金属には皹が入っていた。

 

先程の連撃は、正真正銘シンクの全力だった。勿論技の反動は覚悟していたが、それでも悠々とその体躯を起こす敵にほとんどダメージがない以上、自滅したとしか言いようがない。

 

――オォオオオオォォオォオオオオォォッ!!――

 

土色の竜の頭、腕の代わりにある赤と青の竜の頭を持つ歪な魔物は、硝子細工のような緑色の翼をはためかせる。

 

「うそでしょ……あれが飛ぶわけ? ていうか飾りみたいな形してるじゃないか」

 

「あの羽、第三音素がいっぱい集まってます。……たぶん、形は関係ないと思う」

 

自信なさげに音素反応を伝えるアリエッタに、シンクは「そうみたいだね」と頷く。皮肉で返す余裕はなかった。

 

「アリエッタ、個人用の障壁全力展開。とりあえず自衛だけに専念してて」

 

「え、シ、シンクは……っ!? アリエッタ、シンクも一緒に守れるもん!」

 

アリエッタの悲鳴のような声に何も返さず、シンクは再び駆け出した。

 

上空に浮かぶドラゴンは、赤と青の頭、その口腔に光を湛え、雄叫びを上げる。そして地上を這い回る二つの小さな生物を潰すため、無差別に炎と冷気を落とし始めた。

 

一カ所に止まらず、戦場を縦横無尽に駆け敵の攻撃を回避するシンク。爆炎と凍てつく空間を紙一重で避け続け、そして耐久力を考えれば全くの無駄と思えるほどの衝撃波を敵に飛ばすシンクを、全力で展開した障壁越しに見ながら、アリエッタは彼の意図を即座に汲み取る。

 

わざわざ自ら的になるように動き回り、牽制まで放っているのだ。自分が囮になっている間に、あれを堕とせということに決まっている。

 

一度大きく息を吸い込み、障壁を解除する。長時間の障壁展開は酷く消耗するし、攻撃に全集中力を割くには邪魔でしかない。

 

今やシンクのみに狙いを定め始めた爆炎と冷気の余波が身体を掠めるが、アリエッタはそれらを一切無視して術の媒体となるぬいぐるみを頭上に掲げる。

 

「――唸れ烈風……」

 

アリエッタに適性がある属性は、第一音素だ。第一音素譜術なら五秒以下で発動出来るアリエッタだが、現在発動しようとしている適性のない第三音素譜術ではそうはいかない。

 

適性のない第三音素で慣れない譜を紡ぎ、拙い術構成をして行く。しかし今は、この譜術でなければ意味がない。

 

シンクは言った。アリエッタに足りないのは筋道立てて思考する能力だと。

 

だからアリエッタは考えて考えて、慣れない思考をして、その答えに辿り着いた。

 

アリエッタは経験から知っている。生物はあんな翼――クリスタルで出来たような、飾りのような翼で飛行することは不可能だと。アリエッタは感覚で理解している。あのドラゴンが飛んでいるのは、第三音素を制御しているからだと。

 

だから、答えは出せる。飛行を可能としている要因は第三音素の制御。ならばその要因を消し去ればいい――制御が出来ないほど、大気に存在する第三音素を乱してやればいいのだ。

 

「……――大気の刃よ……」

 

何時ものように感覚で、直感で、無意識で術を構成出来れば楽なのに。そう思いながらも、自らが選んだ楽ではない作業を進める。一から譜を紡ぎ、思考しながら順に術を組み立てて行く。

 

「……――切り刻め……!!」

 

そして何時もの倍以上、十数秒の時間をかけて紡がれた譜がようやく完成した。宙に浮かびシンクに火炎と冷気をでたらめに吐き出し続ける敵の足下に、緑色の譜陣が描き出される。そして解放された譜術は唸りを上げる。

 

「――タービュランス!!」

 

敵の翼の周囲で吹き荒れる無数の大気の刃。決して強力ではないその譜術は、しかし確かな成果を上げた。

 

――オォオオオオォォオォオオオオォォ!?――

 

暴れ狂う第三音素の風刃は大気のそれを巻き込みかき乱し、ドラゴンの制御下にあった音素は霧散する。そして当然の結果として――巨体の墜落をもたらした。

 

「やった……アリエッタ、ちゃんとできた……」

 

ほっと力の抜けた息を吐いたアリエッタに、全身に小さな傷を負ったシンクが口元を釣り上げて細めた瞳を向ける。

 

「これでやっと馬鹿の一つ覚えじゃなくなったわけだ」

 

「ア、アリエッタばかじゃないもんっ! いつもちゃんと考えてるもんっ!」

 

「そうだね。よくやった、アリエッタ。流石僕の相棒、この調子で最後までよろしく頼むよ」

 

怒鳴り声に返ってきた予想だにしなかった、からかいも皮肉も含まれていない真っ直ぐな返答。アリエッタは呆けて薄紅色の大きな瞳をぱちぱちとさせ、そして次第に頬を赤らめてぬいぐるみを胸元で抱きしめ、ついに俯いてしまった。

 

「あ、あう……えっと、あの……あう……」

 

「アリエッタ」

 

「ひゃ、ひゃい……っ! アリエッタ、頑張ります!」

 

弾かれたように返されたアリエッタの言葉に一度頷き、シンクは呼吸を整えて敵と相対する。全身の浅い傷から血を流している自分とは違い、ドラゴンに外傷はない。

 

この敵は、間違いなく今まで戦ってきた者達より格下だ。だが、相性が悪い。元より攻撃を避ける気がないこのドラゴンには、速度で翻弄するシンクの戦術が通じない。

 

真上から叩きつけられる腕を足裁きだけで交わし、肘を打ち込む。効果はない。

 

襲い来る尾の一撃を、跳躍して真上から蹴りつける。全く効いていない。

 

圧倒的な質量をもって振るわれる敵の攻撃を避けて、シンクは意味のない反撃を繰り返す。そして思考する。

 

今の自分では、足りない。殻を破るならば、今しかないのだ。

 

アリエッタはたった今、シンクに見せつけた。何時ものような正面からねじ伏せる戦いではない、相手の弱点を突く頭を使った戦い方――新たな可能性を。

 

ならばシンクも、やるしかない。たった今この瞬間に、成長するしかない。それがアリエッタを初めて相棒と呼んだ自分の、初めての仕事だ。

 

シンクは思考し、夢想する。

 

奴らならばどうするか。自らが認める、奴らならばどうするか。

 

ラルゴならばどうする? あの巨漢なら、正面から圧倒的な膂力で敵をねじ伏せる。

 

ジェイドならばどうする? あの天才なら、追随を許さない圧倒的な譜術で潰す。

 

ヴァンならばどうする? あの剣士なら、卓越した剣技で硬い体を切り裂く。

 

レプリカネビリムならばどうする? あの化物なら、欠伸混じりに敵を一掃する。

 

リグレットならばどうする? あの魔女なら、その矛で敵を蜂の巣にする。

 

そして――そして、ルークならばどうする? あの悪魔なら、血まみれになりながらも最後には必ず敵を伐つ。

 

だったら――だったら、シンクには何が出来る? 速さを極めた体術がある、しかし届かない。強力な譜術がある、しかし足りない。導師の力がある、それでも足りない。

 

腹部に直撃する炎を撒き散らす右腕の一撃を、シンクは障壁を展開して後ろに飛ぶことで軽減する。

 

「僕の力じゃあ……、体術じゃあ、譜術じゃあ、ダアト式譜術じゃあ、届かない」

 

四肢で勢いを殺し、幾ら攻撃を喰らわせても平然としている敵に、彼女の前でも仮面をつけなくなった素顔を向ける。獰猛な笑みを浮かべた素顔を向ける。

 

「だったら――だったら、足せばいい」

 

他人を夢想しても仕方がない。存在しているのは自力のみ。ならばその自力を、全て使い切ればいい。

 

――オォオオオオォォオォオオオオォォッ!!――

 

「――――重力の檻で……!」

 

雄叫びを上げ、大気を震わせ、大地を揺るがせて猛進して来る敵を冷徹に見据え、シンクは詠唱を始める。

 

発現せしは第二音素譜術、大地の力。

 

「……もがき苦しめ!!」

 

――グラビティー――

 

ドラゴンの足下に浮かび上がる土色の譜陣、そして顕現される敵を包み込む暗黒の重力場。

 

――オォオオオオォォオォオオオオォォッ!?――

 

重く重くなった身体に戸惑いの雄叫びを上げる敵を確認する前に、シンクは空高く飛び上がっていた。ドラゴンは重力が何倍にもなった空間で、シンクを追って顔を上に向ける。

 

音素を爆発させることで跳躍したシンクは、空中で反転して牙を剥く敵に狙いを定める。そして未だ発動している重力場に捉えられているドラゴン目掛け、再び音素を爆発させ急降下する。

 

「アカシック――ッ!」

 

重力場に突入、更に加速する速度。

 

拳に纏いし第七音素が、譜陣を描き始める。

 

危機を察知したドラゴンがその頭を振り逃げ出そうとするが、もう遅い。

 

「――トーメントォォオォオオオオ!!」

 

何倍にもなった重力によって比類なき凶器と化したシンクの拳――小さな小さな、収縮された、青白い破壊の光を放つ譜陣を纏うそれが、ドラゴンの鉱石のような横っ面に直撃し、そして砕く。

 

「まだだ、爆ぜろ!」

 

拳の譜陣が更に光輝き、本来の性能――ダアト式譜術アカシック・トーメント本来の、譜陣内の物体を蹂躙する破壊の奔流を解き放つ。

 

「表面は硬くても、中までそうとはいかないでしょ」

 

砕けた頬から内部へと侵入する破壊の光が、魔物の体内を蹂躙する。シンクは衝撃により身体を跳ねさせるドラゴンの頭を蹴りつけ、待機していたアリエッタの方に向けさせる。

 

「アリエッタ――止め」

 

「はい……行きます」

 

――イービルライト――

 

そして桃色の少女から解放される、最上級第一音素譜術。練り上げられた暗黒の光線がドラゴンの牙をへし折り体内に侵入。体内を破壊されて虫の息だった歪な生命体は、第二の破壊の光により、完全にその生命活動を停止したのだった。

 

 

 

「あー……疲れた。ていうか手の骨折れてるし」

 

レプリカとしての生を終えたドラゴンは、音素乖離を起こして静かに大気へと消えていった。シンクとアリエッタは二人揃って腰を下ろし、壁にもたれかかっている。

 

「あ、ちょっと待ってね……今すぐなおします」

 

「いいよ、あんたも疲れてるでしょ。このくらい自分で治せるしさ。それよりも問題はグローブだ、完全に壊れちゃってる」

 

もっと頑丈なのにしなきゃ、と呟いてシンクは口の中で小さく詠唱する。

 

「シンク……治癒術、使えるようになったの?」

 

「まあね。あの治癒術だけは使える馬鹿に任せとけば問題ない気もするけど、覚えといて損はないしさ。……そういえばあいつ、何でまともに譜術使えないのさ」

 

エェェェエエクスプロォォォオオオオードッ! と上級第五音素譜術を数十秒かけて詠唱して叫んだ結果、薪に火を付けたルークを思い出し、シンクは失笑する。わざわざ譜術を使うより、普通に音素をエネルギーとして使った方が遥かに効率がいいのだから、もう意味がわからない。

 

「ルーク……譜術組みたてるのへただもん。アリエッタと同じで、得意なのは何となくでやってる……と思います」

 

「つまりあんたらは同レベルってわけか。だから波長っていうか、そういうのが合うんだろうね」

 

「わ……シンクにほめられた……」

 

「うん、誉めてないんだけどね」

 

驚きに目を見開き、にぱっと嬉しそうな笑みを浮かべたアリエッタに、シンクもにっこりと笑って返した。

 

この頭がお花畑な奴を相棒だなどとほざいた馬鹿は誰だ。死ねばいい。

 

――と、洞窟内の空気が揺れる。

 

「シンク……!」

 

「ああ」

 

人生最大の失言に絶望しているシンクと、よくわからず笑顔を浮かべていたアリエッタは、通路より近づいてくる気配に即座に臨戦態勢を取る。疲労が溜まり、また緊張を解いたこともあって、周囲の気配に鈍感になっていた。

 

「まだまだ未熟ってわけか」

 

破損して拳を傷つける恐れのあるグローブを無理やり外し、シンクは気合いを入れ直し素手で構えを取る。

 

「あれ……? この匂い……」

 

しかしその緊張感は、アリエッタの間の抜けた声に霧散してしまう。

 

「シンク、シンク。違います……敵じゃなくて、アッシュとナタリアの匂い」

 

「は? 何であのバカップル一号が来てんのさ」

 

「誰がバカップルだ! この屑が!!」

 

本気で状況が掴めず、呆けた声でつい本音を漏らしたシンクに、暗闇の中から罵声が飛んでくる。そして現れのは、暗闇に溶け入りそうな黒装束を纏った長い赤髪の男と、青と白を基調としたブラウスとスカートを身につけた金髪の女――アリエッタの言葉通り、アッシュとナタリアだった。

 

「アリエッタ、シンク、探しましたわよ。怪我はありませんこと?」

 

「怪我はあるけど、あんた達……いや、ごめん、本当に何しに来たわけ?」

 

心配そうに様子を窺う王女様ナタリアを本気で心配してみれば、シンクは再び次期王様アッシュに罵声を浴びせられた。

 

「貴様らを探しに来たに決まってるだろうが! こんな時期に単独行動を取るんじゃねえ!」

 

「いや、ちょっとしたバカンスに地下世界旅行でもしてみようと思ってさ。なに? お二方はハネムーン?」

 

「誰がこんな陰気な場所を選ぶか!!」

 

「まあ別にどうでもいいけどさ。どうせラルゴあたりの気遣いでしょ?」

 

ひたすら怒鳴るアッシュに溜め息で返し、シンクは軽く笑う。図体の割には細かなところまで気がきくラルゴが、それとなくシンクとアリエッタの目的と居場所を告げ、迎えに寄越したのだろう。

 

「ちょっとした発見もあったしね、今は気分がよくないこともないんだ。だから特別に、空気な王族様方にしか出来ない頼み事をしてあげるよ」

 

「く、空気だと……!?」

 

剣の柄に手をかけたアッシュに、シンクは失笑でもって返す。

 

「僕は高貴って言ったんだけど――はははは、まさか空気だって自覚しちゃってるわけ?」

 

「黙れこの屑!!」

 

一通りアッシュを怒鳴らせ終えた後、シンクは完全に壁にもたれ掛かり脱力し、そのまま崩れるようにして座り込んだ。突然のシンクの行動にアリエッタが駆け寄り、ナタリアとアッシュは戸惑いを露わにして二人を上から覗き込む。

 

「シンク……大丈夫?」

 

「アカシック・トーメントの術構成変えたせいで、出力制御ミスった。ちょっと寝ないときつそう」

 

「よかった……です」

 

目を瞑って気だるそうに説明したシンクに、とりあえず問題はなさそうだとアリエッタがほっと安堵の息を吐く。

 

「では参りましょうか。ノエルが地上で待っておりますわ」

 

安心したように手を叩き、ナタリアが笑顔を浮かべる。そんなナタリアに微笑み返して、そのままの笑顔でシンクはアッシュに向き直ったのだった。

 

「ノエルを待たせたら悪いからね、全速力で帰ろうか。さあアッシュ様、僕を乗せて馬車馬の如く走って下さい」

 

「そのままくたばりやがれ! この屑が!!」

 

* * *

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